VOICE:2000年

「コンバート」 中本 学児

 僕は東大ラグビー部に入ってラグビーを始めた。当初の志望でバックスをやることになった。SO・SHは経験が必要だろうし、B3をやれる程足も速くないと考えた僕は、新入部員のバックスの中では体格のある方だったので、「自分はセンターをやろう」と決めた。1年の時はずっとジュニアで練習していた。試合に出られる機会はあまりなかったが、ラグビーに関してほぼ白紙状態だった僕は、1年間を通じて、ラグビーがどんなスポーツなのかを多少なりとも知ることが出来たように思った。1年の時は周りの人が、「学児はパスが上手い」とか言ってくれたし、自分でもパスしたりキックするのが好きだったので、自分は当たり前にバックスに向いていると考えていた。

 2年に入り、Aで試合に出る機会にも恵まれ夏合宿まではシニアで過ごした。結構順調だった。合宿で怪我をしてしまい、秋はジュニアからのスタートだった。秋も中盤になりジュニアの試合では、前半センター、後半は4年の友澤さんに替わりSOを、という形の出場が多くなった。それからの半年間、僕はSO中心で試合に出た。SOをするようになって、バックスラインの動かし方や、有効なキックの使い方などの難しさを思い知らされた。僕は、ボールを外へ回してサインプレーを成功させることに気をとられすぎて、ただのパスマシーンみたいなSOだった。大芝のように自分から仕掛けてゲインを切るようなプレーは出来なかった。

 僕は今までセンターだけをやっていて、「バックスってこんな感じでいいんだな」、と考えてしまっていた。しかしSOをやってみて、どうやったらラインを上手く動かせるのかを考えなければならず、バックス全体のことを考えなければならなかった。それまでセンターをやってても、ただやっている所があったし、SOの経験を通してバックスについてより多くを知ることができ、自分に足りないものは何かという事についても大分分かってきた。

 自分のこのような課題が見えてきた、そんな3年の5月末だった。高原さんから「おまえFLやらへんか」と言われた。3年の初めに同期の関口がFBからLOにコンバートしたが、まさか自分にもFWへのコンバート話が来るとは思いもよらなかった。

 僕はラグビーを始めてそれまでの2年半バックスしかやらなかったし、バックスとしての課題も見えてきてやっとバックスが面白くなってきていた。バックスが好きだったし、バックスをやりたかった。だから最初この話を受けた時、正直いやだと思った。でも、高原さんもコーチの方もそれまでの僕を見て、「あいつはバックスよりFLをやった方がいいかもしれない」、と考えて僕に話をしてくれてるんだろうし、センターでいるよりFLになって頑張った方が、上でやれるチャンスがあるのならやってみようと思った。自分はバックスをやりたいから、たとえ上でやらなくてもバックスでいたいとは思わなかった。それならここでラグビーをする意味がないと思ったからだ。そうして僕はFL(FW)になった。

 最初FW練に加わった時、そのプレーの激しさに面食らった。同じラグビーなのにまるで違うスポーツであるかのような錯覚すらしたのを覚えている。初めてFLで試合に出たとき、僕はハンペで相手も大して強いチームじゃなかったけど、信じらんない程果てたし、右も左もわからず何も仕事が出来なかった。松田優作じゃないけど「なんじゃーこりゃー」みたいな感じだった。

 バックスの時は、1つのラックだってFWがどんな思いをしてボールを出してくれているかがあまり分からなかったが、FLをして身をもって知ることが出来た。FLになってFWの難しさに頭を抱えることもしばしばだったが(いまでもその難しさは感じる)、それ以上にそれまでの自分のだめな所(筋力やフィットネスからスイープなどの基本プレーに至るまで)を嫌なぐらいに感じさせられた。FWとしてラグビーをみる事にも慣れないので苦労した。FLをして1年程になるが、ようやくFWの仕事が分かりだし、自分のできることも増えてきた。FW歴は僕が一番短いかもしれないが、バックスのことを1番わかるのはFWの中で自分だと思うので、これからもFW・BK両方のことを考えられるプレーヤーとしてやっていきたい。

 ラグビーを大学から始めた自分にとって、センターだけをやっていては、なかなか実感としては分からない、または分かるのに時間がかかったであろうことを、コンバートを通して早く知る事ができたのは、すごくラッキーだったと思う。だからコンバートをして良かったと感じている。