VOICE:2001年

「復帰するにあたって」   深津 晋一郎


 納会、卒業生の慰労会でしこたま酒を飲み、ほろ酔い気分で家に帰ってきた。家に着いて、会報でも読もうと思ってページをめくっていたんだけど、馬鹿らしくなってやめてしまった。後輩に貰った写真をひとしきり見て、布団に潜ったら、なぜだか分からないけど涙が溢れた。


そんな訳で、こんな夜中に僕は文章を書いている。


 今日はOB、後輩、コーチ陣と一緒に酒を飲み、ひとしきりラグビーの話をした。OBは昨シーズンの2勝を肴に盛り上がり、同期の仲間は腹の底から叫ぶようにカラオケを唄っていた。でも、正直に言って僕にとってはあまり楽しい酒ではなかったように思う。


 最近ラグビーの話になると、どうしても僕は昨年の試合を思い出してしまう。11月4日、忘れもしない筑波戦。あの試合で僕は二度ターンオーバーをされた。「筑波のディフェンスは外側でターンオーバーを狙ってくるからBK陣は要注意だ」とミーティングで言われ続けてきたのに、それでも僕はターンオーバーをされた。頭では分かっていた筈なのに、身体は反応しなかった。自分がイメージしていた通りに、身体は動いてくれなかった。これじゃ駄目なんだと気付いた頃には、僕はもう二度もボールを獲られていた。そしてあの試合、僕は前半早々瓜生(FB)に抜かれてトライを許した。しつこいディフェンスは勝利への絶対条件だと分かっていた筈なのに、チームのディフェンス網に最初に綻びを作ったのはこの僕だった。自分が頭の中でイメージしていたプレーと現実の乖離。スコアボードを見た時、すでに僕たちは30点の失点を許していた。


 そして、そのままゲームに負けた。


 ラグビーのことを考える度に、僕はあの試合を思い出してしまう。


 周りの人達は皆、「昨年は2勝した」と言う。そう、2勝した。それは、今までの部にはなかった経験で、今後に続く大きな財産だと思う。あの日グランドに立っていられて僕は本当に嬉しかったし、それはかけがえのない僕の思い出だ。でも、青学戦の勝利から1ヶ月、2ヶ月という時が経つなかで僕は、昨年は5敗したんだと思うようになった。そして筑波戦は、僕にとってそのことを象徴するゲームだった。

だから、納会が終わった今でも、僕はあの試合のことを考えると涙がこぼれそうになる。


 卒部してからの僕は、機会あればいつもラグビーの試合を見に行っていた。学生の試合だけでなく、社会人の試合も多く見た。筑波の藤岡は小さい体をフル稼働して再三の好タックルを決めていた。法政の両センターは自分の体を捨てて対面を殺していた。NECのニールソンはただ敵を倒すだけでなく、執拗にボールに絡んでターンオーバーの山を築いていた。トヨタの難波は自軍の勝利が決まっている状況でも、敵チームのコンバージョンをチャージしていた。神鋼の大畑は物凄いスピードで対面を抜き去っていた。凄いCTBは何人もいた。そんな事は当たり前で、今さら気付くようなことではないけれど、僕はその事実を素直に受け容れられなくなっていた。僕は単純に悔しかった。大学選手権の1回戦を見に行った時、それなりに集まった観衆の前で、格上チーム相手に好タックルを連発した藤岡を見て、感動したのと同時に僕は帰りたくなった。「あの試合に勝っていたらこの場にいるのは僕たちだった」なんて今言っても何にもならない。ただ、悔しいだけだった。凄いCTBなんてそこらじゅうにいる。そういう人達のプレーを見ながら僕は、自分では高く設定してきたつもりの目標がまだ全然低かったという事実に否応なしに気付かされた。目標を常に高く設定し、それに向けて身体を苛め抜く。そういう事をしてきた選手のプレーは見れば分かるし、そこにはやっぱり感動を誘うものがあった。


 そしてやっぱり思い出す、筑波戦。


 僕は本気で勝ちたかった。本気で勝てると信じていた。周りの人間を感動させたかった。自分の実力を出し切って、ラグビーをエンジョイしたかった。そうだ、思い出した。あの日僕は、試合前のウォームアップを終えて着替えに戻る途中、藤井に「今日の目標はエンジョイだな」って言ったんだった。「Enjoy&Confidence」は水上さんが考えた言葉で、僕たちはいつもその言葉を書いたテープをジャージの襟に貼り付けて試合に臨んでいた。でも、まだ僕は本当のエンジョイを感じたことがなかった。悔いの全く残らないゲームなんて一度もなかった。だから、選手権出場をかけたその試合で、僕はエンジョイしてみせたかった。本物のエンジョイ。そこには感動があるはずだったし、それが達成できた時に結果はついてくるはずだった。

でも、やっぱりエンジョイできなかった。それどころか、僕がゲームをぶち壊した。


 グランドで最高のパフォーマンスをすること、悔いの残らないプレーをすること、それは僕が入部当初思っていたより遥かに難しいことだった。それは一朝一夕に出来ることではなかったし、日々の努力で身体に刻み込まれたものがなければ決して出来ないことだった。そのことが分かった時、僕はたった一度の筑波戦を終えてしまっていた。大芝も今日の納会で言っていたけど、それぞれの試合がたった一度きりのもので、そこには無限のリスクが潜んでいる。僕たちの筑波戦は、もう戻っては来ない。


 本物のエンジョイってのは、一体どんなものなんだろう。僕はそれを目標にしながら、まだその姿を掴めずにいる。いつも悔いは残る。うちの母は、「後悔の残らない人生なんてないでしょう」と言っていた。人生には常に選択があって、そこには常に多かれ少なかれ後悔があるような気もする。でも、とにかく僕はエンジョイしたかったんだ。自分が好きで選んだラグビーというスポーツで、そのグランドの上で、たった80分間の試合の中で、僕はエンジョイがしたかった。感動し、感動させたかった。僕の4年間は、結局のところその為にあったのだから。


 宋が昨シーズン最初のミーティングで「ラグビーに恩返ししよう」と言っていたのを思い出す。ラグビーに恩返しする。それは、ラグビーを通じて築き上げた自分の生き様の全てをグランドで証明することだと思う。そして選手にとっての生き様はひとつひとつのプレーそのものであるなら、それはつまりエンジョイすることなのかもしれない。「ラグビーに恩返ししよう。」そういえばあいつは、そんなことを言っていた。


 ここから先は後日談になるが、その後ある知り合いの方に借りたビデオを見た。89年度慶應大学蹴球部のドキュメント。その年の慶應は、前年までの不振を乗り越え対抗戦6勝2敗の成績を残した。そして大東大との交流試合に臨むが惜しくも敗れて、選手権出場は叶わぬままシーズンを終える。そのビデオは慶應の猛練習とそれでも愚直に練習を続ける彼らのメンタリティに注目したもので、時代遅れと言われながらひたむきに棒ダミーに突き刺さる選手の姿が何度も映し出されていた。彼らの克己心は凄まじいものがあったし、実際に今では考えられない程に自分を追い込む練習量だったんだと思う。


 そのビデオは、大東大に敗れた後の主将、副将のコメントで締めくくられているんだけど、主将の立石は「よかったです。いい人生の思い出ができて、『ありがとう』という言葉しか出てこない」と答えていた。ビデオは全体としても感動を呼ぶものだったけど、僕には立石のこの言葉が最も印象的だった。なぜなら、今の僕には言えない言葉だから。もちろん僕もいい思い出をたくさん作れたし、それはかけがえのない財産だし、4年間は充実していたと思う。でも、僕にはやっぱり立石のように言うことはできない。「ありがとう」の気持ちの次に、「だけどあの時、、、」って気持ちが続いてしまうから。彼は最後の試合をエンジョイしたんだろうか。彼はその試合の自分のプレーに、そしてチーム全員のプレーにエンジョイを感じることができたんだろうか。それは今の僕には推測するしかないことだけど、自分なりのエンジョイを掴んだなら、そんな言葉を素直に言えるんじゃないかなって思ったりもする。


 ラグビーに恩返ししよう。宋はあの時、そう言っていた。