ラグビー部リレー日記

文才が欲しかった

投稿日時:2024/12/26(木) 20:00

雪竹からバトンを受け取りました、4年スタッフの美浦です。
雪竹は、未経験者ながら、怖いものない様子で相手に突っ込んでいく姿がとても頼もしく、同期の中でも早くからスイカを着ていました。
メンターとして関わる中で、怪我の安静期間やプロトコルを指示する機会が幾度となくありましたが、その度に悔しそうな顔をした雪竹に反発された気がします。まったく…と思いながら、命が大事だから…と思いながら、ラグビーをやりたいというひたむきさにいつも刺激を受けていました。
正直、2年生の終わりあたりまで、なんとなくチャラそうな印象が抜けなくて、奥で何を考えているのかわからず、少し怖いと思っていました。去年あたりから、表裏なくただただ面白いやつなんだとわかってきて、最近は抜けたことを言ってみんなに総ツッコミされている風景がたまらなく好きです。ただ、練習後にご飯に行く流れになる中いつも足早にバイトへと向かってしまうので、練習外で一緒にご飯に行けたことは少ない気がします。私もふと浮かぶのは2年生の時の下北での飲み会です。昨日、最後の朝練の後同期でお昼ご飯に行った時に雪竹がいて嬉しかったです。引退後もぜひ遊びましょう。度重なる頭への衝撃で将来がかなりかなり心配ですが、どうか長生きして荒稼ぎして暮らしていってください。

私は強く意志を持って考えを発信することは少ないし、悩んでいる時も特にそれを周りに話したくなかった。楽しければそれがベストって感じだし、そもそも寝たらマイナスな感情は割と忘れるタイプなので、それでいいと思っている。
でも、今回はせっかくの機会なので、私がこれまでに感じていたことを書いてみます。これを読んだ後輩が何を得られるのかわからないけれど、記録として残しておくので、読んでいただけると嬉しいです。

私がラグビーに出会ったのは小学生の時だった。
ラグビー経験者の父親の横で、ザ・ミーハーな感じで三洋電機を応援して、ルールなんてわからないので、点が入ると嬉しいと言う程度だった。
小学2年生のある日、父親に連れて行かれるがままにラグビースクールに行って、初日はタッチフットをした。タッチラインが何かわからない私は、外に大きくはみ出して走ってしまった。なのになんか褒められて、おだてられるままに、楽しい!と思って入会した。そこからは、3年生の時に「憧れの人」という作文でラグビー選手を取り上げたり、図工でラグビーボールを作ったりと異常にラグビー愛の強い珍しい子だった。

小学校高学年から中学生にかけては週に4回というなかなかしっかり目の頻度でラグビーを習っていた。
とにかく楽しくて、休みの日に父親と弟を巻き込んで家の前でラグビーボールを投げたり蹴ったり、テレビを見るときにプランクをしたり、一番熱中していた時期だと思う。ラグビースクールで単独で試合に出るための16人を揃えたくて、人を探したこともあった。セレクションを受けに遠くまで行ったこともあった。スクールのチームメイトにも恵まれて優しくて強い代だったので、楽しくて仕方なかった。
大学ラグビーで見るような複雑なプレーはなくて、基本的に本能で動いていたけれど、学校で一番好きな科目は体育というタイプだったので、体を動かすことがただただ楽しかった。

一つ壁があった。人見知りな性格と強く意見できない性格ゆえ、中学生の途中から入った女子チームで自己主張をできず、なんとなく心地よくなかった。
通っていた男女混合のラグビースクールは中学3年生で卒業となる。その後も本当はラグビーを続けたかった。でも、高校生になると本格的に女子チームに所属するしかなくて、楽しくやっていたい気持ちと、上手くなって本格的にもやってみたい気持ちと、人見知りな性格と、意見を言えない性格と、中途半端だったんだと思う。そこでラグビーはやめた。
恥ずかしくて、「中3でスクールは卒業なのでそのまま辞めちゃいました~」みたいに言っていたけれど、本当はこんな感じだった。
大学生になってオールスターを観戦に行った時に女子選抜の試合を見たり、日本代表に知っている子が選ばれていたりすると、心から「かっこいいな」と思った。まあ今となって、ラグビーを続けたかったとか考えないし、後悔もないし、スタッフ業務が楽しい。私がラグビー経験があることを知ると、周りの人は「プレーしたくならないの?」と聞いてくるけれど、とてもできないし覚悟も根性も足りないから。だから、大学で死に物狂いでラグビーに時間を捧げている選手たちを見ると、刺激をもらうし、生半可な気持ちでスタッフをやってられないなと思う。

高校生では、趣味の範囲でラグビー観戦をして、そして東大に入学した。

大学受験の時から、東大であれ他の大学であれラグビー部でスタッフをすると決めていた。大学ラグビーという、観客としてみていた世界に憧れがあった。新歓ではラグビー部以外には顔も出さずに即決した。どうせラグビー部に入るとはいえ、せっかくなら奢り飯とか行きたかったなというのが1つ目の心残りかもしれない。
ラグビー部に入ると、なんと昴と5年ぶりの再会を果たした。小中学生以来会っていなかったけれど、変わらないその屈託のない笑顔で「母性本能くすぐり王子」なんてあだ名をもらっちゃってた。ちなみに小学2年生で私がタッチラインを大幅に超えているタッチフットの写真には昴が写っていてなんだか感慨深い。

入りたての1年生では、ラグビーに関われることがとにかく嬉しかった。ドリンクの濃さを覚えて、荷物を覚えて、ビデオを撮って、テーピングを学んで、試合中の仕事を覚えて、とひとつひとつできることが増えるのが楽しかった。毎日ラグビーを見れた、ラグビー観戦を一緒にできる友達ができた、試合の運営に関われた、そんな日々が楽しくて、12月には憧れの秩父宮で試合をした。

部活で自分がやりたいことに手を伸ばしたり、先輩後輩と積極的にコミュニケーションを取ったりできるようになったのは2年生の頃かと思う。練習中もラグビーに間近で関わることが嬉しくて、部室でダラダラと雑談することも楽しくて、朝練終わりから夜まで部室にいたこともあった。同時に、本格的にメンターを持つなど、選手が何かあった時に私を頼って相談してくれるようになった。

2つ目の心残りは、上級生スタッフがいる間にもっと学ぶべきだったということ。先輩に「2年生は仲良すぎるからもっと競争があってもいいよ」と言われたことがある。楽しかったけれど、もっと貪欲に知識を追求していたら今頃スーパースタッフになれていたかなと思う。

3年生でスタッフ長になった。
この時、多くを要求され、怒られ、時に理不尽を感じてしまうこともあり、3年生でのスタッフ長という学年にも苦しみ、下級生が悩みを相談してくれた時に力になりきれず、言い訳だけどスタッフの人数も少なくて、とにかく苦しかった。
特にシーズンの前半、5月の合宿あたりがきつくて、合宿中はずっと怒られていて、練習の帰りに駅で幼なじみに泣きながら電話したり、ディズニーの帰りに現実に戻った京葉線で涙が出てきたり、家で理由なく涙が出てきたりした。寝たら忘れるタイプなのに、毎日キツさが更新されていた。
選手のラグビーが第一だし、そこにいちスタッフのやりづらさや弱さを影響させたくなかった。その考えはずっとあったけれど、きつすぎて正解がわからなくなっていた。今も、あの時どうすればよかったかはわからない。大変だったアピールはしたくないけれど、これが全てだった。

その後夏合宿に入り、そしてシーズン後半に試合も始まると、モヤモヤにも一区切りついて、とにかく勝つためにできることをしようと前向きに動いた。スタッフ長という立場になってから、指示待ちをせず全体に目を配れるようになり、先を先を考えて運営に徹した。先輩がやっていたことに手を加えながら、我ながらブラッシュアップされた仕事内容になっていったと思う。

ただその中で、結局シーズン前半に色々溜め込んでチームのために徹しきれなかったことがずっと心の中に残っていた。チームがマイナスの時だけでなく、プラスの時でも、4年生が引退のタイミングでも、寂しさや感謝の一方で、最後の1年なのに迷惑をかけてごめんなさい、と言う感情が大きくて重かった。

4年生で主務になった。主将の寿太郎、副将のあきおとの首脳陣として動き始めた。
体制が大きく変わり、とにかく考え続けないといけなかった。寿太郎とあきおの視野の広さ、自分にも他人にも厳しいところ、常に考えることをやめないところに多く触れた。コーチ・OB OGさん・スタッフへの要望、練習の組み立て、試合や合宿の計画、メンバー選考、下級生のフォロー体制、全部が常に的確だった。あらゆる方面から、意見や要求、時には不満もくる中で、周りに意見を募りつつ、大事なところを自分で決断し、その中でチーム強化という目的を見失わず、考えていた。首脳陣という組織は、確実に敵ができるものだと思う。そんな時に、いつでも周りに説明できるように理論立てていて、その上で厳しさを持って周りに指摘する姿、誰よりもオールアウトする姿をいつも目にした。私が2人にスタッフについて指摘されたときにも、アイディアを複数個とそれぞれについて懸念を提示してくれることが多かった。完璧な2人だった。

そんな2人の横で、私はやるべきことをやりきれなかった。
主務になって仕事量が格段に増えた。で、夏あたりから、試合週じゃなかったり合宿の準備がひと段落したりすると、仕事に追われていない自分が不安になってしまった。todoリストが少ない状態にソワソワしていた。これは怪しいサインだったかもしれない。目的より手段とか形式になっていた。

人間的成長のために部活をする、というのは個人的に嫌いだった。1年生の時に聞かれた、4年生のときには人間的にどうなっていたいか?という問いが苦手だった。
なんのために、と言われたら、チームで勝つためだから。多分成長はした。今までなら手を上げなかったであろう主務に挑戦した。でも人間としての成長は結果的に得ていたらラッキーなものだと思っている。
こうやって思っているのに、大事な勝ちへの目的意識が足りなかった。

自己主張をあまりしない性格が、さらに自分の主張を考えすらしない性格となって、ここでも克服できなかったのと言えるかもしれない。

11月末、対抗戦が4勝3敗で終わった。
もう合宿の運営なんてやりたくないくらい大変だったし、遠征も対抗戦運営も全力投球して燃え尽きた。でも、武蔵戦が終わった時になって、それは別に足りないことがあったと最後に気づいてしまった。

チームの規律だった。
主務になった時に寿太郎と電話して、ようこが主務になる上で不安なのは仲間に厳しく規律を求められるか、と言われていた。1年間ずっとそれは頭にあった。でも甘かった、というより何もできなかった、しなかった。主務になったのならやらなければならないし、実務的な作業だけが好きなら主務の器ではなかった。円滑さと優しさと甘さは紙一重で、そしてそれは強さとは完全に別だった。
チームに対して心残りができてしまった。主務として、主将副将にはラグビー面に徹して欲しかったけれど、視野の広い2人によく指摘や要求を受けた。
結局、私は勝ちという目的をブレずに見続けることができていなかったのかもしれない。

この4年間を書き出してみて、どう総括していいかわからず、文才もないのでこんな書ききり方になってしまいました。
幸いあと1試合残っています。そこで、何かを残して締めくくれたらと思い、ここで終わりにします。


両親へ
ラグビーという競技に出会わせてくれてありがとう。
朝練の時、バタバタとあわてて出ていくだけなのに、毎日私と同じ時間に起きて玄関で見送ってくれてありがとう。毎週欠かさず試合を見に来てくれてありがとう。
ストレスで圧迫されていた時も、家に帰ると安心できました。部活ばかりの大学生活で、将来のことをろくに考えていないと心配ばかりかけました。引退したら少し考えてみます。

大西さんへ
成長のために部活をするのは嫌と言っておいてなんですが、大西さんと接する中で一番人として鍛えられたと思っています。力不足で、言われたことに応えきれないことも多かったかと思いますが、見捨てずスタッフ長を任せ続けてくださりありがとうございました。楽しいラグビー部生活でした。

一聡さんへ
本当にお世話になりました。部車を手配せず一聡さんの車に荷物乗せてくれませんか?とか帰り駅まで乗せてくれませんか?とか無茶なお願いをしてみたりと、選手のラグビー以外でもスタッフとしても好き勝手頼らせていただいていました。
私の思うかっこいい大人なので、一聡さんみたいな人になれるように、引退後精進していきます。

青山先生へ
役職のついた3年生あたりから、とりあえず青山先生に相談する、というような頼り方ばかりしていました。忙しい中で毎週ミーティングを開いてくださり、また、スタッフ組織をも気にかけてくださり、ありがとうございました。

部活を通じて出会ってくださった皆さんへ
特に主務になってからは、多くの人と接したかと思います。
コーチの皆さん、OB OGの皆さん、練習や試合でお世話になった他チームの皆さん、部活を通じて一番得られたことは人とのつながりだったな、と今感じています。本当にありがとうございました。

関わってくださった先輩へ
自分達が4年生になってから、先輩方の凄さを改めて感じました。2年生の頃の私のように、楽しい!と後輩が無我夢中で部活に没頭できる環境は簡単でないことや、そのキャパの大きさにも驚くばかりです。今年わからないことがあった時に、お仕事中であろう時間にもLINEを飛ばして失礼しました。ご飯に連れて行って激励してくださった先輩方本当にありがとうございました。引退飯も連れて行ってください。

後輩へ
ガツガツたかってくる後輩が多くて、なんだかんだ楽しいし嬉しかったです。
来年試合で活躍を見るのが楽しみです。たいそうなメッセージは残せませんが、みんなが最後のリレー日記で晴々とした内容を書く未来のを楽しみに、応援しています。

同期へ
みんなが同期で、そして一緒にいることが心の底から誇らしかったです。
3年生の時にとにかく辛かった、4年生の1年に心残りがあると言う書き方をしたけれど、こんな最高の同期とラグビーに関われることが幸せで、辞めたいと思ったことは一瞬もなかったです。自分でも不思議なくらいです。ありがとう。引退後も是非会ってください。


最後まで拙い文章で、「文才を得られた」にはなれませんでしたが、お読みいただきありがとうございました。

次は、我らが副将あきおにバトンを渡します。
大きい体に対して言動のギャップがあり、それを私は気に入って「かわいい」と形容していたのですが、お気に召さないようで、しょっちゅう睨まれていました。首脳陣仲間ということで誰よりも高頻度で会っていましたが、特に今年に入ってからは、そのイジられポテンシャルを存分に発揮していて、会う度にちょっかいをかけていた気がします。4年生の部分で書きましたが、いつでもチームのことを考え続けていた寿太郎とあきおのペアを私の中ではベスト首脳陣だったと思っています。本当に尊敬しています。
部内投票では「強い」「怖い」みたいなところでランクインしまくっていましたが、私は「かわいい」に票を入れておきました。これをいうとまた怒られそうです。
可愛さ溢れるあきおですが、グラウンドでの圧倒的実力だけでなく、今年は3月の大怪我直後でもチームのためにとグラウンド外でも動き続けていました。どこかでは弱音を吐けていればいいなと思いますが、少なくとも私の見えるところではずっと強いあきおでした。
私の性格上部員に悩み相談をしたことはほぼゼロですが、あきおには1回だけ「愚痴っていい?」と頼らせてもらったことがありました。その時もなんだかんだそれほどぶちまける勇気はなく終わったので覚えてないと思いますが。同じ授業をとっていたこともあり、課題を丸々教えてもらったのに、なぜか私が1点高かった件はありがとうございました。とにかく助けられまくりでした。
今度はあきおが悩んだ時ぶつかった時、サンドバッグとしてでも使ってください。あきおのご機嫌のためにありったけの食べ物を取り揃えて待ってます。

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