ブログ 原井 敏登さんが書いた記事
しんらい[ラグビー部リレー日記]
投稿日時:2025/11/19(水) 23:02
「お友達」こと坂田からバトンを受け取りました、3年の原井です。「お友達」は正確には「みつきのお友達」です。前回の坂田のリレー日記で、タメ口を増やしていくと書いていたので、みつきと坂田のことを話す時に「お友達の怪我はどうなの?」と聞いています。
時間はないです。火曜に試験、金曜にレポート4つと英語の発表があるのに、土日両方レフリー入ってます。タスケテ。
人の上に立つ人は信頼される人でなければならない。信頼のない人には誰もついていく気にならないからだ。誰もついてこなければ、集団は崩壊する。一部だけがついていくと、集団は分裂する。全員が信頼して初めて、集団は集団としての性格を持ちうる。
集団は脆弱だ。容易に分裂するからだ。そして集団が分裂する局面において、最も深刻な要因となるのは、集団のトップが偏っている場合である。とりわけ本人にその自覚がない場合である。
偏ったトップのもとでは、必然的に「お気に入り」が優遇され、それ以外の構成員は周縁化される。このような歪んだ力学が形成されれば、集団はその軸に沿って二極化する。トップに近しい者の意見は容易に採用され、厚遇される一方、距離のある者の意見はそもそもトップの耳に届きにくい。そもそもトップとの直接対話の機会自体が限られており、加えて、直接の対話を恐れる構成員も一定数存在するだろう。
とはいえ、トップは自らが偏っていると評価されることを嫌う。そこで、自身のお気に入りではない構成員にも、対話の場を提供しようとする。一方的に。
しかし、それは真の対話というより、均衡を装うための儀式に近い。
こうした状況下で突然声をかけられた側は、当然ながら戸惑いを覚える。普段は特定の人と行動を共にする人物が、理由もなく周縁へ降りてくるのだから、そのコミュニケーションは必然的に歪である。
では、こうした歪な構造の中で、構成員が集団運営に不満を抱いたとしよう。
(i) 構成員が「お気に入り」である場合
(ii) 構成員が「お気に入り」でない場合
問題の本質はここにある。まず、本人はトップに直接相談することができない。そこで、トップに近い人物に不満を伝えることとなり、これは一般に「愚痴」と呼ばれる。やがて愚痴は二次情報としてトップへ到達する。
そのときトップが抱く感情は次の二つである。
①「直接言えよ」
②「どういうことだよ」
これは当然とも言える反応である。何かあるなら直接伝えてほしいというのは、ごく自然な要求だ。しかし、伝達された情報は二次的なものであるため、本人の意図や文脈が正確に伝わらず、本来の趣旨は消えていく。これまた当然の流れである。
結果として、伝達役から本人に返ってくるフィードバックは「受け入れられなかった」となる。
もちろん、トップが本人へ直接対話を申し入れる場合もある。その対話は対話ではない。しかし、もともと本人は直接対話を躊躇していたわけであり、真意を率直に伝えるのは極めて難しい。さらに、自分がトップに気に入られていないという自覚がある以上、無用な反論をすれば立場をさらに悪化させるとの恐れから、本音を抑え込んでしまう。最終的に折れるのは、ほぼ常に本人の側である。
対話が形式的に成立すると、トップは「納得してもらえた」と満足する。しかし当人は「丸め込まれた」と感じるに過ぎない。したがって、対話は完了しても不満そのものは解消されていない。
このようにして不満は沈澱し、蓄積し、最終的に集団は分裂へと向かっていくのである。
集団は、脆弱だ。わずか一人の振る舞いによって全体が容易に崩れてしまうからだ。たとえそれが単なる一人の構成員であっても、集団という枠組みはその人物の行動に対応せざるを得ず、結果として集団全体の行動様式が変容を迫られる。
最も典型的な例は不祥事である。飲酒、喫煙、その他の犯罪行為、あるいは倫理や道徳に反するふるまい——これらはいずれも一人の逸脱によって、集団全体に重い影響をもたらす。次に分かりやすいのは、集団行動における乱れである。遅刻や忘れ物といった些細に見える行為であっても、全体の行動計画を容易に狂わせることは、修学旅行などにおいて誰もが経験済みであろう。
それ以外にも、一人の言動によって集団全体が停止・停滞を余儀なくされる場面は枚挙に暇がない。たとえその言動が当人にとっては論理の筋が通っていたとしても、集団を止める要因となった瞬間に、それは「誤り」と評価されざるを得ない。場合によっては「利己的」との評価すら受けるだろう。
ここには、個人と集団が本質的に不均衡な関係であるという前提がある。個々の論理の寄せ集めが、集団の論理になるわけではない。個人はそれぞれ固有の理念・価値判断・論理的正当性を持ち、そこから導かれる結論を人は「正しさ」と呼ぶ。しかし、それらは基本的に集団の論理とは交わらない。集団には集団の「正しさ」が存在し、それは個々の「正しさ」を寄せ集めではない。さらに言うならば、集団の「正しさ」は時に論理的に正当な結論ではない。構成員の感情という非論理的な因子によって常に揺れ動く。
ところが、この点を履き違える者は往々にしてこう主張する。
「おれは正しい」
「おれの立場になってみろ」
いったい何を言っているのか、と嘆息せざるを得ない。本来であれば「お前の立場など知ったことではない」と言い放ちたくなるところだが、それはその人物を集団から切り捨てることにつながりかねない。それもまた望ましい態度とは言えない。なぜなら、個人はあくまでも集団の不可欠な一部であるからだ。
そこで、こうした人物には「共感」ではなく「同情」が向けられることになる。
【同情】
他者の感情、とりわけ苦悩や不幸に対して、その身になって共に感じること。
【共感】
他者の経験する感情や精神状態、あるいは主張を、自らも同じように感じ取る、あるいは理解すること。
(いずれも広辞苑)
同情と共感の根本的差異は、「理解の有無」である。個人の正しさと集団の正しさという構造的な差異を理解していない者に対し、集団が真の意味で理解(=共感)を示すことはない。代わりに、その者が抱える苦悩や不遇を、憐れみの感情として受け止めるのである。
この根源的な不均衡に気づかない構成員は、安易な共感を寄せてしまうのだが。
では、一人の存在がいかにして集団全体を乱すのか、より単純で端的な例を挙げよう。それは、その「一人」が集団のトップである場合である。集団のトップが「自分を正しく評価し認める者が善、低く評価し認めない者が悪」たる思考の持ち主である場合、これは先述した「偏ったトップ」にあたるが、彼は、集団に必要な人間を切り捨てることを始める。
ちょっと何言ってるかわかんない、読者が多いだろうから、具体的に記述する。
集団のトップの人間は初めからトップであるわけではない。
彼もかつては一構成員であり、その頃の態度が後にトップとなった際にも色濃く残りつづける。
彼が構成員であった頃、自身の評価について次のように反応する人物だとしよう。
自分が評価された場合は満足する。
逆に評価されなかった場合は
「わかってない、なんでだ、自分はこんなにやっているのに」と腐っていく。
もちろん、評価されなかったからといって努力をすべて放棄するわけではない。しかし彼は、集団全体への貢献を徐々に辞め、自分を評価する者、あるいは自分を評価する立場にない者にのみ、貢献の姿勢を示すようになる。
ここでも個人と集団の論理が効いてくる。
本来、集団への貢献とは「特定の個人への貢献」とは全く異質のものである。しかし本人は、構成員の誰かに貢献しているという事実をもって「自分は集団に貢献している」と主張してしまう。これは当然ながら誤トップが、本人は気づかない。
そんな人間がトップに立つ。
トップは常に評価の対象である。内側からも外側からも、多様で時に厳しい評価が向けられる。特に、内部と外部の間にいる存在―外部でありながら内部に対して発言権を持つ人物―からは、遠慮のない評価が下されることが多い。
トップになった彼は、今度は自分を低く評価する者に対しての排除を自らの権限で実行できてしまう。
相手がどれほど集団から信頼されている人物であっても、トップが「切り捨てる」と決めれば、それまでである。
当然、集団からは反発が起こる。しかし、トップの決定はそのまま集団の決定として機能してしまう。覆ることはない。
この話は非常に示唆的だ。個人の論理と集団の論理は一致しないと先述したが、本来、トップは「個人」であるにもかかわらず、彼の決定は「集団の決定」として扱われてしまう。これは本来矛盾した構造だ。
したがって、トップの決定は集団の意思を最大限反映したものでなければならない。集団による十分な合意形成を経て、その最終段階としてトップが決定する。
このプロセスを経たとき初めて、トップの決定は集団の決定と「ほぼ」同値とみなすことができる。
(同値に「ほぼ」なんてあるか、そもそも命題じゃないだろ、という数学屋さんの主張は受け付けない。)
しかし、個人の論理を集団の論理と取り違えたトップは、この合意形成を無視してしまう。
あるいは、合意とは到底呼べない形ばかりの手続きを「合意形成」と主張して結論を押し通す。
形のない合意形成、たとえば、全体の前で「反論はないか」と問い、なければその場で採決するといった手法である。多少の不満があっても、全体の時間をとってまで反論する気にはなれないのが日本人の性だ。
こうしてトップが自己都合の決定をくだす。
これが集団の決定と一致していないことで、集団内でトップについていく人間と離れていく人間が生まれ、分断が発生する。
集団の「正しさ」には感情が入り込んでいるので、どんなに論理的で効率的な決定であっても、集団の感情がその決定に追随できなければ、その決定は、いわゆるモヤモヤしたもの、に成り下がる。モヤモヤが積もれば不信となる。
一人の思考と行動が、集団全体を崩壊へ向かわせる典型的な例である。
取り立てて難しい話ではなく、ここにある構造は極めて普遍的だが、これに気づかない者は多い。
この種の人間は集団のトップにはなれても、リーダーには一生なれない。
誰に対しても偏りなく接し、集団の「正しさ」と個人の「正しさ」の違いを正しく理解するトップこそが信頼されるリーダーとなるのだろう。
さて、来年の私たちのトップは誰になるのでしょうか。
楽しみですね。😁
次は野村にバトンを渡します。前も野村の紹介を書いた気がします。個人的にはもっともっとスイカを着て活躍してほしいプレーヤーの一人です。野村は前号の会報では発送作業は不在だったのに、美味しそうにTBSの食堂をごちそうされていたので、次の発送作業は予定を合わせてきてほしいと思います。
いんとろ[ラグビー部リレー日記]
投稿日時:2025/02/10(月) 22:45
東大ラグビー部新3年の原井です。
さて、リレー日記のトップバッターを任されたわけですが、リレーが回ってこないパターンはどうやって始めるんでしょうか。困りました。前主将が昨年の最後のリレー日記で雪竹さんに回してループを作った気になっているようですが、受験生応援日記だとループにならないので回収しておこうと思います。2022/02/24(木)の受験生応援企画、塩谷さんの「普通」。普通に名作でした。
イントロ、と聞いたらみなさん何を思いつくでしょうか。大学生であれば勝手に論文のintroductionのことだと思ってしまっていそうですが、そんな話はしません。「イントロドン!」の方のイントロです。
近年はイントロがない曲も流行っているようですが(lemon、カイトなど)、そういう曲はあまり趣がないと思ってしまいます。歌から入って一度間奏を挟んでからAメロに入るならまだしも、いきなりAメロから始まる曲はなんとも味気ないものです。
こう思うのにも理由がありまして、イントロにはやはりその曲の雰囲気であったり、世界観であったり、曲に対して聴き手を引き込む役割があります。イントロからキラキラしていたり、シリアスになっていたり、ワクワク感が違います。経験上、イントロで惹きつけられるような曲は名曲が多い気がします。ライブで披露するときはなおさらイントロが大事で、次はなんの曲だろう、、とすでにテンションが高まっている状態で、イントロが入ってくると一気に盛り上がります。Aメロから入られてもメンバーの歌を聴きたいので乗るに乗り切れません。
いきなりイントロなしで歌に入る方がインパクトがあったり、タイパ重視の若者にウケたり、instagramやらtiktokやらで使いやすかったりするのかもしれませんが、やっぱりイントロがあった方が好きです。
Love so sweetという嵐の有名な曲があります。あります、というか知らない人なんてこの世にいるのでしょうか。少なくとも10歳以上の人はさすがに聞いたことある、15歳なら間違いなく知っている、くらい超有名な曲ですけども。Love so sweetのイントロは「恋が始まりそう」なイントロとしてよく色々なSNSの動画に使われているのを見かけます。どんな場面でも、Love so sweetをかけておけばあらゆるシーンで恋が始まります。さらに、ドラマのエンディング風にもなるので、次回話で恋の予感。的な使い方もできます。
楽曲の分析サイトや解説動画を見ていると、ウィンドチャイムの音(シャララーン的なやつ)とピアノの音がいいとか、下っていくコード進行がいいとか、書いてあります。個人的には、出だしのハイハット3音がこの曲のイントロの醍醐味だと思っています。ピアノでもなんでもなくハイハットの入りが至高なのです。ラブソーのイントロをこのハイハットから歌い出す人には出会ったことがないので悲しいです。その後のドラムも裏で打ってから5小節目からのリズムの刻み方が、、、もうやめとこ。
あと少しだけ。ラブソーは転調もめっちゃ良くてサビ前の♭5(キー+1)の転調もいいけど間奏から2番のAメロでキーが戻ってくる転調がおしゃれで、、、、あとはサビの跳躍音と歌詞がハマり方もいいし、ライブ演出だと2008年の初国立でセンターステージで噴水の中から上がってきて、で、その映像を新国立でも同じ演出で上がってスクリーンに当時の映像を流して、で休止前ラストライブで最後に歌ったのもラブソーだし、なんたって「花男」の主題歌ですから、嵐はこれがきっかけの曲だし、、、、
今度こそやめます。あと100行くらい書いちゃいそうです。
ブツブツと書き連ねてしまいましたが、要するに、神曲はイントロも神ということです。
いい曲にはいいイントロがあります。イントロが良ければ大体曲もいいです。
始まりが良ければ、最後まで良いということです。
2025年シーズンも始まったばかりですが、まずは良いイントロにして、そして最後まで良いシーズンを過ごせるように1年間頑張りたいです。(え、おれまとめ方うまくね???)
次は、ここ最近ちょっとお騒がせな細谷さんにバトンを回します。バトン回せてよかったです。個人的には細谷さんはかなり話しやすいので、その話しやすさを新歓でも発揮してください!!!
らじお[ラグビー部リレー日記]
投稿日時:2024/11/15(金) 22:36
最近の部内でのいじりは目に余るものがありますが、大真面目な顔でいじってないとか言ってくるので、もう何が何だかわからなくなってきています。日常の会話に支障が出てきそうです。
今回の紹介はいじられているのでしょうか。誰か教えてください。
さいきんラジオをよく聞いています。一人暮らしを始めて家にいると会話相手もいないので暇です。家にテレビはないので、YouTubeを見たりTVerを見たりAbemaやprime videoを見たりすることもありますが、動画は「見る」という行為が必要なので時間がどんどん溶けていきます。それに比べてラジオは耳だけでいいので他の作業を同時にすることができます。そうです。今これを書いている時もラジオを聴いてます。ニノのベイストを聴いてます。ニノ節全開でほんとに面白いです。
と上の段落の末尾に書いていたのですが、前回のリレー日記がバチバチの紹介系でした。これは困りました。余計なこと書かかなくていいだろって感じだと思うんですけど、これを消せないのはまた理由がありまして。まあとにかく、紹介形式も、いいんじゃないんでしょうか?知らんけど。
ラジオと言ってもリアルタイムで聞いているのではなく、radikoで聞いています。radikoはスマホアプリで、自分の地域のラジオを放送から1週間後までなら無料で聴けるサービスです。要するにラジオ版Tverなのですが、Tverとの大きな違いは広告をすっ飛ばせることです。放送枠の録音がまるまんま入っていて、スキップ巻き戻し自由なのです!こんな手軽にラジオを聴けるなんていい時代です。
おばあちゃんの家にあったくるくる周波数を合わせるやつも風情はありますし、たまたま合わさった(これ方言ですね、初回のリレー日記参照)チャンネルを聞く的な偶然の出会いも楽しめるわけですが。
僕は冒険家ではないので、知らない人のなんだか分からないラジオは聞きません。知ってるアーティストの面白そうなやつしか聞かないので、そういう風情は求めていません。
さいきん知ったのですが、ラジオに似たもので、ポッドキャストという形態もあるようですね、正直ラジオとポッドキャストの定義的な違いは知らないのですが、ラジオはリアルタイムで電波に乗ってて、ポッドキャストは番組全体が音声データになってる、とかですか?知りませんけど。
ラジオはradikoを使っても、遠方の地域のものは聞けない、1週間経つと聞けない、再生速度が変えられない、のですが、ポッドキャストは昔のものをいつでも聴けるし、速度も変えられます。気になるラジオを見つけてもそれよりあとのものしか聞けないのがとにかく残念です。どうせなら初回から聞きたいじゃないですか!
もうラジオは廃止して全部ポッドキャストにしましょう。というか、ラジオは放送後は全部ポッドキャスト形式にしてしまいましょう。
けっこう前(たしか小5の時)に一回だけラジオに出たことがあるのを思い出しました。三角山ラジオという北海道ローカル、でもなく、札幌ローカル、でもなく、札幌市西区ローカルの超超ローカル局に出させていただきました。狭めの防音室風な部屋でそれなりに立派なマイクとヘッドセットをつけて、これぞラジオという感じでした。内容は、キャンドルナイトというイベントの告知でした。西区全体のイベントなのですが、小学校でもキャンドルを作ったりポスターを作って配ったりとしていたような記憶です。10分番組に3人?4人?で出演したのですが、自由度0でびっくりしました。事前に取材されたことをもとに原稿がバッチリ作られていて、それをただただ読み上げるだけの完全出来レースでした。当時はラジオに出れるだけで嬉しかったのであんまり気にしていませんでしたが、今思うとなんだこれ。ってなりますね。いやでも、人生でラジオに出る機会なんて普通ないんだからそれだけでも喜ぶべきなのか。
次はみんな大好き金ちゃんにバトンを回します。いつも笑顔で挨拶してくれて、ちょっと困ってる時にすぐ声をかけてくれて、部員全員にとてつもなく愛されています。
会報委員4連続リレーのトリを飾って欲しいと思います。
くるま[ラグビー部リレー日記]
投稿日時:2024/05/22(水) 20:22
おおむかし(といっても2ヶ月くらい前)からリレー日記のネタを頑張って探していたのですが、ついに自分の番が回ってきてしまい、いまいちいいネタがありません。こういう保険をかけるようなこともあまり書きたくないし、ありきたりな前置きで本当につまらないし、なんなら言い訳を堂々と書き連ねるようで非常に心苦しいです。ここ最近の自分の計画性のなさには本当に呆れるばかりです。やることなすこと全部先延ばしにしている感じがします。高校生の自分に見せたらきっとがっかりすることでしょう。人生のピークはとっくに過ぎてしまったようです。いや、もう一度ピークを作るための「上り坂」の時期なのかもしれません。
のばしにのばしまくった前段はこのくらいにして、タイトルの通りくるまの話をしようと思います。といってもぼくは別にくるま好きなわけでもなんでもありません。すごい人になると、見た目で車種を当てられたりするそうですが、そんなことできるわけないし、F1も見ないし、ミニ四駆も持ってないし、ディアゴスティーニの組み立てをしてたわけでもないです。なんとなく、くるまの話をしてみます。
さて、最近仮免を取りました。1週間経ってないので本当に最近です。教習所に通い始めてからぴったり1ヶ月で仮免まで到達したので、早いと言われます。2Sが暇なだけです。なんせ水木全休、S2からは、月2と火2,5のみです。大学生って暇なんですかね。この空き時間を有効活用したいものですが、家でゴロゴロして部活したら1日が終わっています。なんの話ですか。勢いでわいわい書いているので許してください。くるまの話に戻ります。
地元が北海道なので圧倒的車社会で生きてきた自分にとっては東京の電車社会はすごいなと感心します。夜の10時とかでも平気で満員電車なのでびっくりします。朝の一番混んでる時間帯以外、リュックを前に背負おうなんて思ったこともありません。そもそも嵐のコンサートでもない限り真の満員電車になることはないと思います。
嵐で車といえば、2016年Are You Happy?(通称あゆはぴ)のコンサートで、空飛ぶ車に乗ってスタンド近くまで来てくれる演出がありました。あの車に乗って披露したStep and Go(通称すてごー)がすてごー史上一番楽しいすてごーでした。もう一回みたい。
ところで、ぼくの最初のくるまとの出会い(?)はトミカです。全く記憶にないのですが、父に以前聞かされた話があります。
ぼくはトミカで数字を覚えました。まあ、数の概念に触れる時に、いきなり数(すう)の状態から入る人はきっといなくて、何かしら具体的な数(かず)から入るのが普通でしょう。ぼくの場合はそれがトミカでした。1歳の終わりの頃には繰り上がりの足し算をしたらしいです。なんか指をがちゃんがちゃんして、繰り上げていたみたいです。どういう思考回路だったのかは謎です。昔に戻れるのならぜひ教えて欲しいです。
こんなことを書くとまた部室でバカにされるんでしょう。キャラはいつの間にか定着してしまっているものです。ぼくの今の人生はくるまから始まったといっても、、、さすがに過言か。
しょーもない話はもう飽きたと思うので、りょうまさんにバトンを渡します。個人的にりょうまさんの「ありがとう」の言い方がとても好きなので、今後もありがとうといってもらえるような働きをしていきたいです。ずいぶん前にアキおさんのお金でサシご飯に行ったことを思い出しました、サシじゃなくてもいいのでまた行きましょう。色々あってりょうまさんには1週間以上このリレー日記を書く猶予があるので、それはそれはさぞ立派な文章を書いてくれるのだろうと期待しています。
さる・らさる[ラグビー部リレー日記]
投稿日時:2023/11/09(木) 16:37
猿渡さんの肩と引き換え(?)に最強の肩書を手に入れた1年の原井です。名ばかりの肩書にならないよう、二兎を追って二兎とも得られるよう頑張ります。
猿渡さんといえば、いつぞやの新入生歓迎会で、アロハシャツにサングラス、洒落た帽子で登場した時は別人かと思うくらい面白かったです。「4年に一度じゃない、一生に一度」の出会いが見つかることを祈ってます。
さて、北海道というド田舎からこの4月はるばる東京にやってくると、田舎者を貶めることしか興味がない首都圏関西圏の方々に方言の話をよくされます。とはいえ、北海道は明治期に全国各地から人が集まり開拓された土地で、イントネーションがほぼ標準語なので、方言という方言はないんだね、とつまらなさそうな顔をされます。しかし、18年北海道に住んでいて当たり前のように使っていたけど東京に来てから全く通じなくて毎回頭を抱える、ぜひとも標準語にしてほしい、いえ、しなければならない便利な表現があります。
それは「さる」「らさる」です。
みなさん勘違いされるかもしれないので一応念のため書いておきますが、猿渡さんが「さる」わたりさんと間違われがちだとか、わがまま鵜木くんの出身校が「ラサール」だとかは関係ないです。念のため。
ちなみに、北海道の人にこの方言を聞くと「〇〇ささる」という形で紹介されがちですが、厳密には未然形活用の助動詞「さる」「らさる」です。原則、未然形がアの段で終わっていたら「さる」、そうでなければ「らさる」を使います。ただし、サ変動詞には「ささる」という形になるので完全に間違いではないのですが。
そんな細かい文法のお話をしたところで何が何だかパルプンテ(https://www.youtube.com/watch?v=J0F0e8jd5xk&t=2139sより)だと思うので、意味をご紹介します。
“自分はそんなつもりなかったんだけど、勝手に(向こうの都合で)そうなってしまった”です。
は??となっている非道民ばかりだと思うので例を見てみましょう。
満員のエレベーターでボタンの前にあなたが立っているとします。何かのはずみで後ろの人にぶつかられて誰も降りない階のボタンを押してしまいました。そんな時には
押ささった
が「正解」です。これが正しい日本語です。(圧
押しちゃった。だと、私が押そうとして押したんじゃないよ、のニュアンスが伝わりません。
押すつもりがあって(自分が降りる階を勘違いしたなどして)押しちゃったのと訳が違うからです。
一方、満員のエレベータではなく、自分がただボタンに寄りかかってうっかり肘などでボタンが押されたとしましょう。
この時も、押ささった、が使えます。
確かに他の誰でもなくあなたのせいでボタンが押ささりましたが、自分は押すつもりがあったわけではない、仕方がないんだ!というニュアンスが出ます。
ある種責任逃れの表現ですが、別に自分に非が無いとか、申し訳ない気持ちが全くないとかではありません。
ペンを持ってて人にぶつかられて「書かさった」
LINEの送信ボタンにうっかり触れてしまって「送らさった」
見るつもりはなかったけど、視界に向こうから飛び込んできて(突然カーテンが開くなどして)「見らさった」
外に汚れたブルーシートを放置しておいたら雨が降って「洗わさった」
など色々便利です。伝われ!
その行為による結果の良し悪しは関係ないし(悪い結果の時に使うことのほうが多いけど)、実際に自分に責任があるかどうかも関係ありません。コアにある一番大事なニュアンスは、自分は意図していない、ということです。
また、ここから仕方ないでしょ許してね、といった意味も生まれたりします。
ところで今Wordで原稿を打っているのですが、変換は全然出てこないし、間違いだと思われて下に赤い波線をたくさん引かれてイライラしてます。
「おささった」の変換に「長去った」とか「尾刺さった」とかを提案されます。
まあ、Wordが標準語(?)に対応していないのはさておき。
さる、らさるを否定語にするとまた面倒なことが起こります。
わかりやすく、「ボタンが押ささらない。」を例に取ります。
自分は物理的にはボタンを押しているんだけれど、機械の不調でボタンが押した判定にならない
自分は押したつもりなんだけど、うまく押せていなくて、結果として押したことになっていない
こんな時に「押ささらない」といいます。
ざっくりいうなら、押してるんだけど、押したうちに入らない、といった感じです。伝われ。(2回目)
「さる」「らさる」は、単純に結果・最終状態がそうなったのか、なっていないのかで肯定と否定を使い分けます。
自分は意図していないという意味は、肯定文だろうと否定文だろうと共通しています。
さっき面倒とか書いたけど、意外とシンプルだなあ。さすが標準語。うんうん。
ペンが「書かさらない」も、書く動作はしているけれどインクが入っていない、タッチペンが反応してくれないなど、ペンまたは紙やタッチパネル側の都合で、書けない、書いてはいるのに書いたことになってくれない、という状況を指します。
自分は送信ボタンを押しているが、ファイルが重たくて「送らさらない」
動画を見たいのに電波が悪くて「見らさらない」
一度に大量に洗濯しすぎて、洗濯機にかけたはずなのに汚れが取れてなくて「洗わさってない」
などなど
自分はしようとしているけど、向こう側の問題で意図せずそれができなくなっている、といった感じです。
伝われ(3回目)
この表現をマスターするともっと面白いことが言えます。
このラーメン美味しすぎてどんどん「食べらさる」
という感じです。食べてるのは自分だし、意図せず食べてしまう(突然口元にラーメンが飛んでくる)こともありえないので、本来適切な表現とは言えないですが、箸が勝手に進んで止められない、みたいな感じです。
ああ、食べらさる、という広告が札幌の地下鉄には貼ってあります。(確か北海道米ななつぼしの広告だったはず。)スクリューパスを知らないラグビー部員はいないのと同じくらい、道民には常識表現なのです。
他にも、友達にわざとぶつかりに行って
ごめんぶつからさった笑笑
と言って、自分のせいじゃないよ、仕方ないでしょ、みたいな感じを出す嘘?冗談?もよく言い合ったりします。
全日本国民は早く「さる」「らさる」に早く対応した方がいいです。してくれ。しなさい。しろ。
ほんの少しだけ強めの思想を披露してしまいましたが、せめてリレー日記をご覧の皆さんにはこの表現が伝わってくれて欲しいです。検討の加速をお願いします。
次は同期スタッフのみくにバトンを渡します。みくは夏休み以降、部のお買い物にインスタの更新、試合中継など大変な仕事を受け持ってくれて脱帽です。
が、一つ苦情を入れさせてください。
みくとは部室で麻雀を2回したことがありますが、1回目はみくが聴牌に気付かず1巡待ってツモ切りリーチしたら一発ツモドラ3で6000オール。2回目もただのリーチにツモドラ3で2000-4000の親被りをしました。
頼むからドラを3枚引かないでください(切実)。
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