ラグビー部リレー日記

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かごんま、ひさかぶい

 written by 奥山 敦裕 投稿日時:2024/03/15(金) 19:00

新3年生の猿渡からバトンを受け取りました、新4年の奥山です。
猿渡は、表裏のない少年のような澄んだ心の持ち主の愛されキャラです。
彼とは、先のリレー日記に書かれている様にしばらくの間会えていません。昨シーズン末、一緒に練習試合に出ていたことが懐かしいです。
ご飯に行く約束をしているばかりか、昨年の駒場祭で一緒に食べ歩きをした際に、私が現金を持ち合わせていなかったため、お金を借り、しかも恥ずかしいことにまだ返せていません。
本当に申し訳なく思っているので、部に戻ってきたらおいしいご飯を食べに行きましょう。


2月末に1週間のオフがありました。
1月も下旬にオフがあったのですが、その時は風邪を引いてしまったうえに、オフが明けるぎりぎりまで学部の試験勉強に追われており、あまり良いオフではありませんでした。


その時に比べると、この前のオフはとても充実していました。学年会があったり(企画してくれた人たちありがとう)、就職活動の一環でワークショップに参加し、他大学の方とグループワークをして成果をほかの参加者の前で発表したりと、予定が盛りだくさんでしたが、何と言っても2泊3日で3年ぶりに鹿児島を旅行したことは忘れられない、良い思い出です。

過去のリレー日記でも度々触れていますが、私は実家が福岡の北九州にありながらも、中高の6年間は、自分が行きたい学校が鹿児島にあったため、親元を離れて鹿児島で過ごさせてもらいました。
東京での生活も4年目を迎えようとしており、東京ならではの人の多さや忙しなさに慣れてきたところで訪れた鹿児島は、在学中とは違った一面を見せてくれました。
ガタンゴトンと音を立ててゆっくり走る路面電車や雄大な桜島、鹿児島ならではの美味しい飲食店(鶏飯、うなぎ、豚骨ラーメン、黒豚のしゃぶしゃぶ、焼肉など)が立ち並ぶ天文館など、確かに自分がいた頃と何ら変わらない景色ではあったのですが、一度東京に馴れた状態でそれらに触れると、とてものどかで、どこか東京よりも時の流れがゆっくりしている様に感じました。

久しぶりに聞く鹿児島弁も懐かしく、聞き心地がよかったですし、興味があって訪れた維新ふるさと館では日本を近代国家として再出発させる土台を創った大久保利通や西郷隆盛といった薩摩藩の人間や明治維新について勉強になり、同じ日本人として彼らのことを誇りに思いました。

また、旅行中はお世話になった下宿のおばさん、恩師、ラグビー部の監督にお会いし、有意義な話がたくさんできました。久しぶりに会って、1日だけ一緒に練習させてもらったラグビー部の後輩たちがでかく頼もしくなっており、また、今まで面識の無かった後輩たち(私の卒業後に入部した人たち)も部の活動に高い志を持って真剣に向き合い、伝統を受け継いでいっている姿をみられたことが、この旅行中1番嬉しかったです。自分を育ててくれた場所、今回のようにふとしたときに帰れる場所があることは、ありがたいことだなとしみじみ感動していました。

鹿児島にいた頃は学校のカリキュラムについていくのに必死で、鹿児島という土地の良さを十分に認識できていなかったのかもしれません。
外の世界を知り、その中で自分自身が成長したからこそ、今回の旅が充実したものになったともいえると思います。
また次訪れるときにはどのような感情を抱くのか、心の片隅で楽しみにしながら、残り1年となった学生生活に向き合っていきます。

以上で今回のリレー日記を終わります。
お読み頂きありがとうございました。


次はサッカー日本代表の守田英正に顔が似ている新4年の倉橋です。
端正な顔立ちと、先日のレクリエーションでおこなった借り人競争ではモテそうな人として選ばれるほどの人柄で多方面からの人気を得ています。
同期内では逆バリキャラとしてその地位を確立しており、いじられても言い合っている姿を見るのが僕は楽しいです。

無水硫酸ナトリウム

 written by 猿渡 崚正 投稿日時:2024/03/12(火) 18:58

 ハードなスケジュールの中、様々な仕事をしてくださっているもりぞーさんこと森田さんからバトンを受け取りました、新3年の猿渡です。もりぞーさんは頭脳明晰かつ容姿端麗で、高い志と財力も兼ね備えた素晴らしい方です。


 一昨日は東大一般入試の合格発表日でした。合格された皆さん、本当におめでとうございます。今月末から各種新歓イベントが始まりますので、ラグビー場でお待ちしています。


 さて、先月私は腰のヘルニアの手術を受けました。この間、執刀してくださった先生をはじめ、たくさんの方々にお世話になりました。この場をお借りしてお礼申し上げます。本当にありがとうございます。


 今回の腰や昨年の肩の怪我も含め、今年度は医療機関のお世話になる機会が本当に多くありました。これまであまり病院に行ったことのなかった私ですが、この1年で人生初の手術と人生初の大腸カメラを体験してしまいました。手術については以前のリレー日記で書いたので、今回は大腸カメラについて書きたいと思います。


 あまり上品な話ではないので詳述は避けますが、今年の初め、排泄関係の相談をしにクリニックを訪れたところ、大腸内視鏡検査をすすめられてしまいました。「内視鏡検査」と聞くとやはり苦しいイメージがあり、他の方法はないか尋ねてみたのですが、お医者さんはなんだか坂本選手のようでした。検査の日にちを決めて同意書を書き、説明のパンフレットと下剤をもらってその日は終了。検査までのスケジュールは大体次のような感じでした。


1.数日前から食事制限
 検査の数日前から、油の多いものなどは控える必要がありました。腸に残りやすいものを避けて検査の精度を高めるためだそうです。そして、検査前日はさらに厳しい制限がかかります。食べてよいものは素うどん(ネギやゴマは載せない)、おかゆ(卵などは混ぜない)、白身魚(皮は食べない)などです。物足りないように思いますが、自分の体を大切にしている感じがして案外気分が良かったです。


2.検査当日は朝から下剤を飲む
 検査開始3時間半前から下剤(ペットボトルに入った液体)を飲みはじめました。下剤はレモン水に塩を大量に入れたような味であまりおいしくはなかったですが、最低でもボトル1.5本分(720 mL)は飲むようにとの指示でした。飲むとすぐ出ます。飲み続けるとどんどん柔らかくなり、最後はほとんど水になるのが面白かったです。汚い話題ですみません。ちなみに、下剤の仕組みにはいくつか種類があるようなのですが、今回飲んだタイプは硫酸塩による浸透圧変化を利用して腸の内側の水分量を増やしているそうです。学校で学んだ知識がこんなところで利用されているのを知り、少し嬉しくなりました。


3.頑張って病院に行く
 あらかじめグーグルマップで道中のトイレの場所を確認してから行きました。かなり緊張感があります。


4.検査を受ける
 私が行った病院では鎮静剤を使用した内視鏡検査が行われています。最初に入る時の異物感はありますが、そのあとは特に何も起こりません。私は日頃の疲れがたまっていたのか検査中かなり眠っていました。カメラが奥まで入っていると思われるタイミングはおなかが多少痛いですが、そこまで辛いわけではありませんでした。


5.結果を聞く
 検査が終わった後すぐ分かる項目と、時間がかかる項目があります。私は幸い、大きな異常はありませんでした。検査をしてくださった先生やクリニックの皆さんへの感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました。



 大腸内視鏡検査を受けるか迷っている人や検査を控えて不安に思っている人が、このリレー日記を読んで少しでも前向きな気持ちになってくだされば幸いです。


 次は、首がとても太いおっくんこと奥山さんにバトンを回します。おっくんは低いプレーと大人な人柄が魅力で、とても尊敬しています。また、昨年の秋からご飯に行く約束をしています。私の術後療養がまもなく明けるので、よろしくお願いします。
 

いらすとや 3

 written by 森田 明日香 投稿日時:2024/03/09(土) 18:20

同期のすばるからバトンをもらいました新4年の森田です。

すばるはいつもにこにこ笑っていて、見るだけで元気が湧いてきます。ありがとうございます。
ただ倉橋のおもしろさはまだ理解できていないようなので、これから分かってもらえるようにがんばります。


まずは、これを読んでいるかもしれない新入生のみなさん、合格おめでとうございます!

ラグビー部のリレー日記は部員の素が見える素敵な企画なので、ぜひいろいろ読んでみてください。


さて、今回も大好きな「いらすとや」について書こうと思います。
リレー日記のバトンが長らくどこかへ転がっていってしまっていたため今の時点で締切15分前なので、いつものいらすとやフォーマットを使い回すことにします。


ご存知の方も多いと思いますが、いらすとやはかわいいイラスト素材をフリーで提供しているサイトです。
資料作成に使える便利なものから、いつどこで使うのか分からないニッチなものまで、なんでも揃っているので眺めているだけで楽しいです。

では早速お気に入りのイラストを10個紹介します。

(1)洗脳


大丈夫でしょうか…


(2)本の虫

(物理)シリーズ


(3)小籠包のキャラクター

温泉に入っているみたいでかわいいですっ


(4)学期末に沢山の荷物を持ち帰る小学生

共感しかないです。


(5)深読み

大学1年生のとき英語の授業でシャーロックホームズの小説を深読みしたことを思い出しました。懐かしいです。
今もあるのかは分かりませんがおすすめの授業です。


(6)締め切りに追われる人

これは今の私ですね。いろいろな締め切りに追われているうちに、もう4年生が目の前です。時の流れははやいものです。


(7)社会の荒波

そしてこのまま社会に出たらこんな感じになるのでしょう。


(8)社畜

こうはならないように気をつけます。


(9)おにぎりのキャラクター

ここで箸休め。左から、天むす、たらこ、高菜、シーチキン、焼きおにぎりです。
どれもイメージ通りですごいです。


(10)話の引き出しが多い人

(物理)シリーズ2
こんな人になりたいですね。


と、あっという間に10個終わってしまいました。
いらすとやにはまだまだおもしろいイラストがたくさんあるので、春休みの暇つぶしにでもぜひサイトを訪れてみてください。


最後に、新入生の皆さん、



ラグビー部に入ればこんな大学生活が待っています。ぜひグラウンドに遊びに来てください



次は、優しい巨人、猿渡にバトンを回します。大きな背中に小さすぎるリュックを背負っててくてく歩く姿がなんとも愛らしいです。

東大へ、ラグビー部へようこそ!

 written by 桑田 昴 投稿日時:2024/03/09(土) 13:00

大野からバトンを受け取りました、新4年の桑田昴です。大野は長いラグビー経験からかタックルが上手です。しゃべらないと思っていましたがどうやら意外としゃべっているようです。リレー日記は期日を守りましょう。





さて、今年もいよいよ合格発表の時期です。3年前のこの時期、ピリピリしていたようなしていなかったようなことを思い出します。そういえば自転車でディズニーランドに行き、何もしないで帰ってくるといういろいろな意味での苦行をしていました。幸せそうな方々が多くいる中、ただ外からランドを眺めて帰ってきたのを思い出します。一人で自転車でどこかに行くにしても、もっといい選択肢があったはずです。さすがの自分でも冷静じゃなかったようですね。





そして合格発表ということは、新歓の季節です。新1年生のみなさん、合格おめでとうございます!きっとみなさんには、ラグビー部でのキラキラした毎日が待っていることでしょう。これを読んでいるみなさんに、私なりのラグビー部に入るべき理由を3つ紹介します。





ラグビーがたのしい!

まずはスポーツとしての競技性です。ラグビーは最高のスポーツです。15年続けている私が言うのですから本当です。球技でありながら、格闘技でもある、一石二鳥のスポーツです。思いっきり体を当てられる、全力で走れる、本当に何をしてもいいです。展開もめまぐるしく、見ていてもプレーしていても気を抜ける場面が一切ありません。





必ず自分の居場所がある!

ラグビーでは、プロップからフルバックまで、10のポジションがあります。とにかく体が強く重いこと、背が低く機動力に長けていること、足が速いことなど、ポジションによって求められる能力が違います。まさに適材適所、必ずあなたに適した居場所があります。これはスタッフでも同様です。メディカルやマネジメント、広報、スポンサーなど様々なセクションがあり、自分のやりたいことを仕事にできます。プレーヤーでもスタッフでも、必ず誰かが、あなたを必要としています。待っています!





ボールの形が変!

ラグビーでは楕円球を使います。ラグビーボールは人生の縮図。文字通りどこに転がるかわからない、ボールをひたすらに追い続ける。そこにロマンを感じます。先がわからないほど面白い。新しいスポーツをやってみたいなら是非お勧めです。似たボールを使うスポーツにアメフトがありますが、アメフトではボールはほとんど転がらないので違います。





いかがでしょうか。少しでも興味を持ってくださったなら、ぜひ駒場ラグビー場に来てください!部員一同待っています!ご連絡も大歓迎です!私に会ったらぜひ一言声かけてください!たとえ何も言われなくても私が話しかけに行きます!



新歓アカウントX(twitter)

https://twitter.com/i/flow/login?redirect_after_login=%2FTURFC_recruit

Instagram

https://www.instagram.com/tokyo_rugby_recruit/





申し遅れましたが、本年度は私が新歓委員長を務めさせていただきます。青山先生、ラグビー俱楽部の皆様、ご支援ありがとうございます。今後ともよろしくお願いいたします。





次のリレー日記はもりぞーこと森田さんに託します。理科二類から進振りで医学部に行った努力の天才です。医学部の実習忙しそうですが、財務などスタッフの仕事もこなしていて尊敬です。人間の扱い方も上手で、同期みんなが扱いに困っている倉橋を使いこなしたり、その他めんどくさいやつを軽くいなしたりしています。

 

ラグビー歴15年

 written by 大野 良太朗 投稿日時:2024/03/09(土) 08:14

 凜さんからバトンを受け取りました、新2年の大野です。凜さんは僕と同じ文科一類に入学し、現在法学部で勉学に励んでいらっしゃいますが、僕はまだこのまま法学部に行くか迷っています。先月のバレンタインデーには、パウンドケーキを作って持ってきてくれました。美味しかったです。弟さんとはその日の夜に共通の友人たる僕の高校同期を含む3人でご飯に行きました。面白かったです。また行くつもりなのですが、新規参戦も歓迎です。奮ってご応募ください。



 きょうはひとまず彼と出会った場所である桐蔭学園について書こうと思います。

 私の出身校は神奈川県の桐蔭学園中等教育学校です。東大ラグビー部で主将を務めた藤井さんの離れた後輩に当たるわけでありますが、藤井さんの同期の太田さんに同じ高校から来たとは思えないと言われました。ちょうど6つ違いであるために藤井さんの代を送り出した先生方の一部が我々の学年を担当しに降りてきていることもあって共通の話題がありそうなので、一度お会いしてみたいです。ただ、藤井さんがジュニアコーチ長だったときの1年生である新4年生によると厳しいらしいので、怖いです。

 まず桐蔭学園の説明から始めます。東大で出身校を言った際のある関東人の反応が「大阪の?」だったときはショックというより腹が立ちました。こちらが先です。東大阪にあるのは別法人です。憶えておいてください。因みに大阪桐蔭出身で昨季の主務の池田さんとは極めて良好な関係にあります。ご安心を。桐蔭は横浜市内といっても北西の端の青葉区にあるので、窓から見えるのは草木ばかりです。

 藤井さんが卒業された翌年、即ち私が中等教育学校に入学した時はまだ藤井さんのいた頃と変わらず、高等学校男子部および女子部、中学校男子部および女子部ならびに完全中高一貫の男子校である中等教育学校で構成されていました。しかしその次の平成30年度、高等学校が外部進学者のみ共学となりました。このとき合格を出しすぎて生徒数が膨れ上がり、様々な問題が発生しました。さらに31年度には中学校が新入生の募集を停止し、中等教育学校が定員を増やして共学化しました。これにより、内部進学者・外部進学者混合の高等学校男子部および女子部、外部進学者を募集しない中等教育学校後期課程(男子校)、内部進学者のみの高等学校男子部および女子部、外部進学者のみの高等学校(共学)、中学校男子部および女子部、中等教育学校前期課程(男子校)ならびに中等教育学校前期課程(共学)が併存するという、ただ混沌としか云えない状況が創出されたわけであります。そもそも藤井さんのいらっしゃった頃から桐蔭の制度は説明しづらいものでした。中学・高校と中等は、別学校といえども模試や共通テストのときは一つの学校として扱われていました。「実力テスト」なる学力テストも共通で実施されていました。男子部と中等は同じ校舎の同じ階にいて、文理選択後の高校2年生になると混合の授業もありました。極めつきは、高校三年生になると男子部も女子部も中等教育学校も進学棟という同じ校舎に集められ、混合で授業を受けるというものであります。そこへ共学化の波が押し寄せ、もう訳がわからない。来月には共学の高等学校と共学の中等教育学校の2つだけという、なんともスッキリした感じになります。寂しいですね。



 いよいよラグビー部についての話に入ろうと思います。

 前期課程のときは、中学校男子部と共に週六で活動していました。というより中学校として活動していました。新中等(共学中等)は合流してこなかったので、3年次は2学年のみでの活動でした。また、女子ラクビー部が部員3人くらいで新たに誕生したのですが、週に何度か一緒に練習していました。後期課程のときは、共学中等4年生とも一緒に活動していました。

 まず前期課程の中学ラグビー部ですが、3年次の目標を決定する際、「関東大会優勝」を掲げるも三郷にて行われた決勝で千歳中に敗れてしまいました。しかし全国大会である太陽生命カップには関東から2校出場できるので、。メンバーを30人登録でき、それには入ることができました。しかしリザーブには入ることはなく、僕の名前はパンフレットにはあってもウェブサイトにはありません。全国大会の開催地はなぜか水戸でした。ひたちなか市に泊まった気がします。宿のすぐ裏に浜があって、久しぶりに太平洋を見て嬉しかったです。ラグビーワールドカップ日本開催の年だったので、ウェブ・エリス・カップが開会式で御披露目されました。その時は遠くてよく見えませんでしたが、観客席に戻る時に、カップがすぐ横を通り過ぎて行って興奮しました。開会式の後、登録メンバーの一部と練習試合がありました。当時教えてもらっていた前日体大ラグビー部ヘッドコーチに叱られました。公式戦でもA戦でもないが、桐蔭として試合をしているのだからあんな不甲斐ないプレーはするなというものでした。そのときは肩が痛くて、それを言い訳にしているところもありました。全国大会の話に戻ると、結果は3位でした。一方、その後の東日本大会では4位でした。ここまであたかも自分が強かった感じで話してきましたが、公式戦には残念ながら一回しか出ていません。東京都の強豪・本郷中学校でスタメンだったスタッフの中村君には平伏します。

 続いて後期課程の中等ラグビー部です。「諸草」という卒部文集にいろいろ書きました。東大の人は誰も読んだことがないと思いますが、同じことを書くのは嫌なので、ここではさらっと行かせてもらいます。

 中等4年次の活動はコロナ禍から始まりました。秋の全国大会予選3回戦の相手は桐蔭「学園」。これが真の桐蔭対決です。会場も桐蔭。いつも練習している場所ですが、扱いはアウェーです。尤も部員が少ないので運営をやってくれるのは助かります。試合は学園に100点以上取られてこちらは無得点に終わりました。5年次の秋は湘南工科大学附属と。何点だったか憶えていませんが、負けました。湘工とは春の関東大会予選の準々決勝でも対戦し、惜しくも敗れて関東大会出場を逃しました。6年次、新中等の4年生が合流してきました。関東予選は直前で人数が足りなくなって棄権し、花園予選は東海大相模のグラウンドで東海大相模と対戦しました。東大オープンの日でした。去年も相模と当たったようですが、3点取ってきてくれました。



 引退のとき、すでに東大ラグビー部に入ろうと決めていました。しかし合格して入学したあとに迷いました。とりあえず入部したあとも他部の新歓に行ったのですが、結構気持ちが揺らぎました。ただ結局ラグビーに落ち着いたわけであります。

 東大に入ってから、モモカンで歩くのもおかしくなったり脳震盪をしたりと、いままでやったことのない怪我がやたらと増えました。その極みが前距腓靱帯断裂でした。青山学院大学との練習試合中に、右の足首がバキッと鳴ってビックリしました。そこからまともに走れなくなり、そのあとあったスクラムで押しまくられたので、これ以上はキツいし迷惑だと思って交替させてもらいました。3歳でラグビーを始めてから一度も骨折などの大きな怪我をしたことがなかったのでショックでした。

 この怪我はラグビー以外にも影響を与えました。免許取得が1ヶ月遅れたのです。8月の終わりに筑波に誘われて教習所に通い始めたのですが、そのせいで筑波より遅くなってしまいました。ほぼ同じときに一緒に自転車の練習も始めました。僕は小学生のときは乗れたので、わりとすぐに一応乗れるようになりました。青学戦の次の週に卒業検定の予定だったのですが、年が明けてから晴れて第一種普通免許を取得しました。合格発表が聞いていたやり方と違ってビックリしました。試験終了後に教室の自席に戻ってきて待機するよう言われたのですが、合格発表時刻よりやや遅れて担当者がやってきたのですが、複数の人の所に担当者が何やら紙を渡して帰らせていました。「惜しかったね」とかなんとか言っているのも聞こえて恐怖でしかありませんでした。担当者が通り過ぎていったときはえらく安堵したものです。これはもはや合格発表というより不合格発表、もっというとただの公開処刑です。

 先月筑波と旅行に行ったのですが、大阪で車を借りて白浜まで行きました。免許を取って初めて運転する車が「なにわ」ナンバーというのは少し変な感じがしましたが、白浜に着いたころには「なにわ」に親近感を覚えるまでになりました。筑波と違って初めてだったのですが、無事で良かったです。



 ここまできて前期に履修した比較思想のレポートの字数を優に超える量を引用なしで書いたことに驚いているのですが、次は新4年の昴さんにバトンを渡します。笑い方が印象的な昴さんは自転車通学なのですが、僕はいまだに立ち漕ぎがうまくできなくて困っているのでどうにかしてほしいです。また、正月に高校同期と焼肉に行ったあと雀荘へ連れて行かれて麻雀を少し憶えました。帰国したらやりましょう。

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