ラグビー部リレー日記

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エリート意識を脱ぎ捨てた先にあった本当のラグビー

 written by 小野 光毅 投稿日時:2024/12/09(月) 12:28

奥山からバトンをもらいました、4年の小野です。愛情を込めておっくんと呼ばせてもらいます。おっくんは今年通じてグラウンドに立ち続け、多くの試合でゲームキャプテンとしてチームを支えてくれました。おっくんがいたから今年のチームがあると言っても過言ではないです。個人的にもキツイ時おっくんのクサいくらいのアツさに何度も支えられました。ありがとう。防衛戦のトライ後に湊を一緒に潰れるくらい抱きしめたのは忘れられません。
これからも日本を背負って立つおっくんを陰ながら応援しています。

初めに、本リレー日記ではラストということで本音で4年間について語ろうと思いますが、この日記を読んで不愉快な思いをされる方がいるかもしれません。それについては本当にごめんなさい。未熟だった自分を許してください。
代わりに、成長した姿を残り2戦で見せられるように頑張ります。

もうすぐ10年以上にわたるラグビー人生が終わろうとしている。特に東大ラグビー部で過ごした4年間は非常に濃密で、選手としても、そして人間としても大きく成長できたと自信を持って言える。ちっぽけなプライドを胸に秘めて入部した自分が、自分の中のエリートとしてのくだらない意識と、不器用で泥臭い東大ラグビー部のメンバーであるという事実の狭間で悩み続けた4年間だった。同時にそれは、自分自身が組織の中でどう在るべきか、自分がこれまで積み上げてきたアイデンティティを破り捨て、新たな自分に生まれ変わるきっかけでもあった。

ラグマガカップ優勝キャプテン、U16、U18とラグビー街道を歩んできた自分が、泥臭い練習に満ちた環境で何度も壁にぶち当たるとは入部当初思いもしなかった。

幼少期からラグビーを続けてきた自分は、ラグビーエリートとして大学ラグビー部でも当然のようにすぐ活躍できると確信していた。それが強豪校でラグビーを続ける旧友たちに並ぶという自己価値の儚い証明になるのだと思い込んでもいた。
だが、現実はそううまくはいかなかった。入部してすぐに右肩の怪我、手術、リハビリ半年。復帰してすぐ逆肩怪我、手術、リハビリ半年。練習中のアクシデントで右膝半月板損傷。この時の心境はリレー日記に記してあった。プレーできないからこそラグビーへの期待が自分を部に留めていたのだと記憶している。しかし2年生の秋ごろになってようやく待ち望んだラグビーができると希望に胸を膨らませ復帰した自分を待っていたのは、思うようなプレーができない自分、泥臭く地味なプレーにこだわるチームスタイルに全く馴染めない現状だった。過去の経験から、「なぜ自分がこんな環境で…」という思いに苛まれることが多かった。パスもキャッチもまだ満足にできない選手たちの中に入れられ、基礎練習を強いられる日々に嫌気がさした。試合では仲間との連携不足で、自分のやりたいプレーが全くできず一勝もできなかった。仲間のミスのリカバリーをしているのは自分なのに、「小野何やってるんだ」と言われた。自分の中の「活躍する自分、誇りあるラガーマン」像が崩れ始めた。FW中心のチームの戦術にも納得がいかなかった。自分の中に湧き上がる否定的な感情を誰かに打ち明けることもできず、孤独感を覚えずにはいられなかった。だから積極的に練習に参加することはせず、それがチームのあり方との壁になっていた。「自分のラグビー」と「チームのラグビー」の間で揺れる日々の始まりだった。

3年生になっても状況は変わらず、チームが追求する哲学とは距離を置き、練習にも身が入らなかった。もう3年だし、そこそこやっておけば試合に出してくれるだろうという甘い考えのもと、最低限怒られないレベルでやっていた。そんな姿勢を当時のコーチは見逃さず、徹底して自分を試合メンバーに入れなかった。真面目に練習もせず大したプレーもできない、そんな選手を使ってくれるわけはない。自分と違い同期のほとんどは試合に出ている、そんな現状に直面しても、チームのスタイルに迎合することへの強い抵抗感から自分の姿勢を改めることはできなかった。
それに追い打ちをかけるように、足首や膝の状態が悪化していった。無茶な増量を行った結果、足の痛みが増大し、自分の強みであるステップやランができなくなってしまった。減量は認められず、試合に出ても全く良いプレーができない。自身の想像もできないパフォーマンスの低下にショックを受けた。
活躍していた過去の自分と、チームとの関係や怪我に悩む今の自分の間に広がる深い溝が見え、耐えられなくなり一旦ラグビーから離れた。自分の中のラグビーへの誇りやプライドは完全に打ち砕かれた。能力の限界を思い知り、ラグビーへの情熱は冷め、もうプレイヤーとしての未来を見ることはできなかった。同期の説得には、「スタッフとしてならもしかしたら」と返していた。「このまま辞めるべきなのか。」そう問いかける自分の声に、答えを見つけられなかった。それでも、ラグビー部を完全に忘れることはできなかった。結局自分がラグビー部に戻ってきて、ラグビーを続けるという決断をしたのは仲間との絆以外に理由はなかった。部から離れて普通の生活を送る中で、ラグビー部が単なるスポーツの場ではなく、自分にとってかけがえのない「仲間との居場所」だと気がついた。授業で顔を合わせるのとは違う、ラグビーと真剣に向き合い、共に汗を流し続けることでしか、この素晴らしい仲間たちとは本当の意味で繋がれないと思った。
あの時僕のことを見捨てず声をかけ、話をしてくれた人達には本当に感謝している。

復帰してからも厳しい状況は続いたが、次第に自分のラグビー観やチームへの関わり方が変化していった。練習で何度も失敗し、それでも諦めず顔がゴムチップまみれになっている同期の姿を見てふと考えた。この人たちのために自分にできることはなにか。自分はこの人たちのために何をするべきなのか。ラグビーがかつての「自己価値を証明する手段」ではなく、「仲間と共に築き上げるもの」に変わりつつあると感じた。自分のエリートとしてのプライドに固執するのではなく、チームの勝利を第一に優先し、仲間と協力して練習するようになっていった。
それから自分がチームのために何ができるのかを考えることが増えた。かつての「自分のため」意識から脱却し、「仲間と共に勝利を目指す」意識への変化が生まれた。苦しい時期の自分を支え、変えてくれたのはラグビー部の人々との絆だった。仲間たちと勝って喜びたい、トライをとって抱き合いたい、しんどい練習を乗り切って笑い合いたい、その思いだけで残りの1年余りやってこれた。
あの日の自分に伝えたい。休部は終わりではなく、始まりだった。仲間が再び自分を必要としてくれたこと、そしてその仲間と共に歩む道が、自分を再びラグビーへと引き戻してくれた。その絆がなければ、もう二度と汗と泥に塗れる喜びを知ることもなかっただろう。

くだらないこだわりを捨て去り、チームの一員として臨んだ4年目のシーズンは、これまでのラグビー人生とは比較しようがないほど素晴らしいものになった。一点差まで迫った国公立大会決勝、劇的勝利を飾った防衛戦、対抗戦初戦勝利など、色々な思い出がある。どれも忘れることのできない鮮やかな記憶だ。その一瞬一瞬には仲間達と共に味わった喜び、悔しさ、緊張感が切り離せないほどに強く染み付いている。自分が成長し、本当のラグビーを見つけるまで3年という時間が必要だったが、最後の一年にこれほど濃密で楽しい経験ができたのなら、それもそれでいい。

4年間を振り返り、最大の学びは、自分の限界を知り「エリートとしてのプライド」を捨て、「チームの一員」としての責任を受け入れたことだと感じる。今年のチームは多くの方に期待されながら、例年通りの成績しか残せず、入替戦出場という目標は果たせなかったが、それ以上に大切なものを得た。それは、仲間と共に命をかけて一緒に戦う喜びだった。
ラグビーは1人で輝くスポーツではない。仲間を信じ、仲間のために戦うことにラグビーの本質がある。苦しい時に支え合える仲間がいて、その中で自分ができる最善を尽くすからこそ、本当の意味での成長がある。残した結果ではなく、チームへの愛がなければ乗り越えられなかった4年間が私にとって何よりの財産だ。

最後になりましたが、この場をお借りして今まで関わってくださった全ての方に御礼申し上げます。
江東RSのコーチたち、飛田コーチ、吉川さんの言葉は僕のバイブルです。人数が少ないながらも工夫して指導してくださった九段の藤田先生、先輩方、合同のみんな。わざわざ試合まで足を運んでくださったOBの皆様、MLOの皆様。4年生の試行錯誤についてきてくれた後輩たち、優しく、明るく最高な先輩方、自分を甘やかさず厳しく接してくれた大西さん。あの経験がなければ僕はあそこから成長できませんでした。下手くそな僕らに様々なことを教えてくれた一聡さん始めコーチの皆様。トレーナーやドクターの皆様、メンターのかわはるさん、森田さん。怪我ばかりの自分が今こうしてラグビーできているのは皆様のご尽力の賜物です。そして、二度の手術や度重なる怪我で迷惑をかけた両親。試合中の声援は本当に力になりました、試合の勝利を通じて少しでも、息子がラグビーやっててよかったと思えてもらえたら嬉しいです。
本当にありがとうございました。面と向かって言える機会があれば直接伝えるつもりです。
同期の皆と過ごした時間は宝物です。これからもよろしく。

次はデイビスにバトンを渡します。確かデイビスが入部してきたのは一年の冬あたりで、ウェールズから上手いやつが来た!と嬉しかった記憶があります。FWに行った時はびっくりしましたが、今年はBKに戻ってきてくれて、一緒にセンターコンビを組めて楽しかったです。デイビスは、何も言わずともいいところでいいパスをくれる個人的部内NO.1パサーです。デイビスからのパスを受けられるのもあと少しと思うと寂しいです。
ラグビー以外でも、いろんな相談に乗ってくれました。特に今年の夏合宿は色々お話しして、おすすめのトイレを教えてくれたりしたのもいい思い出です。
3年前の秩父宮での京大戦のリベンジ絶対果たそう。
 

挑む 繋ぐ 信じる

 written by 奥山 敦裕 投稿日時:2024/12/07(土) 17:00

一木からの紹介文をニヤニヤしながら読み終えた、4年の奥山です。
紹介文に書いてくれたように、まずは今年1年間一木をはじめとした経験豊富なフロントローやコーチに沢山スクラムやスローイングを教えていただいたことに感謝を伝えたいです。
その中でも一木は自分と同じBKからの転向組ということもあり、「自分も頑張ろう」と何度も思わせてくれたと共にフロントローとしての矜持を身をもって教えてくれました。
一木の周りに流れてるゆったりとした雰囲気がとても好きで、一緒に多くの試合でスクラムを組んでペナルティを取れたことを誇りに思っています。
残りの試合で今年一番のBig Scrumを何回も組もうな、これからもよろしく。

 



対抗戦が終わってからもう2週間が経った。
グラウンドに行くとこれまでと同じようにラグビー楽しいなーと思いながら練習できているものの、家に帰って一人になると、どうしても「もう一度、武蔵と戦えたらな」という思いが浮かんでは消えてくれない。それどころか、「成蹊戦からの3試合をもう一回やり直したい」とさえ思ってしまう。
もちろん、どれだけ願っても過去の結果は変えられないし、試合に出ておいてこうした感情をこの場で書くことがどれだけ情けないことかは自分でも理解している。
でも、これが偽りのない、4年目の対抗戦を終えた今の自分の正直な気持ちだ。

どうしてこうした感情が残ってしまったのか、4年間の経験は絶対にこの先の人生に繋げないといけないので、この場を借りて振り返らせていただきたい。

4年目のシーズンイン時に今年1年間の個人テーマを2つ決めた。
1つは、A戦に1分でも長く出続けること。そのうえでチームの目標達成に欠かせない選手に成長すること。
もう1つは4年生として、部の仲間、特に後輩がこの部に入ってよかったと思える瞬間を多く作り出すことを掲げた。

1つ目の方は、選手として活動するなら誰もが抱く目標だが、今年は強烈に意識して毎回の練習に臨んだ。
4年生になってフッカーという天職に巡り合い、幸運にも怪我無く練習と試合に出続けることができたことに加え、ゲームキャプテンとして試合に臨む機会を多くいただいた。ゲームキャプテンとして臨んだ試合は、仲間と繋がり続けることを最も意識していたため、準備の1週間を含め自分の感情やチームのムード、グラウンドの情景を鮮明に覚えているシーンが多い。それだけ何にも代えがたい経験であり、勝ったあとはこれまでやってきたことが正しかったと証明された気持ちになり、未来への期待も大いに入り混じって、観客席に挨拶に行く時の喜びは格別だった。
中2でラグビーを始めてから負け試合ばっかりだった自分にとって、春から多くの白星に恵まれ、みんなと一緒に喜びを共有する時間を重ねるごとに、ラグビーを続けてきてよかった、秋は望むような結果が得られるだろうという自信がついていった。


もうひとつのことについても。
このテーマを掲げたきっかけは、3年生の4月末、大西前HCになんでAチームで出させてもらっているかを聞いた時に遡る。当時は試合後のMTGでは晒上げのように自分のプレーへのダメ出しをされていた。
にも関わらず、合同練習を含め試合に出て経験を積ませてもらっていることに対し、早く何とかしないと、という思いがあった。

そうすると大西さんからは、
「仲間を絶対裏切らないこと。最後まで闘い続けようとする精神を評価している。逆に、圧倒的なフィジカルやスピード、センスがあるわけではないから、その気持ちの部分が無くなったらお前は終わりだぞ。」
と、口調は異なるものの、内容としてはそのような言葉をもらった。

後半部分は一旦置いておいて、大西さんからそう言ってもらえたことは、東大ラグビー部の一員としてすごく誇りに思えた。

仲間を想う気持ち。

大西さんと話してから自分なりに大切にしてきた。
そして4年生になったとき、その気持ちを以てチームに貢献しようと思い、チームビルディングセクションの仲間と協力しながら自分なりのかたちでチームに働きかけることができたように思う。また、未来の仲間が少しでも増えるように、後輩が少しでも多くの仲間と有意義な活動が送れるようにとの思いを込めて高校生招待イベントを実施させてもらった。
どれも、部員の協力がなければ絶対にできなかったし、好き勝手にやらせてもらった部分も多いので、皆には心底感謝しています。

 



ここまでそれなりに良い格好で振り返ってきたものの、本当に自分はこの2つのテーマをどんな時でも最優先に考え、1年間を生き抜くことができただろうか。
武蔵戦が終わってから、本当に悔しくて悔しくて2日間全く寝付けないなか何回も、みんなに面と向かってやり切れたと言えるかと考えていたが、そんなこと全然なかったなと思う。

与えられた環境下で自分なりに努力し続けてきた結果、スイカを着られるようになり、ゲームキャプテンっぽい振舞いや4年生っぽい振舞いはできるようになった。

けれど、歴史的にこれまで勝てなかった相手に対して、チームを勝ちに導けるような選手になり切れなかった。
試合に出るメンバーだけでなく、出れないメンバーも含めてチームを1つにできる選手になり切れなかった。
さらにいえば、チームの事をいろいろ考える以前に、もっと自分自身が弱さや甘さに目を向けて、先輩やコーチからの話を真摯に受け止めて、自分の血肉にすること、貪欲に成長しようとする意志が足りなかった。

その結果、今年の対抗戦は4位で終わってしまった。
来年以降ラグビーができない自分にとって、この事実は一生心残りになる。

東大ラグビー部のミッション
”Tackle the Elite”の一節に

自分の弱さと向き合えているか
自分より強い相手に立ち向かえているか
ぼくらはそんな真のエリートであろう

と書かれている。

武蔵戦が終わってから自分を後悔させている理由は、まさにこの3行に書かれていた。
4年間で、"真のエリート"になりきれなかった。

 



それでも。

自分は東大ラグビー部に入ってよかったと思う。
4年間を通じて東大ラグビー部は、”真のエリート”とはどんな人間か、自分が目指すべき”真のエリート”とは何なのか、ヒントを与えてくれた。
残りの3週間とそれから先の、誇りと覚悟をもって選んだ自分の人生の中で、残ってしまった悔いを少しずつ小さくし、”真のエリート”になるべく生きていく。
それこそが、東大ラグビー部から与えられたミッションであり、自分ができる最大の恩返しであると信じたい。

ここまでお読みいただきありがとうございます。
最後にこの場で感謝を伝えたい人がいます。

一聡さんへ
思い返すと、初めて会ってからまだ1年も経っていないのが信じられないほど、沢山の思い出が蘇ってきます。
自分よりも遥かに高い視座で物事を俯瞰し、自身の考えを自身の言葉で伝えられる一聡さんと関わる時間は楽しく、幸せでした。
一聡さんを熊谷に連れていきたい。
試合中どれだけ苦しくても、その感情があったから、グラウンドに立ち続けることができました。
一聡さんと最後の年に出会えたことが、自分がここまでラグビーを続けてきてよかったと思えた一番の理由です。

青山監督、倶楽部の皆様、コーチの皆様、トレーナーの皆様、これまで一緒に戦ってくれたくれた方々、ありがとうございました。
また、怪我を負っている膝に毎試合完璧なテーピングを巻いてくれたもりぞーには特に感謝しています。

引退したら日常が、仲間と一緒に心の底からアツくなれたり、興奮したり、涙を流すようなシーンで埋め尽くされることはもうないと思うと寂しくて仕方ないです。と同時に、このような貴重な経験を沢山させてくれた東大ラグビー部と関わってくれた全ての方々にもう一度ありがとうございますと伝えたいです。

鹿児島でラグビーを始める決断をして良かった。
今はやっぱり最後の結果に対して後悔する気持ちの方が大きいけれど、間違いなくあの日から人生が豊かになりました。
昼休みに寮の食堂で熱心に勧誘してくれたヒロヤ、東京に来てから真っ先に声をかけてくれた廣瀬さんと前川さん、ありがとうございました。

これで僕の最後のリレー日記を終わります。
お読みいただきありがとうございました。

次は小野ちゃんにバトンを渡します。
入部したての頃は、マイペースでなに考えてるのかよくわからない小野ちゃんとは正直性格が合わなさそうだなと思っていましたが(勝手にこんなこと思っててごめんね)、一緒にDLでトレーニングしたり、学部が一緒になったりしたことで、関わる時間が増え、今ではすごく仲良くなったと思っています。
あと後輩の皆はあんまり知らないかもだけど、実はめっちゃストイックな性格で、PFCバランスをアプリで管理したり、体脂肪を落とすためにオフの日も早朝ランニングして、授業ほぼ切ってトレーニングに励んだりするような素晴らしい選手です。自分も見習えばよかったと思うところが沢山あります。
小野ちゃんがボールを持ったときの何かやってくれるだろうというワクワク感とゲインには何度も助けられ、心を動かされました。
一緒にプレーできて最高です、小野ちゃん4年間ありがとう。

後悔と決意

 written by 一木 空也 投稿日時:2024/12/05(木) 17:38

礒﨑からバトンを受け取りました一木空也です。今年の春先に立て続けに寝坊したことがあり始末書を書かせることになったのは申し訳ございませんでした。彼の言う通り1、2年は同じバックスで同じ怪我をしてFWに来てからはスクラムでは礒﨑に後ろから押してもらいラインアウトでは自分がリフトするというよく考えてみると何かとずっと一緒だったなと思います。彼は春からほとんどの試合で80分フル出場していながら大きな怪我無くきていて素直にすごいと思います。残り2試合も頑張りましょう。

これまでのリレー日記は内容の薄い、面白くないものばかりだったので最後ぐらいは気合入れて自分語りしていこうと思う。身長165㎝、体重65㎏で入部した自分はSHとしてスタートした。私たちの代のjrコーチ長だった藤井さんの仕切るjr練はかなりハードだったにもかかわらず同じSHだった同期の平川が練習後に静かに近寄ってきてひと言「パスしよ」と言われて毎日のように二人でアフターをしていたのがラグビー部で最初に残っている記憶だ。ただ練習するうちにもっとパスを放りたい、走りたい、キックを蹴りたいと思い始めてハーフをやめてしまった。今思えばあの時点でハーフをやめていなかった世界線がどんなものになっていたかとても気になる。それからはセンターやウィングをやっていたがハンドリングスキルもランスキルも才能なく努力量も足らなかったなと今では思う。2年になって未経験組の塩谷や雪竹がA戦に出始めて焦りを感じながらも捻挫やグロインペインも重なり2年生の多くの時間を無駄に過ごした。

2年冬の一橋B戦だった。怪我から復帰して間もなくの試合で控えウィングとして後半途中出場していた。なんてことない相手の脱出キックをキャッチできずノックオンしてしまい、試合後当時HCの大西さんからプロップ転向をすすめられた。この試合は4年間で一番の転機だっただろう。この時の心境はおそらく誰にも話したことがないと思うのでここに綴っておきます。もちろんこれは紛れもなくBKとしてのクビ宣言だったから2割ぐらいは悔しさがあった。ただ残りの8割は嬉しいようなすっきりしたような謎の感情だった。まず自分のBKとしての能力にかなり限界を感じていた。実際2年生の冬にB戦の控えウィングというのは自分としては苦しい立ち位置と捉えていた。自分の中でもボジション転向という形は考えていないこともなかったがキャリーもタックルも得意とは言えない実力だったからフランカーとかやっても同じことになると思っていた。そんな時に降りかかってきたプロップ転向は大きなチャンスと自分でも意外なほど前向きに捉えることができた。今までやってきたこととはまったく違う能力を必要とされることは行き詰まっていた自分にとって心を入れ替えるいい機会だった。幸運だったのはプロップ転向から2週間ほどで初のスクラムフルコンの試合に出ることができ、すぐに常翔学園ともスクラムを組めたこと。これで自分の中でも自信になりプロップとしてやっといけると感じられた。そこからは増量はきつかったがモチベーションも高く3年4月の上智B戦ではゲームキャプテンを務めることができた。今年はA戦に出られると自信を持っていた。

ところが試合の2日後から高熱と喉の痛みを発症した。唾を飲み込む痛みで眠りにつけない状態になり救急車で運ばれ入院した。幸いにも10日ほどの入院で済んだが家に帰り体重を測ると10kg減っていた。2年の12月プロップ転向が決まってから翌4月まで約8kgの増量になんとか成功したのにそれ以上の思いがけない減量に心が折れてしまった。復帰しかけた時もあったが続かず結果的に5ヶ月の休部に至った。この件に関しては素直にチームメイトに謝りたい。まず西久保さんの代はフロントが少ない状況でチームの強化に大きな打撃を与えてしまい、そして同期にもなんの相談もなく長期間休んでしまった。本当にすみませんでした。この休部を冷静に思い返すとやはり間違いだったと思うし、自分の中では4年間で最も後悔している。それでも電話をくれたり会ってご飯に誘ってくれたりした同期のおかげでもう一度このメンバーでラグビーがしたいと思わせてくれて結果的に部に戻るという4年間で最も大きな価値ある選択をとることが出来た。ただ夏合宿後に戻ってきたためチームの力になりきれずまたしても不本意なシーズンを送ってしまった。結局は4年間のうち3年間はチームに何も貢献できなかった。

今年はとにかくチームから離脱せずに貢献し続けること、スイカの1番を着ることを掲げてここまでやってきた。実際今年はすべてのA戦でベンチに入ることができ、対抗戦6試合で1番を着ることができた。今年のチームは春から調子も良く、周りからの期待も大きい中、対抗戦では成城戦まで本当にいい形できていただけに成蹊戦の負けは本当にくるものがあり、初めて試合に負けて泣いた。おそらくあれ以上の悔しさを人生で味わうことはないとさえ思う。まだ明学、武蔵に勝てば入替戦は出場できたが、悪い流れを断ち切れず連敗してしまったのは今年の自分たちの弱さがでてしまったと言わざるを得ない。特に後半3試合はスクラム含めたFW戦に勝てなかったことが負けに直結してしまった格好だ。対抗戦は不本意な結果だった。周りにも残念だったねと言われる。ただ東大は最後の定期戦でシーズンの印象が大きく変わる。だからラスト2戦、全力で勝って最高のシーズンとして締める。それが残された時間の責任であるし、勝って後輩に良いバトンを渡したい。そして最高の同期との最高のラグビーを最後まで楽しみたいと思う。


同期のみんな
これほど友達が少なく人付き合いの悪い自分がこんなに全員と仲良くなれたのはみんなの温かさのおかげです。最後までラグビー楽しんで走り切りましょう。

後輩のみんな
全員とよく話したかと言われるとそうではないですがみんなとても良い後輩たちで成長著しいなと頼もしく思います。最近自分はジュニアコーチとして来年練習に来ないのではとよく言われているみたいですが自分たちの結果を心から超えて欲しいと思っているので来年も極力練習には顔を出すと宣言しておきます。もし来てなかったら寝坊しているだけだと思うので叱ってください。それともしプロップやりたい人がいれば全力で教えます。

両親へ
大学からラグビーを始めることに大きく反対せず応援してくれてありがとう。そしてラグビーにのめりこんで他のいろんなことをおろそかにして迷惑をかけまくったこと、本当にごめんなさい。ここから一個ずつ取り返して恩返しします。名古屋と京都絶対勝つから楽しみにしてて。

最後になりますが4年間関わってくださったすべての皆様に感謝申し上げます。ありがとうございました。

次は奥山にバトンを渡します。奥山とは下級生のころはバックスとして一緒によく練習した思い出があります。結局二人ともFWになりましたが、今年の途中から始めたフッカーをこれほどの完成度まで仕上げたのはさすがとしか言いようがないです。今年1年スクラムを横で組んでいてどんどん良いスクラムが組めるようになり、今では奥山じゃないとしっくりきません。対抗戦でも多くの試合でゲームキャプテンを務めまとめてくれました。奥山がいなかったら今年どうなっていたかと思います。褒めると照れた顔をするので明日照れ顔を見るのを楽しみにしてます。
 

最後の挑戦

 written by 礒崎 竜之介 投稿日時:2024/12/04(水) 18:19

グラウンド全体が地響きするようなファイティングスピリッツでチームを勝利に導いてくれたデルからバトンをもらいました、4年の礒崎です。初めて体験練習へ行ったときは「同期にいかついのがいるな」くらいに思っていましたが、思えば部で最初に仲良くなったのはデルだった気がします。カナダから日本に帰ってきてからは、チームを引っ張る役割も担ってくれて、彼の持ち前のエナジーと優しさには何度も救われました。年末に会うのが僕も楽しみです。

これまでラグビーのことはリレー日記で触れてきませんでしたが、最後なので少し真面目に書きたいと思います。

自分たちの学年の我が儘を通してもらい、倶楽部の協力もたくさんいただいたこと、下級生の頃から経験を積んだメンバーが多く残っていること、昨年主将の西久保さんがチームに残ってくれたことから、今年は何としても結果を出したい年だった。しかし、対抗戦では4勝しかできず、去年と同じ4位に終わってしまった。後がなくなった明学戦や最後の武蔵戦で負けた後は、悔しさよりも、歴史を作るための真剣勝負が負けて終わってしまうことへの喪失感が大きく、引退が近くなるのとは無関係に、自然と大学でのラグビー生活を振り返ることが増えた。

体重が60キロほどしかない状態で、中学卒業と同時にやめたラグビーにもう一度、しかもわざわざ東京大学に入ってまで挑戦するという選択は、冷静に振り返ると正気の沙汰じゃないが、無難な生き方ばかりしてきた人生を考えると、体験練習でジュニアコーチの人に煽てられ、良い気になっていたことを差し引いても、よく決断したな、と思う。

そもそも、入学当時ラグビーをやる選択肢は全くなかった。クラスの先輩に奢ってもらった流れでアメフト部の新歓タッチフット大会に二度行き、体育会もいいな、くらいには思ったが、そこで偶然出会った桑田という人に「ラグビーやってみない?」と誘われなかったら、ラグビー部の存在すらまともに知らないまま卒業したかもしれない。断りきれずに体験練習に行くと、アメフトのタッチフット大会でおとなしくしていたはずの桑田君が、実はラグビーに魂を売ったような人で、初回からハッスルプレーを見せられたことには面食らったが、元ラグビー部の自分にとって、ラグビー部の空気が合ってしまっていることも同時に感じた。その時から、結局ラグビー部に入るのかな、という「雰囲気」が自分の中で生まれ、ラグビー部への参加が増えていった。

とはいえ、当時の同期、先輩の皆さんには申し訳ないが、相応の覚悟を持って入部したわけではない。中学時代を通して、ラグビーは本当にきついし痛いし難しいものだと知っていたし、自分に才能がないことも自覚していたので、やっぱり無理だと思ったら辞めて、高校時代と同じくフェンシング部にでも入ろうとも少し思っていた。自発的にラグビー部の門を叩いたわけでは無い以上、なかなか覚悟を決められなかったのが正直なところだ。

実際、4年間で小さな挫折は多くあった。1年生の試合期や2年生の春には、同期が試合にたくさん出る中で自分は怪我ばかりでなかなか経験を積めず、2年生の秋から3年生までは、試合には多く出られたものの先輩やコーチの期待になかなかこたえきれない日々の連続だった。フォワード・バックスを行ったり来たりするのは楽しかったが、しっくりきたのは転向直後だけで、自分に飛び抜けたものが無いことを思い知ることの繰り返しだった。その他にも上手くいかないことばかりだったが、結局辞めたいという気には一度もならなかった。いつの間にか、大学生活をラグビーに捧げる覚悟ができていたのだと思う。

特に、2年生の頃に入れ替え戦で成蹊大が日体大に勝って昇格を決め、歓喜に沸いているのを目の前で見た時、単純だが自分もこの場に立って勝ちたいと強く感じ、そこから入れ替え戦という目標をより強烈に意識するようになったのを覚えている。

そして、4年生としては必ず目標を達成しようと意気込んで今シーズンを迎えた。最高学年ながら特に役職はなかったので、良くも悪くも自分の実力をつけてプレーでチームに貢献することに専念した。結果的に、幸いにも大きな怪我なく練習・試合経験を着実に積むことができた。ラグビー再開4年目にして、次第にできることが増えている実感もあって、ラグビーをする日々が純粋に楽しかった。シーズンが進むにつれてチームに信頼してもらえるようになったことは自信にもなって、より勝ちたいというモチベーションにつながっていた。毎年実力伯仲だが目標達成のためには絶対に負けられない上智戦や、負けたら終わりの明学戦前は流石に緊張してしまったが(ここで普段と心持ちが変わってしまうところに自分の未熟さがある)、それ以外は変に自分を追い込むことなく、良いプレーをすることに集中して試合に臨めていた。特に成蹊戦の試合直前はチームの一体感、高揚感も最高潮で、心身ともにベストの状態で臨むことができた。自信もなく、ミスせず試合を終えることばかり考えていた頃を考えたら、それなりに成長できたと思う。

一方で、チームの力を試合中にグラウンドで表現し、相手と勝負できるのは代表として出場している15人だけだ。ある意味他のメンバーの出場機会を奪って自分が試合に出続けており、4年生である自分の負けや失敗に「次の成長に役立つ」という意味合いが無い以上、春の学芸大戦、早稲田戦、夏の慶應戦、そして対抗戦の成蹊、明学戦と、悉く大事な試合で結果を出せなかった責任を負う割合も大きいと感じる。同じ結果なら、自分より未来ある後輩が試合に出た方が東大ラグビー部の未来にとっても有意義なことだっただろう。それほど、4年生としてフル出場するからには結果を出す責任があったと思う。「東大の6番」として、かつて6番をつけてプレーした先輩方や、同じポジションの後輩たちに恥ずかしくないプレーができたとは、今でも胸を張って言えない。

だからこそ、引退モードになることはまだせずに、最後に残った2試合では自分のラグビー生活を締め括るにふさわしいプレーをするために努力を続けたい。そして、自分のプレーを見て、お世話になった先輩に成長を見せられるような、あるいは何か後輩に感じてもらえるようなことがあれば、対抗戦後の時期に試合に出る責任を少しは果たせるだろうと思う。名古屋大や京大に勝っても、4勝3敗という対抗戦の成績が変わることはない。しかし、残りの2試合は今年のチームが強かったことを証明する本当に最後のチャンスなので、吉村組のメンバーとしての、そしてラグビー選手としてのプライドをかけてプレーし、必ず勝利したい。

やや重い内容になり恐縮ですが、12月初旬ということで、最後に向けた決意表明という形で書かせていただきました。最後に、ラグビー人生に関わってくれた皆さんに感謝の気持ちを述べたいと思います。

家族へ
勉強するはずだった大学で、ラグビーを再開することになるとは思わなかったでしょうが、4年間応援してくれてありがとうございました。

先輩、倶楽部の方、関わって下さった監督、コーチの方々へ
僕の、そしてチームの能力を信じて指導、支援して下さり、ありがとうございました。最後に成長した姿をお見せしたいと思います。

トレーナーの皆さんへ
怪我や不調の多かった自分がここまでプレーを続けられたのは、工藤さんはじめチームに関わって下さったトレーナーの皆さん、そして山手クリニックの方々のおかげです。ありがとうございました。

後輩へ
頼りない4年生だったとは思いますが、時に文句を言いながらもチームについてきてくれてありがとう。なりたい選手像をレベル高く持って、ぜひ目標達成してください。全員まだまだ強く、上手くなれます。 

同期へ
この仲間と目標を達成したいと本気で思えたからこそ、ここまで頑張れました。あと少し、一緒に頑張りましょう。

ラグビーを好きだと自信を持って言えるようになったのは皆さんのおかげです。本当にありがとうございました。

次は、バックスからプロップへの転向後、朝起きること以外の面では凄まじい成長を見せてくれた一木にバトンを渡します。同じ時期に股関節を怪我してリハビリ生活を送り、2年冬にはほぼ同時にフォワードに転向するなど、一木とは多くの時間を共に過ごしてきました。僕が一人暮らしの時は住む地域が近かったため、毎夜練後のように下北沢や明大前で一緒に食事したのも良い思い出です。最後まで一緒に試合に出られるように、お互い怪我なく頑張りましょう。

 written by 池田 怜央 投稿日時:2024/12/02(月) 18:30

 1年生の河村からバトンを受け取りました、4年の池田怜央です。河村とはあまり喋る機会がなかったのですが、練習で素速いステップを切る姿が印象に残っています。あと3年間、頑張って欲しいです。
 

 今、フランスでこの最後のリレー日記を書いています。

 私は9月に東大教養学部を卒業し、パリの経営大学院に入学しました。東大ラグビー部を離れてもう4ヶ月になります。

 こちらでは、世界各国から集まった同級生に、「学部生の時何をしていたか」と良く聞かれます。正直に答えると、「ラグビー」の一言です。東大では、ラグビーが私の生活の中心で、四六時中ラグビーのことを考えるか、練習するかでした。今は、大学院でしっかり学業に励んでいます。

 

 今年の春シーズンは、自分にとって最後の対抗戦でした。皆でハードな練習を乗り越えて、いい試合を積み重ね、チームが対抗戦に向けて強くなるための、とても良いシーズンでした。東大ラグビー部を離れる前の九州大学戦も最高の経験でした。

 

 ただし、秋の対抗戦に出られないのは、一番寂しく、辛く、悔しいことでした。チームと一緒に最後の対抗戦の舞台で勝利し結果を出すことが、私にとっても4年間の目標でした。自分は遠く離れたフランスから、Youtubeのライブ配信で応援することしかできませんでした。

 

 しかし、東大ラグビー部に入部したことは、一切後悔していません。2020年秋入学後、キャンパス立ち入り禁止だったコロナ禍のもと入部しました。最初は一つ上の代に入り、西久保さんたちとはタメ口でした。数ヶ月後の2021年春に入学した代と一緒に0から部活を経験したかったので、そちらの一員になりました。そして、西久保さん達とは急に敬語になりました。日本語が第一言語ではない私は、1年生の時はSlackとLINEグループの内容を全てDeepLで翻訳して何とか理解していました。朝練、きついトレーニング、日本への適応。最初の2、3ヶ月間は疑いと試練の時期でした。勉強するために東大に来てなんでこんなにきついラグビーをしてるのか、絶対に無理だと何度も思いました。新しい環境で疎外感を感じた時期でした。

 

 でも、今4年間を振り返ると、入部した自分の決断は正しく、私は結局ラグビーをするために東大に来たのだと実感しています。最高の4年間でした。

 

 逆に、入部していなかったら今自分はどこに居て、何をしてるのかよく考えます。その違うマルチバースにいる自分がどんな人間になったのか知りたいです。

 

 フランスに来て、大学院のラグビー部でもプレーをしていますが、東大とは全く違う環境です。よくOB・OGの皆様が言われる「東大ラグビー部の恵まれた環境」でプレーをしていたことに改めて気付きました。素晴らしいグラウンドと施設で、何より最高のサポート体制でラグビーをさせてもらっていました。
 

 

 OB・OGの皆様、青山先生、コーチ陣の皆様、トレーナーの方々、S&Cの方々、ATの方々、先輩方、4年間自分を選手として、人として成長させて下さり、本当にありがとうございました。感謝の気持ちをお伝えします。

 

 同期へ、みんなと最高の時間を過ごせて、日本での大学生活を楽しめた。4年間ありがとう!あと2つの定期戦、思い切り楽しんで!

 

 後輩へ、みんなと部で過ごした時間はとても貴重でした。練習内外の姿を見ながら元気をもらいました。ありがとう。4年間ってあっという間に終わるから、毎日を楽しんで下さい。
 

 両親へ、4年間支えてくれてありがとうございました。遠距離のため、あまり会えませんでしたが、深夜や早朝に生配信で試合を見てくれて、応援してくれて本当にありがとうございます。心配や迷惑をかけてすみません。

 

 次は礒崎にバトンを回します。彼は東大ラグビー部のキーマンです。練習や試合ではあまり声を出さない礒崎ですが、プレーでチームを引っ張ってリードしてくれます。1年生から一緒に多くの試合を経験し、楽しい時間を過ごしました。2年生の時に、私がカナダに交換留学に行った時に、目に涙を溜めて送り出してくれた姿に感動しました。その時、礒崎と東大ラグビー部との強い絆を感じ、今は自分の家族だと思っています。年末に会えることを楽しみにしてるよ、ザキ。

 

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