ラグビー部リレー日記

セカンドの7番

投稿日時:2025/12/23(火) 22:50

シナモンが大好きな宮田からバトンをもらいました、4年の鷲頭です。これまでのリレー日記では、何度か宮田の名前を出させていただきました。書けるような話題がなく、宮田の名前を使ったことには多少の申し訳なさを感じています。この竹に免じて許してもらえればと思います。

 

さて、最後のリレー日記になってしまいました。自分のラグビー人生を振り返って、考えたことを書かせていただきました。拙い文章になっているとは思いますが、ぜひ読んでいただけると幸いです。

 

 

自分がよく思い出す言葉として、「セカンドの7番として死んでいく」という言葉がある。野球におけるセカンドで7番は地味な割にはやることが多く、オールマイティなプレーが要求される。あまり注目されないのにも関わらず、ミスをした時には叩かれたりする。世の中にはそういう役割の人も多いと思う。注目されるのが苦手な自分にとってそんなポジションが好きだった。ラグビーにおいても、いいアタックやトライをして注目されるよりも、いいタックルができた方が嬉しい。

 

高校のラグビー部のある練習で、高校同期のプロップだったやつの足に突っ込んでタックルしにいったことがあった。結果としてはタコ負け。次の瞬間空が上にあってびっくりした。ただ、何も考えることなく、とにかく足にタックルしにいけた感覚があった。その日の練習後に当時、バックスのコーチをしてくださっていた肥後先生にバックスからフォワードに移ってみないかと言われた。肥後先生曰く、その日のタックルを評価してとのことだった。もちろん、バックスで活躍する見込みがなかったからなのかもしれない。それでも、その日のタックルについて言われたことは嬉しかった。ポジティブに考えた結果、次の練習からはフランカーとして参加することに決めた。思えば、その日からタックルに対しての恐怖心が薄れていった気がした。その時からタックルも好きになっていった。

 

しかし、大学に入ってみると、体格の差にぶち当たった。自分より大きい相手に受け身のタックルばかりするようになり、再びタックルへの恐怖心を時々感じるようになった。この恐怖心はもちろん波はあったが、恥ずかしながら4年生の時まで続いた。キャリーしてきた相手に突っ込めずに、姿勢が高いまま来るのを待って相手を掴むだけの時が何度も多くあった。結果が良くても自分のタックルで素直に喜べなかったことも何度もあった。

 

3年生の時の明学戦でとても悔しい思いをしたのを覚えている。試合に負けたことが悔しいからではなかった。明学のアタックに翻弄され、どんどんトライを取られてしまうのを自分はグラウンド外でただ、見ているだけしかできなかったことが悔しかった。前半に石澤は負傷して退場、後半に福元が足を攣った時は、自分の実力がないせいで自分がチームの力になれておらず、何もできなかったのがもどかしかった。

 

このままでは、セカンドの7番どころか、打順が回ってくることもないかもしれないと焦った。そう思っていた矢先に名古屋戦でチャンスを頂いた。正直、緊張していたが、何とかもらったチャンスをものにしようと思った。けれども、現実はそんなに甘くなく、自分のミスで相手にトライされ、また東大のトライのチャンスを失ってしまった。ただ、幸いにも自陣のゴール前でのラインアウトからショートサイドにきたフッカーを自分のタックルでタッチに出してトライを防ぐことができた。今までで一番嬉しかったと思う。もちろん、自分のミスには正直落ち込んだが、そのタックルがあったからなんとか気持ちを保てた。タックルをやってきて良かったと思った。もちろん、石澤や湊みたいなビッグタックルができるほどうまくはないが、自分の中ではやっぱりタックルというものの存在が大きかった。

 

 

 

四年間を通して怪我も少なく、ここまでやって来れたのも恵まれていたと思う。それもあってか、この四年間の中で、多くのポジションを経験させてもらった。正直、自分には特出して長けている能力はないが、スクラムハーフやスタンド、B3、フランカーなど多くのポジションを経験できた。特にスクラムハーフは、当日に急に自分がハーフをやることが決まったコルツ戦の日から始まり、多くの経験ができた。2年生の時には全体練が終わって疲れ切った状態で、福元や宮田とたくさんパス練した。そんな練習をしていたにも関わらず、試合中には郵便屋になったり、千賀投手ばりの変化球を投げるピッチャーになって仲間を犠牲にしたこともあった。そんなこんなでなんとか成長できたと思う。

 

たくさんのポジションを経験し出してから、多くの試合に出せてもらえるようになったと思う。怪我人が出て、人が足りなくなれば、その都度いろんなポジションで試合に出させてもらった。都合のいい男にしてはありがたい経験をさせてもらった気がする。器用に全てをこなせたわけではないが、セカンドの7番に近づいた気がした。


残るは京大戦のみ。西久保さんがVoiceでも書いていたが、命をかけた試合になるようにしたいと思う。どんなポジションだろうが、自分のタックルでチームの勝利に貢献したいと思う。自分の命を犠牲にして、他人の命を救えるようになるためにも、僕の命を京大戦に捧げようと思う。

 

最後に感謝を述べたいと思います。

 

大西さん
2年間の中で自分が経験したことのないようなご指導をして頂きました。練習や試合、ラグビーそのものに対する姿勢などが自分にとっては想像をはるかに超えたもので、とても貴重な経験をさせて頂きました。ありがとうございました。

 

いっそうさん
凝り固まった考え方や、楽しくラグビーをやる中でも自分に厳しくするやり方を教えていただきました。何度も聞いた「わしずーっ!」の声をこれからも脳内で再生して頑張りたいと思います。ありがとうございました。

 

川出さん
スクラムハーフ、スタンド、B3、どのポジションをやる時も熱心に指導してくださり、本当に感謝しています。

 

鳥飼さん
仕事の合間をぬって、練習前のハーフ練習に付き合って頂きありがとうございました。試合の前後でも毎回声をかけてくださり、

 

笠原さん、中垣さん、永山コーチ、杉本コーチ
何度も駒場まで足を運んでくださり、チームのためにサポートをしてくださり、ありがとうございました。

 

青山部長、東大ラグビー部OB、OGの方々
陰ながらさまざまな面で、自分たちが不自由なく部活動ができるようにサポートしてくださり、ありがとうございました。

 

ラ・サールラグビー部の同期
稀に見る人数の多さだったけど、本当に楽しい代でした。一緒にラグビーをしてくれて、そしてそれぞれの地でもラグビーを続けてくれてありがとうございました。

 

両親へ
金銭面などで多くの心配をかけたりしました。今まで、サポートしてきてくれてありがとうございます。あと数年お世話になることと思いますが、必ず成長して親孝行します。


先輩方へ
先輩方が、今まで作り上げられた伝統のある部活で活動できるのを嬉しく思います。僕らが困っている時にさまざまな
形でサポートしてくださいました。ありがとうございました。


後輩へ
ラグビー部に入るという選択をし、また頼りない僕らの代を支えていただきありがとうございました。あと一週間僕らと一緒に戦ってくれると嬉しいです。これからの活躍も応援しています。

 

同期へ
熱湯みたいに刺激の強い代だったけど、楽しく過ごせました。刺激が欲しくなったら、また集まりたいです。

 

次は大親友のハルトにバトンを渡します。ハルトとはこの四年間でたくさん遊ばせて頂きました。今度も新たに良さそうなバイトがあったので、二人で挑戦してみたいと思います。鞆の浦には絶対行きましょう!理子ちゃんにもよろしくお伝えください。

コメント

名前:
Eメールアドレス:
コメント:
ファイル
パスワード:

この記事を書いたメンバー

2025年11月

<<前月翌月>>
2025/11/28(金) 10:31
Marry Me Chicken
2025/11/26(水) 18:43
愉快で最高な仲間たち
2025/11/25(火) 16:43
男磨きはボディビルへ
2025/11/22(土) 22:18
fall season
2025/11/20(木) 09:32
類まれな才能
2025/11/19(水) 23:02
しんらい
2025/11/19(水) 18:27
あの坂田が!?!?泣いたアニメ
2025/11/16(日) 18:05
埼玉旅行記
2025/11/15(土) 20:40
渋谷のサグラダ・ファミリア
2025/11/13(木) 16:34
逆ナンなん?
2025/11/12(水) 10:31
バイト
2025/11/07(金) 00:32
モチーフで見る部員の部屋

アーカイブ

ブログ最新記事