ラグビー部リレー日記

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挫折

 written by 高橋 勇河 投稿日時:2019/05/28(火) 12:22

某部活への類い稀な愛情を見せ、誰よりも熟知している石田からバトンを受け取りました、4年の高橋です。積極的に新歓に勤しむ私の姿は後輩達にはやや眩しすぎたようです。


「あなたが今までに挫折した経験はありますか?」
現在就活中の私はこういった類の質問に対して、自身の過去と現在を振り返る機会を多く持っている。リレー日記を読んでくださっている皆さんはこの質問に端的に答えることができるだろうか。

こういった質問を与えられた時、私はまずラグビーでの経験を考える。高校時代、鎖骨を骨折して3年夏の試合前日に急遽迎えた引退。大学2年春に偶々明治大学戦に80分出場する機会をもらったが、スクラムでボコボコに押され、フィールドプレーも何一つできなかったこと。3年夏に前十字靭帯の部分断裂をし、明学戦の交代枠を減らしてしまい、後半に選手の足が止まり始め徐々に点差が開いていく時に何もできなかった無力感。先輩方の引退試合であった京大戦で自分がスクラムを抑えられなかったことで喫した敗戦。悔しかった思い出はいくらでもあって、明学戦や京大戦なんかは今でも思い返せば泣いてしまいそうなほど強烈な記憶として残っている。これは今年に入ってからも変わらない。春シーズンの東北戦や早稲田戦を終えて、自分自身が春シーズン考えてきた練習の全てが間違っていたんじゃないか、と何度も考えることになった。

ずらずらと挫折したような経験を書いてみたが、実際は前述の質問に対して私の真の本音は「挫折したことはない」という答えになる。というのも、どの経験を以ってしても、「挫折」という単語の持つイメージにはどこかそぐわないのだ。そもそも挫折とは「仕事や計画などが、中途で失敗しだめになること。また、そのために意欲・気力をなくすこと」と辞書に記載してある。私が挫折に持つイメージは主に後者が強く、挫折した経験と言われると、心が折れてやる気がなくなってしまった経験を思い浮かべる。上記の経験は私にとって強い悔しさの原因や発奮材料にはなれど、それが原因でやる気がなくなってしまったり、諦めてしまうことはなかった。

こういった経緯で私は今まで挫折をしたことはない。しかし、今年は自分の真剣なラグビー人生最後の一年である。これが何を意味するかと言うと、ひどい後悔の念を抱いた時に、いかに発奮したり、次の試合のことを考えたところで、その先には何も待っていない瞬間が訪れるということだ。万一、この瞬間が訪れた時に私はきっと挫折するのだろう。もちろんのことながら、そんなものは絶対に向かえたくはない。こんな瞬間に向き合わないためにも、人生最初の「挫折」を向かえないためにも今はひたすら、もがき続けなくてはならない。後悔の気持ちを抱かないためにも一歩でも一歩でももがいてもがいて。後悔の気持ちを抱かないために。そして何よりも何よりも勝つために。

普段熱い話など気恥ずかしくてできないので、後輩たちに一つだけ伝えたい。俺は勝ちたい。そして、チームを導く立場なのだからこんな言い方をするべきではないけれど、それでも、東大ラグビー部を、野村組を、そしてついでに俺のことを勝たせてください。一緒に勝ちましょう。


思いつくままに書いてしまったので、散漫な文章になってしまいましたが、何卒ご容赦ください。ひとまずは直近の就活で挫折を味わうことにならないように頑張っていきたいと思います。

次は私生活が私生活が愛に満ち溢れている3年の山本にバトンを渡します。
後輩たちにもう一つだけ伝えておくと、俺のリレー日記をいじったやつは許しません。笑

つれづれ

 written by 石田 健太郎 投稿日時:2019/05/25(土) 22:34

 怪我を乗り越えいよいよ復帰まで秒読みの野村さんからバトンを受け取りました、2年の石田です。つい先日投稿された倉上さんのリレー日記と表題が丸被りしているのは本当に只の偶然です。

 何かと忙しかった新歓期が終わり、一人でゆっくりする時間が増えました。文系2Sで授業も少ないのも相俟って、未だにダラダラとゴールデンウィーク気分を引き摺っているような気があります。五月病とはまた少し違うような、気だるさとちょっとした高揚感も入り混じっているような、不思議な感覚です。そんな中、一人の時間が増えるにつれて、私は茫然と考え事をすることが多くなったように感じます。特に、ラグビーのことや部活について考えることが多いです。思考を思考のまま留めておくのは勿体無い、と誰か偉い人が言っていた気がするので、ここにその一部を備忘録として残そうと思います。

 ポジションの話。
 私が高校で3年間続けたロックからプロップに転向したのは大学1年の夏のことです。当時、炎天下での練習や厳しいフィットネストレーニングにやられて体重が減少の一途を辿っていた私にとってはなかなかハードな決断でした。最低時で体重73kg、一般人の標準体重よりちょっとだけ重い程度の超軽量級FWでした。反面、身長173cmと中途半端な高さの私がロックとして役不足であることは高校時代から薄々感じていたのもまた事実です。このままではいけないと思い、ポジションの転向を真剣に考え始めました。
 BKに転身することを考えた時期もありました。2分間くらい。しかし、そもそもの鈍足に加え、3年間ですっかり染み付いてしまったFW的気質や、恥ずかしながらあまり進歩が見られなかったハンドリングの弱さなどを考えると絶望的でした。
 そこでFW内でポジションを変えるとしたら、「前」に行くか「後ろ」に下がるかの二択に迫られます。このとき私は悩みましたが、どちらが自分の強みにより合っているかを考えました。
 「後ろ」に求められるもの。グラウンドを縦横無尽に駆け回るフィットネス、時折バックスラインに参加してボールを動かすハンドリングスキル、セットプレーからいち早く抜け出して一次のブレイクダウンに駆けつけるスピード、等々。
 「前」に求められるもの。接点で負けない強い当たり、スクラムやモールで強い姿勢を作り続ける筋力、そしてそれらを可能にする強靭な肉体、等々。
 正直どれも不足しているのは否めないところですが、私自身がコンタクト好きであること、派手なプレーよりも地味で泥臭いプレーを好むこと、またチーム全体でフロントローが不足していることなどを鑑みて、プロップに転身することを決心しました。
 困難は数多くありました。今も直面しています。まずは何よりも体重が最も深刻な問題です。80kgにも満たないプロップなんて高校ラグビーでもなかなか耳にすることはありません。もともと大食いではない私にとって体重を増やすことはなかなかの難題です。半年かけてやっと10kg程度は増やせましたが、まだまだ足りません。増量に関しては今後も付き合っていかなければならない最大の課題となっています。
 また、プロップになるにあたって、そもそもスクラムを組めなければお話になりません。ロック時代も秀でた技術や力を持ち合わせていたわけでもありませんでしたし、基礎からの叩き直しが必要でした。初めの数ヶ月は本当に辛かったです。肉体的なしんどさよりも、スクラムでまともにやり合えず反則を連発してしまうために試合でチーム全体に負担がかかってしまうことへの申し訳なさが大きかったです。秋シーズン、ある練習試合中に悔しさと情けなさのあまりに試合中に号泣してしまった事件は今でも語り草になっています。
 プロップに転身して半年以上が経過し、スクラムの組み方も多少は形になってきました。しかしながら、対人で8対8のスクラムを組む経験は圧倒的に不足しています。他大学との合同ユニット練習などの際にも、普段のマシンでの練習ではできていたことができなくなってしまったりすることがあり、未だ儘ならないもどかしさがあります。また実際の試合経験も足りていません。高強度のゲーム中でも自分の形のスクラムを組み続けるという過程を今後も経ていく必要があります。長い目で見ても、まだまだ鍛錬が必要です。
 まだ1年目と見るか、もう1年も経つと考えるか、個人差があると思います。現実としてはまだまだ実力不足です。さらなる成長が必要です。幸い、フロントとしての成長のための時間はあと3年間残されています。この時間を存分に使って実力をつけていきたいと思います。

 身体の話。
 高校時代、3年間ラグビーをしながら一度も大きな怪我を負わず病欠もしなかったことが私の小さな自慢でした(脳震盪は除く)。勝手に自分は常人よりも丈夫な体をしていると思っていましたが、ここ最近はたて続けに怪我と体調不良を起こしており、自分の管理の甘さと現実の厳しさを実感しています。
 3月末に胃腸炎を患って1週間ほど寝込み、せっかく増やした体重も5kg減ってしまいました。練習に復帰してもなかなか体が思うように動かず、フィットネスも明らかに低下してしまいました。4月初頭、新チーム最初の試合で肩を痛め、脳震盪も起こしました。自身3回目の脳震盪ということで慎重にならざるを得ず、完全復帰までに3週間ほど要しました。復帰プロトコルを終えて練習に戻ってすぐの4月末、また胃腸炎に罹りました。前回の体重減少を受けて頑張って戻した体重もまた減ってしまい、再び80kgを下回ることになりました。体調が戻ってすぐの練習で、今度は腰の椎間板を痛めました。運動ができない程度のものではなかったのでプレーを続けることにしましたが、スクラムには大きな支障を来たしかねないということで週末の試合にはロックとして途中出場することになりました。その試合では諸事情あっていきなり先発出場、腰痛も相まってロクに動けず途中交代、プレー中には手指の剥離骨折を起こしていました。腰の不調も、椎間板の痛みが引いてきたかと思ったら今度は腰椎が危ない予感。指の治療と併せて安静を余儀なくされています。
 直近の2ヶ月の間にこれだけのことが起こりましたが、今思い返せば我ながら情けない話ばかりです。二度の食あたりは自己管理の甘さに依るものに他なりませんし、怪我に関しても自分の良くないプレーが原因です。現在ただでさえ怪我人が多いのにチームの練習に参加できず、自責の念に駆られる日々です。また、そうして練習から離れている間にも、同期たちは着々と上達しますし、先輩たちは徐々に怪我から復帰してきます。もしかしたら自分が復帰できてもチームに居場所が無くなっているのではないか、そんな考えがふと過ることもあります。腰に関しても、もしも万が一改善が見られなければフロントとしての選手キャリアを送るのは絶望的です。フロントを辞めたところで行くあてがない私はお先真っ暗ですし、これまでの練習が無駄になってしまうかもしれません。もしもの話を考え始めるとどんどん悪い方向へ想像が広がってしまいます。
 このままだと鬱になってしまいそうです。なので、ある程度ポジティブに捉えることにしました。この長期のDL期間を、更なる障害を併発しないためにも焦らずしっかりコンディションを整えるための時間と考えて、ケアやリハビリ、トレーニングに徹することにしました。最近は上半身・体幹のトレーニングとストレッチに特に力を入れており、ある程度効果が現れてきているように感じます。私の同期も「焦りは禁物」と唱えていますし、しっかり治して良い状態で復帰したいです。大学ラグビー生活の残りの3年間を棒に振らないためにも、2年生の今の時期にこういう経験をしておくことが後々プラスに働くと信じるしかありません。

 まだいくつかテーマを用意していたのですが、流石に長くなりすぎてしまったのでここで止めます。あまりじっくり読まれると国語力の弱さが露呈してしまうので「石田は普段こういうことを考えているのか」と思う程度に読み流して頂けたなら幸いでございます。
 次は、持ち前の巨体と力強い声で、練習リーダーとして毎日の練習を引っ張る勇河さんにバトンを渡します。彼の新歓期の行動は時折物議を醸していましたが…

ラグビーを楽しむこと

 written by 野村 湧 投稿日時:2019/05/21(火) 22:19

2個上の先輩である下條相手にも盛大なマウントをとる2年の齋藤からバトンを受け取りました、4年の野村です。
 
東大ラグビー部の現在のチーム状況は決して明るくない。怪我人が増え続ける状況、東北大戦、早稲田戦の大敗。僕はリーダーとしてこの状況を変えなければならない。悩み続ける毎日である。練習の運営方法や内容の工夫、戦術の議論や落とし込み、チームとしてのメンタリティや規律の部分など、試行錯誤に終わりや正解はない。その中で最も難しく感じるのはチームメンバー一人一人の意識の部分である。人の考え方や意識を変えることは非常に困難なことである。同じ地域や環境で生まれ育った地元の友達ならともかく、全く違う地域や環境で生まれ育った多様なメンバーの大人数集まる東大ラグビー部では考え方も価値観も多様になるのは当然なことである。そのような多様性を否定するつもりも、価値観を変えようというつもりも全くないし出来ようもない。ただ、部員全員が今だからこそもう一度意識してほしいのは、ラグビーを楽しむということである。
誤解のないように先に言っておくと、ここでの“楽しむ”は、決して遊びの楽しむとは違うということだ。東大ラグビー部で対抗戦を戦うということは、強豪相手に真剣勝負を挑むということである。楽をして勝てるチームは一つもない。楽(らく)とここでの”楽しむ”は全く異なる。楽しむべきなのは、強い相手との真剣勝負、目標に向き合い努力すること、自分自身を厳しく見つめ強く成長すること、であると思う。
大学の部活は必須でもないし、誰かにやらされるものでもない。好きでやるものだから、楽しむことが前提だ。ラグビーはタフなスポーツであるから、もちろん楽しいことばかりではないし体力的にも精神的にもしんどい場面はたくさんある。むしろしんどいことの方が多いだろう。だからこそ、それもすべて含めてトータルで自分が成長して行くことが楽しめれば、それぞれがもっと成長できるし、高め合えるより良いチームになれると思う。まずは自分自身と、同じポジションのチームメイトと、プライドを持って真剣勝負を楽しむこと。その積み重ねが、強い相手に立ち向かうためにできることだろう。
大学ラグビーでの真剣勝負ができる時間もそう長くはない。残された時間、一つ一つの勝負を楽しんで強くなっていきたい。
 
次は、横顔がダミアンマッケンジーに似てると個人的に話題の2年の石田にバトンを渡します。誰も共感してくれないので共感してくれる人募集中です。
 
 
 

いい顔

 written by 齋藤 海杜 投稿日時:2019/05/20(月) 21:29


肩の手術明けでいろいろ大変そうですが、それでも明るい倉上さんからバトンを受け継ぎました、2年の齋藤です。三鷹周辺住みの新一年生が多く入部し、三鷹パート?も賑やかになってきました。

 


さて、今回は「顔」にまつわることについてたらたらと書いていこうと思います。

 


ふだん同期や先輩といるとき、僕の顔はよくいじられる。これは昔からのことで、僕の顔や表情はどうやら印象的なようである。入部そうそう不名誉な愛称をつけられたり、表情を過剰に強調して真似されたり、最近では某先輩が僕の間抜けな顔に似た顔文字を使っていたりするそうだ。狙って変な顔をしているだろうと言われることがあるが、大抵そんなつもりはない。早く慣れてもらいたいところである。

 


そんな僕だが、こないだの早稲田ではその「顔」について喝を入れられた。試合のハーフタイム中、疲労困憊した僕は随分情けない顔をしていたようで、同期に試合に出るやつの顔ではないと言われてしまった。結果的に試合は大敗し、僕自身は後半途中の衝突で目の上を7針縫い、さらに脳震盪まで食らってしまった。もっと締まった顔をして集中していれば、こんなことにはならなかったかもしれない。また、自分はチームに負の影響を及ぼしてしまっていたのではないか。脳震盪後の安静期間に、こんなことを考えた。

 

 

最近の東大ラグビー部は怪我人が多く苦しい状況にある。練習にフルで参加できる人数が少なく、どうしても練習強度は高くなる。その練習では、青山監督などから厳しい言葉が飛ぶ。表情はつい暗くなりがちである。しかし、そんなときこそ、僕はいい顔、明るい顔をして練習にのぞむ必要があると思う。表情による雰囲気の伝達作用はとても大きい。いい顔をして練習にのぞむことによって、自ずと部の雰囲気はより明るく良いものになっていくと思う。僕は脳震盪の影響でまだコンタクト練習に参加できないので、より率先していい表情でグラウンドに出ようと思う。しんどいフィットネスの時も、可能な限り明るい顔をしたいと思う。チームにとってそれが少しでもプラスになればいいなと思う。

 

 

最後まで読んでいただきありがとうございます。次は最近ようやく練習に復帰して強さを存分に発揮している、頼れるキャプテンのノムさんにバトンを回します。ノムさんは僕の文章をみて「ルーシーの顔みたらテンション下がるわ」とか言ってきそうですが、構わずに僕はいい表情を心がけようと思います。

徒然草

 written by 倉上 僚太郎 投稿日時:2019/05/17(金) 23:25

テキパキした仕事ぶりでスタッフ業をこなしてくれている、同期の木下からバトンを受けました、三年の倉上です。彼女は頭の回転が早すぎるあまり、のんびりした性格の筆者がそれについていけないことが往々にしてあります。様々な人がいるものですね。




 先日、人知れずかなり悩んだ末に、肩の手術を受けました。人生で初めての手術でした。術後まだ一週間ほどしか経っておらず、この先どうなっていくのだろうという不安が頭をよぎりますが、決断したのは自分なんだから、ちゃんとこの決断をしてよかったねと思えるように、どうにかしなければいけない、自分で責任持って頑張らなければいけないと感じています。



 

手術の内容は詳しいことはここで説明する気は無いですが、結果から申し上げますと僕は現在右腕なしで生活をしています。これは本当に思っていた以上に難しい作業です。日々のなんとなく両手でやっていた行為をすべて一度解体して、ひとつひとつの動きにバラして、構成し直さなければなりません。みなさんは服を右腕から脱ぐか左腕から脱ぐか、意識したことはありますか。特殊なつくりの服でないとそこまで意識しないことだと思います。片腕が使えない人間は、まず使える方の腕から脱いで(これが既に大変)、次に使えない方の腕を脱いでいきます。着るときは逆で、使えない、動かない方の腕に袖を通し、背中にかけてから、使える方の腕に袖をねじ込んでいきます。こういった面倒な着方をするので、そもそも着られる服のタイプが限られています。ファスナーやボタンが前についているタイプの服でないと簡単に着られません。手術する二週間ほど前に奮発して買ったリーバイスの白のセーターも、しばらく着られません。結構お気に入りで、同期の松井も褒めてくれていたのですが・・・



 

こんな生活をしていると、月並みの表現になりますが、自分の生活が多くの人に支えられているな、支えられないと成り立たないなということがよくわかります。退院するとき、母が付き添ってくれました。僕が入院時に荷物を持って来すぎて、とうてい片手では持ちきれないぐらいバッグが重くなってしまったため、荷物の一部を紙袋に詰めて持って帰ってくれました。自宅から駅が歩くと少し遠いため、ほぼ毎日、時間が合えば、仕事から帰った父が車で駅まで迎えに来てくれます。現在、傷口から感染してしまう恐れがあるため衛生上部活に行くことが禁じられている僕は、本郷キャンパスで昼ごはんをラグビー部の同期と食べるとき、つい嬉しくて饒舌になり、うるさくなります。みんなと会うということがどれだけ自分の生活の中で大切な一部であったかということに気付かされます。



 

このように当たり前であったことが当たり前でなくなる機会というのは、考えてみればこうして長期離脱をするときぐらいしかないんじゃないかと考えるようになりました。そう考えることによって離脱を正当化してるところもあるかもしれません。しかし少なくとも、生活について深く考えること、当たり前のようにいてくれる周りの人に感謝すること、そういうことが増えたのは事実です。半年後に僕は復帰し、当たり前のようにラグビーを楽しみ、当たり前のようにトレーニングに汗を流し、当たり前のようにフィットネスメニューに苦しんでいることでしょう。だからそうなってからではもう気づくことのできない、ラグビーができる喜びや、普通に生活ができる喜びを、それが叶わぬ今のうちに、たくさん感じていきたいと思うのです。



 

急激な環境の変化に、まだ全然考えがまとまっていないので、そのまとまらないまま、感じているままを記してみました。特にこれといった答えのない、徒然草のように読んでいただければ幸いです。



 

続いては、数少ない三鷹パートの後輩の一人である二年の齋藤にバトンを回したいと思います。最近では同じ三鷹パートの某一年生がよく家に来るらしく、筆者もいつか彼が家に押しかけてくるのではないかと、恐れおののいております。
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