ラグビー部リレー日記

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チームを作る側

 written by 濃野 歩 投稿日時:2019/06/16(日) 19:00

ぼくに羨望の眼差しを向けてくれる下條からバトンを受け取りました。濃野です。

 

「チームを作る側」になるというのは難しいなあという話を書きます。

 

 

 

 

4年生になってから圧倒的に後輩と過ごす時間が増えた。単純に後輩が増えたからというのもあると思うけど、それを差し引いてもかなり増えたと思う。

 

大抵はしょうもない話をするけど、たまに真面目な話をしたりもする。練習メニューのこととかチーム状況のこととか、試合後の反省とか。

 

そこで1番感じるのは、後輩に支えられてんなぁということで、この場を借りて感謝したい。1年生は元気はつらつやし、2年生は自分が2年の時よりチームのことを考えてるし、3年生は本当に頼れる集団だと思っている。

 

うちのチームは本当に下級生がたくましいと思う。別に他のチームと比べたわけじゃないから主観でしか語れないけど、今年の後輩たちは「4年生っぽい」。「4年生っぽい」ってのは要するに「チームを作る側」ということで、今年の下級生は「こっち側」が多いと思う。

 

「チームを作る側」になるのはめちゃくちゃ難しいと思う。チームの課題が露わになった時、チームが上手くいかない時に自分にベクトルを向けて「自分にできることはなんだろう」と問いかけることが出来る人間は、そんなに多くないし、人は弱い生き物だからついつい自分以外の誰かにベクトルを向けて、誰かを批評してしまうし、オレなんかしょっちゅう「お前もちゃんとやれよ~」と他人にベクトルを向けてしまう。

にもかかわらず、今年の下級生は「いまの自分たちに出来ることはなんだろう」と一生懸命考えてくれる。これ以上ないくらい頼もしい。節々から「チームを作る側になる」というメンタリティで取り組んでくれているのが分かる。その中で、オレの1番好きなエピソードは5月中旬のレクリエーションのことだ。

 

毎年うちのチームの課題として1年生と2.3.4年生との間に壁があるということが挙げられていて、なんとかしたいなぁという話を3年生の山口と話してた。原因は明確で、1年生は「ジュニア」として、上級生の「シニア」とは別々に練習するからというのは分かっていた。普段の関わりがないから自然に壁が出来てしまっていた。そこでまずは、1年生の歓迎も兼ねてレクリエーションをしようと思いついて、チームビルディング係のオレが率先して企画して「みんなが盛り上がるレクにしよう!」と気合い入ってたら、山口に「いや、ここは3年生にやらせてください」と止められた。

 

山口は「3年生だけでレクを0から作ることで、3年生も上級生として何ができるか考えて、上級生の意識をより高く持つ機会にしたいです。」と言ってくれて、オレは心の底から山口ってすげえなと思ったし、「3年生も“チームを作る側”になれるように頑張ります」とまで宣言してくれた時には「今年はまじで良いチームになるぞ」と嬉しくなった。実際レクも楽しくて1年生との壁が小さくなったと思うけど、それ以上に3年生の「チームを作る側になる」という気概が伝わってきてめちゃくちゃ嬉しかった。山口中心に3年生が一丸となって取り組んでたのが手に取るように分かったし、周到な準備を積んできたんやなというのがひしひしと伝わってきた。

 

実際このレクの後にチームの中で「チームを作る側」の人間が増えたと思う。練習への取り組み方とか練習後のフィードバックの質とかリレー日記の内容とか、全てにおいて感じる。「チームを作る側」の人間は誰かを批評するんじゃなくて、自分にベクトルを向けるからすぐに見分けがつく。山口以外にもここには書ききれないくらいたくさんいる。オレももっと「チームを作る側」になれるようにもっと自分にベクトルを向けよう。

 

特に根拠はないけど、なんとなく今年もいけるんじゃないかとふと思う時がある。練習プランとか戦術プランから湧いてくる自信とは別に、チームの雰囲気に関する自信がたまに湧いてくるときがある。「学生スポーツにおいてチームを作るのは4年生」と一般論で語られるけど、オレらは「チームを作る側」が下級生にもたくさんいることが強みであり、そういうチームの方が上手くいきそうな気がする。もちろん4年生も引き続き頑張るけど、それに加えて下級生の成長が頼もしい。だから、なんとなく自信が湧いてくる。

 

次のリレー日記を書く頃には「なんとなく自信が湧いてくる」が、「自信が確信に変わった」みたいなことになってれば良いなぁと思う。というか、そうなるようにオレは「チームを作る側」として“チームビルディング”する義務がある。だから、もっと自分にベクトルを向けていかないといけない。

自分にベクトルを向けてると「こんなにやってるのになんで上手くいかんねん!」って叫びたくなる時が何度もあるし、大抵そういう時はやってる「つもり」に過ぎないことに気づいて情けなくなるし、「ちゃんとやってない人がいるからじゃね?」って誰かに原因を探し始めそうになるし、そんな自分が嫌になってくるし、「オレってしょうもない人間やなぁ…」って悔しくなる時もある。全部放り出して誰かに任せて、自分は第三者目線でヤイヤイ外野から口出しするだけのポジジョンになりたいと思う時もある。そりゃそうだ。だって、そういう「こうするべきだ!」と正解を振りかざすだけなら誰だってできるし、めちゃくちゃ楽だし、自分の身を安全に保てる。だって正解だけを言っておけば、誰も反論できないから。でも、本当にオレがやるべきなのは「どう正解へ持っていくか」であり、それこそが「チームを作ること」だと思う。自分を第三者的ポジションではなく、渦中に置くことが大事だと思う。
いやあ、分かってるんだけど、これがやっぱり難しいんだなあ。

 

あと半年でオレはどこまで成長できるだろうか。

こんなしょうもない人間でも、どんなときもちゃんと自分にベクトルを向けて「チームを作る側」としてチームに貢献できる人間になれるだろうか。

 

逆にいうと、今が1番成長するチャンスやなぁ、と書きながら思った。これはこれで楽しいような気がしてきた。半年後の自分にちょっとわくわくしてきた。

 

 

ちなみに次は2年生中心に「スタッフとプレーヤーの垣根を無くす」というテーマで夏にレクを開催してもらいます。2年生にはスタッフがいなくて、スタッフの大切さを1番分かっている代です。めっちゃ期待してます。一緒に「チームを作る側」になりましょう。

 

次は、山口にバトンを渡します。彼の紹介はもう十分だと思います。

Rugby will refresh the world

 written by 下條 裕人 投稿日時:2019/06/12(水) 22:58

最近ボクササイズで結果にコミットしたらしい同期のあやのちゃんからバトンを受けました4年の下條です。

いつもキラーパス的紹介をされるので今回もかとヒヤヒヤしていましたが、機嫌が良かったのか普通の紹介で安心しました。







僕はとても影響されやすいタイプである。鶏胸肉がいいのだと言われるとほぼそれしか食べなくなるし、周りに関西のやつが多いとなんかエセ関西弁的なのを喋ってしまうし、面白い映画を見た後そのBGMを当分口ずさんでいるし、好きな芸人をつい真似することもあるし、よく一緒にいる友達の口癖をいつのまにか話しているなんてこともある。

「批判的に物事を捉えることこそ知性」的なことを誰かから聞いたけど、そういう意味では僕は全くもって知性的ではないことになるので少し悲しい。





それはそれとして、そんな僕だから東大ラグビー部という強い個性を持つ人や組織に影響されないわけがなかった。



Rugby will refresh the world



これがラグビー部に入って影響を一番と言っていいほど受けた言葉だ。

言ってることはとてもシンプル。「rugby」は「world」を「refresh」するということ。だけど未だに訳せない。



そもそも「rugby」というなんとも泥にまみれたイメージのある言葉と「refresh」というなんとも爽やかなイメージの単語が全く結びつかないという、それこそ偏見にまみれた理由でこの文に関心を持ったわけであるが、四年目にして未だ日本語にすることができず、四年間ずっとその意味を追い求めてラグビーをしているといっても過言ではない。



ただ四年間考えてわかったこともあった。「world」とは所謂「世界」を指すものとは限らないということだ。僕がラグビーをしたところで「世界」が変わるわけではない。僕がラグビーをして戦争がなくなり平和が訪れるみたいなことは絶対に起きない。



世界とは自分の見える範囲にしかないのだ。見えない、想像もつかないような範囲は「world」なんていえない。その意味で世界は神視点の大規模スケールのジオラマなんかではなく、ただただ自分の内部にしかないもののはずだ。



ラグビーは自分と向き合いその弱さを変えうるスポーツだ。厳しいトレーニングや自分より一回り大きい相手にタックルする時の恐怖を乗り越えた時に新たな自分と出会えるはずだ。



ラグビーで自分を変える。

Rugby will refresh the world



泣いても笑ってもあと半年。これを胸にあと半年全力で駆け抜けよう。







かなり意気込んだ文章を書きましたが、ラグビーをやらないと話にならないのでまずはラグビーをちゃんとやりたいと思います。







次は聞いても話さないのに聞いてもいない時に彼女との惚気話をする濃野に回します。

個性で闘え

 written by 大平 綺乃 投稿日時:2019/06/10(月) 23:14

建築の課題やスタッフの仕事でどれだけ忙しくともいつもキラキラ輝いている鈴音ちゃんからバトンを受け取りました、四年スタッフ長の大平です。私は今年度東京大学運動会が運営する山中寮の筆頭(寮長)を務めております。現在開寮に向けた準備に追われており、スタッフ長でありながら鈴音ちゃんをはじめ下級生スタッフのみんなには大変助けられています。この場を借りて感謝を伝えたいです、いつもありがとう。

さて、紹介文にもあった通り、今年は一年生スタッフ8人を新たに迎え、東大ラグビー部スタッフ組織は一気に大所帯となった。スタッフに限った話ではなく、一年生というのは組織にとって特別な存在だ。外部にいた複数の人間が急に組織の一員となるのだから、彼らが組織にもたらす影響の大きさは言うまでもない。先日の一年生試合を見られた方はその初々しさを肌で感じられたことだろう。惜しくもあと一歩のところで勝利には及ばなかったが、多くの一年生が目覚ましい活躍を見せ、非常に爽やかな良い試合となった。今シーズンの東大ラグビー部に新しい風が吹き込む良い機会であったと感じている。

一年生のみんなはそれぞれ期待を胸に入部してくれたことだろう。その気持ちを胸に今後4年間を過ごしてもらいたい。それに加え、東大ラグビー部という組織に属して4年目になる私から、老婆心ながらこの機会に言葉にしておきたいことが1つある。それは自分の個性を常に意識してほしいということである。

人間には相反する二つの感情がある。出る杭にはなりたくない、しかし他人と一緒もいやだという感情だ。実はこの二つの感情をわかりやすく反映しているのが、中高生や大学生の間で大流行しているタピオカミルクティーであると思う。最近、街中でタピオカミルクティーを求めて並んでいる大行列をよく見かける。確かに美味しい飲み物ではあるが、数十分もかけて並ぶ代物には思えない。なぜ人はあの行列に並ぶのだろうか?

第一に、大行列に並ぶという同調行動は人間に安心感を与えるらしい。安心感は、幸福感を高めやすくするセロトニンをはじめ、体内の様々な器官に強く影響する。つまり大げさに言えば、タピオカミルクティーの行列に並ぶことは、安心感を得、孤独や疎外感を満たすために自然と取られる行動と言えるらしいのだ。

第二に、商品の選択肢の多さが、自ら選択したという意識を増長し、満足につながる。タピオカミルクティーの店に行くと、お茶の種類や甘さ、氷の量まで細かくカスタマイズすることができる。これに、並んだ時間が長ければ長いほど、損をしたと思わないように満足したと思い込む防衛本能が働いたり、大勢の人が並んでいるのだから美味しくないと辻褄が合わないという意識の修正がなされ、私たちは本来以上の満足を一杯のタピオカミルクティーから得るのだという。

タピオカミルクティーの話が長くなってしまったが、要するに、出る杭になりたくないという不安に流されず、自分の個性と向き合うことを大切にすべきである。言い換えれば、東大ラグビー部の一員として埋もれるのではなく、常に組織の中で自分に何ができるのか、自分にしかできないことは何かを考えるということだ。これは決して簡単なことではないが、S&C、怪我人管理、広報や栄養を担当してくれている三年生スタッフは、まさに素晴らしい好例である。かく言う私が思う自分の個性は「みんながやりたくない仕事をやる」という非常に地味なものである。細々としたマネジメントの諸連絡や外部への派遣活動は、部内では目立たない仕事である。しかし欠けてはならないもの、誰かがやらなければいけないものでもある。自分はそんな仕事を土俵にして、あと半年ほど駆け抜けたいと思っている。

今年のスタッフ新勧のキャッチコピーは「個性で闘え」だった。その言葉をみて入部してきた一年生に私のリレー日記は不要だろう。一年生には早く日々の仕事に慣れ、自分の個性を見つけていってほしい。そして古い体制や上級生に意見し、行動を起こす勇気や忍耐を体得してもらいたい。一つ明言できるのは、東大ラグビー部は出る杭を打つような組織ではないということである。今後の一年生の成長に大いに期待している。

最後まで駄文を読んでいただき、ありがとうございました。ちなみに私は行列には並びませんが、タピオカミルクティー自体は大好きです。

次は、ラグビー、主務業、就活、趣味を両立するマルチプレーヤーの四年の下條にバトンを渡します。彼にバトンを渡すのは今回でなんと3回目になります、かなりの偶然に驚いています。

コンテクストを読み解く

 written by 西山 鈴音 投稿日時:2019/06/06(木) 23:00

後輩を愛し後輩に愛される副将 河合さんからバトンを受け取りました、3年にスタッフの西山です。河合さんのプレー復帰、心待ちにしています。
さて、紹介にもいただいた通り、私は今春より建築学科へ進学し日夜設計とにらめっこする生活を送っております。つい先日、怒涛の設計課題を提出し終えたばかりですので、少しばかり建築について書かせていただきます。(ちゃんとラグビーの話もします)


今回の設計課題のテーマは「渋谷の街の流れの中にある美術館」、渋谷という場所に相応しい美術館を求められた。この中でキーワードとなったのが、”コンテクスト”すなわち”文脈”である。
その場、その時代に相応しい建築を設計するためには、コンテクストを読み解釈することが必要となる。コンテクストとは、対象の環境、歴史的文化的背景のことであり、読み取ったコンテクストを自分なりに解釈し、空間で生じるアクティビティや意味性を考えることを「コンテクストを読み解く」という(と私は理解している)。
場のコンテクストから思考の端を発し、自分の解釈を加えそれをカタチとしていくことで、設計されたカタチが単なるカタチではなく、その場にある意味性必然性を生むと思っている。

この「コンテクストを読み解く」行為は、価値生成を行う際、あらゆるシーンにおいて有効な手続きだと考える。


ここで私の所属している東大ラグビー部について考えてみる。

東大ラグビー部のコンテクストはなんだろうか。
単なるラグビー部ではない、東大ラグビー部としての存在意義はなんだろうか。

ある人はラグビー部である理由としてこんなことを思うかもしれない。
「強くなりたいから」
「勝ちたいから」
ラグビー部である者、競技スポーツをする者として、当然の感情である。
しかしながら、この感情のみで東大ラグビー部に所属しているのであれば、これは東大ラグビー部のコンテクストを無視していると言えるのではないかと思う。
我々は勝つためだけにラグビーをしているわけではない。

「東大ラグビー部は、大学ラグビーの象徴たる存在である」

これは、私なりに東大ラグビー部のコンテクストを読み解釈した今のところの結論である。
日本ラグビー黎明期である1921年に東大ラグビー部が創設されてから、数々のOB様方が大学ラグビーを広めるため、東大ラグビー部をよりよい組織にするため情熱を燃やされ、東大ラグビー部は大学ラグビー界で特定の地位を築いてきた。創部から98年経った今でも東大ラグビー部の注目度は高い。我々が強豪校に勝てば、ネットの2ch掲示板「対抗戦Bを語ろう」が湧く。これは東大が弱小校だから強豪校に勝つと話題になるのか。否、東大が強豪校に勝つから、話題になるのだ。
スポーツ推薦ではない、勉強を武器に大学に入学し、以前からラグビーをしていた者と大学に入ってからラグビーに出会った者とが同じ環境で練習をする。在学中は勉強しながらも日夜ラグビーに打ち込み、卒業後は殆どの者がラグビーから離れた生活を送る。
大学生という人生におけるほんの短い4年間で、全力でラグビーと向き合う。
刹那性の中に命を燃やすからこそ、大学ラグビーは美しく輝く。
東大ラグビー部ほど、大学ラグビーを体現するに相応しい組織はない。

大学ラグビーに求められるものは「プレー的強さ」だけではないと私は思う。ラグビーの規律、相手を敬う心、正直に競技と向き合う心、といった「美しい精神性」も求められている。大学ラグビーを象徴する組織として、我々東大ラグビー部は、ラグビーに向き合う精神性はどのチームにも誇れるようでならなければならない。
さあ現状はどうだろうか。

忘れもしない5月5日の早稲田戦。
スコア的な大敗もさることながら、私は東大陣のテントの汚さにも絶望していた。テントの中にはプレーヤーの荷物が散乱し、どこに誰のものがあるのかわからない。部の荷物すら探すのに一苦労した。挙げ句の果てに、プレーヤーの1人が部の公式のハーフパンツを地面に置いたまま忘れた(そもそも直接地面に置くことが考えられない)。
隣のテントに目をやる。そこには美しく整頓された部の荷物と、アカクロの替えジャージ。
「負けた」と思った。

日常を思い出す。毎日の朝練の前。
部室前の水道でドリンクを作っているとプレーヤーがやってくる。彼らに挨拶をする。返ってくる返事は60-70%程度だろうか。

精神性など目に見えないと思う人もいるかもしれない。それでも私は、精神性は必ず表層に現れてくると思っている。

いま東大ラグビー部は負け込んでいる。
正直、プレーヤー、スタッフ共に焦っている人は多いのではないか。その分、ミーティングや練習にも緊張感が走る。皆、「強さ」「勝ち」を渇望している。
皆、焦りすぎてはいないか。
焦りのあまり、大事なことを忘れてはないないか。
我々は、東大ラグビー部である。
ラグビー部ではない。

東大ラグビー部のコンテクストを今一度再確認し、我々が為すべきことを再構築してみてもよい時期なのかもしれない。
我々の行動は、我々が生み出す価値は、大学ラグビーを変える力を持っているのだから。



大変な長文になってしまいました。最後までお読みくださりありがとうございます。
上記はあくまで私個人の考えであり、部としての見解ではございませんので、ご留意ください。

また、文中で勝ちが全てではないと記しましたが、勿論東大ラグビー部には強くなって勝ってほしいとも思っています!!そのために私にできるサポート、全力でさせていただきます。


次は、3年生3人、1年生8人と大所帯になったスタッフ組織を1人でまとめ支えてくださる、4年スタッフのあやのさんにバトンを渡します。いつもありがとうございます!

最後の一年

 written by 河合 純 投稿日時:2019/06/04(火) 20:49

最近髭を生やし男前な吉田からバトンを受け取りました。4年の河合です。リーコイオアネに似ていると言われるのは光栄ではありますが、とうとう吉田までも今○屋に触発されてしまったと思うと残念です。

気づけばあっという間に4年生となっていた。もう大学ラグビー最後の1年である。最後の1年という意味では、高校時代に後悔した記憶がある。

高2の春大会、ベスト16をかけ青山学院高校と対戦した。結果は4点差で敗戦。桐朋高校ラグビー部は、基本的に受験勉強のために春の大会で高3は引退してしまうことが多い。そのため、この敗戦で例年通り高3は引退してしまった。SOとしてベスト16に先輩達を連れていけなかった。とても申し訳無い気持ちでいっぱいだった。

高校2年の秋、3年生は先ほどの通り引退しており1、2年で秋の花園予選に望んでいた。幸か不幸か、またしても春にベスト16をかけて戦った青山学院とベスト16をかけて戦うことになった。結果は、またしても4点差で敗戦。高3がいない中頑張ったといえば頑張ったのかもしれない。しかし、負けは負けである。悔しかった。

高2の冬の新人大会、初戦は成城学園高校。為すすべもなく完敗した。

高3の春大会、初戦は明治大学付属中野高校。この時ほど運が悪いと思ったことはなかった。新人大会も春大会もなぜ初戦から強豪と当たってしまうのか。自分の代はたまたま人数も多く、自分の中では良いところまでいけるのではないかという思いがあったが相手校の名前に正直萎縮してしまった。試合当日、これで負けて引退という考えが頭の中にあった。実際に試合を開始してみると数分後に先制された。やはり厳しいと思ってしまった。しかし、トライされてから数分後だったと思うトライを取り返せた。7-7の同点。正確な点数は覚えてないが結局、前半を7-19くらいで折り返した。この点差はひっくり返せないわけではなく、希望に満ちた。しかし、後半に入るとこちらもバテてきてしまい最終的には7-38で敗戦。この大会で自分は引退した。もし最初から萎縮せずにやれていたらどうなっていただろう。そこでも後悔した。

高3の秋、受験勉強の合間にラグビー場にやってきた。そう、本来なら自分も出たであろう花園予選を見にきていた。その試合には秋まで続けていた同期が数人出ていた。この試合については自分も出ていないため省略するが、結果は5-17で初戦敗退。同期で続けていた人たちはこれで引退となった。

試合終了後、

「お前いたら勝ってたと思うよ」

そんなことを言われたと思う。またまた後悔してしまった。

結局受験もうまくいかず浪人した。ここでも浪人するくらいなら秋までやって浪人すればよかった。そんな後悔も生まれた。

結局1年どころか高校最後の1年半くらいについて書いてきたが、見ての通り後悔の多いものだった。自分自身大学ではラグビーを続けるつもりは元々なかったが、この悔しさがあったがために大学でもラグビーを続けているのかもしれない。

多分この1年もいつのまにか終わっていると思う。最後の1年悔いの残らないようにやりきりたい。

長々と思い出話をしましたが、最後までお読みいただきありがとうございました。

次は建築の課題とメディカルを含めた部活の仕事を両立している鈴音ちゃんに回します。

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