ブログ 五島 隆真さんが書いた記事

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一年ぶりの試合[ラグビー部リレー日記]

投稿日時:2020/12/13(日) 17:16

イケメン俊足ウイングの廣瀬からバトンを受け取りました、二年の五島です。彼はラサール高校出身なので出身は鹿児島なんだろうなと勝手に思っていたのですが、最近になって東京出身だと知って驚きました。当然一人暮らししているんだろうなと思っていたのに実家に住んでるそうです。思い込みって危ないですね。

さて、昨日は一橋大学との練習試合がありました。実に一年ぶりの試合でした。去年は毎月のように試合があったことを思うと、本当に久しぶりすぎる試合でした。正直今年はコロナの影響もあって試合に出られないのではないかと思っていたので、今回試合に出ると知ったときはいよいよ来たか!という感じでした。
当日の朝は早いので、前日の夜は早く寝ました。翌朝の7時に目覚ましをセットし、23時に就寝。8時間寝られるからバッチリ!なはずでした。しかし途中で目が覚めてしまいました。もうそろそろ起きる時間かなと思ってスマホを見たらまだ夜の2時とかでした。気を取り直して二度寝につきます。でもなかなか眠れません。やっぱり途中でスマホのライトとかを見てしまうのは良くないんでしょうね。それと興奮も多少あったんだと思います。一時間くらいは全然眠れなかった気がします。それでも何とか寝て7時のアラームで2回目に目覚めました。でもやっぱり眠たくて寝足りない気がしたので、あと少しだけスヌーズで粘る、を繰り返します。結局起きたのは7時半ごろ。一時間くらいで家を出ないといけません。準備を何もしていなかったのでピンチでした。慌ただしく荷物を詰め込んで家を出て、何とか集合に間に合いました。でもこういう時ってだいたい何かしら忘れ物をしているんですよね。
試合会場についてからしばらくしてハッとしました。試合用ソックスを忘れてしまったのです。去年はソックスは自分のものでよかったのでうっかりしていました。結局借りられたので良かったですが。これともう一つ試合前にやらかしたことがありました。試合のアップの時までに自分の水筒をスタッフに渡さないといけないのを忘れてしまっていたのです。これも今年始まった制度でした。アップが始まってからそのことに気づき、焦りました。結局スタッフが必死に自分の荷物から探し出してくれたおかげで助かったのですが。やっぱり試合前にこんなにドタバタしていたらダメですね。結局プレーもイマイチでした。今回の試合はほろ苦い経験となりました。
でも幸い今シーズンはまだいくつか試合が残されています。残りの試合は今回みたいなヘマをしないでしっかり準備して臨み、しっかり活躍したいと思います。

次はギターを上手に演奏する器用なフッカーの三方です。彼はこんな僕とは対照的で何だか落ち着きがあって大人っぽいです。羨ましいですね。

one team[ラグビー部リレー日記]

投稿日時:2020/08/20(木) 18:24

  少年のようにピュアでかわいい津田さんからバトンを受け取りました、二年生の五島です。津田さんは唐突に背後から目隠しをしてきたり、更衣中にちょっかいを出してきたり、zoom会議で人の名前を勝手に変えたりしてくるような面白い先輩です。そのようないたずらをされても全然憎らしくないどころかむしろなんだか微笑ましく感じるので、津田さんは何か特別な魅力を持っているのだと思います。
 いよいよ部活が再開し、練習も本格的になってきました。部活再開に向けて尽力してくださった青山先生、先輩方ならびに関係者の皆様に心から感謝申し上げます。このような状況下でも部活ができることに対して感謝の気持ちを胸に、一回一回の練習を最大限にエンジョイして有意義なものにしていきたいと思います。
 さて、前回のリレー日記では、去年ラグビー部に入部してから今年の三月に至るまでのおよそ一年間を振り返ってみました。(気になった方はhttp://www.turfc.com/blog_detail/id=1512 をご覧ください。) 今回のリレー日記ではその続編という形で、今年の三月から今に至るまでを振り返りたいと思います。この五ヶ月間を振り返ってみると、まずいきなり部活が中止になり、まもなく緊急事態宣言が出されました。当たり前の日常が当たり前でなくなり、日常生活が大きく変化しました。四ヶ月以上の自宅待機は寂しさとの戦いでもありました。しかし七月に入るとだんだん光が見え始めます。活動再開の予兆が見えてきたのです。そして八月に入り、ついに待ちに待った部活再開の日がやってきました。この五ヶ月間で何が起きていたのか。そしてこの五ヶ月間を乗り越えて五島はどのように変わったのか。(「五」がうっとうしくてごめんなさい。でも仕方ないのです。)それは自分でも想像を絶するほどのドラマでした。

 第六話 忍び寄る新型コロナウイルス 晴天霹靂の部活中止
 2020年三月上旬。春が来ていた。ウィンドブレーカーを着る時間が減ってゆくのと同じ速さで、空気が暖かくなっていく。広々としたグラウンドに降り注ぐ柔らかな日差しが心地よい。今年のチームのスローガンは「update」。チームは今年こそは躍進するのだと意気込んでおり、希望や活気に満ちていた。リハビリと筋トレを着々とこなしてゆく日々。単調ではあるがとても充実していた。
 しかしその頃、新型コロナウイルスが世界的に流行しだしていた。部内でもその対策としてマスクの着用や毎朝の体温の測定が義務付けられるようになり、日に日にコロナへの警戒が強まっていった。そして三月十八日、ついに部活が中止となった。あまりに急で残酷な出来事であった。でも当時の僕には当時の状況の深刻さを理解する術はなかった。

 第七話 先の見えない部活再開 でもみんな未来を信じて
 一時的に部活中止となったが、また一、二週間もすれば再開するだろうという雰囲気が当初はあった。しかし事態は想像を遥かに超えるほど深刻であるということを強く認識させられる。国内のコロナ感染者はとどまるところを知らず増加していった。そしてまもなく全国で緊急事態宣言が出された。部活どころか外出すらほとんどできない状況になってしまった。状況はどんどん深刻になっていった。部活再開は全く先が見えないものとなってしまった。
 今までの日常が一気に奪われた。今まで当たり前のようにあった部活がなくなり、友達と会うことすらできないというショックは想像以上に大きかった。いつまでこのような状況が続くかも全く分からない。堕落し、目標を見失いそうになった。しかし、東大ラグビー部がそんな僕を救ってくれた。モットーは「家でできること、今しかできないことを全力でやろう」であった。毎週様々な目標を立て、できることを見つけ、新しいことにチャレンジしていく同期たち。みんなでこういうことしてみないかと呼びかけてくださる先輩方。そんな部員たちから大いに刺激を受けた。部活がない状況でも成長することはできる。僕は前を向いた。シャドーボールという目新しいボールを壁に当てて一人でパスの練習をした。ポリタンクやダンベルなどの器具を買って家での筋トレに励んだ。部員が作ってくれた資料や動画をもとにラグビーのルールや戦術の理解を深めた。
部員に直接会うことはできない。しかし毎週五回ほどオンラインで部員と交流したりトレーニングすることができた。それによって、いくぶん寂しさを紛らわすことができた。
 厳しい状況でも、いつか部活再開の日がくることを信じて。みんなで前を向き続けた。

 第八話 ようやく見えてきた部活再開 あと少しの辛抱
 五月下旬。緊急事態宣言が解除され、世間では外出自粛の風潮が弱まってきた。しかしまだコロナ感染のリスクは依然として高いことに変わりはなく、外出自粛が続いた。もどかしい日々が続いた。
七月。夏が来た。ようやく状況が動き出した。部活再開の兆しがようやく見えてきたのである。もう少しで部活が始まることを信じた。あと少しの辛抱だ、そう自分に言い聞かせた。

 第九話 待ちに待った部活再開と再会 喜びをかみしめて
 七月下旬。ビッグニュースが入ってきた。ようやく部活再開が確定したのである。ようやくみんなに会え、部活ができるのだという喜びが溢れた。
 八月四日、およそ五ヶ月ぶりの練習参加の日である。久しぶりの部員たち、久しぶりの部室、久しぶりのグラウンド。見慣れた光景が広がる。涙が出そうだった。

 第十話 一層気を引き締めて 今みんながOne teamになる時
 最初は10人ほどの少人数での練習であったが、まもなく30人ほどの練習になり、有難いことに今では50人ほど(ほぼ全員)での本格的な練習ができている。幸いなことに、今後対抗戦も開催される予定であり、僕たちはとても恵まれた環境にあるのだとつくづく思う。以前は部活があることに対して特別な感情は特になく、当たり前にあるものだと思っていたが、長いコロナによる自粛期間を経て、今では部活の有り難みをひしひしと感じる。
 ただ、いつまた部活が中止になっても全然おかしくないはない。今、コロナは第二波の真っただ中にあり、全く油断はできない。今、練習ではマスク着用が義務づけられており、また最低2mは人と離れること、必要以上の会話はしないことなど、様々な制限が設けられている。以前のように練習できるようになるにはまだ相当時間がかかるだろう。でも前を向いて自分たちのできることを着実にやっていくしかない。まずは自分が感染しないようにできることを頑張りたい。 続
 このまま対抗戦が無事に開催されることを祈って止みません。開催されることを信じてみんなでone teamになって頑張っていきましょう。
 最後に、このリレー日記を読んでくださった世界中の皆さまへ。
 苦しい状況が続きますが、全員でone teamになってこの状況を乗り越えましょう!

 次は優しい笑顔で部に癒しを与える同期のゆきちゃんにバトンを渡します。ゆきちゃんとは久しく会っていないので再開できる日を楽しみにしています。

Jokerとラグビー部[ラグビー部リレー日記]

投稿日時:2020/03/14(土) 20:26

 ソニービルウィリアムズ選手のようなオフロードパスを披露する、同い年の前原先輩からバトンを受け取りました、五島隆真です。前原さんの手術の成功、お祈りしております。
 新入生の皆さん、合格おめでとうございます。入学したらどんなサークル、部活に入ろうかなとわくわくしていることと思います。そこで、参考になるかどうかはわかりませんが、ラグビー部に異色の入部をした自分の話をしたいと思います。

 一話 僕を育んでくれた故郷Joker

 僕は二年前に合格した。それまではスポーツをほぼ全くやってこなかったので、大学では何かスポーツをしたいなと思っていた。何のスポーツをやるか色々迷ったが、大学からでも比較的始めやすそうで、高校の体育の授業で好きだったテニスをやりたいなと思った。そこで、学内のテニスサークルである、Jokerというところに入った。そこは、東大生誰でも入れるところで、全体で人数は30人ほどの、のほほんとしたテニスサークルであった。活動は週二くらいで、集まった5~10人くらいで楽しくテニスをする感じである。Jokerを陰キャの集団などと馬鹿にする人もいるが、はっきり言ってJokerは素晴らしいサークルである。Jokerは中高のときにいた将棋部に何か似た雰囲気があって居心地のよさを感じていた。しかし、サークルの緩い雰囲気に甘えて、朝寝坊して一時間遅れで行ったり、次第には眠いからと行くのも面倒になってあまり行かなくなったりしてだらけていってしまった。このままでは良くない、もっと充実した大学生活を送りたいと心のどこかで思っていた。
 そんな中、僕はラグビーというスポーツの魅力に少しずつ惹かれていった。大男が相手を何人もなぎ倒しながら突進していったり、一人で相手を何人もかわして走っていったり、バスケットボールのような華麗なパス捌きでボールをつないでいく様を見て、こんなエキサイティングなスポーツがこの世にあったのか!と驚愕した。生まれ変わったらダミアンマッケンジー選手になりたいとも思った。そこで、にやける真似をしていたらいつの間にか無意識でもにやけるようになってしまったのだろう。口角が上がっているのを馬鹿にしてくるゴタツくんには、微笑みの貴公子と呼んでいただきたい。
 そして、僕は全然考えていなかったラグビー部に入ることを考えるようになった。途中入部は難しいと思ったのでとりあえず翌年の春が来るまではJokerで仮面浪人することにした。Jokerではテニスの楽しさ、スポーツの楽しさ、スポーツをできる環境のありがたさを学ばせてもらった。Joker、本当にありがとう。

 二話 さよならJoker 涙のラグビー部入部

 去年の春、僕は二回目のテント列に参加した。Jokerとしてではない。新入生としてである。ラグビー部入部試験を目の前にして、入試以上に緊張した。自分はスポーツ経験がほぼない、しかも二年生というとんでもない化け物である。こんな者を受け入れてくれるのだろうかと思うと自然と足が立ちすくんだ。しかし、失うものはない。もし入れなくてもJokerに戻ればいい。新入生はほとんどもういなくなり、新歓の勢いも終わりかけていた時間帯だった。僕は勇気を出してラグビー部のブースに踏み込んだ。
僕「あのー、入部を考えているんですけど...」
先輩「おー、まじ!? 自分から来てくれる人初めてだわ!おいでおいで!」
僕「実は僕、新入生ではなくて二年生なんですけど大丈夫ですか?」
先輩「?? え、まじ?すごいじゃん!そんな熱いやつ俺たちは大歓迎だよ!ちょっと話聞いてってよ」
(うる覚えなので一部自作)
 嬉しかった。正直、こんな自分が相手にされるとは思っていなかった。誰でも温かく迎え入れるという、そんなラグビー部がJokerと偶然重なった。テント列を終えて僕は80%くらい入部することを決めた。その後も色んな新歓イベントに誘っていただいた。ラグビー部の楽しくて仲よさそうな雰囲気に惹かれていった。そしてついに僕はラグビー部に一浪して入部したのである。(ちなみに入試も一浪しています。)

 三話 二度の脳震盪 退部の危機

 聞いた話ではラグビー部に(入試ではなくて)浪人して入部する人は前例がないようだった。だから最初から僕は相当変わった人だと思われてしまった。僕が本当は二年生であるということを説明するのは大変で、しばしば同期の一年生を混乱させてしまった。七月くらいまで知らなかったという河内くんには申し訳なく思っている。
 周りの人は五島がラグビー部に入るというのは冗談で言っているだけだと思っていたらしい。「一ヶ月も続けば上等」などと言われたりもした。ただ、最初の方は未経験者ということで色んな人から個別にパスの放り方やタックルの入り方など基本的なことを丁寧にゆっくり教えていただき、ついていけるなと思っていた。しかし新入生として甘えられるのは五月くらいまでであった。六月くらいから練習時間も増え、コンタクト練習も出てきて、試合にまで出させられるようになった。雨であろうと関係なく練習は行われる。やっぱり部活はサークルとは訳が違う。運動部の厳しさを思い知っていった。
 そんな中、9月4日、僕は人生で始めて脳震盪というものを経験した。目が覚めたら自分がどうしてベンチに座っているのかが分からず、何月なのかも分からず、こんなシュールな体験をしたことはなかったので思わず笑ってしまった。タッチの強度の試合形式の練習なのにこうなってしまった自分が情けなかった。幸い、記憶はすぐに戻ったので軽症であり、2週間後に復帰した。しかしまた災難が襲いかかった。復帰直後の19日、二度目の脳震盪をしてしまった。直後に意識はあったがなんか頭がちょっと痛いという状態が数時間続いた。家に帰って父に報告したら、やっぱりラグビーやめたらどうだと言われた。こんな短期間で、しかも練習で二回も怪我をしてしまうのはラグビー向いてないのではないか、危なすぎる。今まで続けられてきただけでも良くやったと思うよと。
 父の言うことはもっともかもしれない。僕は退部の可能性も考えるようになった。

 四話 日本中が沸いたラグビーワールドカップ ラグビーへの思い再燃

 二度目の脳震盪が起きた翌日、ずっと楽しみにしていたラグビーワールドカップが開幕した。ラグビー部を続けるかどうか結論を出すのは一旦置いといて、とりあえずワールドカップを楽しむことにした。脳震盪を二回連続でしてしまったことにより、安静にしなければならない状態が長く続いたので、家で試合をずっと見るようになった。面白い試合は何回か録画を見なおしたりした。
 9月28日、日本対アイルランド。アイルランドは22日にスコットランドを圧倒して勝っており、世界ランク1位とも言われていた。何とか善戦して欲しいなという思いだった。あいにく前半は外出していて結果を見られず、学年ラインで聞いてみたら54対3で日本が負けているとのこと。嘘をついたゴタツくんは許しません。でも急いで帰って見てみたら日本が3点差を追っていて、いける!と思った。福岡堅樹選手の逆転トライを見たときはじっとしていられなかった。勝利の瞬間と大男たちの嬉し涙。心が震えた。ラグビーはこんなにも感動するのか。答えは自ずと決まりかけていた。ラグビー続けたい。もうちょっと頑張ってみようと思った。
 10月13日、日本対スコットランド。初の決勝トーナメント進出に向けた最後の一戦であった。祈るような思いだった。稲垣選手のトライは本当に鳥肌が立った。勝利とグループ首位通過の決定の瞬間は一生忘れることはないだろう。こんな日本中が熱い時にラグビーしててほんと良かったと思った。ラグビーを続けたいという意志がより強固になった。結局、僕はラグビー部を続けることにした。
 ラグビー日本代表、勇気をたくさんくれて本当にありがとう。

 五話 Victory Road この道ずっと行けば最後は笑える日が来るのさ

ワールドカップで最も印象に残ったのはチェスリンコルビ選手であった。身長は僕と同じくらいで南アの周りの選手たちと比べるとすごく小柄なのにスピードを武器に大活躍しているのがかっこいいと思った。特に決勝での優勝を決定づけるトライは勇気と感動を大いにもらった。入部当初はジョナロムー選手のような大型暴走ウイングになりたいと思っていて、それもすごく魅力的なのだが、体のサイズをそこまで大きくするのは難しいので、コルビ選手のような小動物的俊敏ウイングになりたいと最近になって思っている。
ただ言うのは簡単だが、自分の理想と現実は大きくかけ離れている。ありえないほど練習でノックオンをするし、ありえないほど体力はないし、ありえないほど体は弱い。今までほとんどスポーツをやってこなかったので怪我もあまりしたことがなかったが、去年の10月から12月は膝の怪我や捻挫にも悩まされた。最近では、軽い疲労骨折が判明し、一ヶ月ほど練習には参加できなくなった。思っていた以上に壁の連続である。確かに僕はラグビーに、というかスポーツにもともとあまり向いていないのかもしれない。しかし、壁を超えていくごとに少しずつ確実に強くなっていけると思う。リハビリとトレーニングをやり切ってしっかり復帰するのが今の目標である。決して楽な道ではないかもしれない。しかしこの道をずっと行けばいつかは輝ける日が来る。そう信じて日々頑張っていきたいと思う。 続

どうでしたでしょうか。これを読んで自分もラグビーを思いっきりやりたいと思った新入生はぜひラグビー部の入部を考えてみてください。テニスをまったりとやりたいと思った新入生はぜひJokerの入会を考えてみてください。何か打ち込めるものを見つけて楽しい大学生活を送れることを願っております。

次は、ボーデンバレット選手のような甘いルックスで後輩から大人気の同い年の倉上先輩にバトンを回します。
 

二十歳からのラグビー[ラグビー部リレー日記]

投稿日時:2019/07/06(土) 22:27

僕より体が2回りくらい大きく、激しいコンタクトプレーで練習を盛り上げる3年の吉村さんからバトンを受け取りました、1年の五島です。非常に光栄でありがたいことに、1年生のトップバッターを任されました。特に同期の1年生の多くからは僕のリレー日記に大きな期待を寄せてくれているので、頑張って恥ずかしくない文章を書きたいと思います。最後まで読んでいただけると幸いです。

振り返ってみるとラグビー部に入部したのがついこの前であるかのようにあっという間に3ヶ月弱が経ちました。先輩のやや強引な後押しを受け、入部届けを提出した瞬間を今でもはっきり覚えています。ラグビー部を入部すると決めたことは自分の中でとても大きな決断であり、周りの人たちにとってもかなり衝撃的な出来事だったと思います。
知らない方もいらっしゃると思うので言いますと、実は僕は2年生です。「え、さっきまで1年生って言ってたじゃないか、ボケてるのか?」という声が聞こえてきそうですね。僕は普段よくボケることでよく呆れられているのですが、今回はボケではなくてマジです。ふざけているように思われるかもしれないけれど本当のことを言うと、僕は2年生でもあり1年生でもあるのです。正確に言うと、普段は2年生だけど、ラグビー部では1年生なのです。
僕は今年の4月、2年生から入部しました。ただ、ラグビー部は1年目なので1年生という扱いになっています。聞いた限りでは僕みたいな人は前例がないようです。正直、運動部に2年生から入るのは難しいと思っていましたし、ましてやラグビーどころかほとんど運動をしてこなかった自分がゴリゴリの運動会ラグビー部に入部できるとは思っていませんでした。中高は将棋部で、去年からはテニスを軽くしていただけ。そんな僕がラグビー部に入るに至った壮大なドラマを中心にお届けしたいと思います。

父親が昔ラグビーをやっていたということもあり、小さい頃はよく試合に連れて行ってもらったり一緒に試合をテレビで観戦したりしていました。だから見る分にはある程度楽しめるくらいのルールは大まかに知っていたのですが、ラグビーをやりたいと思ったことはなく、まさかこんな危ないスポーツを将来自分がやることになるとは全く想像していなかったと思います。小学校高学年くらいからは試合を見ることもほとんどなくなり、ラグビーに対する関心はほとんど無くなっていきました。ラグビーはマイナースポーツで日本のラグビーは弱いとずっと思っていたのです。そんな中、僕が高二の時、ラグビーワールドカップで弱小と言われていた日本がラグビー大国である南アフリカに歴史的勝利を収め、そのことが大きな話題となりました。僕はとてもびっくりし、日本やるじゃんと思いました。残念ながらその後日本はスコットランドに敗れ、予選落ちしてしまいましたが、日本が大健闘したことを嬉しく思いました。翌年にはリオオリンピックのセブンスで日本はニュージーランドを破りました。その瞬間をたまたまテレビで見た僕はびっくりして受験勉強を一時忘れて興奮したのを覚えています。日本はラグビー強くなったなと思うと同時に、感動と興奮を与えてくれたラグビーが少し好きになりました。

それからしばらくして去年受験が終わると、父親にマッサージを頼まれてやらされることが多くなりました。父はその時によくうつ伏せの状態でラグビーの試合(主にスーパーラグビーやテストマッチ)をiPadで見ているので父の腰を揉みながらそれを僕も見るようになりました。頼んでいないけど父親が独り言みたいに解説してくるのでそれを聞いたりして、なるほどそういう風に見ると面白いんだと思ったりしました。そのうちラグビーの試合を見るのが徐々に楽しくなり、父親がテレビで録画しているラグビーの試合を勝手に見たりするようになりました。この頃からラグビーの面白さに目覚め始めていきました。ラグビーに興味を持ち始めた僕はYouTubeで過去のラグビーワールドカップの試合を見たり、『インビクタス/負けざる者たち』という映画(当時世界から隔離されていた南アフリカがアパルトヘイトを廃止し、人種差別の問題を乗り越えながらラグビーを通して国民が1つになり、自国開催のラグビーワールドカップで予想外の快進撃を続け、ついには決勝戦でニュージーランドとの大熱戦を制して優勝を勝ち取るという感動的な物語)を見たりもしました。そうするうちにラグビーをやっている人たちがかっこいいと思うようになり、次第に自分もラグビーをやってみたいと思うようになりました。実は去年の夏頃にラグビー部に入るのを少し考えたことがあります。しかし同クラや高校同期を含めて知り合いに東大ラグビー部の人はおらず、また新歓の時期はとっくに終わっていました。困ったので同クラの陸上部の友達に相談してみたら、運動部はたいていホームページがあるからまずは見てみればと言われました。そこで試しに東大ラグビー部とインターネットで検索し、ホームページにたどり着きました。そこには部員の紹介のページがあって、色んな部員たちのスポーツ歴を見てみると、ほとんどがラグビー経験者で、未経験者であってもサッカー、野球、水泳などのスポーツを長年本格的にやってきた人達ばかりでした。大学からテニスを始めたばかりという程度のスポーツ歴しかない自分にはやはり入るのは厳しいかなと思いました。そして、入部式というのがすでに行われたのだということも知り、今から入部は難しいなと思ってその時は仕方なく入部を諦めました。しかしラグビーへの愛は深まる一方でした。

それから半年と少し経ち、もうすぐ2年生になろうとしていました。2Sタームは時間にゆとりができるので、新しいサークルや部活に入ってもいいかなと思っていました。そこで今年の3月末、新入生のふりをして人生二回目のテント列に参戦しました。かなり遅めに行ったので新入生はほとんどおらず、勧誘もほとんど終わっていました。去年猛烈な勢いで勧誘してきた最初のアメフト部に完全にスルーされ、拍子抜けしつつも、次に見えたのは、実はまだ諦めきれないでいたラグビー部でした。その時にふと思い浮かんだのは去年のテント列でのことです。野球部のお兄さんに野球はやっていたかと聞かれ、やってなかったですと答えると、じゃあごめんねと言われて、入るつもりはなかったけどちょっと悔しかったのを思い出しました。やっぱりスポーツ歴がほぼない自分には運動部は厳しいか、そう思うと自然と足が立ちすくみました。ラグビー部も勧誘が終わったような雰囲気になっていました。しかしここで自分から行動しなければ何も始まらない。失うものはない。そう思ってダメ元で勇気を出して自分からブースに入っていきました。果たして2年生でスポーツ経験もほぼない人がラグビー部に入部できるのか?厳しい言葉が返ってくるだろうなと覚悟をしていました。
いかにもひょろそうな奴が自分からきたことに驚かれつつ(だったとは思いますが)、僕は主将の野村さん(以下ノムさん)のところに案内されました。大きくてかっこいいなと思いました。ノムさんは自分の想定していたのと真反対のことを言いました。ラグビー部は誰でも歓迎する。応援するよ。その言葉に正直驚きました。そして嬉しくなって気になることをたくさん質問しました。未経験者でも活躍できるのか、週何回活動あるのか、どんな雰囲気なのか、ラグビー部に入ったら留年してしまうのではないか……ノムさんはそれらの質問に一つ一つ丁寧に答えてくれ、僕の不安を払拭してくれました。その日から僕はラグビー部入部を真剣に考えるようになりました。その後スポフェスや新歓セブンス、シークレットコンパなどの多くの新歓イベントに参加させていただき、本当に色々と楽しませていただきました。そして入部への意志はより強いものになっていきました。あの頃の楽しい時期が永遠に続けばな、なんて今でも思ったりします。

今まで見るだけだったラグビーが実際にできるということに胸を膨らませ、アットホームで楽しそうなラグビー部の雰囲気に惹かれて入部を決めた僕ですが、ラグビー部に入って当然苦労もあります。ラグビーは見るのはとても面白いです。パワフルな突進、スピーディなラン、変幻自在なステップ、華やかなパス、絶妙なキック。全てのプレイが連動し、躍動する15人同士の熱い戦いは見る者たちを魅了してくれます。しかしやる側としてはチームのために自分が体を張って犠牲になり、痛みに耐え、チームを鼓舞し続けなければなりません。ラグビーは華やかで楽しいスポーツに見えるけれど、実際は激しくてタフさが求められるスポーツなのだと日々痛感しています。朝練は早く、朝起きるのが大変で、練習は想像していた通りキツいです。雨の中でも構わずに練習は行われます。しかしラグビーが好きだから練習を楽しいと思えるし、ラグビーが上手くなりたいから練習が終わるのが毎回早く感じられます。

ラグビー部に入った今、自分に3つのルールを課すようにしています。一つ目は、ラグビーは危険なスポーツであるということを肝に命じて、怪我をしないように体に最大限気を使うということです。首の怪我は命に関わる重症になり得るので首を鍛えて丈夫にすることをまず最優先にしなければなりません。それから首はもちろん、全身をしっかり鍛えて頑丈な体にしたいと思っています。また練習後にはしっかりクールダウンをする、日頃からストレッチを行うということも意識したいです。そのようなことを十分にしても怪我は起こり得ますが、それはラグビーというスポーツの性質上仕方のないことであり、ラグビーをやるという決断をしたからには怪我をしてしまってもラグビーを恨むことはしないと決めています。二つ目は、勉強と部活の両立に努めるということです。部活があるからといって出るべき授業をさぼったり試験勉強を疎かにしないようにしたいです。三つ目は、二つ目のルールと被るところがあるのですが、規律と自律を保つということです。ラグビー部に入ると当然忙しくなるので計画を立てて時間を有効に活用するということが大事になってきます。朝自分が決めた時刻に必ず起きる、練習や授業に遅刻しないようにする、規則正しい生活をする、自分の立てた計画はしっかり実行する、勉強するときは勉強する、といったことを徹底したいと思います。以上の3つのマイルールを常に意識しながら、充実したラグビーライフを送り、見た目だけでなく精神的にもたくましくてかっこよくなりたいと思っています。

日記のつもりがAlessの論文並みに長くなってしまいましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。次は、新歓の時期に僕にニコニコ話してくれた穏やかな4年のしゅうほうさんにバトンを渡したいと思います。
 
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