ラグビー部リレー日記

折り合い

投稿日時:2019/04/03(水) 18:51

 怪我をしている人皆に「焦りは禁物ですよ」と声をかけている今塩屋からバトンを受け取りました。4年の佐藤伶央です。実際僕はどうかというと、リハビリが慎重すぎて復帰が遅れたりする経験が多いので、意識して少しだけ無理をするようにしています。



 今塩屋の言う通り最近ブスパートという非常に不名誉なパートに誘われましたが、普通に腹が立ったし全く謂れのない誹りであるのでLINEグループには参加していません。



 



 ここまでの3年間のキャリアで怪我ばかりしているので、僕も怪我について書こうかと思います。



 



 怪我をしている最中のモチベーションの保ち方や、長い怪我から復帰した後のメンタリティについては世の中で語り尽くされていると思いますが、僕はその中でも「怪我の期間は転機、好機である」という言説が、以前は嫌いで仕方ありませんでした。もしそうなのであれば万全の状態を整えて練習に取り組んでいる人間が馬鹿を見ていることになるし、怪我をした人が認知を歪めて、怪我によって制限された自身の取り組みや環境因子を正当化しているようにしか思えませんでした。



 



 自分が3年間で3回も手術を受けるハメになってどのように意見を翻したかというと、ほぼ真逆の立ち位置です。



  「怪我は好機である」という言説は誤っていませんし、実際に有用でもあります。 



 



 東大生の多分に漏れず、自分も正しく無い、事実でない考えを許容するのは非常に難しいものがありますが、そもそも自分が怪我をしていなかった場合のことを確かめることは出来ないので、「怪我は好機である」という命題に真偽は存在しません。故にこれは少なくとも誤ってはいません。”もしそうなのであれば万全の状態を整えて練習に取り組んでいる人間が馬鹿を見ていることになる”のように述べましたが、万全の状態で練習に取り組んでいる人は実際に馬鹿を見ているかもしれず、もしかすると練習をするくらいであれば患部以外に限ってでもフィジカルトレーニングに集中した方がいいのかもしれませんし、その真偽を確かめることもまた不可能で、そのような取り組みを行えるのは怪我をした人間のみです。逆に万全の取り組みをしている人間が報われるべきであるという以前の僕の考えこそが公正世界誤謬という典型的な認知バイアスに当てはまります。



 



 東大生らしくことの真偽にこだわって語って見ましたが、真偽を度外視した場合にこの考えは有用です。同じ練習ををするときに、「自分の取り組みは劣っている」と思い込みながらする場合と、その逆の場合でどちらが優れた能率になるか、疑問を持つ人は少ないと思います。怪我をしていようがいまいが、最も優れた取り組みをするためには自分の取り組みこそが最も優れていると思わなければいけません。



 



 以上のことで「怪我は好機である」ことが少なくとも誤っておらず、また有用な考えであると思っていただけたのではないでしょうか。怪我をした人間は怪我をしたなりの取り組みをするしかありませんし、怪我をしなかった人間は怪我をしなかったなりの努力をするしかありません。少なくとも僕はこのような経緯でこの考えを採用するに至りました。



 



 ここまで書いて来ましたが、個人には個人の、さらにその時々で異なるものの考え方があり、実際に怪我をしてみないと分からないことや、怪我をしなかった場合にしか分からないことが存在します。ですのでこの考えは全ての人間に当てはまるものでは勿論ありません。怪我をした人間には(怪我をしていない人間にも)どのような形であっても自分の中で折り合いをつけて日々取り組んでいただきたいと思うし、この稚拙な文が少しの助けにでもなれば幸いです。



 



 次は未経験ながらハーフとしての実力をつけつつある津田君にバトンを渡したいと思います。

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