ラグビー部リレー日記 2019/12

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何十年経っても

 written by 野村 湧 投稿日時:2019/12/21(土) 20:16

4年間多くの時間を共に過ごした河合からバトンを受け取りました、主将の野村です。河合なしではこのチームは成り立っていなかったと思います。本当にありがとう。

偶然か、運命か、ラグビーに出会ってから約8年。とても長くなりますが、最後なので8年間を振り返りたいと思います。



 高校入学時の僕は、ラグビーについてほとんど知らなかった。高校で入る部活もすでに決めていたので、ラグビーをする気はなかった。先輩があまりに熱心に勧誘してくれたので、真剣に話を聞き、試合を見に行くと、心が震えた。こんなに熱くカッコいいチームで、花園出場という目標を追い求めたいと心から思った。
初めは何もわからなかったが、熱心な先生・コーチのもとで、強い先輩方と練習をするうちに少しずつ成長した。やっと成長を少し実感し、これからだ、というときに膝の前十字靭帯を切った。それからは一年に及ぶリハビリで、全国選抜にも、花園を懸けた大会にも出られなかった。その後、復帰したものの何度かまた膝のけがを繰り返した。非常に期待していただき、キャプテンを任されたにも関わらずその使命を果たすことが出来なかった。追い求めた目標も達成することは叶わなかった。
高校生の僕は夢を叶えることができなかった。それでも、ラグビーを通じて得た経験や出会いは素晴らしかった。だから、大学でももう一度心震えるような挑戦がしたいと思った。東大を目指したのも、「対抗戦A昇格」にチャレンジしたいと強く思ったからである。
そのために浪人して必死に勉強をした。浪人中は勉強だけの日々で楽しかったとは言い難い日々であったが、東大でラグビーをしたいという気持ちで頑張った。結果、東大に合格することができた。

 晴れて大学に入学でき、やっとラグビーができると希望に満ちていた。しかし、ここでも、これからAチーム入りを目指そうという山中湖合宿で骨折をしてしまった。治ったころには1年目の対抗戦は終わっていた。
高校時代から地道に積み重ねてきたトレーニングやケアなどがやっと実を結んだのか、2年目は大きなけがをせず定期戦、対抗戦とほぼ全ての試合にスタメンで出していただくことができた。チームはフィジカルにフォーカスし、身体を大きくし、コンタクト、モールなどに非常に時間をかけて取り組んだ。それが実を結び明治大学相手にFWで2トライとれたときは本当にうれしかった。しかし、目標の入れ替え戦には遠く及ばなかった。対抗戦の厳しさを肌で感じた。目標達成の力になることができなかったことが悔しかった。
3年目は、前年のベースと反省をもとにフィットネスに重点的に取り組んだ。また、大石が分析のノウハウを持ち込んでくれたこともあり、分析にも力を入れた。走りこんだことにより、プレーの精度も上がった。個人的にも、春には過去最高といえるパフォーマンスができている自信もあった。しかし、またも古傷が痛んだ。病院へ行くと引退をすすめられるほどであった。膝を治すためには通常の再建よりも時間のかかる2回の手術が必要であった。それでも僕の中には引退という選択肢はなかった。この頃には既に来季の主将を務めることが決まっていたし、何よりもまだ目標への挑戦は終わっていなかったから。そこからはまた約1年のリハビリ生活であった。この秋、チームは目標の4勝を達成することができた。このことは取り組んできたことが間違っていなかったという自信が得られ、嬉しかったが、それと同時に上級生として期待していただき、役割も与えてもらったにも関わらずあまりチームの勝利に貢献できなかったこと、そして勝った試合も、負けた試合も、グラウンドに立てなかったことが一番悔しかった。

 そして迎えた4年目は、間違いなく人生で一番大変な一年であった。シーズン開始前から、とにかくミーティングや議論を重ねた。大きく意見の割れた目標設定などからはじまり、戦術・練習・分析といったラグビー的な面はもちろん、チームとしての在り方やメンバー選考など、挙げればキリのないほど、ラグビー部に関わる全てのことに責任を持たなければならないし、考えなければならなかった。オフであっても、練習後疲れて家に帰っても、どこにいてもそれは変わらなかった。それでもとにかく、目の前のことに必死に取り組んだ。が、上手くいかないことばかりであった。春シーズンは怪我人が続出し、定期戦や国公立大会を棄権することになってしまった。春シーズンを0勝で終え、沈むチームの雰囲気も良くすることが出来なかった。自分は長いリハビリを乗り越えやっとの思いで復帰できたものの、チームを引っ張るようなパフォーマンスはできなかった。あれほど心震わせたラグビーは、いつしか主将の重圧や責任によって、心を押しつぶす重荷のようになってしまっていた。ラグビーを楽しめずにいた。それでも、もがき続けた。すると、夏合宿の慶応戦や菅平では少しずつ手応えを感じられるようになった。合宿期間を経て、やっとやってきたことが形になってきたところだった。
 そして期待と不安の入り混じった最後の対抗戦初戦。またも絶望を味わうこととなった。負けたことによってやってきた全てが否定されたようだった。またも悪い流れを変えられない、リーダーとしての無力さを痛感した。それでも試合後の火曜には試合の反省や課題、改善点やフォーカスを示さなければならない。次の試合に向かって準備をしなければならない。悔しくて眠れない夜も、ミーティングの内容を考え続けた日も、1日中分析のビデオを観た日も、何度もあった。起きているときはもちろん、夢の中で考えているときもあった。そんな中でまたラグビーが嫌になり練習に行くのが辛い日もあった。
だけど、そんな日でも、絶対に辛そうな顔はせずに、ラグビーを楽しむ気持ちを忘れずにいようと決めていたから、とにかくその気持ちだけは忘れないようにした。リーダーの感情や行動はどんな形であれチームに影響を及ぼすからである。実際にそれができていたかというと全てがそうではないと思うが、毎日そういう気持ちで練習へ行った。
 すると、どんなに悩んで練習に行った日でも、グラウンドへ向かって練習をすれば気持ちを切り替えることが出来た。ボールを持って走る瞬間は、タックルに入る瞬間は、すべてを忘れて夢中になることが出来た。そして何より、グラウンドにはたくさんの仲間がいた。選手よりも早く準備してくれるスタッフ、忙しい中グラウンドに来てくださったり、ビデオを細かく見てアドバイスを下さる監督コーチの方々、情熱をもち身体を張ってプレーするチームメイト、トレーニングに励むDLの皆、練習後にふざけるチームメイト、など、ここには書ききれない多くの人に勇気をもらったから、頑張ることができた。そうして、不器用ながらも前を向いてもがき、進み続けられた。そして迎えた対抗戦最終戦、熊谷で一橋に勝つことができた。心の底から、魂が震える戦いができた。そして、ラグビーは一人では何もできなくても、仲間と共になら何かを成し遂げられることを教えてくれた。目標には遠く及ばなかったけれど、この一年、チームも自分自身もシーズン当初とは比べ物にならないほど成長することができた。


 こうして振り返ってみると、楽しいことや嬉しいことよりも辛いことや悔しいことを圧倒的に多く経験してきました。それでも、もがきながらも戦い続けたラグビー人生に、悲しみや後悔の感情は一切ありません。京大戦前日の今、あるのは感謝の気持ちだけです。最後に感謝の気持ちを書き記させてください。

 まずは、ラグビーというスポーツに出会えたことに感謝しています。ラグビーに出会えたから、本当に多くの仲間や素晴らしい人達と出会うことが出来ました。そして、様々な経験をし、人間として大きく成長させてもらいました。僕をラグビーに誘ってくださった先輩や先生には本当に感謝しています。
 OB・監督・コーチ陣・トレーナーをはじめとしてサポートしてくださる方々へ。東大ラグビー部はグラウンドからコーチ陣まで、ラグビーに集中できる環境が揃っています。それなのに、結果を出して恩返しすることはできず、申し訳なく思います。お忙しい中グラウンドに足を運んでくださったり、ビデオをみてアドバイスくださったり、相談に乗ってくださった方々には本当に頭が上がりません。自分もそんな大人になりたいと思える方達ばかりでした。また、金井さんをはじめ、たくさんの人たちのサポートなしでは今日までグラウンドに立ち続けることはできなかったと思います。本当にありがとうございました。
 チームメイトへ。先輩にも、後輩にも、同期にも、本当に尊敬できる人がたくさんいます。特に今年はチームを上手く導くことができず迷惑をかけましたが、共に戦ってくれてありがとうございました。皆と過ごしたこの日々を、絶対に忘れません。
 家族へ。たくさん怪我をしました。膝を中心に、合計7回も手術をしたし、脳震盪により救急車で運ばれたときもありました。それでも、ラグビーをやめろとは一度も言わずに応援し続けてくれてくれました。本当にありがとうございました。
 明日の京大戦では、お世話になった多くの人が観に来ていただける予定です。ラグビーを通じて成長した姿を見せたいです。
 京大戦が出来ること、そしてスイカを着て戦えることは決して当たり前ではなく、とても幸せなことです。感謝の気持ちを忘れず80分間思い切り楽しむとともに、怪我をしている後輩達に勇気を与えるようなプレーをして引退したいです。




これから何年、何十年経っても、ここに記した思いを忘れない。
戦い続けた日々を胸に、魂を震わせ生きていく。

主将 野村湧


 

 

感謝

 written by 河合 純 投稿日時:2019/12/20(金) 19:23

チームビルディングのリーダーとして頑張ってくれた濃野からバトンを受けました、今年度副将を務めました河合です。濃野を見ているとその行動力にはいつも驚かされます。基本的に自分はフットワークが軽い人間ではないので見習いたいと常々思っています。

 



2勝5敗で対抗戦が終わり今シーズン残りの試合は京都大学との定期戦のみとなりました。

今年一年ご支援いただいたOBの皆様、誠にありがとうございました。



この1年間を振り返ると自分自身もそうですが、4年の怪我が多いシーズンとなってしまいました。チーム全体としても怪我人が多く、昨年卒部した先輩に試合に出ていただいてなんとか試合ができたくらいでした。その上、春からなかなか勝てずかなり辛い部分もありました。そんな中でも頑張ってくれた後輩のみんなにはまず感謝の気持ちで一杯です。



 



3年生



部の運営の仕方、戦術、練習等多々文句を言いたいところもあったであろう中、上級生としてチームをサポートしてくれてありがとう。特に藤井には感謝してます。自分はなかなかチームに激を飛ばすということが得意ではなく、しばしば藤井に助けてもらいました。今度ご飯に連れて行くのでご容赦ください。1個下ということもあり3年近く同じチームにいて、今年で最後だなんてしみじみ思っていましたが諸事情あり来年も部には関わっていきますので、今年頑張ってくれた分出来る限りの還元をしたいと思います。



 



2年生

今年からシニアに上がって大変だった人が多かったと思いますが、それでも特にBKは主力として対抗戦を戦ってもらいました。なんとか対抗戦で2勝できたのも2年生の力あってこそです。ありがとう。去年からウエイト等頑張っていて自分よりも平気で重い重さをあげる人もいますし、これからも地道にコツコツできることを続けてくれればと思っています。来年は上級生にもなるので、チームを引っ張る立場として頑張ってください。



 



1年生

今年は多くの1年生が入ってくれて、部室が狭いと感じるくらいに人が増えました。1年生でスタメンの人もいますし、チーム練などで15人対15人が作れるようになりチームの強化がしやすくなったのも1年生のおかげですし、本当に感謝しています。ただし、先輩をなめている後輩は来年以降入ってきた後輩になめられると思うので覚悟しておいてください笑



 



次に監督、コーチの皆様。

1年間大変お世話になりました。お仕事の忙しい中ミーティング等自分たちのために時間を割いていただきありがとうございました。なかなか自分たちでは気づけない視点でご指摘いただいたり、今年だけでも自分の中でのラグビーの理解度、体の使い方等向上したと思っております。



 



 



最後に4年生。

アルバムにも多少は書いたけど、4年間お疲れ様でした。この代は良い意味でも悪い意味でもお互いにあまり干渉しすぎない代だったため自分としてはいやすかった学年でした。最後の年は全員怪我が多く一時期は本当にどよんとしていたけれど、なんとか乗り越えて最後までやりきれたかなと思っています。ここからは就職して社会に出る人、院に行く人、そして留年する人と道は分かれるけれど今年一年頑張れたのは同期の頑張りあってこそでした。ありがとう。



 



以上のように一部の方には感謝の言葉を書かせていただきました。ここに書いた方々だけでなく支援いただいたOBの皆様、チームドクターで肩の手術をしていただいた田崎先生、怪我でのリハビリ等お世話になった金井さん含めあげたらキリはないですが、サポートいただいた方にとても感謝しています。



 



今シーズン、そしてスイカジャージを着る最後の機会であろう京都大学との定期戦は様々な人への感謝の気持ちを持って臨みます。最後まで応援の程を宜しくお願いいたします。





大変拙い文章?となってしまいましたが、これで最後のリレー日記とさせていただきます。

来年以降も東大ラグビー部へ変わらぬご支援の程を宜しくお願いいたします。



 



次は4年生最後となります主将でチームを1年間引っ張った野村にバトンを回します。学部学科が同じにも関わらず彼は院試に合格し来年は院に行くということで、自分(留年)とは差があるなあなんて思っています笑

ぼくの人生にラグビーは必要だったか

 written by 濃野 歩 投稿日時:2019/12/18(水) 20:58

練習リーダーとしてチームを引っ張ってくれたゆうがからバトンを受け取りました、濃野です。
彼は湿った日記を書いていましたが、彼の変化を4年間身近で感じてきた同期の身としては、もっと自己評価は高くていいと思います。

 

「ぼくの人生にラグビーは必要だったか」


これはぼくの頭の中をずっと漂っていた問いだ。



小さい頃から「なぜ」を考えるのが好きで、「なぜ」の対象は自分自身にも向けられることが多く、昔からなにをするにも「なぜ自分はコレをやろうとしてるのか」を考えることが習慣になってた。だから、4年前、東大ラグビー部に入るか迷っていた時も、
「どうして自分はこのチームに惹かれてるのか」

「なんで東大にまできて、部活をしようとしてるのか」

「スポーツに取り組むとなにがいいのか」
とか、堅苦しいことを4月からずっと考えてた。


 

もっと昔を思い返せば、進路を決める時も「なぜその道に進もうとしてるのか」をやたらと考えてた。
自分が東大に来た理由は夢を叶えるためで、そのために1浪もした。


 

ぼくの夢は宇宙飛行士になること、ひいては、誰でも宇宙に行ける世界を作ること。それを鑑みると間違いなく東大に行くのがベストだと高校生のぼくは考えた。なんたってこれまでの日本人宇宙飛行士11名のうち4名が東大出身で、言わば「宇宙飛行士への黄金ルート」だと思ったから。


 

浪人期はその夢への執着だけで頑張ってこれた。浪人期は勉強ばっかりで気が塞ぐこともある。行ける大学に行っとけば良かったと思ったことも何度もあった。予備校からの帰り道に自分と同年代の大学生らしき人たちが楽しそうで輝いて見えた。一方で自分は高校生でも大学生でもないただのニート。当然「なんで自分は宇宙飛行士になろうとしているんだろう」と悩んだ。


 

そう悩んでいると必ず行き着く思い出がある。それは小さい頃、両親に連れて行ってもらった博物館や科学館の思い出の数々。ぼくはその科学館の恐竜の模型とかロケットの模型とかがすごく好きで、親に「ここ行ってみる?」と科学館の資料を指さされた時は必ず「行く!!」と返事した。


 

だけど、ぼくが本当に好きだったのは道中の車の中での父との会話だ。父は理系出身で、幼児特有の「なぜなぜ期」のぼくの質問に全部答えてくれた。

「虹はなんでできんの?」

「なんで信号無視したらあかんの?」

「遠くの景色はゆっくり動くのに近くの景色は速く動くのはなんで?」

ぼくは思いつく質問は全部した。なんでも質問した。幸いぼくの父親は説明がうまいし、そこからいろんな話を繋げてくれたおかげで、質問すること自体が楽しかった。

そうやってたくさん質問していると、さすがに父にも答えられないことも疑問に思うようになってきた。

「宇宙ができる前はなにがあった?」

「海の底はどうなってる?」

「生物はどうやってできた?」

小学生になった時くらいからぼくが余りに質問するので父も「分からんなあ。自分で調べて。」と困るようになってきた。その時は生意気ながら「なんだ知らないのか」と思って、「それだったら自分で調べてやる」と家にあった小学生向けの図鑑を読み漁った。動物図鑑とか乗り物図鑑とか科学図鑑とかたくさんあったから全部読んだ。何周も読んだ。それだけじゃ物足りなくて母親と毎週末のように図書館に行った。大人向けの本もひらがなと挿絵だけを追って、分からないところは想像力で補完しながら一生懸命読んだ。

 

あらゆる図鑑や本を読んでいくうちに自然と自分の興味が宇宙に向けていることに気がついた。
好んで宇宙の絵を見てる。

自然と宇宙の本に手を伸ばしてる。

自分は宇宙が好きだということに気がついた。


 

ぼくの宇宙への執着はここから来てる。


 

それ以降ずっと将来設計は宇宙にまっしぐらだ。

もちろん、今まで何度も諦めるべきタイミングはあった。

大学入試に一度負けたとき。

進振りで負けたとき。

友だちに馬鹿にされたとき。

大人からの嘲笑を食らったとき。

夢を持っている自分がダサいと思ったとき。

宇宙飛行士になりたいと口にするのが恥ずかしかったとき。


 

でも、諦められなかった。

何度も自尊心を砕かれても、何度も運命に拒絶されても、やっぱり宇宙が好きだった。

だから、もう一度東大を目指そうと思った。

だから、進振りで第一希望じゃない学科に行っても腐らなかった。

だから、院試も頑張れた。

そして、また大学院で希望の学科に合格して「夢への黄金ルート」に戻れた。


 

「宇宙がなぜ好きか」という問いには答えられない。

それより先に理由はない。

生まれた時からDNAに組み込まれてるんじゃないかというくらい宇宙が好きだ。

今でも宇宙関係のニュースを目にすると興奮するし、空を見上げてあの先はどうなってるんやろ、と想いを馳せる。

理由がないくらい宇宙が好きで、だからぼくは「宇宙飛行士」が夢であり、誰でもその素敵な世界に踏み入れられるよう、「宇宙を身近にすること」が人生の目標だ。
 


ここで、冒頭の問いに戻る。


「ぼくの人生にラグビーは必要だったか」


ラグビーしてれば宇宙飛行士になれる?
ラグビーに時間を費やすことが夢への最適解なの?
ぼくはラグビーを通して何かしらの「財産」を得たのか?

答えは紛れもなくイエスだ。

自分の将来に必要で、この東大ラグビー部じゃないと得られなかったものがたくさんある。自己管理能力とか、東大ラグビー部のGo Lowの精神とか、ラグビーの自己犠牲の精神とかたくさんあるけど、ぼくがいまこのリレー日記で1番強調したいことがある。

それはチームメイト。

いろんなひとがいた。

いろんなひとと友情を築いた。

いろんなひとに迷惑かけて、その度に助けられた。

いろんなひとの素晴らしさに気付けた。

いろんなひとと出会って、いろんな価値観と出会えた。

 

宇宙に行けばもっといろんなひとと出会う。

国籍が違うひと、肌の色が違うひと、宗教が違うひと。

共通点は「人間である」ことだけ。

宇宙飛行士になるには、そういうひとたちと一緒に協力しながら何週間も暮らせる資質がないといけない。

孤立した狭い空間での生活。

死と隣り合わせの作業。

ぼくに、そんなプレッシャー下で、文化も価値観も何もかも違うひとと上手くやっていける資質はあるのか。

 

いまのぼくには「持ってる」と答える自信がある。

その自信はチームメイトとの濃密な時間が作り出してくれたんだと思う。

東大ラグビー部にはいろんなやつがいた。

だから、いろんな引き出しが増えた。

 

誰かが凹んでいたら、優しかったアイツみたいにそっと声をかけてあげよう。

うまくいかないことが続いていたら、あの頃のアイツみたいに背中で引っ張って見せよう。

話しかけにくい人がいても、アイツみたいにガンガンいこう。

アイツみたいに自分が新入りでも引っ張るつもりでやろう。

 

今までぼくがラグビー部を通して出会ったひとたちはみんな未来のお手本になるかもしれない。
いや、むしろ、師として心のノートにメモっておかないといけない。
 

いま、ぼくはこれまで出会ったたくさんのひとに感謝している。だけど、面と向かってありがとうというのも恥ずかしいから、心のノートに、彼らの存在をメモすることを感謝の印としたい。
みんなを忘れないことをありがとうの言葉の代わりとさせて欲しい。

 

その心のノートを胸に抱えてぼくはこの先も自分の夢と真剣に向き合っていく。

 

終わりは始まり。

引退は次のステージへの第一歩。

ここで失速したら、4年間がただの「思い出」になる。ぼくがやりたいのはそうじゃなくて、4年間を立派な「財産」に昇華させること。
 

「財産」とは結果とか功績とか目に見えるものだけを指すんじゃなくて、過程で何を得たかを振り返り、次へどうやって活かすか考え続けることでも獲得できる。
むしろ4年間を「財産」たらしめるのは今後のぼくの生き方そのものだと思う。


 

4年間のこの「財産」を糧にぼくはこれからも夢に向かって歩いていく。
時には回り道して、時には壁にぶつかりながら、でも着実に一歩ずつ歩いていく。

親はそんなつもりはなかっただろうけど、名付けられた通りの人生になりそうだ。どうも素敵な名前をありがとう。


 

もし、たくさん歩いた先に、夢を叶えられることができたら、仕事仲間にぼくの心のノートを見せながら、空よりも高いところから地球を眺めて、こんな風に自慢しよう。



 

「東大ラグビー部は良いチームだったよ。」


 

 

以上が、2年前に当時まだラグビー部ではなかった北野に語った「夢」(http://www.turfc.com/blog_detail/id=1408)であり、ぼくはこの先も彼の立派な先輩であれるよう、頑張らないといけない。彼に「あの人、俺の先輩やで」と自慢してもらえる人間になろう。

 

次は、副将としてチームを引っ張ってくれた河合にバトンを渡します。彼もまた後輩からの支持が強く、「後輩思いの先輩」ランキングで1位を獲得しました。

彼含めてそうですが、今年の4年は後輩からとても慕ってもらった代だと思います。もちろん後輩たちには頭が上がりませんが、そんな個性豊かで素敵な人柄を持った同期たちを誇りに思います。

ラストイヤー

 written by 高橋 勇河 投稿日時:2019/12/17(火) 11:02

主務代理として活躍してきた下條よりバトンを受け取りました、高橋です。元々あまり仲の良くなかった僕ら同期の中心にいたのはいつも彼で、そういう意味で彼もまた非凡な存在なのだと思います。
以下、なかなか陰気臭い文章になってしまいましたが、これが自分自身が1年間向き合ってきた自分です。ご容赦ください。


定期戦全敗、対抗戦2勝5敗。昨秋の学習院戦の勝利からチームとして280日間、勝利を味わうことはなかった。

大学スポーツは最後には4年生力が物を言う、なんて言葉を何度も耳にしたが正にその通りだったと思う。ろくにタックルもできない自分。誰よりも走れず最初にくたばる自分。すぐに怪我で離脱する自分。練習中ありきたりのことしか言えない自分。リーダーらしくあれない自分。困ったらついついヘラヘラしちゃう自分。意志の弱い自分。言い出せばキリがない。今まで解決できなかった自分、目を向けてこなかった自分が私にとって一番の重荷となった。自分から練習チームのリーダーを志願したものの結局リーダーとして振る舞えなかった。リーダーの責務を果たせなかった。

そう考えると4年生としての1年間だけではなく、4年間通して常に何かが足りていないままだったのだと思う。3年生の時、来年最上級生として振る舞う自分を想像し、最善の準備と努力を積めていたのだろうか。プレイヤーとして足りないものを見つめられてただろうか。2年生の時、自分が既に後輩を持つ一人の先輩であることを自覚し、後輩を引っ張る存在になれていたのか。1年生の時、運よく名古屋戦で初めてスイカを着れて何となくそれで満足していなかったか。今振り返ると、自分が今の自分に誇れるような振る舞いをしていたと思うことは到底できない。4年生になってから気づいて、もがいても、結局は最後まで不足していたのだと思う。

自分一人の力で結果が変わる、なんて自惚れているわけでない。ただ、リーダーであるからこそ、練習を仕切るからこそ、もっと早くから自分自身で気づき、変わろうとし続けなければならなかったのだと思う。3年生までは後輩気分で過ごし、4年生になってからリーダーに立つ身としての未熟さに目を向けている場合ではなかったのだ。

結果が全ての勝負事で勝てなかった以上、これで良かったと締めくくる気など毛頭ない。それでも一方で、間違いないことが1つだけあって、この1年間は私の人生においては本当にかけがえのないものだった。ラグビー部に所属していなければ、これほどまでに何か1つのことに注ぎ込むことなどなかっただろう。悩みに悩んで眠れない夜もきっと来なかっただろう。そして何より、自分の弱い部分と真剣に向き合い、自分自身を変えるために戦い続ける機会もきっとなかったのだろう。平然と過ごしている日常に、死ぬ気で何かに立ち向かうという熱を与えてくれたのは間違いなくラグビーの存在だ。強く熱を帯びた1年間は嫌な自分を変えるきっかけにもなったし、成長の機会を何度も与えてくれた。ラグビーよ、ありがとう。そしてこれからも熱を帯びた毎日を過ごしていくことを約束したい。

そして、何よりも後輩たちには心から感謝しています。1年生ながら対抗戦にフル出場し続けてくれた三方。試合中には流れを変えるような力強いキャリーを見せてくれた吉田。練習から他の選手の見本となるようなプレーを重ねてくれた杉浦。怪我に苦しみながらも対抗戦を通して体を張り続けてくれた山口。そしてどの4年生よりもリーダーらしくあった藤井。他にもたくさんの後輩の支えがあってこそ、今年のチームが成り立ったと思っています。戦い続けてくれた後輩たちの努力を結果に繋げられず、申し訳ない。

いずれにせよ、悔いても悩んでも、今週末は最終戦。
4年生としての意地を見せると共に、まがいなりにも1年間悩み、もがいてきた成果を見せたいと思います。

そして何より、勝って泣こう。



次はチームビルディング担当としてチーム作りに貢献すると共に、本人も後輩たちから非常に親しまれている濃野にバトンを回します。僕と下條の分も彼らしい明るい文章を書いてくれるだろうことを期待しておきます。

Feel Special

 written by 下條 裕人 投稿日時:2019/12/13(金) 16:32

後輩からの人気がうなぎのぼりに上昇しているレオからバトンを受けました、下條です。

まず初めに、平素より多大なご支援をいただいているOBの皆様に厚く御礼を申し上げます。マネジメントや会報で皆様にはご迷惑をかけることも多々あり、ご指導を頂くこともしばしばでしたが、変わらず温かいお言葉やご声援をかけていただき誠に有難うございました。今シーズンも残り2試合を残すのみとなりましたが、今後ともご支援・ご声援を賜れましたら幸いでございます。

最後のリレー日記ということで4年間を振り返りたい。言葉で振り返れるほど未だきちんと整理できておらず、まとまらない上に長文となってしまうことはご容赦願いたい。

東大に入学して一番悩んだのはどのサークルに所属できるかだった。
高校までサッカーを続けてきたが、続ける気は無かった。サッカーは楽しかったが試合に出れず、ベンチから見守る僕にできたのはサポートすることだけだった。選手の一人でありながら自身の存在意義を裏方でしか見出せなかった自分自身が嫌だった。そんな自分を変えたかった。
だからラグビー部を選んだ。厳しい環境のもとでならきっと変わるんじゃないかという今思えば甘い期待もあった。クレイジーなスポーツであることは知っていたが、いやだからこそ自分の根本すら劇的にひっくり返すことができるんじゃないかと思った。それは他の人から見れば大げさで馬鹿げた悩みかもしれないが、その悩みは自分史上最も切実で、強烈だった。大きく変われるラストチャンスだとも思った。

実際にラグビーをやってみると想像よりもタフできつく、そして面白かった。
ひょろひょろの僕にとって練習はしんどかったが面倒見のいいコーチや先輩、(当時は)たくさんの同期に囲まれて続けることができ、上達も感じることができた。大きく強い相手にタックルするのはとても怖かったが、自分のタックルで相手が倒れるたびに自分の成長を身をもって感じることができた。部歌やエールのようなカルチャーも新鮮でとても好きだったし、何より自分が変われるんじゃないかという希望はより膨らんでいった。

2年生になるとチャンスにも恵まれた。前日の明治戦でノットメンツだった自分がオールスターに出してもらった。対抗戦にも出してもらった。とてもいい経験だったし楽しかった。

3年生になり上級生になったが、自分の目的にいわば固執しチームのことには何も関わっていなかった。ひどい上級生だったし実際先輩との面談でそれを口にした時、先輩が苦笑していたのを覚えている。それだけ試合に出て活躍するということこそ至高だと考えていたから、その分練習を頑張ろうと思った。またしても対抗戦に出ることができ、トライも取れた。これだけ成長の感覚と自信をつかむことができたのは今までで初めてだった。

4年は怪我からのスタート。
試合に出てチームに貢献するという自身の理想は少なくとも半年は叶えることはできなかった。諸事情ありチームマネジメントを任されることとなったが、半年後の復帰を見据え、今は頑張ろうと思った。
7月終わりに復帰。
タックルは前より下手くそになっていたが、練習していけば良くなるだろうと楽観的に捉えていた。試合に出れるのが嬉しかったしラストシーズンだから気持ちも入っていた、と思う。
9月対抗戦が始まりスイカを着て戦った。チームも連敗し悔しかったが、それ以上に衝撃的だったのは、試合を追うごとにひどいプレーを繰り返し活躍どころかチームの足を引っ張っていた自分だった。練習はすれど焦りだけが増し、ますます足手まといになっていった。チームマネジメントも中途半端で、4年生ながらチームに必要ないんじゃないかとすら思った。
そしてまた怪我をした。手術しなかった方の方を外した。
なんとかベンチに入れてもらうのがやっとだった。。覚悟を決めて新たなスポーツをはじめ4年という短くない年月を「自分」に注力した結果、試合に出て活躍するどころかチームに迷惑をかけるまでになっていた。同期や後輩が怪我を負って試合に出る中、自分はピッチの中でも外でも迷惑をかけ下を向く機会が増えていた。
 
そんな中自分なりに少しでも力になれればと思ってやったのが、Bチームとして対戦相手の再現をすることだった。4年生になって結局サポートに回っているというのも皮肉なもんだと思ったけど、ビデオを見て相手のアタック、ディフェンスの特徴を観察したり、ハイパントを練習してみたり、自分なりに全力でやってみた。
対抗戦最終戦、結局試合にはほぼ出られなかった。けれど勝ってとても嬉しかった。自分がでてない試合で勝ってこんなに嬉しかったのは初めてだった。久しぶりに感じた「変化」だった。

4年間でわかったのは自分は平凡な人だということだ。4年前から薄々わかっていたのかもしれないが、スポーツを変え環境を変えてもなお、試合に出て活躍するどころか、試合にも大して出れないままに終わった。リーダーという面からも、4年になり肩書きだけは増えたがカリスマ的に引っ張ることなどできなかった。
学んだのは自分にできることをやるしかないというこれまた平凡なことだった。頭では知っていたことを身をもって学べたのは良かったのかもしれない。
 ただ運がいいことだけは自分の唯一の取り柄だ。ここまでで経験し学んだことを発揮できる試合が二つも残っている。反省や後悔は後からすればいい。残りの時間を最高に濃く過ごしたいと思う。
 最後に青山監督、深津コーチをはじめとするコーチの皆様、僕に1からラグビーを教えてくれたJrコーチの皆さん、本当にありがとうございました。Jrコーチの中にはなぜか4年間コーチをしてくれた人もいますが、4年間ラグビーを続けることができ今の自分がいるのはその方のおかげです。ありがとうございました。
練習に付き合ってくれた先輩、今年必死に体を張ってくれた後輩にも感謝したいです。ありがとうございます。

 感謝をいうべき人はきりがないのでこの辺にしておきます。次は練習リーダーとしてチームを引っ張りこちらも後輩からの人気の高いゆうがに回します。



 

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