ラグビー部リレー日記

大航海

投稿日時:2025/12/26(金) 00:00

同じ九州出身のはるとからバトンをもらいました、4年の辻金大です。
はるとには僕がいつもダルがらみをするので基本邪険に扱われますが、それは他の人が近くにいる場合であり、2人の時には割と話を聞いてくれる、ツンデレなやつなんだと思っています。紹介が短かったことは残念です。名古屋戦後の様子を激写されてしまったので、京大戦の際には激写し返します。


ついに最後のリレー日記になってしまった。
ラグビーに出会ってもう10年になる。それなりに積もる話もあるので冗長な文章になってしまうが、お付き合い願いたい。


ラグビーには中学生の時に出会った。同級生のお父さんがラグビー部のコーチをしており、知ってる人だからという理由で何となく体験会に行ってみた。これまで体育以外ほとんど運動をしたことが無く、昼休みや放課後に積極的に外で遊ぶ子でもなかったので、とても新鮮な経験だった。部の雰囲気に惹かれたことや体が大きいことを褒められて、楽しそうだったから入部を決めた。もちろんきつい練習もたくさんあったが、中学ラグビーの3年間はとにかく楽しく、同期も多くて、さらにそこそこ勝つことが出来た。その当時の最高成績を更新して引退した。純粋にラグビーが好きで楽しかった。


高校へ進み、一緒の高校に進学した同期と共に入学式前からラグビー部の練習に参加した。みんなも続けてるし、別に他にしたいこともないし、とりあえずラグビーを続けようと思った。けど、そこでのラグビーは、中学までとは全く異なるものだった。まずサイズが全然違うし、コンタクト強度も高い、何より「楽しむ」というより「勝つ」ためのラグビーだった。中学での楽しいラグビーに浸かっていた僕にとって、そのラグビーはとても苦手だった。練習の多さや強度に耐えかねて、次々と同期が辞めていった。僕もそれを見ながら、「このままだとラグビーが嫌いになりそうだ」と思い、1年生が終わるころに部を去った。


時は進み、1浪して東大に合格した。「せっかく東大に入ったのだから勉強を頑張ろう、でも軽く運動したいからサークルとかも入りたいな、バイトも家庭教師とかしちゃって。」と新生活に思いを馳せた。一瞬、ラグビーのことが頭をよぎった。ラグビー部には原さんがいることは知っていたので、ご挨拶しよう程度にご飯に連れて行ってもらった。色々聞いてラグビー部楽しそうだなと思ったが、高校であんな目にあって今更プレーヤーをする気力もないし、スタッフも良さそうと思った。ご馳走になったし、一度だけ新歓に参加してみることにした。3年振りのラグビーはとても楽しかったし、ラグビー部の部員の雰囲気がとても良かった。そこで中学や高校の頃を思い出した。関わってきた同期・先輩・後輩など、僕はラグビーそれ自体ではなく、ラグビーに関わる人たちに魅力を感じていた。うまく言語化できないが、ラグビー部特有の温かい雰囲気がある。大学でも、それを感じられるような仲間が欲しいと思った。また高校で退部したことについて、見捨ててしまった同期・先輩のこと、そして中途半端に投げ出した自分への後悔が心の中で引っかかっていた。
だから、4年間絶対に続けることを目標に、良い仲間をつくるために入部を決意した。

同期はそこそこ多く、やはりラグビー部らしい雰囲気で楽しかった。練習は高校に比べてはるかにきつかったが、4年間続けることを絶対に曲げたくなかったので何とかしがみついた。経験者ということで試合に出る機会も多く、充実した1年生を過ごした。一方で、勝利への意欲とかシビアなポジション争いとかは苦手で、そこへどんどん挑戦する同期はすごいなと思った。

2年生になっても苦手は変わらず、自分のできる範囲でのレベルアップを続けた。1年生末からコンバートしたHOのおかげで、春から運良くA戦のリザーブを獲得した。でも自分はチームにとって重宝されるような強いプレーヤーでもないし、ただHOの控えがいないから当てはめられただけの地位だと思っていた。そんな中、秋シーズンスタート直後に練習で前十字靭帯を断裂した。大西さんにとても怒られたことを覚えている。スイカを着ることの自覚と責任を、自身の怪我を代償として実感した。
これまで中学校での3年間・高校での1年間ラグビーをしていて、歯を折った以外には捻挫などの軽い怪我すらもしたことがなかった。その理由は、準備運動をちゃんとやっていたとか、そこまで強度が高くなかったとか、軽いプレーしかしなかったとか、いろいろ理由はあると思う。周りの同期や先輩、後輩で怪我をする人はもちろんいたし、痛そうとか大変そうとか傍目から見て思っていた。だから自分は「怪我しない側」なんだと思っていた。そんな甘く、高を括る考えがダメだったんだろう。よりによって初めてにしては大怪我を負ってしまった。でも当時、最初は実感がなかったというか、自分よりも周りの方が驚いて心配していた。別に歩く分には普通に歩けるし、まだラグビーを続けるために手術するんだなくらいの気持ちだった。

3年生になり、コツコツとリハビリをしながら、チームの主力として活躍する同期をグラウンドの外で応援していた。みんなはあそこにいて、僕はここにいて、置いていかれてしまったように感じることも増えた。それでも腐らずにDLのみんなを巻き込んでBBCなどに取り組み、7月ごろに復帰した。夏合宿で試合復帰も果たしトライも取れた、久しぶりのラグビーがとても楽しかった。怪我で短くなってしまった残りのラグビー生活への意識や頑張っている同期の姿に刺激を受けて自分のプレーにも熱が入り、それまで漫然とラグビーをしていた頃とは違う気持ちが生まれ始めた。
その矢先にまた怪我をした。復帰してまだ3か月くらいだった。タックルを受けて起き上がろうとしたら、足首が脱臼して違う方向を向いていた。もうよくわからなかった。担架で運んでくれた上岡先生に「歩けるようになりますか」と聞いたことを覚えている。そこからは入院・手術・リハビリとなすがままに事が済み、また振出しに戻った。病床で観戦する試合では同期がみんな活躍している。来年のチーム体制の話し合いも始まりかけの頃だった。自分だけがまた遠くにいて、みんなチームのことや先の話をしているのに、僕は自分の今のことしか考えられない。そんな自分が嫌で、身に降り注ぐ怪我にもうんざりし、心が離れそうになった。
でも辞めなかった。それは4年間続けると決めた僕の小さなプライドかもしれないし、ラグビー部の存在が自分の中でとても大きいものだったこともあると思う。この状態の自分でも何かできることはないか、悩み考えた。
学年MTGを経て主務を任されることになった。ようやく何かしらみんなの役に立つことができると思えて、嬉しかった。

4年生となり、同期10人で最後の1年がスタートした。
主務としてはマネジメントを何も知らないところからのスタート。1年を通して首脳陣・コーチ陣・スタッフその他関係者へ様々な迷惑をかけてしまったことを申し訳ないと感じている。部内に対しても、もっと部の雰囲気や規律の部分からチームを支えることができたのではないか。僕の見てきた主務たちはもっと円滑にチームを動かし、プラスアルファで部全体を良い方向へ導くような効果も生んでいた。それでも今年の主務は僕で、それは同期に任された大切な役割なわけで、同じ4年生としてチームを引っ張る存在として対等であるために、自分の弱さと向き合いながらここまで続けることができた。
選手としてはリハビリを続けて春シーズン終わりに復帰を果たした。対抗戦も途中からリザーブに選んでもらい、3年の怪我の時には諦めかけていたプレーでの貢献も多少は出来たのかなと思う。けれどチームの勝敗を左右する大事な局面にはあまり関われず、悔しい秋シーズンだった。一方で、中学生以来のラグビーが楽しいシーズンだった。あの頃の気持ちを思い出すことができて良かった。

そしてついに、今週末の京大戦で引退を迎える。思うようにいかない4年間だったけれど、きついことも多い4年間だったけれど、もう数日で終わると思うと少し寂しい。最近何もかもがラストの機会となっていく、まだ実感は薄いけれど確実に終わりが近づいてきているのだ。


1年前の京大戦、長く一緒に戦ってきた1個上の先輩たちが悔し泣きしながらピッチを去った姿を今でも鮮明に覚えている。グラウンドの外で松葉杖をつきながら、涙を流してそれを眺めていたことを思い出す。
必ずリベンジを果たそう。


この場を借りてこれまでお世話になった方々へ感謝を述べたいと思います。

東京大学ラグビー倶楽部の皆様・執行部会の皆様
日頃より部の活動にご尽力・ご支援いただき、誠にありがとうございます。主務として関わる中で、様々な面で支えていただいていることを実感いたしました。至らぬ点も多々あったかと思いますが、大変お世話になりました。

青山先生
たびたび助言をいただきありがとうございました。「怖い・厳しい」主務になれず申し訳ないです。はるとと同じく、僕も「ピンチ・チャンスは男の花道」を大事にしたいと思います。

川出さん
運営面でもプレー面でも多くの助言をいただきありがとうございました。昨日のタックルの助言、京大戦で活かしたいと思います。

一聡さん
2年間お世話になりました。中々成長しきれないプレーヤーで申し訳なかったです。試合中の「きんたー!」の声ありがとうございました、最後の試合では誉め言葉として叫んでもらえるよう頑張ります。

大西さん
2年間お世話になりました。「ラグビー」とは何か、「ラガーマン」とは何かを学びました。今までと全く違うラグビーを知ることができ、大きく成長することができたと思います。BBCもCCも今となっては良い思い出です。

杉本さん
1年間お世話になりました。スローの技術向上はもちろん、毎MTGでのマインドやチームの統一感についてのお話がとても響きました。京大戦もSシェイプ・山なりのスローを連発します。

その他コーチ陣
中垣さん・鳥飼さんをはじめ、様々な方に協力していただいて今年のチームが形になったと思います。本当にありがとうございました。

メディカル陣
膝・足首と大変お世話になりました。膝を執刀していただいた鬼木先生、足首を執刀していただいた森嶋先生をはじめ、田崎先生、荒木先生、工藤さん、笠原さん、上岡先生、SBC東京医療大学の学生さん、熊本回生会病院・広尾病院の皆様、その他多くの医療従事者の方々に御礼申し上げます。大怪我をしてもまたラグビーができるようにしていただきありがとうございました。
また年明け広尾病院にはお世話になりますので、よろしくお願いいたします。

復帰していただいた4人
あきおさん・一木さん・辻さん・安富さん、この1年間本当にお世話になりました。グラウンドでの活躍はもちろん、プレー以外でも助けていただくことが多く、とても頼れる先輩方でした。最後までよろしくお願いします。

後輩
4年生が少ない中、みんなのおかげで今年一年戦うことができました。特にB戦で一緒に戦うことが多く、凄まじい成長スピードにたくさん刺激を受けました。これからもずっと応援しています。いつでもご飯いきましょう。

同期
4年間本当にありがとう。みんながいたから続けてこれたし、みんなのおかげで頑張ることができた。途中で違う方向へ進んだ人たちも、ここまで一緒に歩んできた人たちも、みんな僕にとってかけがえのない同期です。みんなにとっては調子のいいうるさいやつだったかもしれないけど、今後とも長く付き合ってほしいです。

熊大附中ラグビー部
ここで出会ったラグビーが、こんなに長く続くとは思ってもいませんでした。様々なステージで活躍する同期・先輩・後輩をインスタなどで見かけたり、菅平合宿で再開したり、いつも元気をもらっていました。少しずつ恩返しできたらと思います。今後もよろしくお願いします。

家族
いつも応援してくれてありがとう。高校ラグビーを途中で辞めて1浪してまで入った東大で、またラグビーをすることになるとは驚いただろうと思います。最年長なのに兄弟の誰よりも成長期で、帰省する度にたらふくご飯を食べさせてもらいました。家族の支えなしではここまで走り切ることはできなかったと思います。東大ラグビー部で満ちた4年間の生活は幸せでした。来年も社会には出ず学生を続けることになるのであと少しお世話してもらうことになりますが、何卒よろしくお願いします。


4年間続ける・良い仲間をつくるという入部当時の目標・目的は達成された。でも最後の1年でそれは少しずつ変わった。今は、ラグビーで勝つためにラグビーをしたいと思う。
最後の一戦、仲間を信じて自分を信じて、謙虚に泥臭く戦います。


次はFWの大黒柱、副将のげんとにバトンを渡します。ラグビーほぼ未経験から、恵まれた巨体と持ち前の貪欲さでメキメキと出世を遂げていきました。戦いにアツく、思考はクールに、ファッキンワンダフルなプレーヤーです。下級生のころ一緒にカフェや古着屋さんを巡っていたことがとても懐かしいです。あの頃の記憶を頼りに今もときどき渋谷・下北のカフェを訪れています。
常にフィールドでチームを引っ張ってくれてありがとう。これからは法曹に進むみたいなので、法律のことは詳しくないけど分からない日本語とかあったら遠慮せず聞いてね。
 

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