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最後の試合を前に~個人編~[ラグビー部リレー日記]
投稿日時:2013/12/22(日) 21:10
昨日に続いて川島です。今日は私自身のラグビー人生について書きたいと思います。
幼稚園の年長から始めたラグビーをここまで続けてこれたのはなぜなのか。もちろん、家族(特に父)から無言のプレッシャーを受けていたというのも確かであるが、この一年間は「ラグビーを続けている理由」が自分でもわかってきた気がする。
簡単に言ってしまえば、ラグビーは自分を表現する手段として欠かせないものであった、となる。
小さいころからラグビーをしながらも、常に親から「ラグビーだけでは生きていけない」と言われてきた。中学に入ると、学年主任の先生が集会で「みんなには部活も勉強もできるスーパーマンになってほしい」と言っていた。それならばラグビーも勉強も高いレベルでこなせばいい、そのどちらが欠けても自分の価値を半減さてしまうのだと認識した。
予備校時代、ある講師が面白いことを言っていた。来年以降、君たちから東大生という肩書を取ったら何も残らないようなつまらない人間にはなるな、と。この時(まだ合格していたわけではないが)大学でまたラグビーを頑張ることで自分の存在意義を見いだせるのか!とうれしく思ったことを思い出す。
大学に入るとすぐに勉強では周りに太刀打ちできないことが分かった。やはり自分はラグビーとセットでないと存在感を出せなかったのである。気づいたら卒業論文のテーマもラグビーにしていた。
しかしそんな私も東大ラグビー部の歴史の中ではそれほど例外的な存在ではないのかもしれない。例えば、大先輩である岡村正さんは創部90周年記念イベントの講演で「出身学部をたずねられた時はラグビー部と答えていた」とおっしゃっていた。
では東大ラグビー部の中で私が自分の存在意義を示すには何が必要なのかと考えた時、真っ先に浮かんできたのが「Aグループに復帰した時の主将であること」だった。
部のために、というより自分のためにAグループ復帰という目標を掲げていたのかもしれない。チームの勝利のために、というより自分の存在をアピールするために必死でプレーしていたのかもしれない。
この考え自体は多くの人から批判を受けるだろう。けれども、この考えのもとで頑張る、最高のプレーをすることが最終的にはチームのためになると信じていた。
結果的に目標には遠く及ばず、「4勝止まり」の主将で終わった。いろいろ考えたが、この悔しさを文字にするのは不可能だった。
対抗戦で強豪校から勝利を上げてきた歴史に残る諸先輩方に並ぶことはできなかったが、もう一試合だけ自分を表現するチャンスが残っている。これが川島だ、というのを見せたい。
2013年度東京大学運動会ラグビー部主将 川島淳之介
京都大学戦前夜
幼稚園の年長から始めたラグビーをここまで続けてこれたのはなぜなのか。もちろん、家族(特に父)から無言のプレッシャーを受けていたというのも確かであるが、この一年間は「ラグビーを続けている理由」が自分でもわかってきた気がする。
簡単に言ってしまえば、ラグビーは自分を表現する手段として欠かせないものであった、となる。
小さいころからラグビーをしながらも、常に親から「ラグビーだけでは生きていけない」と言われてきた。中学に入ると、学年主任の先生が集会で「みんなには部活も勉強もできるスーパーマンになってほしい」と言っていた。それならばラグビーも勉強も高いレベルでこなせばいい、そのどちらが欠けても自分の価値を半減さてしまうのだと認識した。
予備校時代、ある講師が面白いことを言っていた。来年以降、君たちから東大生という肩書を取ったら何も残らないようなつまらない人間にはなるな、と。この時(まだ合格していたわけではないが)大学でまたラグビーを頑張ることで自分の存在意義を見いだせるのか!とうれしく思ったことを思い出す。
大学に入るとすぐに勉強では周りに太刀打ちできないことが分かった。やはり自分はラグビーとセットでないと存在感を出せなかったのである。気づいたら卒業論文のテーマもラグビーにしていた。
しかしそんな私も東大ラグビー部の歴史の中ではそれほど例外的な存在ではないのかもしれない。例えば、大先輩である岡村正さんは創部90周年記念イベントの講演で「出身学部をたずねられた時はラグビー部と答えていた」とおっしゃっていた。
では東大ラグビー部の中で私が自分の存在意義を示すには何が必要なのかと考えた時、真っ先に浮かんできたのが「Aグループに復帰した時の主将であること」だった。
部のために、というより自分のためにAグループ復帰という目標を掲げていたのかもしれない。チームの勝利のために、というより自分の存在をアピールするために必死でプレーしていたのかもしれない。
この考え自体は多くの人から批判を受けるだろう。けれども、この考えのもとで頑張る、最高のプレーをすることが最終的にはチームのためになると信じていた。
結果的に目標には遠く及ばず、「4勝止まり」の主将で終わった。いろいろ考えたが、この悔しさを文字にするのは不可能だった。
対抗戦で強豪校から勝利を上げてきた歴史に残る諸先輩方に並ぶことはできなかったが、もう一試合だけ自分を表現するチャンスが残っている。これが川島だ、というのを見せたい。
2013年度東京大学運動会ラグビー部主将 川島淳之介
京都大学戦前夜
最後の試合を前に~チーム編~[ラグビー部リレー日記]
投稿日時:2013/12/21(土) 19:30
今年のリレー日記最後を務めます、主将の川島淳之介です。
加納が言っていたように、すべてをこの場に書ききることはできませんが、少しでも多くの思いを伝えられるようリレー日記を一人で2日続けて更新します(自分で勝手に決めました)。今日は「東大ラグビー部」について。
私が初めて「東大ラグビー部」を目にしたのは東大が対抗戦AグループからBグループへ降格したことを伝える新聞記事を読んだ時だった。もちろん当時小学6年だった私にその重要性がわかるはずもなく、7年半後に自分がその戦いの場に立つことになるとは予想だにしなかった。ただ父の言った「ここからもう一度昇格するのは大変なことだ」という言葉だけを鮮明に覚えている。実際にその後現在に至るまで入れ替え戦にさえ進出することができていない。
高校卒業後の進路を決心した頃、受験勉強のモチベーションは「東大をAグループに昇格させる」ことだった。入学まで東大の試合を見たことはなかったが、自分が入ってスタンドオフで活躍すればいい成績を残せるだろうという根拠のない自信があった。運よく中高にわたってハーフ団を組んできた安井や花園準優勝を達成した白石と同時入学できたことも追い風だと感じた。
しかし、現実は甘くない。先輩方には申し訳ないが、初めて練習に参加させてもらった時ハンドリングを中心としたスキルレベルの低さに戸惑ってしまった。取ってほしいパスがつながらない、パスしてほしいシーンでパスできずDFにつかまってしまう。
一方でタックルへの意識や練習へのひたむきさは今までやってきたどのチームより上だった。
タックルというチームのベースの上にアタックスキルを上乗せできればチームが飛躍する可能性は大いにあると確信した。
結論から言うと、この構想をチームに落とし込むまで3年かかった。得点力を上げることに積極的に取り組めたのは今年が初めてであった。
チームに関わる様々な人と議論を重ね訴えてきたつもりだが、アタックに時間を割くことは現実的でないと言われ続けた。私は中高でやってきた展開ラグビーというプレースタイルを求めたわけではなく、パスすべき時にパスができる、そして取るべきパスを取れるスキルを全員が持つための練習をしたかったのだが、どうしても誤解を解くことはできなかった。
ここで言いたいことは、決してこれまでの過程で関わった人々への批判ではなく、ここまでして強引に認めてもらったスタイルを実践した今年は絶対に結果を出さなくてはならなかった、ということである。
結果へのこだわりについては遼平がすでに書いてくれているが、本当にその通りだと思う。確かに今年の得点は前年までより大きく向上じた。しかし、出すべき結果はそんな些細なことではなく、Aグループ復帰のはずだった。
今でも、東大がAグループにあがることは可能であるし、それが実現した時日本ラグビー界にインパクトを与えることができると確信している。
非常に悔いの残る結果だったが、京大戦という最後のチャレンジの場が残されている。これが今年の東大だ、と言える試合をすることが最低限の責任だろう。
明日は「自分のラグビー人生」について書きます。
加納が言っていたように、すべてをこの場に書ききることはできませんが、少しでも多くの思いを伝えられるようリレー日記を一人で2日続けて更新します(自分で勝手に決めました)。今日は「東大ラグビー部」について。
私が初めて「東大ラグビー部」を目にしたのは東大が対抗戦AグループからBグループへ降格したことを伝える新聞記事を読んだ時だった。もちろん当時小学6年だった私にその重要性がわかるはずもなく、7年半後に自分がその戦いの場に立つことになるとは予想だにしなかった。ただ父の言った「ここからもう一度昇格するのは大変なことだ」という言葉だけを鮮明に覚えている。実際にその後現在に至るまで入れ替え戦にさえ進出することができていない。
高校卒業後の進路を決心した頃、受験勉強のモチベーションは「東大をAグループに昇格させる」ことだった。入学まで東大の試合を見たことはなかったが、自分が入ってスタンドオフで活躍すればいい成績を残せるだろうという根拠のない自信があった。運よく中高にわたってハーフ団を組んできた安井や花園準優勝を達成した白石と同時入学できたことも追い風だと感じた。
しかし、現実は甘くない。先輩方には申し訳ないが、初めて練習に参加させてもらった時ハンドリングを中心としたスキルレベルの低さに戸惑ってしまった。取ってほしいパスがつながらない、パスしてほしいシーンでパスできずDFにつかまってしまう。
一方でタックルへの意識や練習へのひたむきさは今までやってきたどのチームより上だった。
タックルというチームのベースの上にアタックスキルを上乗せできればチームが飛躍する可能性は大いにあると確信した。
結論から言うと、この構想をチームに落とし込むまで3年かかった。得点力を上げることに積極的に取り組めたのは今年が初めてであった。
チームに関わる様々な人と議論を重ね訴えてきたつもりだが、アタックに時間を割くことは現実的でないと言われ続けた。私は中高でやってきた展開ラグビーというプレースタイルを求めたわけではなく、パスすべき時にパスができる、そして取るべきパスを取れるスキルを全員が持つための練習をしたかったのだが、どうしても誤解を解くことはできなかった。
ここで言いたいことは、決してこれまでの過程で関わった人々への批判ではなく、ここまでして強引に認めてもらったスタイルを実践した今年は絶対に結果を出さなくてはならなかった、ということである。
結果へのこだわりについては遼平がすでに書いてくれているが、本当にその通りだと思う。確かに今年の得点は前年までより大きく向上じた。しかし、出すべき結果はそんな些細なことではなく、Aグループ復帰のはずだった。
今でも、東大がAグループにあがることは可能であるし、それが実現した時日本ラグビー界にインパクトを与えることができると確信している。
非常に悔いの残る結果だったが、京大戦という最後のチャレンジの場が残されている。これが今年の東大だ、と言える試合をすることが最低限の責任だろう。
明日は「自分のラグビー人生」について書きます。
最終戦を前に[ラグビー部リレー日記]
投稿日時:2013/12/20(金) 22:01
主務の田中よりバトンを受け取った、今年度副将の白石です。
現在チームは京大との最終戦に向けて練習をしている。しかし、先々週の名古屋戦で脳震盪をしてしまった私は4年間、もっと言えば中学からの10年間の集大成とも言える試合に出場することができない。脳震盪の影響による頭痛のせいで、練習どころか大きな声を出すことすらできず、非常にもどかしい毎日を過ごしている。
お世話になった多くの方々に恩返しするためにも、そして何よりチーム川島のラグビーが正しかったと証明するためにも、最終戦は是非とも勝利で飾りたい。そのために、残された期間を全力で過ごしていく。
せっかくの機会なので、最終戦を前に思うことを書いていきたいと思う。昨日の田中の日記と幾分か内容が被るかもしれないが、ご容赦いただきたい。
今シーズン掲げた目標、Aグループ昇格。そのためには絶対に落とせない初戦の学習院戦。あの試合、戦犯は他の誰でもない私だった。私は前半、絶対にやってはいけないプレーを2つした。前半終了のホイッスルが鳴ったとき、頭が真っ白になった。「これで負けたら俺のせいだ」、と。こんなの生まれて初めての経験だった。そして試合は26-20、6点差で敗れた。自分のあのプレーのせいで1トライを献上してしまったし、前半終了間際のあのプレーのせいで、トライをフイにしてしまった。あの2つのプレーさえなければ。。。あの日の夜、そんなことを考えていたら、気づけば朝になっていた。
確かに学習院に勝っていたとしても、結果的には入替戦には行けなかった。でも、あのゲームで事実上、チームの夢が潰えてしまったといっても過言ではない。その大事なゲームを、副将である自分のミスで壊してしまったことが、悔やんでも悔やみきれない。
僕は約3年半前に東大に入学し、大学でもラグビーをすることを選んだ。ラグビーは高校までで完全燃焼したつもりだったし、他のことをやろうと思えばできる環境はいくらでも整っていた。それなのになぜ再びラグビーを選んだのか。それは大きな夢があったからだ。対抗戦Aに昇格すること。ラグビー推薦のない東大で、勉強だけの集団とされている東大で、その目標を達成することに意味があると思った。そう思って続けてきたけれども、大学での4年間のラグビー生活は、正直言って楽しくなかった。思い出されるのは怪我とリハビリのことばかりだ。4年間のうち、半分以上はプレーできなかった。半年以上に渡る長期の離脱も2度経験した。治っては怪我、治っては怪我の繰り返し。それでも、「夢」を叶えたくてあらゆる情熱を注いできたつもりだった。最上級生となった今年、結果は対抗戦Bで4勝。またしても「夢」を叶えることはできなかった。「よく頑張った」と何人かの方には言っていただいた。でも、この結果で満足なんてできるわけがない。「結果は出なかったけどよく頑張りました」とか、「ダメだったけど、一生懸命やって成長できました」とか、そんな陳腐な美談を作り上げるために私は東大でラグビーをしたわけではない。「夢」を叶えたくてラグビーをやっていたのだ。
過去の4年生を思い返してみると、毎年4年生は同じことを言っていた。「今年は目標達成できなかったけど、来年に期待します」、と。そして、今年も同じようなことを言う立場にいる。悔しい。非常に悔しい。毎年目標は達成できていなかったけど、自惚れかもしれないけど、今年の僕らの代だけは違うと思っていた。でも、結局は結果が全てだ。対抗戦A昇格とは程遠い、対抗戦B4勝という結果が全てだ。その過程がどのようなものであろうと、結果を残せなかったという事実は変わりない。この経験を自分にとってプラスであったと言うためには、そして東大ラグビー部でお世話になった方々に恩返しするためには、これまた陳腐な表現になってしまうが、この悔しさをバネにして次なる人生のステージで結果を残すより他にないのだろう。
次回最終回は主将の川島が更新します。+
白石勘太郎
現在チームは京大との最終戦に向けて練習をしている。しかし、先々週の名古屋戦で脳震盪をしてしまった私は4年間、もっと言えば中学からの10年間の集大成とも言える試合に出場することができない。脳震盪の影響による頭痛のせいで、練習どころか大きな声を出すことすらできず、非常にもどかしい毎日を過ごしている。
お世話になった多くの方々に恩返しするためにも、そして何よりチーム川島のラグビーが正しかったと証明するためにも、最終戦は是非とも勝利で飾りたい。そのために、残された期間を全力で過ごしていく。
せっかくの機会なので、最終戦を前に思うことを書いていきたいと思う。昨日の田中の日記と幾分か内容が被るかもしれないが、ご容赦いただきたい。
今シーズン掲げた目標、Aグループ昇格。そのためには絶対に落とせない初戦の学習院戦。あの試合、戦犯は他の誰でもない私だった。私は前半、絶対にやってはいけないプレーを2つした。前半終了のホイッスルが鳴ったとき、頭が真っ白になった。「これで負けたら俺のせいだ」、と。こんなの生まれて初めての経験だった。そして試合は26-20、6点差で敗れた。自分のあのプレーのせいで1トライを献上してしまったし、前半終了間際のあのプレーのせいで、トライをフイにしてしまった。あの2つのプレーさえなければ。。。あの日の夜、そんなことを考えていたら、気づけば朝になっていた。
確かに学習院に勝っていたとしても、結果的には入替戦には行けなかった。でも、あのゲームで事実上、チームの夢が潰えてしまったといっても過言ではない。その大事なゲームを、副将である自分のミスで壊してしまったことが、悔やんでも悔やみきれない。
僕は約3年半前に東大に入学し、大学でもラグビーをすることを選んだ。ラグビーは高校までで完全燃焼したつもりだったし、他のことをやろうと思えばできる環境はいくらでも整っていた。それなのになぜ再びラグビーを選んだのか。それは大きな夢があったからだ。対抗戦Aに昇格すること。ラグビー推薦のない東大で、勉強だけの集団とされている東大で、その目標を達成することに意味があると思った。そう思って続けてきたけれども、大学での4年間のラグビー生活は、正直言って楽しくなかった。思い出されるのは怪我とリハビリのことばかりだ。4年間のうち、半分以上はプレーできなかった。半年以上に渡る長期の離脱も2度経験した。治っては怪我、治っては怪我の繰り返し。それでも、「夢」を叶えたくてあらゆる情熱を注いできたつもりだった。最上級生となった今年、結果は対抗戦Bで4勝。またしても「夢」を叶えることはできなかった。「よく頑張った」と何人かの方には言っていただいた。でも、この結果で満足なんてできるわけがない。「結果は出なかったけどよく頑張りました」とか、「ダメだったけど、一生懸命やって成長できました」とか、そんな陳腐な美談を作り上げるために私は東大でラグビーをしたわけではない。「夢」を叶えたくてラグビーをやっていたのだ。
過去の4年生を思い返してみると、毎年4年生は同じことを言っていた。「今年は目標達成できなかったけど、来年に期待します」、と。そして、今年も同じようなことを言う立場にいる。悔しい。非常に悔しい。毎年目標は達成できていなかったけど、自惚れかもしれないけど、今年の僕らの代だけは違うと思っていた。でも、結局は結果が全てだ。対抗戦A昇格とは程遠い、対抗戦B4勝という結果が全てだ。その過程がどのようなものであろうと、結果を残せなかったという事実は変わりない。この経験を自分にとってプラスであったと言うためには、そして東大ラグビー部でお世話になった方々に恩返しするためには、これまた陳腐な表現になってしまうが、この悔しさをバネにして次なる人生のステージで結果を残すより他にないのだろう。
次回最終回は主将の川島が更新します。+
白石勘太郎
結果が全て[ラグビー部リレー日記]
投稿日時:2013/12/19(木) 13:32
加納よりバトンを受けました、田中遼平です。
はじめに、今まで東大ラグビー部をご支援下さった多くの方々に御礼を申し上げます。特に主務になってからは本当に多くの方々が僕達の勝利のために力になってくれていることを実感しました。コーチ陣の方々、トレーナーの方々、栄養士の方々、多摩済生病院の方々、合宿所関係者の方々、NTTcomの方々、IBMの方々、関東協会の方々、大学の学生課、守衛さん、そしてOB・OGの方々、今年度のチームを支えて下さり本当にありがとうございました。
最後の12月23日京都大学戦、必ず勝利致します。
後4日で引退と言うのはあまりにも実感のわかない。
4時15分に目覚まし時計のアラームが鳴り、4時半に起き、6時に大学の門をくぐり、真っ暗な部室の鍵を開け、準備をして閑散としたグラウンドに出る。ネットに向かってパスを放ると、いつも朝露が滑って鬱陶しい。練習が終われば、ご飯2合を詰めたタッパーとともに学食へ向かい、同期と飯を食べ、ウエイトをする。家に帰ったら部活関係のメールや電話と格闘し、週末の試合の準備不足がないか頭の中で何度も確認しながら夕食をとり、21時には床につく。そんな日常が後4日で終わることが想像できない。そう思う今日このごろだ。
結果が全て。いつも自分に言い聞かせてきた。
今年僕たちの残した結果は「対抗戦A昇格」という目標にあまりにも遠かった。
高校時代、部員不足のためまともにラグビーをしないままラグビー部を引退した僕は、ラグビー(もどき)に費やした高校3年間を無駄にしないためにも今度こそ結果を残し、胸を張ってラグビー経験を語れるようになるため東大ラグビー部への入部を決意した。しかし、入部当初、初心者に毛の生えた程度の実力しか持っていなかった僕にとって、川島や安井、白石のやプレーするラグビーは全く別世界だった。そんな僕が4年後に結果を残すには、とにかく努力するしかなかった。周りと同じ程度の努力では結果を残すどころか、4年生になった時にメンバーに入ることすらできない。朝は1番早くグラウンドに出て、練習後は誰もいなくなるまで自主練した。試合の映像を何度も見直し、人からアドバイスをもらい、練習し、できることが少しずつ少しずつ増えていった。4年間の1コマ1コマで、怠けず、愚直に精一杯取り組んできたつもりだった。
でも、結果は残せなかった。
過程や努力自体にはなんの価値もない。本当に評価されるべき努力は評価される結果を残す。僕の心血を注いできた7年間は評価されなかったということだ。
対抗戦が終わってから、この7年間が無駄ではなかったという言い訳を探すのに必死だった。ラグビーで培った不屈の精神力だとか、同じ釜の飯を食ったかけがえのない仲間との友情だとか、本気で掴んだ勝利の味とか、成長の喜びとか、そんな曖昧で、陳腐なきれいごとをかき集めて満足しようとしている自分が嫌で、嫌で仕方ない。
この学生時代の7年間を無駄にしない方法は、ラグビーとは別のかたちであっても、今度は人生という舞台で結果を残し、「学生時代にラグビーをやっていたおかげだ」と胸を張って言うことだと思う。それが、ラグビーで結果を残せなかった僕の、今までラグビーでお世話になった多くの方々への恩返しになると信じている。
次は副将の白石にお願いします。
次は副将の白石にお願いします。
田中遼平
有終の美を飾ろう[ラグビー部リレー日記]
投稿日時:2013/12/18(水) 20:40
安井より、バトンを受け取った4年加納です。
今日は12月18日。我々4年生にとって引退試合となる京大戦までもはや秒読みとなった。永遠に続くと思われた朝練の為の早起きも残すところあと2日。自分にとって困難であることも永遠には続かないということは経験上わかっていたつもりだが、本当に終わってしまうのかという若干の感慨を持ちながら、あと2日早起きしよう。寒いけど。
とにかく、23日は最終試合である。それで私のラグビー人生も一区切りということで幼い12歳の頃から続けてきた習慣を終わりにするという人生初の体験を控えている。
引退後、自分がどのようなモチベーションによって日常を送ることになるかは五里霧中であるが今は、迫りくる引退後の生活を気にしても仕方がないだろう。京大戦を何が何でも勝利で終えることが必須である。でなければ前に進めないと思っている。
対抗戦Aに昇格するという今年の目標は果たせなかったが、怪我もなくシーズンを終えられることは幸せなことだ。
個人としても、チームとしても今年目指した理想型、東大のラグビーを出したい。AチームもBチームも東京大学ラグビー部全員の力で勝利したい。そのために最後まで努力する。
最後のリレー日記としては、短い文章かもしれないが今の気持ちは言葉にならない。
ともあれ京大戦勝利で有終の美をかざろう。
次は同期で主務の田中遼平にお願いします。
今日は12月18日。我々4年生にとって引退試合となる京大戦までもはや秒読みとなった。永遠に続くと思われた朝練の為の早起きも残すところあと2日。自分にとって困難であることも永遠には続かないということは経験上わかっていたつもりだが、本当に終わってしまうのかという若干の感慨を持ちながら、あと2日早起きしよう。寒いけど。
とにかく、23日は最終試合である。それで私のラグビー人生も一区切りということで幼い12歳の頃から続けてきた習慣を終わりにするという人生初の体験を控えている。
引退後、自分がどのようなモチベーションによって日常を送ることになるかは五里霧中であるが今は、迫りくる引退後の生活を気にしても仕方がないだろう。京大戦を何が何でも勝利で終えることが必須である。でなければ前に進めないと思っている。
対抗戦Aに昇格するという今年の目標は果たせなかったが、怪我もなくシーズンを終えられることは幸せなことだ。
個人としても、チームとしても今年目指した理想型、東大のラグビーを出したい。AチームもBチームも東京大学ラグビー部全員の力で勝利したい。そのために最後まで努力する。
最後のリレー日記としては、短い文章かもしれないが今の気持ちは言葉にならない。
ともあれ京大戦勝利で有終の美をかざろう。
次は同期で主務の田中遼平にお願いします。
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