VOICE:2000年

「ソウル大学との第一回交流試合」   小林 理


 平成12年春シーズンの一大イベントであったソウル大学との交流試合について、ソウル大学を迎えるにあたって行ったことなどを具体的に説明しつつ、書いてみたいとおもいます。


 まず、この交流試合が実現したきっかけは、1999年の秋に、筑波大学に留学生として日本にきていた一人のソウル大学のラグビー部員から大学を通して入った電話でした。その後、その留学生は駒場のグランドを訪れ試合を申し込んできたということです。秋シーズンの日程はすでに埋まっていたため、昨年中に東大対ソウル大の試合は実現しませんでした。そして年末から年初にかけて、斎藤監督とソウル大学ラグビー部の金部長とのEメールによる協議がされ、この交流試合は2000年5月14日に行われることに決まりました。来年80周年を迎える東大ラグビー部の記念事業で、来年はソウルに遠征し試合をすることもあわせて決定されました。


 2月末のOB幹事会で正式に承認がされ、ソウル大学を迎える準備をはじめました。まずは芝生のグランドを探し始めたのですが、5月の日曜日ということでなかなか空いているところはなく、OBの方にも協力していただいたのですが、歓迎会や観光のことを考えて都心にも近いので駒場グランドで試合をすることになりました。次にホテルを手配しました。3泊4日の日程ということで、30人という人数だったので3泊続けてはとれず、渋谷のビジネスホテルで1泊、こまばエミナースで2泊してもらうことになりました。試合の1週間前まで検見川で合宿だったのですが、合宿中ソウル大学との試合についてほとんど考えることがなかったので、合宿が終わり東京に戻ったとき、やりのこしたことがたくさんあるような気がして試合まで時間もなかったのですごくあせりました。でもこれはほかのマネージャーたちがきちんとやってくれて交流試合はほとんど問題なくおこなうことができました。


 そしてとうとう試合の前日になり、成田空港にソウル大学が到着しました。ソウル大学一行はそこから貸切バスで移動し、渋谷のビジネスホテルにチェックインをし、そのあとすぐにそのバスで駒場にきました。その時には、時間は夕方の5時を過ぎていて雨も降っていたので部員はあまり部室に残っていなかったのですが、渋谷まで出迎えに行った数名をのぞけば、このときがソウル大学ラグビー部との初の対面となりました。このときのソウル大に対する印象は、全体的に体がでかいというのを感じました。雨の中ソウル大学は1時間ほど駒場のグランドで、合わせなど軽く練習をし、その後OB会主催の夕食会のため青山へ向かっていきました。この日僕はソウル大の部員と話をすることはなかったのですが、練習が終わって彼らがバスに乗り込むときに一言ずつ挨拶をかわし、このときかなりの人数が"ありがとう"くらいの基本的な日本語が使えることがわかり、またこの試合のきっかけとなった部員をふくめ日本語を普通に話せる人が3人くらいいたので残りの3日のコミュニケーションをかんがえて安心しました。


 ところでこの交流試合のレフリーは、国際試合ということでラグビー協会の方々のはからいにより、日本協会公認のトップレフリーの下井レフリーにやっていただけることになりました。


 試合当日、ソウル大学の一行には東大側の部員数名の案内でホテルから15分ほど歩いて駒場にきてもらいました。前日降っていた雨は夜のうちにやみ、朝から好天にめぐまれ、地面がぬかるんでいるくらいで思っていたよりいいコンディションになりました。試合のほうですが、試合からしばらく時間がたってしまったので客観的になってしまいますが、前半は立ち上がりから東大ペースで敵陣に攻め込んでいました。さらにソウル大はバックスラインでパスがほとんどつながらないと言う感じだったので、正直はじめのうちは相当大差がつけられると思いました。しかし、ミスや相手のディフェンスでなかなか得点が重ねられなくなってくると、早く点を取りたいというあせりがあったと思うのですが、どんどんアタックが噛み合わなくなりました。そのうちソウル大FWの縦一直線に突っ込んでくる攻めにゲインをきられることも多くなり、結局後半もその流れを変えられずに、結果は59対18。後で聞いた話では、韓国では高校のとき勉強中心の人と運動を中心にする人が完全に分かれていて、ソウル大の人たちは高校のときに運動をあまりしていなくて、もちろんラグビー経験者は一人もいないということでした。試合のメンバーにはラグビーをはじめて1ヶ月という選手もいたそうです。こういうことと、試合中の実感からして、やや大差はついたとはいえ、このスコアはまずいなと思いました。


 試合後は、まずアフターファンクションを生協食堂で行いました。司会は英語でするということで、僕は英語がほとんどできないので、事前に英語堪能な平成11年卒のOBの片桐さんに司会をお願いしていました。この会で大使館の方や産経新聞の記者などいろいろな人が来ていること気づきました。OBの石崎さんと安田さんがアナウンスに動いてくださったと聞いています。この為か、ソウル大学側の関係者もたくさん出席していて驚きました。東大のOBの方々も、急な予定変更や連絡不足などありましたが、数多く応援に集まってくださいました。アフターファンクションでの両校の部員同士のコミュニケーションは、英語と日本語であまり不自由無くとれていました。 アフターファンクション後、ソウル大学の一行に、こまばエミナースにチェックインしてもらい、次に歓迎会が新宿で用意されていたのでバスで新宿に移動してもらいました。歓迎会は東大側がだいたいOB会長をはじめOB10人、学生10人参加でおこなわれました。この歓迎会ではソウル大学を酒と芸でもてなしたという感じでした。韓国人は焼酎の一気飲みが好きなようで、2~3人で会話をしているところですぐに乾杯をしたがり、乾杯をしたら一気飲みをして、会の間ずっとそんな感じで酒を飲みつづけました。会全体では、お互いの部を代表する芸人が芸を披露しあうなどし、言葉もほとんど通じてないのに大変盛り上がりました。僕は飲みすぎてこのときのことはあまり覚えていません。歓迎会がお開きになった後、酔ったソウル大生達を東大の部員が手分けをして、タクシー・電車などでホテルまで送り届けました。僕は電車で5人を連れて行ったのですが、昼間と違いお互いかなり酔っていたので言っていることがますます通じなくなり本当にこのときは大変でした。でもなんとか無事全員ホテルに帰れました。


 翌日、予定として東京観光で僕らが案内することになっていたので、朝10時にホテルに迎えに行きました。この時、日本に着いてからの過密スケジュールで明らかに疲労困憊気味のソウル大学の一行を連れて、まずは本郷キャンパスへと向かいました。この日の観光では、4年から5人にくわえ、12年卒の河内さん、11年卒の高橋さん、女子マネージャー2人に協力してもらい9人で付き添いました。まずは本郷キャンパス内の学士分館で昼食会ということで、工藤部長より東京大学の紹介があり、その後昼食をとりました。昼食後、東大構内と研究室を案内し、その後徒歩で上野に行きました。ここから自由行動にしようと思い、行きたい場所をみんなに聞いたらやはり秋葉原が一番人気でした。それでここで浅草と秋葉原に行く人に分かれて、それぞれ自由行動に移っていきました。自由行動について、迷ったりしないか心配だったのですが、日本のことについて事前に調べてきたみたいで、また日本に住んでいたことのある学生もいたので、ぜんぜん問題はありませんでした。 ソウル大学一行の日本滞在の最終日、ホテルから貸切バスで直接成田に向かうということなので、斎藤監督と部員を代表して4年の岩田・中本と一緒にホテルへ朝、見送りに行きました。そのとき何人かとはEメールアドレスの交換をし、みんなと別れのことばを交わしました。そして彼らはバスに乗り込み韓国へと帰っていきました。


 これはあとで思ったのですが、僕らが思っている以上に、単にawayの試合という以上に、この交流試合でソウル大学には不利な条件があっただろうと思います。例えば食事・気候・疲労などのことです。しかしそれにもかかわらず、ソウル大学は自分達の持ち味を存分に出し切り、満足できる試合をしたわけで、この強さは見習うべきだと思いました。


 最後に、来年ソウルに遠征してゲームをするメンバーは、今年のソウル大学のように不利な条件におかれるわけですが、その分、その中で得られるものはいくらでもあると思います。80周年記念事業という位置付けになっていますが、単なるイベントで終わりにするのではなく、せっかく費用をかけての海外遠征なのだから、そのような機会があたえられることに感謝して、強くなって帰ってきてほしいと思います。