ラグビー部リレー日記

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ニンニク入れますか?

 written by 池上 暁雄 投稿日時:2022/04/06(水) 22:42

バックスで体は小さいですが、同じく大きいものが好きな前川さんからバトンを受け取りました、新2年生の池上です。大は小を兼ねるのです。

さて、前回は僕のラグビー歴について長々とお話ししましたが、今回は少しタイムリーな話題です。18歳に引き下げられた新成人の年齢、恩恵を受ける輸出産業が限られる中で続く円安など、日々世界は目まぐるしく動いています。そんな中で触れたいのは、3/30に放送されたラーメン二郎の創始者、山田拓美さんのドキュメンタリーです。どのようにして全国に42店を展開する人気店となったのか、語られることのなかった山田さんの胸中、ある種昭和らしさの残る弟子との関係、行ったことない人でも行きたくさせる興味深い内容となっています。

最初に、二郎に行った時のことを強く覚えています。父に連れられて、神保町店で小豚のヤサイアブラマシを苦しくなりながら食べたのが始まりです。以降、塾の近くにあった新宿小滝橋店を中心に、三田本店や環七新代田店など巡った数は多くないですが、二郎系なども含め通い続けています。なんといっても、魅力はガツンとくるニンニクと濃いスープ、デロデロしつつ極太の麺と山のように盛られたヤサイ、そして口に入れた瞬間ほぐれる厚切りされたチャーシューです。一口目は、美味しさを心の底から楽しむことができます。しかし、食べ進むに連れて胃袋が膨れ、脂を体が受けつけなくなり、チャーシューの脂身を最後に口に入れる頃には、少しグロッキーになってしまいます。それでも、食べ終わって店を出て数日過ごすうちに、また食べたくなるのが不思議です。

また、二郎といえば、「ジロリアン」と呼ばれる愛好者たちと、厳しいと言われる独自ルールで有名です。そして、それがネタにされた真偽の定かでない面白いコピペ(2chなどの電子掲示板への投稿)が数多く存在します。以下はその一つです。

二郎にいくと、周りの客が敵に見えるのって俺だけだろうか。
二郎を食うという興奮以外の、妙な緊張感から変なアドレナリンが出てくる。
この間、1ロット5人の店でカップル×2+俺だったのね。
そのカップルは明らかに一見っぽいんだけど、
そのうちの男1人が大で注文してやがんの。女二人は小。
もちろん俺は大で、店主どうすんのかなーと思っていたら、
俺のを特大にしやがったw
多分、時間かかりそうだから俺に回したんだろうな。
ほんとはこういうのダメなんだぜ。
店主の期待に応えねばならんと頑張りましたよ。ええ。
大の男は結局残していたけど、俺はロット乱すことなく完食。
特に店主とは声を交わさなかったけど、
ああいう認められた瞬間ってやっぱうれしいわ


よくわかりませんが、虚勢を張っている感じが伝わってきます。ロットというのは、一度に調理される分のことです。二郎では、数人分の麺を同時に茹でるため、可能であれば同ロットで提供された他のお客さんと同じくらいに食べ終わるのが理想とされているそうです。他にも、

二郎に行く資格があるのは常連だけ。
10回以上来た事のない新参は来るな

という、大矛盾した投稿など面白いものが多いので、もし暇があれば見てください。
(参照: https://youtu.be/4Qx-3qTcyyY)

最後に、文頭で大は小を兼ねると書きましたが、二郎に初めて行く場合は大を頼まない方がいいとも思います。大に挑むときは、胃袋を開けて、心の準備を万全にしてからです。ヤサイのマシマシも写真などで量を確認しないと予想外に多くて詰むことがあります。茹でもやしを黙々と食べ続けるときは少し虚無感に襲われます。

次は、今年度から1番に転向した河内さんにバトンを渡します。入学時に50kg台だったらしい河内さんは、順調に体重を増やし番号を上げ、筋トレでも部内トップを争う、最高にかっこいい努力の人です。実は最寄駅が同じなのですが、遭遇したことは一度しかありません。また、「やめてね」という同期からよくいじられる河内さんの口癖は使い勝手が良すぎるため、新2年の間でも流行っています。
 

未来は俺等の手の中

投稿日時:2022/04/03(日) 23:52

もりぞーからバトンをもらいました、三年の前川です。もりぞーは髪色やファッションがかっこいい感じで強そうだなと勝手に思っています。あまり話していないので表面的なことしか述べられず、すみません。もう少し後輩と話そうと思います。

長かったような気も短かった気もするが、今日で春休みは終わり、明日からは授業が始まります。部活動にとって授業がない期間なんて強化のチャンスであるからして、週六の練習が計画されるほど練習が厳しくなると最初思っていました。予想通りに、BBCとかいうグランドトレーニングが始まり、ボールを触らずに練習が終わることもざらでした。練習とウェイトで一日が終わることもありました。なんにせよ辛かった春休みの練習がようやく終わりました。


だが、その中で一番しんどかったのは早起きすることでした。入部してだいぶ経っているのに今更そんなことを言うのかと思われるかもしれないが、本当に早起きがつらい。高校の時から早起きはつらかった。高校の時は八時に起きて、五分で用意して学校に行くという生活をしていた。高校には、路面電車で行っていたが路面電車は交通事情によって一、二分の遅れが起きやすく、時刻表通りに電車に乗り且つ最寄りからダッシュすることで間に合う計画を立てていた僕はよく遅刻していました。

そんな僕も大学生になり、早起きとは無縁の生活が始まると思っていました。実際、ラグビー部に入るまではそうでした。三時くらいに寝て、二限の直前に起きるという生活をしていました。ALESAで、学校の始業時間と成績の関係性を調べるくらいには早起きを嫌っていました。

ですが、ひょんなことからラグビー部に入ってしまったことで僕のこの生活は終わりを告げてしまいました。朝練が七時から始まるので、五時半には起きなければいけません。今まで寝ていた時間に起きなければいけない。これは多大なるストレスでした。しかし、一年生の頃はまだ新入生特有の謎のやる気があり、まだ耐えられていました。

二年生になると、そのやる気もどこかへ去り、早起きがつらくなりました。ユニバやアイドルの握手会に行くのとは違い、なぜむさくるしい男たちに会いに早起きしなければいけないのかと毎週不機嫌な面持ちで練習に行っていました。練習が始まるギリギリにつくとアップも十分にできないので早く行くに越したことはないのですが、それよりも寝たいという気持ちが勝ってしまっていました。

そして、三年になり、春休みの練習が始まりましたが、そこには大きな変化がありました。
それは、朝練の開始が九時からになったことです。僕は感動しました。偉大なるキャプテンの英断に、僕もあの人のように素晴らしい人になりたいと思いました。これで朝の苦痛から解放されるだろうと。

ですが現実はそう甘くありませんでした。練習がハードになった分、昼寝をしてしまい夜眠れなくなり、結局朝眠いということになってしまったのです。そう、何時だろうと朝は眠いという結論にたどり着いただけでした。

次はあきおにバトンを回します。あきお自身も大きいですが、あきおは大きいものが好きなそうです。
 

Tinbergen's four questions

 written by 森田 明日香 投稿日時:2022/03/31(木) 18:52

同期の小野からバトンをもらいました、2年の森田です。小野は入部から怪我が多い中でずっとひたむきに努力しているので、早く復帰して元気にプレーできることを心から願っています。私もたくさん勉強してメンターとしてお役に立てるように頑張ります。そしてご飯も行きましょう!



リレー日記はまだ2回目なのですが、締め切り2時間前の今もまだテーマが浮かばず困っています。一度くらい先輩たちのような内容の濃いものを書いてみたいものですが、今回も到底書けそうにないので普段から興味を持っていただけることの多い私の髪色について書くことにします。


私は、多くのみなさんと同じように高校卒業後にはじめて髪を染めました。このときはまだ落ち着いた茶色だったのですが、何を思ったか夏頃に金髪にし、それ以来明るい色を維持しつつ飽きてきたらグレーや紫、ピンクなどを入れて楽しんできました。ただ社会的な印象が良くないことは重々承知しているので、もうすぐ暗いまともな色に戻す予定です。このリレー日記が公開される頃にちょうど派手髪を卒業することになりそうです。

私は夏から1ヶ月おきくらいに髪色を変えていたのですが、その直後の部活に行くと毎回先輩からも同期からもたくさん話しかけてもらえてとてもうれしかったです。みなさんいつもお付き合いありがとうございました。褒めてくれる人もいれば、派手すぎて引いているんだろうなという人もいましたが…

さて、はじめの頃は、「なんで髪染めたの?」と聞かれることがよくありました。これが意外と難しい質問で、前から染めたかったから、金髪の方が似合うと言われるから、髪色が明るいと自分の気分も明るくなる気がするから、などいろいろ浮かぶのですが結局なぜなのか自分でもよく分かりません。

私が金髪に染めたことのように、ある種の衝動に基づいた行動に理由を見出すのは結構難しくてモヤモヤしていたところ、先学期に取っていた進化学という授業の中でこのモヤモヤにしっくりくる説明を見つけたのでここで紹介したいと思います。(以下は授業スライドを参考にしました)

みなさんは、「ティンバーゲンの4つのなぜ」というものをご存知でしょうか?
これは、動物行動学者のニコ・ティンバーゲンが1963年の論文で提唱した、動物の行動の研究の目的となる4つの要因、言い換えると「ある生物現象がなぜみられるのか」という問いに対しての4種類のアプローチのことです。

この4種類というのは、「生き物をめぐる4つのなぜ」(著・長谷川真理子)によると

物理的要因(至近要因)…直接の要因、メカニズム

発生的要因…個体の一生の間にどのような発達をたどったのか

歴史的要因…祖先からどのような進化の過程を辿ったのか

適応的要因(究極要因)…どのような機能があるから進化したのか

と表現されます。

例えば「シジュウカラという鳥はなぜ春になると歌うのか?」という問いに対しては、

物理的要因(至近要因):季節変化を感知しホルモンが変化するから

発生的要因:幼鳥が成鳥の歌声を聞いて学習していくから

歴史的要因:上手く歌わない祖先から上手く歌う祖先が分岐したから

適応的要因(究極要因):歌うオスの方が繁殖成功率が高かったから

と答えられます。

この理論はもともと生物の行動に対して提唱されたものですが、日常生活のさまざまな疑問にも適用できると思います。そして私たちは「なんで〇〇したのか」「なぜ〇〇なのか」という種々の問いに対して、多様なアプローチの中からおそらく無意識のうちに求められている最適な答え方を選択することができています。

ここで話を戻して、「なぜ私は金髪なのか」という質問に対して上の理論を当てはめると、多少強引ですが、

物理的要因(至近要因):美容院に行ってブリーチをしたから

発生的要因:染めるのを我慢していた中高6年間の反動で染めたくなったから

歴史的要因:髪を染めるという文化が日本に成立しているから

適応的要因(究極要因):明るい気持ちになれて評判もいいから

という感じになります。

おそらく「なんで髪染めたの?」と話しかけてくれる方々への最適な回答は、他の多くの日常的な疑問がそうであるように、発生的要因か適応的要因だと思います。今まで「え~、なんでですかね~!」とか適当に答えていてごめんなさい。


ここまでいろいろ書きましたが、ブリーチはお金も時間もかかるし頭皮にもよくないのであまりおすすめできません。私は将来はげる気がして今からとても心配です。

それはともかくとして、ある質問に対してアプローチの違う答えを4つ考えてみるというのはなかなか良い暇つぶしになると思います。今は新歓期真っ只中ということで、「なんでラグビー部に入ったのか」という質問への答えをちょっと考えてみたのですが、特に適応的要因は人それぞれ違って興味深い気がします。これを読んでいる新入生の方がいたらぜひグラウンドで答えを聞きにきてください!



次は、3年の前川さんにバトンを渡します。普段はクールですが内に秘めた闘志はとっても熱そうです!

冬休み

 written by 小野 光毅 投稿日時:2022/03/26(土) 10:06

めちゃくちゃ仕事のできる4年スタッフの榎園さんからバトンを受け取りました、新2年の小野です。部内有数の文才を誇り、美しい文章をお書きになるエノキさんの後で恐縮ですが、僕は中学生の作文レベルの文章しか書けないのでご了承ください。新歓期に、自分がラグビー部に入部するか迷っていた時、エノキさんは親身に相談に乗ってくれたことを思い出します。おかげで今の僕があります。ありがとうございます。いつになるかわからないですが、スモブラ飯行きましょう!

前回の僕のリレー日記は内容が薄すぎたので、今回はもう少し内容を考えて、遅ればせながら今シーズンの意気込みを書こうと思います。怪我人あるあるの暗くてイタイ文章になってしまったらごめんなさい。


右肩の怪我から復帰したばかりの去年の冬に、今度は左肩を怪我した。MRIを撮ると、骨が削れているということでまた手術することが決まった。自分としては、驚いたというより、やっぱりか、という感じだった。自らのプレーを振り返ると小学校から高校まで、考えてプレーするよりも本能でプレーしているようなことが多く、コンタクトプレーもいい意味でも悪い意味でも躊躇なく行ってしまう感じだった。後先考えず逆ヘッドでタックルに入ることもあったし、トンガ人に突っ込んで痛い思いしたこともあった。これまでのそういった衝動的なプレーの蓄積として、ガタが来ているのが右肩だけなはずないだろうと内心薄々気がついていた。


だだ下がるモチベーションをあげるために、12月の京大戦をひとつの目標にした。手術は即座に行うこともできたが、日程は京大戦の後にずらしてもらった。昨年の京大戦は東大の100周年記念ということで、特例的に秩父宮ラグビー場でプレーできることが決まっていた。秩父宮という素晴らしい舞台でいいプレーができれば、その後に待っている辛いリハビリ生活が乗り切れるような気がして、練習に励んだ。


京大戦当日、いざグラウンドに足を踏み入れると、いつも自分がテレビで見ている秩父宮の土の上に自分が立っていることを実感して身震いがした。それと同時に、トップリーグの選手や強豪大学の選手たちが見せるような華麗なプレーがこのグラウンドで自分にもきっとできると信じてもいた。


結果は散々だった。京大C相手に一得点もできず、個人としても全く納得のいくプレーができなかった。何本もトライを取られ、とぼとぼインゴールとハーフェーを往復している自分が情けなかった。試合中何度も自分が勝負できるサインを出してくれた仲間や、病院の先生、トレーナーさん、DLの同期と先輩、そして治療費や食費などで様々な迷惑をかけたのに自分のプレーを楽しみに観に来てくれた親に申し訳ないと思った。

そこからまたDLに戻り、手術、入院、退院までは一瞬だった。気がつくと自分はまた半年前と同じ、片腕を吊った無力な怪我人になっていた。体重も7キロほど落ちていた。自宅療養期間はあえてラグビーからは一歩おいた生活をしていた。youtubeで好きな選手の動画を見るのも、大学ラグビーを見るのもやめた。ラグビーのことを考えたとき、自分の京大戦でのプレーが想起されるようになってしまっていた。自分の現状と、目標の選手や大学選手権で一年生ながら活躍する旧友たちとの埋めがたい差を直視するのが嫌だった。

そんな憂鬱な思いを心の隅に抱えたまま生活していた頃、膝も怪我していることがわかり、怪我ばかりの自分に本当に嫌気がさした。膝も手術するとしたら、自分のモチベーションがどこまで持つか自信がなかったから、大好きな東大ラグビー部に残れるかどうか本当に不安になった。幸い、トレーナーさんやお医者さんと話して手術はしないことになったが、代償として膝の痛みと向き合いながらプレーを継続しなくてはならなくなった。

ケガの方針が決まり、自分勝手に休養をいただいていた部活に久々に戻ると、いろんな人が声をかけてくれた。「手術お疲れ様」とか「早く復帰しろよ」とか、言ってくれた本人は覚えてないかもしれないが、自分としては嬉しかったし、みんなと一緒にプレーするために頑張ろうという気になれた。コーチには、自分の中で封印していた京大戦のプレーをなぜか褒めてもらえて、そのおかげもあって今となっては試合のビデオを見ることができるようになった。新歓期から東大ラグビー部にはいい人しかいないなあと思っていたが、その人たちに救われたような気がした。


ケガの方針が固まり、復帰目処もついた今やるべきことは、また京大戦のような思いをしないために、すべきことは全てやり、完璧な状態で復帰することである。その決心がついたのは最近だが、少しでも理想の選手に近づくために全力で頑張りたい。


自分の中に溜まっていたものを吐き出したようなまとまりのない文章になってしまいましたが、一種の決意表明だと思ってください。

次は同期のマネージャーもりぞーこと森田さんです。もりぞーはすぐ髪の色がかわる(しかも派手な色)ことで有名ですが、この前久々に部活に来たら今度はピンクになっていてびっくりしました。確かもりぞーとはまだご飯に行ったことがないと思うので、今度いきましょう。

この目に見えないものを

投稿日時:2022/03/25(金) 21:00

リレー日記大好き仲間である同期の三方からバトンを受け取りました、4年スタッフの榎園琴音です。ナイスリレー日記でした。三方と喋っていると、この人頭良いなとか、頼りになるなと思うことが多いです。4年生になってから、FWリーダーとしてアフターのユニット練を仕切る様子を頼もしく思いながら日々ビデオを撮っていますが、先日はモールから飛び出してきた三方に轢かれそうになってしまいました。

今回のリレー日記は、1つの文章を一ヶ月以上かけて書くわたしにしては珍しく、直前になっても書くことが決まらず本当に困ってしまいました。そこで、2020年から毎年書こうとしては下書きの段階で挫折してきたテーマを引っ張り出してきて、きちんと向き合ってみる事にしました。お付き合いいただけると嬉しいです。

先日、とある後輩と話していて仰天しました。彼が、スタッフの練習開始前の仕事はテーピングとアイシング用の氷作りのみだと思っていたからです。実際は他にも色々と仕事は存在しており、ドリンク作り、ビデオ・脚立・薬箱といった用具の準備、ジャージチェックなどを日々行っています。水道の水でプロテインを溶かすプレイヤーと並んでドリンクを作るなど、彼らの視界に入りやすいところで仕事をしている部分も多くあるので、そうかそれほどわたしたちの動きは目に入っていないのか、と純粋な驚きを感じました。

最初は「それやばいよ」などと言って彼を平謝りさせていたのですが、実はこうしたことはわたしにも思いあたる節がいくつもあり、そしてその事実に後から気づいたため、過去2年分の没リレー日記をPCから掘り起こすに至りました。以下はその引用です。

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2020年5月 2年生
先日、ともかさんが「ベンチコートは今度クリーニングに出すから~」といったようなことをおっしゃっていました。1年使い続け異臭を放ち始めた部のベンチコートもようやく綺麗になるのか、よかったよかったと思っていたのですが、数日後に「ということはスタッフの誰かがベンチコートを部室からクリーニング屋に持って行かないといけないのか」ということに気づきました。その仕事の存在がわたしには見えていませんでした。
思えば入部してからそんなことを繰り返してきました。
確かにそこに存在していたのにも関わらず、「それ」を知らずに生きてきたことを知ると、今までの自分は何を見ていたんだろうと、毎度毎度、己がすごく間抜けな存在のように思えます。

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2021年6月 3年生
先日、諸事情でラグビー部主務専用メールアドレスのアカウントにログインさせていただきました。このメールアドレスを使って、ラグビー部主務(今年度は津田さんです)はOBさんや他大学の主務と連絡をとっているのですが、次々と届くメールの量に目が飛び出し、腰を抜かしそうになりました。主務が大変で忙しいというのは昨シーズン主務の太田さんを横目で見ながら十分わかっているつもりでいたけれど、本当は実態など何もわかっていませんでした。もちろん主務の仕事はメールのやり取りのみではないですし、この業務をプレーと両立している津田さんは本当にすごいです。いつもありがとうございます。

他にも、同じ同期スタッフであっても違うセクションに所属している人の具体的な仕事内容を全て把握することはできていないし、あの人はめちゃくちゃ忙しそうに見えるけれど実際いつ何をどんな風にやっているのかしら?と思うこともあります。スタッフ組織外のことになるとそれは尚更で、今プレイヤーが苦しみながらも毎度頑張っているCCの雰囲気や実態もよくわかっていないです。

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自分の視野の狭さには、入部してから随分と悩まされました。複数のことに気を配るのはもともと苦手です。一つの作業に集中しすぎてしまう。練習中に起きた怪我などのイレギュラーなことに気づけない。手が空いた時に何をすればいいのかわからなくなってしまう。などなど。1年生の時には、毎練習自己嫌悪に陥っていました。

とは言っても、こうしたもともとのわたしの性質は、時間の経過とその中でのトライアンドエラーがある程度解決してくれる部分もあって、入部から3年経った今では、少なくとも入部直後の自分と比べると色々なことが見えているように思います。

一方で、自分のことだけで手一杯で余裕がなかった1年生の時に比べると色々なことを考えるようになり、そこでまた新たな戸惑いや反省が生まれていきました。今引用した没リレー日記がまさにその例です。

2年生のわたしは、自分以外の何かに思いを馳せることができるようになったという点で進歩を遂げています。そして、「他のスタッフの仕事が見えていなかったこと」というか、作業自体は知っていたのにそこに他者の労力を見出すことができなかったことにショックを受けています。

3年生のときには、スタッフだけではなく、学年が上がるにつれて関わりが生まれた主務について今までよく知らなかったこと、そして現在進行形でプレイヤーの状況をしっかりと理解できていないことに課題感を感じています。

毎年いろんな気づきがあり、その度に視野が広がった気がしてきました。

ラグビー部に入るまで、「視野が広がる」というのは、例えば今まで30度しかなかった視界が、60度、90度と幅を広げていくことなのだと思っていました。
けれど、そこに確かに存在するのに今まではぼやけてよく見えなかったものが、だんだんと色や形を現し始め、わたしの目がそれを捉えられるようになっていく。それもまた、「視野が広がる」ではないかと思います。

最高学年になった現在のわたしの視界はどうでしょうか。まだまだピントが合っていないようです。

私が広報セクションリーダーになってからそろそろ1年が経ちます。そして12月の卒部までも、やはり広報セクションリーダーでいるつもりです。

広報セクションは、スタッフがリーダーを務めながらその構成員の多くがプレイヤーであるという、少し珍しい構成を取っています。厳密には体づくりのS&Cセクションも同じような構造を持ち、同期スタッフの彬くんが大量の”野郎”(S&Cに所属するプレイヤーのことです)を率いているのですが、S&Cと広報には決定的な違いがあるというのがわたしの意見です。

乱暴な言い方であることをわかった上で言うと、プレイヤーにとってS&Cは「自分ごと」で、広報は「他人ごと」です。

ウエイトをする、良い食事を摂る、睡眠時間を確保する。S&Cがアプローチする要素の一つ一つがラグビーでの勝利に直接つながっています。ならば、そこを強化するための方策にプレイヤーが関与するのも、非常に自然なことというか、自分のことなのである意味当然のようにも思えます。

対して広報は、「組織力の向上」や「応援してくださる方への還元」などを目的として動いている組織です。広報で行ったことは回り回ってチームのため、ひいてはプレイヤーのためになっているのだけれど、じゃあそれを実感しながら日々の仕事を行えるかと言われると、それはまた別の話だと思います。

もちろんわたしは広報なくしてチームは成り立たないと思っていますし、そこにプレイヤーの視点が入るということにも大きな意義があると信じています。かといって、広報への参画がプレイヤーのラグビーを阻害してしまっては本末転倒というか、元も子もありません。プレイヤーはプレイヤーである前に一部員だ、という論理の存在は知っているしそれは実際本当に正しいのだけれど、その綺麗事が通用しないほどタフ(にわたしからは見えている)なのがラグビーというスポーツで、スタッフというサポートの立場が部に存在する以上、組織力の向上とラグビーの上達とでは、大きな力を割くべきはやはり後者なはずです。それがラグビー部という組織の本質ですし、広報する対象が脆弱では、せっかくの広報の意味も無くなってしまいます。

その中で、どこまでプレイヤーに負担をかけていいのかがわたしには「見えない」んだよな、というのが、近頃考えていることです。今シーズン登場した練習メニュー、BBCのつらさが「見えない」。練習の合間に詰め込むパンの苦しさが「見えない」。(厳密には苦しんでいる姿を目にしてはいるのだけれど、その苦しみの度合いを心底理解してあげることはできないという意味です。)練習の疲労度の高さが「見えない」。家に帰ったら襲ってくる睡魔が「見えない」。そんなスタッフのわたしが、セクションリーダーのわたしでも大変だと思うことが多々ある作業をプレイヤーにあれこれお願いしてしまっていいのか。それはそこまでしてやる意味があることなのか。プレイヤーは大丈夫と言ってくれるのだけれど、そもそもこの構造自体が歪んでいはしないか。考え出すとぐるぐるぐるぐる、きりがありません。

これまでの、気づきによってどんどん視野が広がっていく経験とは異なり、わからないものがわからないままになっている宙ぶらりんな状態が今のわたしです。そして、本件に関して明確な答えは見つからないのだろうとも思っています。そうした中での最近の気づきが何かあるとしたら、ラグビー部という組織、そしてその構成員について全てを正しく理解するのは「絶っっっっ対に無理」と思うようになったということです。以前は、努力と気づきを重ねればいつかは部の全貌が見えるのだと心のどこかで信じていました。1人の人間が全てを把握できるほど、この部は単純ではありません。4年生だからといって全能になれるわけではないのです。

そのことに気づいたにもかかわらず、冒頭のエピソードのように後輩をネチネチ責め立ててしまったというのもやはり、依然として狭いわたしの視野によるものなのかもしれません。ごめんね池田くん。

この目に全ては見えません。だからと言って、開き直って漫然と過ごしてもいられません。

卒部まで視野を広げ続けるにはどうすればいいのでしょうか。

答えは、東大ラグビー部の「多様性」にどのように向き合うか、というところにあるのだと思います。

ラグビー部の魅力を聞かれて多くの人は「雰囲気」と答えますが、次に多い答えが「多様性」です。ラグビー部には本当に色々な人がいます。出身もラグビー経験も性別も性格も価値観も様々です。そして、先ほどから述べてきたことからもわかるように、部の中で果たす役割もそれぞれが大きく異なっています。「スタッフ・プレイヤー」の二項対立はもちろんのこと、スタッフ一人一人の仕事も大きく異なっていますし、プレイヤーも本業のラグビーに加えて各々が各々のフィールドで部に貢献しています。

いろんな人がいて、楽しい。いろんな関わり方があって、皆が輝ける。

でもそれだけではダメなのです。

多様性をただ楽しみたいのだとしたら、例えば集まりたい時に集まり好きな場所に遊びに行くようなサークルに所属すればいいのだと思います。そうした団体のことをこの目で見てよく知っているわけではないけれど、所属人数もラグビー部よりずっと多くて、顔を出すたびに新たな出会いがあるのではないかと想像します。

対してわたしたちは、特段の理由がなければ欠席が許されない週5、6回の練習で日々同じメンバーと顔を突き合わせ、特段の理由がなければ去ることのないこのラグビー部という運動会組織を全員の手で作り上げていかなくてはいけません。

そして、多様なバックグラウンドを持ち、部に対して多様な関わり方をしつつも、チームで掲げた「入替戦出場」という目標だけは、全員が一様に目指し続けなくてはなりません。

そんなわたしたちに必要なのは、他者への徹底的な思いやりなのではないかと思います。

他者が自分とは違う存在であることを認識する。それゆえ、他者の立場や考え方が自分とは異なっていること、それぞれに得意なこと・不得意なことが存在することを受け入れる。何かの功績の上には何かの犠牲があったことを知っておく。自分の価値観を相手に押し付けない。自分だけが何かを抱え、背負っていると思わない。他者の努力や貢献が目に止まったらそれを認め、声に出してその感謝を伝える。

そして、そうした誠実な在り方を通してもなお、自分の目に見えていないものが確かにあることを自覚する。

本当に魅力的な「多様性」とは、ただ違っているということではなく、そこに属する人たちがその多様性を理解し、尊重する姿勢を見せている状態なのではないでしょうか。

人の努力であれ、痛みであれ、優しさであれ、世界にはまだまだわたしが見つけられていないもの、見えていないものが存在します。誰かをきちんと理解してあげられなかったこと、そのせいでうまく向き合えなかったこともたくさんあります。未熟です。

けれど、薄もやのようにわたしの周りに広がっている世界に目を凝らし、それらを一つ一つ見つめていくことでわたしももう少し優しくなり、人として高みに行けるような気がします。他者が考えていること、抱いているものに常に思いを馳せる。卒部までの9ヶ月間、そういった東大ラグビー部員でありたいし、そうあらなくてはならないのだと思います。

そんな決意表明のようなものをもって、例によって読む人のことを全く思いやらない長さのわたしのリレー日記を締め括らせていただきます。

最後までお読みいただきありがとうございました。

次は、おっとりとした雰囲気を身にまとった2年生の小野にバトンを渡します。本人にその認識があるかわかりませんが、わたしは新歓期に小野のリクルーターを務めており、ラグビー部に入部するにあたって肩の怪我とどう向きあっていくか悩む様子を少しだけ知っていたということもあり、今も怪我がちな小野のことをこっそり心配しています。復帰楽しみにしています、色々落ち着いたら去年のスモブラでもつ鍋食べに行きましょう!

[広報宣伝]
このリレー日記で書いたわたしのちょっとした葛藤と、広報セクションメンバーの多大なる貢献を経て現在完成を間近に迎えているのが、「東大ラグビー部100周年記念ドキュメンタリービデオ」です。動画編集未経験の下級生、就活で忙しい同期、卒部を迎え本来は部の仕事から解放されて然るべきであった5年生など、さまざまな立場のプレイヤー・スタッフ混合メンバーにご尽力いただき、半年がかりでやっと完成の目処がたちました。東大ラグビー部の100年の歴史や、100周年の代である杉浦組の1年を追った1時間ほどの映像作品です。
近日公開しますので、ぜひご覧ください。

※3/31(木)追記
ついに公開しました。下記URLからご覧ください。
https://youtu.be/l5PMbnyBWEk



 
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