受験生応援企画

できっこないをやらなくちゃ

投稿日時:2020/01/19(日) 23:40

最近僕をイジり始めた笹俣からバトンを受け取りました、新2年の三方です。彼の僕に対する紹介文はツッコミ所に溢れておりますが、少なくとも僕は筋肉兄貴でも無ければ、ラグビーエリートでもありません。そして僕が笹俣にマウントを取ったというあまり身に覚えの無い件について彼に尋ねた所、「書くことねえから俺が作ってやったんだよ。」と言われました。彼は一体何を考えていたのでしょうか。

余談はさておき、本題に移りたいと思います。まずは受験生の皆さん、センター試験お疲れ様でした。これから二次試験が控えていると思いますが、特に浪人生やある程度勉強が積めている現役生の皆さんは、今まで自分が積み上げてきたものを信じて、残り1ヶ月是非頑張って下さい。そして、様々な理由で勉強が積めず、今年は無理なんじゃないかと第一志望を諦めかけている現役生の皆さんは、是非この日記を読んで下さい。僕は1浪しているのですが、敢えて現役時代の話をさせて頂きます。「なぜ今失敗談を語るのか」と思う方もいるでしょうが、それぞれの立場で読んで頂けると幸いです。

僕が本格的に受験勉強を始めたのは、部活を引退した高3の11月半ばでした。それまでも毎日継続して勉強はしていましたが、学校の予習復習で精一杯でそれ以上のことは出来ませんでした。引退後も、目標の花園に行けなかった喪失感や、辛い練習から解放された安堵感、12月に行われる校内ラグビー大会への猛練習などで、勉強に身が入り切らない日々が続きました。12月に入って初めて東大の過去問を解いたときには、余りの難しさに驚愕し、もう無理だと諦めそうにもなりました。

そんな時、ラグビー部で同期だった杉井君がこんな事を言いました。
「俺、やっぱ現役で東大入るわ!」
僕は正直、何言ってんだこいつと思いました。なぜなら彼はこれまでの3年間、浪人を覚悟するような発言を繰り返していたからです。浪人時に行く予備校も当時から決めていたと思います。受験がそんなに甘くないことは当時の僕でも分かります。しかしその日から、彼は人が変わったかのように勉強し始めました。家が遠いにも関わらず、家からチャリで10分の僕よりも早く学校に来ていました。その集中力は素晴らしく、彼の単語帳は見る見るうちにボロボロになって行きました。僕は焦りました。負けられないと必死に勉強しました。その結果かどうか分かりませんが、センター試験を何とか乗り越えられました。

そこで更に衝撃の出来事が起こります。ずっと他大学を志望していた部活同期のマサト君が、「俺、やっぱ東大受けるわ」の一言で志望校を変えたのです。僕は本当に焦りました。第一志望を貫いていた僕は、この2人には負けられないと勝手に対抗心を燃やしました。
それから二次試験までの1ヶ月間は、狂ったように勉強しました。学校の授業が無くなった2月からは、少なくとも1日15時間はやりました。ほとんど集中力は途切れませんでした。稀に集中が切れたとき、マサト君が必死に勉強する姿や杉井が仮眠を取る姿を廊下越しに見ると、また気合いが入りました。

ですが受験はやはり厳しいものです。僕も杉井もマサト君も儚く散りました。そして他に大学を受けていなかった僕と杉井は、自動的に浪人が決定しました。しかしながら、2ヶ月前は東大の過去問すら見たことの無かった僕は、あと数点で合格に届く所まで迫ることが出来ました。

これまで失敗談を読んで頂きましたが、僕の努力は浪人時代に報われました。2ヶ月間本気で勉強したことで、レベルの高い学習に付いて行く土台が出来ました。そして元々高校時代の総勉強量が少なかった僕は1年間で滅茶苦茶伸びました。現役時代には考えられない成績が取れました。そして、1年越しで東大に合格することが出来ました。

冒頭でも言いましたが、僕と同様に部活など様々な理由で勉強が積めていない現役生の皆さん、ここで諦めて勉強の手を緩めないで下さい。月並みな表現になりますが、最後まで頑張って下さい。その結果合格したらそれは運が巡ってきたということです。もし希望通りには行かなくても、その経験は今後の生活に絶対活きてきます。特に第一志望を諦められず浪人を決意した人は、この努力の恩恵をすぐ被ることになります。

次は、この日記にも度々登場し、浪人期には仙人のような生活を送っていた杉井にバトンを回します。彼は同期が誰も居ない予備校に通っていたため、よく僕らの中では信憑性の無い様々な噂が立っていました。

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