VOICE:2003年

「弱気なやつ」  椿原直


 2003年度も、すでに春のシーズンに突入している。筆不精なもので、VOICEを書くように言われてからもうすでに何週間かたってしまったが、今年自分がラグビーをやるために、今の気持ちをまとめてみようと思い、キーボードを叩いてみた。

 

 2002年9月29日、ボクは選手として憧れの秩父宮のグランドに立っていた。自分が何をしているのか全く分からないままあっという間80分が過ぎてしまった。気付いたらものすごい疲労感と圧倒的な点差だけが残っていた。しかし、秩父宮のグランドに立てるということ、自分を応援してくれる友達や家族がいること、いろいろな気持ちで一杯になって試合前のロッカールームで不思議な涙が流れた。初めて武者震いした。試合の結果はともかくとして「ラグビーやっててよかった。」と思った。

 

 しかし、それからの1ヶ月はどん底だった。思うようなプレーは何一つできなかった。何をやってもうまくいかず、いつの間にか「ああしなければ、こうしなければ」とばかり考えるようになってしまった。結局、(水上さんの言葉をお借りするが)「できの悪いサラリーマン」みたいな、義務感で動く、弱気な選手になっていた。自分からは何も勝負しようとせずに、周囲に頼りっきりになってしまった。当然相手からすれば、弱気なボクなど簡単に止められる。自分の思うプレーはもっとできなくなる。自分の思うように行かないから焦って、また「こうしなければいけない」と考えてみる。もっと弱気に弱気になっていく。悪循環に陥ってしまった。そんなかんだで、グランドに立ったときに「これからこうしてみるぞ」というようなドキドキ感は、全くなくなってしまっていた。

 

 筑波と戦った後のミーティングで、水上さんにものすごく怒られた。チームで決めたルールを何一つ守れていない、ということが話の中心だった。2,3日本当に悩んだ。「何でこんな風になるんや」「オレは何でラグビーやってるんや」と、自問自答し続けた。本当にずっと考えた果てに、やっと思い出した。自分はラグビーが楽しくてやっていた。相手のディフェンスを何とかして突破することが楽しかった。それなのに、そんなことを全て忘れて、どうすれば80分間うまくやり切れるか、ミス無く無難にこなせるか、とばかり考えていたから、うまくいかなかったのだとはじめて気付いた。

 

 それからの試合も決していいプレーができたわけではない。だが、それまでの試合とは違い、試合が楽しみになった。何とかしてディフェンスラインを越えてやるんだ、とわくわくしながらグランドに立てた。ただ、今から思い返してみると、思い出すのが少し遅すぎた。思うような選手にはまったくなれないまま、チームに何ら貢献できないまま、2002年度のシーズンは終わってしまった。

 

 今年は去年の経験を糧に、Aグループへの復帰を目指した戦いが待っている。勝たなければいけない、というプレッシャーは、今考えている以上に重いものかもしれない。そういう意味では、今年は去年よりきついシーズンだと誰かが言っていた。しかし、そういう時にこそ、原点に戻って、もう一度ラグビーを楽しめる余裕を、そして強気に立ち向かえる自信をもってプレーしたい。そうすれば、少なくとも去年より活路は見えてくるはずだ。

 

 絶対に今シーズンは忘れない。ラグビーは楽しい。