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ラグビー部リレー日記
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”型”をつくる
投稿日時:2021/02/20(土) 23:17
今シーズンもロッカーが隣になることを微塵も考えてくれないことが寂しいですが、
再び部活動停止が始まり早一か月。
最初の方は試験勉強だの建築学科の最終講評に向けた準備などで慌ただしく、一か月遅れの「師走」であったような気がする。
試験期間も明けたころには自分のやらなきゃいけないことは筋トレだけになっていて、
時間のできた僕は色々な映画やドラマ、アニメ、小説などに浸った。
自粛期間で出会った多くの作品に登場する主人公は決まってその出自が特別だった。
アニメ『鬼滅の刃』の主人公「竈門炭治郎」も結局はヒノカミ神楽を継承する家系の長男だったし、映画『スプリット』の主人公「ケイシー・クック」が助かった理由も、誘拐犯ケビンと同様に家庭で虐待を受けていた背景があったからで、普通ではない“特別”な家庭で育った主人公が“生き残る/成し遂げる”といった趣旨の作品に集約される気がしてしまう。
(かなり捻くれた考え方かもしれないが)
就活を視野に入れるとこれからの自分の将来について嫌でも考えさせられる。
二年の後期にやっと建築学科に内定し、専門科目について学び始めてたった半年終わった今、息つく間もなく将来について考えさせられているのだ。
果たして自分は特別で、自粛期間に出会った作品の主人公たちのように特別なことを成し遂げられるのか。
「情熱大陸」や「アナザースカイ」などで取り上げられるような人生を歩めるのか。
高校までは特に理由もなく本気でそう信じていたが、その自信が今はない。
ただ、タナトフォビアで生きた証を遺したい自分には、伝記なんかを残せるような人間になりたいと心の底から思う。
インパルス板倉さんが言うように「人生は死んだ後の方が長い」のだから。
思い返すと、今までの人生で「幼少期の逸話」なんてものはなく、自分を特別だと確信したことは無い。
帰国子女の中では劣化版の自信があるし、高校受験は筑駒に落ちた。
一回目の大学受験でも受かると信じていたが、ものの見事に散った。
履歴書に並ぶ「開成卒帰国子女の東大生」というキラキラした経歴から想像される理想の自分と遥かに下にいる自分との差を思うとため息が出る。
芸大では、東大よりも遥かに高い倍率をかいくぐった生徒が、入学早々、
「卒業までにこの100人の中から一人の天才を生み出してください。残りの99人はその一人のためにいるのです。」と言われるらしい。
“One for All, All for One”の真意がここにあるとは僕は思いたくはない。
最近といっても半年近く経つが、新しく始めたバイトがある。
小学生相手に英語で算数などを教える塾の講師だ。
といっても小二で英検2級を取ったりする子がざらにいるため、僕よりも遥かに英語ができる子供たちに偉そうな顔をして九九を教えるような仕事だ。
そんな新しい環境で生まれて初めて「頭がイイ」ことをいじられるようになった。
嫌味もなく純粋に「流石東大。頭がイイね~」なんて言われた日には笑みが自然とこぼれるし、帰り道はルンルン気分でスキップで帰れる。
こっぱずかしいから「でも一浪なんで」なんて言うけれども褒められたら不快になる人なんていない。
ただ褒められ続けると恥ずかしさが勝って「他にももっと凄い人がいるんで」と言いながら、思い浮かべたやつとの差にまた落ち込む。
小さい頃から周りと比べて、自分を測ることが多かった。
特に鮮烈だったのが自分の姉の存在だろう。
たった二歳しか変わらないのに自分よりも遥かに頭が切れ、英語習得期間も早く、万能な姉。
幼いころからピアノを続けていて今では海外の大学院でピアノ科に所属している。
そんな彼女が誇らしく妬ましく疎ましい。
今現在の色々な選択肢で迷っている自分と対比したとき、僕よりも一回りも小さい段階でピアノ一つに絞って音楽の世界に飛び込んでいった彼女は僕にとっては眩しすぎる。
そんな姉はあまり人と比較しないような気がする。
自分をしっかりと持って生きていてカッコいい。
建築学科に入って「オリジナリティ」について考えるようになった。
学科に入って初めて自分が取り組んだ設計課題で、徹夜をし、何時間も机に向かって完成させた作品に対して「“型”を破れ」と短く一言だけ言われた。
建築っぽい…!と思ったのもつかの間、型って何だ…?という思いでいっぱいだった。
建築に決して明るいわけではない自分に思い当たる型はなく、闇雲に誰もやったことのない設計をしても、ただただ見当はずれなゴミが生まれるだけだった。
恐らく今の自分に必要なのは「破るための“型”」なのであろう。
これは建築だけでなく人生にも言えることかもしれない。
ラグビーでは幸運にもその型はあると信じたい。
そこからどう自分のオリジナリティを磨いていくか考える段階にあるのだろう。
去年で感じ始めていた手ごたえを目に見える形でグラウンド上で表現すること。
長々と書いてしまいましたが、次は新たに主務となった津田さんにバトンをまわします。
津田さんとはさし飲みに連れてっていただいたり、家に来ていいよと言われているので可愛がられていると信じたいですが、小悪魔的なところがあるので正直不安です。
先輩の気が変わる前に家に行こうと思います笑
TURFC2021 Start!
投稿日時:2021/02/18(木) 01:28
今シーズン最初のリレー日記を担当させていただきます河内です。
先日、2021年度のチームが始動しました。しかし緊急事態宣言等に伴う大学側の制限によりグラウンドでの練習は行うことができていません。いきなりの試練ですが、今年の部のスローガンには"Enjoy the Challenge"とあります。Enjoyの精神を忘れずに立ち向かっていきたいと思います。
新シーズン一発目ということで何か抱負を述べたりしたいと思ったのですがなかなか浮かんできません。普段何も考えていないことを痛感します。今オフに体作りに集中する中で試行錯誤した自分流の「バルクアップのための1日フル食」の紹介をしようかと考えましたが、やはり部活について考えて書こうと思います。まず1、2年次の振り返りをし、考えてみようと思います。
1年生。入部時ひょろひょろだったのでとにかく体重を増やした。夏の終わりに膝を怪我してしまい、他の未経験入部同期が試合経験を積んでいく中リハビリしかできなかった。復帰するとすぐ京大B戦があったが、タックルも決まらずすぐバテてしまい何もできないまま終わってしまった。
2年生。コロナの影響で練習期間は短かったが、基礎から段階を踏んでいく練習の中で少しずつ力がついた気がした。夏の部内マッチでは練習でやったことが試合に繋がっていくことを実感できた。秋の部内Bマッチでは人数が少なくコートが広い中走りまわってボールキャリーやタックルをし、ラグビーを思い切りやる楽しさに気づいた。冬の練習試合ではタックルの度に押し込まれ、どうにかしようとしたが上手くいかなかった。
振り返ってみると自分がラグビーというスポーツに本当に入り込めたのは2年の夏辺りからであるようにも思えます。プレーヤーとしてまだまだ未熟なのですが、自分はもう上級生です。2年間の内容を見ると殆どが個人的なものでしたが、今年は自分の成長はもちろん、入れ替え戦出場というチームの目標達成に様々な面で関われるように努力していきたいです。
次は、去年ロッカーが隣だった同期の財木に回します。新年度になってロッカーが移動すると考えると少し寂しい気もします。
スタンダード
投稿日時:2021/01/21(木) 19:00
はじめに、学生と真摯に向き合い指導し続けてくれた監督・コーチ・トレーナー・ドクターの方々、これまでお世話になった先輩方、多大なご支援・ご声援をいただいたOBや保護者の方々、これまでサポートしていただき、ありがとうございました。結果を出すという形で恩返しができず、非常に申し訳なく思います。
そして今年1年間一緒に戦ってきた同期と後輩。後輩たちが強いフォロワーシップを見せてついてきてくれたことで、何度も助けられました。これまでどんなことも一緒に乗り越えてきた同期には、一番の感謝を伝えたいです。今まで本当にありがとう。
以下、今シーズンの失敗とこれからも向き合う必要があると考え、1年間を振り返り反省を述べました。最後まで読んでいただけると幸いです。
この1年間、本気で駆け抜けてきた。チームが強くなるため、入替戦に出場するためにできることを常に考え、その全てを行動に移してきた。深津さんや青山監督、大西さんをはじめとするたくさんの方々にサポートいただき、その期待に応えるべく全力で走り続けた。
自分の練習量にも全く悔いはない。
最後まで上手いプレーヤーではなかったけれど、間違いなく誰よりも練習したし、誰よりも成長したと思う。
チームを強くするために主将として判断・行動してきたことについても後悔はない。必ずしも全てが正しい判断だったかはわからないけど、その時々でベストだと思う選択をし続けた。
間違いなくやり切った。
しかし、対抗戦6位。これが突きつけられた結果だった。
何が良くなかったのか、引退してから今に至るまでずっと考えてきた。
今考えるひとつの結論は、スタンダードがまだまだ低かった、ということ。チームとして当たり前だとすることの水準が低かった。
今年はイレギュラーが多かった中でも様々なチャレンジをして、部員は皆それについていく意思をはっきりと示してくれた。本当にいいチームだと感じたし、チームとして順調に成長し強化ができている実感もあった。
それは今でも間違っていないと思っている。”Update”という今年のスローガンのもと、前向きに進み続け、チームは確実に成長していた。
しかし、こうして「対抗戦6位」という結果を目の前にすると、その成長の幅が足りなかったとしか言いようがない。現在や過去の自分たちに比べて成長することにフォーカスを当てすぎ、チームとしてのスタンダードを上げきれなかった。練習やトレーニングの質と量、ラグビーに捧げる時間、勝負へのこだわりなど、さまざまなことについて言える。
それではどうすればスタンダードを上げることができるのか。
ひとつ例をあげて考える。
全体練習が終わった後、Afterという、ユニットや個人練をする時間がある。とはいえ義務付けているものではなく、どれだけやるかは個人に委ねられている。
僕は、「入替戦出場」を目標に掲げるチームのメンバーとして、自分が納得するまで、できる練習をするのが当然だと考えていた。
ただそこまで追求して練習をしていた選手は多くなかった。
もちろんAfterを呼びかけたし、まだ足りないということは何度も伝えてきたつもりだが、何分以上やればいいという基準があるわけでもなく、明確に行動を変えることができなかった。
こうした認識の違いはルールを作ることでなくすことができる。
例えば「練習後30分は個人練習に使う」というルールを設定することもできる。だがそれはしたくなかった。やらされる練習では上手くならないだろうし、身の入らない練習により不必要な怪我なども生みかねない。
そして、何よりチームとしてカッコ悪い。”Tackle the Elite”をMissionとして掲げるチームは、ルールでがんじがらめにするべきではない。
理想は、各々がベストだと考える行動をして、お互いにそれを見て高め合うことだ。練習後納得いくまで練習し続けることも一つの正解だろうし、短く強度の高い練習を行うことも正解だろう。練習後でなく練習前に自主練を行うのでもいい。問題は中身がなにかということより、目標達成に最も近づける行動なのかを皆が主体的に考えて行動するということだ。
こうすれば部員の中でなんとなく存在する「当たり前」のレベルが上がってくる。これが僕の考えていた理想的な成長な仕方だった。
だけど結果を見ればわかるように失敗だった。対抗戦の勝利に繋がるほどには機能しなかった。
チームとして、主将としてできることがなにか他にあったのだろうか。いまだに正解がわからない。
決してこれまでの行動を否定するつもりはない。このチームには尊敬できる人間がたくさんいたし、皆チームの活動に対して真剣に取り組んできたことは間違いない。僕はそんなチームが大好きだった。
だが、「このままでは勝てない」という事実は確実に存在し、そこから目を背けてはいけない。
この問いは東大ラグビー部が強くなるために解決すべきものであると同時に、僕たちの戦績を受け入れるためにも考え続けなければいけない。なぜこのような失敗をして、悔しい結果に終わってしまったのか。自分なりに答えを出す必要がある。
これが東大ラグビー部から与えられた最後の試練だと思い、向き合っていく。
そしてそれと同時に、今年の失敗を見ていた後輩たちが、この問題を含めたチームの弱さを克服し、大きく飛躍してくれることを心から期待している。
主将 藤井雄介
2度目のラグビー人生
投稿日時:2021/01/20(水) 17:55
太田の日々自分の自己ベストを出そうとし続ける姿勢には本当に感銘を受けました。
忘れもしない高3の11月、ラグビー都大会決勝。寒風の荒ぶ秩父宮の応援スタンドで僕のラグビー人生は終わった。試合は引き分けだったが抽選で負け、3年の引退が決まった。試合後に、死ぬほど怖かった監督が目を真っ赤にして話すのを見て、自分も涙が止まらなかったのを覚えている。
中学から始めたラグビーだが、高校のラグビー部ではメンバー争いにも絡めず不甲斐ない毎日を送っていた。しかし不思議とラグビーに心残りはなかった。高校の3年間で自分にラグビーの才能がそこまで無いことを実感したし、もう2度と楕円球を追うことはない。本気でそう思っていた。
しかし大学受験を終え、引退から10キロ近く体重も落ちた頃、ふと高校の監督から電話がかかってきた。「東大でもラグビーやるのか?」監督が怖かったからか、答え間違ってしまったのかわからない。心ではラグビーにはキッパリと別れを告げていたのに、自分はなぜか「はい」と答えていた。あそこでやらないと答えていたらどんな大学生活を送っていたのだろう。
そんなきっかけで始まってしまった2度目のラグビー人生。最初は大学生になってまでなんで早起きしないといけないのかと思いつつ嫌々グラウンドに向かっていたが、気付けば居場所ができ、気付けばライバルができ、気付けば一度辞めたはずのラグビーに夢中になっている自分がいた。
なんで東大ラグビー部では部活に熱中できたのか?その答えはたくさんあると思うが、一つは成長できる環境だったことにあると思う。
ラグビー面で考えてプレーできるようになり成長できたのはもちろん、自分たちで練習を考え、主体的にチームを運営する先輩たちを見てとてもワクワクしたのを覚えている。自分自身も下級生の頃からチームに様々な意見を言わせてもらっていた。
また個性を上手く活かせていたのも好きだった。
東大ラグビー部で出会った人々は今まで所属したどの組織よりも個性の強い人が多かった。しかしそんな性格も趣向もバラバラの人たちがラグビーの時はその特性を活かして勝利のために一つになる。そんな雰囲気が好きだった。
そんな東大ラグビー部の環境が好きで気付けば部活に没頭していた。そして気づけばチームの副将になっていた。
しかし最上級生として、迎えた最後のシーズンは思い通りにいかないことだらけだった。コロナの影響で4ヶ月近くラグビーができなくなってしまった上に、対抗戦も6位という結果に終わってしまった。
自分が試合に負けてしまって悔しかったのはもちろんだが、スタッフのみんな、コーチの方々、青山先生、O Bの方々をはじめ部を支えてくれた人たち、そしてこれまで僕を支えてくれた両親に結果という形で恩返しができなかったのが本当に申し訳ない。本当にそれが一番悔しくて今も心残りである。
しかしよく考えたらそれが、自分が東大ラグビー部で得たものなのかもしれない。ただきつい練習をこなすのに必死で、好きでもないラグビーをこなすだけだった僕が、副将として、支えてくれる人への感謝のためにラグビーをできるようになった。この4年間は本当に僕にとっての財産になったと思う。
奇しくも東大ラグビー部での引退試合も凍てつく空の下、応援スタンドで終えることになってしまったが、前回の引退試合と違うのは自分が試合に出られなくても心からチームのことを想うことができたことだった。
いろいろな人に支えられやり切ることができた4年間だった。本当に感謝で胸がいっぱいである。
2度目のラグビー人生は本当に幸せだった。
次は今年度主将を務めた藤井にバトンを回します。
僕の人生で彼ほど真摯に物事に取り組み、彼ほど頼れる人間は他に見たことがありません。
"真のエリート"
投稿日時:2021/01/19(火) 19:00
矢野はいつもチーム最前線で闘ってくれました。試合に出ることのない私にとっては特に頼もしい存在でした。
1/10に引退してから約10日。今季最終戦となってしまった名古屋との定期戦から約1ヶ月。
悔しい。
引退するまでは前を向き続けようと無意識に目を逸らしていたが、本当に悔しい。
明学に負けた。一橋に負けた。成城に負けた。6位。屈辱である。
今までの人生でこんなにも悔しいことなどなかった。
なぜこんなにも悔しいのだろうか。
その答えは、「全力で頑張ったから」だと思う。
大学入学までは、心から悔しい/嬉しいと言えるほど頑張ったこともないしょうもない人生だった。
この部に入ってからは、本気で自分を律した。チームメイトにも厳しく要求した。使える時間はすべて部活に注ぎ込んだ。
自他共に認める異常なモチベーションの高さだった。
こんなにも何か1つのことを頑張りたいと思ったことも実際に頑張ったことも初めてだった。
なぜこんなにも東大ラグビー部での部活に夢中になったのか。
この4年間何度もモチベーションについて問われることがあった。
チームビルディングや新歓などで何度も問われた。
スタッフだから尚更よく問われた。
いつもうまく言語化できなかった。
「勝ちたいから」が原動力だと思っていた時期もある。
しっくりこない。
東大には日本トップレベルで戦える運動部が他にいくつもある。
ただ「勝ちたい」だけなら、弱いラグビー部ではなく、他の部活に入部/転部していたはずだ。
「人として成長したいから」だと思っていた時期もある。
これもしっくりこない。
当たり前のことだが、部活なんかやっていなくても成長はできる。
ましてや、ラグビー部に固執する理由にはならない。
よくわからないまま、全力で4年間を突き進んだ。
だが不思議なことに、4年間すべてをこの部に費やしたことへの後悔は全くない。
今私が考える答えは、"Tackle the Elite"である。
泥臭い努力をしているか。
仲間を奮い立たせているか。
自分の弱さと向き合えているか。
自分より強い相手に立ち向かえているか。
ぼくらは、そんな"真のエリート"であろう。
そして世の中のエリートの概念を壊せ。
"Tackle the Elite"は、僕たちが3年生の頃に作られた、東大ラグビー部のMISSIONである。
このMISSIONは東大ラグビー部の歴史、精神などから導かれたものである。
私は単なるフレーズとしてではなく、その歴史、精神を含めて、このMISSIONを心に留めている。
本質が理解できていれば、このMISSIONの捉え方は人それぞれで構わない。
私なりの捉え方を簡単に書く。
東大ラグビー部の歴史、精神を背負って闘うこと自体に大きな価値がある。
共に闘うチームメイト、この部で闘ってきた先輩方、応援してくださるすべての人々に感動を与えるほど、ひたむきに努力を続ける。
そうすることで、人間的に大きく強く成長し、"真のエリート"となることができる。
この部の先輩には"真のエリート"がたくさんいる。
青山部長、深津HCは身近な好例である。
人間としてかっこいい。憧れの存在であり、私も本気で闘おうと心から思える。
先輩方が"真のエリート"たる所以は、間違いなく現役時代に全力でラグビーに取り組んでいたからである。
私は東大ラグビー部というチームが心から好きだ。
だからこそ、東大ラグビー部で勝ちたかったし、東大ラグビー部で先輩方のような"真のエリート"に成長したかった。
このチームのMISSIONに心から共感し、このチームでMISSIONを追い求めた。
私は4年間で"真のエリート"になれたのか。
MISSIONの達成に、勝敗は関係ない。
しかし、本気で勝負に拘らなくてはこのMISSIONは絶対に達成されない、絶対に"真のエリート"にはなれない。
絶対に負けたときの言い訳には使ってはならない。
私は4年間で"真のエリート"にはなれなかった。
全力で闘ったと胸を張って言えるが、勝負への未練が残る。この程度の成績で"真のエリート"は語れない。
私にはまだまだ長い人生が残っている。この4年間での経験を活かして"真のエリート"を探求する長い旅が始まる。
今後の人生で"真のエリート"となることが、東大ラグビー部への恩返しである。
次は誰より同期愛の強い副将の山口にバトンを渡します。
2020シーズンはイレギュラーが非常に多く、主将藤井,副将山口,主務太田でMTGする機会がとても多かったのですが、本当にいつも楽しかったです。
それでいて、彼らは誰よりストイックで全部員の手本であり続ける強さも兼ね備えていました。
この首脳陣、この4年生だから難しいシーズンも明るく強く乗り越えられました。
山口をはじめ、共に全力で闘った仲間は、私の人生の宝物です。
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