ラグビー部リレー日記

帰省について

投稿日時:2025/09/16(火) 06:04

 頼れる副主将、げんとさんからバトンを受け取りました、一年の森保です。げんとさんはその類稀なる肉体と、クレバーな頭脳を持ち合わせた万能プレーヤーで、先日の上智戦でも大活躍していました。また、後輩である僕たちのことも非常によく気にかけてくれる優しい先輩でもあります。早く一緒の試合に出られるように頑張ります。そんなげんとさんから、帰省しがち、と言われてしまったので、今回のリレー日記では帰省について書きたいと思います。

 そもそも帰省という言葉は、「故郷に帰り、父母の安否を省みる」ことが語源となっています。しかし、昔と異なり、郷里から遠く離れた地に暮らしていたとしてもすぐに親と連絡が取れる現代では、父母の安否を省みるためにわざわざ故郷に帰る必要はありません。では、このような時代に生きる私たちは、何を省みるため故郷へ帰るのか。自分自身を省みる、すなわち内省するために故郷へ帰っているのではないか、というのが私の主張です。

 少なくとも私にとって故郷は、安心して、冷静に自分を見つめることのできる場所です。これはひとえに故郷の持つ特有の空気感によるものが大きいと思われます。この空気感は主に風景や気候によって生み出されます。例えば私の故郷・長崎は小高い山に囲まれた都市で、その山の斜面に家屋が建ち並んでいる様子は他の都市では見ることができません。そののどかな山景は、少年時代の思い出の重みを得て、安らかな原風景へと変貌します。まさに故郷の山にむかひていうことなし、ということでしょう。風景(特に自然風景)の素晴らしい点は、変わらないということです。自分が生きている時代も、自分の祖父、曽祖父の時代も、自分の孫の時代も山の輪郭、色、湾の様子は変わらないのだろうな、と思うと、不思議と故郷と時間に包まれたような気持ちがします。この安心感の中で、自分が何をしたいのか、何を目指して東京に出たのか、ゆっくり考えると、自分の本音が見えてくるような気がします。

 一方で、故郷は変わりゆく面も持っています。久しぶりに通った道のそばに立っていた建物が取り壊されている。ここ何が建ってたっけなあ、と思うことがありますが、これはこれでなんともいいものだと感じます。ふと思い出して、寂しさを覚えると共に、自分が少し未来に来たような感覚を覚え、時間の流れを実感します。自分にとっての故郷は、少年時代の故郷です。少年時代の風景は、時間を経て故郷という名の心象風景に変化するのでしょう。故郷は変わらず自分の中にありながら、遠ざかってしまうのだろうなと思います。故郷は遠きにありて思うもの、と言ったのは室生犀星ですが、若いうちに何度でも故郷に帰りたい、と思ってしまうのは、心の中の故郷に未練があるからでしょうか。

 また、時に故郷は、私に使命感を与えます。故郷を持つ者として、故郷を失う人の痛みに気づく人間でなければならない、と思われるのです。例えば、東日本大震災などの災害、パレスチナなどで続く紛争などの理由で土地を追われる人々はどれほどの思いをしているか、ということは常に意識させられます。私は東大に進学して、進んで故郷を離れる選択をできる裕福な家庭に生まれましたから、その責任はより強く意識させられます。故郷の存在は、努力の原動力ともなっていると思います。

 つまり、私にとって故郷は、圧倒的な包容力を見せる母のようであり、優しく背中を押す父のようでもある存在です。東京での生活は想像以上に心身を疲れさせます。帰省することは、親のような故郷を訪ね、自分の内面を振り返る、そんな特別な意味を持つと言えるでしょう。

 次は同じ長崎出身の筑波さんにバトンを渡します。フォワードらしい力強いプレーと、優しい笑顔が魅力の先輩です。合宿では、東京に来てから初めて長崎トークができて嬉しかったです。

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