ラグビー部リレー日記 2017/12

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全ては勝利のために

 written by 松永 迪之 投稿日時:2017/12/22(金) 18:56

FWリーダーの樋口より最後のバトンを受け取りました主将の松永です。
最後ということで今年一年の心境を書き綴りたいと思います。
表現が拙いところは何卒ご容赦下さい。



 勝負事において結果は全てを物語る。言い訳などいくら並べても仕方ない。どんな言い訳も結果の前には意味をなさない。その当時のチーム状況なども全て含めての勝負だ。その勝負に負ければ誰がなんと言おうと負けなのだ。だからこそ勝つことには大きな意味がある。勝つために必死になる。勝つことのみが今の自分の存在を肯定してくれる。
2勝5敗。それが今年のチームだ。どんな過程であれ、これが結果だ。受け入れるしかない。

 今年を振り返ったとき、一年前の主将決めを思い出す。同期数人に推薦されたが、いまいち覚悟が決まらず難航した。今まで人の上に立つ役を務めたことがなく、その器でもないと思っていた。とても主将は務まらないと思った。
 
ふと思い返せばこれまで何かと理由をつけては責任を引き受けることから逃げてきた。そのうち誰かがやってくれるだろう、と人任せにしてきた。そんな人生でいいのか。せっかく変わる機会があるのにまた逃げるのか。そう思ったとき、この同期がいればやっていけるかもしれないと思い、やらせて欲しいと言った。その時は半ば挑戦のような気持ちだった。
 
少しして12月末、母校の試合を見に行ったとき顧問の先生にいただいた言葉がある。
「リーダーとして誰かに推してもらえるのはとても幸せなことだ、上に立つ人間はこの人にならついていけると思ってもらわなければならない。」
そのとき覚悟は決まった。今まで見てきた先輩のようなカリスマ性もなければ、突出したプレーもできないが、誰より体を張ってやる。皆がついてきてくれるような人間になる、そう決めた。

 覚悟だけは一人前だった。しかし、実際はどうであったか。

 春の定期戦が始まる寸前に怪我をして戦線離脱、チームが春の一つの目標にしていた早稲田戦に出ることすら叶わなかった。それから合宿を経て対抗戦が始まり、4連敗してチームが苦しい時に迎えた学習院戦も、前節の怪我により出場できなかった。これでは体を張るどころではない。萩原はじめ他の首脳陣には随分迷惑をかけた。彼らがいなければこのチームは今日を迎えていないであろう。そのぶん出れる試合では全力を尽くしてきたつもりだ。

本当に長く苦しい一年だった。明日を迎えるのが怖い時期もあった。寝て起きると当たり前のように朝が訪れ、練習が始まる。例え目を背けたくとも休むことは決してあってはならない。そして練習が始まれば常に先頭にいなければならない。時の流れは残酷だ。どんなに追い込まれていても刻一刻と進んでいく。待ってもくれなければ急いでもくれない。朝は必ず訪れ、ただ無表情で過ぎていく。
 苦しいがしかしそれだけ真剣でもあった。これほどに全力で過ごした一年はないだろう。主将の道を選んだことに後悔はない。もし自分が主将でなければどんな今日を迎えていたか、そんなことは考えても意味はない。ただもっと違うやり方があったであろうかと振り返るのみだ。そしてそれを次の世代に生かしていくことしかできない。


 最後になりましたが、今シーズン関わってくださった全ての方に感謝申し上げ、最後のリレー日記を終えたいと思います。監督、コーチ、トレーナーの方々、OBの皆様はじめ応援して下さった皆様、保護者の皆様、温かく見守って下さりありがとうございました。結果で恩返しすることができず申し訳ありませんでした。ジュニアコーチの皆様、我々が至らないばかりに多大な迷惑をかけ、試合にまで出ていただくことになり申し訳ありませんでした。ありがとうございました。後輩諸君、体を痛めても試合に出てくれて、今日までついてきてくれてありがとう、明日の試合皆で勝って締めくくろう。同期のみんな、多くは語りませんが四年間楽しい時も苦しい時もみんなと過ごせてよかった、ありがとう。

 今年も残すところあと1日、やれることは全てやってきた。あとは最後の勝利のために全力で駆け抜けるのみだ。
 
主将 松永迪之
 

四年間

 written by 樋口 潤司 投稿日時:2017/12/20(水) 22:37

BKリーダーの萩原よりバトンを受け取りました、4年FWリーダーの樋口です。
今週末の京都大学戦にむけて、「最後の」コンタクト練、「最後の」スクラム練、「最後の」フィットネス、日々最後の日に向かっているのだと噛みしめながら練習に臨んでいます。




長かった四年間が終わる。
思えば上手くいかないことばかりだった。誰よりもチャンスは与えてもらってきた。一年では対抗戦に出る機会をもらい、二年では大きな怪我もなく経験を積み、三年ではほとんど試合に出させてもらった。だが、期待に応えるプレーには常に及ばなかった。その度、今年こそ、はそう思いやってきた。今年こそはレギュラーに、今年こそは信頼されるプレーヤーに。一歩一歩進んできた実感は確かにある。ただ一歩求めるものには足りなかった。それが私の四年間であったと思う。


とりわけ今年の一年は長くしんどかった。
体を張ることが取り柄の自分が怪我でグラウンドに立つことも出来ない歯痒さ、なにより副将として、リーダーとしての力不足は幾度となく痛感した。何か声をかけなければならない、決めなければならない、練習中、試合中そのような場面で分かっていながら明確な答えを示せないこともあった。悪い流れを感じながらそれを変えるだけの言葉が、プレーが出来なかった。後悔を述べても遅いことは分かっているが、それでも責任ある立場に立ちながら役割を果たせなかったことに情けなさを感じる。

ネガティブな話になってしまったが、これが正直なところだと思う。自分は結果に対して責任を負う立場だった。だからこそ、この一年をいい一年だったとは決して言いたくない。ただ、こうして終わりを迎えるにあたり感じるのは後悔だけではなく感謝の思いだ。
多くの人に支えられている、という当たり前のことを首脳陣となって本当に実感した。そして、最後まで共に戦ってきたチームの仲間には感謝を伝えたい。

この四年間も最後の京大戦を残すばかりだ。副将として、かつて憧れた先輩方のようなカッコいい姿を少しでも見せ、そして勝つことで締めくくりとしたい。


最後まで文章が下手で申し訳ありません。
次は主将の松永にお願いします。
 

副将として

 written by 萩原 雅貴 投稿日時:2017/12/18(月) 19:37

まさに、部を回している藤永からバトンをもらいました。四年萩原です。

 副将という立場になり、特に今年一年、多くの方に支えられて活動しているということを痛感しました。監督、コーチ、Jrコーチ、トレーナー、OBの皆様には本当に感謝しています。ありがとうございました。

 

 四年生の先輩方が引退する際に「四年の時が一番辛かった」と、過去に何度か聞いたことがあった。
当時下級生だった自分は、フィットネスもフィジカルも大学での練習を一番重ねた四年生が一番余裕もあるのではないか、と疑問に思っていた。長い間、本気でその理由が良く分からなかった。
それでも去年の11月頃、副将に就くことが決まったとき、「純粋にラグビーを楽しむのは今年までだ」と感じたことを覚えている。

 

 去年までの三年間、真剣にラグビーに取り組んだ自覚はある。
如何にしてパスがうまくなるか、速い球捌きが出来るか、DFで通用する体作りができるか、その時々であれこれ考えていた。練習でも良いプレーが出来たら嬉しいし、納得いかないプレーしか出来ないときは、焦りを覚えて自主練を繰り返した。
その過程が楽しかった。

 しかし、「チーム」に対して何か、声掛けをし、雰囲気を作ろうとし、鼓舞するような働きかけはしていなかった。
一部の選手がそういう働きかけをチームに対してしているのを、なんとなく見ているような、そんな選手であった。
そもそもそういう視点を持っていなかったから、チームに対しての声掛けも、なんとなく聞き流して、自分のプレーのことばかり考えていた。だから先輩方の言葉の意味するところが分からなかった。

 

今年は辛く長い、一年だった。


 これまでの三年間、もっと言えばラグビーを始めてからの六年間、無意識にリーダーに押し付けていた役回りを初めて担い、その難しさと、その辛さを実感した。
朝グラウンドに着いてみて、メンバーが揃わず、予定していた練習が出来なくなるのは日常茶飯事だし、遅刻、欠席、怪我人の多さなどに辟易することもしょっちゅうあった。
気の抜けたプレーや、責任感のないプレーをする人間には苛立ちを覚えることもあった。
また一方で、そういった事に対して、ある種自分のプレーを棚上げしてでも叱責しなければいけない事に、心苦さを感じた。
本当はこうしたいのに、こういう練習がしたいのに、できない。
自分の努力では変えられない条件の下で、それでも、迫り来る対抗戦に向けて練習を続けなければならない。
いっぺん立ち止まって一休みしたいけれど、背中を無理やりされている、そんなような気分の一年間だった。

 そんな理不尽なように思える環境であっても、四年生は、リーダーは、体を張り続け、チームを鼓舞し、先導していかなければならない。リーダーが体を張る、という言葉は去年までの三年間でも、何度も耳にしたが、その意味と重要さには気づいていなかった。
過去、下級生だった頃の自分からみた四年生達が、何食わぬ顔でしていたように思えたリーダーとしての役割は、想像を超えて大変なものだった。


 しかし、だからこそ、勝てた時は今まで感じていた勝利の喜びに加えて、また新しい嬉しさもあった。それだけでも副将をやって良かったと思えるくらいに十分な程に。試行錯誤した末に勝利するやりがいと、チームとしての成長と、プレッシャーが無くなる安堵のようなものが混じった喜びを感じることが出来た。

 学生として全力を尽くせる試合も京大戦のみとなった。
辛い日々で、試合の一つ一つの局面で、練習の中で、手足が痛かろうが、肺が苦しかろうが、自分の状況とは関係なく理不尽に訪れる大事な勝負所ではいつも頭に高校の顧問の言葉が浮かぶ。
 
 気持ちの問題だ

ラグビーを続ければ続けるほど、これが、安易な思考停止の末の根性論などではないことに気づく。七年やっても、ここが一番難しい。最後は気持ちの問題だ。
結果を出せなかった一年を払拭するような締めくくりにしたい。


次は、頼れるフランカーの1人、副将の樋口にお願いします。

勝利への貢献

 written by 藤永 拓也 投稿日時:2017/12/16(土) 23:31

チームが辛い時も、苦しい時も選手たちに檄を飛ばし、精神的支柱としてチームを支えてくれた学生コーチの石内からバトンをもらいました、主務・MGR長の4年の藤永です。
 
「マネージャーは勝利に貢献できるか」
私が昨年の5月に書いたリレー日記のテーマである。
3年ながらマネージャーの最高学年となり、副務として組織の運営を任されていた当時、チームを引っ張っていく楽しさを感じつつも、必ずしも努力に比例しない結果に思い悩んでいた。
 
しかし、チームの状況を時々立ち止まって振り返ってみると、マネージャーとしての活動ひとつひとつが、小さいながらチームの雰囲気に、パフォーマンスに影響を与えていることに気がつき始めた。
ターンオーバー時のチームの危機に自ら体を張ってディフェンスできるわけでも、自らの手で楕円球を掴み、グラウンドを駆け回るわけでもない。
だが、ほんのちょっとした自分の言動が、間違いなく東大ラグビー部のラグビーそのものにも影響を及ぼしている。
その気づきは、日々の練習や試合を積み重ねることで確信へと変わった。
 
だからこそ一歩でも勝利に近づけられるように、本当に多くの時間をラグビー部のために費やした。
どうすればチームがよくなるか、どうすれば勝てるようになるか、どうすれば運営がスムーズにいくか、自分なりに毎日必死になって考えた。
 
「タスクをただこなすだけでは、現状維持にしかならない。」
歴代主務の先輩方から、私が主務になりたての時にいただいた言葉だ。
私はその言葉に感銘を受け、とにかくタスクに追われるだけにならないよう意識した。
 
上級生として過ごした2年間、毎日の部活が楽しくてしょうがなかった。
成功を喜び讃え合い、失敗を反省し改善方法を模索する。
どれだけ時間を費やそうと、自分の行動がチームの勝利にちょっとでも貢献できていると思えば、決して苦ではなかった。


もちろん、全てが結果に結びつくとは限らない。
対抗戦最終戦の成城戦、成城の死力を尽くしたアタックを受け、後半の最後の最後で逆転を許した。
そして、ノーサイドのホイッスルがグラウンドに鳴り響いた。
スコアは17-19。
あと、2点。
2点足りなかった。
積み上げてきたもののために2点差まで詰め寄れた、ともとれるし、積み上げてきたものがあと2点足りなかったともとれる。
満身創痍の戦士たちの健闘を讃えながら、勝利の難しさを痛感した。
 
目の前の現実に対する悔しさが確かにそこにあり、だが、その後を追うように今までの蓄積の実感が湧き上がってきた。
それは、敗北の悔しさを紛らわせるための取り繕ったような感情ではなければ、結果は及ばなかったが今までよく頑張ったじゃないか、自分を激励する感情でもない。
プラスでもマイナスでもなく、ただ結果に対して自分もチームの一員として責任を負っている、という存在意義を確認させられる感情であった。

私の好きな歌の歌詞に「思い出はいつも綺麗だけど」というフレーズがある。
おそらく今感じている悔しさ、もどかしさ、楽しさもいずれ自分の中で美化され、全て美しいものであったとされてしまうのであろう。
だが、思い出を綺麗にするにはまだあまりにも早すぎる。
対抗戦リーグは終わったが、まだ自分たちの代の試合は2試合残っている。
まずは明日の名古屋大戦。少しでも勝利に貢献できるよう、フルスロットルで頑張りたい。

次はちょうど今日テレビ番組でも紹介された名門日比谷高校出身、小柄ながらいつも体を張りチームを引っ張ってくれた副将・BKリーダーの萩原にバトンを回します。

 

ただ、ありがとう。

 written by 石内 鴻壮 投稿日時:2017/12/14(木) 13:45

最後のリレー日記にこれ以上ない素敵な紹介をしてもらいました、4年学生コーチの石内です。
実は竹村と同じようなスタイルでこれを書こうと前々から考えていたので文体を横取りされた気分ですが、最後なので自分も素直な心境を綴ろうと思います。

竹村の紹介でコーチキャリアの方が長いといわれ、何を馬鹿な、コーチに転向したのは3年の春5月頃なのだから僅かにプレーヤーの方が長かろうとも思ったが、違う。彼女の言うとおりだ。1年生の夏7月に差し掛かるほどに自分はこの部に入ったのだから。

ただ毎日を無為に過ごす自分が情けなくて何かを変えたくてカッコイイ人間になりたくてした選択だった。自分は正しかったと思う。きっと最適な答だった。
色んなことがあった。2年目でたくさんスイカを着させてもらった。理想や期待と現実とのギャップに葛藤した。プレーヤーじゃなくなってコーチになった。右も左も分からず、己の無力さに辟易した。意気込んで高い目標を掲げた。予想よりもゴールは果てしなく遠いところにあって泣いた。
記憶の補正もあって、実際は今思い返すよりもずっと多くの辛いこと苦しいこと嫌なことがあったんだろうと思う。本当に純粋に楽しかったことなんて4年間のうちのほんの一部だけなんだろう。
それでも今僕はとても幸せだ。

僕をラグビーに関わらせてくれたすべての人に感謝します。
身体や学業との両立などを心配しながらも応援してくれた両親をはじめとする家族、ラグビーと出逢わせてくれ、今の自分の土台を形成し人生に色濃く影響を与えた高校時代の恩師や同期ら仲間たち、我々がラグビーをするため強くなるために尽力してくださった東大の監督コーチ、スタッフやOBの方々、ラグビー部の自分を温かく見守ってくれた高校大学の友人たちや地域の方々に心から感謝致します。

そして東大で一緒にラグビーをした先輩たち。託された思いを形にすることは叶いませんでした。僕らはまだまだ弱いです。今後後輩たちがそれを現実にしてくれることに期待しつつ、よかったらご飯なんかにでも行きましょう

後輩たち。僕の思い違いでなければ、君たちはまだ誰一人熊谷グラウンドに立ったことがありませんね。偉そうなことを言うようですが、あそこで観客のいるスタンドに向かって「ただ一つ」を歌う悦びは(僕の単純な性格も大いに起因するのでしょうが)一入です。是非とも来年以降その姿を見せてください。今年君たちを熊谷に連れていくことができず申し訳なく思います。責任を負うべき4年として、またコーチとして謝ります。
とはいえ、一緒にラグビーをしているときはもとより、プライベートでも、かわいい君たちと過ごす時間は本当に楽しいものでした。

何より同期たち。元々仲のいい学年でしたが、4年も一緒にいると時々言葉がなくても何を考えているのか分かるようになりましたね。だからこそあまり多くは語りません。ただ、ラグビーが楽しくなくて辞めたいとか逃げ出したいとか思った時も、いつもその存在が僕の原動力になりました。文字通り、苦楽を共にしてきた最高の仲間たちです。引退してからもよろしく。

成城戦後、勝てなくてごめんと自分に謝ってきた人達がいた。
対抗戦序盤に勝てなかった。負けが込んで雰囲気が悪くなった。自分も相当ピリピリしていた。そんな中で現状を打破しようと躍起になって奮闘したのは紛れもなく自分たち現役部員一人ひとりだった。対学習上智においては当に自分たち自身の力でもぎ取った勝利だった。成城にも結果的に敗れはしたが、あの試合には外からは決して見て取れないものが詰まっている。
だから謝る必要はない。寧ろ誇りに思う。一緒に闘ってくれてありがとう。

ひたすらに、ただ、ありがとう。

随分長くなりましたがご容赦願います。それから案の定、竹村の文体と酷似したメッセージ型になりました。繰り返しますがパクったわけではありません。自然発生的結果です。

さあ、次からはいよいよ学生首脳陣のラストランです。まずは部の渉外など常に大量のタスクに囲まれながら、一つ一つ卒なくこなし、大学院進学も実現した超ハイスペックの主務、藤永にバトンを繋ぎます。
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勝利への貢献
2017/12/14(木) 13:45
ただ、ありがとう。
2017/12/12(火) 23:12
青春の瞬き
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