VOICE:2002年

「最後のシーズン」  小嶋陽輔


 ただでさえ暑くて寝苦しいこの季節ですが、久々に部のVOICEを全部読み直してみたら、いろいろ考えてしまいよけい眠れなくなった。その中には自分が書いた文章もあった。ちょうど2年前に書いたもので、読んでいて当時の気持ちを思い出した。


 3年だったあのころ、僕に対する評価は「AチームだけどAチームじゃない」というものだった。大岡さんが引退し、(その年の秋にフッカーで復帰したが)試合で使える右プロップがいなかった。シーズンのはじめに「おまえは今年対抗戦に出るんだから、絶対がんばれ」と言われていたのに、僕は成長できないでいた。3番で春シーズンのAの試合に出続けたが、全くチームの役に立たなかった。それどころか足を引っ張り続けた。Aにいるけど、Aのレベルに達していなかった。これではだめだ、と思い続けながらも、いいプレーができなかった。斉藤監督の言葉を借りると僕は「16人目の敵」と言えた。試合には負け続け、6月になった。拓殖だか流経の試合だか覚えていないが、その試合後に、主将だった大芝さんに、こう言われた。

 

 『俺は勝ちたい。だから今のおまえとは同じチームで一緒にラグビーやりたくない。』


 その言葉を聞きながら、「俺はとうとう追い詰められてしまった」と思った。「このままAチームの足を引っ張り続けるのか、本当にAのメンバーになれるのか、その分岐点がきた」そう思った。どちらにするのか。答えはわかりきっていた。大芝さんの言葉に逆上もしなければ、落ち込みもしなかった。ただ妙に心が冷静になっていった。冷静だけど、自分の中でなにかが燃えてくるのを感じた。俺とはラグビーやりたくないと言ったな。でも俺はAになるぞ。Aになって、あんたについてってやるぞ。そんな気持ちで、春シーズンを終えた。


 オフ練では今と同じように走りこみが多かった。走ることは、どんなにラグビーがヘタでも、だれにでもできる。走った分だけ体力がつく。試合の後半の後半では、スクラムによる疲労でプロップの運動量はどうしても落ちる。トイメンが疲れて走れなくなっているときに、自分にまだ走り回れるだけの体力があれば、その分東大は有利になるんじゃないだろうか。単純な発想だけど、そんなことを考えて、できるだけ自分を追い込んで走るようにした。ひたむきになるしかないと思った。他に自分には持ち味がなかったから、それは当然といえば当然だった。ひたむきというのは決して美学ではない。ひたむきにプレーしないやつは練習でも試合でも出し切ることはできないから。出し切ることができなければ対抗戦で勝てないから(2000年度に日体大に勝てたのは、ロスタイムの5分間にみんなが出し切ったからだと思う。それはしんどくても100%で走ろうと努力したその年のオフ練のおかげかもしれない)。スクラムにしたって、自分は常に100%のスクラムを組まないと押されてしまう。それはこの2年間でいやというほど思い知らされたことだった。

 

 結局その年は夏合宿以降Aに定着することができ、自分のなかにそれまでになかった自信が生まれて、ものすごく価値あるシーズンになったけど、自分のたった一つの甘いプレーが、チームを大ピンチに陥れたことが、チームに取り返しのつかない失点をもたらしたことが、対抗戦で何度もあった。チームのレベルは、最もレベルの低いプレーヤーのレベルに重なってしまう。その事実の恐ろしさに直面した。

 

 2年前の自分の気持ちをなぜ今さら書いたのかというと、特に3年生以下の下級生に聞いて欲しいから。今、Aにいるのにいいプレーができず、自分の殻を破れずにいる者が絶対にいると思う。みんな真剣に練習してると思うし、まじめに、集中してやっているのは分かる。でも、本当に依田たち4年生と同じぐらいのテンションでやっていると言い切れるだろうか。心のどこかで「まだ自分は下級生だから」と遠慮していないか。まじめで謙虚で、人の話を素直にきいて・・・もちろんそれも重要なことだと思う。でもそれだけのプレーヤーには、なんというか、「凄み」がない。そこから一歩外へ踏みだすことで、ただのまじめなプレーヤーが、ある「気持ち悪さ」を持ったプレーヤーになる。まじめとかを通り越して、バカみたいなプレーヤーになれる。そういう「気持ち悪さ」とか「バカさ」が、実は東大の武器になるんじゃないかと、僕は思う。部室に置いてある対抗戦のビデオには、たまにスイカジャージの選手がありえないタックルやありえないセービングをするシーンがある。「うわっ気持ち悪っ!」と思うようなそのプレーが、東大を支えてきた。みんなまじめでいいやつだけど、そのバカの領域に達していないんじゃないか。そう思う部員がけっこういる。

 

 何かの本で誰かがこんなことを言っていた。「人間が複数集まり、彼らが何らかの目標に向かって共に進むとき、彼らは、家族であろうが、恋人同士であろうが、会社の同僚であろうが、互いの尊敬すべきところを見つけ、互いを高めあう関係でなければならない」僕はたぶんラグビーが好きだし、東大ラグビー部が好きだ。だから馴れ合いではなく互いを高めあうような場所であってほしいと思う。練習中に、「この練習だけは誰よりも頑張ろう」だとか、「こいつだけには負けたくない」という気持ちを持っているだろうか。そう思って練習してるやつは目つきが違うし、そういうやつしか本当の意味での「A」にはなれないと思う。

 

 だから今うまくいかなくても、何かに対して、誰かに対して、意地を張ってください。競った試合の最後の最後に自分を支えてくれるのは、たぶん意地とか負けん気とか、そういうものだと思う。それまでの自分に最も欠けていたものが、この「意地」であったことに本当に気づいたとき、僕はもう4年生になっていた。そして4年目は、勝つことができずに終わった。京大戦コンパでみんなに「ありがとう」って言ったけど、やっぱり心のどこかで部員に申し訳ない気持ちがあったし、「俺はもっとうまくなれたんじゃないか」というもやもやしたものがあったことは、きっと間違いない。


 今年、僕には5年目がある。もう一度自分の殻を破りたいし、次に対抗戦の芝生のグラウンドに立ったとき、これまでよりももうひとまわり強い自分でありたいと思う。

 

 2年前の自分に負けないようなひたむきさで。

 

 最後のシーズンに、ひと華咲かせたいです。