ラグビー部リレー日記

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悔いなく

 written by 藤原 拓朗 投稿日時:2016/12/20(火) 22:00

小沢よりバトンを受け取りました。藤原です。
数日前から最後のリレー日記で何を書くかを考えていましたが、結局考えがまとまらなかったので思いついたことを書いていきたいと思います。拙文ですがご容赦ください。

長かった4年間が終わろうとしている。入学時、何か必死に打ち込めるものをやろうと考えた際に真っ先に思い浮かんだのは中高で6年間やってきたラグビーだった。運動神経の決して良くない自分が結果を出せるのは多少のアドバンテージのあるラグビーしかないという消極的な理由もあったが、何よりもラグビーが好きだった。1年生ころはの経験者といってもお世辞にも強いとは言えないような高校出身の私では練習についていくのがやっとで何かを考える余裕もなく、自分が上達していることを実感できなかった。2年生になり多少の余裕が出てきたのか、自分が客観視できるようになり成長を実感できるようになってきた。先輩の怪我があったためではあるが初めてスイカをいただき、スタメンで対抗戦に出場できた。ラグビーを心の底から楽しんでいた。しかし3年生になってすぐに大怪我をした。前十字靭帯の断裂。全治8ヶ月の大怪我だった。病院でそう告げられた直後は実感がまったく湧かず、焦燥感も不安も何も感じなかった。だが時間が経つにつれて、ラグビーができない辛さ、同期や後輩が活躍している焦り、チームに貢献できない不甲斐なさなどの負の感情に飲まれてしまい苦しかった。それでも部に残ったのはラグビーが好きだからだけでなく、東大ラグビー部が好きだからだったと思う。

だからこそ4年に上がるとき自分から主務をやると手を挙げた。それまでチームに貢献できていなかった自分が大好きなチームに最大限貢献するためには主務になることが望ましい、長い間考え続けて出した結論だった。しかし実務はほとんど副務の藤永に頼りっきりになってしまい、チームに貢献できたかは疑問符が残る。
肝心のラグビーでも心残りが残る。シーズン開始時から人一倍努力しなければ怪我の遅れは取り返せないと思いながら練習した。特に今年のチームの方針は私の苦手とするパスラグビーだったのだから尚更だ。そんな努力が身を結んだのか、他のメンバーの怪我のためなのか、春の定期戦の数試合でスイカをいただき、夏にはAチームに定着できた。心の底から嬉しかった。そんな中対抗戦が始まり、一橋、明学とスタートで使っていただきながら貢献できず負けてしまった。失意の中にいる自分に追い打ちをかけるように病気になった。蜂窩織炎という傷口から細菌が侵入する病気だ。飛び抜けた実力があるわけでもなくチームが苦境の時に練習にいない人間がチームに信頼されるわけもなく、それ以来リザーブに入ることはあってもスタートにはなれなかった。

長々と書いてきたが結局言いたいことは私はまだ満足していないということだ。この際チームにとって自分がどうだったかは一旦横に置いておく。今更悔やんだところで何かが変わるわけではない。しかし自分がこの4年間で得たものを発揮し、この4年間を悔いのないものにする舞台がまだ残されている。4日後京都で集大成を飾り、悔いなく引退するためにも残りの日々をがむしゃらに頑張りたい。

毎度のことながらまとまりのない文章になってしまい申し訳ありません。
最後になりますが、物心両面で多くのご支援をくださったOBの皆様、お忙しい中、時間を割いてグラウンドまで指導にいらっしゃってくださった監督、コーチ、トレーナーの皆様、自分を引っ張ってくれた先輩方、楽しい時も苦しい時もともに歩んだ同期、こんな自分についてきてくれた後輩達、そして心配、迷惑をかけた時も常に応援してくれた両親と兄弟にこの場を借りて心からの感謝を申し上げます。本当にありがとうございました。

次は副将の大畑にお願いします。

僕のラグビー人生

 written by 小沢 壱生 投稿日時:2016/12/19(月) 21:21

1年生のときからずっと隣にいた難波君からバトンを受け取りました、小沢壱生です。
野球部の4年生が引退前に毎年書く「僕の野球人生」が好きなので、僕も同じ形式で書こうと思います。
 
1年生
今から思えば、心に迷いがあったのだと思う。
スポーツのために東大に来たわけではないし、脇を見れば“大学生らしいこと”を謳歌している同級生がいる。ラグビー以外にもいろいろ手を出してみたりして、中途半端ではあった。
夏に仲が良かった同期がアメフト部に転部して、自分が東大ラグビー部にいる意味を考えはじめた。
 
2年生
シニアに上がった。
どこかの時期に、試合で活躍したい、そしてチームの目標に貢献したいという意志に矛盾がないようにグラウンド外で行動しようと決めた。練習に対して心身いずれかに悪影響のあるような行動は極力排除するようにした。そうすると、迷いが消えて覚悟が生まれた。友達と単位は減った。
それだけ練習についていくのが精一杯で、心身ともに追い込まれていたのだと思う。練習相手のフィジカルもスキルも上がり、疲労度も段違いだったからだ。

OBの方や先輩から「選手としての伸び」という言葉を幾度か耳にしたが、意味がよく解らなかった。結局伸びてなかったのだと思う。
 
 3年生
フロントローの先輩が抜けたことで、Aチームに上がった。
5月の東北大戦を皮切りに、春シーズンは全試合でスイカを着させてもらった。スイカに見合うスキルも経験もなかったから不安だらけで押しつぶされそうだったが、それを追い払うようにただ我武者羅にプレーすることを心掛けた。
すると徐々に楽しさというか、充実感を覚えるようになった。
ファーストジャージの試合は雰囲気も観客数も普段と異なり、チームに対して大きな責任を伴うが、その分見返りも大きい。いいプレーをしたら見てくれている人がいる。自分の手で直接勝ちに貢献できる。「価値ある場所は、行く前が怖い」とアナザースカイで誰かが言っていたが、その通りだと思う。
チームに貢献できていたのかはわからないが、自分自身で成長は着実に感じられた。
 
しかし、夏合宿終盤の試合で右肩を骨挫傷してから、徐々に歯車が狂い始めたのだと思う。
10月終わり、先輩の怪我で対抗戦初先発が見えていた前日練習で、右ひざの前十字靭帯が切れた。
手術して復帰まで早くて6か月。わずかだが右肩上がりの成長の延長線上にあった一年後の自分は、消えた、と思った。
 
4年生
先輩が辛かったと口を揃えて言っていた4年生。
結論から言うと、僕は4年生が一番楽しかった。
4年間で一番伸びたからだと思う。
 
シーズンインの数か月は馬鹿みたいにトレーニングした。4年生、フィジカルリーダーとしての責任が鞭を打った。
人にも恵まれた。DLに大改革をもたらしてくれた飯塚さん、意外と真面目でつらい時に引っ張ってくれた筋トレペアの梶村、異様にモチベーションの高いDLの後輩、このいずれも欠けてはならなかった。体重も数値も面白いように伸びて、万能感が湧いた。変な言い方だけど、怪我がこの時期でよかったのだと思う。
 
5月終わりに復帰。
 
そして7月の春季最終戦の九州大戦でやっとスイカをもらったけれど、後半10分でまた右膝が壊れた。
半月板損傷。切除手術。半年前と同じ病室に戻るのが屈辱的だった。
この時はさすがに気が弱った。もう怖かった。復帰時期が遅い保存療法ではなく切除で、と口では即答したけれど、膝が痛む将来が見えている。ここまでする必要あるのかと何度もため息が出た。
大事な夏合宿もDLだった。
4年生をこんなにDLで過ごす先輩は過去3年間いなかったから焦ったけれど、人生ここまで帳尻合わせでうまく来たから大丈夫と自分に言い聞かせて過ごした。
 
そして、9月終わりに再度復帰。

これまでの3年半はこの時期のためにあったのだと思う。充実していた。
 
スクラムが面白いように分かるようになってきて、仕掛けることができるようになった。修正能力も上がった。夏合宿以降デッドリフトに精力的に取り組んで強くなったのもあるが、4年間これまでバラバラに蓄積されてきたものがやっと実を結んだのだと思う。
フィットネスも上がってきた。80分間勝負に集中できる余裕が出てきた。
今までにない成長の傾きを感じながら日々練習・試合をすることができた。
前十字を切ってからちょうど1年後、学習院戦のスイカを頂き、そこから毎試合スイカで出場することができた。前しか見えていなかった。
チーム自体も成城戦の劇的な逆転勝利から勝ち星を重ね、着実に成長していたと思う。
 
そして対抗戦を終え、故郷での名古屋大戦。
個人的に4年間で一番内容がよかった。前週の武蔵大戦での個人的な課題も修正でき、京大戦までもっとうまくなれると思った。

だけど、手が折れていた。また手術だった。京大戦には間に合わない。悔しいという言葉じゃ足りないくらい悔しかったけれど、故郷で4年間のベストゲームができて、体も張れたのだから、これは選手冥利に尽きるのだと考えることにした。
 
秋シーズンを中心に今までを振り返ると、比較的純度の高い達成感がある。
それは、伸びを感じながらプレーできたから、4年生で出場したスイカの試合は5戦4勝だったからなどいろいろ理由はあると思うが、それらのおおもとは、2年生で大学生活のいろいろなものを犠牲にしてラグビーに取り組む覚悟ができ、それを忠実に守ってきたからだと思う。そこからの蓄積がやっと4年の秋に出た。あえていろいろ犠牲にしてきたから意地でも結果にこだわった。そういうことだと思う。
 
 

ここまで来られたのは多くの人のご理解・ご指導あってのことでした。
とくに、毎朝グランドに来てくださって、優秀なマネジメント・コーチングをしてくださった宋さん・須藤さんには頭が上がりません。DL時代に僕を変えてくれた飯塚さん、感謝しています。
今まで関わってくださった皆さん、本当にありがとうございました。
ラグビー部での4年間を糧にして、これからも頑張ります。

次は、前十字靭帯のケガの先輩である藤原君にお願いします。
 
 

ラグビーのある大学生活

 written by 難波 和之 投稿日時:2016/12/17(土) 22:15

 坂田からバトンを受け取りました、4年の難波です。

 最終戦である京大戦まで残すところちょうど1週間となり引退が迫ってくるのをひしひしと感じています。

 

 大学に入りたての僕は何か熱くなれるものを探していました。中学高校と続けてきたサッカーを大学に入ってもサークルで続けることも考えましたが、サークルの雰囲気が肌に合わず、気がつくとラグビー部の新歓練習に足しげく通っており、ラグビー部に入部することになりました。

 

 最初の2年間は唯々練習についていくことに必死でしたが、3年生でいろいろと自分の中でやりたいプレーなどができるようになり、ラグビーが楽しくなってきました。

 

 そして迎えた今シーズン。最上級生としてチームを引っ張ること、そして何より結果を残すことを心に決めてシーズンに突入しました。 

 春シーズン序盤に右手首を骨折し、春シーズンは試合に出られる機会がありませんでした。

それでも対抗戦シーズンはスイカの2番をいただき試合に出ることができました。

 

 結局のところ、3勝4敗と結果を残すことはできませんでした。

 

 しかし僕の中で大きく心に残っている試合があります。

それは4戦目の成城大学との試合です。東大はそれまでの3戦を落とし、負けられない中で、春に大敗を喫した相手でした。

 その相手に対して、試合の終盤で追いつき、ラストプレーで勝ち越しのトライを決めたとき、今までに感じたことのない熱い気持ちがこみ上げてきました。

 

 この気持ちはラグビー部に入部していなければ感じることができなかったでしょう。

 

 僕はこの東大ラグビー部に入部して本当に良かったです。

大きな試合で勝利を挙げることの喜びを知れたことは今後の大きな財産となるはずです。

 

 とは言いながらも、まだ京大戦が1週間後に控えています。残りの1週間できる準備は全部して、快く引退できるように勝利をつかみ取ります。

 

 

 最後になりましたが4年間厚いご支援とご声援をいただいたOBの皆様に感謝の意を述べさせていただきます。本当にありがとうございました。

最後までご声援のほどよろしくお願いいたします。

 

 次は今シーズンフィジカルリーダーとしてチームを引っ張ってくれた小沢にバトンを渡したいと思います。

ラストチャンス

 written by 坂田 啓悟 投稿日時:2016/12/16(金) 18:31

近藤からバトンを受け取りました4年の坂田です。

 

4年間を振り返って気持ちの整理をしようとしても上手くできない。今年僕は対抗戦に出場することができなかった。加えて自分の到達点の低さには愕然としている。チームが勝った瞬間は本当に嬉しかった。しかし、一方の自分はというとチームからの信頼を失い、何の力にもなれていない。その喜びを共有できるような立場ではなかった。自分がいていいのかと毎日が針の筵に座る気持ちだった。一プレーヤーとして、また最上級生としての責任を果たすことができなくて本当に申し訳なかった。

 

4年間を通して怪我ばかりで試合自体にあまり出れなかった。もっと試合に出たかった。何故あのときに怪我をしてしまったのだろう、あのとき怪我せず練習、試合ができていたらもう少し違っていたのかな…。考えても何にもならないのだが、そう思わずにはいられない時がある。自分の取り組みが甘く、プレー中の心身の余裕のなさをかばいきれずに怪我という形になって現われたのだと思う。

 

このまま終わってええんか?なんとかして意地を見せなあかん。残り数か月そう自分に言い聞かせてやってきた。多少伸びたようには思うが、まだ一人前のプレーヤーになりきれていない。残された時間は少ないが、あがき続けて最後の試合くらい自分がいいプレーをして勝って終わりたい。

 

最後に、ラグビーというスポーツに出会いこのチームでプレーできたことに感謝し、プレーするにあたり支えていただいた全ての方々にこの場を借りて御礼申し上げます。ありがとうございました。ラグビーの借りはラグビーでしか返せない部分があるとは思うので、自分がこのような結果で申し訳なく思いますが、チームの勝ち負けの原因にすらなれなかったこの悔しさは絶対に忘れず、この4年間を必ず糧にしてこれからにつなげたいと思います。

 

次はHOとして今年のスクラムを支えた難波にお願いします。

最後くらい

 written by 近藤 健太郎 投稿日時:2016/12/13(火) 18:26

梶村からバトンを受け取りました、四年の近藤です。最後のリレー日記ということで、日頃より活動を支援してくださってるOBの皆様、僕らのラグビーに一年中早朝から付き合ってくださった監督・コーチ・トレーナーの皆様、今まで親身に接して下さった先輩方、仲良く接してくれた後輩、四年間共に頑張ってきた同期、そして当初は反対していたものの最後は応援してくれた両親に心から感謝申し上げます。本当にありがとうございました。
 
さて、「このチームには信頼できるB3がいる」という言葉を今シーズン何度も聞いた。無論これはFBの上田を初めとするAチームのB3陣を指す言葉だこれを耳にするたび同じチームのB3として彼らを誇らしく思う一方で、自分はそこに含まれないことをより強く感じ、卑屈な私はいつも複雑な気分になった。両WTBの後輩2人は自分にはとても切れないステップが切れて、外から機転を利かしたディフェンスにも長けている。以前とある先輩に何ならその2人に勝てるのかと聞かれた時に、情けないことに何一つ勝てる要素が思いつかなかった。ない頭を振り絞って考えても思いつかなかった。それが現実だった。だから一橋戦のメンツに入れないことも必然の帰結だったと思う。でもチームが今シーズン一番の目標としていたこの試合で負けるのをただただ外から見るしかできないことは想像以上のショックだった。一番大事な試合でチームの役に立たなかった。これ以上の絶望感、そうそう感じられるだろうか。
 
だからこそ怪我人等の事情によりスタメンで出ることになった、上智戦や名古屋大戦で何かを示したかった。正確には自分が出たから負けたと思いたくないという思いだったのだろう。結果として勝つことはできた。すごく嬉しかった、でもそれ以上に安堵感のほうが大きかった。特に名古屋戦は自分が不用意に内に寄った所から先制トライを許したし、決して褒められたものではなかった。観戦に来てくださった先輩方の中に褒めてくださる方もいたが、やっぱりチームの勝利に貢献できたと胸を張って言えない。これまでの未経験の先輩方が自分に希望を与えてくれたように、自分は同じように希望を与えられたのだろうか。
 
でも幸せなことに今シーズン京都大学との定期戦が残されている。去年のBチームと比べて今年のBチームは勝ちに恵まれていない。最後の試合くらい少しはチームの勝利に貢献し、相手を圧倒して笑って終わりたいと思う。

 
最後まで読んでいただきありがとうございました。今シーズンも残すところわずかとなりましたが最後まで応援よろしくお願いいたします。次は坂田に回したいと思います。
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