ラグビー部リレー日記

何十年経っても

投稿日時:2019/12/21(土) 20:16

4年間多くの時間を共に過ごした河合からバトンを受け取りました、主将の野村です。河合なしではこのチームは成り立っていなかったと思います。本当にありがとう。

偶然か、運命か、ラグビーに出会ってから約8年。とても長くなりますが、最後なので8年間を振り返りたいと思います。



 高校入学時の僕は、ラグビーについてほとんど知らなかった。高校で入る部活もすでに決めていたので、ラグビーをする気はなかった。先輩があまりに熱心に勧誘してくれたので、真剣に話を聞き、試合を見に行くと、心が震えた。こんなに熱くカッコいいチームで、花園出場という目標を追い求めたいと心から思った。
初めは何もわからなかったが、熱心な先生・コーチのもとで、強い先輩方と練習をするうちに少しずつ成長した。やっと成長を少し実感し、これからだ、というときに膝の前十字靭帯を切った。それからは一年に及ぶリハビリで、全国選抜にも、花園を懸けた大会にも出られなかった。その後、復帰したものの何度かまた膝のけがを繰り返した。非常に期待していただき、キャプテンを任されたにも関わらずその使命を果たすことが出来なかった。追い求めた目標も達成することは叶わなかった。
高校生の僕は夢を叶えることができなかった。それでも、ラグビーを通じて得た経験や出会いは素晴らしかった。だから、大学でももう一度心震えるような挑戦がしたいと思った。東大を目指したのも、「対抗戦A昇格」にチャレンジしたいと強く思ったからである。
そのために浪人して必死に勉強をした。浪人中は勉強だけの日々で楽しかったとは言い難い日々であったが、東大でラグビーをしたいという気持ちで頑張った。結果、東大に合格することができた。

 晴れて大学に入学でき、やっとラグビーができると希望に満ちていた。しかし、ここでも、これからAチーム入りを目指そうという山中湖合宿で骨折をしてしまった。治ったころには1年目の対抗戦は終わっていた。
高校時代から地道に積み重ねてきたトレーニングやケアなどがやっと実を結んだのか、2年目は大きなけがをせず定期戦、対抗戦とほぼ全ての試合にスタメンで出していただくことができた。チームはフィジカルにフォーカスし、身体を大きくし、コンタクト、モールなどに非常に時間をかけて取り組んだ。それが実を結び明治大学相手にFWで2トライとれたときは本当にうれしかった。しかし、目標の入れ替え戦には遠く及ばなかった。対抗戦の厳しさを肌で感じた。目標達成の力になることができなかったことが悔しかった。
3年目は、前年のベースと反省をもとにフィットネスに重点的に取り組んだ。また、大石が分析のノウハウを持ち込んでくれたこともあり、分析にも力を入れた。走りこんだことにより、プレーの精度も上がった。個人的にも、春には過去最高といえるパフォーマンスができている自信もあった。しかし、またも古傷が痛んだ。病院へ行くと引退をすすめられるほどであった。膝を治すためには通常の再建よりも時間のかかる2回の手術が必要であった。それでも僕の中には引退という選択肢はなかった。この頃には既に来季の主将を務めることが決まっていたし、何よりもまだ目標への挑戦は終わっていなかったから。そこからはまた約1年のリハビリ生活であった。この秋、チームは目標の4勝を達成することができた。このことは取り組んできたことが間違っていなかったという自信が得られ、嬉しかったが、それと同時に上級生として期待していただき、役割も与えてもらったにも関わらずあまりチームの勝利に貢献できなかったこと、そして勝った試合も、負けた試合も、グラウンドに立てなかったことが一番悔しかった。

 そして迎えた4年目は、間違いなく人生で一番大変な一年であった。シーズン開始前から、とにかくミーティングや議論を重ねた。大きく意見の割れた目標設定などからはじまり、戦術・練習・分析といったラグビー的な面はもちろん、チームとしての在り方やメンバー選考など、挙げればキリのないほど、ラグビー部に関わる全てのことに責任を持たなければならないし、考えなければならなかった。オフであっても、練習後疲れて家に帰っても、どこにいてもそれは変わらなかった。それでもとにかく、目の前のことに必死に取り組んだ。が、上手くいかないことばかりであった。春シーズンは怪我人が続出し、定期戦や国公立大会を棄権することになってしまった。春シーズンを0勝で終え、沈むチームの雰囲気も良くすることが出来なかった。自分は長いリハビリを乗り越えやっとの思いで復帰できたものの、チームを引っ張るようなパフォーマンスはできなかった。あれほど心震わせたラグビーは、いつしか主将の重圧や責任によって、心を押しつぶす重荷のようになってしまっていた。ラグビーを楽しめずにいた。それでも、もがき続けた。すると、夏合宿の慶応戦や菅平では少しずつ手応えを感じられるようになった。合宿期間を経て、やっとやってきたことが形になってきたところだった。
 そして期待と不安の入り混じった最後の対抗戦初戦。またも絶望を味わうこととなった。負けたことによってやってきた全てが否定されたようだった。またも悪い流れを変えられない、リーダーとしての無力さを痛感した。それでも試合後の火曜には試合の反省や課題、改善点やフォーカスを示さなければならない。次の試合に向かって準備をしなければならない。悔しくて眠れない夜も、ミーティングの内容を考え続けた日も、1日中分析のビデオを観た日も、何度もあった。起きているときはもちろん、夢の中で考えているときもあった。そんな中でまたラグビーが嫌になり練習に行くのが辛い日もあった。
だけど、そんな日でも、絶対に辛そうな顔はせずに、ラグビーを楽しむ気持ちを忘れずにいようと決めていたから、とにかくその気持ちだけは忘れないようにした。リーダーの感情や行動はどんな形であれチームに影響を及ぼすからである。実際にそれができていたかというと全てがそうではないと思うが、毎日そういう気持ちで練習へ行った。
 すると、どんなに悩んで練習に行った日でも、グラウンドへ向かって練習をすれば気持ちを切り替えることが出来た。ボールを持って走る瞬間は、タックルに入る瞬間は、すべてを忘れて夢中になることが出来た。そして何より、グラウンドにはたくさんの仲間がいた。選手よりも早く準備してくれるスタッフ、忙しい中グラウンドに来てくださったり、ビデオを細かく見てアドバイスを下さる監督コーチの方々、情熱をもち身体を張ってプレーするチームメイト、トレーニングに励むDLの皆、練習後にふざけるチームメイト、など、ここには書ききれない多くの人に勇気をもらったから、頑張ることができた。そうして、不器用ながらも前を向いてもがき、進み続けられた。そして迎えた対抗戦最終戦、熊谷で一橋に勝つことができた。心の底から、魂が震える戦いができた。そして、ラグビーは一人では何もできなくても、仲間と共になら何かを成し遂げられることを教えてくれた。目標には遠く及ばなかったけれど、この一年、チームも自分自身もシーズン当初とは比べ物にならないほど成長することができた。


 こうして振り返ってみると、楽しいことや嬉しいことよりも辛いことや悔しいことを圧倒的に多く経験してきました。それでも、もがきながらも戦い続けたラグビー人生に、悲しみや後悔の感情は一切ありません。京大戦前日の今、あるのは感謝の気持ちだけです。最後に感謝の気持ちを書き記させてください。

 まずは、ラグビーというスポーツに出会えたことに感謝しています。ラグビーに出会えたから、本当に多くの仲間や素晴らしい人達と出会うことが出来ました。そして、様々な経験をし、人間として大きく成長させてもらいました。僕をラグビーに誘ってくださった先輩や先生には本当に感謝しています。
 OB・監督・コーチ陣・トレーナーをはじめとしてサポートしてくださる方々へ。東大ラグビー部はグラウンドからコーチ陣まで、ラグビーに集中できる環境が揃っています。それなのに、結果を出して恩返しすることはできず、申し訳なく思います。お忙しい中グラウンドに足を運んでくださったり、ビデオをみてアドバイスくださったり、相談に乗ってくださった方々には本当に頭が上がりません。自分もそんな大人になりたいと思える方達ばかりでした。また、金井さんをはじめ、たくさんの人たちのサポートなしでは今日までグラウンドに立ち続けることはできなかったと思います。本当にありがとうございました。
 チームメイトへ。先輩にも、後輩にも、同期にも、本当に尊敬できる人がたくさんいます。特に今年はチームを上手く導くことができず迷惑をかけましたが、共に戦ってくれてありがとうございました。皆と過ごしたこの日々を、絶対に忘れません。
 家族へ。たくさん怪我をしました。膝を中心に、合計7回も手術をしたし、脳震盪により救急車で運ばれたときもありました。それでも、ラグビーをやめろとは一度も言わずに応援し続けてくれてくれました。本当にありがとうございました。
 明日の京大戦では、お世話になった多くの人が観に来ていただける予定です。ラグビーを通じて成長した姿を見せたいです。
 京大戦が出来ること、そしてスイカを着て戦えることは決して当たり前ではなく、とても幸せなことです。感謝の気持ちを忘れず80分間思い切り楽しむとともに、怪我をしている後輩達に勇気を与えるようなプレーをして引退したいです。




これから何年、何十年経っても、ここに記した思いを忘れない。
戦い続けた日々を胸に、魂を震わせ生きていく。

主将 野村湧


 

 

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