ラグビー部リレー日記

応援

投稿日時:2022/08/11(木) 00:25

同期きってのいじられキャラ、平岡からバトンを受け取りました、4年スタッフの榎園琴音です。平岡とは去年スモブラの班が一緒だったのですが、当時同じ班の4年生だったルーシーさんこと齋藤海杜さんが持ち出す話題が恋愛のことばかりだったせいか、スモブラの場で平岡と喋ったり、平岡が喋るのを聞いたりした記憶は残念ながらほぼありません。スモブラ飯が実現した際には、平岡が話したいことを皆で話したいものです。

わたしがリレー日記を初めて更新したのは、3年前の2019年8月4日。今日と同じ、山中湖合宿の最終日でした。それから3年間の間、毎度毎度の更新がわたしにとってとても大切なものでした。そんなリレー日記も、12月の恒例となっている4年生ラストターンを除けば今回が最後です。今回も長くなるような気がしていますが、お目通しいただけますと幸いです。

立場上、「何かを応援する」ということについて日頃からよく考えます。

前回のリレー日記でも書きましたが、わたしはこの部の広報責任者をしています。今シーズンが始まるにあたって自分なりに考えた、この部の広報の存在意義に「応援してくれる方への還元」というものがあります。ありがたいことにこの部には、OB・OG、保護者、ファンの方、スポンサー企業の方など、応援してくださる方がたくさんいます。わたしの情報発信や企画を通して、そうした方々に少しでも何か得るところがあったならいいな、と思っています。

加えてわたしは広報責任者である以前にスタッフです。こと東大ラグビー部においては、スタッフは常にプレイヤーの応援者であるという解釈は適切なものではなく、基本的には共に闘う存在であるべきだと思っています。けれど何せ試合に出られないので、試合中など、あと自分にできることは応援ぐらいのものだな、と感じる場面が確実に存在するのも事実です。

応援者のために何かをしたり、自分自身が部分的に応援者であったりと、応援はわたしにとって身近なものです。

しかし、応援とは案外複雑なものなのかもしれないとも思っています。

今だから言えることだけれど、わたしは下級生の頃、試合に勝って嬉しいと思ったことも負けて悔しいと思ったことも一度もなく、毎試合淡々とグラウンドに突っ立っているだけでした。1年生の時の一橋戦(6戦5敗という厳しい戦績の中迎えた対抗戦最終戦でしたが、激しい攻防の末に東大が逃げ切り、14-10で勝利を収めた試合でした)の時など、涙を流して喜びを爆発させる部員たちの中に無感動なままで存在するというのは、それなりにしんどいものでした。

なぜそんなことになっていたのか。一つ確実に言えるのは、わたしがチームに帰属意識を全く持てていなかったから、ということです。新歓期が終わり入部してみれば、気さくに話しかけてくれる先輩の数はぐっと減り、男性と話すのがあまり得意でないわたしは自分から話しかけに行くこともできず、一人でずっとうじうじしていました。かといって同期との関係性も特に深まりを見せておらず、概してチームの一員という感覚があまりなかったため、目の前のプレイヤーを応援する気持ちなど一度も抱いたことがありませんでした。試合のたびに、「他人がラグビーしているのを見ているようだなあ」などと思っていました。

では当時、応援したいと思ったものに対してわたしが帰属意識を抱いていたのかと言われると全くそんなことはありませんでした。

先述した一橋戦と同時間帯には、当時付き合っていた人が所属する他部のシーズン最終戦も行われていたのですが、試合が始まる前から勝ってくれるといいなと思っていました。そして、試合後のバスへの荷積みが終わってから開いた携帯を見て、試合が勝利に終わったことを知りました。彼氏が所属している組織の試合であるとはいえ、本人が出場はおろか、メンバー入りすらしていなかったその試合の吉報に、わたしは大きな感動を覚えました。

同じようなことは他にもありました。

一橋戦の1ヶ月後に熊谷に見にいった入替戦。対抗戦B 1位の立教が、対抗戦A 8位の成蹊に勝利し、Aに上がりました。

立教には知り合いがいるわけでもなく、入部してからそれまでに対戦したのも対抗戦の1試合のみでした。またその1試合も大差で敗北しており、同じ対抗戦Bとして頑張ってほしいといったような仲間意識もさほどありませんでした。だから試合が始まるまではどちらに勝ってほしいと思っていたわけでもないけれど、ラストワンプレーでの立教の必死のアタックを見ていると、気づけば全力で立教を応援していました。最後のトライとコンバージョン成功での逆転、A昇格決定を見ると心からの祝福の気持ちが湧き上がり、自然と涙がこぼれました。ラグビーの試合を見て初めて流した涙でした。

一番身近にあって、多くの時間と労力を費やしているはずの組織に対しては常に無感動で、大して深い関わりがあるわけでもない組織に対しては簡単に心が動き応援の気持ちが生じるという、なんだか矛盾しているように見えるこの現象がなぜ起こっているのか、当時よく考えていました。

次第に、この現象は、他部のことを「よく知らないから」起こっているのではないかと思うようになりました。

ある部活を離れた外から見ている中で視界に入ってくるのは、その組織が公式に発表している情報や、試合という最も輝かしい舞台でプレイする選手らの姿だけです。そこから得られる情報に欠点はなく、応援の気持ちの形成を後押しするばかりです。

また、日がな一日その部のことを考えているわけでもなく、何かその部のために犠牲を払っているわけでもありません。費やしているものが少なく、そこに追っているリスクや生じる責任もさほどないから「好き」「頑張ってほしい」などと軽い気持ちで純粋に言えているのかもしれないと考えました。

対して自分が所属している部活は、細部までよく知っている分嫌なところもよく見えていて、それらを含めて愛し抜くのは当時のわたしにとって一筋縄ではいかないことでした。日々多くのエネルギーを費やしているからこそ、期待した何かが返ってこないとしんどいとも思ってしまいます。

思えば入部前は東大ラグビー部のことも、一点の曇りもなく大好きだったのでした。新歓期には、ラグビー部の雰囲気の良さを熱く語るわたしを見た同クラから「えのきはラグビー部に恋しているみたい」などと言われていたものでした。けれど、入部してからラグビー部の当事者として感じた色々なギャップを通して、無感動人間ができあがってしまっていたのでした。

もちろんこうした経験がある人は多数派ではないだろうと思うし、あることがいいことだとも思わないけれど、当時のわたしはこの考えに至ってものすごく腑に落ちました。

この考えは就職活動での出会いを通してより強いものとなりました。
わたしは、組織が有する高い規律や発信力などの面から、1年生の時からとある大学の強豪部活になんとなく憧れており、ゆるく応援していたのですが、就職活動中にその部出身の女性マネージャーの方にお話を聞く機会をいただきました。せっかくの機会なので、企業のこととは別に部の内情についても色々とお聞きしたのですが、その方の言葉を聞いてふと我に返るような気持ちになりました。

「規律、規律とは言っているけれど、Aチームのメンバーなどを除いたらだらしないプレイヤーはたくさんいます。現役の時はそうしたプレイヤーとの関わりにすごくストレスを感じていました。どの大学の部であっても実状はそれほど変わらないと思います。」

もちろん謙遜でおっしゃっていた部分はあるだろうし、実際客観的に比較してみても、強豪校と東大ラグビー部とではさまざまな面で明白な差があり、見習うべきところもたくさんあるのだろうとは思います。けれど、「なーんだ」というのがその時抱いた正直な感想で、理想として思い描いていた部活の姿そのものが現実に存在しているわけではないことを知りました。それからというもののわたしの中の憧れの気持ちは徐々にしぼんでいってしまいました。

わたしは、これまで魅力を感じたものを応援する際に、目の前にある数少ない情報を全てとみなした上、それをあまりにも神格化しすぎていたのかもしれません。だから、思い描いていた完璧な理想から外れた様相を呈したそれを見た途端に気持ちが萎えていってしまったのだと思います。

別の言い方をすれば、きっとわたしは1年生の4月にどこの大学に入学し、どこの部活に入部していようが、入部した後に何らかのギャップを感じ、自分の所属組織に対して何らかの不満を抱えていたのだと思います。

けれどこうした現象は、きっとわたし以外にも当てはまるケースがあるだろうと思います。応援しているアイドルや俳優の外見やパフォーマンス、演技など、目に見えてわかるものはともかくとして、人間性や価値観などの内面までをも称え、崇拝している人は大勢います。

もちろん雑誌でのインタビューやテレビ出演での様子などからその人の内面を推し量ることはできるのだろうけれど、それはあくまでその人の一面(しかも、全世界に発信するにふさわしい情報として飾り立てられたよそいきの一面)に過ぎず、その人の全てを肯定する根拠にはならないのではないかと思います。

不祥事を起こしたアイドルや俳優に対して「裏切られた」「信じていたのに」などと心底怒っているファンの声をSNSで見かけることがありますが、そもそも公式に発信されている情報の寄せ集めから「こうであってほしい」「信じたい」その人の姿を頭の中で作り出していたのはファン自身でしょう。元熱狂的ジャニオタで、「中丸君の全てが尊敬できる」などと本気で言っていた高校生の自分のことを棚に上げて、そんなことを思ってしまいます。(中丸くんの名誉のために一応言っておくと、わたしが中丸くんに何かを裏切られたことは今のところないです。だからと言って中丸くんが完璧人間だとも思いませんが。)

応援とは、その対象に対して無知であるために生じ、継続しているケースがあるのではないでしょうか。そう思うと、応援とは案外脆く、儚いものなのかもしれません。

そんなドライなことを頭の片隅で考えながらも、3年生の春には広報責任者という、きっと部の中で応援というものに最も近い立場にある役職をいただき、それから早くも1年半近くが経とうとしています。

少し話を戻すようですが、広報責任者になるまでの間に、試合で無感動だったわたしにもそれなりの変化が訪れていました。

詳しくは長くなるので割愛しますが、周囲の方の気遣い等のおかげもあり、入部時に比べると少しずつ部のことが好きになっていきました。2年生の終わりにはやっと素直に「勝って嬉しい」と思えるまでになりました。そして広報責任者1年目の昨シーズンの試合、特に秋シーズンの試合では、勝とうが負けようがほとんどの試合で感情を揺さぶられ、頻繁にズルズルと泣いていたような気がします。

入部前と違うのは、東大ラグビー部を完璧な組織だとはさらさら思っていないことです。

東大ラグビー部にはいいところも悪いところも確実に存在します。

歴史と伝統があるところ。理念や、組織としてのアイデンティティがしっかりと存在するところ。マネジメントやチームビルディングなど、細かなところにもしっかりと力を入れているところ。誰もがワクワクするような高い目標を掲げ、部員たちがそれに見合った正しい努力を日々重ねているところ。どれも東大ラグビー部の個性をかたどっているもので、わたしが誇りを持って東大ラグビー部の魅力だと言えるものです。

けれど反対に、掘り起こそうとすれば出てくるものはいくらでもあります。わかりやすい例を挙げると、東京大学運動会組織という肩書きから多くの人が連想するような、「学業にもラグビーにも常に全身全霊を注ぐ文武両道」を、必ずしも部員全員が体現しているというわけでは全くないです。また、普段チーム内で問題になったり課題として指摘されたりする規律の部分、部員の弱い部分や人として足りていない部分も数えきれないほどあります。わたしという人間一つをとってみても、ありがたいことに部活での取り組みを部外の方に褒めていただける機会が時たまあるのですが、日頃のスタッフとしての自分を省みると、実際のわたしには身に余る言葉であると思うことも多いです。

それでも、「東大ラグビー部を応援してほしい」という思いは学年を重ねるごとに膨らんでいき、今に至ります。

そして、「応援していただけると嬉しい」という気持ちも日に日に強いものとなっています。

冒頭で述べたように東大ラグビー部には応援してくださる方がたくさんいますが、その方々も、程度の差こそあれど、東大ラグビー部の全てはわかっていない状態なのではないかと思います。

よくわかっている、というと思い浮かぶのは諸OBさんの顔で、特に執行部会の役員の皆さんには組織の運営に関することから現役の活動に関することまで、多様な事柄において労力を割いていただいています。けれど、毎練習に足を運んでいただいているという訳ではない以上、「今ここにある、等身大の東大ラグビー部」をくまなくご理解いただいている訳ではないのではないかとも思います。保護者の方などもまた然りです。

けれど、応援してくれている方がどんな状況にあり、そしてその方の応援の動機がどんなものであったのだとしても、人から応援をいただけるというのは本当にありがたく、嬉しいものです。東大ラグビー部も、多くの方に試合に足を運んだり試合中継配信を見ていただけているというのはもちろんのこと、試合前後にメッセージフォームを送っていただいたり、色々な方から頻繁にSNSにいいねをいただいていたり、試合のPV映像を作っていただいたり、ご近所から差し入れをいただいたり、ご支援・ご協賛をいただいたりと様々な形の応援を受けており、その全てに感謝しています。この山中湖合宿でも、ハードなスケジュールの中でやや心が弱りそうな時に様々な方から今後の合宿への差し入れのお申し出をいただき、メールの通知を見るたびに元気をいただきました。

応援とは脆く儚いものだと言いましたが、同時に、ひとたびそれが存在すると、あまりに大きくポジティブなエネルギーと限りない温かさをまとい、人の背中を後押しするものなのだということを感じさせられる日々です。

だから、もしかすると抱かれているイメージほどはすごくないかもしれないのだけれど、それでも確かに存在している東大ラグビー部のいいところに目を向け、応援してくださる方が一人でもいるのであれば、日々抱いている感謝の気持ちをもってそれに広報という形で全力で応えていきたいと思っています。

そして、先ほどはアイドルや俳優に過度な期待を寄せることへの批判的な意見を述べましたが、応援を受けている側の立場である以上、組織として、そしてそこに所属する部員として、その期待に応える努力は何が何でもするべきだと思います。応援してくださる方が思い描く理想をそのまま体現することが目的になる、というのはなんだか少し違う気がするけれど、自分たちが応援されるに値する存在になれているか、自分たちのありのままの姿を知った時に応援してくださる方々をガッカリさせないかといったことは常に念頭に置き、自信を持ってイエスと言えるような状態を目指す組織を目指し、そしてそこに所属する一員になりたいです。

わたしのHPプロフィールの今年の個人目標は「伝えきる」です。複数の思いを込めてこの目標を設定したのですが、その中には応援してくださる方に対して精一杯広報活動をしたいししなければならない、という思いも含まれています。頭の中にありつつも一向に着手できていないことがたくさんあり、日々自分の作業の効率の悪さに呆れたりもしておりますが、残された時間を大切にしたいと思います。

今後ともご声援のほどよろしくお願い申し上げます。

次は、いつもニコニコと楽しそうなデイビスにバトンを回します。デイビスとは今年のスモブラの班が同じなのですが、4年生のメンバーがわたしと笹俣という、お世辞にも喋りで場を回すタイプとは言えない2人なので、関戸と2人で会を盛り上げてくれていつもとても助かっています。地味にわたしは、なんとなく落ち着いて場に存在できるからか、今年のスモブラ班が歴代で一番好きです。
 

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