ラグビー部リレー日記

いらすとや final

投稿日時:2024/12/23(月) 22:30

本多からバトンをもらいました森田です。



溢れんばかりの文才を見せつけられ、次が非常に書きにくいです。

子どもの頃から天才だったとかつてのスモブラで聞きましたが、どうやら本当だったようです。



1年生の頃から先輩たちにその才能を買われてあらゆるセクションに引き抜かれ、特に広報では馬車馬のように働かされてヒーヒー言っていました。



一方、会報は大学生になった彼にとっての梅干しだったのかもしれません。

珍しく手伝ってくれたかと思えば、普段温厚でめったに怒らない本多が細かいパソコン作業に辟易して発狂、後輩スタッフを慄かせる意外な姿も見せてくれました。



日常的に会えなくなるのは寂しいけど、忙しい中でもたまに会ってください。



——



同期のみんなのリレー日記を読み、ラグビーや部活動に対する熱い想いを語れてすごいなぁと一歩引いてみてしまう自分がいます。



この数週間、「もりぞーリレー日記どうするの?何書くの?」といろいろな人に聞かれました。

おそらく私が普段何を考えているか分からず、ラグビー部のことも好きではなさそうだと思われているからだと思います。



あながち間違ってはいません。

正直、自分でもなぜこの部活を4年間続けられたのか不思議です。





私は弱いので部員の誰にも打ち明けられませんでしたが、何度も辞めたいと思ったことがありました。

辞めたいという気持ちを隠して(見透かされていたかもしれませんが)平然と過ごしていたことについては罪悪感を覚えています。申し訳ないです。



辞めたいと思った理由は時期によってさまざまで、ここに書くのも憚られるので、なぜ辞めなかったか、辞められなかったのかを中心に振り返りたいと思います。



——



「辞める勇気がなかった」というのが、1番しっくりくる率直な理由です。



4年間で1番辞めたくなったのは、ちょうど1年前くらいでした。このあたりの記憶がほぼなくなってしまい、何が原因だったのかはよく覚えていません。

でも、1,2年のときは高かった部活へのモチベーションや当事者意識が様々な要因で薄れていき、このときにはほぼ消えかけていたのはたしかです。そして、このときのラグビー部のことはきらいでした。



どうやって辞めることを部員に伝えようか、LINEならどんな文面にしようかと考えるくらいには心が決まっていました。でも、ちょうど代替わりの時期で、色々と忙しそうな同期とチームを前に、話を切り出すタイミングを逃しました。

意外と空気を読んでしまう節があるので、なかなか言い出せず、タイミングを窺っているうちに気がついたら数ヶ月が経っていました。そしてその頃にはもう今年のチームが始動していて、辞めるに辞められない状況になっていました。



いつ辞めようか考えている間、会報のことが浮かびました。



当時スタッフで唯一の会報委員で、1人で大方の仕事を抱えていた中辞めるのはさすがに無責任すぎると思ったし、1度も会報を作ったことがない1年生に丸投げすることになる申し訳なさもとても大きく、辞めるという大きな一歩を踏み出せませんでした。

会報に限らず、他のセクションについても同じような気持ちを抱いていました。



責任感が強いとかそういう綺麗な話ではなく、ただ大胆な決断をする勇気がなかっただけでした。



——



でも、もし100%辞めたい、ラグビー部がきらいだと思っていたら、タイミングを窺うことなどなく、すぐに辞めてしまっていたと思います。

そうならなかったのは、1年の頃にJrコーチが開いてくれたミーティングのおかげだと思っています。


そのミーティングでは、1年生みんなで、学年としての目標と、個人として4年間部活をする"目的"を考えました。目的は、もし万が一目標を達成できなかったとしても、4年間を意味のあるものにするために決める、軸となるものという位置付けでした。



~~

私は昔から飽きっぽい性格で、何かに継続して打ち込んだことがありませんでした。



子どもの頃は、ピアノ、水泳、そろばんなど、今思えば東大生定番の習い事を一通りかじり、それに加えてフィギュアスケート、速読などちょっと特殊な習い事もさせてもらっていました。

でも、どれもそれなりにできるようになった頃には飽きてしまい、飽きたら辞めてまた新しい習い事を始めていました。贅沢な子どもだったと思います。



中学校では、そこそこ足が速くて運動会のリレーが大好きだったことから、陸上部に入りました。

普段はアップを兼ねて学校から代々木公園まで走っていき、公園内やフィールドで軽く練習をし、部活後には先輩にアイスを奢ってもらうなど楽しい時間を過ごしていました。

でも、入部から2ヶ月後の夏合宿で、200mを15本連続で走ることになりました。休めるのは400mトラックの残り200mを歩いて戻る間だけで、3kmをほぼ全力で走るのは本当にきつかったです。

周りが足を痛めたと言って抜けていく中、幸か不幸か怪我をせず、サボる勇気もなかった私は泣きそうになりながら走り続け、限界を迎えました。

そして夏合宿から帰ってきてすぐ、幽霊部員になりました。幽霊部員のまま5年が経ち、そのまま卒業しました。

顧問の先生に退部届をもらいに行くのが気まずいからという情けない理由で、きっぱり部活を辞めることすらできませんでした。

~~



大学では、飽きたらやめる自分、きついことがあると逃げてしまう弱い自分と決別したかったので、私がラグビー部で活動する目的は、もし嫌なことやつらいことがあっても置かれた環境から逃げない自分になること=辞めずに4年間続けること、だと思いました。



ラグビー部で辞めたくなるほどつらいことがあったときは、毎回このことが頭をよぎりました。このまま辞めたら、結局また逃げてしまった、過去の弱い自分から成長できなかったという負い目を感じ続けるんだろうと思いました。



本気で辞めようとしていた1年前も、最後に私を引き留めてくれたのは、この自分の決心だったと思います。



というわけで、ミーティングを企画してくださった藤井さんの代の皆さんには本当に感謝しています。あの時間がなければ、私は今ここにいないと思います。ありがとうございました。



——



また、4年間で何度か出会えた心を揺さぶられるような試合は、やっぱり辞めなくてよかった、この選択は正解だった、と思える瞬間でした。



特に、3年前の対抗戦初戦、上智大学戦は今でも鮮明に覚えています。

試合終了間際に逆転されたあと、ノータイムで國枝さんが再逆転トライを決め、選手たちが抱き合ってよろこんでいるのを目の前で見たとき、ラグビー部に入ってよかったと心から思えました。



ちょうど大学での初めての学期が終わって、部活と医進がおそらく両立しないであろうという厳しい現実に直面し、すこし弱気になっていたときでした。



夏休み前の試験期間中、朝練後に勉強をするため駒場の図書館に向かうと、すでに多くの学生が机に向かっていました。夜練の前に図書館を去るときも、まだほとんどの学生が居残って勉強を続けていました。医進した先輩の体験記には、楽しそうに遊んで過ごすクラスメイトを横目に、一日中図書館にこもって勉強した、と書いてありました。



それに比べて自分は…と思わずにはいられませんでした。

誇張ではなく、キャンパス内の人全員がライバルに見え、内心かなり焦っていました。



でもあの上智戦の劇的なトライは、私のちっぽけな悩みを吹き飛ばすのには十分過ぎるものでした。どんな試合を見ても滅多に動かなかった私の心を、強く掴んでくれました。





これ以降、勉強を理由に部活を辞めたいと思うことは1度もなくなりました。

むしろ、部活という逆境が、限られた時間で効率よく勉強するための原動力にすらなりました。

それに、もし医進できなかったら、周囲からは「部活が忙しいから仕方ない」と同情されることが容易に想像でき、それだけは本当に嫌でした。

部活も勉強も言い訳せずにやってやる、と決意しました。



…と、2年の秋頃まではこのちょっと熱い気持ちのおかげで部活をがんばれていましたが、医進してからの現実はそれほど甘くありませんでした。



授業が全て必修になり、部活に行ける日が少なくなりました。

2年のSセメは、授業抜けをするような履修を組んではいけないという暗黙の了解のもと、全ての練習に参加できていました。部活に行くことが日々の楽しみでした。

それなのに、夏休み後からは授業で朝練を欠席、夜練にも遅刻することになり、部活との距離が急激に広がりました。これを補う努力が足りなかったせいで、どんどん当事者意識が薄れていきました。



そしてこのあとの1年半、部内外で本当にいろいろな経験をし、いろいろな感情を抱きました。



その結果、本気で辞めてしまいたいと思うようになり、身の引き方まで考えるに至りました。



でも、結局辞める勇気がなかったり、4年間辞めずに続けるんだという初心を思い出せたりしたおかげで、なんとか今日を迎えることができました。



特に後半の2年間あまり部に貢献できなかった自分にこんな権利があるのか分かりませんが、京大戦では、またあの上智戦のような景色を見てみたいです。



同期が魂が震えるような試合をしているところを見られるのは、どんなにしあわせなことだろうかと思います。表情に出なくても、ちゃんとこういう気持ちはあります。

ラグビー部のことは、今はすきです。



——



さて、前置きが長くなりすぎましたが、4年間たくさんの思い出をくれた同期のみんなに、感謝を込めていくつかイラストを贈り、最後のリレー日記としたいと思います。



 

あきお



副将のほかSEセクション長の顔も持つあきお。

去年からスタッフ内のプログラミングの仕事をたくさん手伝ってくれて、知識0の私にもいろいろ教えてくれました。ありがとう。

私はあまり被害を被っていませんが、ちょっと汗がくさくていびきがうるさいらしいです。(オブラートに包めませんでした。ごめんね)





 



デル

類まれな言語力とコミュニケーション能力で、たくさんのPEAK生や留学生をラグビー部に連れて来てくれたデル。

デルの明るさには何度も助けられました。ありがとう。

同期で1番ビールが似合う男でもあります。京大戦楽しみにしてるよ!また飲もうね。





 





礒崎

こぼれ球を逃さずトライに繋げる仕事人、礒崎。

1年の時のスモブラでの500円プレゼント企画で、「実用的でないもの」というテーマだったのに1人だけ勘違いして超実用的なマスクをくれたのが今でも忘れられません。

こんなエピソードしかなくてごめん。そこにいるだけでなんか和みました。ありがとう。



 

 



一木

最初は寡黙な感じだったのに、今やすっかり寝坊いじられキャラになってしまった一木。

彼女とのドライブデートの話をうれしそうに教えてくれたのが印象的です。

いつも自然体で、とっても話しやすかったです。ありがとう。







 



おっくん(奥山)

さすがの規律正しさで、将来大物になりそうランキング1位のおっくん。

テーピングをすると、毎回試合後に律儀にありがとうと言ってくれました。

特に今年は試合にも出続けられて、おっくんの素顔もたくさん見られて楽しかったです。ありきたりな言葉だけどやりがいを感じさせてくれました。ありがとう。

穴のあいた靴下を履き続けちゃうギャップもいいと思うよ。







 



小野ちゃん

いつものほほんとしているオールスター小野ちゃん。

スーツの着こなしに貫禄があります。

最初はお互い静かだったけど、今年は色々と本音(たぶん)を話してくれて楽しかったです。ありがとう。

定期を何度も落とすなど、うっかりしているところもまたよかったです。はやくApple Pay試してね。



  



 



デイビス

よく部員の髪を切ってあげている、お兄ちゃん気質のデイビス。

初めて練習に来た日に張り切りすぎて脳振盪になり、くらくらしていたのが遠い昔のことのようです。

当時は英語でラインを送っていたのに、今は都合の悪いときだけ日本語が分からないフリをできるまでに成長し、地頭の良さを感じずにはいられません。

素直なデイビスと話すと心が浄化されました。ありがとう。

レイラちゃんとも末長くお幸せに。









くらら(倉橋)

雨の日に傘をささず、曇りの日にサングラスをかける逆張りくらら。

アメリカ生活の方が長いのに、なぜかイギリス訛りの英語で英国紳士っぷりを見せつけてきます。

くららは部活の同期ではなく友達と思える唯一の存在でした。ありがとう。

日常的に会えなくなるのは寂しいですが、忙しい中でもたまには会ってあげます。







 



スバル

母性本能をくすぐることを自覚し武器にすらしているスバル。

テイクフリーに目がないケチ倹約家で、テーピング節約術のプロ。

ガハハというスバルの豪快な笑い声を聞くといつも元気になれました。ありがとう。

こんなに素直な子がどうやったら育つのか、子育ての秘訣を知りたいとずっと思っていました。







 



りん

部活への熱意に溢れ、新歓力で右に出る者はいないりん。

部のためにレフリーを始め、今年はスタッフ長も引き受けてくれました。

りんのサバサバさには4年間で何度も救われました。ありがとう。

バレンタインやお誕生日会で毎年売り物レベルのお菓子を振る舞ってくれる姿からは想像できないりんの荒々しい言葉遣いは、何度聞いても突っ込まずにはいられませんでした。







 



塩谷

自他共に認める真面目キャラの塩谷。

1年生の頃はザ・優男という感じで非常に話しにくかったですが、意外と人間らしい一面もさらけ出してくれるまでになりました。そんな塩谷と愚痴を言い合うと、なんだか心が軽くなりました。ありがとう。

今年は厄年だったみたいなので、来年は幸あらんことをお祈りしております。









清和

部内の噂をすぐに広める拡声器、清和。

話の面白さはピカイチで、何度も笑わせてもらいました。ありがとう。

ひとの恋愛をネタにするわりに、自分のデートの前にはエピソードトークをたくさん用意しオチまでの構成を練りに練っておく一途な面もあります。

先の自分語りパートでは、清和のアドバイス通り"原体験"を入れてみました。合格ですか?











よーた

私が東大ラグビー部に入るきっかけをくれたよーた。

よーたとは小学校のロボットクラブで出会いました。

それから高校で再会して一緒に花園予選を観に行き、全ての始まりをつくってくれました。ありがとう。

これからも夢に向かってがんばってね。







 





言わずと知れた人気者の辻。

ネトスト力と妄想力は誰にも負けません。あと返信が早くて助かりました。ありがとう。

ところで入部前から熱中していたスタンプラリーは終わりましたか?そろそろ次の台紙に移る頃かな。









にの(二宮)

ラグビー部1の変わり者、にの。

大正時代を思わせるセットアップを着こなすおしゃれな面もありました。

にのはいつも何も言わずにスタッフの片付けや荷物運びを手伝ってくれました。ありがとう。

最近姿を見かけませんが、元気でいてくれたらうれしいです。







 



本多

うどんを2口で食べるプーさん本多。

どんなときも温かく見守ってくれる、大人な本多が同期にいてくれてよかったです。ありがとう。

本多は、そんな成熟した一面に、部室内外を裸でうろつくインモラルさも共存する、バランスのとれたすごい人でした。









よーこ

ラグビー部への愛が人一倍強く、私生活も愛に溢れるよーこ。

去年はスタッフ長、今年は主務として献身的に部をサポートしてくれました。ありがとう。

忙しいはずなのに、いつ来ても部室ですやすや眠っている姿が印象的です。部員とも仲良しで、先輩後輩問わずみんなに慕われていました。

甘々教官とのエピソードまた聞かせてね。







 



雪竹

イケメンなのにどこか抜けたところがある雪竹。

学歴厨を極めており、私が医進したとき1番よろこんでくれたのはなぜか雪竹でした。ありがとう。

年上なのにいつも奢ってとせびられていた気がしますが、来年からは高給取りになるみたいで羨ましいです。

あと、少食のせいでいつも苦しそうに食事をしているので、卒部したら楽しくご飯を食べてほしいです。







 



じゅたろう

アツいという言葉が似合いすぎるキャプテンじゅたろう。

いつの日だったか、2人で歩いていたとき、何気なく「(医学部に行っても)ぜったい辞めるなよ!」と言ってくれたのは本当にうれしかったです。4年間がんばってくれてありがとう。

部活外では赤ちゃん動画のファン仲間でしたが、街にいる子どもたちを遠くからじっと見つめて怪しい視線を送るのだけはやめた方がいいです。

いつか虫嫌いも克服し、楽しみにしていた子育てをできる日が来ることを願っています。

プロテインを飲む人のイラスト









次は雪竹にバトンを渡します。

みんなからいじられ放題の雪竹ですが、たくさんいいところがあります。



まず、アイドルのような顔立ち、スタイルの雪竹は、髪型にもしっかり気を遣っています。おでこが後退していることなんて誰も気付かないようなかわいいヘアスタイル、とても似合っています。



また、練習やウェイトで忙しい中、バイトもがんばっていました。運搬業、週6の家庭教師、隙間時間の単発バイトなど多岐にわたる仕事をしていたそうです。

私をはじめとする多くの部員と違って、親の脛をかじらず自立した生活を送っていているところ、尊敬しています。



ラグビー面では、未経験ながらスイカのスタメンに定着し、自分の頭を犠牲にした猪突猛進タックルを何度もかまして大活躍でした。将来が心配なのでどうぞお大事に。



そして何より、雪竹の1番の魅力は心が綺麗なところだと思います。

名古屋のAMFでリレー日記について話していたら、「紹介は長ければ長いほどうれしいなぁ、できれば人間性を褒めてほしいかなぁ」と言っていたので、ちょっと長めに書いてみました。



この素直さがみんなに愛される秘訣なのでしょう。


 

 



 

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