ラグビー部リレー日記 2020/9

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2回目

 written by 魚住 承吾 投稿日時:2020/09/07(月) 19:21

部の後輩であるにも関わらず年は僕より1つ上という不思議な関係の2年佐川からバトンを受け取りました3年の魚住です。彼の希望の学科に行くために「追い出し」などを駆使して奔走する姿はまさしく去年の自分を見ているようで懐かしいものです。(レベルは僕よりずっと上ですが...)

 

さて、私事ですが、つい先日、前十字靭帯を再断裂しました。このことのショックが大きく、絶賛傷心中です。正直今ラグビーがどうとかチームがどうとか部活がどうとかいう気分にはなれないので、前十字靭帯を再断裂して何が嫌なのか、僕の不平、不満、弱音をひたすら書いて少しでも自分の気分をスッキリさせようと思います。聞き苦しい内容になることを先にお詫び申し上げておきます。

 

まず何よりも手術が怖い。

僕は注射されるのにも心の準備がいるくらい怖がりです。しかも最近医療ドラマにハマってしまって手術シーンや医療ミスシーンを死ぬほど見てきたので前回より恐怖が倍増されています。

 

入院中ひま。

前回は術後2週間近く入院してたのですが、しなければならないことといえばリハビリだけで、ひたすら暇でした。その時は甲子園が放送されてたり友達がお見舞いに来てくれたりしたのでマシでしたが、今回はコロナの影響でお見舞いも制限されててより一層ひまな時間が増えそうです。

 

リハビリがつらい。

手術が終われば約8カ月のリハビリ生活が待っています。前十字靭帯のリハビリは他の怪我に比べてもきつく、しかも全てのリハビリが一度やった内容です。1万字まで書いたレポートのデータが全て消えて1からやり直しになる気分です。

 

練習に参加できないのがつらい。

正直これが1番辛いと思います。みんな必死に、でも楽しそうに練習する姿をグラウンド外から1人でリハビリしながら見る、これはかなり精神的に応えました。周りとどんどん差を付けられている、自分はなにをしているんだろう、答えの出ない問いが自分の頭の中でグルグルしていました。試合に行っても何もせずただ雑用するだけで、正直試合に勝っても負けてもなんとも思わなくなっていました。その期間がもう一周訪れると思うとラグビー部を辞めたくなります。

 

ここまで大変お聞き苦しい内容になってしまって本当に申し訳ありません。

 

でもこれで全部言い尽くしました。

もう弱音は吐きません。

これを書いた今からは全力で復帰することだけ考えます。おそらく僕が復帰できるのは来年の夏。残り半年で必死に練習して、対抗戦でスイカの7番を着て大活躍します。

 

正直まだショックから立ち直れておらず、気持ちの整理もついていませんが、それでもこの決意表明を自分の心の支えにもしながら少しずつ前に進んでいきます。

 

最後まで読んでいただきありがとうございます。

 

次は麻雀の才能は無いものの、ラッパーとしての才能を開花させつつある3年の北野にバトンを渡します。僕が7番をつけて対抗戦に出るときに14番をつけているのは彼だと確信しています。

私の東大進学選択成功作戦2020

 written by 佐川 正憲 投稿日時:2020/09/01(火) 17:30

部活も就活も全力で取り組み、その上充実した楽しそうな大学生活も送れているともかさんからバトンを受け取りました。2年の佐川です。最近、私服がオシャレすぎて後ろ姿だけではともかさんだと認識できなかった時がありました。自分とは真逆の華やかな大学生活を送れているともかさんが一瞬羨ましかったりします。

先日、進学選択で私は工学部社会基盤学C学科に内定しました。この学科に入りたいがために東大に入学し、これまで勉強してきたかいがありました。今回はここに至るまでの経緯を少しだけ書き記そうと思います。

私は小さい頃からコンピューターやスマートフォンなどのガジェットが好きでした。小学生の頃は新作のiPhoneが出るたびに、それを所持している人を見かけると羨ましがってつい端末を見つめてしまうほどでした。そんな私がなぜ情報系や機械系の学科ではなく社会基盤学科を目指そうと思ったのか、その理由を全ては自分でもわかりません。ただ、中学生の頃インフラ関連の展示会に足を運んだことや、水質汚染に関するプレゼンを行ったことからわかるように、その頃から少なからずインフラに興味を抱いていました。大学で実際に社会基盤Cに関連する授業を受けましたが、そこで得た、発展途上地域にインフラをただ提供するだけでなく現地の人たちと共にインフラを整備するという発想は新鮮でした。自分の手でインフラを作ることで愛着感が生まれ、また修理も自分たちの手で行うことができるようになるのです。また海外の治安が悪い都市をデザインし直して人の多く集まる住みやすい街に作り替えるという事案は大変魅力的に映りました。この授業を通してこの学科に行きたいという気持ちがより強くなったことを実感したのです。しかしいくら入りたいという意思が強くても試験で高得点を取らなければ入ることはできません。

私の志望していた工学部社会基盤学C学科は例年底点が高く(例外はありますが)85点付近であったため、入学当初から基本平均点で85点を取ろうという目標を立て努力してきました。「1Aでは忙しくてなかなか勉強できずに点数が低く出てしまい、2Sでは挽回が不可能となるため1Sで高い点数を取らないと基本平均点を高く出せない」という話は散々聞いていただけあって、1Sの平均点が81点だと分かった時は少しショックでした。1AにはALESSや様々な行事がありましたが、試験前には睡眠時間を大幅に削ってでもできるだけ勉強時間を確保して1Sよりも高い点数をとることができました。2Sでは必修科目が少なくなるため総合科目での点数上げを狙いました。点数を上げるためには点数の取りやすい科目を履修しようという意識がどうしても働きますが、自分が興味を持てるものであるか否かは大切にしていました。私は理系の科目が好きであるため理系科目を多く履修し、いわゆる「追い出し」を目指しました。

しかし進学選択に参加する条件として苦手な文系寄りの科目も履修しなければならず、その中で点数が取りやすい科目をなかなか見つけられなかったため完全に自分の興味だけで履修を決めた科目もありました。それは「国際関係史」です。この科目では19世紀から現代までの東アジアにおける国際関係を様々な視点から考察することを目標としており、ある程度世界史の知識があるのを前提として進められました。私は高校生の時に1年だけ世界史Aを履修していましたが、そこから何年も経過していてほとんど知識は残っていなかったためかなり苦戦しました。最終課題も東大入試の2次試験のような大論述(800字)が2つと、生粋の理系人間である私には酷なものでした。しかし授業自体は非常に面白く、難しい最終課題も真剣に取り組むことで授業内容の理解が深まり東アジアの教養も深めることができたのは、今後の人生に生かすことのできる貴重な体験であったと思います。

2Sは自分が興味ある科目を選んで履修したため自然と高得点をとることができ、結果さらに平均点を伸ばすことができました。目標には一歩及びませんでしたが、限りなく近づくことができたと思います。

こうして振り返ると私の前期教養学部時代は学業の面で非常に充実したものになったと思います。欲を言えば文系寄りの科目をもう少し多く履修したかったのですが、今後の大学生活でそれを補っていくつもりです。さらに、私の進学先である社会基盤学C学科にはカッコ書きで「国際プロジェクトコース」という名前が付されています。想像に難くなく、英語が必要となるのです。今の自分の英語力では到底太刀打ちできないため、英語にも力を入れて勉強していこうと思います。

最後に、まだ進学先が内定していない同期が何人かいますが、進学選択が彼らの望む結果に終わることを願っています。

次は工学部航空宇宙工学科に在籍している3年生の魚住さんにバトンを渡します。2Sの始めの頃、魚住さんに勧められて履修を決めた2つの科目で2つとも優上を取り、内定を確実にしました。とても感謝しています。
 
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