ラグビー部リレー日記

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やるかやらないか

投稿日時:2019/11/09(土) 18:18

ストイックにラグビーに取り組む姿がとてもかっこいい2年の杉浦さんからバトンを受け取りました1年の河内です。先日の他大学との合同練習ではBKにも関わらずFWのpick go練習に参加されていて驚きました。



初めてのリレー日記では新生活を始めた春からの僕のモットーについて書こうと思います。拙い文章ですが、お許しください。



ここ最近ずっとモットーにしていることがあります。それは「やるかやらないか迷ったらやる」です。「思い立ったらすぐ行動」「やらずに後悔よりやって後悔」と同じかと思っています。



何故これがモットーなのか、話は今年の1月に遡ります。優柔不断、迷い始めると終わりがない自分はセンター試験を終えても受験校を決めきれておらず、夜遅くまで起きては悩む日々が続いていました。精神的に消耗し、大学生になることを機に出来る限り迷うことをやめようと考えました。その時、「やるかやらないか迷ったらやる」をモットーにしようと決めました。


大学生になり、毎日が新鮮で選択の連続だったこの春、ずっとこのモットーを意識していました。二外でロシア語を選択をしたり、クラスの人に話しかけてみたりといったことから、帰り道をいつもと少し変えてみたり、目についてしまった道のゴミを拾ったりといった些細な事までです。

 精神的に疲れないということ以外にも、

・悩むことに使う時間を節約できる

・「やらない」で後悔した時より後悔が小さい

など色々といいことがありましたが、何よりも、1日に何度も小さな挑戦をすることで毎日が楽しくなりました。



ここ半年で一番大きな決断は間違いなくラグビー部に入部したことです。部活に入るということの重さなどからさすがに簡単なものではありませんでしたが、ここでもこのモットーが決め手の1つとなりました。あの時あの決断をできて本当に良かったと今では思っています。



次は、新歓ブースで僕を笑顔で迎えてくださり、グラウンドまで一緒に行った3年の松井さんにバトンを回します。夏には僕のあだ名を考えてくださるなどその後も色々とお世話になっています。

ラグビーノート

 written by 杉浦 育実 投稿日時:2019/11/05(火) 17:47

リレー日記でこぼしてしまうほど失恋をひきずり続けている1年生男子スタッフのあきらからバトンを受け取りました。2年の杉浦です。

今年の対抗戦も残すところあと2試合となりました。なかなか勝ち星を上げることが出来ず苦しいシーズンが続いておりますが、勝利を掴むべくチーム一丸となって最後まで戦い抜いていきます。引き続きご声援のほどよろしくお願い致します。

このリレー日記では、今シーズンから書き始めたラグビーノートについて書こうと思います。

一流のスポーツ選手が練習ノートをつけているという話をよく耳にする。僕も中学高校と顧問の先生方からノートをつけようと言われることが多々あった。だがその度に僕は、「ノート書いても見返さねーよ」とか「練習内容くらい忘れねーわ」と適当な理由をつけてノートを書くことはなかった。

そんな僕がノートを書こうと思ったのは、学年が上がり任せてもらえる仕事が増えたからなどとカッコイイ理由を言いたいところだが、実際は単なる思いつきである。

そんな思い付きで書き始めた始めたノートには、初めのうちは練習内容や戦術の話といった形式的なものが並ぶだけだったが、次第に練習の振り返りや自分のやりたいプレー、そしてラグビーに対する感情をより具体的に自分の言葉で書くようになった。

ノートの中身が充実するにつれて自分の中で変わっていったのは、練習に対する姿勢である。
漠然とした目標を抱きながらただこなすだけになっていた練習に、明確な目標をもって前向きな姿勢で取り組めるようになった。嫌いだったフィットネスにも意味を見いだせるようになってきた。


対抗戦シーズンが始まってからは、感情を書くことが増えた。感情を言葉にして文字として書き記すことで、見返すことはなくとも、自分の中により鮮明に刻み込まれる。
今、僕のラグビーノートに綴られているのは悔しさや不甲斐なさといったネガティブなものばかりだ。その一方で、自分の中では勝利を求める気持ちが日を増すごとに強くなっている。勝ちたいとどれだけ思っても勝てるとは限らないし、ノートを書いていればラグビーが上達するわけではない。
でも、勝ちたい気持ちがないやつには絶対勝利は掴めない。


まずは目の前の試合のチームの勝利のために、そしていつの日かこのノートを勝利の喜びと感動で埋め尽くすために、身を粉にして闘っていこう。

暑苦しい上に面白みの欠片もない文章になってしまい申し訳ございません。ここに書き記した言葉に恥じぬように努力し続けてまいります。

続いては、1年生の河内にバトンを回します。
いつでも優しく笑顔、好青年な河内ですが、渋谷ハロウィンでは漢の顔を見せたそうです。

 

木綿のハンカチーフ

投稿日時:2019/11/04(月) 15:45

足の怪我を抱えながらも上肢のトレーリングに励み、進振りでは見事、有言実行を果たした魚住さんからバトンを受け取りました。一年スタッフの佐藤です。ちなみに僕は魚住さんの関西弁が部内では一番好きです。

魚住さんと最初に出会ったのは新歓のテント列の日でした。
思えば、あの頃、僕の体型は、身長170cmに対し体重は53.1㎏でした。本物のガリガリ、骨に皮がついただけ、焼き鳥だったら食べるところがなくて最悪だなと思うくらいの細さをしていました。



今はちょっと違います。久しぶりに会う人はびっくりするくらいに変わりました。体型が大きく変わったのは5月、平成の終わりとともに僕の恋は終わりを告げ、そのショックを隠すかのように、爆食い、体重は激増。一ヶ月後に体重計を確認したところ5kgの増加を確認したところで、筋トレとさらなる体重の増加を決断。
この半年で、11kgの増量と筋トレの各種目での20kg近い成長という結果になりました。ベンチプレスで55kg上がるようになったとき、今までの自分の体重を持ち上げているのだというちょっとした感動がありました。

最初は不純な動機で始めた筋トレでしたが、今でも週3回のペースでやるという目標で続けています。これは失恋を引きずっているからではなく(まあ多少はそれもあるかもしれませんが)筋トレの面白さに気がついたからです。

では、僕が筋トレを続ける理由を挙げてみたいと思います。
一つ目、筋肉は裏切らない。筋トレをすればするほど筋肉がつきます。記録が伸びます。目標に届いたり届かなかったりで一喜一憂することが最近の楽しみです。

二つ目、やっぱり筋肉があるとかっこいい。マッチョはかっこいいです。憧れます。マッチョとまではいかなくても背筋がついて猫背が解消するなど筋肉があるといいこと多いと思います。

三つ目、運動神経がなくてもできる。筋トレでやることは簡単です。物体をあげたり下げたり、せっかく下げたのをまた上げて、また下げて、また上げて下げて。基本これで完結します。形から入るタイプの僕にとってはこの取り組みやすさと言うのが魅力に感じました。

四つ目、プレーヤーと仲良くなれる。筋トレを初めるようになってから一緒にいる時間が長くなり、以前より仲良くなりました。今はおもりの重量が違いすぎて一緒にできない人もいますが、頑張ってみんなに追いつきたいです。



現在僕が筋トレをするのは趣味でしかなくて、自分の好きなことをやるのは、スタッフとしての仕事を一人前にできるようになってからだとは思いますが、現状、勉強不足で先輩や同期に迷惑をかけてしまっているのは本当に申し訳ないです。頑張ります。


次は練習中に的確な意見を発言し、僕が入部したての時も気軽に話しかけてくれた、「ザ・ラガーマン」の杉浦先輩にバトンを渡します。試合中のチームを鼓舞する姿はとてもかっこいいです。

 

におい

 written by 魚住 承吾 投稿日時:2019/11/03(日) 18:59

 高校時代に演劇部だったという経験を活かし、トレーニング中にその演技力を遺憾なく発揮している1年の財木からバトンを受け取りました、2年の魚住です。同じ時期に手術したとは思えないほどの回復速度にいつも驚かされ、励まされています。ありがとう。

 僕は5月に前十字靭帯を断裂し、8月に手術を受け、復帰まで約半年かかるという状況です。さて、そんな絶望的な状況の僕ですが、今現在僕が最も悩んでいることはラグビーができないことでも、気持ちよく走れないことでもありません。(もちろん、それも相当凹みます。笑)それは部室の匂いです。

 こんなことを言うとせっかくラグビーワールドカップで盛り上がり完全に追い風である来年のラグビー部への新歓に多大なるダメージを与えかねないですが、あえて僕は言います。東京大学ラグビー部の部室は臭いです。普段は大丈夫なのですが、練習終わりでみんな汗だくの時の部室の匂いは想像を絶するものです。しかし僕はこの事実に怪我で練習出来なくなるまで気付きませんでした。

 怪我した当初はなぜこの2年の途中まで自分が気づかなかったのか不思議で仕方なかったのですが最近になってその理由が分かりました。それは練習できていた時は自分も臭かったからです。自分がその時発していた臭いが他の人の臭いと同等かそれ以上に臭かったため、あまり感じなかったのです。このことに気づいた時僕はなぜかどうしようもない悲しみを覚えました。自分が怪我でプレーできていないという事実を強く感じたのです。僕は今まで練習中でも練習を見ずに自分のリハビリやトレーニングをして、この事実から目を背けていました。この時、今まで僕の中に溜まっていたものが出てきました。

 僕が2年になり、新チームが発足したての頃、とても怪我人が多い状況でした。チームとしては良くないことですが、シニアに上がりたての僕達2年にとっては試合に出る絶好のチャンスでした。シーズン最初に行われた東工大戦では7番として80分間プレーさせてもらいました。しかし、その後脳震盪によってスイカを着られるチャンスである定期戦に出られる機会を失い、復帰できたと思ったら前十字靭帯断裂。僕は結局このチャンスを活かすことができませんでした。他の同期はみんなそのチャンスをものにして、着々とスイカジャージを着ていく中、僕だけが1人いつまで経っても着られない。僕の心の奥底に溜まっていたものは僕だけが同期の中で遅れをとっているという焦りでした。

 しかし今考えてみるとその感情と向き合えてよかったなと思います。このままでは終われない。1日でも早く復帰して成長し続けている同期に追いつきたい。そう強く思えました。復帰して激しくプレーし、他のプレーヤーのように強烈な臭いを放っていきたい。この強烈な臭いこそがラグビー部員である証なのかもしれません。

 次は将来S&Cコーチとして、某先輩のように僕らプレーヤーを肉体的、精神的に支配するであろう、1年の佐藤にバトンを渡します。

自分に今何ができるのか。

投稿日時:2019/11/03(日) 17:27

笑い声が人一倍ウルサイ河野さんからバトンを受け取りました一年の財木です。
とてもフレンドリーで気の利く彼女は一年からの人気も高く、すこし嫉妬してしまうほどです。笑


日記ということで僕の今抱えている想いを書き連ねた結果、想像を絶する長文になってしまったことを先に謝らせていただきます。


僕は小学校に入ると近所の友達がやるからという理由でタグラグビーのスクールに入りました。
そして親の転勤に付き添いイギリスへと渡り、中学の3年間を本場イングランドで過ごし、ラグビーを始めました。
帰国後、開成でもラグビー部に所属しましたが、1チームを組めないほどの部員数で、「本気でやるなら大学で。」と思い、演劇部を兼部するなど、他の高校生と比べると、とても部活でラグビーをしていたとは言えない程度での練習でしかありませんでした。
引退試合は後十字靭帯損傷により出場は叶わずそのまま引退。
そして一年の浪人を経てこの春、東大に入学することができました。

入学当初、ラグビーに対する熱は収まっており、入部するつもりは全くありませんでした。
そんな中、東京都選抜のセレクションで練習を仕切っていた杉浦先輩が東大ラグビー部に所属しているという情報を小耳にはさみ、冷やかし程度にラグビー部を見てやろうと新歓に出向きました。笑
やはり12年も楕円球を触っていると中々離れられないようですね…
すぐにラグビーに対する熱が舞い戻ってきちゃいました笑
引退時の後十字靭帯の損傷もあり、両親、特に母親は入部に反対でしたが、その反対を押し切っての入部でした。

「今年度以内にスイカを貰うこと」を目標とし、いち早くシニアに上がることもでき、7月上旬の九州大戦では早くも22のスイカに袖を通すことを許されました。
九大戦での出場時間は10分と、出場したとは胸を張れない結果となりましたが、この試合を通じて自分の課題が浮き彫りになり、より一層練習に励もうという心づもりでいました。
そして夏オフを挟み久しぶりの練習…
僕は前十字靭帯を断裂しました。
少しはしゃぎすぎたのかもしれません…笑

その後、8月の頭に手術を行い、山中湖合宿を見送ったものの、菅平合宿には何としてでも参加したいとの思いで、初めの内はリハビリに精を出すことができていました。
合宿が終わるころ、僕の長期的な目標は一年の部員数を一人も減らさないこと、としました。
しかし9月の中旬、僕の高校時代の一つ下の後輩であり同期となった中川徹平が退部を決意してしまいました。
大変おこがましいことかもしれませんが、引き留められなかったという事実は今でも僕の心に残っています。
そして僕は次の目印がなくなってしまい、途方に暮れてしまいました。

朝まだ家族のだれも起きていない時間にベッドを抜け出し、朝ご飯を食べ練習に向かう。
練習ではひたすらに筋トレ。
更に週3でのウェイトに加え、リハビリの中では一番キツイとされる前十字靭帯のリハビリをこなす毎日。
筋肉痛のない日がなく、肉体的な疲れはやがて精神的な疲労としても表れるようになってしまいました。
「あと8ヵ月もこの生活…?」
「あれ…?俺ってB&Wに所属したんだっけ?」
「こんなんするためにラグビー部入ったんだっけ?」
そんな不満がふつふつと頭に浮かび、布団から出ずそのまま練習を休むことが幾度とありました。

何度も部活を辞めようと思いました。
他の誰かのために頑張るのであればどれだけ楽だったか。
自分のために努力し続けることがただただ苦痛でした。
楽になるために「もう一度ラグビーをする」ことを何度も諦めようとしました。
そこで毎回気づいてしまうんです。
自分がどれだけラグビーが、そして東大ラグビー部が好きか、を。

モチベを取り戻すために僕はDLの先輩方がどうしているのかを見るようにしました。
面と向かって言うのが恥ずかしいですが、角田先輩と濃野先輩。
本当にかっこいいです。滅茶苦茶惚れました。
誰にも言われず部室のゴミ出しをし、部室前の掃き掃除をし、黙々と筋トレ・リハビリをこなす先輩方。
どれだけの人が気づいていますか?
どれだけの人が感謝していますか?

この二人のカッコいい先輩のせいで僕は4年生全員の、目に見えないところでの努力を全部見つけたくなりました。
文字通り最後の一年。
この4年間の集大成として何を残そうとしているのか。
僕はそれが見たい。
上智戦後のノムさんの涙なんかじゃなく成城戦後の笑顔が見たい。
勇河さんのバカでかい笑い声が聞きたいし河合さんのはしゃいでいる姿が見たい。
四年生が最高にぶっさいくな顔で泣きながら勝利を喜ぶところが見たい。
それが僕の今のモチベです。

靱帯を断裂したとき河合さんは僕にやさしい顔でこう言いました。
「怪我したのが一年でよかったじゃん。来年も再来年もその次もある。」
違うんすよ先輩。
僕は、本当は4年生と同じ楕円球を追いたかった。
少しでも同じグラウンドで同じ景色を見たかった。
キツイ練習をこなし、一緒になって湯気を身体から発したかった。
先輩とプレイできるのは今年以外ないんですよ。笑

今の4年生と同じグラウンドに立つことはできませんが、先輩方から一番近い距離で応援することはできます。
ケビン内を綺麗にすることもできます。
雑用を引き受けて負担を減らすことだってできます。

残りの限られた時間、精いっぱい暴れてください。
先輩方の雄姿は全部目に焼き付けます。
カッコいいところ見せてください。痺れさせてください。

4年生以外でスイカを貰う方へ。
本気以外出さないでください。
貴方が通そうとしているそのスイカは今僕が死ぬほど欲しているスイカです。
他の誰よりも近くで頑張れる能力と機会を持った貴方が手を抜くもんなら
僕含めフィールドの外で声出しているノットメンツ、スタッフ総動員でタコ殴りにします。笑

“One for All, All for One”.
ラグビーを知らなかった人でもこの言葉を知っていると思います。
今は亡き平尾誠二さんはこの言葉をこう解釈しました。
「一人はみんなのために。みんなは勝利のために。」
文字通り部員全員で努力しなければ勝てないのだと思います。

先日W杯が終わり日本代表の、各国の代表の選手の長い4年間が終わりを告げました。
この間の選手たちの努力、苦しみなどを知っている人間はほとんどいないと思います。
東大ラグビー部は世間からしたらもっともっと小さな存在です。
4年間の意味は僕たち自身が与えなければならないものです。
高校の恩師が「青春とは些末なことをとてつもなく大きく感じることだ」と言っていました。
ここ、東大ラグビー部が僕の青春となることには間違いがなさそうです笑

僕の今後の目標は「レギュラーを勝ち取ること」です。
落ち込むところまで落ち込みました。後は上がるだけです。
来年は僕の飛躍する年にします。
東大に財木あり。
そう思わせられるよう今まで以上に努力します。
四月、グラウンドに戻ってきた僕を楽しみにしていてください。


次に僕と同じ時期に前十字靭帯の再建手術を受けた魚住先輩にバトンを回します。
先輩が僕の回復状況をしきりに気にして張り合ってくださることが、僕のリハビリモチベの一因となっています。
この場を借りてお礼を言わせてください。
もちろん負ける気は毛ほどもないっすよ?笑
 
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