ラグビー部リレー日記

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恩師

 written by 前原 一輝 投稿日時:2019/04/15(月) 23:18

ほぼルームシェアをしている津田から受け取りました。3年生の前原です。















私はこれまでの人生、教師と理想的で良好な関係を築いたことは殆ど無い。それは私がよく学校をサボったり、課題を出さなかったり、授業態度が悪かったりするようなところにあると思う。しかしそんな私に、ラグビーを大学でも続けたいと思わせてくれた恩師がいる。







高校1年生の頃、ラグビー部の副顧問をつとめていた、中西先生という大学卒業したての新任教師(正確にはこの時には教員試験に合格していないため講師)だ。彼は愛知の名門春日丘高校で2年次はWTB、3年次はNo8としてオール愛知に選出され、その後中京大に進んでラグビーを続けた。高1の4月、175cm54kgだった私には、彼はとても大きく見え、目標になどなり得るべくもない、何か別の生き物のような感覚だった。







入部当初、我が一宮高校ラグビー部は部員不足のため、尾西高校と合同チームを組んでいた。1年間公式戦で一度も勝てなかった、そんな弱小チームだった。そんなチームに就任した彼は、入部したての私たち1年生12人に本気の眼差しで「お前らを花園に連れて行く。」と語った。そんな熱い心を持つ先生だった。







私は高1のはじめ、よく部活をサボった。入部動機も、当初予定していたサッカー部に嫌いな先輩がいたからという消極的な理由であった。部員数はたったの18人だったがそこでもレギュラーになれず、腐っていた。上手くなろうとか、強くなろうとかいう向上心も無かった。正直ラグビーが好きでは無かったし本気で辞めるつもりでいた。練習も適当にこなすだけ、怒られなければいいやという気持ちで過ごしていた。しかしある日のタックル練習で私がN先輩にビッグタックルをかましたとき、中西先生が「お前すげえな。あんなタックル今まで見たことねえよ。」と言ってくれた。それがやけに頭に残って、その日の練習では自分でも信じられないくらいタックルが決まった。その日から自分の中で何かがちょっと変わった気がした。 







次の試合、当然ベンチスタートだった私は後半からの出場となった。それまでの試合では何をすればいいのかも分からなかった。いざ出場の時が来ると、ずっと頭に残っていた中西先生の言葉が後押しとなり何発もタックルを決めることができた。自分でもビックリするくらいの出来だった。







次の日、試合反省ミーティングが視聴覚室で行われた。そこで彼は、まだレギュラーにもなってない私を指差して、チームに対し「こんなすげえタックルする奴オール愛知でも見たことねえよ。こんな凄い奴と一緒にプレー出来ることを誇りに思え。」と言った。勿論真意では無かっただろうが当時の私にはとても励みになる言葉だった。もっと頑張りたい、もっと上手くなりたいと初めて思えた。そして、中西先生に認めて欲しいという感情が私を駆り立てるようになった。彼は腐りかけて精神的に向上心のない馬鹿者に光を与えてくれたのだ。







彼は1年で違う高校に転任してしまったが、その後も厳しい練習への原動力はそこにあった。彼が持つ高校と試合をするときはいつも以上に燃えた。そんなことからいつのまにかラグビーが大好きになっていた。







高3の引退試合の相手は、奇しくも彼の持つ高校だった。成長した姿を見せたい一心で我武者羅に戦った。彼と同じNo8のポジションで、副将としての意地もあり3トライをあげた。試合後挨拶に伺うと、「強えな。」と一言。涙が溢れて止まらなかった。そして、「大学でも続けろよ。」と。私は頷いた。私は今彼との約束を果たすため東大ラグビー部にいる。そして、彼はいつしか目標となっていた。4年間を終え卒業した時に、彼を超えたと胸を張って言えるように。







彼から学んだことは多すぎて書ききれないが、高校までなんの努力もしてこなかった私に努力の大切さを教えてくれた。そして、この人について行きたい、この人に認められたいという存在が人間の成長にとっていかに大事かを教えてくれた。私もいつか誰かに、そんな形で影響を与えられるような人間になりたい。柄にもなく真面目な文章ですみません。















次はドゥッシャー吉村の芸名で活動し、脳天破壊芸で一世を風靡した吉村に渡します。

絶念

 written by 津田 遼大 投稿日時:2019/04/07(日) 19:07

ドレッドヘアーの先駆けであるレオさんからバトンを受け取りました2年の津田です。


春を迎え、ぼくがラグビー部に入部しラグビーを始めて約1年が経ちました。新シーズンになって、上級生と練習し始めて合同練習や試合に出る機会がもらえるようになりました。この1年間漫然とラグビーをしてきましたが、最近思うことについて書こうと思います。


昨シーズンは1年生だけのジュニアチームで過ごしたぼくは、今シーズン初めて上級生と練習するようになって、力の差を強く感じるようになりました。初心者で入部した時点で大きな差があることはわかっていたものの、試合や試合形式の練習などで、やはり明らかな経験の浅さが強く感じられ落ち込んでしまうことが最近よくあります。落ち込んだところで上手くなるわけではないし、意味がないこともよくわかっています。練習を自分なりには一生懸命にやっているつもりではあるのですが、上手くいかずに迷惑をかけてしまう自分がもどかしく感じます。こんなふうに思っても仕方ないし、こう感じないようにするには練習し続けるしかないとは思いつつも、半ば捨鉢になってしまっている自分がいます。どうしたらいいのかわかりません。ラグビーが楽しくできているかもわかりません。


こんな風な毎日ですが、運のいいことに元気な新入生がもうすぐ入部してくるので、刺激をもらって今の状況を抜け出して一層練習に励むことができるようにしていきたいです。ラグビーが心から楽しくできる日が待ち遠しいです。


少し暗い内容になってしまい申し訳ありません。


次は同じマンションに住んでいるとっても面白い先輩の前原さんにバトンを回したいと思います。

折り合い

 written by 佐藤 伶央 投稿日時:2019/04/03(水) 18:51

 怪我をしている人皆に「焦りは禁物ですよ」と声をかけている今塩屋からバトンを受け取りました。4年の佐藤伶央です。実際僕はどうかというと、リハビリが慎重すぎて復帰が遅れたりする経験が多いので、意識して少しだけ無理をするようにしています。



 今塩屋の言う通り最近ブスパートという非常に不名誉なパートに誘われましたが、普通に腹が立ったし全く謂れのない誹りであるのでLINEグループには参加していません。



 



 ここまでの3年間のキャリアで怪我ばかりしているので、僕も怪我について書こうかと思います。



 



 怪我をしている最中のモチベーションの保ち方や、長い怪我から復帰した後のメンタリティについては世の中で語り尽くされていると思いますが、僕はその中でも「怪我の期間は転機、好機である」という言説が、以前は嫌いで仕方ありませんでした。もしそうなのであれば万全の状態を整えて練習に取り組んでいる人間が馬鹿を見ていることになるし、怪我をした人が認知を歪めて、怪我によって制限された自身の取り組みや環境因子を正当化しているようにしか思えませんでした。



 



 自分が3年間で3回も手術を受けるハメになってどのように意見を翻したかというと、ほぼ真逆の立ち位置です。



  「怪我は好機である」という言説は誤っていませんし、実際に有用でもあります。 



 



 東大生の多分に漏れず、自分も正しく無い、事実でない考えを許容するのは非常に難しいものがありますが、そもそも自分が怪我をしていなかった場合のことを確かめることは出来ないので、「怪我は好機である」という命題に真偽は存在しません。故にこれは少なくとも誤ってはいません。”もしそうなのであれば万全の状態を整えて練習に取り組んでいる人間が馬鹿を見ていることになる”のように述べましたが、万全の状態で練習に取り組んでいる人は実際に馬鹿を見ているかもしれず、もしかすると練習をするくらいであれば患部以外に限ってでもフィジカルトレーニングに集中した方がいいのかもしれませんし、その真偽を確かめることもまた不可能で、そのような取り組みを行えるのは怪我をした人間のみです。逆に万全の取り組みをしている人間が報われるべきであるという以前の僕の考えこそが公正世界誤謬という典型的な認知バイアスに当てはまります。



 



 東大生らしくことの真偽にこだわって語って見ましたが、真偽を度外視した場合にこの考えは有用です。同じ練習ををするときに、「自分の取り組みは劣っている」と思い込みながらする場合と、その逆の場合でどちらが優れた能率になるか、疑問を持つ人は少ないと思います。怪我をしていようがいまいが、最も優れた取り組みをするためには自分の取り組みこそが最も優れていると思わなければいけません。



 



 以上のことで「怪我は好機である」ことが少なくとも誤っておらず、また有用な考えであると思っていただけたのではないでしょうか。怪我をした人間は怪我をしたなりの取り組みをするしかありませんし、怪我をしなかった人間は怪我をしなかったなりの努力をするしかありません。少なくとも僕はこのような経緯でこの考えを採用するに至りました。



 



 ここまで書いて来ましたが、個人には個人の、さらにその時々で異なるものの考え方があり、実際に怪我をしてみないと分からないことや、怪我をしなかった場合にしか分からないことが存在します。ですのでこの考えは全ての人間に当てはまるものでは勿論ありません。怪我をした人間には(怪我をしていない人間にも)どのような形であっても自分の中で折り合いをつけて日々取り組んでいただきたいと思うし、この稚拙な文が少しの助けにでもなれば幸いです。



 



 次は未経験ながらハーフとしての実力をつけつつある津田君にバトンを渡したいと思います。

焦り

 written by 今塩屋 亮太 投稿日時:2019/03/27(水) 12:10

おしゃれパリピの松井さんからバトンをもらいました今塩屋です。



僕は今焦っていない。



僕は以前周りに追い付こうという焦りについて日記を書きました。そういう感情がプラスに働き練習や意識のレベルが上がる事はあると思います。しかし、怪我に関する事では焦りの感情は危険だなと思うことがあります。



 



僕は今恥骨というよくわからないところを疲労骨折してしばらくの間練習に参加することができません。練習中は練習を見たりリハビリをしたり雑用をしたりやる事はありますが全く面白くありません。こんな事してるうちにみんな上手くなってるし時間がもったいない、早く練習に復帰したいとはいつも思います。しかしここで今塩屋は焦りは禁物だと自分に言い聞かせます。怪我が完治しないまま練習をして慢性化する事が長期的にみて一番もったいないと思うからです。だから僕はここであえて踏みとどまって、全然焦らず、無駄に休むくらいの気持ちで行こうと思います。



 



ただでさえ人数が少ない部活なので僕以外のけが人もしっかり怪我を治して、結果的に練習に参加する時間が長くなるようにしてほしいなと思います。



 



次は最近あるパートに招集されたらしいレオさんにバトンをまわします。

感謝

 written by 松井 大岳 投稿日時:2019/03/19(火) 19:36

麻雀が上手すぎて雀鬼と呼ばれる松本からバトンを受け取りました。3年の松井です。



 



 いつの間にか「なんでラグビーをしてるの?」という問いに「好きだから」と心から答えられるようになっていました。同期をはじめ周りのお陰です。



 もちろんそこには部活関係者以外も含まれます。 僕は父親と二人で暮らしていますが、朝ご飯、部活後の弁当、ウエイト後の夜ご飯、腹減ったと言えば夜食まで作ってくれる父親のおかげで体重は80kgに乗りました。感謝し切れません。



 また、春休みなので先輩にご飯を食べに連れて行ってもらう機会が多く有難い限りです。



 



 僕は幼稚園では遊具を陣取る悪党でしたが感謝出来る人になれたのでしょうか。この年まで自分を見守りながら成長させてくれた家族、小中高と長い間関わってくれた幼馴染、あまりにも恵まれた環境で様々なことを経験しました。神戸を出て車で東京に来てから丸2年が経ちます。そろそろここでも責任を感じるようになり、人との信頼関係も深くなりました。これから現れる壁はその人達と協力して超えます。



 



部は今、上を目指して頑張ることが出来るチームです。数々の先輩が遺され積み上げられたものもあります。今年に限らず、来年も再来年もこれから加わる新しい後輩とも共に、東大ラグビー部員の総力をかけて勝ちに行きます。



 



自分らしからず面白味の無い事を書きました。あ、虎之助の事ですか?彼は幼馴染でズッ友です。お前には言ってない。僕は実力という言葉が好きなので実力のある彼を尊敬しています。お前には言ってない。まあ僕も14年ラグビーしていれば彼よりは上手かったことでしょう。



 



次は2年生の中でも特別明るい今塩屋にバトンを回します。




 
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