人類のためだ 藤島大   2006年4月
                                                                       
 

 あの朝、スポーツ紙記者は、前夜に酒を飲み過ぎて、そのまま知人宅に転がっていた。これから横浜の三ツ沢競技場へ向かわなくてはならない。デスクからは「第2試合の日体大-帝京からでいい」と指示されていた。だから、のんびり起きればよいのに、やはり「第1試合を見なくては」と眠い体を無理に奮い立たせた。
 
 予感があった。「きょう東大が慶応に勝つんじゃないか」。
そして雨中、スイカは躍り、虎は這いつくばった。8-6。中途入社2年目の駆け出し記者ひねり出した原稿の書き出しはこうだった。

 

ーー部員が「スイカのジャージィ」と呼ぶ東大伝統の黒緑ストライプが折り重なって歓喜の輪を作った。これでもか、これでもかと勇敢なタックルを重ね、耐えてつかんだ歴史的勝利。フィフティーンの顔はどれもクシャクシャで、意味不明の叫び声が小雨のスタンドに響き渡ったーー

 

 志摩昌彦というフランカーがいて、高校時代のラグビー経験を聞いたら、首を横に振って、こう答えたのを思い出す。

 

「ピアノとチェロとお茶です」

 

 このごろ、責任逃れの詭弁を弄する高級官僚や狭量な政治家の姿を眺めては、ついテレビの受像機に叫んでしまう。

 

「それでも東大か」

 

 そのとき一瞬にせよ脳裏をかすめめるのは、たとえば、1987年11月28日、雨の三ツ沢におけるタックルにつぐタックル、ラックをめくり、まためくる小柄で勇敢なスイカの塊なのである。その東大を知っているから「この人たちは本物の東大じゃない」と断じられるのだ。
 
 数年前、元ジャパンの知人が呟いた。独り言の調子だった。
 
「歴史的に、自分たちより強い相手に勝ってきたのは早稲田と慶応と東大なんだよね」

 

 なるほど。そして、よくよく考えてみると、それこそは、つまり「自分たちより強い相手に勝つこと」こそは、スポーツの、いや、人間の最も高級な営みのひとつではないかと思われるのである。 
 
 東京大学は入学試験の最難関だ。受験勉強の優劣が人間の深いところの価値をそのまま示さないのは自明だろう。しかし、だからこそ最難関校へ進むための努力や意志や能力は、まったく正当に評価されるべきだ。現実に社会的リーダーとなる。なったとしよう。そのとき、広く日本列島のラグビー仲間は心から喜べるのである。もしも、東大ラグビー部とそれを構成するひとりずつが、負けて言い訳なしの峻厳な勝負から逃げず、青春の身を焦がし尽くしたとすれば。 

 

 現実は甘くない。しかし甘くないから美しい。
 最近つくづく思う。本物の知性とは、結局のところ「反体制」なのだ。なにも革命家になれという意味ではない。でも、いつも権勢に寄り添い、ただ肯定して、その限りにおいて頭を働かせ、成功したとしても、それは「賢くて要領が良い」だけではないのか。どの立場にあっても「自分たちより強い相手にひるまず立ち向かう」。そのために知恵を絞り、心身を追い込み、軋轢を乗り越える、そんな過程が知性的な行動なのである。それは未知の難問を解決する際に求められる知性とも重なる。
 
 東大生は絶対に真剣勝負のラグビーをすべきだ。実際にその道を選んだ部員諸君は幸運なのだ。いつか、なにがしかの役を得て、国連本部の密室で、雄弁にして老獪で鳴るフランスあたりの大臣と一対一の交渉に臨む。そこで負けない。負けないだけの人生の「芯」をつかんでいる。そのために走ろう。倒そう。起き上がろう。決戦までの残りの練習を日数ではなく時間で計算して、極限の可能性を追求しよう。人類のためだ。

    

 
 
藤島大
■プロフィール
スポーツライター。1961年、東京生まれ。
都立秋川高校、早稲田大学でラグビー部に所属。
曼荼羅クラブでもプレー。ポジションはFB。
都立国立高校、早稲田大学でコーチも務めた。
スポーツニッポン新聞社を経て、92年に独立。
第1回からラグビーのW杯をすべて取材。
(はてなダイアリー:http://d.hatena.ne.jp/keyword/より転載)
スズキラグビーHPでコラム執筆中:http://www.suzukirugby.com/column/index.html