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わたしの置かれた場所[ラグビー部リレー日記]

投稿日時:2022/12/13(火) 17:00

修蔵からバトンを受け取りました、4年スタッフの榎園琴音です。修蔵とは、1年生の秋にほぼ喋ったことがない中、2人で試合の偵察に送り込まれたことが懐かしいです。お互いのことを知らなすぎて逆に話すことしかなかったというのもありますが、1日を通して居心地の悪さや気まずさを感じることが全くなく、意外な嬉しさを感じたことを覚えています。その後、部活で話す頻度はさほど高くなかったものの、修蔵も言っているように今年はちょくちょく遊ぶ機会に恵まれ、毎度楽しい時間を過ごさせていただきました。修蔵に対してなぜかいつも必要以上に自己開示してしまうのですが、よければまた色々と話を聞いてください。
 

来年の春に社会に出る予定ですが、別段記者になるわけでもなく、期限に迫られて一般に発信する長い文章を書く機会は今後当分なさそうです。入部当初から今日に至るまで、ラグビー部のリレー日記という文化がわたしにとってとても愛おしく、大切なものでした。最後までお読みいただけますと幸いです。
 

結局のところ、ラグビー部のスタッフって、わたしには難しかったなあ。

そんなことを考えながら、残り数回となった部活に日々足を運んでいます。

思えば、生まれてから大学に入学するまでの間、わたしの人生にはラグビーのラの字もあったことがなく、ラグビー選手にスクラムを組む人とそうでない人がいることすら知りませんでした。

入学直前の3月末。テント列の出口でフロントのプレイヤーの巨体に進路を絶たれ、その誘いに根負けして奢り飯に連れて行かれた。そこから全てが始まりました。

新歓期間の自分なりの葛藤を経ていざラグビー部という場所に身を置いてみれば、程度の差こそあれラグビーとの深い関わりの中で生きてきた人との出会いが数多くあって、世の中には物心ついた頃からラグビーがある環境でしか生きてこなかった人すらいることを知りました。

そうした人たちとの出会いを新鮮に感じ、彼らとの関わりが自分の人生に生まれ、同志になる機会を与えられたことを喜ばしく思っていたあの春から4年経ち振り返る今思うのは、彼らと同じ魂を抱いて過ごせた日々では必ずしもなかったということです。

ラグビーというスポーツへの理解は最後まで追いつかなかったし、理解する姿勢も足りませんでした。ラグビー部のスタッフをしていると、わたしが「ラグビーが大好き」であるという、当たり前のような前提をもって話を振られることが多くありますが、そう形容される自分はあまりしっくり来ませんでした。

他者の勝敗を自分のものとして捉えるということがどうしてもうまくできませんでした。私が勝利を全身全霊で望んでいた時、結局その感情は「勝ちたい」ではなく「勝ってほしい」に過ぎませんでした。その対象も、自分になんらかの還元をもたらしてくれて、個人的に強い信頼や敬愛の念を覚えた数名に過ぎませんでした。

巷で話題の東京大学の女子学生率よりもさらに低い数値、15%前後の女子部員率には最後まで順応できませんでした。そんなの入る前からわかっていたことじゃないかと言われたらそれまでなのですが、女子校を卒業した後、全く新しい環境に飛び込んでみたくもあったし、なんとなくうまくやっていけそうな気もしたのです。結局、仲が良いと自信を持って言えるプレイヤーは数えるほどしかできなかったし、部室にいると今でもたまに疎外感を感じます。

苦しみは自分自身の個人的な事象にだけではなくて、構造自体に対しても存在しました。男性のみから成る選手と、女性大多数のスタッフ。大学に入り、授業で性役割分業や女性がこれまで歩んだ歴史を改めて学ぶと、自身が選んだこのスタッフという役割にもそれらの産物たる側面があると思わずにはいられませんでした。同時に、そうした構造の構築に加担している自分への嫌悪感も4年間うっすらと抱え続けていました。ラグビー部に限った話ではないですが、どんな要因があるにせよこのスタッフの男女比というものは異常かつ何かしらの弊害を伴っているのではないかと思っており、今書いている卒論もそんなことをテーマに設定しています。

元々の自分の性格に上記のような感情も相まって、「他者を支える」という、スタッフをしているとどこかで必ず要求される役回りがとても嫌いだったし、自分の中でうまく噛み砕くことができませんでした。性格のみならず、自分の特性のことを考えてみても、人のことを考えて動くといったことは全くもって向いていませんでした。

様々な視点の中に、簡単には形容できないそれぞれの苦しみや悲しみ、怒り、悔しさ、やるせなさ、違和感、劣等感など様々な感情があり、じゃあそれらはわたしの人生における自己成長のために絶対に必要なものだったのかと言われると、素直には頷けないものも多いです。

今のわたしには、この東大ラグビー部という組織との出会いを「運命」などという単純で甘美な言葉では片付けられません。

なぜこの組織に吸い寄せられたかも、4年間自分がこの組織にいるべきだったのかどうかも、今のこのぐちゃぐちゃな感情では到底達観して説明できないです。ただ一つだけ言えるのは、今4年前に戻れるなら、絶対に東大ラグビー部には入部しないということです。
 

じゃあお前にとってラグビー部での4年間は無駄だったのか、と言われるとそうは言い切れないから今こんなにも感情がぐちゃぐちゃになっているのです。

これは自慢のように響くかもしれないし、正直な話いくらかその意味合いもあるのだけれど、あるOBの方に先日「あなたは今年の広報をよくやったと思っている」と言っていただき、ああこれでよかったのだと、安堵に似た感情を抱きました。

これでよかったのだ。

全部最初からやり直せるとしたらそうはしていないかもしれないけれど、目の前にある今この瞬間を最大限一生懸命に生きたからこそ辿りついた境地や感覚というものが、これまで部活を続けて来る上で幾度もありました。そしてそれを作り出してくれたのは、大体の場合広報でした。

ラグビー部の広報には常に、わたしのやりたい何か、わたしをワクワクさせる何か、わたしを突き動かす何かがありました。それらにひとつひとつ取り組んでいるうちに4年間が終わろうとしています。

取り組んだ個々のものをここで振り返ることにあまり意味は感じないし、書き連ねたものをジットリと眺めていたら、なんだか1人で自己満足に陥ってしまいそうでやめておきます。それではそれらの取り組みの動機は何だったのかというと、人様に胸を張って言える美しいものから、この部に自分が存在する意義をなんとか作り出さなくてはいけないという焦りや、自分が作り上げたものを人に肯定されて自尊心を保ちたいという虚栄心など、利己的なものまで様々でした。

けれど、動機はなんであれ、一つ一つの取り組みにはこの部にとって何かしらの価値があったのではないかと思うし、何よりやっている自分がいちばん強く価値を感じていました。

初めは、2学年上の先輩スタッフであり、この部の広報の創設者であるともかさんの主体的な仕事ぶりを見て「なんだか楽しそう」と思っていただけでした。

当時、広報は部にとって「最悪なくても良いもの」であり、その中で目的意識を持って価値を発揮することが大切だというようなことが言われていました。広報がなくてもラグビー部という組織はなくならずに動いていくし、ラグビー部でラグビーをすることはできる。
わたしも確かにそうだと思ったし、でも1年生の終わり頃から実際に広報の仕事をやってみて、そこにあるものをあるがままに言葉にする作業や、新しい何かを企画して形にする作業はとても自分に合っていたしやはり楽しかったから、なくても良いものに取り組むのもなかなか悪くないぞなどと思っていました。

気持ちが変わり始めたのは3年生になってからだったでしょうか。
1つ上にスタッフがいなかったから、3年生から2年間も広報責任者を務めさせていただきました。元来行きあたりばったりな性格のわたしには、最も決定力のある立場で過ごせたこの2シーズンという時間はとてもありがたく、焦ることなくああでもないこうでもないと色々考えることができたし、その中で立場や考えも少しずつ変化していきました。

OBOGの方、保護者の方、ファンの方など外部の方との関わりが増え、昨年は創部100周年を受けた記念事業にも関わらせていただきました。その中で感じたのは、楽しさよりも、自分のつまらないプライドよりも「使命感」でした。

自分が直接関わっている訳ではないものにお金を払い、支援しようと思うこと。時間を割いて試合を見に行こうと思うこと。決して当たり前だと思ってはいけないことではないかと思いました。東大は強豪ではないからそうした方の数もある程度限られてはいて、けれどだからこそ大切にしたいし、そしてその人たちがこのラグビー部という組織の現状に関心を持っているのなら、その需要に応えるべく情報発信を行っていく義務があると思いました。

そして、100年の歴史やその中でこの組織が培ってきたアイデンティティを振り返った時、これは必ずや受け継いでいくべきものだと思いました。
この歴史が、歩みが埋もれないよう、そして先人たちに恥じぬように組織の力をさらに高め、広げ、次に繋げる努力をするのが、歴史ある組織に属す者の任務だと。

自分にしかできない仕事などこの世にいくらも存在しないと思っているので、上記が「わたしでなければできなかった」などと言うつもりは毛頭ありません。けれど、去年今年と、それを先頭に立って遂行する立場にあったのは他でもないわたしで、わたしはその遂行に意義を感じていました。

だから、投げ出すことなくここまでやって来られたのだと思います。

特に、3年生の9月~4年生の3月にかけて、広報セクション総出で半年がかりで作成した100周年記念ドキュメンタリービデオは、この部のスタッフとしては珍しく、部活を理由に現役での就活を諦めそうになるほどの時間と労力と胆力を要するものでしたが、同時に、部活を理由に就活を諦めても後悔しないと当時本気で思えたほど、大きな価値を感じながら真剣に取り組めたものでした。きっと、わたしにとって一生の誇りです。

同時に、広報に取り組む上では取り組んだ分だけの美しい景色を見させていただきました。

コロナの影響を受け2年生の時にグラウンドから消え失せた観客を、4年生になって、やっと再び制限なしで迎えることができるようになりました。わたしが作ったグッズで緑色に染まる観客席。

対抗戦初戦の上智戦では、長きにわたって東大ラグビー部をみつめ続けた、東京大学ラグビー倶楽部 山田会長に、「駒場史上最も多い観客だった」とのお言葉をいただきました。

そしてA戦では、愛に溢れた差し入れを両手で抱えきれないほどいただくようになりました。

他にも感動はそこかしこにありました。
それは、メールやSNSでの文字上で、電話での音声で、そして試合会場で。
普段から会っているわけではなく、ひょっとすると名前と顔が一致することもなく終わる関係性。それがわたしの活力でした。

日本の躍進に大盛り上がりし、現在大詰めを迎えているサッカーワールドカップでは、スペイン戦での逆転シュートが決まった直後、拳を天に突き上げ男泣きに泣くサポーターが「涙腺ニキ」として話題になりました。その映像を見て、気づけばわたしも泣いていました。

理由をうまく説明することはできないのだけれど、何かを応援するという感情に触れることがわたしはどうしようもなく好きで、それができるのがこの部の広報でした。

ただそれだけではなくて、所属する組織にあるものをあるがままに、しかし魅力的に伝えるという作業への興味、もっとできるようになりたいという想いは尽きず、将来社会のどこかで企業広報に携わるという夢もできました。

部活がどうしようもなくしんどくなった時、何かに失望して東大ラグビー部を嫌いだと思った時、もうこんなことはやめて他の組織の広報がしたいな、と思ったこともあります。実際、この部活である必要はどこにもなかったのでしょう。1年生に戻ったら入る気はないのだし。もしかしたら広報である必要もなかったのかもしれないです。良いようなことばかり書いてきましたが、広報に付随する、人とこまめにコミュニケーションを取ったり地道な確認を行ったりといった作業は別に最後まで苦しかったし、できることならいつでも逃げ出したいものでした。

けれど、東京大学で過ごした4年という年月の間わたしがいたのはやはり東大ラグビー部で、そこでわたしが向き合っていたのも東大ラグビー部を応援する人たちでした。

新歓期に葛藤を経て入部したと冒頭で述べましたが、今思えば当時のわたしはこのラグビー部という組織をあまりに狭い視野で捉えており、一人前に葛藤しているようで実はほぼ何も考えられていなかったのではないか、と折に触れて思います。

けれど、その過程が何であれ、わたしは確かに1年生の春に東大ラグビー部に入部しました。何に導かれたにせよ、正しいと信じたその判断がたとえどれほど愚かで後悔を伴うものだったとしても、わたしが選んだのは他のどの組織でもなく、東大ラグビー部でした。

結局、わたしには東大ラグビー部しかなかったのです。

「置かれた場所で咲きなさい」という言葉があります。

東京大学で与えられたこの土壌での4年間で、豪華絢爛ではないかもしれないし、満開でもないかもしれないけれど、わたしなりの色の花を開花させられたのではないかと思います。

これでよかったのだ。

何かを残し、得られたという確信を持って、この部を卒業したいと思います。
 

感謝を伝えたい方がたくさんいます。

OBOGの皆様、保護者の皆様、ラグビー部を応援してくださる全ての皆様
日頃より厚いご支援を賜り、心より感謝申し上げます。
皆様と関われる時間がとても好きでした。時たま日頃の業務への感謝をお伝えいただく機会に恵まれましたが、私の方こそいつも皆様に支えられていましたし、皆様の存在がなければどこかで潰れていたかもしれません。
4年という長い時間の中で思いがけない出会いと繋がりをいくつもいただき、引退したら個人的に報告したい方が何人もいます。入部した時には想像すらできなかったことです。幸せなことです。

特に執行部会の皆様には本当にお世話になりました。3年生の後半から100周年事業絡みでコンタクトを取ることが増えましたが、私に常識が欠けていても、何だか詰めが甘くまとまりのないことを言っていても、常に温かくご指導いただき、助けていただきました。
来春から社会人になる身として、こうありたいと思う一面をお持ちの方がたくさんいらっしゃいます。

青山先生、大西さん、深津さん、コーチ陣の皆様
何度失敗しても、期待に応えられなくても、必ず現役の味方であり続けてくださりありがとうございました。学生主体とはいっても結局最後は大人の力に頼らざるをえない存在でしたが、未熟な私達をご指導くださりありがとうございました。

先輩、同期、後輩の皆様
わたしにとってこの東大ラグビー部という場所は、今まで過ごしてきたどの環境とも違う非常に特異な環境でしたが、その中で常に色々な刺激があり、飽きることがありませんでした。時間をかけて向き合っていただいた方もたくさんいらっしゃいます。大変お世話になりました。

特にスタッフの皆様
この部のスタッフは皆真っ直ぐで、より良い何かをしたいという想いに溢れていると思います。学年を問わずどの人にも、尊敬できる何かがありました。
後輩の皆さんは来年大きな変化に直面すると思いますが、好きなように仕事を進められる喜びは格別です。伸び伸びと前向きに乗り越えていってください。

ともかさん
先日、ともかさんの最後のリレー日記を改めて読み直して胸が締め付けられました。
低学年の頃から一から積み上げてきた広報の集大成である最後の1年が、2020年というコロナとの闘いの1年に重なり、どれほど悔しかったでしょうか。
けれどこの2年間で、ともかさんが種を蒔き水を遣ってきたものが花開いていくという感覚を幾度も持ちました。
ともかさんの「この部に広報の体制を構築したい」という想い。コロナ禍でも常に前向きに、今できる最大限の、そして最も新しい広報を続けた姿。あまりにへなちょこなわたしを忍耐強くご指導くださった日々。2年生で部活をやめようとしていた私へかけてくださった「琴音ちゃんがいなくなったらこの部の広報は終わる」という言葉。全てがあってこその、その後のわたしの2年間でした。本当にありがとうございました。来年以降は、頼れる後輩たちが広報を受け継ぎ、さらに広げてくれます。

家族へ
受験期の闘いを経て、大学入学後はゆっくりできると思いきやこんなことになり、さぞかし驚いたことと思います。
当初は反対もされましたし、おっしゃる通りスタッフは向いていませんでした。とんでもない早朝に起きてはゴソゴソ、日付を超えた遅くに帰ってきてはゴソゴソと終始ご迷惑をおかけしましたが、というか現在進行形でご迷惑をおかけしていますが、見守ってくれてありがとうございます。来春に家を出ることに免じてあと2週間ご容赦ください。ぴょるちゃん(犬)も、春休みはたくさんお散歩に行きましょう。

そして、わたしに寄り添ってくださった全ての皆様
4年間を通して、様々な方がわたしを支えてくださいました。時に泣き喚き、時に言葉もなく気落ちし、時に怒り狂うわたしをなだめ、前向きな言葉で後押しをしてくださいました。ありがとうございました。まだまだ半人前な存在ではありますが、少しずつ誰かに何かをお返しできるような優しい人間になりたいです。

これほどまでにたくさんの方の力を感じた経験は未だかつてありません。本当にありがとうございました。
 

次は、東大ラグビー部の生き字引たる学生レフリー、そしてスタッフの原くんにバトンを渡します。入部時の寡黙なイメージとは裏腹に、実はおしゃべりな人だったため高学年になってからはわりかしたくさん話しました。しかし口下手な側面もあり、何を言っているのかよくわからないところをぐっと堪えながら話を聞いていたところ、かなり的を得たことを言っているのに気づき、ほう、と思うことも多々ありました。わたしは4年間を通して常に何かに追われ焦っていたので、常に精神的余裕があり、仕事を頼まれても嫌な顔をせずに引き受けたのちそつなくこなせるところをとてもリスペクトしています。部旗の件などはありがとうございました。
結構誉めたので最後に一点だけ苦言を呈させていただきますが、練習前後のスタッフの仕事はもうちょいやっていただけないものでしょうか。待ってます。

応援[ラグビー部リレー日記]

投稿日時:2022/08/11(木) 00:25

同期きってのいじられキャラ、平岡からバトンを受け取りました、4年スタッフの榎園琴音です。平岡とは去年スモブラの班が一緒だったのですが、当時同じ班の4年生だったルーシーさんこと齋藤海杜さんが持ち出す話題が恋愛のことばかりだったせいか、スモブラの場で平岡と喋ったり、平岡が喋るのを聞いたりした記憶は残念ながらほぼありません。スモブラ飯が実現した際には、平岡が話したいことを皆で話したいものです。

わたしがリレー日記を初めて更新したのは、3年前の2019年8月4日。今日と同じ、山中湖合宿の最終日でした。それから3年間の間、毎度毎度の更新がわたしにとってとても大切なものでした。そんなリレー日記も、12月の恒例となっている4年生ラストターンを除けば今回が最後です。今回も長くなるような気がしていますが、お目通しいただけますと幸いです。

立場上、「何かを応援する」ということについて日頃からよく考えます。

前回のリレー日記でも書きましたが、わたしはこの部の広報責任者をしています。今シーズンが始まるにあたって自分なりに考えた、この部の広報の存在意義に「応援してくれる方への還元」というものがあります。ありがたいことにこの部には、OB・OG、保護者、ファンの方、スポンサー企業の方など、応援してくださる方がたくさんいます。わたしの情報発信や企画を通して、そうした方々に少しでも何か得るところがあったならいいな、と思っています。

加えてわたしは広報責任者である以前にスタッフです。こと東大ラグビー部においては、スタッフは常にプレイヤーの応援者であるという解釈は適切なものではなく、基本的には共に闘う存在であるべきだと思っています。けれど何せ試合に出られないので、試合中など、あと自分にできることは応援ぐらいのものだな、と感じる場面が確実に存在するのも事実です。

応援者のために何かをしたり、自分自身が部分的に応援者であったりと、応援はわたしにとって身近なものです。

しかし、応援とは案外複雑なものなのかもしれないとも思っています。

今だから言えることだけれど、わたしは下級生の頃、試合に勝って嬉しいと思ったことも負けて悔しいと思ったことも一度もなく、毎試合淡々とグラウンドに突っ立っているだけでした。1年生の時の一橋戦(6戦5敗という厳しい戦績の中迎えた対抗戦最終戦でしたが、激しい攻防の末に東大が逃げ切り、14-10で勝利を収めた試合でした)の時など、涙を流して喜びを爆発させる部員たちの中に無感動なままで存在するというのは、それなりにしんどいものでした。

なぜそんなことになっていたのか。一つ確実に言えるのは、わたしがチームに帰属意識を全く持てていなかったから、ということです。新歓期が終わり入部してみれば、気さくに話しかけてくれる先輩の数はぐっと減り、男性と話すのがあまり得意でないわたしは自分から話しかけに行くこともできず、一人でずっとうじうじしていました。かといって同期との関係性も特に深まりを見せておらず、概してチームの一員という感覚があまりなかったため、目の前のプレイヤーを応援する気持ちなど一度も抱いたことがありませんでした。試合のたびに、「他人がラグビーしているのを見ているようだなあ」などと思っていました。

では当時、応援したいと思ったものに対してわたしが帰属意識を抱いていたのかと言われると全くそんなことはありませんでした。

先述した一橋戦と同時間帯には、当時付き合っていた人が所属する他部のシーズン最終戦も行われていたのですが、試合が始まる前から勝ってくれるといいなと思っていました。そして、試合後のバスへの荷積みが終わってから開いた携帯を見て、試合が勝利に終わったことを知りました。彼氏が所属している組織の試合であるとはいえ、本人が出場はおろか、メンバー入りすらしていなかったその試合の吉報に、わたしは大きな感動を覚えました。

同じようなことは他にもありました。

一橋戦の1ヶ月後に熊谷に見にいった入替戦。対抗戦B 1位の立教が、対抗戦A 8位の成蹊に勝利し、Aに上がりました。

立教には知り合いがいるわけでもなく、入部してからそれまでに対戦したのも対抗戦の1試合のみでした。またその1試合も大差で敗北しており、同じ対抗戦Bとして頑張ってほしいといったような仲間意識もさほどありませんでした。だから試合が始まるまではどちらに勝ってほしいと思っていたわけでもないけれど、ラストワンプレーでの立教の必死のアタックを見ていると、気づけば全力で立教を応援していました。最後のトライとコンバージョン成功での逆転、A昇格決定を見ると心からの祝福の気持ちが湧き上がり、自然と涙がこぼれました。ラグビーの試合を見て初めて流した涙でした。

一番身近にあって、多くの時間と労力を費やしているはずの組織に対しては常に無感動で、大して深い関わりがあるわけでもない組織に対しては簡単に心が動き応援の気持ちが生じるという、なんだか矛盾しているように見えるこの現象がなぜ起こっているのか、当時よく考えていました。

次第に、この現象は、他部のことを「よく知らないから」起こっているのではないかと思うようになりました。

ある部活を離れた外から見ている中で視界に入ってくるのは、その組織が公式に発表している情報や、試合という最も輝かしい舞台でプレイする選手らの姿だけです。そこから得られる情報に欠点はなく、応援の気持ちの形成を後押しするばかりです。

また、日がな一日その部のことを考えているわけでもなく、何かその部のために犠牲を払っているわけでもありません。費やしているものが少なく、そこに追っているリスクや生じる責任もさほどないから「好き」「頑張ってほしい」などと軽い気持ちで純粋に言えているのかもしれないと考えました。

対して自分が所属している部活は、細部までよく知っている分嫌なところもよく見えていて、それらを含めて愛し抜くのは当時のわたしにとって一筋縄ではいかないことでした。日々多くのエネルギーを費やしているからこそ、期待した何かが返ってこないとしんどいとも思ってしまいます。

思えば入部前は東大ラグビー部のことも、一点の曇りもなく大好きだったのでした。新歓期には、ラグビー部の雰囲気の良さを熱く語るわたしを見た同クラから「えのきはラグビー部に恋しているみたい」などと言われていたものでした。けれど、入部してからラグビー部の当事者として感じた色々なギャップを通して、無感動人間ができあがってしまっていたのでした。

もちろんこうした経験がある人は多数派ではないだろうと思うし、あることがいいことだとも思わないけれど、当時のわたしはこの考えに至ってものすごく腑に落ちました。

この考えは就職活動での出会いを通してより強いものとなりました。
わたしは、組織が有する高い規律や発信力などの面から、1年生の時からとある大学の強豪部活になんとなく憧れており、ゆるく応援していたのですが、就職活動中にその部出身の女性マネージャーの方にお話を聞く機会をいただきました。せっかくの機会なので、企業のこととは別に部の内情についても色々とお聞きしたのですが、その方の言葉を聞いてふと我に返るような気持ちになりました。

「規律、規律とは言っているけれど、Aチームのメンバーなどを除いたらだらしないプレイヤーはたくさんいます。現役の時はそうしたプレイヤーとの関わりにすごくストレスを感じていました。どの大学の部であっても実状はそれほど変わらないと思います。」

もちろん謙遜でおっしゃっていた部分はあるだろうし、実際客観的に比較してみても、強豪校と東大ラグビー部とではさまざまな面で明白な差があり、見習うべきところもたくさんあるのだろうとは思います。けれど、「なーんだ」というのがその時抱いた正直な感想で、理想として思い描いていた部活の姿そのものが現実に存在しているわけではないことを知りました。それからというもののわたしの中の憧れの気持ちは徐々にしぼんでいってしまいました。

わたしは、これまで魅力を感じたものを応援する際に、目の前にある数少ない情報を全てとみなした上、それをあまりにも神格化しすぎていたのかもしれません。だから、思い描いていた完璧な理想から外れた様相を呈したそれを見た途端に気持ちが萎えていってしまったのだと思います。

別の言い方をすれば、きっとわたしは1年生の4月にどこの大学に入学し、どこの部活に入部していようが、入部した後に何らかのギャップを感じ、自分の所属組織に対して何らかの不満を抱えていたのだと思います。

けれどこうした現象は、きっとわたし以外にも当てはまるケースがあるだろうと思います。応援しているアイドルや俳優の外見やパフォーマンス、演技など、目に見えてわかるものはともかくとして、人間性や価値観などの内面までをも称え、崇拝している人は大勢います。

もちろん雑誌でのインタビューやテレビ出演での様子などからその人の内面を推し量ることはできるのだろうけれど、それはあくまでその人の一面(しかも、全世界に発信するにふさわしい情報として飾り立てられたよそいきの一面)に過ぎず、その人の全てを肯定する根拠にはならないのではないかと思います。

不祥事を起こしたアイドルや俳優に対して「裏切られた」「信じていたのに」などと心底怒っているファンの声をSNSで見かけることがありますが、そもそも公式に発信されている情報の寄せ集めから「こうであってほしい」「信じたい」その人の姿を頭の中で作り出していたのはファン自身でしょう。元熱狂的ジャニオタで、「中丸君の全てが尊敬できる」などと本気で言っていた高校生の自分のことを棚に上げて、そんなことを思ってしまいます。(中丸くんの名誉のために一応言っておくと、わたしが中丸くんに何かを裏切られたことは今のところないです。だからと言って中丸くんが完璧人間だとも思いませんが。)

応援とは、その対象に対して無知であるために生じ、継続しているケースがあるのではないでしょうか。そう思うと、応援とは案外脆く、儚いものなのかもしれません。

そんなドライなことを頭の片隅で考えながらも、3年生の春には広報責任者という、きっと部の中で応援というものに最も近い立場にある役職をいただき、それから早くも1年半近くが経とうとしています。

少し話を戻すようですが、広報責任者になるまでの間に、試合で無感動だったわたしにもそれなりの変化が訪れていました。

詳しくは長くなるので割愛しますが、周囲の方の気遣い等のおかげもあり、入部時に比べると少しずつ部のことが好きになっていきました。2年生の終わりにはやっと素直に「勝って嬉しい」と思えるまでになりました。そして広報責任者1年目の昨シーズンの試合、特に秋シーズンの試合では、勝とうが負けようがほとんどの試合で感情を揺さぶられ、頻繁にズルズルと泣いていたような気がします。

入部前と違うのは、東大ラグビー部を完璧な組織だとはさらさら思っていないことです。

東大ラグビー部にはいいところも悪いところも確実に存在します。

歴史と伝統があるところ。理念や、組織としてのアイデンティティがしっかりと存在するところ。マネジメントやチームビルディングなど、細かなところにもしっかりと力を入れているところ。誰もがワクワクするような高い目標を掲げ、部員たちがそれに見合った正しい努力を日々重ねているところ。どれも東大ラグビー部の個性をかたどっているもので、わたしが誇りを持って東大ラグビー部の魅力だと言えるものです。

けれど反対に、掘り起こそうとすれば出てくるものはいくらでもあります。わかりやすい例を挙げると、東京大学運動会組織という肩書きから多くの人が連想するような、「学業にもラグビーにも常に全身全霊を注ぐ文武両道」を、必ずしも部員全員が体現しているというわけでは全くないです。また、普段チーム内で問題になったり課題として指摘されたりする規律の部分、部員の弱い部分や人として足りていない部分も数えきれないほどあります。わたしという人間一つをとってみても、ありがたいことに部活での取り組みを部外の方に褒めていただける機会が時たまあるのですが、日頃のスタッフとしての自分を省みると、実際のわたしには身に余る言葉であると思うことも多いです。

それでも、「東大ラグビー部を応援してほしい」という思いは学年を重ねるごとに膨らんでいき、今に至ります。

そして、「応援していただけると嬉しい」という気持ちも日に日に強いものとなっています。

冒頭で述べたように東大ラグビー部には応援してくださる方がたくさんいますが、その方々も、程度の差こそあれど、東大ラグビー部の全てはわかっていない状態なのではないかと思います。

よくわかっている、というと思い浮かぶのは諸OBさんの顔で、特に執行部会の役員の皆さんには組織の運営に関することから現役の活動に関することまで、多様な事柄において労力を割いていただいています。けれど、毎練習に足を運んでいただいているという訳ではない以上、「今ここにある、等身大の東大ラグビー部」をくまなくご理解いただいている訳ではないのではないかとも思います。保護者の方などもまた然りです。

けれど、応援してくれている方がどんな状況にあり、そしてその方の応援の動機がどんなものであったのだとしても、人から応援をいただけるというのは本当にありがたく、嬉しいものです。東大ラグビー部も、多くの方に試合に足を運んだり試合中継配信を見ていただけているというのはもちろんのこと、試合前後にメッセージフォームを送っていただいたり、色々な方から頻繁にSNSにいいねをいただいていたり、試合のPV映像を作っていただいたり、ご近所から差し入れをいただいたり、ご支援・ご協賛をいただいたりと様々な形の応援を受けており、その全てに感謝しています。この山中湖合宿でも、ハードなスケジュールの中でやや心が弱りそうな時に様々な方から今後の合宿への差し入れのお申し出をいただき、メールの通知を見るたびに元気をいただきました。

応援とは脆く儚いものだと言いましたが、同時に、ひとたびそれが存在すると、あまりに大きくポジティブなエネルギーと限りない温かさをまとい、人の背中を後押しするものなのだということを感じさせられる日々です。

だから、もしかすると抱かれているイメージほどはすごくないかもしれないのだけれど、それでも確かに存在している東大ラグビー部のいいところに目を向け、応援してくださる方が一人でもいるのであれば、日々抱いている感謝の気持ちをもってそれに広報という形で全力で応えていきたいと思っています。

そして、先ほどはアイドルや俳優に過度な期待を寄せることへの批判的な意見を述べましたが、応援を受けている側の立場である以上、組織として、そしてそこに所属する部員として、その期待に応える努力は何が何でもするべきだと思います。応援してくださる方が思い描く理想をそのまま体現することが目的になる、というのはなんだか少し違う気がするけれど、自分たちが応援されるに値する存在になれているか、自分たちのありのままの姿を知った時に応援してくださる方々をガッカリさせないかといったことは常に念頭に置き、自信を持ってイエスと言えるような状態を目指す組織を目指し、そしてそこに所属する一員になりたいです。

わたしのHPプロフィールの今年の個人目標は「伝えきる」です。複数の思いを込めてこの目標を設定したのですが、その中には応援してくださる方に対して精一杯広報活動をしたいししなければならない、という思いも含まれています。頭の中にありつつも一向に着手できていないことがたくさんあり、日々自分の作業の効率の悪さに呆れたりもしておりますが、残された時間を大切にしたいと思います。

今後ともご声援のほどよろしくお願い申し上げます。

次は、いつもニコニコと楽しそうなデイビスにバトンを回します。デイビスとは今年のスモブラの班が同じなのですが、4年生のメンバーがわたしと笹俣という、お世辞にも喋りで場を回すタイプとは言えない2人なので、関戸と2人で会を盛り上げてくれていつもとても助かっています。地味にわたしは、なんとなく落ち着いて場に存在できるからか、今年のスモブラ班が歴代で一番好きです。
 

この目に見えないものを[ラグビー部リレー日記]

投稿日時:2022/03/25(金) 21:00

リレー日記大好き仲間である同期の三方からバトンを受け取りました、4年スタッフの榎園琴音です。ナイスリレー日記でした。三方と喋っていると、この人頭良いなとか、頼りになるなと思うことが多いです。4年生になってから、FWリーダーとしてアフターのユニット練を仕切る様子を頼もしく思いながら日々ビデオを撮っていますが、先日はモールから飛び出してきた三方に轢かれそうになってしまいました。

今回のリレー日記は、1つの文章を一ヶ月以上かけて書くわたしにしては珍しく、直前になっても書くことが決まらず本当に困ってしまいました。そこで、2020年から毎年書こうとしては下書きの段階で挫折してきたテーマを引っ張り出してきて、きちんと向き合ってみる事にしました。お付き合いいただけると嬉しいです。

先日、とある後輩と話していて仰天しました。彼が、スタッフの練習開始前の仕事はテーピングとアイシング用の氷作りのみだと思っていたからです。実際は他にも色々と仕事は存在しており、ドリンク作り、ビデオ・脚立・薬箱といった用具の準備、ジャージチェックなどを日々行っています。水道の水でプロテインを溶かすプレイヤーと並んでドリンクを作るなど、彼らの視界に入りやすいところで仕事をしている部分も多くあるので、そうかそれほどわたしたちの動きは目に入っていないのか、と純粋な驚きを感じました。

最初は「それやばいよ」などと言って彼を平謝りさせていたのですが、実はこうしたことはわたしにも思いあたる節がいくつもあり、そしてその事実に後から気づいたため、過去2年分の没リレー日記をPCから掘り起こすに至りました。以下はその引用です。

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2020年5月 2年生
先日、ともかさんが「ベンチコートは今度クリーニングに出すから~」といったようなことをおっしゃっていました。1年使い続け異臭を放ち始めた部のベンチコートもようやく綺麗になるのか、よかったよかったと思っていたのですが、数日後に「ということはスタッフの誰かがベンチコートを部室からクリーニング屋に持って行かないといけないのか」ということに気づきました。その仕事の存在がわたしには見えていませんでした。
思えば入部してからそんなことを繰り返してきました。
確かにそこに存在していたのにも関わらず、「それ」を知らずに生きてきたことを知ると、今までの自分は何を見ていたんだろうと、毎度毎度、己がすごく間抜けな存在のように思えます。

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2021年6月 3年生
先日、諸事情でラグビー部主務専用メールアドレスのアカウントにログインさせていただきました。このメールアドレスを使って、ラグビー部主務(今年度は津田さんです)はOBさんや他大学の主務と連絡をとっているのですが、次々と届くメールの量に目が飛び出し、腰を抜かしそうになりました。主務が大変で忙しいというのは昨シーズン主務の太田さんを横目で見ながら十分わかっているつもりでいたけれど、本当は実態など何もわかっていませんでした。もちろん主務の仕事はメールのやり取りのみではないですし、この業務をプレーと両立している津田さんは本当にすごいです。いつもありがとうございます。

他にも、同じ同期スタッフであっても違うセクションに所属している人の具体的な仕事内容を全て把握することはできていないし、あの人はめちゃくちゃ忙しそうに見えるけれど実際いつ何をどんな風にやっているのかしら?と思うこともあります。スタッフ組織外のことになるとそれは尚更で、今プレイヤーが苦しみながらも毎度頑張っているCCの雰囲気や実態もよくわかっていないです。

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自分の視野の狭さには、入部してから随分と悩まされました。複数のことに気を配るのはもともと苦手です。一つの作業に集中しすぎてしまう。練習中に起きた怪我などのイレギュラーなことに気づけない。手が空いた時に何をすればいいのかわからなくなってしまう。などなど。1年生の時には、毎練習自己嫌悪に陥っていました。

とは言っても、こうしたもともとのわたしの性質は、時間の経過とその中でのトライアンドエラーがある程度解決してくれる部分もあって、入部から3年経った今では、少なくとも入部直後の自分と比べると色々なことが見えているように思います。

一方で、自分のことだけで手一杯で余裕がなかった1年生の時に比べると色々なことを考えるようになり、そこでまた新たな戸惑いや反省が生まれていきました。今引用した没リレー日記がまさにその例です。

2年生のわたしは、自分以外の何かに思いを馳せることができるようになったという点で進歩を遂げています。そして、「他のスタッフの仕事が見えていなかったこと」というか、作業自体は知っていたのにそこに他者の労力を見出すことができなかったことにショックを受けています。

3年生のときには、スタッフだけではなく、学年が上がるにつれて関わりが生まれた主務について今までよく知らなかったこと、そして現在進行形でプレイヤーの状況をしっかりと理解できていないことに課題感を感じています。

毎年いろんな気づきがあり、その度に視野が広がった気がしてきました。

ラグビー部に入るまで、「視野が広がる」というのは、例えば今まで30度しかなかった視界が、60度、90度と幅を広げていくことなのだと思っていました。
けれど、そこに確かに存在するのに今まではぼやけてよく見えなかったものが、だんだんと色や形を現し始め、わたしの目がそれを捉えられるようになっていく。それもまた、「視野が広がる」ではないかと思います。

最高学年になった現在のわたしの視界はどうでしょうか。まだまだピントが合っていないようです。

私が広報セクションリーダーになってからそろそろ1年が経ちます。そして12月の卒部までも、やはり広報セクションリーダーでいるつもりです。

広報セクションは、スタッフがリーダーを務めながらその構成員の多くがプレイヤーであるという、少し珍しい構成を取っています。厳密には体づくりのS&Cセクションも同じような構造を持ち、同期スタッフの彬くんが大量の”野郎”(S&Cに所属するプレイヤーのことです)を率いているのですが、S&Cと広報には決定的な違いがあるというのがわたしの意見です。

乱暴な言い方であることをわかった上で言うと、プレイヤーにとってS&Cは「自分ごと」で、広報は「他人ごと」です。

ウエイトをする、良い食事を摂る、睡眠時間を確保する。S&Cがアプローチする要素の一つ一つがラグビーでの勝利に直接つながっています。ならば、そこを強化するための方策にプレイヤーが関与するのも、非常に自然なことというか、自分のことなのである意味当然のようにも思えます。

対して広報は、「組織力の向上」や「応援してくださる方への還元」などを目的として動いている組織です。広報で行ったことは回り回ってチームのため、ひいてはプレイヤーのためになっているのだけれど、じゃあそれを実感しながら日々の仕事を行えるかと言われると、それはまた別の話だと思います。

もちろんわたしは広報なくしてチームは成り立たないと思っていますし、そこにプレイヤーの視点が入るということにも大きな意義があると信じています。かといって、広報への参画がプレイヤーのラグビーを阻害してしまっては本末転倒というか、元も子もありません。プレイヤーはプレイヤーである前に一部員だ、という論理の存在は知っているしそれは実際本当に正しいのだけれど、その綺麗事が通用しないほどタフ(にわたしからは見えている)なのがラグビーというスポーツで、スタッフというサポートの立場が部に存在する以上、組織力の向上とラグビーの上達とでは、大きな力を割くべきはやはり後者なはずです。それがラグビー部という組織の本質ですし、広報する対象が脆弱では、せっかくの広報の意味も無くなってしまいます。

その中で、どこまでプレイヤーに負担をかけていいのかがわたしには「見えない」んだよな、というのが、近頃考えていることです。今シーズン登場した練習メニュー、BBCのつらさが「見えない」。練習の合間に詰め込むパンの苦しさが「見えない」。(厳密には苦しんでいる姿を目にしてはいるのだけれど、その苦しみの度合いを心底理解してあげることはできないという意味です。)練習の疲労度の高さが「見えない」。家に帰ったら襲ってくる睡魔が「見えない」。そんなスタッフのわたしが、セクションリーダーのわたしでも大変だと思うことが多々ある作業をプレイヤーにあれこれお願いしてしまっていいのか。それはそこまでしてやる意味があることなのか。プレイヤーは大丈夫と言ってくれるのだけれど、そもそもこの構造自体が歪んでいはしないか。考え出すとぐるぐるぐるぐる、きりがありません。

これまでの、気づきによってどんどん視野が広がっていく経験とは異なり、わからないものがわからないままになっている宙ぶらりんな状態が今のわたしです。そして、本件に関して明確な答えは見つからないのだろうとも思っています。そうした中での最近の気づきが何かあるとしたら、ラグビー部という組織、そしてその構成員について全てを正しく理解するのは「絶っっっっ対に無理」と思うようになったということです。以前は、努力と気づきを重ねればいつかは部の全貌が見えるのだと心のどこかで信じていました。1人の人間が全てを把握できるほど、この部は単純ではありません。4年生だからといって全能になれるわけではないのです。

そのことに気づいたにもかかわらず、冒頭のエピソードのように後輩をネチネチ責め立ててしまったというのもやはり、依然として狭いわたしの視野によるものなのかもしれません。ごめんね池田くん。

この目に全ては見えません。だからと言って、開き直って漫然と過ごしてもいられません。

卒部まで視野を広げ続けるにはどうすればいいのでしょうか。

答えは、東大ラグビー部の「多様性」にどのように向き合うか、というところにあるのだと思います。

ラグビー部の魅力を聞かれて多くの人は「雰囲気」と答えますが、次に多い答えが「多様性」です。ラグビー部には本当に色々な人がいます。出身もラグビー経験も性別も性格も価値観も様々です。そして、先ほどから述べてきたことからもわかるように、部の中で果たす役割もそれぞれが大きく異なっています。「スタッフ・プレイヤー」の二項対立はもちろんのこと、スタッフ一人一人の仕事も大きく異なっていますし、プレイヤーも本業のラグビーに加えて各々が各々のフィールドで部に貢献しています。

いろんな人がいて、楽しい。いろんな関わり方があって、皆が輝ける。

でもそれだけではダメなのです。

多様性をただ楽しみたいのだとしたら、例えば集まりたい時に集まり好きな場所に遊びに行くようなサークルに所属すればいいのだと思います。そうした団体のことをこの目で見てよく知っているわけではないけれど、所属人数もラグビー部よりずっと多くて、顔を出すたびに新たな出会いがあるのではないかと想像します。

対してわたしたちは、特段の理由がなければ欠席が許されない週5、6回の練習で日々同じメンバーと顔を突き合わせ、特段の理由がなければ去ることのないこのラグビー部という運動会組織を全員の手で作り上げていかなくてはいけません。

そして、多様なバックグラウンドを持ち、部に対して多様な関わり方をしつつも、チームで掲げた「入替戦出場」という目標だけは、全員が一様に目指し続けなくてはなりません。

そんなわたしたちに必要なのは、他者への徹底的な思いやりなのではないかと思います。

他者が自分とは違う存在であることを認識する。それゆえ、他者の立場や考え方が自分とは異なっていること、それぞれに得意なこと・不得意なことが存在することを受け入れる。何かの功績の上には何かの犠牲があったことを知っておく。自分の価値観を相手に押し付けない。自分だけが何かを抱え、背負っていると思わない。他者の努力や貢献が目に止まったらそれを認め、声に出してその感謝を伝える。

そして、そうした誠実な在り方を通してもなお、自分の目に見えていないものが確かにあることを自覚する。

本当に魅力的な「多様性」とは、ただ違っているということではなく、そこに属する人たちがその多様性を理解し、尊重する姿勢を見せている状態なのではないでしょうか。

人の努力であれ、痛みであれ、優しさであれ、世界にはまだまだわたしが見つけられていないもの、見えていないものが存在します。誰かをきちんと理解してあげられなかったこと、そのせいでうまく向き合えなかったこともたくさんあります。未熟です。

けれど、薄もやのようにわたしの周りに広がっている世界に目を凝らし、それらを一つ一つ見つめていくことでわたしももう少し優しくなり、人として高みに行けるような気がします。他者が考えていること、抱いているものに常に思いを馳せる。卒部までの9ヶ月間、そういった東大ラグビー部員でありたいし、そうあらなくてはならないのだと思います。

そんな決意表明のようなものをもって、例によって読む人のことを全く思いやらない長さのわたしのリレー日記を締め括らせていただきます。

最後までお読みいただきありがとうございました。

次は、おっとりとした雰囲気を身にまとった2年生の小野にバトンを渡します。本人にその認識があるかわかりませんが、わたしは新歓期に小野のリクルーターを務めており、ラグビー部に入部するにあたって肩の怪我とどう向きあっていくか悩む様子を少しだけ知っていたということもあり、今も怪我がちな小野のことをこっそり心配しています。復帰楽しみにしています、色々落ち着いたら去年のスモブラでもつ鍋食べに行きましょう!

[広報宣伝]
このリレー日記で書いたわたしのちょっとした葛藤と、広報セクションメンバーの多大なる貢献を経て現在完成を間近に迎えているのが、「東大ラグビー部100周年記念ドキュメンタリービデオ」です。動画編集未経験の下級生、就活で忙しい同期、卒部を迎え本来は部の仕事から解放されて然るべきであった5年生など、さまざまな立場のプレイヤー・スタッフ混合メンバーにご尽力いただき、半年がかりでやっと完成の目処がたちました。東大ラグビー部の100年の歴史や、100周年の代である杉浦組の1年を追った1時間ほどの映像作品です。
近日公開しますので、ぜひご覧ください。

※3/31(木)追記
ついに公開しました。下記URLからご覧ください。
https://youtu.be/l5PMbnyBWEk



 

リレー日記[ラグビー部リレー日記]

投稿日時:2021/10/27(水) 14:13

主将の杉浦さんからバトンを受け取りました、3年スタッフの榎園琴音です。わたしが今年の代のことが大大大好きな、数ある理由の大きなひとつが杉浦さんです。当たり前ですが杉浦さんへの信頼は大きく、わたしが責任者をしている広報関連で杉浦さんがメディア露出する時にも、わたしは基本何もせず本人に全部お任せしています笑
杉浦さんの強さと優しさにいつも助けられております。
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タイトルの通り、今回のリレー日記ではリレー日記について書かせていただきます。

おそらくこの部でリレー日記にいちばん強い感情を抱いているのはわたしです。新歓期にラグビー部の先輩から勧められて読み始めたリレー日記が、その瞬間から今に至るまで本当に大好きです。書くのも読むのも同じぐらい好きです。

リレー日記の執筆には人一倍のエネルギーを費やしてきました。皆から聞いた話によると、一般的にリレー日記を書き始めるのは早くて締め切りの1週間前、中には当日になってから慌てて着手する人もいるようですが、わたしは遅くとも1ヶ月前には書き始めます。テーマに至っては、更新を終えた瞬間に、さて次は何を書こうかと考えています。1年生で1回、2、3年生で2回、4年生では2回+最後のリレー日記1回と、4年間で計8回書くリレー日記に、「ネタ切れ」「もう書きたくない」と文句を言う人は多いのですが、わたしは入部時から「たったの8回しか書けないの?」と思っていました。1回1回が貴重なので、毎度悪戦苦闘しつつも、自分の中で100%納得のいくものを書いているつもりです。そのせいかわたしのリレー日記は往々にして長く、先日母から「読んでいて疲弊した」と言われてしまいました。

嬉しいことに、そうやって気合いを入れて更新したリレー日記を、部の人や友達からよかったと言ってもらえることがちらほらあります。確かにわたしは元々文章を書くことが好きですし、口で話すと自分でもよくわからなくなりしどろもどろになってしまうような事柄でも、文章だと誤解を生まずに綺麗に伝えられるような気がします。しかしながら、正直リレー日記に関してはかけている労力が人とだいぶ違うので、完成度が高いのはある意味当然とも言えます。

2年生になりリレー日記の更新マネジメントの業務を行うようになってからは、精神的にも物理的にもリレー日記に最も近い存在になったと自負しています。

リレー日記の更新順序と日程を決めているのはわたしです。数ヶ月ごとに部員全員に順番が回るように、誰がいつ更新するのかを決めて部内に共有しています。
この仕事は単純なようで、意外と時間がかかります。前の更新から日が浅いと書きづらいので、全員一定の期間を置いて書けるようにしたり、4年生の就活がいちばん忙しい時期や、院試がある時期にはなるべく更新日が被らないようにしたり、過去に前後になった人が再び前後にならないようにしたりと、色々調整していると意外と縛りが多く、順番のパターンが限られてきたりします。

自分が決めた更新スケジュールが、不思議な作用をもたらすことがあります。今シーズンのリレー日記で、怪我をした直後や、メンタルが絶不調の時に更新が回ってきたと書いている人が何人もいました。廣瀨が前十字靭帯断裂を診断された翌日が彼の更新締切で、その次の更新者が、2回にわたる前十字靭帯断裂からの復帰が間近に迫っていた魚住さんだった時は、胸にずしんと重く来るものがありました。リレー日記をお涙頂戴のコンテンツとして見ているわけでは全くありませんし、その順番やタイミングに何か特別な意義をみいだすつもりもありません。しかしながら、とても難しいタイミングで更新を迎えたにも関わらず、自分に立ちはだかっている壁に真正面から向き合い率直な思いを綴った彼らの文章に心を動かされたことは1度や2度ではなく、与えられた順番を投げ出さず書いてくれてありがとう、と毎度心の中で手を合わせています。

リレー日記にまつわる業務は日程決めだけではなくて、部員はリレー日記を更新するとわたしに連絡を入れることになっています。更新期限を過ぎても更新がされず、連絡もくれない人にはわたしから進捗を確認しています。
普通の人なら、たまにラグビー部のHPを覗いたり、微妙な時差でわたしがSNSにリレー日記更新を投稿するのを見たりして新たな更新を知るところですが、わたしには本人から直接更新通知が来るということになります。
大好きで、いつも読むのを楽しみにしているリレー日記の更新を誰よりも早く、しかも便利に知ることができるのはとても嬉しいことです。ラインの通知に気づくと必ず、その時やっていることを投げ出してHPに読みに行っています。リレー日記に関する仕事をしているからこそのわたしの特権です。

こんな風に、リレー日記との大きな関わりの中で日々過ごしているわたしですが、リレー日記そのものについて深く考えたことは今まであまりありませんでした。

けれど、どうも3年生になってから部活のあれこれについて考えることが増えてきたようで、リレー日記を何故書くのか、そもそもわたしはなぜリレー日記が好きなのかということについても数回熟考する機会を持ちました。

まず好きなところについて。好きなものの好きなところを言語化するのはとても難しく、何が好きなのかと改めて考えてみると咄嗟には出てこなかったのですが、その魅力は大きく分けて2つあると思っています。

①皆素直になれる
ラグビー部の人たちは、わたしが今まで交流してきた人たちに比べて、自分の率直な感情を日頃あまり口にしないように思います。シャイな人が多いのでしょうか。「この人のこういうところが好きで、尊敬している」「部活のこういうところが問題だと思うのでこのように変えていきたい」などと、日常生活の中で真面目な話題を真剣に話すよりは、なんやかんやといじりや冗談で誤魔化す傾向がある気がします。
ただ、リレー日記を読んでいると「この人、こんなに真面目に色々なことを考えていたんだ」「本当はこんなに熱いものを胸に秘めていたんだ」と意外に思うことがよくあります。自分と向き合いながら不特定多数の人に向けた文章を書く作業を行うとき、人は素直になれるのかもしれません。どんなことも笑いに変える日頃の皆も好きですが、いつになく真っ直ぐに自分の本心を綴ったリレー日記を読むとなんだか毎回とても嬉しく、この部にリレー日記があってよかったな、と思います。
これはわたしにも言えることで、リレー日記に書くことは普段あまり人に話さないことも多いです。リレー日記はさまざまな人にとって自己開示の良いきっかけになるのでしょう。

②紹介
リレー日記の醍醐味が、順番が前後の人の紹介文です。「△△な○○からバトンを受け取りました」「次は□□な〇〇にバトンを渡します」などと繋がれていくバトンが、リレー日記の「リレー」たる所以でもあります。
普段週5のペースで会っている人でも、いざその特徴を書き起こして紹介するとなると難しく、場合によっては本文を書くよりも考え込んでしまったりします。締め切りが目前に迫っている人が「○○の紹介が思いつかない」「紹介文、これで良いと思う?」などと慌てふためいている光景もよく見かけます。
そんな大変な紹介文ですが、その人と自分の関わりや、皆に紹介できるような個性的なエピソードを丁寧に振り返る時間が書くたびに生まれており、その時間がとてもいいなと思います。ありきたりな紹介文になったら申し訳ないので毎度一生懸命考えます。反対に自分の紹介も、その人ならではの内容だとつい嬉しくなるものです。
ちなみにわたしは自分の権利を乱用しており、自分の前後には紹介したい人・紹介しやすい人を毎度配置しています。私利私欲に走っていて大変申し訳ないので、この人を紹介したいという現役の皆さんからの希望があれば受け付けます。言ってください。

以上の2点に共通するのは「部員に対する理解が深まる」ということです。そしてこれはそのまま、リレー日記を書く意義にも繋がっているように思います。東大ラグビー部は「多様性」や「部員の仲の良さ」「雰囲気の良さ」を魅力の一つとして掲げており、チームビルディング活動にも力を入れています。それらを助長し、さらにはその様子を外部に発信する契機ともなっているのがリレー日記なのではないでしょうか。

こうして考えると、東大ラグビー部にリレー日記が存在することには必然性があるようにも思います。逆に、もしリレー日記がラグビー部にあってもなくても良いものだったら、どこかで消えてなくなったかもしれません。

ラグビー部HPにて更新されるリレー日記の最初の記事は、2011年2月に遡ります。かといってそれがリレー日記の起源というわけではなく、いつからか更新が始まったものが2006年に途絶え、その後再開されたのが2011年だったようです。(正確な起源をご存知の方は教えてください。)1年ごとに体制が大きく変わることも珍しくない大学の部活組織の中で、一度は中断しつつも息を吹き返し、そこから今日まで10年間続いてきたのだということを考えると、これは一つの立派な文化なのだと断定せずにはいられません。

リレー日記のことを書くので今回「リレー日記」というタイトルをつけましたが、2011年初めのリレー日記を読んでいると、複数の人が話題に関わらず「リレー日記」というタイトルで更新をしていて驚きました。今やリレー日記のタイトルは、とあるツイッターアカウントのIDだったり、歌の歌詞だったり、何かの呪文だったりと、かなりの多様性を確立しています。文化って変容していくのですね。数年後リレー日記はどうなっているのでしょうか。先日のリレー日記では同期の杉井くんが「これからのリレー日記」というタイトルで、新たなリレー日記時代の幕開けを予感させるような文章を書いてくれました。どんな形になったとしても、ラグビー部に数ある素敵な文化の一つとして、この先ずっとリレー日記が続いていってほしいと思います。そして、現在は厄介ごとと捉えられがちで、たくさんの部員の心を曇らせているリレー日記が、皆こぞって何度も書きたがるような大人気の文化に変わってくれたら、こんなに嬉しいことはありません

これを更新したことで、残されたリレー日記は3回になってしまいました。最後のリレー日記はおそらく4年間の振り返りになるので、テーマを自由に選んで書けるのはあと2回です。今後も、誰にも負けないような愛情と執念を胸に、リレー日記を書き続けようと思います。そして、何があろうとも締切日【19時】の期限に遅れることなく更新される、皆のリレー日記を読むのを楽しみにし続けようと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました。
—————
次は、小学生の頃からのお友達であるてしまにバトンを渡します。出会って9年ほど経った今は縁あって先輩をやっていますが、入部時のなんかぎこちない感じに比べるとタメ口の割合が増えてきて嬉しい限りです。一緒に所属している広報セクションでは、持ち前の繊細なセンスと細部へのこだわりを存分に発揮してくれている、重宝すべき人材です。コロナが落ち着いたらまた四谷大塚遊びに行きましょう。
 

5792字の総括[ラグビー部リレー日記]

投稿日時:2021/06/16(水) 14:38

わたしの買っている3倍程度の値段の高級化粧水を愛用する、同期のごたつからバトンを受け取りました、3年スタッフの榎園琴音です。ごたつは美意識のみならずコミュニケーション能力も高く、生粋の”陽”属性だな、と日々感心しています。新歓期には、よく気さくに1年生に話しかけていましたが、一緒に喋っていたわたしまでたくさん笑わせてもらいました。

2月15日のシーズンインから3月31日までの1ヶ月半、休部させていただいていました。この期間に仕事を代わってくださった全ての方、本当にありがとうございました。特に、スタッフ最高学年としての大事なスタートの場面であったにも関わらず、長期間に渡って部活を休むというわたしの選択を尊重するだけでなく、仕事まで肩代わりしてくれた同期スタッフの皆には、心から感謝しています。

だいぶ時間が経っていますが、ほとんどの人にはあまり多くを語らないまま部活から消え、かつ唐突に戻ってきたということもあるので、今回のリレー日記では、休部中の話と、復帰して2ヶ月半ほど経った今思うことを書かせていただきます。

<休部中にあったこと>
オンライン留学
休部中のメインイベントが、5週間のオンライン留学でした。元々はイギリスに渡航するつもりだったのですが、秋冬にかけてどんどん悪化するコロナの情勢を受け断念し、Zoomで授業を受けるオンライン形式に切り替えました。それでも、わたしにとって初めてだった今回の留学は、カルチャーショックや言葉の壁を感じるには十分で、5週間があっという間に過ぎていった、という印象でした。

スイスに兵役があることを知りました。生徒の出身のマジョリティはなぜかアラブ圏で、日本人が生涯で知り合う平均値のおそらく7倍以上の数のクウェート人と知り合いました。(世界史選択だったにも関わらず、クウェートがどこにあるか初めて知りました。) ライティングはめちゃくちゃなのに、ディスカッションの時間になると先生に遮られてもなお淀みなくしゃべり続けるフランス人を見て、日本と海外の英語教育の差を実感しました。渡航したもののコロナに感染してしまい隔離中のため、オンライン授業を受けているという可哀想な境遇の人もいました。

たくさんの人と話し数人とは連絡先を交換しましたが、中でも一番面白かったのは中国人の男の子、アンディとの出会いでした。(中国や韓国には、戸籍登録とは関係なく自分で勝手につけられる英語版ニックネームのような文化があるらしく、アンディは本名ではないようです。)彼はほぼ英語が喋れず、全ての会話をGoogle翻訳を使って試みていたレベルだったのですが、何故か上のレベルのクラスに入れられてしまっており、笑顔と愛嬌とスマホの機能だけで全てを乗り切っていました。そんな彼とブレイクアウトルームで同じ部屋になった際、簡単な単語とジェスチャー、チャットを使って会話をしていたらなんとか意思疎通が生まれただけでなく、彼よりずっと英語が上手な他の生徒とよりも会話が盛り上がり、連絡先を交換しました。そこまでは良かったのですが、彼は嬉しかったのかわたしに異常に懐き、授業外の時間はもちろん、授業中にもひっきりなしに、メッセージやZoomのプライベートチャットを送ってくるようになりました。その内容は、I’m hungry. などという返しに困る現状報告から、Are you happy? といった哲学的な質問、はたまた先生の言っていることを全て説明してくれ、ノートの写真を全部送れ、という無茶振りまで多岐に渡りました。

授業内容に関して聞かれた事には答えてあげないと可哀想ですが、彼にもわかるような平易な英文を必死に考えてチャットボックスに打っている時に限って先生に当てられたり、集中できずに先生の指示が聞き取れなかったりして、途中からつい、おいおい勘弁してくれよという思いに駆られました。けれど、授業内容がわからなくても、先生に怪訝そうな顔をされても全く気にせず、ブレイクアウトルームでは笑顔や積極性を絶やさず、たまたま仲良くなった外国人のわたしを全力で頼ることができる、そんな彼の、圧倒されるようなポジティブな姿勢には見習うべきものが多くあるとも思いました。間違えたり言葉に詰まったりしてしまうのが恥ずかしくて授業中つい消極的になってしまっていた典型的な日本人のわたしにとって、彼との出会いはかなり大きな価値観の違いを感じさせる興味深いものでした。

その後単身イギリスに渡航した彼とは、最近はあまり連絡を取れていませんが、異国の地でも必ずや日々を力強く、逞しく生きていることと思います。

正直5週間で自分の英語力が大きく変わったとは思いませんし、留学エージェントのずさんな対応が原因で色んな場面でゴタゴタが発生し、精神的に消耗することも多かったのですが、総合的に考えるとやはりしてみてよかった経験だったな、と思っています。
引退する頃にはコロナが古い過去のこととなっていて、当たり前に海外旅行や留学ができる世界線になっていることを祈りつつ、今度は現地に渡航して留学してみたいな、と考えています。

②パーソナルカラー診断

もう一つの大きなイベントが、「パーソナルカラー診断」でした。これは最近女性に大流行している、肌の色を見ることによってその人に似合う色を診断してくれるというものです。ずっと興味がありつつも良いタイミングがなく手が出せていなかったので、思い切って行ってきました。パーソナルカラー診断に加えて「骨格診断」(骨格の形を見て、似合う洋服の形を教えてもらえる)と「顔タイプ診断」(顔のパーツの形や配置を見て、似合うメイクや服装の雰囲気を教えてもらえる)も合わせてしてもらいました。お値段は3万円と、興味を持って値段を尋ねてきた女子の友人ですら目を剥くほどでしたが、今後知らず知らずのうちに似合わない洋服やメイク用品をたくさん買ってしまうことを考えれば、安いものとまでは言わないけれど、初期投資として払う価値があったように思います。

わたしは昔からラベンダー色が大好きで、高校時代は文房具やカバンにつけるキーホルダーなど、持ち物のほぼ全てをラベンダー色で固めていたぐらいなのですが、その色がわたしに似合う色だということがわかり、とても嬉しくなりました。おばあちゃんになっても、ラベンダー色の洋服、ラベンダー色のメイク用品などラベンダーグッズを集め、身につけ続けようと思います。また、着ると普段より太って見える気がする服を数着持っており、もっと痩せればそれらの服も似合うようになるはずだとずっと思っていたのですが、原因は体重ではなくわたしの生まれ持った骨格の形だった、ということもわかり目から鱗でした。

インスタグラムで検索して、雰囲気の良さそうなサロンを選んで足を運んだのですが、診断してくださった講師の方が想像通りの素敵な方で、話しているだけで幸せなオーラが伝染して自己肯定感が上がっていくようでした。色々と知識を身につけられて参考になっただけでなく、自分の自信に繋がるようなとても良い時間を過ごせたため、オンライン留学の合間の良い息抜きになりました。

<心境>
好き勝手に過ごさせていただいていた自分の様子を色々と書いてきましたが、そもそも何故休部することになったのかといえば、わたしが部活をやめようとしていたからです。昨年の10月に、昨シーズンいっぱいで退部すると決めました。11月末に対抗戦が終わってから一部の人に少しずつ話し始め、その後話し合いや自分との対話を重ねたのち、部活から一度離れ、頭を冷やした状態で考え直すために休部期間をいただくこととなりました。先述したような、普段ならできないことをさせていただきながら並行して部活について考え続け、その結果自分の中で、他のことに足を踏み出すよりも部活を続けるべきである、という結論に至ったために戻ってきた
という、そんな目まぐるしい半年間でした。

今のわたしは、入部してから一番ポジティブな気持ちで部活に向き合えているように思います。そのことがとても嬉しいです。

昨シーズンは、シーズンの途中で仕事を放棄してフェードアウトすることへの違和感や申し訳なさから、やめると決めてからもシーズンが終了するまでなんとか部活には行き続けたものの、かなり苦しい毎日でした。最後までやり切ることのないまま去ると決めたものに対してモチベーションややりがいを見出すことはとても難しく、練習中には注意散漫になり、練習時間外の仕事のクオリティも下がり、そんな自分に嫌気がさし、また気持ちが沈み…と何度も悪循環を繰り返していました。

休部中も、部活から一旦離れさせていただいたことでだいぶ楽にはなったものの、かろうじて続けていた僅かな量の部の仕事をするのすら億劫でした。部活を続ける決心がついてからも、続けるべきだと思っている頭に心が追いつかず、部活のことを考えただけで泣きそうになりました。そのまま、万全とは言えないモチベーションの状態で戻ってきたのですが、先述の通り現在は過去にないほど好調子です。

昨シーズンまでに比べると仕事量も忙しさもだいぶ増したにも関わらず、しかも一度100%の気持ちで退部することを決めた身であるにも関わらず、なぜ今こんなに純粋に部活を楽しめているのか正直自分でもよくわかりません。けれど、復帰してから、自分の中で「良い気の流れ」が起きているように思うことがよくあります。

4月末に、広報活動に使うためのデータをたくさん入れていたハードディスクが突如うんともすんとも言わなくなり、全てのデータにアクセスできなくなるという、部活史上最もアンラッキーな出来事がありました。無料見積もりに出したところ、壊れ方は「壊滅的」で、データ修復には9万5000円もかかると言われてしまいました。パーソナルカラー診断を3回してもお釣りが返ってくるような金額の前に大学生のわたしは完全に無力で、泣く泣く修復を諦めたのですが、妙に落ち着いている自分がいました。流石に数日は深く落ち込みましたが、時間が経つとともに「就活が始まって忙しくなる前でよかったな」「試合の直前に壊れて試合告知が間に合わなくならなかっただけマシだな」「このデータは消えたけどこっちのデータはGoogle Driveに保存されてたんだ、よかった」などと、次々とポジティブな感想が浮かびました。これは、元々かなりのネガティブ思考の持ち主であるわたしには珍しいことで、自分に少し変化が起きていることを感じました。(その後、新しいハードディスクを購入し、細心の注意を払って使っています。)

朝練時の早起きも、部活が楽しいので以前ほど苦ではなくなりました。スッキリと起きられるので、以前練習日には全く力を入れていなかったメイクや洋服選びをきちんとする心の余裕ができました。時間ギリギリを攻めていた休部前に比べると毎日30分ほど早く起きているのですが、あまり負担になっていません。というよりむしろ、メイクをしない人にわかってもらえるか不明ですが、メイクを丁寧にするとなんとなく気分が上向きになるというか、ご機嫌になれて、部活により前向きな気持ちで取り組めます。こんな風に、何か悪いことがあっても自分が負のサイクルに陥ってしまうことを防げたり、自分の気持ちが明るくなる取り組みを行えたりと、以前はなかった好循環が出来上がっているような気がします。

結局、好循環も悪循環も気の持ちようなのだと思います。けれど、その気の持ちようというのがとても難しく、時に努力や気合い、願望といったものではどうにもならないことがあります。事実これまでの2年間は、一定の熱量と誠意を持って仕事に取り組みつつも、部活が楽しくて仕方がないと胸を張れた時期は、退部を考え始める前ですらほぼありませんでした。入部して3年目、せっかく今いい状態が作れているので、アンディのようにとまでは言わずとも、休んでいた時期を取り戻すような積極的な姿勢で、最大限に楽しみながら部活に関わっていきたいです。そして、仮にまた色々と考え込んでしまう時が来たとしても、一度した決断を覆してまでラグビー部に戻ってきた自分の存在を見つめ直し、乗り越えていきたいと思います。

後輩も多くできた今、かつてのマイナスな状態の自分について書いていいのか少し迷いました。けれど、この半年でのわたしの最も大きな変化は「部活の人に対して弱さを見せられるようになった」事だと思っています。半年かけて、たくさんの人と話をしました。その中で、部活に対して常に真っ直ぐ向き合っていて、ひたすら強く見えた先輩がかつて抱いた悩みや、日頃は明るい同期が感じていた痛みなど、これまで知る由もなかったものを多く知りました。今までわたしただ一人が感じていると思っており、部員の誰にも言えないでいた葛藤は、思っていたよりも深い共感をもって聞いてもらえました。とても気持ちが楽になっただけでなく、自分の部活の捉え方・部活に対する考え方が随分と変わるきっかけとなりました。意地にも似たプライドを持ち続けるよりも、困った時にその思いを誰かに吐露してみることの方が有意義に働く、そんな基本的な学びを得た今回の出来事の総括として、このような内容のリレー日記を書かせていただきました。

悩んでいた時期にお世話になった方々、本当にありがとうございました。真正面から向き合い相談に乗ってくださった人はもちろん、核心に触れることはないけれど、気遣ってくださっていることやその優しさがひしひしと伝わってきた人、久しぶりに部活に行った際に笑顔で迎えてくれた人などなど、全部がとっても温かくありがたかったです。皆さんのおかげで今部活を楽しいと思えているのかもしれないです。恩返しができるよう、頑張ります。

リレー日記史上最も長いのではないかという量の文章を最後までお読みいただき、ありがとうございました。

次は、つい目がとまるような美しいパスを投げる、4年生の垣内さんにバトンを渡します。正直、1年生の時は垣内さんのことがかなり怖かったのですが(ごめんなさい)、今では安心して頼れる、有能かつ優しい先輩だと思っております。昨年班が同じだったスモブラでは、垣内さんのお茶目で可愛らしい一面をたくさん発見することができ、非常に嬉しかったです。
 
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2024年4月

<<前月翌月>>
2024/04/14(日) 18:53
気まずいとき~
2024/04/11(木) 18:00
手術無事終わりました!
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