ラグビー部リレー日記

前期教養学部について

投稿日時:2026/05/09(土) 20:22

 河村さんからバトンを受け取りました2年の森保です。河村さんはパッションあふれるプレーでチームを沸かせる存在です。僕が一年の時にDLにいらっしゃって、ラインアウトのパス練に付き合っていただいたことをよく覚えています。先輩が文句をつけられないようなパスが投げられるようにがんばります!

 河村さんは本郷から駒場への行き方について書かれていましたが、私はまだ前期教養課程に所属しているので、本郷にはまだ通っていません。とはいえ、夏頃に新振りが行われ、もうあと数ヶ月で(おそらく)本郷にも通うことになります。多くの人は、東大もめんどくさいシステムを考えたものだ、と思っているのではないでしょうか。前期教養学部なんか無くして、最初から専門を学ぶ制度にすれば、点数の心配もせず、好きなことだけ勉強できるのに、と。
 確かに、点数の心配をしたり、諸々の手続きをしたりすることはめんどくさいですが、しかしやはり前期教養学部を設けている東大の理念には素晴らしいものがあると私は考えています。そこで今回のリレー日記ではなぜ東大に前期教養学部があるのかについて私見を述べたいと思います。
 さて、結論から言えば、教養学部はあらゆる学問分野に共通して必要となる倫理観を形成するために存在しているのではないか、と私は考えています。
 東大生が比較的高い能力を持っているというのは入試の難易度を見ても確かでしょう。しかし、その能力を社会のために、有効に利用できているかということには議論が必要です。1995年の地下鉄サリン事件では東大出身を含むエリートが犯行に関与していました。能力をどのように用いるかは能力の多寡によらない。これをJ.S.ミルは「有能であること」と「賢明であること」の違いと表現しました。彼は大学教育の任務として、後者の「賢明さ」を涵養することであるとき、「人々が大学から学び取るべきものは専門知識そのものではなく、その正しい利用法を指示し、専門分野の技術的知識に光を当てて正しい方向に導く一般教養」であるとしたのです。
 ではなぜ一般教養が賢明さを向上させるのでしょうか。ミルはこれについて詳しくは言及していませんが、私は、幅広い知識が人々の共感する力を増大させるからであろうと考えています。アダムスミスが、著作「道徳感情論」において、「共感」をし、心に「公平な観察者」を置くことこそが自由な経済活動の前提として必要だと主張したことは有名です。高い能力を単に利己的に利用しないためには、他者の気持ちを慮ることが必要ということでしょう。しかし、私たちは知らないことに対しては、なかなか共感できません。一般教養として多様な世界の側面を学ぶことは、私たちの日常的常識の範囲の外側でも「共感」する力を身につけ、ひいては自らの能力をどのように発揮させるかという倫理観を形成することにつながるのでしょう。
 ここまで前期教養学部の存在意義について考察してきました。最近ではAIの進化に伴い、哲学・倫理学を専攻する人材の重要性が増しているといいます。確かにこれらを専修した人材も重要ですが、倫理観をもっぱら専門職に預けるようになっては本末転倒でしょう。少なくとも東大を出る学生は、前期教養学部で培う自らの倫理観によって、自分の行動を決定しなければならないのではないかと思います。

 次は3年の坂田さんにバトンを渡します。パス、ラン、キック、あらゆるプレーが素晴らしく、ずっと見ていたい選手です。今は怪我をされていますが、早く同じグラウンドでプレーできる日が来るのを待っています!
 

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