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ラグビー部リレー日記
ラグビーに感謝
投稿日時:2025/12/22(月) 22:21
東大ラグビー部専属シェフの細谷からバトンを受け取りました4年の宮田です。一人暮らしができるのはまだ先になりそうですが、その時にはご飯を作りに家まで来てください。交通費くらいは出してあげます。
今までのリレー日記が短かった分、バランスを取るために今回は長くしてみました。冗長な文章になってしまいましたが、ラグビー人生を清算するためにもその当時の正直な気持ちを書かせていただきました。不快に思われる点があるかもしれませんが、最後まで読んでいただけると嬉しいです。
高校で始めたラグビーは楽しく、すぐに好きになった。ボールを持って走る事もコンタクトも自分に合っていて、自分のためのスポーツだと思えた。昴の代の新人戦で成蹊高校に勝った時はその格上を倒した感覚がたまらなく楽しかった。途中、コロナに活動を阻まれはしたが、ラグビーはただ楽しかった。やればやるほど好きになって、トライをとって活躍できるとプレーに自信が湧いた。でも、自分の代になると「自分のおかげで勝っている」と思い上がってしまった。まるでラグビーは自分の物のように感じていた。その後の春季大会、vs正則高校でも前半21-0で自分も2トライ取って、チームは完全に勝てるムードになっていた。それなのに結果は21-26で負けた。後半は自信のあった近場を避けられ、経験の浅い選手のいる外を攻められた。簡単にチームは崩れた。自分が外のDFに行っても何もできなかった。ラグビーが自分の手に負えない大きなものに感じて、勝手に裏切られた様な気持ちになった。ラグビーから逃げたくなって、受験勉強を優先して練習をこなすことすらせず、なんとなく秋の試合を迎えて引退した。もしかしたら、そうしたおかげで現役合格できたのかもしれない。
大学に入って散々迷ってから入部した癖に、ラグビーに対する姿勢は変わらなかった。練習や与えられたウェイトをこなすことすらしないばかりか、4年生に反抗すらした。最初からAに絡ませてもらっていたのに、意外と簡単に活躍できそうだなと思っていたら結局Bのリザーブで京大戦を終えた。どんどんメンバーから遠ざかっていっても松元さんから怒られても変えようとしなかった。ただ、自分を起用しないのは見る目がないだけだと思っていた。自分の思い描いた甘い理想と現実の乖離は「やっぱりラグビー部に入るんじゃなかったな」という考えを加速させるばかりだった。
代が変わっても自分は変わらなかったから、試合に出してもらっても全くうまくいかなかった。リザーブでの出場がほとんどで、いいプレーなどできなかった。ここまでくるとさすがに努力も実力が足りていないのだと思えた。でも変なプライドが邪魔をして今更必死こいてラグビーはできなかった。努力をするより辞める方が簡単に思えた。
6月に頸椎椎間板ヘルニアで3ヶ月安静の必要があると診断された。自然に怪我のせいにしてラグビーから離れられると思って嬉しかった。DLに入ってからは、練習を少なくとも週に1回は休んで、行ってもストレッチしているだけ。夏の合宿も、何もできないからと強引に欠席した。その後も療養期間が1ヶ月、また1ヶ月と伸びるたびに安心した。部にコミットしていないのに所属はしている中途半端な状態に多少の後ろめたさは感じつつも、見て見ぬ振りをした。秋になって同期が試合に出続けているのを観ても、自分は重い怪我をしているのだから仕方ないと考えてまた目を背けた。怪我をラグビーと向き合わないちょうどいい言い訳にしかしなかった。結局その年は対抗戦が終わる頃に復帰してAに絡むことはなかった。逆にAで絶対出られないと思っていたからこそ、のびのびとプレーできた。余計なことを考えないで出場した数回の試合はただ楽しかった。半年近くの療養期間でラグビーへの鬱屈とした気持ちはほとんど忘れていた。とりあえずラグビーは楽しいから、それまでのことは無かったことにしたかった。
同期が対抗戦に出ているのを見て、やっぱり自分も出たいと思った。本当は自分もあそこにいるはずだから。「今度こそラグビーにちゃんと向き合おう」そう思えたのに、3月にまた痛みの限界が訪れた。ウェイトやコンタクトをした次の日には、神経痛や頭の重さで動けなくなることが多かった。首に気を遣いながらプレーも日常生活も送らなければならなかった。田崎先生からコンタクトの少ないSHやWTBに転向して、痛みと付き合いながらプレーすることを勧められた。そう言われた時、もうラグビーはここまでかなと思った。コンタクト一つ一つが怖いし、自分でもどうやったら痛みが出るのかよくわからなかった。怪我は日常生活にも支障をきたしていたし、何よりコンタクトの少ないプレーと自分が結び付かなかった。でも、悩みはしたけど、結局ラグビーを辞めるなんて到底思えなかった。体にとってはやめた方がいいのだろうけど、ラグビーもラグビー部もない生活が考えられなかった。自分にはどうしてもラグビーを手放すことができなかった。キャリーが一番好きだったけど、ハーフパスもやってみよう。なんだか自然にそう思えた。春シーズンで皆が増量に勤しんでいる中、自分は減量した。練習もSHとして入り、GWの合宿では短いながらも試合に出してもらった。怪我で周りにも心配をかけて、当時の首脳陣も使いづらかったと思うけど、試合に出してもらって本当に嬉しかった。また1からラグビーが始まったような気がした。実際のプレーはパスや動きがあまりにも慣れなさすぎて、春先の出してもらった試合は散々だった。でも、立教戦で70分近く出してもらった時は、ハーフとしてやっていけるかもと自信がついた。結局春はその後に足の怪我をして終わってしまったけど、夏と対抗戦に向けて希望が持てた。ハーフの位置から見えるラグビーは全く違っていて、新鮮だった。自分がキャリーしてチームを前進させることはできないし、全てのプレーの起点となって良いパスを放ることが当然で、安定が求められた。自分がチームを勝たせるのは下手くそな自分にはあまりにも難しいけど、壊すのは簡単だった。全てが今までと違っていた。それでも慶應戦の時、スペースがあると判断してパスを放った後に武村がトライした時は本当に気持ちがよかった。ハーフで試合に出ていると、全てのプレーが連続しているのがわかって、今まで自分の中で格闘技要素しかなかったラグビーの世界が一気に開けた。結局その年の対抗戦は最初の4試合にリザーブとして出られたものの、成蹊、明学、武蔵には出られなかった。実力が足りていなかったのがわかったし、今度はそれを受け入れられた。
幸い3年のシーズン中は痛みがあるものの、神経が圧迫に慣れてきたのかプレーは続けられた。ただ、最後の一年はまた前のようにコンタクトのラグビーをしたい、怪我をしてもなんとか続けている可哀想な選手で終わりたくない、何より4年になって自分がチームの勝利に貢献できるのはプレー以外にないと思った。今まで見たことのない成蹊や明学に勝った後の景色を自分がグラウンドに立った上で見たかった。だから手術の決断は簡単だった。それでも術後に迎えた春シーズンはひどいもので、今まで見ないようにしてきたものが重くのしかかってくる様だった。試合でうまくいかなくて、指摘されて、次の試合で改善しようとしても結局うまくいかない。そんなことの連続だった。迷いに迷ってどんどん自分のプレーが小さく縮こまっていくのを感じて情けなくなった。プレーでチームを引っ張るどころか足を引っ張っているように思えた。練習前になると吐き気が込み上げてくるようになり、水曜のメンバー発表が怖くて、余計な感情を押し殺して試合に向けて気持ちを作るのがたまらなくしんどかった。スイカを着てスタメンで試合に出るのに、それを嫌だと思っているのが、東大ラグビー部の看板に泥を塗る行為だと思ってますます自分が嫌になった。弱さを突きつけられ続けても練習する他なかった。それがまたしんどかったけど、試合で何かしらの結果を得ることが唯一の救いだと信じてやるしかなかった。夏合宿を経てなんとか迷いが払拭されて、対抗戦へ自信を持てたのは自分のラグビー人生最大の救いだった。
結局、対抗戦は3勝4敗でなんとか4位に踏みとどまったといった結果であった。成蹊、明学、武蔵ばかりか成城にも負けた。成城戦は前節の上智戦からBKのメンバーがごろっと変わってしまい、自分も初めての12番で不安要素を残したまま練習を終えてしまった。そればかりか試合前日に風邪を引いて、体のコンディションもメンタルも全く整わないまま試合に臨んでしまった。キックオフで敵陣に蹴り込んだ後、事前の分析で相手が展開してくることは想定していたのに、自分の外を抜かれて大きくゲインされてしまった。先に3トライ取られた時にインゴールで「まだいける」と言って、その場で安冨さんにそれを指摘された。まだ試合中なのにもう負けたような気でいる自分が情けなくなった。そのあと、なんとか取り戻そうとして今度は冷静さを失った。外にチャンスがあっても、それしかないと思って全部キャリーした。そして最後はカモられてノッコンして試合が終わった。プレーの迷いがなくなっても今度は他にいくらでもプレーの改善点と精神性の弱さが露呈してきた。それでもこの敗戦を機に、そうした下手くそで弱い自分も全てひっくるめて戦うしかないと思った。少なくともそう思わないとまた春と同じように小さく縮こまっていくような気がした。
成蹊戦から3戦は自分でもプレーが良くなっていったように感じる。自分がチームに対してできる最大限のことがプレーであるならこれでよかったのかもしれないが、結局チームは勝てなかった。圧倒的に全てが足りなかった。過去の自分のせいにはしたくないけれど、どうしてもかつてのラグビーを蔑ろにした自分が今年になって重くのしかかってくるように思える。自分に対してもチームに対してもできることはたくさんあったはずなのに今年の自分はそれをその場で気づくこともできなかったし行うこともできなかった。勝ちたいと思ってやっているはずなのに、そもそも勝利に向かっているのか、本当に勝ちたいがために行なっているのか根本すら疑問に思うこともあった。結局最後まで迷い続けてしまう。自分を信じ抜くことがこんなにも難しいことだとは思わなかった。こう振り返ると正則高校に負けてからなんだか自分が一貫していないで外的な物に振り回されているように感じる。せっかくラグビーを楽しむことができるのだから、それが原動力になっていればもっと違ったのではと思う。多くの後悔はある。それでもこれほど魅力的で、感情を揺さぶられて、何にも変え難いと思えるラグビーに出会えたことが今はただ、ひたすらに嬉しい。
最後にこの場を借りてお世話になった方々に感謝を述べさせていただこうと思います。
青山部長、OBOGの方々
皆さまのご支援の上にラグビー部の活動が成り立っていると思います。本当にありがとうございます。
川出監督
気にかけていただき、多くのアドバイスをくださったこと本当にありがとうございます。そのアドバイスが僕の支えになりました。川出さんに褒めていただけるのが嬉しかったです。
いっそうさん
ラグビーに対する多くの事をいっそうさんに教えてもらいました。今年1年間、僕を試合で使い続けていただいたこと、本当に感謝しています。最後の試合で期待に応えられるよう残り一週間成長し続けます。
田崎先生、宮本先生をはじめとした聖路加国際病院の方々
今年の僕が最後まで健康にラグビーをすることができたのは皆様のおかげです。本当にありがとうございます。今後もし入院することがありましたら、また聖路加にお世話になりたいです。
宮崎先生
ラグビーの楽しさは先生から教わりました。大学入学時に入部を後押ししていただいたこと、心から感謝しております。ラグビーを続けて本当に良かったです。娘さんのご結婚おめでとうございます。
冨士先生
大学に入っても気にかけて下さり、本当にありがとうございます。一橋戦観に来ていただいた時は嬉しかったです。引退後はまたラグビー部にお邪魔させていただきます。
先輩方
今まで様々なご迷惑をおかけしたと思います。それでも気にかけて関わってくださったこと、本当にありがとうございます。先輩方が築いてきた東大ラグビー部の歴史に恥じないよう最後まで戦い抜きます。
後輩
一緒にラグビーができて本当に楽しかったです。特にBKのみんなにはラグビーに対する姿勢とスキルをたくさん勉強させてもらいました。本当にありがとう。
日比谷高校ラグビー部同期
高校3年間のラグビー、一緒にできて本当に楽しかったです。今までは言えませんでしたが、高校最後の試合、自分が勝ちにこだわれなかった事、みんなに対して申し訳なく思っています。大学に入っても集まって遊んでくれてありがとう。また今度全員で集まろう。京大戦に来ること、楽しみにしています。
同期
なんとなくまとまりの無いような同期ですが、僕にとってこの同期の存在は大きかったです。4年間本当にありがとう。来年も全員学生なので遊びに行きましょう。
家族
家族の協力無しにしてラグビーは続けられませんでした。特に首の怪我をしていた時は多くの心配をかけたと思います。それでも応援していただいて本当にありがとうございます。
他にも関わってくださった方々、本当にありがとうございます。皆様との関わりを通じて僕のラグビー人生は非常に彩りのあるものとなりました。重ねて感謝申し上げます。
これまで関わってくださった方々のためにも、チームのためにも、そして自分のためにも最後の京大戦、必ず勝利します。
次は、常にカバンの中にシス単が入っている医学部受験生の鷲頭にバトンを渡します。今年、怪我をしなかった4年BKは鷲頭と僕だけだったので心強かったです。最近はあまり勉強していないようですが、引退後はいよいよ受験シーズンなので頑張ってください。
今までのリレー日記が短かった分、バランスを取るために今回は長くしてみました。冗長な文章になってしまいましたが、ラグビー人生を清算するためにもその当時の正直な気持ちを書かせていただきました。不快に思われる点があるかもしれませんが、最後まで読んでいただけると嬉しいです。
高校で始めたラグビーは楽しく、すぐに好きになった。ボールを持って走る事もコンタクトも自分に合っていて、自分のためのスポーツだと思えた。昴の代の新人戦で成蹊高校に勝った時はその格上を倒した感覚がたまらなく楽しかった。途中、コロナに活動を阻まれはしたが、ラグビーはただ楽しかった。やればやるほど好きになって、トライをとって活躍できるとプレーに自信が湧いた。でも、自分の代になると「自分のおかげで勝っている」と思い上がってしまった。まるでラグビーは自分の物のように感じていた。その後の春季大会、vs正則高校でも前半21-0で自分も2トライ取って、チームは完全に勝てるムードになっていた。それなのに結果は21-26で負けた。後半は自信のあった近場を避けられ、経験の浅い選手のいる外を攻められた。簡単にチームは崩れた。自分が外のDFに行っても何もできなかった。ラグビーが自分の手に負えない大きなものに感じて、勝手に裏切られた様な気持ちになった。ラグビーから逃げたくなって、受験勉強を優先して練習をこなすことすらせず、なんとなく秋の試合を迎えて引退した。もしかしたら、そうしたおかげで現役合格できたのかもしれない。
大学に入って散々迷ってから入部した癖に、ラグビーに対する姿勢は変わらなかった。練習や与えられたウェイトをこなすことすらしないばかりか、4年生に反抗すらした。最初からAに絡ませてもらっていたのに、意外と簡単に活躍できそうだなと思っていたら結局Bのリザーブで京大戦を終えた。どんどんメンバーから遠ざかっていっても松元さんから怒られても変えようとしなかった。ただ、自分を起用しないのは見る目がないだけだと思っていた。自分の思い描いた甘い理想と現実の乖離は「やっぱりラグビー部に入るんじゃなかったな」という考えを加速させるばかりだった。
代が変わっても自分は変わらなかったから、試合に出してもらっても全くうまくいかなかった。リザーブでの出場がほとんどで、いいプレーなどできなかった。ここまでくるとさすがに努力も実力が足りていないのだと思えた。でも変なプライドが邪魔をして今更必死こいてラグビーはできなかった。努力をするより辞める方が簡単に思えた。
6月に頸椎椎間板ヘルニアで3ヶ月安静の必要があると診断された。自然に怪我のせいにしてラグビーから離れられると思って嬉しかった。DLに入ってからは、練習を少なくとも週に1回は休んで、行ってもストレッチしているだけ。夏の合宿も、何もできないからと強引に欠席した。その後も療養期間が1ヶ月、また1ヶ月と伸びるたびに安心した。部にコミットしていないのに所属はしている中途半端な状態に多少の後ろめたさは感じつつも、見て見ぬ振りをした。秋になって同期が試合に出続けているのを観ても、自分は重い怪我をしているのだから仕方ないと考えてまた目を背けた。怪我をラグビーと向き合わないちょうどいい言い訳にしかしなかった。結局その年は対抗戦が終わる頃に復帰してAに絡むことはなかった。逆にAで絶対出られないと思っていたからこそ、のびのびとプレーできた。余計なことを考えないで出場した数回の試合はただ楽しかった。半年近くの療養期間でラグビーへの鬱屈とした気持ちはほとんど忘れていた。とりあえずラグビーは楽しいから、それまでのことは無かったことにしたかった。
同期が対抗戦に出ているのを見て、やっぱり自分も出たいと思った。本当は自分もあそこにいるはずだから。「今度こそラグビーにちゃんと向き合おう」そう思えたのに、3月にまた痛みの限界が訪れた。ウェイトやコンタクトをした次の日には、神経痛や頭の重さで動けなくなることが多かった。首に気を遣いながらプレーも日常生活も送らなければならなかった。田崎先生からコンタクトの少ないSHやWTBに転向して、痛みと付き合いながらプレーすることを勧められた。そう言われた時、もうラグビーはここまでかなと思った。コンタクト一つ一つが怖いし、自分でもどうやったら痛みが出るのかよくわからなかった。怪我は日常生活にも支障をきたしていたし、何よりコンタクトの少ないプレーと自分が結び付かなかった。でも、悩みはしたけど、結局ラグビーを辞めるなんて到底思えなかった。体にとってはやめた方がいいのだろうけど、ラグビーもラグビー部もない生活が考えられなかった。自分にはどうしてもラグビーを手放すことができなかった。キャリーが一番好きだったけど、ハーフパスもやってみよう。なんだか自然にそう思えた。春シーズンで皆が増量に勤しんでいる中、自分は減量した。練習もSHとして入り、GWの合宿では短いながらも試合に出してもらった。怪我で周りにも心配をかけて、当時の首脳陣も使いづらかったと思うけど、試合に出してもらって本当に嬉しかった。また1からラグビーが始まったような気がした。実際のプレーはパスや動きがあまりにも慣れなさすぎて、春先の出してもらった試合は散々だった。でも、立教戦で70分近く出してもらった時は、ハーフとしてやっていけるかもと自信がついた。結局春はその後に足の怪我をして終わってしまったけど、夏と対抗戦に向けて希望が持てた。ハーフの位置から見えるラグビーは全く違っていて、新鮮だった。自分がキャリーしてチームを前進させることはできないし、全てのプレーの起点となって良いパスを放ることが当然で、安定が求められた。自分がチームを勝たせるのは下手くそな自分にはあまりにも難しいけど、壊すのは簡単だった。全てが今までと違っていた。それでも慶應戦の時、スペースがあると判断してパスを放った後に武村がトライした時は本当に気持ちがよかった。ハーフで試合に出ていると、全てのプレーが連続しているのがわかって、今まで自分の中で格闘技要素しかなかったラグビーの世界が一気に開けた。結局その年の対抗戦は最初の4試合にリザーブとして出られたものの、成蹊、明学、武蔵には出られなかった。実力が足りていなかったのがわかったし、今度はそれを受け入れられた。
幸い3年のシーズン中は痛みがあるものの、神経が圧迫に慣れてきたのかプレーは続けられた。ただ、最後の一年はまた前のようにコンタクトのラグビーをしたい、怪我をしてもなんとか続けている可哀想な選手で終わりたくない、何より4年になって自分がチームの勝利に貢献できるのはプレー以外にないと思った。今まで見たことのない成蹊や明学に勝った後の景色を自分がグラウンドに立った上で見たかった。だから手術の決断は簡単だった。それでも術後に迎えた春シーズンはひどいもので、今まで見ないようにしてきたものが重くのしかかってくる様だった。試合でうまくいかなくて、指摘されて、次の試合で改善しようとしても結局うまくいかない。そんなことの連続だった。迷いに迷ってどんどん自分のプレーが小さく縮こまっていくのを感じて情けなくなった。プレーでチームを引っ張るどころか足を引っ張っているように思えた。練習前になると吐き気が込み上げてくるようになり、水曜のメンバー発表が怖くて、余計な感情を押し殺して試合に向けて気持ちを作るのがたまらなくしんどかった。スイカを着てスタメンで試合に出るのに、それを嫌だと思っているのが、東大ラグビー部の看板に泥を塗る行為だと思ってますます自分が嫌になった。弱さを突きつけられ続けても練習する他なかった。それがまたしんどかったけど、試合で何かしらの結果を得ることが唯一の救いだと信じてやるしかなかった。夏合宿を経てなんとか迷いが払拭されて、対抗戦へ自信を持てたのは自分のラグビー人生最大の救いだった。
結局、対抗戦は3勝4敗でなんとか4位に踏みとどまったといった結果であった。成蹊、明学、武蔵ばかりか成城にも負けた。成城戦は前節の上智戦からBKのメンバーがごろっと変わってしまい、自分も初めての12番で不安要素を残したまま練習を終えてしまった。そればかりか試合前日に風邪を引いて、体のコンディションもメンタルも全く整わないまま試合に臨んでしまった。キックオフで敵陣に蹴り込んだ後、事前の分析で相手が展開してくることは想定していたのに、自分の外を抜かれて大きくゲインされてしまった。先に3トライ取られた時にインゴールで「まだいける」と言って、その場で安冨さんにそれを指摘された。まだ試合中なのにもう負けたような気でいる自分が情けなくなった。そのあと、なんとか取り戻そうとして今度は冷静さを失った。外にチャンスがあっても、それしかないと思って全部キャリーした。そして最後はカモられてノッコンして試合が終わった。プレーの迷いがなくなっても今度は他にいくらでもプレーの改善点と精神性の弱さが露呈してきた。それでもこの敗戦を機に、そうした下手くそで弱い自分も全てひっくるめて戦うしかないと思った。少なくともそう思わないとまた春と同じように小さく縮こまっていくような気がした。
成蹊戦から3戦は自分でもプレーが良くなっていったように感じる。自分がチームに対してできる最大限のことがプレーであるならこれでよかったのかもしれないが、結局チームは勝てなかった。圧倒的に全てが足りなかった。過去の自分のせいにはしたくないけれど、どうしてもかつてのラグビーを蔑ろにした自分が今年になって重くのしかかってくるように思える。自分に対してもチームに対してもできることはたくさんあったはずなのに今年の自分はそれをその場で気づくこともできなかったし行うこともできなかった。勝ちたいと思ってやっているはずなのに、そもそも勝利に向かっているのか、本当に勝ちたいがために行なっているのか根本すら疑問に思うこともあった。結局最後まで迷い続けてしまう。自分を信じ抜くことがこんなにも難しいことだとは思わなかった。こう振り返ると正則高校に負けてからなんだか自分が一貫していないで外的な物に振り回されているように感じる。せっかくラグビーを楽しむことができるのだから、それが原動力になっていればもっと違ったのではと思う。多くの後悔はある。それでもこれほど魅力的で、感情を揺さぶられて、何にも変え難いと思えるラグビーに出会えたことが今はただ、ひたすらに嬉しい。
最後にこの場を借りてお世話になった方々に感謝を述べさせていただこうと思います。
青山部長、OBOGの方々
皆さまのご支援の上にラグビー部の活動が成り立っていると思います。本当にありがとうございます。
川出監督
気にかけていただき、多くのアドバイスをくださったこと本当にありがとうございます。そのアドバイスが僕の支えになりました。川出さんに褒めていただけるのが嬉しかったです。
いっそうさん
ラグビーに対する多くの事をいっそうさんに教えてもらいました。今年1年間、僕を試合で使い続けていただいたこと、本当に感謝しています。最後の試合で期待に応えられるよう残り一週間成長し続けます。
田崎先生、宮本先生をはじめとした聖路加国際病院の方々
今年の僕が最後まで健康にラグビーをすることができたのは皆様のおかげです。本当にありがとうございます。今後もし入院することがありましたら、また聖路加にお世話になりたいです。
宮崎先生
ラグビーの楽しさは先生から教わりました。大学入学時に入部を後押ししていただいたこと、心から感謝しております。ラグビーを続けて本当に良かったです。娘さんのご結婚おめでとうございます。
冨士先生
大学に入っても気にかけて下さり、本当にありがとうございます。一橋戦観に来ていただいた時は嬉しかったです。引退後はまたラグビー部にお邪魔させていただきます。
先輩方
今まで様々なご迷惑をおかけしたと思います。それでも気にかけて関わってくださったこと、本当にありがとうございます。先輩方が築いてきた東大ラグビー部の歴史に恥じないよう最後まで戦い抜きます。
後輩
一緒にラグビーができて本当に楽しかったです。特にBKのみんなにはラグビーに対する姿勢とスキルをたくさん勉強させてもらいました。本当にありがとう。
日比谷高校ラグビー部同期
高校3年間のラグビー、一緒にできて本当に楽しかったです。今までは言えませんでしたが、高校最後の試合、自分が勝ちにこだわれなかった事、みんなに対して申し訳なく思っています。大学に入っても集まって遊んでくれてありがとう。また今度全員で集まろう。京大戦に来ること、楽しみにしています。
同期
なんとなくまとまりの無いような同期ですが、僕にとってこの同期の存在は大きかったです。4年間本当にありがとう。来年も全員学生なので遊びに行きましょう。
家族
家族の協力無しにしてラグビーは続けられませんでした。特に首の怪我をしていた時は多くの心配をかけたと思います。それでも応援していただいて本当にありがとうございます。
他にも関わってくださった方々、本当にありがとうございます。皆様との関わりを通じて僕のラグビー人生は非常に彩りのあるものとなりました。重ねて感謝申し上げます。
これまで関わってくださった方々のためにも、チームのためにも、そして自分のためにも最後の京大戦、必ず勝利します。
次は、常にカバンの中にシス単が入っている医学部受験生の鷲頭にバトンを渡します。今年、怪我をしなかった4年BKは鷲頭と僕だけだったので心強かったです。最近はあまり勉強していないようですが、引退後はいよいよ受験シーズンなので頑張ってください。
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