ラグビー部リレー日記 2025/12

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駒場のフィン・ラッセル

 written by 片桐 広貴 投稿日時:2025/12/16(火) 19:22

優秀なフランカー石澤からバトンをもらいました、4年の片桐広貴です。石澤はゲントと共に今シーズンのFWを立派に引っ張ってくれました。特に思い出に残っているのは、対抗戦前の東農大戦でゲントがいない中、4年生一人でFWを鼓舞している姿を見て頼りになるなと感じました。もう一つは学芸大戦のノーサイド後に泣き崩れる姿。共に悲しめないことに悔しさと申し訳なさを覚えました。もちろんカーフキックも体が覚えています。

俺をラグビー部に連れてきてくれてありがとう。4年生になってもあの頃の熱いヤツのままでいてくれて、おもろい。

最後のリレー日記は夢(目標に近い)について。

ーラグビー部に復帰ー

夢の一つ目はラグビー部に復帰すること。2年生の4月に試合中に脳の大怪我を受け、6月にラグビー部を退部した。退部は仕方がない事だと思っていたし、後悔はあまりない。けれど今では部に残る道もあったと思う。部を離れていた時間も宮田がハーフで出場するB戦や先輩の代の対抗戦を見たり、ラグビー部から気持ちが離れることはなかったが部に戻ってくることは考えになかった。

きっかけになったのは辻翔太の最後のリレー日記を読んだ時、面白いを超えて心が痛くなり同期にこんな思いをしてほしくない、仮に辛い思いを味わうとしてもその側でその過程を知っていたいと思った。俺に何ができるかわからないけど何かしたいと感じた。

吉村組の京大戦を見て同期の京大戦は現場にいたいという感情を抱き、その夜に福元に電話して復帰したいと願い出た。かなり衝動的な思いだったが覚悟はあった。電話する手は震えていた。

同期や後輩の暖かさのおかげで部にすぐに馴染むことができた。練習はなんとかついていけたし、4年生として練習中の声出しや部室の清掃など規律の面でチームにいい影響を与えることができた。

それでも選手として試合復帰するまでは長い道のりで、脳の安全を確保するためにフルコンタクトは7月までできなかった。国公立大会や春シーズンの定期戦は見ることしかできず、仕方ないけど試合日になるとチームと自分がリンクしていない気がした。その分、復帰戦の東農大B戦や九大戦にメンバー入りできたことは嬉しかった。同期と公式戦前の緊張感や高ぶりを味わえてやっとチームと同じ方向を向けて安心した。ラガーマンに戻るという夢が達成された。

同期の思いを共有したいと復帰したが、どこまでそれが達成できたか正直わからない。俺が知らなかったことも間違いなく多くあると思うので、これからの最後のリレー日記がすごく楽しみでもあり、少し怖かったりもする。それでもこの1年間、同期と後輩たちとラグビーできてすごく幸せだった。


ー駒場のフィン・ラッセルー

理想とするラグビープレーヤーはフィン・ラッセルを思い描いてきた。目立ちたがり屋だからか、縦横無尽にキック、鍼の穴を通すようなパスで観客を魅了するプレーに憧れた。東大のBKに求められるプレースタイルかは怪しいが、おそらく1年生のときにつけられた「ファンタジスタ」という痛いあだ名がこの拗らせを加速させてしまった。

今シーズンの自分を振り返ると現実は当たり前に厳しく、プレーヤー復帰してから夏合宿前のB戦2試合では10番を務めたが、パスは繋ぐので精一杯だしキックはダイレクトタッチに飛んでいくし理想と現実は大きく乖離していた。しかし裏は見えるようになっていったしパスは投げた分だけ上手くなっていたと思うので希望は持てた。夏合宿ではA、B合わせて5試合あったので全て出場して対抗戦までに強みを確立したいと意気込んだが、初戦で右足首を骨折してしまいプレーできず終わった。

時を進めて武蔵B戦で復帰し、先日チェイサーズ戦にも出場した。またブランクが空いてしまったし、アタックの時間が少なく自分の成長やグラウンド上での価値をアピールできず悔しかった。

最後のリレー日記にこの夢を書いた理由は1年生の時に、勝負を決めるのはFWという近年の東大の風潮が嫌だったし、本気でチームを勝たせるBKプレーヤーになりたいと思っていたからその答え合わせをこの場でしたかった。今年のホームページに掲載した個人目標も「対抗戦で観客を湧かす」を掲げたが叶うことはなかった。今は現実が重くのしかかり、1年生の時のようにこの夢に対する熱量を持てていないし、グラウンドで好きなことができるのは当たり前を100%できる人のみが許されるので俺には土台となる実力が足りなかったと感じる。

こんなラグビー人生を歩んでしまいとてももったいないと感じるし、夢を抱いてワクワクしていた頃の自分に申し訳ないと思ったり、でかい夢を見るなと思ったりする。それでも今でも自分が対抗戦で活躍する姿を空想するし、夢が復帰を後押ししてくれた面もあるので夢を持ち続けることは俺にとって大切だった。

ー京大戦に出場するー

最後の夢はシンプルに京大戦に出場することだ。8/20に右足首を骨折してから目標日記を毎日続けてきた。京大戦に間に合うかどうかと言われてからモチベーション向上のために始めて、基本的には次の日の行動目標を記してきたが、8/20に書いた「京大戦に出場する」という目標は幸いにもリハビリが想定以上に進んだおかげで、今は京大戦で勝つという目標になった。

今シーズンメンバー入りした7試合全てで負けて、自分の甘さを痛感している。ラグビー歴2年で運動神経は平凡なのに練習を人並みしかしなかった弱さが表面化した結果だと思う。1年間甘えてきて最後の少しの間努力しただけで大きく変わるとは思えないけどそれでも最後まで、最後だけでも自分に厳しく練習する。

名古屋大と京大はメンバーに選ばれるかわからないけど、非常に残念ながら俺の裏ちょん大活躍で勝利に導けることはないだろう。それでも全員が100%を出せば勝てると信じているので一緒に勝利を掴みにいこう。

最後に感謝を伝えます。

川出さん、一聡さん、笠原さん、鳥飼さん
皆さんのおかげで僕が1年生の頃と部活の雰囲気が全く変わって、どっちが良かったとかではなく、僕たちの代に合った雰囲気の中すごく楽しい、成長した一年が過ごせました。ありがとうございました。

田崎先生、荒木先生
田崎先生は頭の怪我からの復帰、荒木先生は足首の骨折からの復帰を支えてくださりありがとうございました。お二人のおかげで僕のラグビー人生の後悔が大きく減りました。本当にありがとうございました。

東大ラグビー部のOBOG、支えてくださる皆様
僕の目に見えるところはもちろん、見えないところにおいても平素より多くのご支援を賜り、誠にありがとうございます。僕たちが当たり前のようにラグビーに打ち込めている環境は決して当たり前ではないということを4年生になって改めて実感しました。今後とも変わらぬご支援を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。

お母さん
息子に負担を掛けさせまいと、自由にやりたいことをやらせてくれて本当にありがとう。その想いに甘えてしまったけど社会に出てから恩返しします。願わくば足の速い体に産んで欲しかったです。

お父さん
ありがとう。これからもよろしく。

ラグビー部のみんな
復帰した俺を優しく受け入れてくれてありがとう。東大ラグビー部の一員として誇りが持てるのは、メンツが試合で体を張ってくれて、楽しく真摯にラグビーに打ち込む仲間がいるからです。俺が復帰して良かったと思ってくれたらそれだけで幸せです。


最後まで読んでくださりありがとうございました!ラグビー勝って楽しもうぜ!


次はのびのび育って羨ましい猿渡にバトンを渡します。身体的にも精神的にものびのびと育った猿渡ですが、彼も僕と同じく怪我に苦しんだ選手です。ラグビーを引退すると全ての怪我(脱毛を含む)が治ると自称しているので、引退後は元気でフサフサな猿渡と会うのが楽しみです。
 

タックルも人間も腰は低い方がカッコいい

 written by 石澤 諒馬 投稿日時:2025/12/15(月) 19:00

てつからバトンを受け取りました。四年の石澤です。てつは最高にうれしいことを言ってくれますね。てつは落ち着いてるしすごく話しやすくて、そのうえノリもいいので、人にモテるんだろうなーとつくづく感じます。一年生のころはただひたすら飯を食ってハイボリュームで筋トレして体重を増やしてイキってました。最初はそうあるべきだと思います。体重増やして軽いやつにプレッシャーをかけましょう。

最後のリレー日記、何を書くか迷いました。

石澤諒馬 23歳 冬 
己の肉体と武術に限界を感じ悩みに悩み抜いた結果
彼がたどり着いた結果は
感謝であった
自分自身を育ててくれた部活への限りなく大きな恩
自分なりに少しでも返そうと思い立ったのが
四年に一回 感謝のリレー日記!!
気を整え 拝み 祈り 構えて 書く


音を置き去りにするまで感謝を伝えたいと思います。

今振り返ると、高校でラグビーを始めるなんてとんでもないことをしたなと思います。中学校の親友がラグビーをやっていて、彼の美しい色黒ナチュラルマッスルボディをずっと見させられたことで、脳に筋肉の魅力が刷り込まれていました。そいつとは今でも仲がいいし、ラグビーがもたらした最初の出会いでした。感謝。

高校でラグビーを始めたとき、グラウンドで当時一橋大学ラグビー部の筋骨隆々の先輩方に「なんでラグビーを選んだの」と聞かれたのがついこの前のように感じます。何も知らないガリガリの僕の「体大きくして強くなりたいです」という馬鹿みたいな回答に「君は素晴らしい選択をした」と言ってくれたことが今も僕の心に残っています。あのときはただの新入生を歓迎する言葉としか思いませんでしたが、今はその言葉の意味が分かります。ラグビーは僕を精神的にも身体的にも本当に強くしてくれたし、僕の人生を変える素敵な人々に出会わせてくれました。ラグビーに出会えたことに感謝。

国立高校ラグビー部の仲間は最初にできたチームメイトでした。同期先輩後輩コーチ含め、アツいやつが多く、高校の青春をすべてささげてほんとによかったと思います。僕らの次の代は花園予選もベスト8まで行ってくれたし、本当に誇りに思います。ありがとう。

同期は大学でも続けてくれている人が多くて、東工、一橋、早稲田GWなどなど各地で頑張るみんなに刺激をもらっていました。出会いに感謝。

ときは経ち、東大ラグビー部に入部。東大ラグビー部に入っていなければ絶対に出会えなかっただろうさまざまな人たちと出会いました。すべての出会いに感謝。

デル、デイビス、友志を筆頭に、PEAKや交換留学生のラガーマンとの出会いは完全に僕の人生を変えました。小中高日本で暮らし、太平洋も日本海も越えたことのない僕に、世界の広さを教えてくれたのは間違いなく彼らです。ラグビー部に入っていなかったら、こんなにも面白くて超優秀な仲間と出会えていなかったと思うと、本当に入って良かったなと振り返っても思います。どうか、PEAKの部員は途絶えさせないでくれ。海外勢、帰国勢、勧誘頑張って。世界との出会いに感謝。

そして同期、17人でスタートしたものの、違う道を選んだ仲間が7人、勇気を持ってチームを離れた仲間も、今はそれぞれの道で頑張っていると聞き、誇らしく思います。残った10人はいわずもがな、ここまで各々の役割をまっとうしてくれました。つかず離れずの距離感が良かったです。あと二戦、四年がやりきりましょう。そんな同期に感謝。

東大ラグビー部の一番の魅力は未経験から始められることでしょう。カレッジスポーツのようにどの大学もゼロから始める魅力もある一方で、ラグビーという参入障壁が高めなスポーツを大学から始められる環境はそうそうありません。そんな素人たたき上げの組織にたくさんの様々なバックグラウンドを持つ後輩が入ってくれました。共に成長し、さまざまな魂震える試合を経験できたことはぼくの一生の宝物になるでしょう。少ない四年を支えてくれた後輩に感謝。

今年のチームを成り立たせてくれていた存在として、欠かせないのは、5年目をプレイしてくださった安富さん、あきおさん、辻、一木さんの先輩方です。必要なポジションをこなすだけでなく、積極的にチームに働きかけ、勝利をもたらしてくださいました。この四人がいなかったら、今年のチームの様相は大きく変わっていたでしょう。残り二戦ですが、改めて、感謝。

スタッフ陣がいなければ、東大ラグビー部は存在しえません。僕らが毎日好き勝手楕円球追っかけまわしていられるのも、スタッフが裏でとんでもない量の業務をこなしてくれているからです。S&Cセクションも広常やのなちゃんが常にデータや声掛けを担当してくれていたおかげで成り立っていました。いつもありがとう。縁の下の力持ちに感謝。

監督、コーチ陣の方々は、いつも僕らに必要な努力や考えを見せてくださいました。川出さん、青山さん、一聡さん、杉本さん、永山さん、鳥飼さん、中垣さん、大西さんをはじめ、スポットで来てくださった様々なコーチの方の一人ひとりが刺激になりました。一緒に戦ってくれたコーチの皆さんに感謝いたします。

振り返ってみれば、怪我の多い四年間でした。一年生は急な増量で膝を壊しかけたし、二年生は眼窩底骨折から始まり、何度脳震盪疑いだったことか、三年は一年中腰痛と戦っていたし、四年はまたもや骨折、肩、膝など不良箇所ばかりでした。そんなとき、常に診察、リハビリ、ケアをしてくださっていたのが工藤さん、笠原さん、SBC東京医療大学の皆さん、田崎先生、荒木先生のメディカル陣の皆様でした。怪我をしても安心して部活に戻れたのは皆さまのおかげです。感謝。

OBの皆様、そして支援してくださる様々な企業の皆様。皆様がいなければ僕らは活動できませんでした。期待して支援してくださってる皆さまに結果としてお返しするべきですが、お返しできたといえるような結果が出せなかったことは、悔いが残ります。残り二戦、支援してくださっている皆様のためにも死力を尽くします。引き続き応援よろしくお願いします。これまでの支援に感謝いたします。

そして両親。頻繁に怪我をして帰ってきたり、いきなり多額の請求をしたり、増量のためにとたらふく食わせてもらいました、迷惑かけることも多かったと思いますが、時々見に来てくれたり、見守ってくれてありがとう、お父さん。お母さんも見守って、応援してくれていた気がします。今後はいただいた投資を優に超えるリターンを返します。感謝。

そろそろ感謝のリレー日記が読者を置き去りにしはじめたので、終わりにしたいと思います。
最後に、東大ラグビー部に入って本当に良かったと思っています。この4年間を誇りに思います。
感謝が足りないぞって方は言って下されば代わりに感謝の正拳突きをして差し上げます。
これまでの感謝も責任も背負って残り2戦、腰の低いタックルでチームに勝利をもたらします。

次は帰ってきたストライカー片桐にバトンを渡します。片桐の紹介は過去のリレー日記を一つ使って書いたことがあります。ぜひそちらもご覧ください。片桐には僕が変にとがってた時期に様々迷惑をおかけしました。圧倒的なチームのムードメイカーとしてリーダーシップを発揮してくれている片桐には、将来、日本全体のムードメイカーとして活躍してほしいと思っています。片桐の明るさに感謝。

パワーグリップの詩

 written by 須藤 哲之介 投稿日時:2025/12/01(月) 21:08

ゆうしさんからバトンを受け取りました、1年の須藤です。さすがゆうしさん、僕のステップの才能に気づいていましたか。僕はその動きのキレのなさからよく同期や先輩にフォワード転向いじりをされるのですが、僕のバックス的魅力に気づいてくれるのはゆうしさんだけです。最近はお互いDLにいることもあり話す機会が増えましたが、その唯一無二の着眼点やマイペースな話ぶりもゆうしさんの魅力のひとつです。いつも穏やかなゆうしさんですが、いつか必ず僕のプレーでWTF‼︎と言わせたいです。

 

 

僕は1ヶ月前に股関節を怪我してDLに入ってからというもの、日々のウエイトトレーニングに全精神を注ぎ込んでいる。ウエイトは恋愛などと違い、努力が必ず報われるから好きだ。そんなウエイトにおいて僕が愛用しているアイテムがパワーグリップだ。このアイテムは僕の握力をサポートしてくれ、鍛えたい部位より先に手が疲れてしまうのを防いでくれる。そこで僕はいつも僕を助けてくれるパワーグリップについて詩を書いたので紹介する。

 

 

 

詩「パワーグリップ」

 

なにを持つにも君だより

にじむ汗こそ生きる訳

金具のにおいは努力の証

力を貸してよパワーグリップ

 

ぼくに力がでないとき

いつも背中を押してくれ

きょうあすあさってそばに居て

勇気を分けてよパワーグリップ

 

手の皮やぶけ手の豆つぶれ

背伸びもせずに素手のみ信じ

そんな人らは憧れの人

そんな人らに実はなりたい

でもありがとなパワーグリップ

 

なにを持つにも俺次第

にじむ血涙で生きるだけ

君のおかげでここまで来たが

夢素手で掴むその日のために

いつか外すよパワーグリップ

いつか外すよパワーグリップ

でも愛してるよパワーグリップ

 

 

 

 

次は4年生の石澤さんにバトンを渡します。ラグビー部最強タックラーの石澤さんは僕が描く「4年生像」をまさに体現している先輩で本当にかっこいいです。グラウンド内では誰よりも真剣に練習にとりくみながらも俺たちに鼓舞、激励も欠かさずしてくれる本当の意味でのムードメーカーだと思っています。僕のロッカーは石澤さんのロッカーに近いのでよくその肉体を近くで見ますが、毎度背中がデカすぎて驚きます。石澤さんは何か1年の頃意識して人より頑張っていたことはありますか?

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駒場のフィン・ラッセル
2025/12/15(月) 19:00
タックルも人間も腰は低い方がカッコいい
2025/12/01(月) 21:08
パワーグリップの詩

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