ラグビー部リレー日記

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感情の財産

投稿日時:2022/12/04(日) 19:00

いつの間にか現役部員で唯一の同郷となってしまった彬からバトンを受け取りました、河内です。
確かに最近、彬君の家で観葉植物に囲まれながら漫画を読み非常にリラックスした時間を過ごさせてもらっており、悔しいですが負けを認めざるを得ません。
今年はS&Cセクションのリーダーとして色々任せっきりにしてすいませんでした。部活が終わったらまた一年生の時みたいに一緒にウエイト行きましょう。

中一の春に、ラグビー部に興味を持っていました。偶々地元の中学校にはラグビー部があったのですが、入学してどの部活に入ろうかという時に、小学校までやっていたサッカー部と、何となくやりたかったラグビー部とで迷いました。担任の先生がラグビー部の顧問で、よく「One for all, All for one」がどうのという話もしていたのでそれもあるかもしれません。一週間の体験入部期間があり、両方の部活を体験しようと思っていたのですが、何となく先にサッカー部の体験に行きました。すると先輩に丸め込まれそれから毎日通わされ、結局一度もラグビー部の体験に行くことなくサッカー部に入部してしまいました。グラウンドの反対側で泥まみれになりながら楽しそうに楕円球を追いかけている集団のことが若干気になりつつ、中学を卒業しました。

高校では部活にしばらく経って行かなくなってしまい、他に特に力を入れる活動があるわけでもなく単調な日々を送りました。このこともあり、大学に入学して様々なサークルの新歓を見ていると中学時代の充実した生活や部活を通してできた仲間との絆などが恋しくなり、運動部に入ることを考えました。ラグビー部の新歓パンフレットを読むとラグビー未経験で入部する人も多いとも書いてあり、中学の時は行けなかったラグビー部の体験に行ってみようと思いました。ラグビー場に着くと、意味がわからないくらいデカい人ばかりでした。先輩はともかく新入生も経験者や高校でバリバリ部活をしていた人が多く、高校でろくに運動していなかった自分がやっていくのは無理に思えました。しかし、ラグビーをやってみたかったのと、一見無理に思えるからこそ4年間努力してどこまでいけるのか試してみたい気持ちもあり、入部しました。

入部してすぐ、考えが甘かったことに気づきました。練習はキツくついていくのがやっとで、いつまで経っても先輩に追いつけない気がしました。自分の努力は甘く、もっと厳しい努力をしている人がいくらでもいました。身体にも限界が来て、夏の終わりには疲労骨折をしました。DLにいる間に他の同期はメキメキと力をつけ実戦経験を積み、自分は大きく遅れをとりました。試合でまともにタックルすることもできないまま1年生のシーズンが終わりました。2年生になりシニアとして上級生に混じって練習するようになると、実力不足を直に感じる日々が続きました。
口に出したことはないのですが、苦しい時にはいつも部の人たちに救われていました。毎日アドバイスをしてくれて、僕がいいプレーをすると他人事なのに喜んでくれる先輩方。お世辞でも自分のことを目標(通過点)だと言ってくれる後輩。そしていつも一緒に頑張ってきた同期達。皆さんのおかげで練習に出続けることができました。

3年生の春シーズンには初めてスイカを着ることができ、またチームの勝利に関わることができました。努力が少し実った気がして、それまでやってきてよかったと思いました。
4年生として迎えた今シーズン開始時、ロックからフロント(1番)に転向しました。増量や1年間でスクラムが組めるようになるかといったことが不安で、最初國枝に話を聞いた時ははっきりした返事ができませんでした。1番として初めてスクラムを組んだ時、相手の3番に何もできずボコボコにされどんな工夫をしても全く改善できず、対抗戦に間に合わないのではないかと焦りましたが、色々な相手と組ませてもらい修正を繰り返す中でだんだんと形になっていきました。少しずつ勝てるようになっていったのですが、相手を押し切り、後ろを振り向いてロック、バックローと共に全員で喜びを分かち合うあの瞬間がとても好きでした。最後の年にフロントというポジションに出会えて本当によかったです。
結局今シーズンの対抗戦では1番のリザーブに入り、出場時間は長くないものの多くの試合に出ることができました。一つ一つのトライ、勝利がチームの4年間の集大成として心の底から嬉しかったです。一方で負けた時には4年間が否定されたような喪失感に襲われ、結果が重くのしかかりました。

 4年前の自分は正直無理な幻想を抱いていたのかもしれません。努力を突き詰めれず、対抗戦にスタメンで出ることはできず、チームとしては入れ替え戦に出場できませんでした。努力が全てを可能にするわけではないと思います。しかし、一つ確かなことがあります。それは、今年様々な場面で味わった感情はどれもラグビー部での自分なりの努力があってのものだったということです。スクラムで勝った時やチームが勝った時、そして負けた時。心の底から震えるようなあの感情はこの4年間でなければ人生で決して味わうことのなかった財産だと思います。

最後になりますが、監督、コーチ、OB/OGはじめ関係者の皆様、4年間大変お世話になりました。またチームの皆さん、僕を受け入れてくれてありがとうございました。4年間楽しかったです。両親には感謝してもしきれません。本当にありがとうございました。

次は、今年一年対面でスクラムを組み続けた笹俣にバトンを渡します。
いつも一緒にいる彼と毎練習バチバチスクラムを組むことに最初は戸惑っていましたが、むしろ仲が深まってホッとしていました。
どれだけ荒れたスクラムを組んでも練習後に一緒に振り返りをしたあの時間が好きです。
 

瀬をはやみ

投稿日時:2022/12/03(土) 19:00

五島からバトンをもらいました、佐藤です。彼は僕がお願いした学館委員の仕事を嫌な顔せず最後までやってくれるのでありがたいです。彼のことは入部するときにプレーヤーを選択していた世界線での自分だと思って応援していましたが、最近になって彼がスイーツやカフェ巡りなどが好きだという新たな一面を知って、僕の中でできていたピュアな彼の像が崩れてしまいました。

彼のためにトレーニング室で時間を使った人は他にもたくさんいると思うので、全員の時間と労力と想いを背負って頑張ってほしいと思ってます。

 

1番最初に書いたリレー日記の題名を「木綿のハンカチーフ」にした時から、題名は曲名や歌詞から引用しようと決めました。あまりにも内容と合っていないのも、単に曲名を取っただけでも、つまらないと思っていろいろとクンカクンカしながら考えるのが楽しかったです。最初こそメジャーな曲

(「木綿のハンカチーフ」太田裕美、「だんご三兄弟」、「天体観測」BUMP OF CHICKEN)

を使っていましたが、後半になるにつれて自分の趣味が顕著に現れる選曲で説明しないと伝わんないなと思っていたので、ここで何を使ったか説明して3年前の無謀な縛りを作ってしまった自分を供養したいと思います。

「Santa Tell Me」Ariana Grande、「世界の秘密」Vaundy、「トモダチ」ケツメイシ、「House」Lucky Kilimanjaro、「earth meal feat. asmi」Rin音

 

広義で解釈すれば和歌も歌の一つになるのでしょうか。
 

瀬をはやみ 岩にせかるる 瀧川の 割れても末に 会わんとぞ思ふ
 

この歌は百人一首という平安時代ベストアルバムにも収録されています。この歌がオチに使われている落語の演目もあります。現代語訳は

「川の瀬の流れが速く、岩にせき止められた急流が2つに分かれる。しかしまた1つになるように、愛しいあの人と今は分かれても、いつかはきっと再会しようと思っている。」

恋愛の歌と解釈されますが、作者の崇徳院の悲しい人生を踏まえればこのたった十数文字に自分の人生を重ねたのではないかと歴史ファンが想像できる余地がある好きな歌です。色々書いていますが、僕は和歌はこの歌しか知りません。この歌を知っていれば和歌も、歴史も、落語も知っているような顔ができるのでコスパがいいと言えるでしょう。おすすめの歌です。

 

思い返してみると今に繋がってるなという経験がある。思い出せないくらい小さい頃、僕は地元の駅で何時間でも電車を見ているような子供だったらしい。乗るわけでもなく駅構内から電車が行き来するのを見ていたそうだ。少し大きくなって砂遊びする時、高く盛った山の上から水を流して川を作るのが好きだった。どこへ行くかもわからない水の道に、顔をギリギリまで近づけて砂がけづり取られていく様子を見ていた。兄たちはサッカーが好きだった。地元のサッカークラブが優勝を決めた瞬間のことを覚えている。バカでかいスタジアムに満杯のサポーターが入る。よく知りもしない赤の他人と一つになる瞬間の熱気、振動を全身で感じた。父は車が好きだった。ゴーカートで車の運転の仕方を教えてもらった。小5のとき、クラスのスローガンはスクラムだった。高校時代ラグビー部だったその時の担任の先生とは、休み時間にタグラグビーをした。小6のとき初めてゲームを買ったシムシティというまちづくりのゲームだった。中学の時、4年後のラグビーのワールドカップが日本であることを知った。豊田スタジアムでも試合があるらしい。今のうちからルールを覚えなくてはとたまたまテレビでやっていた日本対南アフリカの試合を見た。高校の部活の顧問は高校の時ラグビー部で物理の授業の時に必ずラグビーの話をしていた。大学に入学して初めて話た東大生がラグビー経験者だった。サッカー好きの兄たちに対抗して自分はラグビーに詳しくなろうとラグビー部を選んだ。大学の授業でシムシティのような研究している学科があることを知った。研究室を選ぶとき、研究室紹介の遊んでいる様子の写真の中にゴーカートをしている写真があって久しぶりにやりたくなって研究室を決めた。人気の研究室だったけど、噂では部室が研究室に近いという理由で僕を選んでくれたらしい。研究テーマは地中の水の道を調べることになった。まさか大学生になって土いじりをすることになるとは思わなかった。
 

将来のことを考えて行動するのが苦手で、その時やりたいこととか、好きなことを選んでやってきた。電車を見ていたこと、砂遊びをしていたこと、ゲームが好きだったこと、担任の先生の高校の時の部活、父の趣味、出会い。そういう些細なものが今の自分の伏線になっていると思う。

正直、ラグビー部での4年間は、大変だった印象が強すぎて、こういうことを学んだとか、こういう面で成長できたとか客観的にまとめると逆に嘘になっちゃうのではないかという気がしてまだできない。まだ3週間くらいあるし。でも、将来振り返ったときこの部での出来事が、今に繋がってるなって思えるときが来たらなと思います。

瀬をはやみ 岩にせかるる 瀧川の 割れても末に 会わんとぞ思ふ

歌の解釈は人それぞれなので「いろんな出会いや経験が、いろんな分野への興味がいずれ将来の自分につながっていて欲しいな」と解釈することもできるのではないでしょうか。さすがにできなそうです。


最後になりますが、部活に関わってくださっている関係者の皆さん本当にありがとうございます。1年生の頃から3年間S&Cコーチとしてご指導いただいた林さんには、多くのことを教えていただきました。一番影響を受けている僕たちの学年が今シーズンいい試合ができたのは全部林さんのおかげだと思ってます。太田さんには、4年間常に道を示していただきました。太田さんがいなければ適当に部活をして、こんなに辛い思いをしなかったのかなと思っちゃう時もありますが、楽しさを知ることもなかったのかと思います。足元にも及ばない無能な後輩でしたが、僕なりに頑張っていたので許してください。飯奢ってください。両親には、年末帰ったときに直接ありがとうをいいます。大学生の私生活に保護者が関わってくるんじゃないよと思って碌に説明もせず、いろんなことを理由にバイトをせず生活費を稼ぐこともせず、ひどい息子ですが、何も言わずに援助してくれました。将来お金が貯まったら、インテリアのこと詳しくなりつつあるので、家のリフォーム監修します。同期や後輩のみんな、特にS&Cセクションの人たちには迷惑をおかけしました。すぐに機嫌が悪くなるし、仕事は遅いし、とてもリーダー向きな人格ではなかったのは自覚しています。自分たちで課題を見つけて解決していくことの面白さを忘れずに頑張ってほしいなと思います。


 

次は東大ラグビー部の特徴として挙げられる、ラグビー未経験者の枠、代表格、河内にバトンを渡します。地元も近いし、家も近いし、最初から仲良くさせてもらいました。1年の時からウエイトを真面目にサボらずやっていて、今では最強になってほんとにすげえなって思ってます。

1年の時、「家に観葉植物置きたいんだよね」と僕が言ったら、「あきらの家は汚すぎるからダメだよ」と言ったのを覚えているでしょうか。今は、僕の家は綺麗になりました。観葉植物も置いています。河内は漫画を読みにうちに来ますが、これは僕の勝ちってことでいいですか?

皆さんへ

投稿日時:2022/12/02(金) 18:52

ラグビー部で唯一同い年のノブからバトンを受け取りました、五島隆真です。コロナ禍で部活がない時に僕のlineスタンプを作ってくれたことが懐かしいです。いつかお礼します。僕のネタはそろそろみんな見飽きていると思うので、今度二人でショートコントでもしましょう。ネタは僕が作っておきます。皆さんお楽しみに!



今サッカーの興奮さめやらぬままリレー日記を書いています。日本代表の三笘選手と田中碧選手は川崎市の鷺沼出身で、僕の家の近所です。同じ出身の同世代の人が世界で活躍しているのを見て大きな刺激をもらっています。次戦以降も活躍期待しています。



最後のリレー日記では、皆さんに感謝の気持ちを込めて一人ずつ簡単にメッセージを送らせていただきます。



まずは、来年から最上級生としてチームを引っ張っていく三年生へ。

池田 朝早く来てコンタクト練しているのを見ていつも刺激をもらっています。

岩下り DLからの復帰楽しみにしています。

鈴木 またスモブラしましょう。

関戸 いつも元気に挨拶してくれてありがとう。

手島 めっちゃ重いプロテイン運んでくれてありがとう。

西久保 強すぎてびびっています。

橋野 超能力持ってそう。

前川 ディベートやったら勝てる気がしません。

安富 声一番出して練習引っ張ってくれてありがとう。



次に、来年のチームの中核を担っていくであろう二年生へ。

池上 背中でかくてかっこいい。

磯崎り 普通に清潔感ある気がするのに変なレッテル貼られてかわいそう。

一木 笑顔がチャーミング。

稲村 イギリスでも瞬足活かして頑張ってね。

奥山 ロッカー近くてよかった。

小野 ランのセンスえぐい。復帰楽しみです。

倉橋 ちょっとダミアンマッケンジーに似ている気がする。

桑田 一年の時からすごいと思ってました。来年以降B3を引っ張っていってください。

佐々木 いつも走り回って笛吹いてくれてありがとう。

塩谷 スポーツなんでも出来そう。身長ちょっと分けてほしい。

清和 リレー日記でたくさん俺のこと書いてくれてありがとう。

田村 FLとSHの二刀流すごい。

辻し つじつじ ラグビーの知識詳しすぎる。

デイビス 仲良くしてくれてありがとう。

デル 日本に戻ってくるのが楽しみ。カナダでも頑張ってね。

二宮 ユーモアの塊。天才だと思う。

本多 黙々とトレーニングに励んでいてかっこいい。応援しています。

美浦 いつもスモブラ開催してくれてありがとう。

森田 医進すごい、おめでとう。

雪竹 荷物たくさん運んでくれてありがとう。

吉村 ラグビー未経験者の星として応援しています。



大きなポテンシャルを秘めている一年生へ。

石澤 色んなポジション出来てすごい。

石割 走行量多くてすごい。

磯崎ゆ トッポギ美味しかった。ありがとう。

片桐 未経験なのにセンスすごい。

工藤 リレー日記面白かった。

齋藤 キャラ濃いし、面白い。

猿渡 一緒に山中湖入ったのはいい思い出。

辻き 明るくて元気でいいね。

永安 BBCもウエイトもめっちゃ頑張っててすごい。

福元 俺も駒東の囲碁部入ればよかった。

細谷 下の名前かっこいい。

宮田 まつげんみたいになりそう。

領木 逸材。

鷲頭 4年生のアルバム作成ありがとう。

渡辺 身体能力高くて羨ましい。すごい選手になりそう。



M1の垣内さん これからは(も?)同期としてよろしくお願いします。





最後に、一番長い時間を共に過ごした同期へ。



伊藤 いつもドリンク運んでくれてありがとう。食事調査もお世話になりました。

岩下ひ 常にハードワークしていて尊敬してます。

鵜飼 ビデオいっぱい撮ってくれてありがとう。

榎園 SNSの投稿いつもありがとう。

大山 プレーがかっこいい。

河内 常に刺激をもらってた。尊敬してます。

河野 シンスプのテーピングしてくれてありがとう。

國枝 いつもチームのことを考えてくれてありがとう。

後藤 またいつか勝負しよう。

財木 後輩に慕われてて羨ましい。

佐川 今度飲みに行こう。

笹俣 敬語からタメ口になってくれてよかった。

佐藤 一年の時、一緒にウエイトしてたのが懐かしい。

杉井 5454 山梨合宿の後一緒に荷物探しにきてくれてすごく嬉しかった。

谷田 ストレッチ会で体柔らかくなりました。ありがとう。

玉代勢 また服買いに行きましょう。

内藤 サンウルブズ見に行ったの懐かしい。

中村 就活のやつ教えてくれてありがとう。

原 もしまた定期戦があったらよろしくお願いします。

平岡 人気すぎて嫉妬してました。

廣瀬 また一緒に因数分解しましょう。

松元 研究室毎日行ってて部活も早く来てて尊敬してます。

三方 FWをまとめ上げてて頼もしかったです。



以上、部員69名へのメッセージでした。何回か確認しましたが、万が一誰か抜け落ちていたらごめんなさい。



OB、OGの皆様 ご支援、応援誠にありがとうございました。今後の東大ラグビー部もどうぞよろしくお願い申し上げします。



振り返ってみると4年間のラグビー部はあっという間でした。ラグビー部を4年間楽しく続けてこれたのは、ラグビーというスポーツの素晴らしさ、そして何よりみんなのおかげです。ラグビーというスポーツに巡り合い、かけがえのない仲間に出会えたこと、本当によかったです。ありがとうございました。ついに引退まで残り3週間。できることは全てやり尽くして最後の京大戦に臨みます。



次は、S&Cやマネジメントなどで献身的に部のために頑張ってくれたあきらにバトンを渡します。授業のない時間にはわざわざトレーニング室に来てウエイトのフォームをたくさん見てくれました。トレーニング室で一緒に過ごした時間は彼が一番多いかもしれません。

 

おつかれさま

投稿日時:2022/12/01(木) 15:11

ラグビー部で最も幼く見える一方おじさんにも見える平岡からバトンを受け取りました、佐川です。彼は僕がラグビー部の中で最初に話した人で、その時から話している最中に全く目があわないので変なやつだなと思っていましたが、4年の時を経てやっとそのくりくりした目を向けてくれるようになりました。ただ、全体に向けて話すときは相変わらず目線が下に行っているのでそこは改善の必要がありそうです。
平岡が言ったように、最近コルツのヘッドコーチに就任しましたが僕は来週からブラジルに行ってしまうのでほとんどサポートできません。コルツの人には大変申し訳なく思っています。地球の裏から応援しています。

幼い頃から僕の日常にはスポーツがありました。小学校に入る前から空手や水泳を始め、中学校からラグビーを始めて今に至るまで、どれも真剣に打ち込んできました。そのため、東大ラグビー部を卒部すると同時に自分の日常からスポーツがなくなってしまうことを想像すると、少し寂しい気持ちになります。中でもラグビーは練習外の時間も含めると最も長い時間を費やしたスポーツであるため、思うことが多々あります。ラストリレー日記では僕のラグビー生活全般を振り返りたいと思います。

先ほどラグビーを始めたのは中学校からと書きましたが、正確に言うと小学校6年生の秋からです。それまで空手を7年間やっていましたが、父から「屋外スポーツをやってみないか」と言われ勧められたのがラグビーでした。実際に体験練習に行ってボールの投げ方やタックルの仕方を教わりましたが、そのどれもが新鮮でした。それまでまともに球技をしたことがなかったのに加え、ラグビーボールの形も相まって面白そう、やってみようかなと思い始めたのがきっかけです。自分が通っていたラグビースクールは北海道バーバリアンズジュニアというクラブチームで、定山渓を本拠地としています。そこには天然芝のラグビー場が2面、ビニールハウスの室内練習場、クラブハウスなどがあり、今思えば僕のラグビー生活の中で最も良い環境でした。このクラブチームでの練習がその後のラグビースキルを全て支えていたと言っても過言ではありません。コーチも複数人常にいて、パス、キャッチ、コンタクトスキルを教わり、ひたすらそれを繰り返していました。恵まれた環境があり、中学3年生時にはクラブチームの全道大会2冠を達成することができました。

高校の進学と同時に岐路に立たされました。進学先の札幌南高校には空手部とラグビー部がありました。それまで10年間打ち込んできた空手を続けるか、その空手に区切りをつけてラグビー部に入部するかかなり迷ったと思います。結果的にはラグビー部を選んだのですが、もしここで空手部を選んでいたら今このリレー日記を書いてはいなかったと思います。なぜラグビー部を選んだのか、それはラグビーが面白いスポーツだとわかったからです。中学3年間でラグビーの面白さに惹かれ、また全道大会2冠の感動も味わい、このスポーツをもう少し続けていこうと思いました。しかし高校のラグビー部はそれほど甘いものではありません。グラウンドは土、監督もコーチもいない、週5、6の練習。ラグビーのキツさをそこで初めて知りました。試合ではほとんど勝てず、また2年時に肩を脱臼し、これから主将としてチームを引っ張っていかなければいけない時期に何もできずただただ悔しかった。3年時の予選大会でも何もできずに試合に負け、そのまま引退した。高校ラグビーは全体として苦い思い出の方が多かったと思います。そのため、もし現役で東大に進学していたらラグビー部に入部していたかはわかりません。もしかしたら全く別のサークル等に入っていたかもしれません。

しかし大学入学まで2年の猶予がありました。この2年間で苦い思い出が薄れたのか、またラグビーをやっても良いかもと思いました。1年の最初の頃はジュニア練習でラグビーの面白さを再び知り同期にも恵まれ、楽しいラグビー部生活を送っていました。特に金曜日の林さんセッションは楽しかったです。大多数は4限終わりに、自分と玉代勢と財木は5限終わりに(本郷5限後に来る五島という例外もいましたが)林さんのウェイト指導を受けていました。ウェイト初心者の僕達を林さんは笑いながら厳しく(?)指導してくださいました。しかし最初のジュニア試合で腰の骨を骨折してしまい、1ヶ月のDL生活を送ることとなりました。復帰して再びラグビーの練習に参加できると思い喜んだのも束の間、復帰後初めてのコンタクト練習で肩を脱臼してしまいました。この怪我のせいでそのシーズンは全くラグビーができないどころか、手術の日程的に夏合宿に参加することができず、同期との楽しい思い出も作ることができなかったのでひたすら悔しかったです。特に、そのシーズン最終戦であった京大との1年生試合で東大が後半怒涛の攻めを見せ、ゴシゴシ(五島)がトライをとった時は非常に盛り上がりましたが、怪我のせいでグラウンドの外から見ていた僕はその喜びをみんなとその場で分かち合えず寂しかったです。

2、3年生時はコロナの影響があり練習時間は短かったのですが、それでも初めてスイカジャージをもらったのもこの時期で、リハビリや練習をサボらず取り組んできて良かったと思えた瞬間がありました。その中でも印象に残っているのが3年時の対抗戦学習院戦です。前半に大量得点を許してしまい、後半の追い上げも虚しく僅差で負けてしまいました。その試合直後、杉浦さんが涙を流している姿を忘れることはありません。いろいろな思いを抱えて挑んだ試合で勝ち切ることができなかった、杉浦さんに勝ちをプレゼントできなかったと今でも思います。この試合を契機に、自分に厳しくなったと思います。プレーの正確性、判断、本当にそれで良いのか?を頻繁に振り返るようにしました。

4年時はコロナの影響も少なく、多くの練習と合宿を重ねることができました。念願だった合宿に参加できたり、菅平の地を踏むことができたり、ラグビー部生活は充実していました。特にBBCは今までの練習の中で最もキツく、体力だけでなく精神力も鍛えられたと胸を張って言えます。このシーズンのA戦はベンチやグラウンドの外から試合を見ることが多かったのですが、明らかにFWの力が増しているのを感じまた。このチームはフィジカル、メンタル共にシーズン中でも成長を続けているなと実感しました。僕は今コルツのヘッドコーチを任されていますが、コルツの人も常に成長を見せてほしいです。

大変なことも多々ありましたが、楽しい思い出も多く、特に人間的に成長できたラグビー生活でした。ラグビーに限らずここまでスポーツ漬けの毎日を過ごした自分にお疲れ様と言いたいです。まだ終わってないですが。

最後になりますが、監督はじめコーチの方々、OB/OGの方々、保護者の皆様、大変お世話になりました。様々な形で私たちを支援してくださり、ありがとうございました。また、両親には感謝してもしきれません。普段の生活だけでなく大怪我して生活に不自由が生じたときにも常に支えてくれました。今後ともよろしくお願いします。同期や後輩のみんな、楽しい時間をありがとう。

これで僕のリレー日記を締めくくろうと思います。他に言いたいことは色々ありますが、とにかく楽しい4年間を過ごすことができ幸せでした。

次は最近までピュアだとみんなが思っていた五島にバトンを渡します。一年生の頃から天然でピュアなやつだと思い込んでいましたが最近本当の五島を知り驚きを隠せません。またこの頃一発ギャグを披露しなくなりましたが、最後の最後に100連発かましてほしいです。僕は付き合います。
 

18年の財産

投稿日時:2022/11/30(水) 18:51

今年度からスタッフに転向し、自分と部の立場に真剣に向き合っている手島からバトンを受けました、平岡です。手島は怖さを身につけようとしているそうですが、個人的には今の3年で既に一番怖さがあると思っています。来年もしかしたらアシスタントコーチみたいな立場で関わるかもしれなくはないので、番長となった手島に目をつけられないよう、神奈川パート会で買収しておこうと思います。

「なんでラグビーを始めたか」
ラグビー界隈ではよく聞く言葉である。初心者から始める人の多い東大ラグビー部では特によく聞かれ、1年生の時はそれを打ち明ける人が多い。おそらく模範解答は「激しさに魅力を感じた」とか「ワールドカップで好きになった」とか。自分の場合はもう単純に「騙されたから」。家でプラレールばっかりしてる自分(3歳)を不安に思った父親から「足が速くなりたいか?」と聞かれた。そしたらラグビースクールのグランドに連れて行かれていた。無論ラグビーなんて当時自分は知らないし、知っていたらほぼ確実に入っていなかった。ただ、その割には大学になっても続けたスポーツだったから父親のチョイスは正しかったと思う。ちなみに母親はテニスをやらせたかったらしい。申し訳ないけど、本当にそうならなくて良かった。ごめん、テニスは絶対にない。なんなら一番間違ってる。

では次に、
「なんでラグビーを続けたか」
こっちもよく聞かれる質問である。これに対しては、
「それしか出来ないから」「中高でもやったから流れで」「他にやれることがないから」「ラグビーが好きだから」「他のスポーツとかサークルに入る勇気がなかったから」
大体こんな感じになる。まあ大体どれを言っても合っている。正直惰性といえば惰性だし、自分自体、人生でなんでそのチョイスしたかとか考えるタチじゃない。そもそも始まりのところから自分の意思で始めてないから、特に目標とか野心もなくその時その時で楽しんできてた。
でも、18年くらいやってきてそれで済ますのもな、とは思う。何かしら自分はラグビーの魅力に惹かれている、流石に、多分何かしらは。そう考えると自分の中でラグビーを続けた要因は「大学でも続けろよ」って言われたから。多分そうなる。
ただ、これを言った人は自分とは全然長い付き合いでもない。高2秋と高3春の大会の時だけ組んだ合同チームのコーチに言われた。それなのに思い返すと自分にはかなり刺さっている。これは高→大の時だが、小→中でもスクールのコーチには「中学でもやるよな、続けろよ」って言われた。ラグビーはぶっちゃけ辞めちゃう人が多い。だからだと思うが、別のチームでも別の形でもいいから続けてくれ、とみんなよく言っていた。辞めるなよって後ろ向きな言葉っぽいけど、自分にはよく響いた。多分、自分はラグビーのこの温かさが一番好きだったんだと思う。

ラグビーやり始めた時はラグビー自体は全然好きじゃなかった。でも、スクールに行くと別の小学校だったり隣の市の子だっり、年上のお兄さんだったり、いろんなタイプのおじさん・お父さんのコーチがいたり。ラグビーやってなかったら知り合うこともなかった人たちと知り合ってプレーして、自分に目をかけてくれて、いいプレーあったらみんなが喜んで。そんな環境はすごく好きだった。そして自分がスクールから距離が開き出しても、気にかけて期待してくれて。今年の立教戦にもスクール時代のコーチが1人見にきてくれていたらしい。ホントに暖かい環境に自分はいたし、その財産が今になっても続いている。
中高時代も最終的に同期は3人になったし、今思えばほぼサークルくらいな感じのユルユルな部だったけど、色んな人たちとまた会ってOBや父親たちも元気な人が多くて。ぶっちゃけ規律とか真剣さはあんまだったし、ボロクソに負けたりロクな練習できずに合同チームで大会出るハメになったり、苦い思い出の方が多分多いけど、でも最後に麻布開成で組めて最後の大会で1勝できた。何よりも6年間で自分もいろんな立場や境遇を経験して、その中でいろんな学年や背景、学校の人とラグビーを舞台に熱意を持って集まって。合同チーム以外でも都選抜で知り合った人と菅平や大学の練習試合とかで再会したり、中には一緒にストラグとか通ってたやつもいて。秩父宮で合同や選抜チームのコーチとバッタリ出会ったり。ラグビー界は世間が狭いから、いろんな人と知り合ってまた再会して。いろんな人との縁をラグビーのおかげで持てた、これが自分がラグビーが好きな理由でラグビーからもらった財産。

大学でもいろんな人と知り合って、特に東大ラグビー部は一番濃い場だったし、一番ラグビーに向き合った4年だったし、一番多くの経験があった。1年生からリザーブに入れたこと、2年3年とA戦にほぼ出れなかったこと、B戦でもほぼ勝てなかったこと、Bチームではあるけどリーダー的な立場を経験したこと、4年になってBBCがバカきつくて、対抗戦にいきなりスタメンで出て、と思ったら外れて、また選ばれて、最後はとんでもないプレーかまして。プレーヤーとしては苦い経験も良い経験も、期待に応えたり応えなかったり。でも、みんなすごく熱意を持っていて、自分に色んな期待やサポートをしてくれて、そんな人たちとラグビーを通して4年間関われたこと、同じ目標に向き合っていたこと、そんな人たちに自分もいくらかは期待に応えられたこと。とても幸せでした。
とかいう癖にお前新歓ロクにしてないだろとか、去年1年生の名前全然覚えてなかっただろとか思い出した人、それはすみません。やっぱり人付き合い苦手な部分はどうしても否めません、それは許してください。でもラグビー通して18年、そして大学での4年、自分がラグビーに熱意を持った理由も一番大きな財産もこれだと思います。幸せな4年間をありがとう。

次はラグビー部最年長、東大ラグビー部で一番の文武両道をゆく佐川にバトンを渡します。最初はラグビー部でトップレベルの常人だと彼のことを思っていましたが、4年間多くコンビを組んできて悪い面とヤバい面が自分の中でどんどん強調されていきました。また、ヘッドコーチに就任した彼ですが今度ブラジルに研究出張に行くことになり、その間はブラジルからオンラインでコーチングするそうです。
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