VOICE:1999年

「勝ちたい心」 松岡 拓

 2年。初めての対抗戦は無我夢中

だった。試合の後でビデオを見ると自分のヘボさに呆れ返った。それでも意地があった。だんだん自分の動きくらいは意識できるようになって、次第に成長できたけど、元のレベルが低すぎた。もしかしたら勝てると思っていた自分が情けなかった。

 3年。ぼろ負けを何度も経験して、留年して、文武両道なんてもう論外な状態、どっちも駄目。練習でもへぼかった。精神力もヤワだった。もうとにかく上手くいかない年だった。勝たなきゃ何も残らない、必死だった。もう何もいらないから勝たせてほしかった。でもスランプから立ち直るのが遅かったのか、現実は厳しかった。

 4年。勝つ為なら何だってやろう。勝たせてほしいと祈った。なぜかゴミを拾うようになった。よく困っている人を助けた。俺が別にモラリストでない事くらい皆知ってると思う。これは善意じゃなくて見返りが欲しいからやっただけ。運が欲しかった。もし1、2点差で勝負がつく時は運が必要だ、もしその行為で試合の時に運が向くのなら楽なものだった。もし神様がいれば勝たせてくれるんじゃないかと思っていた。イシヅカイズムの片鱗に触れた。
 別にゴミをめざとく探していた訳じゃなく、ふと気付いたゴミを拾うようにしていた。これは不安要素に気付いたらすぐ練習するっていう心掛けにもつながっていた。ちょっとでも不安があれば自主練習して上手くなろうとした。そして疲れが不安にならないよう、練習以外はとことん休養に充て、めしもバランス良く大量に食った。すべては勝つ為に。

でも神様はいなかったらしい。

 試合後、負けを認識してもなお、あのスコアボードを見返した。37-38、イメージ通り1点差。東大の勝ちじゃないのか?
次の日の新聞でスコアを何度も確認した、計算間違いはなかったのか?ノックオンがあっただの無かっただのじゃねえ、あのスコアは現実の結果なのか?
すべて終ったのか、、、


なんで勝ちたかったんだろう?


 単なる意地ではなかった。たかが1勝に凄い魅力を感じていた。そしてそれは単に雑草チームがエリートチームに勝つという美学によるものだけではなかった。
 確かに大学ラグビーのレベルの高さは尋常じゃない。才能・経験豊かな日本代表級の選手を集めて、最高の環境を整えて、戦術を研究して、質の良い練習して、、、、、東大ごときが、戦術練るとか、人材集めるとかだけで勝てるレベルじゃない。
  ”量より質” どのスポーツでも最近はその風潮にある。「頭使おうぜ」って声が聞こえてくる。 でも確かに聞こえはいいんだけど、なんか実際の1流チームを見ると気に入らなかった。
 「頭使って効率化」ってやり方は実は「最小努力で最大効果」「いかに楽して勝つか」という考えに基づいている。工夫で成功したやつらは慢心して工夫ばかりに気を取られるようになり、そこには時代遅れの精神力・根性は無い。たぶんそんな態度がちらほら見られるようになってきたからむかついたのかもしれない。そして俺達の付け込む隙はここにあると考えるようになった。

 俺達だって当然、戦術研究・環境整備・人材補強などに最大限の工夫をして最高の効率を求めるが、目的はあくまで最大量の成果。そのために必要なのは努力、そしてそれを支える強い精神力や根性。時代遅れと言われようが、勝つのは大変なのだからキツイ事やらなきゃ勝てるわけない。環境で決まってしまうのはスポーツじゃない。そして何より、心で掴んだ勝利ほど感動できるものはない!
 環境がいいから・勝てるから闘うんじゃない。勝ちたいという心があるから闘うんだ。そんな真のスポーツマンシップを蘇らせる事ができるのは、遥かにレベルの違う上位校に本気で勝とうと思っている我々東大ラグビー部しかない。危機感を持って事に臨もうと思っている者より、実際に危機に立つ者の持つ危機感の方が遥かに強いのだ。
 この時代遅れともいえる魂に、最高の環境と、東大しか思い付かぬような戦術を与えれば、どんな1流チームより優れた新時代のチームが出来上がる。誰も思い付かない奇襲を仕掛け、それを支える魂をもって勝利と感動を得よう。頭ばかり使って熱いハートを忘れた連中の目を覚まさせてやろう。俺達の勝利は、ラグビー界、いやスポーツ界の何かが変わるきっかけになる。


 俺は心の弱い優等生だった。ラグビー大好きだったし、とにかく強くなりたかったし、上位校になめられるのがくやしかったし、意地もあったけど、それらの思いだけでどんな厳しい試練にも耐えられるほどのタフな心じゃなかった。
でも、たかが1勝に凄い魅力を感じていた。
勝ちたかった。