VOICE:2001年

「韓国遠征」   奥田 隆洋


 去る5月11日(金)~14日(月)、東大ラグビー部史上初の海外遠征となる韓国遠征が実施されました。昨年、ソウル大との交流試合を実施することが決まった折に、2001年度は、東大ラグビー部80周年記念事業の一環として、ソウルに遠征して試合を行うことが決められており(詳しくは昨年度主務の小林さんが書いたVoice「ソウル大学との第一回交流試合」を参照)、齊藤監督とソウル大のキム監督の間で日程等の話は進められていました。その上で、2001年2月のOB会幹事会で正式に承認を受け、具体的な作業に取り掛かりました。


 まず日程に関しては、昨年に習い、春合宿終了後の早い時期に3泊4日の日程で行うこととし、詳しい日取りは齊藤監督とキム監督の間でE-mailを通して決められました。これを受け、韓国への往復の航空チケットを手配することとなりました。これに当たり、齊藤監督を通して、平成5年卒の氏森さんのご助力を頂きました。


 こうした部としての準備と並行して、遠征に参加する各部員の個人的な準備も進められました。パスポートに関しては、去年のシーズンオフのときから随時取得するように促していましたが、結局全員のパスポートが揃ったのは、遠征の直前の春合宿中になってしまいました。


 その他、出入国の手続きなどから、服装、持ち物に至るまで、この遠征が初の海外旅行となる部員が多く、かく言う僕自身が初海外だったため、まさに右も左も分からない状況で、お仕事の関係で海外へ頻繁に行っていらっしゃる齊藤監督に頼りきりとなってしまいました。



・5月11日

 いよいよ出発の日となりました。当日は、心配していた大きな遅刻もなく全員がAM11:00に箱崎のTCAT(Tokyo City Air Terminal)に集合し、リムジンバスで成田空港に向かいました。そして飛行機は14:50に成田から離陸、17:15に無事、韓国の仁川(インチョン)空港に到着しました。この空港はできたばかりで非常に奇麗で、はじめは韓国に来たという感じがしなかったのですが、空港内の案内板を見ると、すべての文字がハングルで書かれていて、それを見てやっと、韓国にいるんだということが実感として湧いてきました。入国手続きを終え空港を出ると、ソウル大OBのハンさんが僕たちを迎えて下さり、そこからチャーターバスでソウル大まで向かいました。高層ビルが林立し、自動車が渋滞し、雑然とした町並みは驚くほど東京に似ていて、建物、道路の標識や広告看板までもがそっくりで、文字がすべてハングルでなければ韓国だとは思えないほどでした。


 バスは2時間半ほどで、ソウル大構内にある宿舎に着きました。宿舎の駐車スペースへのコンコースには大きな横断幕が掲げられ、そこには「International Rugby Match Univ. Of. Tokyo vs Seoul Univ.」と書いてありました。皆驚くと同時に、そのような物をわざわざ作ってくれたソウル大の歓迎ムードに感動し、歓声を上げました。宿舎自体もかなり豪華なもので、学校の施設と聞いて粗末な宿舎を想像していた僕たちは驚きを禁じ得ませんでした。宿舎に入ると、まずディナーとなり、本場の韓国料理をの味を十分に堪能することができました。その後、2人または3人に1つ割り振られた部屋に入り、各自休みました。


 

・5月12日

 翌日はAM7:30に起床して韓国料理の朝食をとり、その後ソウル大の学生達にバスで学内を案内してもらいました。ソウルオリンピックのときに使用したという体育館や、一般の博物館並みの設備と内容の大学博物館、そして旧宮廷の一部を改築して作られた図書館と、大学の施設とは思えない立派な施設を中に入って見学させてもらい、皆驚いていました。しかし正直なところ、試合の前に色々回り、多少疲れている部員もいました。その後、学生食堂のようなところで昼食を摂り(これも当然韓国料理でした)、試合をするグランドまで移動しましたが、このグランドのスタンドの上にも今回の交流試合のために作られた横断幕があり、改めてソウル大側の歓迎ぶりに驚きました。


 その後、休憩を挟んで記念式典が行われ、14:00にK.O.です。試合ですが、初の海外遠征で疲れの見えた東大は明らかに動きが悪く、ソウル大の激しい当たりに翻弄される場面が目立ちました。それでも前半はバックスのスピードで優り、タックルも決まり、33-5で折り返しました。しかし後半に入ると、集中力が切れたのか、あっさり抜かれたり、FWの突破にタックルに入れなかったりすることが増え、こちらの攻撃もミスが多く、押され気味の展開となってしまいました。結局、後半は27-21で終わり、最終スコア60-26で勝利しましたが、内容的には非常に反省の残る試合となりました。東大は、集中力がかけてしまえばどんなチーム相手にも自分達のラグビーはできず、勝つことはできない、といういい教訓になりました。今回の試合には、鈴木OB会長、寺尾幹事長をはじめ、多くのOBの方が韓国まで観戦にいらしてくださいました。改めてお礼申し上げます。


 ところで、試合前・試合中共に、ソウル大の人と打ち合わせる機会が多くありました。遠征前から英語での会話には不安を感じていたのですが、思ったよりはお互いに理解することができ、ほっとしました。

 試合の後は、ソウル市内に出てプルコギの店で歓迎会をしてもらいました。英語で話すのに慣れていないため、始めは会話が進まずどうなることかと思いましたが、酒が入り、少しずつ慣れてきて、昨年同様、焼酎を飲み交わしたり、皆で歌を歌ったりして、非常に盛り上がりました。御観戦くださったOBの方々も全員参加され、ソウル大のOBの方と親しく話をされていました。部員の中には完全に酔い潰れて寝始める人もいて、結構大変でした。この会の後、部員はほとんど全員で居酒屋のようなところへ2次会に行き、寄った勢いで相当な盛り上がりでした。みんなソウル大の人と非常に仲良くなることができました。結局この日は深夜0時半過ぎまで飲み続け、皆大いに酔っ払って宿舎に戻りました。

 


・5月13日

 翌日は、午前中からソウル大の人の案内でソウル市内の観光をしました。午前中は、李氏朝鮮の宮廷である景福宮と、ソウル国立博物館に行き、韓国の文化遺産に触れました。その後、韓国式中華料理の昼食を食べ、学年ごとに別れてそれぞれソウル大の人に一緒に来てもらい、観光をしました。彼らが同行してくれたおかげで、全く迷わずスムーズに回ることができ、僕たち4年生は、仁寺洞路というアンティークショップ街と、ショッピング街である南大門市場に行き、土産などの買い物をして、本場の焼き肉を食べました。人数も少なく、必要に迫られたこともあり、ソウル大の人とかなり打ち解けることができました。韓国に行く前は、正直な話、ソウル大の人とちゃんとしたコミュニケーションがとれるのかかなり不安でしたが、実際にやってみると全く問題なく、円滑に話すことができ、結構ほっとしました。夕食の後、有志のみで2次会、3次会に向かい、深夜2時過ぎまで非常に盛り上がりました。こうした交流を通して、昨年のソウル大戦のとき以上に、韓国の文化や風習、色々な考え方などを知ることができました。色々と話をして感じたのは、韓国と日本は似ている、ということです。言葉なども似ているし、基本的な考え方や風習なども非常に近く、やはり「隣国」なのだな、と実感しました。

 


・5月14日

 最終日、朝食の後、9:30に宿舎を出発することになりましたが、ソウル大の人がみんなで見送りに来てくれ、それぞれ仲良くなった人と別れの挨拶をしました。このとき、ソウル大のキム監督から、東大とソウル大の両選手をかたどった塑像が送られ、非常に感動しました。こちらからも日本のお土産が渡され、みんなで別れを惜しみつつ、宿舎を後にしました。バスは11:30に仁川空港に到着し、13:05発の飛行機に乗る予定でしたが、その飛行機がトラブルで遅れており、空港でかなり待たされることになりました。しかし、この時間に空港で買い物などをすることができ、結果的にはゆったりした時間が過ごせました。結局飛行機は16:30にようやく離陸し、成田空港に着いたのは6時を過ぎていましたが、全員が無事、帰国することができました。



 今回の遠征は、春シーズンのかなり厳しい日程の中行われ、正直なところ、あまり乗り気でない部員も多くいました。しかし、実際に行ってみた感想を聞くと、皆非常に満足したようでした。何より大きかったのは、ソウル大の学生と深い交流ができたことだと思います。帰国後、東大のHPのBBSには、ソウル大の学生から何件も書き込みがあり、また、多くの学生が個人的にE-mailを受け取り、一部の部員は今でもメールを通しての交流を続けています。


 また、部としても、海外遠征は非常に貴重な体験となりました。海外というだけで環境もまったく違い、体調も管理が難しく、非常に疲労する中で、ちゃんとした試合をやる難しさ。右も左も分からない環境で、皆で協力して、組織として一つのことを成し遂げた達成感。そうしたことを通して、部としての一体感を持つことができ、部としてまた一つ成長できた気がします。試合の内容は課題の多いものでしたが、そうした意味において、今回の遠征は大成功だったといえると思います。協力してくださった皆さん、80周年事業費を寄付してくださったOBの皆さん、ソウル大の皆さん、その他、この遠征の成功に御協力頂いたすべての皆さんに、改めて、お礼申し上げます。金銭面、時間面、さまざまな問題があり、来年以降続けていけるかはわかりませんが、個人的には、今後とも交流試合を行っていくことは、部にとっても、もちろん個々の部員にとっても、非常に意義あることだし、ぜひ続けていって欲しいと思います。