ラグビー部リレー日記

<<前へ

ラグビーに感謝

 written by 宮田 尚弥 投稿日時:2025/12/22(月) 22:21

東大ラグビー部専属シェフの細谷からバトンを受け取りました4年の宮田です。一人暮らしができるのはまだ先になりそうですが、その時にはご飯を作りに家まで来てください。交通費くらいは出してあげます。

今までのリレー日記が短かった分、バランスを取るために今回は長くしてみました。冗長な文章になってしまいましたが、ラグビー人生を清算するためにもその当時の正直な気持ちを書かせていただきました。不快に思われる点があるかもしれませんが、最後まで読んでいただけると嬉しいです。

高校で始めたラグビーは楽しく、すぐに好きになった。ボールを持って走る事もコンタクトも自分に合っていて、自分のためのスポーツだと思えた。昴の代の新人戦で成蹊高校に勝った時はその格上を倒した感覚がたまらなく楽しかった。途中、コロナに活動を阻まれはしたが、ラグビーはただ楽しかった。やればやるほど好きになって、トライをとって活躍できるとプレーに自信が湧いた。でも、自分の代になると「自分のおかげで勝っている」と思い上がってしまった。まるでラグビーは自分の物のように感じていた。その後の春季大会、vs正則高校でも前半21-0で自分も2トライ取って、チームは完全に勝てるムードになっていた。それなのに結果は21-26で負けた。後半は自信のあった近場を避けられ、経験の浅い選手のいる外を攻められた。簡単にチームは崩れた。自分が外のDFに行っても何もできなかった。ラグビーが自分の手に負えない大きなものに感じて、勝手に裏切られた様な気持ちになった。ラグビーから逃げたくなって、受験勉強を優先して練習をこなすことすらせず、なんとなく秋の試合を迎えて引退した。もしかしたら、そうしたおかげで現役合格できたのかもしれない。

大学に入って散々迷ってから入部した癖に、ラグビーに対する姿勢は変わらなかった。練習や与えられたウェイトをこなすことすらしないばかりか、4年生に反抗すらした。最初からAに絡ませてもらっていたのに、意外と簡単に活躍できそうだなと思っていたら結局Bのリザーブで京大戦を終えた。どんどんメンバーから遠ざかっていっても松元さんから怒られても変えようとしなかった。ただ、自分を起用しないのは見る目がないだけだと思っていた。自分の思い描いた甘い理想と現実の乖離は「やっぱりラグビー部に入るんじゃなかったな」という考えを加速させるばかりだった。

代が変わっても自分は変わらなかったから、試合に出してもらっても全くうまくいかなかった。リザーブでの出場がほとんどで、いいプレーなどできなかった。ここまでくるとさすがに努力も実力が足りていないのだと思えた。でも変なプライドが邪魔をして今更必死こいてラグビーはできなかった。努力をするより辞める方が簡単に思えた。
6月に頸椎椎間板ヘルニアで3ヶ月安静の必要があると診断された。自然に怪我のせいにしてラグビーから離れられると思って嬉しかった。DLに入ってからは、練習を少なくとも週に1回は休んで、行ってもストレッチしているだけ。夏の合宿も、何もできないからと強引に欠席した。その後も療養期間が1ヶ月、また1ヶ月と伸びるたびに安心した。部にコミットしていないのに所属はしている中途半端な状態に多少の後ろめたさは感じつつも、見て見ぬ振りをした。秋になって同期が試合に出続けているのを観ても、自分は重い怪我をしているのだから仕方ないと考えてまた目を背けた。怪我をラグビーと向き合わないちょうどいい言い訳にしかしなかった。結局その年は対抗戦が終わる頃に復帰してAに絡むことはなかった。逆にAで絶対出られないと思っていたからこそ、のびのびとプレーできた。余計なことを考えないで出場した数回の試合はただ楽しかった。半年近くの療養期間でラグビーへの鬱屈とした気持ちはほとんど忘れていた。とりあえずラグビーは楽しいから、それまでのことは無かったことにしたかった。

同期が対抗戦に出ているのを見て、やっぱり自分も出たいと思った。本当は自分もあそこにいるはずだから。「今度こそラグビーにちゃんと向き合おう」そう思えたのに、3月にまた痛みの限界が訪れた。ウェイトやコンタクトをした次の日には、神経痛や頭の重さで動けなくなることが多かった。首に気を遣いながらプレーも日常生活も送らなければならなかった。田崎先生からコンタクトの少ないSHやWTBに転向して、痛みと付き合いながらプレーすることを勧められた。そう言われた時、もうラグビーはここまでかなと思った。コンタクト一つ一つが怖いし、自分でもどうやったら痛みが出るのかよくわからなかった。怪我は日常生活にも支障をきたしていたし、何よりコンタクトの少ないプレーと自分が結び付かなかった。でも、悩みはしたけど、結局ラグビーを辞めるなんて到底思えなかった。体にとってはやめた方がいいのだろうけど、ラグビーもラグビー部もない生活が考えられなかった。自分にはどうしてもラグビーを手放すことができなかった。キャリーが一番好きだったけど、ハーフパスもやってみよう。なんだか自然にそう思えた。春シーズンで皆が増量に勤しんでいる中、自分は減量した。練習もSHとして入り、GWの合宿では短いながらも試合に出してもらった。怪我で周りにも心配をかけて、当時の首脳陣も使いづらかったと思うけど、試合に出してもらって本当に嬉しかった。また1からラグビーが始まったような気がした。実際のプレーはパスや動きがあまりにも慣れなさすぎて、春先の出してもらった試合は散々だった。でも、立教戦で70分近く出してもらった時は、ハーフとしてやっていけるかもと自信がついた。結局春はその後に足の怪我をして終わってしまったけど、夏と対抗戦に向けて希望が持てた。ハーフの位置から見えるラグビーは全く違っていて、新鮮だった。自分がキャリーしてチームを前進させることはできないし、全てのプレーの起点となって良いパスを放ることが当然で、安定が求められた。自分がチームを勝たせるのは下手くそな自分にはあまりにも難しいけど、壊すのは簡単だった。全てが今までと違っていた。それでも慶應戦の時、スペースがあると判断してパスを放った後に武村がトライした時は本当に気持ちがよかった。ハーフで試合に出ていると、全てのプレーが連続しているのがわかって、今まで自分の中で格闘技要素しかなかったラグビーの世界が一気に開けた。結局その年の対抗戦は最初の4試合にリザーブとして出られたものの、成蹊、明学、武蔵には出られなかった。実力が足りていなかったのがわかったし、今度はそれを受け入れられた。

幸い3年のシーズン中は痛みがあるものの、神経が圧迫に慣れてきたのかプレーは続けられた。ただ、最後の一年はまた前のようにコンタクトのラグビーをしたい、怪我をしてもなんとか続けている可哀想な選手で終わりたくない、何より4年になって自分がチームの勝利に貢献できるのはプレー以外にないと思った。今まで見たことのない成蹊や明学に勝った後の景色を自分がグラウンドに立った上で見たかった。だから手術の決断は簡単だった。それでも術後に迎えた春シーズンはひどいもので、今まで見ないようにしてきたものが重くのしかかってくる様だった。試合でうまくいかなくて、指摘されて、次の試合で改善しようとしても結局うまくいかない。そんなことの連続だった。迷いに迷ってどんどん自分のプレーが小さく縮こまっていくのを感じて情けなくなった。プレーでチームを引っ張るどころか足を引っ張っているように思えた。練習前になると吐き気が込み上げてくるようになり、水曜のメンバー発表が怖くて、余計な感情を押し殺して試合に向けて気持ちを作るのがたまらなくしんどかった。スイカを着てスタメンで試合に出るのに、それを嫌だと思っているのが、東大ラグビー部の看板に泥を塗る行為だと思ってますます自分が嫌になった。弱さを突きつけられ続けても練習する他なかった。それがまたしんどかったけど、試合で何かしらの結果を得ることが唯一の救いだと信じてやるしかなかった。夏合宿を経てなんとか迷いが払拭されて、対抗戦へ自信を持てたのは自分のラグビー人生最大の救いだった。

結局、対抗戦は3勝4敗でなんとか4位に踏みとどまったといった結果であった。成蹊、明学、武蔵ばかりか成城にも負けた。成城戦は前節の上智戦からBKのメンバーがごろっと変わってしまい、自分も初めての12番で不安要素を残したまま練習を終えてしまった。そればかりか試合前日に風邪を引いて、体のコンディションもメンタルも全く整わないまま試合に臨んでしまった。キックオフで敵陣に蹴り込んだ後、事前の分析で相手が展開してくることは想定していたのに、自分の外を抜かれて大きくゲインされてしまった。先に3トライ取られた時にインゴールで「まだいける」と言って、その場で安冨さんにそれを指摘された。まだ試合中なのにもう負けたような気でいる自分が情けなくなった。そのあと、なんとか取り戻そうとして今度は冷静さを失った。外にチャンスがあっても、それしかないと思って全部キャリーした。そして最後はカモられてノッコンして試合が終わった。プレーの迷いがなくなっても今度は他にいくらでもプレーの改善点と精神性の弱さが露呈してきた。それでもこの敗戦を機に、そうした下手くそで弱い自分も全てひっくるめて戦うしかないと思った。少なくともそう思わないとまた春と同じように小さく縮こまっていくような気がした。

成蹊戦から3戦は自分でもプレーが良くなっていったように感じる。自分がチームに対してできる最大限のことがプレーであるならこれでよかったのかもしれないが、結局チームは勝てなかった。圧倒的に全てが足りなかった。過去の自分のせいにはしたくないけれど、どうしてもかつてのラグビーを蔑ろにした自分が今年になって重くのしかかってくるように思える。自分に対してもチームに対してもできることはたくさんあったはずなのに今年の自分はそれをその場で気づくこともできなかったし行うこともできなかった。勝ちたいと思ってやっているはずなのに、そもそも勝利に向かっているのか、本当に勝ちたいがために行なっているのか根本すら疑問に思うこともあった。結局最後まで迷い続けてしまう。自分を信じ抜くことがこんなにも難しいことだとは思わなかった。こう振り返ると正則高校に負けてからなんだか自分が一貫していないで外的な物に振り回されているように感じる。せっかくラグビーを楽しむことができるのだから、それが原動力になっていればもっと違ったのではと思う。多くの後悔はある。それでもこれほど魅力的で、感情を揺さぶられて、何にも変え難いと思えるラグビーに出会えたことが今はただ、ひたすらに嬉しい。

最後にこの場を借りてお世話になった方々に感謝を述べさせていただこうと思います。

青山部長、OBOGの方々
皆さまのご支援の上にラグビー部の活動が成り立っていると思います。本当にありがとうございます。

川出監督
気にかけていただき、多くのアドバイスをくださったこと本当にありがとうございます。そのアドバイスが僕の支えになりました。川出さんに褒めていただけるのが嬉しかったです。

いっそうさん
ラグビーに対する多くの事をいっそうさんに教えてもらいました。今年1年間、僕を試合で使い続けていただいたこと、本当に感謝しています。最後の試合で期待に応えられるよう残り一週間成長し続けます。

田崎先生、宮本先生をはじめとした聖路加国際病院の方々
今年の僕が最後まで健康にラグビーをすることができたのは皆様のおかげです。本当にありがとうございます。今後もし入院することがありましたら、また聖路加にお世話になりたいです。

宮崎先生
ラグビーの楽しさは先生から教わりました。大学入学時に入部を後押ししていただいたこと、心から感謝しております。ラグビーを続けて本当に良かったです。娘さんのご結婚おめでとうございます。

冨士先生
大学に入っても気にかけて下さり、本当にありがとうございます。一橋戦観に来ていただいた時は嬉しかったです。引退後はまたラグビー部にお邪魔させていただきます。

先輩方
今まで様々なご迷惑をおかけしたと思います。それでも気にかけて関わってくださったこと、本当にありがとうございます。先輩方が築いてきた東大ラグビー部の歴史に恥じないよう最後まで戦い抜きます。

後輩
一緒にラグビーができて本当に楽しかったです。特にBKのみんなにはラグビーに対する姿勢とスキルをたくさん勉強させてもらいました。本当にありがとう。

日比谷高校ラグビー部同期
高校3年間のラグビー、一緒にできて本当に楽しかったです。今までは言えませんでしたが、高校最後の試合、自分が勝ちにこだわれなかった事、みんなに対して申し訳なく思っています。大学に入っても集まって遊んでくれてありがとう。また今度全員で集まろう。京大戦に来ること、楽しみにしています。

同期
なんとなくまとまりの無いような同期ですが、僕にとってこの同期の存在は大きかったです。4年間本当にありがとう。来年も全員学生なので遊びに行きましょう。

家族
家族の協力無しにしてラグビーは続けられませんでした。特に首の怪我をしていた時は多くの心配をかけたと思います。それでも応援していただいて本当にありがとうございます。

他にも関わってくださった方々、本当にありがとうございます。皆様との関わりを通じて僕のラグビー人生は非常に彩りのあるものとなりました。重ねて感謝申し上げます。

これまで関わってくださった方々のためにも、チームのためにも、そして自分のためにも最後の京大戦、必ず勝利します。

次は、常にカバンの中にシス単が入っている医学部受験生の鷲頭にバトンを渡します。今年、怪我をしなかった4年BKは鷲頭と僕だけだったので心強かったです。最近はあまり勉強していないようですが、引退後はいよいよ受験シーズンなので頑張ってください。
 

勇気

 written by 細谷 光史 投稿日時:2025/12/19(金) 23:55

 

 

誰よりも心が優しい猿渡君からバトンを受け取りました4年の細谷です。一年生の頃から勉強熱心な猿渡君ですが、最近は医学部編入受験に研究室付けの毎日と勉強熱心に拍車がかかっているように感じます。ラグビーと勉強で疲弊しきっている彼を見るのはそろそろ忍びないので、全てから解放されて遊んでいる彼を見てみたいです。表1の「旅行に行く」については是非同行したいです。3月にでもどこかに行きましょう。

最後のリレー日記に何を書くのかとても悩みました。不誠実にならないように言葉を選んだつもりです。読んで頂けたら嬉しいです。



2年生の夏、肩を脱臼して手術をした。復帰までは5,6ヶ月かかると言われてそのシーズンは試合に出ることは絶望的だった。自分にとっては釜石合宿の初日、大西さんにフランカーに転向しろと言われた直後、なにか心機一転のような気持ちで挑んだ練習だった。その後の合宿、対抗戦シーズンが流れていく中で同期で未経験出身のげんととはるとが体を張っていた。同じ未経験出身でタックルもまともに入れない自分はチームもグラウンドも遠く感じられてまた入っていけるのか不安だったときに、チームを離れる大西さんへの質問会で「グラウンドで体を張っていない選手がチームに貢献するためにはどうすればいいのか、出来ることは何なのか」と聞いた。大西さんは「チームを愛する、その上で出来ることを考える」といった内容のことを教えてくださった。

3年生では怪我から完全復帰したあたりから試合で起用して頂けることが増えた。ラグビーの楽しさが少しずつ分かり始めてたけど、防衛B戦で足首を捻挫して春はそのまま終わった。合宿で大きくアピールしようと考えていた。山中湖合宿の慶應戦の三日前に慶應大学さんとのADがあって、慶應戦出場を考えると絶好のチャンスであることは間違いなかったので誰よりアピールしようと考えていた。結果は散々だった。ラックから始まる形式で、ATTは最初の9shapeには全部入ったけど半分くらいキャリーもオーバーもまくられた。DEFもまともにタックルに入れないしペナルティも重ねた。自分より体が大きくて強い人が真っ先に寝てラックを作る姿は歯痒かった。これ以上ないほどチャレンジしたのに練習を成り立たすことさえ出来ないことが情けなかった。その後の慶應戦ではハーフタイムのとき春から気にかけてくれていた昴さんに「立候補してでも出場しろ」と言われたけど自信がなくて言い出すことが出来なかった。結局自分に声がかかることはなく、同ポジションの後輩が出場している中でまたグラウンドが遠くなった気がした。芽生えかけてた自信は完全になくなった。それ以降の対抗戦シーズンは明らかに消極的になった。現場から遠い場所でなんとなくプレーすることを覚えてしまった。福元とか安富さんからも指摘されたけど、変えることは出来なかった。当事者意識がないまま時間が過ぎていった。翌年のフロント事情なんて分かりきっていたのにいつまでも足踏みしていた。

そんな中、続けてチームを裏切る行為をした。自分の一番弱い部分が顔を出した。やるべきこととは真逆の行動をとってしまった。降りかかった恐怖に耐えきれなくなって衝動的に逃げ出した。衝動的な行動で簡単に戻ることは出来なくなった。自分を心配してくれるチームの仲間たちが怖かった。自分に投げかけられる視線が痛かった。自分の過失の穴埋めをしてくれることに対して申し訳なく、全部投げ出している自分が情けなかった、恥ずかしかった。大西さんからいただいた言葉から自分が一番遠いところにいるように感じた。

でも、うだうだと悩んでいたけど辞めるという選択肢だけは浮かんでこなかった。1年生の時はいつ辞めるのか考えていたのに、どうしても辞めようとは思えなかった。4年生にもなって立場の面も少しはあるのかもしれないが、自分にとって純粋にこの部活があまりにかけがえのない居場所になっていた。練習が終わった後どうでもいい話をしてるのが好きだった。誰かの意味不明な悪ノリに乗っかるのも好きだった。ちょっとした無茶振りに応えるのも楽しかった。同期も、後輩も、もう誰とも話さないなんて考えたくなかった。

4年目は一瞬で過ぎ去った。勇気を振り絞って帰ったら(快く、とまでは言えないかもしれないけれど)部に戻ることを受け入れてくれた。ラグビーももう完全に0からのスタートだった。余計なことを考える余裕なんてなかった。それでも4年目のラグビーは4年間の中で一番楽しかった。B戦は将来有望な下級生たちと一緒にワクワクしながら取り組むことが出来た。試合の中で何もミスをしないことよりも何か一つでもやってやろうと思えるようになったし、練習を重ねるにつれてBのラインアウトの質も上がっていくのは嬉しかったし、セットプレーでペナルティをもらったら誰よりも声を上げて喜んだ。今年の中で特に印象に残っている試合は、いつかの夜連に行ったCalifornia-grizzliesさんとの練習試合だ。あの日は他にも東農大さんなど色んな学校が集まっていて、なんだかお祭りみたいだった。体格も大きくてスキルも自分たちよりもある相手で試合には負けてしまったけど、試合を続けてチャレンジが出来て、ラグビーという競技の大きさ、壮大さを感じたのを鮮明に覚えている。

プレイヤーとしては結局最後までAに定着することは出来ないまま対抗戦が終わりを迎えたけれど、幸運にも最後にチームを代表して戦う機会が巡ってきた。最後の二試合、4年間の集大成、チームと応援してくれている方々のために目の前の試合に集中して絶対に勝ちたい。その後に振り返れれば、と思っています。



この場を借りて様々な方への感謝を申し上げます。

青山監督・川出監督・OBの方々

学年があがるごとにこの部活に関わる人の多さ、期待してくれている人の多さを理解することが出来ました。4年間最高の環境で部活動を不自由なく続けてこられたのは監督、OBの皆様のおかげです。この場を借りてお礼申し上げます。ありがとうございました。


いっそうさん

いっそうさんのおかげで最後の年のラグビーは楽しくなったと思っています。一緒に話しながら解決案を考えるスタイルは個人的に好きでした。おおらかな感じも今年の4年生と合っていたと思います。


杉本さん

今年からユニットに留まらず指導を頂きましたが、スクラムにラインアウト、タックルと様々なことを教わりました。誰よりも情熱をもって取り組んでくださっているのが伝わってきました。本当にありがとうございました。


同期

人数は減ってしまったけど自分と違って皆自分の世界を持っている部分が好きです。本当に皆といると退屈しません。引退後も面白い話を聞かせてください。面白いことは言えないかもだけどもっと美味しいご飯を作れるようになっておきます。


一木さん・辻さん・あきおさん・安富さん

自分たちが全うしなければならなかったポジションを背負ってくださり本当にありがとうございました。今年のチームの結果は5年生の貢献なくしては成立しなかったものです。あきおさんと安富さんは京大戦までの残り二戦、よろしくお願いします。一木さんと辻さんも、どちらかの試合だけでも見に来て頂けると嬉しいです。


後輩

4年生の人数が少ない中で、3年生以下に必要以上に頼ってしまいましたが、自分からしたら本当に頼もしい後輩たちだと思っています。春先にはめちゃくちゃだったBのラインアウトを成立させているのは定浪と和田の成長のおかげです。Chasers戦でトライを取る姿には感動してしまいました。来年の皆様の目標達成を応援しています、応援しに来ます。来年春は目黒くんがご飯を食べに来るらしいので、是非一緒に来てください。(下級生を優先して食べさせます)


両親へ

大学からラグビーという競技を始めることを快く応援してくれてありがとう。大きい怪我をしたり急に帰ってきたりと苦労と心配をかけた方が多かった気がしますが、4年間見守ってくれてありがとう。社会に出るのはもう少し先になりそうだけど、卒論が終わったらまたゆっくり実家で過ごしたいし、一度くらいしっかりお酒に付き合おうと思っています。


ラストリレー日記は短く、重すぎないものがいいと考えていましたが真逆の文章になってしまいました。ユーモアのセンスがない自分にはこのような文章しか書けないようです。

次は来年から柏キャンパスで研究に励むことになっている宮田にバトンを渡します。基本的に怪我で悩まされることの多い代ですが、彼も相当苦しめられたうちの一人です。個人的には復帰後はもう一度フランカーとして戻って来て欲しいと考えていましたが、来年のチェイサーズ戦まではお預けのようです。結局一人暮らしをするのかは分かりませんが、困ったら呼んでください。来年は結構暇だと思います。

ボール・イン!

 written by 猿渡 崚正 投稿日時:2025/12/17(水) 19:00


 明るくイケメンの片桐からバトンを受け取りました、猿渡です。今年の春、片桐が2年間のブランクを経て復帰してくれたことが本当に嬉しかったです。同期が減ってしまった中、片桐がいることで同期やチームの雰囲気が明るくなりました。1年生の頃と全く変わらない片桐のキャラクターが僕は大好きです。一つ補足すると、僕は今のところはげていません。また、髪が薄いことが悪いことだとも思っていません。そのような考え方は、父や祖父をはじめ、僕の親戚の大半に対して失礼にあたるからです。でも、片桐にはいつまでもカッコいい髪形でいてほしいです。



 最後のリレー日記を書くにあたり、内容についてかなり考えました。読んでくれる人が主に東大ラグビー関係者であることを鑑みて、東大生が好きそうなフォーマットで書いてみることにしました。誤りなどあれば、ご指摘をお願いします。





最終リレー日記



ラグビー人生に対する振り返りと反省および感謝

 
 猿渡崚正
 

要   旨   私のラグビー人生は怪我に悩まされたものであり、ラグビーに対する後ろ向きな感情もあった。しかし、素晴らしい仲間のおかげでラグビーを楽しむことができ、今の自分がある。ラグビーを通じて出会った皆さんに、心より感謝申し上げる。

 

キーワード   ラグビー、仲間、感謝、肩脱臼、ヘルニア、痛かった


1. はじめに
 
私はこれまで高校と大学で計7年間ラグビーをプレーし、今月末で引退となる。しかし、ラグビーに対する自身の考えや所感はこれまでほとんど明らかにしてこなかった。本稿では、私自身のラグビーと仲間への思いを表明する。


2.1 大学でラグビーを続けた選択とその結果
 大学ラグビーの結果について振り返ってみると、自分自身もっと努力すべきところがたくさんあり、怪我にも悩まされてしまった印象である。たくさんの人が読むこのリレー日記で自分のラグビー人生を公開するのが恥ずかしいので詳述は避けるが、高校でラグビーを始めてからの7年間のうち、6年程度はずっと怪我に悩んできたように思う。高校はなんとか乗り切ったものの、大学では肩、腰、腰と計3回の手術を余儀なくされた。もともとラグビーは高校だけで辞めるつもりでいた。新歓のとき東大ラグビー部への入部について一緒に悩んだはずの石澤が、実は入部済のサクラだった[1]と知ったのもずいぶん後のことだった。

 結局毎シーズンのうち、半分から2/3程度しかグラウンドに立てなかった。今日は腰を悪化させずに練習/試合を乗り切れるだろうか、というマインドではやはり厳しい。2年生から対抗戦に出してもらって様々な経験を積み、勝利も敗北も味わってきた。自分のミスで負ける経験もして、責任とはどういうことか、身をもって学んできたはずだったが、自分たちの代で決めた目標の勝利を手繰り寄せることができなかった。特に同期にはずっと助けてもらってきただけに、申し訳ない気持ちが残っている。


2.2 ラグビー部に入った意義
 恥ずかしながら、ラグビーを始めてからずっと、辞めようかなと思いながら過ごしてきた。苦労して受験した末に入った高校や大学で、生活の多くをラグビーに費やすことへの悩みもあった。特に大学の後半では肩や腰の不調によってラグビー(特にコンタクト)への怖さを感じてしまうことも多く、そんな自分に対する失望感もあったように感じる。そもそも、ラグビーというスポーツそのものが大変キツい。ラックの勝負が決したら一回みんなで休憩する「Don’t use it」的なルールが導入されればいいのに、などと考えているが、今のところラグビー界は正反対の方向に進化を続けている。

 やや話がそれてしまったが、この7年ずっと待ち望んできた引退の日が、残り10日ほどに迫っている。引退して時間ができたらやりたいことは、表1の通りである。



表1 ラグビー部引退後の時間でやりたいこと



こうして考えてみると今まで部活のためにできなかったことが見えてくるが、同時に部活でしかできないことも見えてくるように思う。そして、部活を続けて良かったなとも感じている自分に気づかされる。


2.3 ラグビーを通じた出会いへの感謝
 上記の通りラグビーにマイナスな気持ちを持つことがどちらかといえば多い僕が、なぜ何年もラグビーを続けてきたのか、それはひとえに仲間の存在があったからである。嫌なことも仲間のために耐え抜こうと思えたし、落ち込んでしまったときに仲間に励ましてもらってなんとか立ち直ってきた。そんな仲間に出会えた僕は本当に幸せで、皆には感謝してもしきれない。「部にいることを目的にするな」等とよく言うが、良い仲間がいるだけに勝ちたいという思いが(実は)あり、それが今の悔しさの源でもある。ラグビーを通じた人との出会いは、本当に貴重なものであった。特に同期には本当に感謝している(図1)。
 自分にとってかけがえのない仲間がいて、仲間がいるからラグビーができて、ラグビーをしているから仲間になる。結局、痛くて怖くて辛いラグビーが、自分の人生にとって大切な存在になってしまい、今ではラグビーそのものへの感謝や敬意までも抱いている。



図1  大切な同期 (a)2022年6月 (b)2024年7月



3. 謝辞
 
大西さん
 僕の東大ラグビーは大西さんとの出会いから始まり、2年間教えて頂いたラグビーや哲学が僕の大切な財産になりました。入部した頃に期待してくださったような対抗戦での大暴れができなかったことが本当に心残りですが、それでも今の自分がいるのは大西さんのおかげです。ありがとうございました。

一聡さん
 ラグビーを楽しむとはどういうことか、身をもって教えてくださり、楽しくこの2年間を過ごすことができました。小さなスキルからラグビーの原理原則まで、何でも惜しみなく教えてくださる姿を尊敬しています。いつもありがとうございます。

杉本さん
 スクラムの基礎からサインプレーまで、ラグビーについてたくさんのことを教えていただきました。毎週本当に面白い貴重なコーチングありがとうございました。

工藤さん
 どこかが痛いとき、工藤さんがいらっしゃる安心感は絶大でした。特に肩や腰のことについては変化が起こるたびに相談に乗っていただき、とてもありがたかったです。将来の腰痛や肩痛に備え引退後も教えていただいたケアを続けていこうと思います。

笠原さん
 フィットネスがとてもきつかったですが、おかげで毎回少し自信をつけて復帰できました。ありがとうございます。

青山先生
 体のことを気にかけてくださり、また鼓舞してくださったこと、感謝申し上げます。推薦書など私的なお願いも快く引き受けてくださり、大変助かりました。4年間ありがとうございました。

川出さん
 優しく丁寧なご指導のおかげで、スキルの上達がみられたように思います(パスやキャッチなど、上手くなった、と言い切ることができないのが申し訳ないです)。体のことも常々気にかけてくださり、大変感謝しております。

けんたろう先生
 先生に誘っていただいてラグビーを始めたことで、僕の人生は大きく変わりました。高校生という時期に先生にご指導いただいたこと、本当に感謝しています。転任して偉くなられたと伺ったので、仙台に帰った際にはぜひお会いして、おすすめのおいしいお酒をごちそうになりたいです。

二高ラグビー部同期の皆
 高校時代を一緒に過ごせて本当によかったです。大切な思い出ができました。久しぶりに集まれるのを楽しみにしています。

先輩方
 部に誘ってくださったこと、優しく厳しくグラウンド内外で指導してくださったこと、食事に連れて行っていただいたことなど、感謝してもしきれないことばかりです。同時に様々なご心配、ご迷惑をおかけしましたことをお詫び申し上げます。大変申し訳ありませんでした。

後輩の皆さん
 部で楽しくラグビーができたのは、皆さんのおかげだと思っています。金銭面に余裕ができたら、なるべく還元させていただきたいと思っています。

東大ラグビー部OB、OGの皆様
 皆様のご支援により、何ひとつ不自由のない大変恵まれた環境でラグビーをすることができました。貴重なコーチ陣や充実した医療体制なども含めて素晴らしい環境をご用意くださっていること、感謝の念に堪えません。全員にお会いできる機会もなかなかありませんので、この場をお借りして御礼申し上げます。ありがとうございました。

医療関係者の皆様
 練習に来てくださったSBC東京医療大学の上岡先生と学生の皆さん、執刀してくださった田崎先生、聖路加国際病院、西多賀病院の先生方、その他これまでお世話になった医療従事者の皆様、本当にありがとうございました。今後はなるべく病院のお世話にならないよう、健康に留意して生活していきます。

同期の皆
 4年間本当にありがとう。迷惑をかけることも多く、特に今年あまり貢献できなかったことは申し訳ないです。みんなに出会えて僕は本当に幸せだと思っています。今後もよろしくお願いします。途中で別の道に進んだ仲間にも、会える機会があれば嬉しいです。

家族へ
 苦労して入れてもらった高校・大学でラグビーをさせてくれて、本当にありがとうございます。金銭的負担と大変なご心配をおかけしてすみません。今後もよろしくお願いします。

 このほかにも、これまでのチームメイトやコーチ、対戦相手、レフリー、応援してくださった方、ラグビーを通じてお世話になったすべての皆様に心より感謝申し上げます。本当にありがとうございました。



4. おわりに
 最後のリレー日記は、往々にして後悔や不満に満ちた暗いものになりがちである[2]。勝利を求め、犠牲を払ってスポーツをしてきた以上それは当然だと思う。自分の至らない点について開き直るわけではないが、取り組みが不十分、結果が出ない、集団が一枚岩になれない、色欲に溺れている人がいる、といったことは、人間である以上容易に起こり得ることである[3][4]ただし個人的には、反省や後悔の表明はこの場ではなくても良いと考えている。僕にはあと10日間だけ仲間とラグビーをする時間が残っていて、大切な試合が控えている。今後の人生にむけての反省はそのあとでも遅くないように思う。残り少ない期間、部が少しでも明るくなればと考え[5]、あえて真面目さを前面に押し出さないリレー日記にしたつもりである。後から恥ずかしくなってしまったら、文章を書き直すかもしれません。

 毎日楕円球を追っている間に、中学を出たてだった僕はいつのまにか22歳になってしまった。この日々が終わる今年の12月28日は、間違いなく僕の人生における大きなターニングポイントのひとつになる。2試合勝ってその1日を最高のものとして終えることが、今の一番の目標である。五体満足に生んでくれた両親には申し訳ないけれど、もう少しだけ自分の体に無理をしてもらおうと思っている。


 次は、同じ工学部フロントローの細谷にバトンを渡します。1年生の頃はすかしたタイプだと思っていましたが、4年間で彼の素晴らしさに気づくことができました。いつもありがとう、本当に楽しかったです。これからもよろしくお願いします。



5. 参考文献

[1]石澤諒馬. "東京大学運動会ラグビー部リレー日記 第52話「復活の爆炎」". 2025.  https://www.turfc.com/blog_detail/id=2371. (2025-12-17閲覧)

[2]"東京大学運動会ラグビー部リレー日記2024/12". 2024.  https://www.turfc.com/blog_my_top/blog_id=21&date=2024-12. (2025-12-17閲覧)

[3]東京大学ラグビー部会報委員編. 『東京大学ラグビー部会報 第92号』. 東京大学運動会ラグビー部. 2025.

[4]伊藤明. 『恋愛依存症 苦しい恋から抜け出せない人たち』. 株式会社実業之日本社. 2022.

[5]学年ミーティング議事録. 2025-01.


駒場のフィン・ラッセル

 written by 片桐 広貴 投稿日時:2025/12/16(火) 19:22

優秀なフランカー石澤からバトンをもらいました、4年の片桐広貴です。石澤はゲントと共に今シーズンのFWを立派に引っ張ってくれました。特に思い出に残っているのは、対抗戦前の東農大戦でゲントがいない中、4年生一人でFWを鼓舞している姿を見て頼りになるなと感じました。もう一つは学芸大戦のノーサイド後に泣き崩れる姿。共に悲しめないことに悔しさと申し訳なさを覚えました。もちろんカーフキックも体が覚えています。

俺をラグビー部に連れてきてくれてありがとう。4年生になってもあの頃の熱いヤツのままでいてくれて、おもろい。

最後のリレー日記は夢(目標に近い)について。

ーラグビー部に復帰ー

夢の一つ目はラグビー部に復帰すること。2年生の4月に試合中に脳の大怪我を受け、6月にラグビー部を退部した。退部は仕方がない事だと思っていたし、後悔はあまりない。けれど今では部に残る道もあったと思う。部を離れていた時間も宮田がハーフで出場するB戦や先輩の代の対抗戦を見たり、ラグビー部から気持ちが離れることはなかったが部に戻ってくることは考えになかった。

きっかけになったのは辻翔太の最後のリレー日記を読んだ時、面白いを超えて心が痛くなり同期にこんな思いをしてほしくない、仮に辛い思いを味わうとしてもその側でその過程を知っていたいと思った。俺に何ができるかわからないけど何かしたいと感じた。

吉村組の京大戦を見て同期の京大戦は現場にいたいという感情を抱き、その夜に福元に電話して復帰したいと願い出た。かなり衝動的な思いだったが覚悟はあった。電話する手は震えていた。

同期や後輩の暖かさのおかげで部にすぐに馴染むことができた。練習はなんとかついていけたし、4年生として練習中の声出しや部室の清掃など規律の面でチームにいい影響を与えることができた。

それでも選手として試合復帰するまでは長い道のりで、脳の安全を確保するためにフルコンタクトは7月までできなかった。国公立大会や春シーズンの定期戦は見ることしかできず、仕方ないけど試合日になるとチームと自分がリンクしていない気がした。その分、復帰戦の東農大B戦や九大戦にメンバー入りできたことは嬉しかった。同期と公式戦前の緊張感や高ぶりを味わえてやっとチームと同じ方向を向けて安心した。ラガーマンに戻るという夢が達成された。

同期の思いを共有したいと復帰したが、どこまでそれが達成できたか正直わからない。俺が知らなかったことも間違いなく多くあると思うので、これからの最後のリレー日記がすごく楽しみでもあり、少し怖かったりもする。それでもこの1年間、同期と後輩たちとラグビーできてすごく幸せだった。


ー駒場のフィン・ラッセルー

理想とするラグビープレーヤーはフィン・ラッセルを思い描いてきた。目立ちたがり屋だからか、縦横無尽にキック、鍼の穴を通すようなパスで観客を魅了するプレーに憧れた。東大のBKに求められるプレースタイルかは怪しいが、おそらく1年生のときにつけられた「ファンタジスタ」という痛いあだ名がこの拗らせを加速させてしまった。

今シーズンの自分を振り返ると現実は当たり前に厳しく、プレーヤー復帰してから夏合宿前のB戦2試合では10番を務めたが、パスは繋ぐので精一杯だしキックはダイレクトタッチに飛んでいくし理想と現実は大きく乖離していた。しかし裏は見えるようになっていったしパスは投げた分だけ上手くなっていたと思うので希望は持てた。夏合宿ではA、B合わせて5試合あったので全て出場して対抗戦までに強みを確立したいと意気込んだが、初戦で右足首を骨折してしまいプレーできず終わった。

時を進めて武蔵B戦で復帰し、先日チェイサーズ戦にも出場した。またブランクが空いてしまったし、アタックの時間が少なく自分の成長やグラウンド上での価値をアピールできず悔しかった。

最後のリレー日記にこの夢を書いた理由は1年生の時に、勝負を決めるのはFWという近年の東大の風潮が嫌だったし、本気でチームを勝たせるBKプレーヤーになりたいと思っていたからその答え合わせをこの場でしたかった。今年のホームページに掲載した個人目標も「対抗戦で観客を湧かす」を掲げたが叶うことはなかった。今は現実が重くのしかかり、1年生の時のようにこの夢に対する熱量を持てていないし、グラウンドで好きなことができるのは当たり前を100%できる人のみが許されるので俺には土台となる実力が足りなかったと感じる。

こんなラグビー人生を歩んでしまいとてももったいないと感じるし、夢を抱いてワクワクしていた頃の自分に申し訳ないと思ったり、でかい夢を見るなと思ったりする。それでも今でも自分が対抗戦で活躍する姿を空想するし、夢が復帰を後押ししてくれた面もあるので夢を持ち続けることは俺にとって大切だった。

ー京大戦に出場するー

最後の夢はシンプルに京大戦に出場することだ。8/20に右足首を骨折してから目標日記を毎日続けてきた。京大戦に間に合うかどうかと言われてからモチベーション向上のために始めて、基本的には次の日の行動目標を記してきたが、8/20に書いた「京大戦に出場する」という目標は幸いにもリハビリが想定以上に進んだおかげで、今は京大戦で勝つという目標になった。

今シーズンメンバー入りした7試合全てで負けて、自分の甘さを痛感している。ラグビー歴2年で運動神経は平凡なのに練習を人並みしかしなかった弱さが表面化した結果だと思う。1年間甘えてきて最後の少しの間努力しただけで大きく変わるとは思えないけどそれでも最後まで、最後だけでも自分に厳しく練習する。

名古屋大と京大はメンバーに選ばれるかわからないけど、非常に残念ながら俺の裏ちょん大活躍で勝利に導けることはないだろう。それでも全員が100%を出せば勝てると信じているので一緒に勝利を掴みにいこう。

最後に感謝を伝えます。

川出さん、一聡さん、笠原さん、鳥飼さん
皆さんのおかげで僕が1年生の頃と部活の雰囲気が全く変わって、どっちが良かったとかではなく、僕たちの代に合った雰囲気の中すごく楽しい、成長した一年が過ごせました。ありがとうございました。

田崎先生、荒木先生
田崎先生は頭の怪我からの復帰、荒木先生は足首の骨折からの復帰を支えてくださりありがとうございました。お二人のおかげで僕のラグビー人生の後悔が大きく減りました。本当にありがとうございました。

東大ラグビー部のOBOG、支えてくださる皆様
僕の目に見えるところはもちろん、見えないところにおいても平素より多くのご支援を賜り、誠にありがとうございます。僕たちが当たり前のようにラグビーに打ち込めている環境は決して当たり前ではないということを4年生になって改めて実感しました。今後とも変わらぬご支援を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。

お母さん
息子に負担を掛けさせまいと、自由にやりたいことをやらせてくれて本当にありがとう。その想いに甘えてしまったけど社会に出てから恩返しします。願わくば足の速い体に産んで欲しかったです。

お父さん
ありがとう。これからもよろしく。

ラグビー部のみんな
復帰した俺を優しく受け入れてくれてありがとう。東大ラグビー部の一員として誇りが持てるのは、メンツが試合で体を張ってくれて、楽しく真摯にラグビーに打ち込む仲間がいるからです。俺が復帰して良かったと思ってくれたらそれだけで幸せです。


最後まで読んでくださりありがとうございました!ラグビー勝って楽しもうぜ!


次はのびのび育って羨ましい猿渡にバトンを渡します。身体的にも精神的にものびのびと育った猿渡ですが、彼も僕と同じく怪我に苦しんだ選手です。ラグビーを引退すると全ての怪我(脱毛を含む)が治ると自称しているので、引退後は元気でフサフサな猿渡と会うのが楽しみです。
 

タックルも人間も腰は低い方がカッコいい

 written by 石澤 諒馬 投稿日時:2025/12/15(月) 19:00

てつからバトンを受け取りました。四年の石澤です。てつは最高にうれしいことを言ってくれますね。てつは落ち着いてるしすごく話しやすくて、そのうえノリもいいので、人にモテるんだろうなーとつくづく感じます。一年生のころはただひたすら飯を食ってハイボリュームで筋トレして体重を増やしてイキってました。最初はそうあるべきだと思います。体重増やして軽いやつにプレッシャーをかけましょう。

最後のリレー日記、何を書くか迷いました。

石澤諒馬 23歳 冬 
己の肉体と武術に限界を感じ悩みに悩み抜いた結果
彼がたどり着いた結果は
感謝であった
自分自身を育ててくれた部活への限りなく大きな恩
自分なりに少しでも返そうと思い立ったのが
四年に一回 感謝のリレー日記!!
気を整え 拝み 祈り 構えて 書く


音を置き去りにするまで感謝を伝えたいと思います。

今振り返ると、高校でラグビーを始めるなんてとんでもないことをしたなと思います。中学校の親友がラグビーをやっていて、彼の美しい色黒ナチュラルマッスルボディをずっと見させられたことで、脳に筋肉の魅力が刷り込まれていました。そいつとは今でも仲がいいし、ラグビーがもたらした最初の出会いでした。感謝。

高校でラグビーを始めたとき、グラウンドで当時一橋大学ラグビー部の筋骨隆々の先輩方に「なんでラグビーを選んだの」と聞かれたのがついこの前のように感じます。何も知らないガリガリの僕の「体大きくして強くなりたいです」という馬鹿みたいな回答に「君は素晴らしい選択をした」と言ってくれたことが今も僕の心に残っています。あのときはただの新入生を歓迎する言葉としか思いませんでしたが、今はその言葉の意味が分かります。ラグビーは僕を精神的にも身体的にも本当に強くしてくれたし、僕の人生を変える素敵な人々に出会わせてくれました。ラグビーに出会えたことに感謝。

国立高校ラグビー部の仲間は最初にできたチームメイトでした。同期先輩後輩コーチ含め、アツいやつが多く、高校の青春をすべてささげてほんとによかったと思います。僕らの次の代は花園予選もベスト8まで行ってくれたし、本当に誇りに思います。ありがとう。

同期は大学でも続けてくれている人が多くて、東工、一橋、早稲田GWなどなど各地で頑張るみんなに刺激をもらっていました。出会いに感謝。

ときは経ち、東大ラグビー部に入部。東大ラグビー部に入っていなければ絶対に出会えなかっただろうさまざまな人たちと出会いました。すべての出会いに感謝。

デル、デイビス、友志を筆頭に、PEAKや交換留学生のラガーマンとの出会いは完全に僕の人生を変えました。小中高日本で暮らし、太平洋も日本海も越えたことのない僕に、世界の広さを教えてくれたのは間違いなく彼らです。ラグビー部に入っていなかったら、こんなにも面白くて超優秀な仲間と出会えていなかったと思うと、本当に入って良かったなと振り返っても思います。どうか、PEAKの部員は途絶えさせないでくれ。海外勢、帰国勢、勧誘頑張って。世界との出会いに感謝。

そして同期、17人でスタートしたものの、違う道を選んだ仲間が7人、勇気を持ってチームを離れた仲間も、今はそれぞれの道で頑張っていると聞き、誇らしく思います。残った10人はいわずもがな、ここまで各々の役割をまっとうしてくれました。つかず離れずの距離感が良かったです。あと二戦、四年がやりきりましょう。そんな同期に感謝。

東大ラグビー部の一番の魅力は未経験から始められることでしょう。カレッジスポーツのようにどの大学もゼロから始める魅力もある一方で、ラグビーという参入障壁が高めなスポーツを大学から始められる環境はそうそうありません。そんな素人たたき上げの組織にたくさんの様々なバックグラウンドを持つ後輩が入ってくれました。共に成長し、さまざまな魂震える試合を経験できたことはぼくの一生の宝物になるでしょう。少ない四年を支えてくれた後輩に感謝。

今年のチームを成り立たせてくれていた存在として、欠かせないのは、5年目をプレイしてくださった安富さん、あきおさん、辻、一木さんの先輩方です。必要なポジションをこなすだけでなく、積極的にチームに働きかけ、勝利をもたらしてくださいました。この四人がいなかったら、今年のチームの様相は大きく変わっていたでしょう。残り二戦ですが、改めて、感謝。

スタッフ陣がいなければ、東大ラグビー部は存在しえません。僕らが毎日好き勝手楕円球追っかけまわしていられるのも、スタッフが裏でとんでもない量の業務をこなしてくれているからです。S&Cセクションも広常やのなちゃんが常にデータや声掛けを担当してくれていたおかげで成り立っていました。いつもありがとう。縁の下の力持ちに感謝。

監督、コーチ陣の方々は、いつも僕らに必要な努力や考えを見せてくださいました。川出さん、青山さん、一聡さん、杉本さん、永山さん、鳥飼さん、中垣さん、大西さんをはじめ、スポットで来てくださった様々なコーチの方の一人ひとりが刺激になりました。一緒に戦ってくれたコーチの皆さんに感謝いたします。

振り返ってみれば、怪我の多い四年間でした。一年生は急な増量で膝を壊しかけたし、二年生は眼窩底骨折から始まり、何度脳震盪疑いだったことか、三年は一年中腰痛と戦っていたし、四年はまたもや骨折、肩、膝など不良箇所ばかりでした。そんなとき、常に診察、リハビリ、ケアをしてくださっていたのが工藤さん、笠原さん、SBC東京医療大学の皆さん、田崎先生、荒木先生のメディカル陣の皆様でした。怪我をしても安心して部活に戻れたのは皆さまのおかげです。感謝。

OBの皆様、そして支援してくださる様々な企業の皆様。皆様がいなければ僕らは活動できませんでした。期待して支援してくださってる皆さまに結果としてお返しするべきですが、お返しできたといえるような結果が出せなかったことは、悔いが残ります。残り二戦、支援してくださっている皆様のためにも死力を尽くします。引き続き応援よろしくお願いします。これまでの支援に感謝いたします。

そして両親。頻繁に怪我をして帰ってきたり、いきなり多額の請求をしたり、増量のためにとたらふく食わせてもらいました、迷惑かけることも多かったと思いますが、時々見に来てくれたり、見守ってくれてありがとう、お父さん。お母さんも見守って、応援してくれていた気がします。今後はいただいた投資を優に超えるリターンを返します。感謝。

そろそろ感謝のリレー日記が読者を置き去りにしはじめたので、終わりにしたいと思います。
最後に、東大ラグビー部に入って本当に良かったと思っています。この4年間を誇りに思います。
感謝が足りないぞって方は言って下されば代わりに感謝の正拳突きをして差し上げます。
これまでの感謝も責任も背負って残り2戦、腰の低いタックルでチームに勝利をもたらします。

次は帰ってきたストライカー片桐にバトンを渡します。片桐の紹介は過去のリレー日記を一つ使って書いたことがあります。ぜひそちらもご覧ください。片桐には僕が変にとがってた時期に様々迷惑をおかけしました。圧倒的なチームのムードメイカーとしてリーダーシップを発揮してくれている片桐には、将来、日本全体のムードメイカーとして活躍してほしいと思っています。片桐の明るさに感謝。
«前へ

2025年12月

<<前月翌月>>
2025/12/22(月) 22:21
ラグビーに感謝
2025/12/19(金) 23:55
勇気
2025/12/17(水) 19:00
ボール・イン!
2025/12/16(火) 19:22
駒場のフィン・ラッセル
2025/12/15(月) 19:00
タックルも人間も腰は低い方がカッコいい
2025/12/01(月) 21:08
パワーグリップの詩

アーカイブ

ブログ最新記事