ラグビー部リレー日記

心の命ずるままに

投稿日時:2024/12/13(金) 16:51

小学校2年生で初めて会った時から中身はおろか体の大きさも一切変わっていないのをひげで誤魔化している倉橋からバトンを受け取りました、桑田昴です。新歓期に倉橋を一人で練習に行かせたこととか覚えてないけど申し訳ない。お世話すると言っていますが、これまで私が回収してきたすべての言動を忘れてしまったのでしょうか。来年は大学4年生としての心構えを教えてあげようと思います。大学院の授業、一緒に受けてくれてもいいですよ。 

 

 

4年間、そしてラグビーを始めてからは15年間、ラグビーには本当にお世話になった。 

ラグビーが好きだった。でも、うまくなれなかった。本当はラグビーで高校に行けるくらい、大学に行けるくらい、うまくなりたかった。でも、なれなかった。いや、なれたのかもしれない。頑張れば。自分はこれまで最大限の努力をしてきたと思っていたけど、果たして本当にそうなのか。自分で勝手に限界を作っていなかったか。たぶん、作ってしまっていた。人生のすべてをラグビーにささげることはできていなかった。時間があれば自主練をしたり、筋トレをしたり、試合の動画を見たり、できなかった。でも、だからと言って、ラグビー以外に自分に何かあるかといわれると、ない。中途半端だったかもしれないけど、自分が割けるリソースのほとんどをラグビーに割いていたと思う。ラグビーに、自分なりに自分のすべてをかけてきたんじゃないかと思う。でも本当は強豪校でラグビーをしたかった。高3の自分はその挑戦をしなかった。ラグビーだけじゃ生きていけないと分かっていた。じゃあどうすればいいか、どうすれば自分を正当化できるかと考えた時、思い浮かんだのは勉強を頑張ることだった。幸い自分はある程度勉強はできた。ラグビーは下手だから、せめて勉強は頑張ろう、そう思っていた節があったと思う。東大でラグビーをすることは、ラグビーから離れられなかった自分への言い訳だったかもしれない。 

 

でも、結局、大学4年間で自分が一番時間を割いたのは、ラグビーだった。今では、東大でラグビーをすることの価値が明確にわかる。”tackle the elite”の精神も自分の支えとなった。ラグビーエリートでない自分が泥臭くラグビーをすることは明確に価値がある、はたから見たら勉強しかやってこなかったような集団が、強豪校に勝つことには明確な価値があるとわかる。だから今では、東大でラグビーをしてよかった、と心から思える。 

 

東大ラグビー部は自分を成長させてくれた。コーチ、先輩、同期、後輩の一言一言が、財産になった。 

きつい練習、ウェイト、理不尽な量の食事など、いやなことにも何とか耐えられるようになった。精神的な苦しみにはそこそこ強くても(これもラグビーのおかげ)、肉体的なものはだいぶきつかった。それでもなんとかやれたのは、自分より強い憧れの先輩、絶対に負けたくない同期、なんだかんだかっこ悪いところは見せられない後輩の存在があったからだと思う。 

また、最後の1年でようやく、タックルができるようになった。これは自分の中で自信になった。これまで、本当にタックルができなかった。高校生の時は、経験者が自分しかいないチームなのに、一番タックルができないからDFのときだけFBをしていたほどだ。ラガーマンとしては本当に幼稚な成長だけど、自分にとっては大きな一歩だった。ようやくラガーマンになれたような気がした。去年、國枝さんにずっとタックル練習を付き合って頂いた。あまりに成長しなくて絶望したと思いますが、根気良く付き合ってくれて本当に感謝しています。あのとき「相手に勝つ気持ちでいるか」と言われたのが印象に残っている。自分でもどこかでタックルしたくないというオーラが出ていたんだと思う。それを見抜かれていた。 今は、相手をトライラインまでドライブして青天させるつもりでタックルしている。去年安富さんに、「本当に優しいやつは相手を殺す。自分の仲間が大切だから」と言われた。そのときは変われなかったけど、ようやく理解できたかもしれない。最近は安富さんだけがしつこく「桑田はフィジカルの選手だ」と言ってくる。別にそんなことはないです。 

試合への臨み方など、メンタル面でも多く学ばせていただいた。 

1年の時、原さんが「勝ちたい」と言っていたのに震えた。自分は23番に入っているのに、もっとふわふわした気持ちでプレーしていた。試合に出ない原さんの当事者意識に驚いた。今考えたら勝ちたいと思うのは当然だが、当時の自分には新鮮だった。 

1年の成蹊戦の後、深津さんが「勝てる」じゃなく「勝つ」んだとおっしゃった。また震えた。勝ちたい、じゃダメなんだ、勝つんだ、そう信じないやつに勝利はない。ほかにも深津さんには、全力で練習に臨む姿勢、レフリーへの態度、スタッフへの感謝など、勉強させていただいた。ありがとうございました。 

そして、大西さんの言葉は、戦う者としての覚悟、進むべき道を示してくれた。「試合が終わって笑って帰る姿を想像するな、五体満足で帰れると思うな」。今年になってからは、これを考えて臨めていると思う。 

 

 

東大では、だいぶ自由にやらせてもらった。自由すぎて去年などはチームに迷惑をかけてしまったこともある。今考えたら力になれず大変申し訳ない。本来であれば、経験があり、試合にも前から出ていたので、もう少し発言したほうが良かったのかもしれない。同期に頼ってしまった部分も多くあった。いまでも新しいポジションで、やりたいことをやらせてもらっている。最後の1か月でも挑戦させてくれることに、感謝しかない。そのおかげで、今でも毎日、グラウンドに行くのが楽しみと思えている。残りの短いラグビー人生も全力で楽しみたい。 

 

引退を前にして思い出すことはいくつもあるが、試合では、1年生の時の京大戦が印象に残っている。小さいころからの夢、憧れであった秩父宮プレーできたというのももちろん印象的である。ただ、それよりも、あの試合のチームの雰囲気が忘れられない。キックオフの瞬間から、負ける気がしなかった。一切怖くなかった。逆転トライをとられて、キャプテンの杉浦さんが負傷退場したとき、ムードは最悪になってもおかしくないのに、怖くなかった。1年の俺が負ける気がしなかったんだから、みんなもそうだったんだと思う。正直観戦していたら、あれほどヒヤヒヤする試合はないと思う。引退試合のラストワンプレーで逆転なんて、普通に聞いたら劇的も劇的過ぎる。でも、あの瞬間ピッチに立っていた時、この勝利は必然だと思った。もう一度、あの感覚を味わいたい。この4年間を証明するような、魂を震わせる試合をしよう。 

 

 

さて、礒崎と倉橋のリレー日記で、「桑田に連れられてラグビー部に来た」という話を読みました。塩谷を加えた3人は、何を隠そう、自分がラグビー部に連れてきたメンバーです。彼らのリレー日記にもあった通り、塩谷と礒崎はアメフトの新歓で、倉橋はオンライン授業で発見しました。正直多少強引なところもあったかもしれないので、4年間続くか心配になったこともありました。そんな心配が杞憂に終わってよかったです。塩谷がやめると言い出した時はさすがに焦りましたが、最近、ようやく「野球よりラグビーのほうがやりたいかも」と言ってくれるようになりました。あと3週間でラグビーから逃れられなくしてやります。 

 

 

小学校2年生でラグビーに出会ったときから、人生が変わりました。もう、ラグビーなしの自分は想像できません。ラグビーが自分を形作っている、そう強く感じます。引退したらプレーはしなくなりますが、ラグビーに関わり続けて、ラグビーに恩返ししたいです。ラグビーが与えてくれたすべての出会いに感謝して、このリレー日記を終わります。感謝の言葉は直接お伝えしたいです。 

 

 

次は、ラグビーへの情熱が半端ないりんにバトンを渡します。新歓委員では私が委員長なのにかなりの仕事をりんにやってもらった気がします。テーピングもいつもありがとうございます。まあにんげん持ちつ持たれつですね。りんと違って僕は話しかけやすい人間なので、話したい後輩がいたら教えてください。仲介します。 

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