ラグビー部リレー日記

あの微笑みを忘れないで

投稿日時:2024/11/25(月) 09:00

三上からバトンを受け取りました。2年の百瀬です。次のバトルでは一聡さんに負けないようDL頑張ろうと思います。三上と一緒なら次は勝てる気がします。冗談はさておき、三上は体が僕の二回り、いや三回りくらい大きいです。夏前に「僕少食なんです」と言っていて意外だなと思っていましたが弁当食べた後に学食で大メニュー2つペロッと食べてたのを見ました。これでも120kg界隈では少食なんだと驚いたのを覚えています。


 

 


 

11月下旬になり、あと1ヶ月くらいでシーズンオフになるので自分の今シーズンの振り返りをしたいと思う。


 

まずは昨シーズン終わりから書き始めたい。昨シーズン終盤にはB戦が何度かあったが、自分はほとんど出ることができなかった。全て自分の実力不足が原因だった。ある日、ショットガンという練習をやったが、終わった後大西さんに一人呼び出され、「お前は本気を出していない。もっと執着心をもて」と言われた。実力は出し切っているつもりだった自分はただ不甲斐なく思った。結果的に自分のラグビーモチベーションは下がり切ってしまった。冬オフに入ると自分からラグビーを遠ざけるようになった。ウエイトはしないし、自主練もほとんどしなかった。毎日友達と飲んで遊んだ。体重は激減した。この生活が続いていればいいのに、と思っていたがシーズンが始まってしまった。そして(自分にとっては)地獄のBBCが始まった。ラグビーに対するモチベーションがないのに辛い練習をするのは苦痛でしかなかった。しかも自分はフロントローであるにも関わらずBBC激弱だった。ある日疲れ切って部室の2階で横になり目を閉じていると寿太郎さんが「モモカイBBCこれだけ弱いと試合出せないな」といっているのを聞いてしまった。本来であればここで悔しくなって「もっと頑張ろう」と思うべきだろうが、今年試合に出れる展望が全く見えていなかった自分には刺さってしまい、「なんでこんなに辛いことしてるんだろう、どうせ試合出れないなら辛いことしないでやめた方がマシだ」と思いただただ悲しくなった。この時僕が部活に残っていたのは「ラグビーがしたいから」ではなく「新歓をしてみたかったから」だった。1年の時に新歓してる先輩達をみてかっこいいと思っていた。新歓だけやったらやめようと思った。だから最後だと思ってBBCは弱いなりに全部本気でやった。いざ新歓が始まると「ラグビーモチベーションが低い自分」と、「必死に新入生にラグビー部の魅力を語る自分」のギャップに苦しんだ。怪我人が多く翌日に対抗戦7sを控え人数不足だったためか、新歓試合に自分が出れることが決まった。昨年の新歓試合前後での自分の言動から、新歓試合の前は本当に緊張したし、モチベーションは相変わらず上がらなかった。その頃から副将のあきおさんからプレーのアドバイスをよくもらうようになった。あきおさんは最後に必ず「お前ならできる」みたいなことを言ってくれて、これが唯一頑張れる理由になった。そして新歓試合では前半15分の交代直前にあきおさんから「お前がもっといい流れにしろ」と言われて自分の中のスイッチが入った。試合中はクソみたいなプレーばっかりだったが1トライを取ることができた。これが契機となってか、少しずつラグビーモチベーションが上がっていった。

春シーズンは怪我人が多く人数不足だったため、結果的に2試合を除き、A戦ではリザーブに入れてもらった。昨シーズン、スクールカラーのジャージでさえもほとんど着ることができなかった自分としては、人が足りず経験をつませるという名目であってもスイカを着て戦うことができたのはかなり嬉しく貴重な経験になった。試合経験を積むたびに自分の不甲斐ないプレーに悩まされたが、少しずつ自分が強くなっているのを感じた。今となってはこの頃ちょっとずつでも強くなれたのは(やってる時はなんのためになるのかわからなかった)冬から春にかけてのBBCのおかげだということを実感した。そして自分の中で春シーズン一番印象に残っているのは防衛大B戦だ。この試合ではかなり自分のプレーがよく、苦手なLOスローも成功率80%だった。そして試合中盤細谷さんが怪我したことで、ゲームキャプテンに指名された。途中からのためゲームキャプテンとして特段やったことはないが、ここで選んでもらえたことは本当に嬉しかった。春シーズンを通して(夏とかも)あきおさんにはアドバイスを都度もらい、前向きな声掛けをしてもらっていた。正直これがなければ自分はラグビー部をやめていたと思う。あきおさんには感謝してもしきれない。

夏休みに入ると何もうまくいかなくなった。(正確にいうと元々うまくいっていなかったことを改めて実感した。)ただこの時は春シーズン終わりから始めた1番(PR)としてスクラムを組めるようになることだけを考えて頑張った。8vs8で組む練習をしてもらったが安富さんからお前は逃げていると言われた。慶應大戦のメンバーに最初は入っていたが、試合前日に変更で外された。菅平では自分としては1番での試合経験を積む絶好のチャンスだと思い挑んだ。1試合目のBのADではトライを取れたし2試合目のB戦はゲームキャプテンで、苦手なタックルもうまくいき始めた。両試合も思ったよりはスクラムを組めたのが嬉しかったが最後のB戦は自分のスクラムもフィールドプレーもクソで相手に全く歯が立たなかった。その試合の翌日8/22にBチーム最後の練習をしたがその練習の最後に無駄なことをして自分の今シーズン初の大きな怪我をしてしまった。(これについてHCを恨んでいるとかは全くないので誤解なきように)腓骨を骨折してさらに足首の脱臼をしてしまった。

1年生の時から大きな怪我をしたら部活をやめようと思っていたし言っていたので、やめようか一瞬迷った。(これがいかにダサいことかは今はよくわかる)。だが入院お見舞いに同期プレイヤー達が来てくれた時に、武村が「辞めるのはダメ」、と言ってくれたり、いろんな先輩から「早く戻ってこい」と言われるうちに迷いがなくなった。特に安富さんは度々LINEで話しかけてくれてその度に「早く戻ってこい」と言ってくださったのはだいぶ効いた。最後に決定的だったのは療養中、親に送ってもらって見に来た学習院戦であきおさんがアキレス腱断裂から復帰して(Aの)試合に出ているのを見たことだ。立場も学年も怪我の大きさも違うがアキレス腱断裂でもめげずになんとか復帰して対抗戦に出ているあきおさんの姿には勇気づけられた。DL期間中に辛いことをやって前よりも強くなって復帰しようと決意した。来年は絶対に対抗戦のメンバーに入りたいと思う。


 

今シーズンも残すところ1ヶ月で短いが、自分が出来る限りのことをやって強くなりたいと思う。


 

 


 

情けないリレー日になってしまったがあと少しで始まる最後のリレー日記への繋ぎ程度と思ってもらえれば嬉しい。


 

 


 

次は福元さんにバトンを渡します。福元さんはコミュ力が非常に高く、会話をすると楽しくなります。また、大学に入る前は囲碁で相当な実績があったそうです。囲碁といえばこの間読んだ中国の古文書に「橘中の楽」という言葉がありました。意味は「囲碁をする楽しみのこと」らしいです。福元さんも橘中の楽を求めているのでしょうか。

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