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ラグビー部リレー日記
しんらい
投稿日時:2025/11/19(水) 23:02
「お友達」こと坂田からバトンを受け取りました、3年の原井です。「お友達」は正確には「みつきのお友達」です。前回の坂田のリレー日記で、タメ口を増やしていくと書いていたので、みつきと坂田のことを話す時に「お友達の怪我はどうなの?」と聞いています。
時間はないです。火曜に試験、金曜にレポート4つと英語の発表があるのに、土日両方レフリー入ってます。タスケテ。
人の上に立つ人は信頼される人でなければならない。信頼のない人には誰もついていく気にならないからだ。誰もついてこなければ、集団は崩壊する。一部だけがついていくと、集団は分裂する。全員が信頼して初めて、集団は集団としての性格を持ちうる。
集団は脆弱だ。容易に分裂するからだ。そして集団が分裂する局面において、最も深刻な要因となるのは、集団のトップが偏っている場合である。とりわけ本人にその自覚がない場合である。
偏ったトップのもとでは、必然的に「お気に入り」が優遇され、それ以外の構成員は周縁化される。このような歪んだ力学が形成されれば、集団はその軸に沿って二極化する。トップに近しい者の意見は容易に採用され、厚遇される一方、距離のある者の意見はそもそもトップの耳に届きにくい。そもそもトップとの直接対話の機会自体が限られており、加えて、直接の対話を恐れる構成員も一定数存在するだろう。
とはいえ、トップは自らが偏っていると評価されることを嫌う。そこで、自身のお気に入りではない構成員にも、対話の場を提供しようとする。一方的に。
しかし、それは真の対話というより、均衡を装うための儀式に近い。
こうした状況下で突然声をかけられた側は、当然ながら戸惑いを覚える。普段は特定の人と行動を共にする人物が、理由もなく周縁へ降りてくるのだから、そのコミュニケーションは必然的に歪である。
では、こうした歪な構造の中で、構成員が集団運営に不満を抱いたとしよう。
(i) 構成員が「お気に入り」である場合
(ii) 構成員が「お気に入り」でない場合
問題の本質はここにある。まず、本人はトップに直接相談することができない。そこで、トップに近い人物に不満を伝えることとなり、これは一般に「愚痴」と呼ばれる。やがて愚痴は二次情報としてトップへ到達する。
そのときトップが抱く感情は次の二つである。
①「直接言えよ」
②「どういうことだよ」
これは当然とも言える反応である。何かあるなら直接伝えてほしいというのは、ごく自然な要求だ。しかし、伝達された情報は二次的なものであるため、本人の意図や文脈が正確に伝わらず、本来の趣旨は消えていく。これまた当然の流れである。
結果として、伝達役から本人に返ってくるフィードバックは「受け入れられなかった」となる。
もちろん、トップが本人へ直接対話を申し入れる場合もある。その対話は対話ではない。しかし、もともと本人は直接対話を躊躇していたわけであり、真意を率直に伝えるのは極めて難しい。さらに、自分がトップに気に入られていないという自覚がある以上、無用な反論をすれば立場をさらに悪化させるとの恐れから、本音を抑え込んでしまう。最終的に折れるのは、ほぼ常に本人の側である。
対話が形式的に成立すると、トップは「納得してもらえた」と満足する。しかし当人は「丸め込まれた」と感じるに過ぎない。したがって、対話は完了しても不満そのものは解消されていない。
このようにして不満は沈澱し、蓄積し、最終的に集団は分裂へと向かっていくのである。
集団は、脆弱だ。わずか一人の振る舞いによって全体が容易に崩れてしまうからだ。たとえそれが単なる一人の構成員であっても、集団という枠組みはその人物の行動に対応せざるを得ず、結果として集団全体の行動様式が変容を迫られる。
最も典型的な例は不祥事である。飲酒、喫煙、その他の犯罪行為、あるいは倫理や道徳に反するふるまい——これらはいずれも一人の逸脱によって、集団全体に重い影響をもたらす。次に分かりやすいのは、集団行動における乱れである。遅刻や忘れ物といった些細に見える行為であっても、全体の行動計画を容易に狂わせることは、修学旅行などにおいて誰もが経験済みであろう。
それ以外にも、一人の言動によって集団全体が停止・停滞を余儀なくされる場面は枚挙に暇がない。たとえその言動が当人にとっては論理の筋が通っていたとしても、集団を止める要因となった瞬間に、それは「誤り」と評価されざるを得ない。場合によっては「利己的」との評価すら受けるだろう。
ここには、個人と集団が本質的に不均衡な関係であるという前提がある。個々の論理の寄せ集めが、集団の論理になるわけではない。個人はそれぞれ固有の理念・価値判断・論理的正当性を持ち、そこから導かれる結論を人は「正しさ」と呼ぶ。しかし、それらは基本的に集団の論理とは交わらない。集団には集団の「正しさ」が存在し、それは個々の「正しさ」を寄せ集めではない。
ところが、この点を履き違える者は往々にしてこう主張する。
「おれは正しい」
「おれの立場になってみろ」
いったい何を言っているのか、と嘆息せざるを得ない。本来であれば「お前の立場など知ったことではない」と言い放ちたくなるところだが、それはその人物を集団から切り捨てることにつながりかねない。それもまた望ましい態度とは言えない。なぜなら、個人はあくまでも集団の不可欠な一部であるからだ。
そこで、こうした人物には「共感」ではなく「同情」が向けられることになる。
【同情】
他者の感情、とりわけ苦悩や不幸に対して、その身になって共に感じること。
【共感】
他者の経験する感情や精神状態、あるいは主張を、自らも同じように感じ取る、あるいは理解すること。
(いずれも広辞苑)
同情と共感の根本的差異は、「理解の有無」である。個人の正しさと集団の正しさという構造的な差異を理解していない者に対し、集団が真の意味で理解(=共感)を示すことはない。代わりに、その者が抱える苦悩や不遇を、憐れみの感情として受け止めるのである。
この根源的な不均衡に気づかない構成員は、安易な共感を寄せてしまうのだが。
では、一人の存在がいかにして集団全体を乱すのか、より単純で端的な例を挙げよう。それは、その「一人」が集団のトップである場合である。集団のトップが「自分を正しく評価し認める者が善、低く評価し認めない者が悪」たる思考の持ち主である場合、これは先述した「偏ったトップ」にあたるが、彼は、集団に必要な人間を切り捨てることを始める。
ちょっと何言ってるかわかんない、読者が多いだろうから、具体的に記述する。
集団のトップの人間は初めからトップであるわけではない。
彼もかつては一構成員であり、その頃の態度が後にトップとなった際にも色濃く残りつづける。
彼が構成員であった頃、自身の評価について次のように反応する人物だとしよう。
自分が評価された場合は満足する。
逆に評価されなかった場合は
「わかってない、なんでだ、自分はこんなにやっているのに」と腐っていく。
もちろん、評価されなかったからといって努力をすべて放棄するわけではない。しかし彼は、集団全体への貢献を徐々に辞め、自分を評価する者、あるいは自分を評価する立場にない者にのみ、貢献の姿勢を示すようになる。
ここでも個人と集団の論理が効いてくる。
本来、集団への貢献とは「特定の個人への貢献」とは全く異質のものである。しかし本人は、構成員の誰かに貢献しているという事実をもって「自分は集団に貢献している」と主張してしまう。これは当然ながら誤トップが、本人は気づかない。
そんな人間がトップに立つ。
トップは常に評価の対象である。内側からも外側からも、多様で時に厳しい評価が向けられる。特に、内部と外部の間にいる存在―外部でありながら内部に対して発言権を持つ人物―からは、遠慮のない評価が下されることが多い。
トップになった彼は、今度は自分を低く評価する者に対しての排除を自らの権限で実行できてしまう。
相手がどれほど集団から信頼されている人物であっても、トップが「切り捨てる」と決めれば、それまでである。
当然、集団からは反発が起こる。しかし、トップの決定はそのまま集団の決定として機能してしまう。覆ることはない。
この話は非常に示唆的だ。個人の論理と集団の論理は一致しないと先述したが、本来、トップは「個人」であるにもかかわらず、彼の決定は「集団の決定」として扱われてしまう。これは本来矛盾した構造だ。
したがって、トップの決定は集団の意思を最大限反映したものでなければならない。集団による十分な合意形成を経て、その最終段階としてトップが決定する。
このプロセスを経たとき初めて、トップの決定は集団の決定と「ほぼ」同値とみなすことができる。
(同値に「ほぼ」なんてあるか、そもそも命題じゃないだろ、という数学屋さんの主張は受け付けない。)
しかし、個人の論理を集団の論理と取り違えたトップは、この合意形成を無視してしまう。
あるいは、合意とは到底呼べない形ばかりの手続きを「合意形成」と主張して結論を押し通す。
形のない合意形成、たとえば、全体の前で「反論はないか」と問い、なければその場で採決するといった手法である。多少の不満があっても、全体の時間をとってまで反論する気にはなれないのが日本人の性だ。
こうしてトップが自己都合の決定をくだす。
これが集団の決定と一致していないことで、集団内でトップについていく人間と離れていく人間が生まれ、分断が発生する。
一人の思考と行動が、集団全体を崩壊へ向かわせる典型的な例である。
取り立てて難しい話ではなく、ここにある構造は極めて普遍的だが、これに気づかない者は多い。
この種の人間は集団のトップにはなれても、リーダーには一生なれない。
誰に対しても偏りなく接し、集団の「正しさ」と個人の「正しさ」の違いを正しく理解するトップこそが信頼されるリーダーとなるのだろう。
さて、来年の私たちのトップは誰になるのでしょうか。
楽しみですね。😁
次は野村にバトンを渡します。前も野村の紹介を書いた気がします。個人的にはもっともっとスイカを着て活躍してほしいプレーヤーの一人です。野村は前号の会報では発送作業は不在だったのに、美味しそうにTBSの食堂をごちそうされていたので、次の発送作業は予定を合わせてきてほしいと思います。
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