東北ボランティア活動報告

2011/07/05

東北大学戦終了後の7月3日(日)、東北大学ラグビー部と東京大学ラグビー部の有志が合同で、3月11日の東日本大震災で被災された岩手県釜石市と宮城県石巻市の復興支援ボランティアを行いました。
今回のボランティア活動を部員による活動報告レポートにて紹介します。

東北ボランティア活動報告(石巻市) 2年 安井 智哉

石巻専修大学グラウンドにて、石巻高校、宮城水産高校、石巻ライノスと合同練習を行いました。天候にも恵まれ、ラグビーを通して多くの人と交流することができました。
高校生との合同練習では練習相手となりラグビーを指導し、石巻ライノスの小中学生とは一緒に純粋にラグビーを楽しむことができました。
この交流を通し被災地を応援する気持ちが少しでも届けられたかと思います。



東北ボランティア活動報告(釜石商工高校ラグビー指導)2年 永田 武
3日(日)に、東大、東北大の部員15名で釜石商工高へ行き、ラグビー部の練習に参加させていただきました。
2時間程の短い時間でしたが、ハンドリングやコンタクトの練習を一緒に行い、とても有意義な時間を共有できました。
釜石商工のラグビー部員は、数こそ少ないながら、体の大きい部員、ハンドリングの上手い部員、スピードのある部員、タックルの上手い部員がおり、実際に彼らの試合での活躍を見てみたいな、と思いました。
また、我々も負けてはいられないな、と刺激をいただきました。

釜石と駒場、物理的距離こそありますが、釜石商工の部員は全国大会予選に向けて、我々は対抗戦に向けて、互いに努力し、良い結果を報告しあえるようにしたいと思います。


東北ボランティア活動報告(根浜清掃奉仕、ダニエル・ブールー氏ほか6名による被災地でのフランス料理サービス) 2年 永田 翼
宝来館に着いたのは深夜だった。東北大から釜石に移動するバスの車内で東大ラグビー部OBの村田祐造先輩が釜石駅より先は津波被害が大きく、がれき等がまだ多く残っている状態、とおっしゃっていたのだが、そのような言葉を聞いた後でもなお、日常から非日常への急激な変化は恐ろしいものがあった。
宝来館は東大ラグビー部が以前釜石に遠征したときにお世話になったホテルだそうだ。我々を出迎えたのは津波の痕跡。破壊された旅館の入り口。潮の香りと静粛に響く波の音は海が再び迫ってくるのではないかと思わせた。
正面が破壊されていることもあり、側面の非常階段から建物の中へ。幸いにも電源が回復しており、床につくのに不便はなかった。暗闇ながらもがれきの山を目の当たりにしたこともあり、果たして短い時間で自分に何ができるのだろうかと戸惑いつつ寝た。
3日はさわやかな朝を迎えた。玄関前に下りたとき、海がすぐ近くにあったことに驚く。朝食は宝来館の女将さんがいらっしゃり、おにぎりと豚汁を振る舞ってくださった。その時の豚汁の温かさは良く覚えている。
 朝食後は釜石商工でラグビー指導をするグループを見送り、清掃作業を開始。最初に館内を掃除する組と力仕事でがれきを除去する組に分かれる。私は力仕事組に配属されることに。最初の敵は津波で使い物にならなくなった畳。一階にまとめられた数十枚に及ぶ畳を運び出した。次は同じく館内に置いてあった自動販売機。全員で持ち上げて運ぼうとするも、あまりの重さにこの方法は断念。四方の角のうちの一つを軸にして回転させたり、短時間持ち上げて段差を超えたりした後、最終的には二台の台車で外に運び出すことに成功。おそらくこの清掃では最大の成果だろう。
 この二つを片付けた後は外へ。旅館と海を隔てる保安林の清掃を行う。ラガーマンのパワーはここでも発揮されることに。数箇所にまとまって散らばっている木の残骸を重機が回収できる位置まで運ぶという仕事。木の大きさによっては二人がかり、三人がかりのものもあった。簡易トイレの解体や折れた電柱を運んだりもした。夏にはここでコンサートを行うとのことで、開催の一助になれたようで何よりである。
 最後に、今回の清掃を指揮した灘副将のリードで部歌を斉唱。宝来館と釜石市へ復興を祈願してエールを送った。その後バスに乗り込み、ラグビー指導組と合流する。
 その後釜石シーウェイブスのクラブハウスへ。そこで今回のイベントの詳細な説明を受ける。どうやら、思っていたより遥かに大きなイベントらしかった。イベントの内容は、ニューヨークのフランス料理の三つ星シェフ、ダニエル・ブールー氏らが釜石の避難所の方向けに千食以上の料理を提供するというもの。我々ボランティアの仕事は外国人シェフとのコンタクト、食事用のテントでのゴミの片付け、その他遊撃に分かれる事に。私は当初食事用のテント付近で活動していたのだが、遊撃に移行。長時間並んでいる方々に対して、水やジュースを配布したり、料理の小皿を入れる箱を回収したり配ったりと変化する状況に応じて行動した。その後、設備の片付けを手伝い、帰りのバスへ。

 今回のボランティアを通して、どれぐらい現地の人々の助けになれたのかはわからない。少しでも力になることができたのなら幸いである。また、昼の移動中にバスから見た、赤い旗が一面に立てられ、霧がたちこめているという光景がとても印象深かった。震災が起きてからもうすぐ4か月になろうとしている。しかし、がれきの撤去が進んでいない地域がある。その現実を突きつけられ、まだ何かできることがあるのではないか、何かするべきではないかと思わずにはいられない。
今後も東大ラグビー部として被災地のために何かできるのであれば、私は前向きに参加したいと思う。そして、復興を遂げた釜石を訪れることができる日が一日も早く来ることを信じてやまない。

 

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