ブログ 二宮 樹輝さんが書いた記事

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ICHI-COOL[ラグビー部リレー日記]

 written by 二宮 樹輝投稿日時:2024/01/26(金) 18:39

3年の二宮です。筑波の高身長と突き刺さるタックルには期待しかありません。ラインアウトを磨いてボール獲りましょう。



 



私が3年間も在籍している教養学部、その学生生活についてお話ししたいと思います。



 



晴れて入試に合格した学生のほぼ全員は、東京大学教養学部で2年間過ごしますが、その間に外国語2言語を含む教養科目を学びます。言語に興味を持てないクラスメイトは課題に四苦八苦していました。



同学部の前身、旧第一高等学校は試験を突破した16歳(飛び級卒業)か17歳が入学して、今でいう科類ごとに英語やドイツ語、フランス語などを叩き込まれますが、それらは生徒たちにとって必須知識でした。というのも、大学の授業は外国語で行われていたからです。ほぼ母国語一本で高等教育が受けられる現代のカリキュラムに救われた大学生は多いのではないでしょうか。



 



東大運動会には47の運動部が所属し、スポーツに打ち込んでいますが、旧制一高の野球部など、流行のスポーツをいち早く取り入れ、実力においても傑出した実績を残していました。



 



東大教養学部生は2年で後期課程に進学しますが、旧制高校生は卒業後、ほぼ無試験で帝国大学への進学を予定していました。一高に入学した時点で、東大入学が約束されたようなものなので、生徒は進路に悩まず自由な生活を送っていたそうです。「伊豆の踊子」など、二十歳前後の高校生が放浪する作品が多く残っています。



 



一高生も駒場の東大生も、はっちゃけて留年を重ねると除籍となり追い出されてしまいます。私はそうならないように頑張ります。



 



次は同じ3年の塩谷です。こちらも頼れる大男。腕が治ったらまた器用なLOを見せてください。待ってます。

quaero[ラグビー部リレー日記]

 written by 二宮 樹輝投稿日時:2023/10/14(土) 19:25

お久しぶりです。3年の二宮です。和田くんと一緒に卒業できることを楽しみにして、取り残した必修科目に取り組んでいきます。


 

 


 

今年のチームスローガンである、conquerの語源について触れる機会がありました。



教養課程で豊富に選べる外国語の授業。数千年前の古典語であるラテン語も学べます。現在でも話されているヨーロッパの諸言語とのつながりを感じることができる、おすすめの講座です。今セメスターの履修登録はもう始まっていますので、手続きはお早めに。


 

 


 

ラテン語のquaero。探すという意味の動詞で、同様に英語のacquire(獲得する)、quest(探し求めること)のもとになっています。


 

それに、英語のcomplete(完全な)などにも付く接頭辞、con-を足して、「完全に手に入れる、征服する」conquerになります。


 

 


 

対抗戦A昇格をかけて、全ての対抗戦とその先の入れ替え戦の勝利を目標に掲げ、一つ一つのコンタクトで圧倒することを目指す東大ラグビー部の標語にふさわしいと思います。


 

また、古典語から生まれたこの単語を合言葉に、東大ラグビー部104期(!)の一員としてプレーできて光栄です。


 

 


 

そんな東大ラグビー部よりも長い歴史を誇る、甲子園大会。夏の大優勝旗に記されたラテン語の一節で締めたいと思います。


 

victoribus palmae(勝者たちに栄冠あれ)

次は2年生の宮田くんにバトンを渡します。元気な笑顔がとにかく印象的で、いまも練習後のニコニコは健在でした。

東大はアルゼンチンか、日本か[ラグビー部リレー日記]

 written by 二宮 樹輝投稿日時:2023/04/27(木) 16:36

いつもお世話になっている松浪からバトンを受けとりました、新3年生の二宮です。昨シーズンでスタッフが引退されてからは一層せわしなく働いています。助けてもらった分だけ活躍したいのですが、私はなかなか借りを返せずにいます。



関東の対抗戦グループがA、Bに分かれてから26年。この間に入れ替え戦で昇格・降格したのは6校。


まず、日体大と明治学院大は2013年、続く14年と二度入れ替わっています。

青山学院大、成蹊大、立教大は降格から数年間Bグループで過ごしましたが、3校ともBグループでは毎年首位の座を守り、昇格していきました。

さらにこれらは二十数年にそれぞれ一度きりの、乱れでしかないといえるでしょう。

対抗戦A、Bは、たとえAの下位校とBの上位校であっても、上下関係が逆転することはほとんどありませんでした。



対して東大は、2002年に降格して以来、入れ替え戦にすら出場できていません。



世界の先進国は先進国であり続け、途上国はいつまでも途上国のままであり、その例外は成り上がった日本と、落ちぶれたアルゼンチンである、という言葉があります。



対抗戦グループで例えると、Aの各校があり、Bの各校があり、それらとは別に東大があるということになります。

東大の対抗戦A昇格は、単に東大として初めての事例であるだけではなく、アルゼンチンが日本になるということ、対抗戦グループに初めて成り上がりのチームが生まれるということです。



歴史から順当に進めば、順当に進んでしまえば、23年シーズンは日体大がAに帰って終わることになります。この26年間の中では珍しく、グループ構成に乱れがある年にプレーできる私は、対抗戦の歴史が変わる真っ只中にあると考えると、たまらなく嬉しいです。



次は新2年の猿渡です。文字通り飛び抜けた長身でどこからでも見える彼ですが、今は手術のため目にしていません。持ち前のタフネスでリハビリも乗り切ってくれると信じています。またスクラムで会いましょう。


 

運動会のなかまたち[ラグビー部リレー日記]

 written by 二宮 樹輝投稿日時:2022/11/16(水) 15:39

私の出身高校の姉妹校、渋谷にある渋谷渋谷高校出身の倉橋からバトンを受け取りました、同じく2年の二宮です。キラキラした経歴をもち底なしに明るい彼は、練習で声を張り上げてチームを鼓舞してくれます。コンタクトで彼に当たり勝てるようにボディコントロールを教えてもらいたいと思います。















東大ラグビー部はその正式名称を「東京大学運動会ラグビー部」とする通り、東京大学の運動会に所属しています。運動会には他にも様々な運動部があり、今回はそれらについてお話ししたいと思います。















漕艇部







日本で一番古い部活を称する漕艇部。東大のスクールカラーが淡青になったのも、この漕艇部と京都大学の試合で使われたボートの色に由来するそうです。ラグビー部の合宿先で漕艇部のボートが置かれていたことがありましたが、移動用の大型バスと比べても長く感じました。一橋大学との伝統の対校戦が楽しみです。















野球部







運動会の中で、私が試合を観戦できた唯一の部です。その日はトレーニングのために仕方なく試合途中で球場を後にしたのですが、ちょうど東大のホームランを見逃してしまいました。六大学野球で奮闘する野球部の劇的なホームランをいつか生で目撃したいです。















アメフト部







学生食堂でトレイいっぱいに乗せた白米にがっつくアメフト部員の姿を見て、食事のモチベにしているところがあります。強豪がひしめく関東大学リーグ1部上位8校、TOP8で戦う彼らには、私立大学チームを強く意識する私が学ぶべきことがたくさんあるでしょう。アメフト部の勝利の秘訣は?試合を観て答えを見つけます。















運動会に属する部の一つとしてラグビー部ができること、その一員として私ができることを考えて残りのシーズンを過ごすつもりです。















次は1年の礒崎結衣にバトンを渡します。水筒が詰まったカートをガッと引っ張って水を運んで来てくれるゆいちゃんには感謝しています。1年生のスタッフには現役4年間のうちでも長くお世話になるので、応援してもらえるよう頑張ります。



 

駒場の土[ラグビー部リレー日記]

 written by 二宮 樹輝投稿日時:2022/05/26(木) 18:27

 B級レフリーを目指して強化試合で経験を重ねる同期の佐々木からバトンをいただきました、2年の二宮です。
練習前に毎日走りこんでフィットネスを鍛え、練習でもレフリングを行って過酷な仕事をこなしています。
普段から付き合い悪くてごめんなさい、こんど同期みんなで遊びましょう。


 部員が日々集う駒場グラウンド。2006年からは人工芝となりましたが、その一枚下には長い歴史が積み重なっています。

 明治17年(1884)の平面図。そこには泰西農場と呼ばれる、西洋流の混合農業を研究する畑が広がっていました。農学に関する日本初の教育・研究機関、駒場農学校は1878年に開校。ドイツ農法にならって日本近代農学の発展に貢献しました。
 ちなみにクラーク博士で有名な北海道大学の前身が、アメリカ農法を学ぶ札幌農学校です。

 東大ラグビー部が創立される1921年になっても、駒場にグラウンドはありません。
 そのころ各地の研究・教育機関は統合を進め、駒場農学校も農科大学、農学部として東大を構成しました。1923年の関東大震災で多くの学部が壊滅的な打撃を被る中、木造建築が多い農学部の被害は軽微でした。900番教室の南に残る石碑は駒場農学60年の歴史を伝えています。

 1935年には第一高等学校が農学部と用地を交換。熾烈な入試をくぐ抜けて(旧制)高等学校に入れば、帝国大学にエスカレータ式に進学できました。現在は1、2年生が前期課程を過ごす教養学部のキャンパス。一高同窓会の「一高ここにありき」碑は、ラグビー場へ向かう学生を1号館と900番教室の間から静かに見守っています。
 一高の地図を見ると「蹴球場」の文字。野球場や陸上競技場にはさまれ、駒場グラウンドの姿がありました。試合記録によると、「駒場球場」に代わって1930年から「駒場グランド」が用いられるようになります。現在のグラウンドは1930年に設置され、東大ラグビー部の90年間の活動を支えてきたと考えられます。東京大空襲で多くの建物が焼失、残ったものも後に建て替えられた中で、駒場グラウンドは一高の風景を残す一角となったのではないでしょうか。

 駒場グラウンドはたくさんの名勝負の舞台になりました。長年にわたって続く対抗戦・定期戦、海を越えてソウル大学との試合も、この地で行われてきました。部室には、対戦校と交換したペナントや2021年の京大戦で獲得した谷村楯が並び、東大ラグビー部に刺激を与え歴史を外から支える他部の足跡が感じられます。

 ホームゲームとなると、慣れ親しんだ地で繰り返した練習を思い出し自信が湧く、と聞きます。私はこのような歴史をもつ駒場グラウンドに対して一層思いが強まります。
 駒場140年の歴史の一つになれるような試合を目指して精進してまいりますので、今後ともご声援をよろしくお願いいたします。


 次はパワーとスピードで東大XVを支える4年生のプロップ後藤さんです。フランカーで培った運動量を活かして100kgの巨体が高速で飛んできます。さらに練習でも部の最上級生としてあるべき姿を絶えず追求される、あこがれの先輩です。後藤さんのように首から脚まで太くなれるようにがんばります。
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