ラグビー部リレー日記

容疑者Xの献身

投稿日時:2024/12/18(水) 20:07

塩谷からバトンを受け取りました、辻です。塩谷はウエイトもラグビーも真面目に取り組むアツい漢です。未経験ながら2年のころにはスイカを着ていてすげえなあと思うと同時に、自分の情けなさを痛感させられました。俺も4年間で様々な経験をしましたが、塩谷も色々な体験をしたようですね。いつでも話は聞きますよ。
残り2試合しかないですが、塩谷とともに戦える時間を存分に楽しみたいと思います。


3年の夏のリレー日記でそれ以前のラグビー人生については語ったので、今年の話をしよう。

人間、希望があって初めて生きられるものだと思う。その希望を何に見いだすかは人それぞれだ。部活、仕事、勉強、恋愛など、色々だと思う。

今年の自分にはそれがなかった。本当にしんどいだけだった。もちろん同期や後輩、ジュニコの人たちと話してるときは楽しかったけど、ラグビー中は楽しめてなかった。それはなぜなら、希望がなかったからなんだと、今はそう思う。4年生としてのプレッシャーとか責任とか、そういうことではない。
僕の希望が消えていった顛末を記したい。
今年1年のことは昨日のことのように鮮明な記憶として残っている。
シーズンインしてすぐ大雪で雪かきをしたこと。明らかに無駄なことをしているのにマジョリティがそうだから従わされたこと。平気で嘘をついて部活を休む4年生。足を攣っても誰も助けない合同練習。春はBBCのしんどさより人間がしんどかった。そういえば、分析戦術の長になったはいいけど、学年ミーティングで話されなかった「アドバイザー」がいて全権を握られたってのもしんどかったな。前ヘッドコーチを追い出したいだけなんだろうなぁっていうのも感じてしまって、話し合いというよりただの政治。根回しの世界だった。


書き出すだけでもしんどくなる2月~3月を乗り越えると新歓が始まった。新歓に関しては過去のリレー日記で書いたからそれでいいや。桑田を初めとして新歓委員の人は本当にすごいと思います。来年以降も頑張ってほしいです。この活動が部のリソースを増やすことに直結するので。

新歓試合とか合同練習を経て、いっそうさんとのコミュニケーションをみんなが取れるようになった矢先、足を捻挫した。その日は少し就寝時刻が遅くて、若干寝不足アップ不足みたいなとこで、、、っていう言い訳したらいくらでも言えるけど完全に自爆だった。このときもみんなまともに扱ってくれなかったなぁ。辻金が一緒にいてくれて助かりました。ありがとう。歩きにくいのもあったけど1人なら精神的におかしくなってたと思う。
5月中旬まではリハビリしてた記憶しかない。あきおと塩谷がいたからこそ頑張れました。精神弱い系なので、助かりました。俺の都合で原井が今年になってメンター引き受けてくれて、助かりました。結構キテたときに話聞いてくれたり、合宿中に毎朝毎晩リハビリ手伝ってくれたりして、ありがたかったです。おかげで国公立に間に合わすことができて、一橋からはスタメン出場出来た。
でも立教でピールオフを止められず、干され出した。いやまぁ実力不足だから仕方ないかぁとは思った。安食くん須川くんと話せてAMFが楽しかった。
逆にその翌週の防衛はスクラムペナからモールで結果逆転できて気持ちよかった。コンバージョン待ってるときにスタッフに「ナーイス」って言われて、あの時は久々に高揚感を覚えた記憶がある。
早稲田戦、またスタメンで選ばれて、あのときはすごくチームへの気持ちがあった記憶がある。ワセダは、齋藤直人や岸岡を見てラグビーを始めた自分にとって思い入れのあるチームだし、だからこそ本気で倒したいと思っていた。前半、自分のタックルが1つ決まって、それが嬉しかった。ワセダのFWに通用するってのがとても嬉しかった。タックルは下手だし今でも苦手意識あるけど、それが少しの自信につながった。復帰してから少しずつタックルできるようになって、毎試合のタックルを國枝さんに送っていた(今も継続しているので、國枝さんには申し訳ないですが見てくれてありがとうございます)のも懐かしいなぁという気持ちになっている。試合には負けてしまったけど、春シーズンのベストマッチであることに間違いないと思うし、今年の東大は強いなとこのとき感じた。
その矢先、九大戦で肉離れした。やったときに、攣ったときとは違う感覚になって、(あーやったわ)って思ったのも覚えてるし、そこから明らかにスクラムのヒットに恐怖を覚えるようになった気がする。幸いそのあとはオフだったので、何も考えずにいられたけど。このときは笠原さんにすごくしごかれて、しんどかったけど、「絶対に早く復帰してやる」と思えたし、少しずつ走れるようになるのが楽しくはあった。
山中湖での慶應戦は、復帰したばかりだったので控えになるのは想定内だったし、一木の腰がやばいって当日知って、(あーこれ出番早いな)と思った。案の定前半から出たけど、クソしんどかった記憶しかない。明らかにスクラム勝ったのにアドバン取られてたな、そういえば。結果的にワセダのときとはほど遠い結果になって、チーム全体が悶々としていた感じなのを覚えている。そのあとのバーベキューも色々あったし、でも僕の中では或る意味希望の光が差し込んだ日だった。
菅平くらいからだろうか、チームに対して不信感というか、なんかもどかしいというか、うーん…なんだか馬鹿馬鹿しいなと思うようになったのは。
ペナ吹かれたことと、ムードミーティング?みたいなミーティングしたことで頭がおかしくなった。いや、あれを大真面目にやってるのが馬鹿馬鹿しすぎて、笑ってしまった。後輩の中には、自分がこの部活で何しているのかわからなくなって、親に電話している人もいたようだ。
なんだろ、どうにかしたいのは、理解するけど、ズレてるというか。それが正しいのかもしれんけど、首脳陣が残りを置いていってる感じがすごくて、呆れてしまっていた。でもその裏で、いいこともあった。まず合宿の部屋が楽しかった。石澤がシンビンになった日とか謎ペナ取られた時はかなり荒ぶった記憶あるなぁ。結果的に石澤は懲罰お休みを貰ってしまったようで申し訳ない。。。それと、1年生と仲良くなったこと。三上にビデオレビューとかしたなぁ。純粋にラグビーを楽しむ1年生は僕にとって希望であった。

そして訪れた9月。最後の対抗戦だ。去年とは全然違う。去年はついていくのに必死だったけど、今年はやらないといけない立場にあって、ある程度周りも見えるくらいの余裕はあった。だからこそ、自分にも周りにももっと求めていきたいという気持ちはあったし、分析戦術チームとしての本番はここからだったので結構緊張していた。
初戦の一橋。控え。体調不良よりも評価が低いという事実にイラッとしたが、後半から目立てばいいし、別に時間が平等にあるならと受け入れた。
試合は、完勝だったと思う。個人的には1個いいタックル決めたのと最後のスクラムが脳汁ドバドバ出るくらい気持ちよかった。試合後パスタ食べながらそこだけ無限に再生してた記憶ある。ありえないくらい緊張してたからこそ、勝ったことで「なんだいけるやん」って気持ちと「このままだと成蹊明学は厳しいな」という気持ちが両方うまれた。
上智は苦しんだけど勝てた。「成蹊明学は…」の気持ちが俺の中ではかなりデカくなった日でもあった。連戦をボーナス付きで両方取れたことが、チーム内でのいけるという雰囲気、そしてOBからの大きな期待に繋がっていて、嬉しい反面、自分含め浮足立ってしまっていないか不安というか、現実とまわりからの評価にかなりの乖離があると感じつつあった。
学習院戦は「いっそうダービー」ということで、相手は死に物狂いだったのを覚えている。それでも勝てた。ありがたいことに人生で初めて走ってトライを取れたのでありえないくらい気持ちよかった。セブンス日本代表が近づいてくる感覚忘れられないくらい気持ちいいですね。ベンチにいた鵜木とか福元がバカ騒ぎしてて、普段めったに喜ばない人も拍手してたみたいで、結構嬉しかったです。
成城は我儘言ってスタメンにしてもらったけど、散々な出来で結構萎えた。成蹊の前の試合でこのプレーはヤバいし、チームの勢いを止めてしまったかもなぁと思ったけど、後半なんとか勝ってくれて助かりました。
とまぁ前座はこれくらいにしておいて、いよいよ成蹊明学が目の前に来た。
成蹊の過去のゲームは3週間くらい前からかなり見まくっていたし、誰がどういうアタックをしてくるか、ラインアウトのサインはどんな感じか、スクラムはどう組んでくるか、もかなり想定していた。そのうえで、4分6分くらいであっちの有利だけど、なんかしらで想定外が起きたら勝つと思っていた。
でも結果は負け。結果だけ見たら惜しかったと言えるかもしれない。けど、たぶんあと何回やっても勝つことはなかったと思う。全員ハードワークしてたし、勝ちを信じてたと思うけど、俺は実力差を感じてしまった。
プレーヤーとしての自分は、翌日になって切り替えられたけど、分析官としての自分は、(相性的に成蹊に勝つ算段だったのに)と思ってしまっていた。でも、ありがたいことに、自分の手で、客観的でクソみたいな予測を変えられるから大丈夫だとも思えた。ただ、一木が明らかにバテてスクラムでそっちがやられてるのに、交代されなかったことに不満は募るばかりだった。
10/29から明学までは日記形式で表すことにする。
10/29
この日から集合が早くなった。テーピングをしている自分は、早く行くとあらかじめ伝えて普段より20分早く来た。家近い人たちは、家出る時間を5分前倒しすればいいかもしれないけど、そういう人たちがいることにも理解を示してほしいです。まぁでも、それくらい4年生は普通にやらんとなとも思えたから受け入れた。しかし、テーピングスタッフはいつも通り来たため、20分部室で待ちぼうけを食らった。
10/30
昨日と同じ。しかも先に巻かれない。ブチギレるのも当然でしょう。この日、「正しさ」よりも「なんとなくウケが良い」方に人間が流れるのを目の当たりにした。3年間で「何を言うか」じゃなくて「誰が言うか」が正しさなのだと理解していたはずだったが。どうやら「大人」の社会はそういうものらしいです。あーあとそれに関連すると、「体裁がいいクズ」がスタッフウケいいので、スタッフからの評価を高めたい諸氏は是非参考にするといいと思います。優しくするだけだと「使い勝手のいい道具」でしかないです。否定されるだろうけど、4年間で得た知見(n=4)です。
10/31
久我山との合同練習。
いっそうさんに謎の叱責を受ける。戦術に関わることなので詳しくは書かないが、理解に苦しんだ。久我山がラインアウトに並ぶ人数を言わないので邪魔したら突っかかってきたので、対応したら「高校生にあれはみっともない」という謎意見を出された。ちょっと花園出てるからって関係ないやろ。じゃあJRさんやIBMさんにはやるのか?という話。
いっそうさんと練習後ずっとLINEした。やりたいことは理解したけど、いやじゃあ俺だけにそれ言うなよという話だし(実際その話を全員に共有したのは明学終わってからだったし。)
11/3
成蹊との練習試合。B戦がめちゃくちゃ楽しいことを実感した。安富さんとスクラム組むと、俺の良さを引き出してくれるのでやりやすいし楽しい。東農大のときもそれ思ったことを思い出した。
その一方で、起用法への不満は同じくらい募った。俺ばかり被害者なのではなくて、2から3にコンバートされた後輩や元々メンバーだったのにメンバー外にされて、それを差し置いてメンバー入りするのは何なんだろうと。3人がその割を食うのおかしいでしょと思った(今も思ってる)。
11/6
某大学との合同練習。
謎にフッカーでスクラムを組まされる。ここでチームへのフォロワーシップは完全に失墜した。分析だけやってりゃいいのね~と思わされたし、明学出番ないことを察した。まぁ春から首脳陣とかに反抗的だったので、干されるのも仕方ないかぁと思いつつ、去年からAチームだった自分ってなんなんだろという気持ちになった。
11/7
久我山との合同練習。
アドバイザーが俺を干してると思っていたので、練習中に舌打ちしたりなど結構歯向かっていた。後になって確かになと思ったのは、彼にはそこまで強い意志がないという話だ。権力者にすり寄るのがうまいので、その権力者の意見に同調しているだけということに、そのときはまだ気づいていなかった。
11/10
明学との試合。
鵜木とようこに、この試合負けたら辞めようかなと話していた。このチームに必要とされてないと感じたからだ。
案の定試合には全然出されず、試合を見るだけだった。本多1は無理って言ってたのにねって感じだけど、首脳陣が決めたことなので、それ以上に俺を起用したくないという強い意志を感じた。スクラムひっくり返されてトライ取られたところで我慢の限界がきて、いっそうさんたちに「とりあえずスクラムだけは変えるんで、試合に出してください」と打診した。交代して最初のスクラムでやられたら面目が立たないので内心エグいくらい緊張していた。でも結果的に俺が入ってから大量失点して大敗。シャトルランのように戻るたびに立ち上がれない東大の15人とそれを見て何とも言えない表情のメディカルスタッフ。
試合が終わって客席に挨拶をする時、全く涙が出なかった。(あーあっけなく終わっちゃった)の一心だったし、入れ替え戦って遠いなと急に客観視していた。でも、東大ベンチに挨拶する時、目の前に同期スタッフがいて、泣くまいとやるせない表情をしているのを見てしまって号泣してしまった。あの悲しみに暮れた表情は今でも脳裏に焼きついているし、たぶん一生忘れられないと思う。チームの一員として何もしてやれなかったんだと気付かされた。あの試合後はいろんな意味で希望の光が消えた瞬間だった。

試合が終わって、國枝さんからラインが来た。「今日はしっかり反省して、明日から顔あげて頑張れ」と言われた。そうか、國枝さん武蔵来るんだよな。そう思った。ここで辞めたら、國枝さんに自分のプレー見せられないのか。その気持ちだけで引退はしないことにした。

でも、一度消えてしまった火を戻すのは出来てなかったのかもしれない。はっきり言って明学から武蔵はほぼ何も覚えてない。何の気力もなくなっていた気がする。5勝したらどうとか、マジでどうでも良かった。20年以上続く「入れ替え戦に出られない代」の1つになっただけ。それと同時に、武蔵も使われないなら、家族とか友人を呼んでいて恥ずかしいというか申し訳ないから出さないならそう言って欲しかった。もちろん聞いても「23人で戦う」みたいな御託を並べられるだけなのは分かっていたけど、自分は何を目標に、何のためにラグビーすればいいかわからなかった。
そういう時に、鵜木や西久保さん安富さんが近くにいて話を聞いてくれたり、彼らのおかげで自分らしさを保てていたりしたのは本当に大きかった。西久保さん安富さんの2人がいることで、去年の自分を忘れないでいられた。2人ともありがとうございます。鵜木もありがとう。

武蔵は自分の中ではベストを尽くせたと思っている。あれが、よくも悪くも今のチームなんじゃないかなと思います。武蔵の人には失礼かもだけど、普通に東大のラグビーやったら勝てる相手だと今でも思うし、この試合落とすところが今年の東大らしいというか、4年間見てきた東大ラグビー部っぽいというか。ただ、不思議なことに負けて悔しい気持ちが全く湧かなかった。自分が出た時点で厳しい戦況だったし、自分はベスト出せたと思ってるし、後半勝ってるし。自分はチームスポーツというか人と何かをやることに向いてない(⇔人間として終わっている)のかもしれないです。
武蔵終わって負けたことよりも明学に負けたことのほうがいま(2024/11/29現在)でも心に残っている。勘違いしてほしくないのは、武蔵のときも試合中はタックルとスクラムとモールと、自分の役割をやり切ることに執着していたし、勝ちを諦めなどしてなかった。ただ、たぎるものがなかったというか、淡々と仕事をこなしている感じなのは否めなかった。それに、なんか周りのアツい気持ちを感じられなかった。でも、いいタックル決めれたしスクラムペナ取れたし、それは気持ちよかった。

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思えば、去年の学年ミーティングから良くないことだらけだったんだと思う。良くないって言い方はアレだけど、でも全員が自分なりに考えた結果とは言えるのか分からない。前提を履き違えた人にも同じ票があること、自分が信頼していた人が直前になって意見を変えたこと、などなど…「間違った選択かもしれないけど、それを正解にしよう」って端的に集団心理の愚かさを表してしまっているなと思ってしまった。結局それって、勝つ確率を高めること<自分の成長なんじゃないかなと。いや、もちろん個人の成長とかはめちゃくちゃ大事だし必要なことだけど、勝つための選択というわけではないと感じた。
それに、武蔵終わったあとのミーティングかなんかで、「いつまでも規律を正せなかった」みたいな話があって、それはそうなんだが、たとえば、無断遅刻した人間をその日の練習から外すとかしてもよかったんじゃないの?って今でも思う。別に俺はリーダーでも何でもないからそんなことに口を出す権限ないけど、普通チームってそういうもんじゃないの?って思ってた。でもそうじゃなかった。僕たち下手くそな人からしたら「結局ラグビーの実力だけじゃん」ってなるよね。それってフォロワーシップを落としかねないと思った。
あとは、重ね重ねになるけど明学戦前後は本当に精神的にキテた。何の説明もなく、大一番で起用されない控えフロントローとか惨めそのもの。あきおは「別に大差ない(からスローを考えて控えにしてる)」と説明してたけど、いざとなったら「自分に交代の権限なかった」って言い逃れするし、なんか結局自分たちがでられればそれで満足なのか…と。武蔵もそう。「2試合の責任を取る」っていう説明してたけど、3番でずっとスクラム組んでるあきおなら分かってたやろ。どのメンツで組むスクラムが1番強いのか、どのメンバーでやるのが1番勝つ確率を高めるのか。別にケガを責める意図は全くないけど、そのせいで下手を打って変な責任の取り方して思い切ったことをしなかった。俺は武蔵の負けはそれも大きいと思っているし、申し訳ないけどずっと恨むと思う。武蔵の負けだけは本当に許せない。

そして、今年の入れ替え戦に自分含め誰も行かなかったことは、後輩に対して不信感を与えてしまっただろうし(行くつもりあったけどみんな行くつもりなさすぎて行くのやめちゃった人もいるみたいだが)、最後までこの学年が絶望的に他人に興味ない、よく言えば自分たちの結果のためなら何でもする、悪く言えばわがままで自分本位な学年なんだなと感じた。

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あと少しで4年間のラグビー人生が終わる。ワールドカップに魅せられて、林新太郎と財木さんに騙されて入ったラグビー部。上ではこう書いてるけど、楽しいことも多かったし(しんどいことはそれの数倍多かったけど)、ラグビーが好きなので、生まれ変わってもラグビー部以外の選択肢はないと断言できる。でも、「結果は残念だったけど、俺たちはやりきった。後悔はあるけど満足だ」みたいな綺麗事を言うつもりは全くないし、リレー日記のそういう風潮はクソなので、やめてほしいです。負けは負け。負けた代の1人だし、分析長として、それなりに責任は大きいとおもう。後輩に、去年より上の舞台を見せられないのが申し訳ない。

自分のラグビー人生の転機は間違いなく2年前の常翔の日。試合はもう数シーンしか覚えてないけど、1日何があったのか、今でも鮮明に覚えてる。そこから3年の対抗戦始まるくらいまでは本当に色々と良かった。本当に今との対比でしかないけど、プライベートも楽しくて今から振り返れば最高の日々だった。今のほうがラグビー的な実力はあるだろうけど、安富さんとあきおについていくあの半年は、この4年間で1番もがき苦しみ、楽しかった半年だったと思う。人間関係もすごく良好だったし、誰かに期待されているという実感ほど、自分が生を感じられる瞬間はないのだと感じる。



最後に、
大西さんへ
自分のラグビー観や、理想のラガーマン像に影響を与えてくださったのが大西さんです。言わずとしれた名選手にラグビーを教わることが出来て、僕は本当に感謝しています。最後の1年を大西さんに見てもらえなくて悔しいです。
國枝さん、西久保さん、安富さんへ
3人にはラグビー面でもプライベート面でもめっちゃお世話になりました。3年生の時タックル出来なさすぎてチームに大迷惑かけていたと思うんですけど、諦めずに指導してくれたお陰で今の自分があります。特に國枝さんは3年生の入れ替え戦のあと電話で、「最終的にAチームで出れなくてもいいから4年間やりきって、タックルできるようになれ」って言ってくれたことが春シーズンの支えになっていました。ありがとうございました。飯連れてってください。

同期へ
人数多くていろんなタイプの人がいて、偏った交友関係の自分からしたらびっくりな人もたくさんいましたが、、、とても楽しかったです。スバルとか小野とか清和とかラグビーIQ高くてラグビーに詳しい経験者と今年分析戦術一緒にできてめっちゃ楽しかったです。あと、ずっとフロントでやってきてウエイトのお手本だった本多、あきお、駒場メイトの寿太郎、数少ない山手線ユーザーで長い事一緒にいたようこ、スパイク直してくれて、メンターしてくれたもりぞーには感謝しかないです。ありがとう。

後輩へ
負けた代の人間から言えることは、負けたらしんどいということです。自分は、このしんどさを体感するまで理解できていなかった。後悔したくないなら本気で取り組んでください。鵜木、ダルいからって練習さぼんなよ。

このリレー日記は、「こんなはずじゃなかった」を集めた人間の、苦悩とその過程をありのままに書いたつもりです。
今の1-3年だけではなく、未来の東大ラガーマンにはこんな思いをしてほしくない。希望を持ってラグビーしてほしい。少なくとも、諦めた先には何もないからね。それに、今ラグビーがあまり楽しくないという人も、絶対いつか楽しいと思える日が来る。俺でさえ来たんだから間違いない。自分のやっていることに意味を感じられなくても、いつか報われる日は来るのが東大ラグビーなのだと思う。

家族へ
まともに運動経験ないのに大学からいきなりラグビーやるって言って心配させてしまっていたようですが、無事引退です。正直スイカ着れるって思ってなかったので、まぁちょっとは親孝行出来たかなと思ってるんですけど、それ以上に食事や朝練といった生活面でめちゃくちゃ負担をかけさせてしまって申し訳なかったです。でも4年間支え続けてくれてありがとう。家にいるときはとてもリラックスできていました。あと少し投資期間は続きますが、いいリターンを出せるようにこれからは勉強頑張ります。



次は本多にバトンを渡します。ウエイト強者・スクラム強者の彼は、見た目と某黄色い熊さん好きというポイントで可愛いキャラみたいになっていますが、普通にただの「本多直人」です。浪人らしい趣深さとインモラルさが俺は大好きです。かつて、「本多とあきおとスクラム組めたらいいな」と話していたのですが、達成されたのは4年の合同練習くらいしかなくて、フロント古参組としてはさみしかったです。残りわずかですが、たくさんスクラム組みましょう。

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