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ラグビー部リレー日記
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悔しさ
投稿日時:2021/01/12(火) 19:00
戦術チームとして1年間共に活動した前原からバトンを受けました、倉上です。紹介文で「明るい」だけは本当にやめてくれと頼んだのですが、それすらも彼には「フリ」に聞こえていたのでしょう。彼の底知れないお笑いセンスには、ただただ脱帽します。
このリレー日記を書くにあたって、東大ラグビー部での4年間か、それともラグビー生活10年間か、どちらを振り返るべきなのか迷ったので、とりあえず自分にとっての今シーズンを振り返り、そこから考えたことを綴りたいと思います。
2020年11月、僕は4年生にして初めて対抗戦のスタメンとしてグラウンドに立っていました。ここに来るまではとても長い道のりでした。1年生の頃はスイカを着ることすらできず。2年生ではAチームに入りながらも、スタメンには届かず。3年生では肩の手術でシーズンの大半を棒に振りました。4年生でやっと訪れたチャンス。相手は明治学院、1年生から一度も勝ったことがない相手。すごく楽しみで、歴史を塗り替えられると心から思っていました。
しかし結果は悲惨なものでした。自分の不甲斐ないプレーもあり、前年と同じくらいの大差をつけられて負けてしまいました。最もターゲットにしていた試合で、自分たちのラグビーをすれば勝てた試合でした。このときから自分はどんどん試合を楽しめなくなっていき、悪いプレーを重ね、4年生の対抗戦は、結果6位という順位に終わりました。その後チームが再び勝ち始めたときには、自分の姿はグラウンドにはありませんでした。脳震盪で離脱していた間に後輩たちがメキメキと力をつけ、自分に代わってチームの主力として活躍するようになっていたのです。
これが僕の、最後の対抗戦シーズンのまとめです。一言で言えば、本当に悔しいことばかりでした。4年生のシーズンにして、これまでの人生で一番「悔しい」、「辛い」シーズンでした。それとともに、これまでのラグビー人生に対しての後悔も込み上げてきました。もっと練習すれば良かった。もっとウエイトしておけば良かった。もっとストレッチしておけば良かった。もっと先輩から教われば良かった。もっと後輩達とコミュニケーションを取れば良かった。そんな今まで積み重なった思いが、一気に自分の中で溢れるような、そんなシーズンでした。
これまでネガティブな言葉を並べてきて、最後のリレー日記にふさわしくない内容になってしまいましたが、僕は決してネガティブな気持ちのまま卒部したわけではありません。こんな悔しい思いをしながらも、このシーズンを戦えて良かったと、心から思います。それは、僕が「悔しい」と思えていることに、満足しているからです。学生生活最後の年、「なんだかんだで楽しかったです」と言うこともできるだろうし、「みんなとラグビーできて幸せでした」と言うこともできるでしょう。どれも偽らざる僕の思いです。しかし僕はあのとき悔しかったことを絶対に忘れない、忘れたくないから、敢えてこの最後のリレー日記に悔しい思いを綴らせていただきました。
自分がこんな風に、試合後3日ぐらいはほとんど眠れなくなるほど「悔しい」と感じられるようになるとは、中学生の頃は思いもしませんでした。勝ち負けにあまり執着がなく、できれば戦うことから逃げたかったような少年でした。スポーツ、特に「戦い」が競技の根本にあるラグビーをしていく上で、自分のこのような性格はずっと消えぬまま、今でも大きな壁となっています。ですがラグビーを続けてきたことで、グラウンドの上ではまた違った自分が出せるようになりました。それが「アスリート」の自分です。一つ一つの勝負にこだわり、本気で勝ちたいと思い、どうやったら勝てるか本気で考え、そして何より、そんなプロセスを楽しいと思えるような、自分です。学生生活の一つのピリオドを心からの「悔しい」で終えることができるような、自分です。そんな自分を育ててくれたラグビーは、本当に偉大だと思います。周りのレベルの高さについて行けず何度も退部を考えた中学・高校時代、それでもなぜか続ける意味がある気がして、たくさん涙を流しながらも、ラグビーから逃げ出さなかった自分を讃えたいです。
この場で申し上げるのが適切かはわかりませんが、現役時はあんなに嫌いだった久我山ラグビー部に、今とても感謝をしています。久我山で味わった幾多の悔しい思いと、本当にわずかではありますが、成功したときの思いがあったからこそ、大学でもラグビーをやるという決断ができました。また久我山の同じグラウンドで同じ練習をしていた仲間たちが、大学ラグビーの第一線で活躍してくれたことは、少なからずモチベーションにつながっていました。
そして東大ラグビー部での4年間は、紛れもなく僕を成長させてくれました。妥協しそうになったとき、無理だと思ったとき、平気な顔して努力できる人間が周りに沢山いたことで、弱い自分でも努力できました。特に同期が頑張っていたり、結果を残したりしたときは、自分の中でも燃えるものがありました。ありきたりな表現になりますが、同期と一緒だから、4年間続けることができたと思います。
大したラグビー選手ではありませんでしたが、これからまだラグビー生活が続く後輩たちに伝えられることがあるとするなら、繰り返しになりますが、僕はラグビーで味わった悔しさを、絶対に忘れないということです。そんな人間が社会の片隅で生きているということを、辛くなった時に思い出して欲しいです。悩んだり壁にぶつかったりすることは本当にきついですが、そのきつさは決して間違ったものではありません。正しい方向に進もうとしているからこそ、きつい時があるんだと思います。
これまでの僕のラグビー生活に関わってくれたすべての人に、感謝しています。特に両親は、中・高・大と、僕が出場する、しないに関係なく、ほとんどの試合に応援に来てくれました。10年間のラグビー生活を通して、本当に有り余るほどの愛情を注いでもらいました。ありがとうございました。応援、お疲れ様でした。
ラグビーに向いている、向いていないという分類をするなら、僕はおそらく向いていない方に入るんだと思います。でもちょっとずつ、自分のペースで歩んできたこの10年間は、自分にとって全く無駄じゃなかったと思います。これから色んなことが起きて、色んな壁が自分の前に現れても、きっとラグビーで味わったたくさんの悔しさと、少しの嬉しさ、そして「アスリート」に少し近づけた自分が、助けてくれるはずです。僕を育ててくれたラグビーとラグビー部に、心からのありがとうを述べ、最後の言葉とさせていただきます。
次は、部内屈指の頭脳と大きな器を持つ宝島にバトンを回したいと思います。彼の繰り出すディフェンスはまさに「職人技」で、下級生の頃から嫌な顔一つせずに淡々と体を張り続けてくれました。本当にお疲れ様でした。
続けること
投稿日時:2021/01/11(月) 19:00
同期の川端から受け取りました前原です。
彼と私は同期の中で怪我の多いコンビでしたが、彼は最終学年になって試合に出ることができており、ともにリハビリを続けていた仲間としてとても嬉しかったです。また、彼の特徴ある言動は何度も引用させて頂き、本当にお世話になりました。
1/10、東大ラグビー部を引退しました。99年の伝統を持つ京大戦の中止というあっけない幕切れで私たちの4年間に終止符が打たれ、入学時には果てしなく長く感じた4年という歳月も終わってみればあっという間でした。私たちが入学したときの4年生の方々は本当に大きくて、強かった記憶があります。新歓の時先輩方の姿を見て、自分は大学では絶対に通用しないと感じるほどでした。4年生になったら松永さんのようになっているのかなと思っていましたが、その背中すら見えませんでした。自分が引退する時期になって先輩方の凄さを改めて痛感しています。
自分の大学ラグビー生活は怪我に悩まされ続けた4年間で、ラグビーでの良い思い出は殆どありません。怪我なくプレー出来ていたのは1年生の対抗戦の時期まででしょうか。3年生で足首を粉砕してからはプレーした記憶すら殆どありません。ラグビーで思い出すことと言えば同期や後輩が試合に出て活躍するのを外から応援し、たとえ試合に勝っても心の底からは喜んでいない自分の姿です。仲間達のラグビースキルが飛躍的に向上するのをサブグラウンドでリハビリをしながら眺めるだけの自分の姿です。スクラム練習のときにただスクラムマシンの上に乗って練習が終わるのを待つだけの自分の姿です。
何度も心が折れそうになったり、ラグビーを辞めようと思ったこともありましたが、なんとか4年間続けてこれたのは、他でもない同期メンバーの存在と、怪我で殆どプレー出来ていないにもかかわらず常に気にかけて下さった深津さん、こんな自分に期待して声をかけ続けて頂いたコーチやOBの方々、そして家族のおかげです。
本当に感謝してもしきれないくらいです。ありがとうございました。加えて、川端が自分の紹介の時に書いてくれたような、数少ない出場試合で活躍できた経験、3年生の最後に一橋戦でなんとか復帰できたときの感動、グラウンドでしか見えない景色の素晴らしさ。そんな一瞬一瞬の美しい記憶が私の気持ちを途切れさせること無くつなぎ止めてくれました。そして何よりもラグビーが好きだから高校大学の7年間も続けてこれたと思います。ラグビーというスポーツに出会えて本当に良かったです。
そんな私ですが、これを読んでくれた後輩達に伝えたいことは「辞めないでほしい」ということです。実際私も部活を辞めようとしたことは何度もあります。
1年生、20泊21日の夏合宿。本当にきつかった記憶しかありません。週6の朝練と授業、バイトに忙殺され他に何も出来ない毎日。
2年生、初めて手術を経験し長期離脱することになったとき。それで心を病んで不眠症になったとき。
3年生、その復帰戦で足首を粉々にして1ヶ月ちかく自分一人で何も出来ない日々が続いたとき。リハビリを続け、なんとか復帰するが毎練習後まともに歩いて帰れなかったとき。
4年生になり練習に参加するが足首がまともに動かず再手術が決定したとき。最後の対抗戦に間に合わせようと練習復帰するも神経障害になり足が痺れて禄に走れなくなってしまったとき。
何度も辞めたくなるときはありましたが、先ほど書いた方々の支えと、もし復帰したら絶対に活躍できるという自分の中の自信があって続けてこれました。辞めたくなったときも周りを冷静に見てみれば、何も出来ず無力だと思っていた自分に期待してくれている人の存在や、ここで失ってしまうにはあまりにも勿体ないくらいに素晴らしい同期の存在が見えてきます。そして今まで自分が積み重ねてきたものが必ず自分の自信に繋がり、部活を続けるモチベーションとなるはずです。
さらに、続けることでしか得られないものも有ると思います。悔しい思いをし続けるのは本当につらく大変なことです。しかしその状況から逃げていては、これからの人生で壁にぶつかる度にすぐに逃げてしまうような人間になってしまうのではないかという思いが自分の中にあり、辞めたくなったときもここでやめたら成長は無いと自分に言い聞かせてきました。終わってみればこのマインドはかなり正しかったと思います。
前回のリレー日記を担当した川端は、はじめの2年は私よりも怪我がちでしたが常に諦めず練習を続け4年生になって試合で活躍し、有終の美を飾りました。未経験で入部しすぐに鎖骨を骨折した松井は経験者だらけのBKの中で素晴らしい活躍をしました。彼らはもし私だったら辞めたくなってもおかしくない状況で、彼らなりに努力を続け結果を掴みました。自分も、プレーヤーとしての復帰が絶望的になってからはこれまで学んできたラグビーのスキルや戦術的知識を後輩に伝え、彼らが成長することに喜びを感じることが出来るようになりました。腐らずにスキル練習や知識のアップデートを継続したことでラグビー部との新しい関わりかたを見つけ、チームに貢献できたと思っています。そんな成長が出来たのも辞めずに続けてきたからです。
まだまだ足りないところもあるかもしれないけれど、東大ラグビー部は「いいチーム」だと思います。間違いなくこれまでの22年間で一番好きになった、入ってよかったと思える組織でした。そんな「いいチーム」に出会い、そして入れることは本当に貴重な経験です。このチームで自分なりに精一杯の努力できる道を見つけて、自分らしく成長していけると、大学生活はかけがえのないものになると思います。
本当にキツくて逃げ出したくなったときは、逃げても良いと思います。しかし、そこで「辞める」のではなく一旦「お休みする」という形をとってでも、最後まで続けてほしいのです。私たちの同期も何人か途中で辞めてしまいましたが、残される側は本当に辛いものです。未だに辞めていった彼等を含めた全員で最後までラグビーをしたかったという思いは消えません。本当に辛くて逃げ出したくなったときや部活から離れたくなったときにも、まず「続けること」を選択してそのあとに「どう向き合っていくか」「どうかかわっていくか」を自分なりに考えてほしいです。きっと最善の選択肢が見えてくると思います。これが、大学ラグビー生活が楽しいものばかりとは言えなかった私だから伝えられる率直な思いです。
かなりネガティブな内容になってしまった気がしますが、伝えたいことは非常にポジティブなことなのでそれを読み取って頂けると幸いです。4年間本当にありがとうございました。ありふれた表現ですが、引退のときに思い出すのは仲間達とふざけあって笑い合った思い出ばかりです。これまでで最高の日々でした。
次は明るい倉上に回します。
4年間
投稿日時:2021/01/09(土) 19:00
今回が自分の最後のリレー日記となるので、今こうして書きながらこの4年間を振り返っています。この4年間怪我には本当に悩まされました。怪我を抱えて入部したうえに、2回の手術とそれに伴う長期離脱、その他小さな怪我などで最初の3年は満足にプレーできませんでした。怪我するたびに本当にラグビーに好かれてないなと思ってました。ただ4年生の最後の1年は大きな怪我はなく終えることができ、たくさん試合にも出場して、すごく濃密な1年だったように感じています。
今シーズンの初試合は部内マッチでした。FBとしてプレーしたのですが、思えばこれがBKとして出場する最後の試合でした。ポジションが変わったからといって自分の何かが変わるわけではないですが、今思えば少し感慨深いです。ただこの試合の終了間際に肉離れをしてしまいました。このときは今年も怪我かよとすごく落ち込みました。
この怪我から復帰するとともにBKからFWにコンバートすることになりました。1年生から4年生の途中まではWTB・FBでプレーしてきたのですが、練習後に大西さんからFLをやってみたらどうかという提案をいただきました。試合に出るチャンスがあるならやりますとはっきり答えました。その翌日からFWとして練習に入り、5日後には定期戦の防衛大戦でFLとして出場しました。この試合は僕にとっての初スイカでもあり、緊張と不安がありながら試合にのぞみました。試合に出てしまうととにかく必死で、そんなに爪痕は残せませんでしたが、チームが勝利はできよいスイカデビューでした。
対抗戦は悔しい結果になってしまいした。初戦の明治学院大学、第3戦の一橋大学、順位決定戦の成城大学、3回も負けてしまいました。僕にとっての初めての対抗戦、そして最後の対抗戦、結果は6位でした。下から数えたほうが早いという結果、今年のチームは強くないんだということが自分にのしかかって、本当に悔しかった。
上智・一橋との三つ巴戦での勝利は格別に嬉しかった。やっと自分たちのラグビーができたように感じました。そして名古屋の地まで足を運び、名古屋にも勝利、相手がピックゴーばかりでFWにとってはすごくタフな試合でしたが、相手のFWをしっかり抑えて勝利を勝ちとれて、本当に嬉しかった。
そして年を越して昨日、京大戦がなくなり明日1月10日で引退することに決まりました。もう明日で引退してしまうのが本当に寂しいです。もう少しみんなとラグビーしたかったです。
ラストシーズンで初めてスイカを着てプレーして、本当の意味で敗北の悔しさ、勝利の喜びを体験しました。やはりラグビーはグラウンドで戦い、体感する以上のことはないと思います。怪我はしんどかったけど、4年間続けてきて本当によかったです。
最後になってしまいましたが、たくさん支援してくださいましたOB・OGの方々、監督、コーチ、今まで本当にありがとうございました。
次は同期の前原にバトンを回します。1年生の合宿での僕たちの初試合となったOB戦で彼が見せたDFラインを切り裂く力強いランが未だに脳裏から離れません。
ありがとうございました。
投稿日時:2021/01/07(木) 12:14
東大ラグビー部の信頼できるメディカル長西山鈴音からバトンを受けとりました不動のNo.8原虎之介です。
彼女は、僕たちが怪我をした時まるで親のように心配してくれて、親身に僕たちのことを考えてプレー判断を下してくれます。鈴音、4年間本当にありがとう。鈴音がメディカル長になってくれて本当によかったです。
まず、4年間僕のすることを何も言わずに見守ってくれた両親、本当にありがとうございました。怪我をして手術したり、東京で一人で松葉杖生活をしたりなど色んな心配な事がありながらも僕のすることを応援してくれた両親のおかげで楽しい大学ラグビー生活が送れました。僕は勉強のしたすぎで留年することになり、まだもう一年お世話になってしまいます。バイト代で足りない分出世払いするので、何卒よろしくお願いします。
それからサバイバーズ99thこと、同期のメンバー本当にありがとう。みんなのおかげで楽しい時間を過ごせました。ここに書き切れないぐらい色んな思い出があるけどほとんどが笑っていてこの同期でよかったなと心から思っています。色んな進学先の人がいますが、卒業してからもいつもの松井家で集まりましょう。
先輩の方々、ありがとうございました。1年生の頃からプレーでも私生活でも色んなかっこいい先輩の姿を見てたくさんのことを学ばせていただきました。僕もこんな先輩になりたいと何度も思いました。特に宮原健さんには本当にかわいがっていただきました。みんなに頼られながらも面白くて好かれていて、僕の憧れの先輩です。何度もラグビーや私生活の相談に乗ってくださり、現在就職活動でもお世話になっています。健さんと同じ会社に入れるように全力で頑張ります。
後輩のみんな、ありがとう。こんなポンコツで頼りない先輩と一緒にいてくれてありがとう。みんな後輩というより友達みたいな感じで、それが僕はカッコつけずに素の自分でいれるのでとても楽しかったです。特に北野、永山、今塩屋のいつものメンツは2年の時から麻雀や粋など、ずっと一緒にいてめちゃくちゃ楽しかったです。色んな楽しい思い出や、強烈な事件など忘れられないことが多くできました。卒業しても友達みたいな感じでいてください。
関安里さん、本当に本当にありがとうございました。2年生の頃宮原健さんに定食屋粋に連れてってもらい、そこで関さんと出会いました。関さんはとても大きく、とびぬけて明るいので最初出会った時は強烈なおばちゃんという印象でした。一度粋に通ってからは関さんの人間性と900円で栄養価の高い大盛りのご飯が食べれる粋の料理の虜になってしまい、そこからは粋が営業していない日曜日以外の週6日毎夜行かせてもらいました。
僕がアキレス腱を切って、松葉杖生活の時食事に困っていたら雨の中カッパを着て自転車をこいで僕の家まで2日分6食を、しかも無料で届けにきてくれた時は、本当に涙が出ました。僕にとっての東京のお母さん、卒業してからも何度も行かせてもらいますので、何卒よろしくお願いします。
僕のラグビー生活は色んな人のおかげで成り立っているんだなとあらためて実感します。
卒部してからもずっとお付き合いよろしくお願いします。
次は学科の先輩であるぶっとんだ仕事人タクローにバトンをまわします。彼は僕と一緒で幼稚園の頃からラグビーをやっていて、ラグビー理解度がとても高いので時々質問してラグビーを教えてもらいます。学科でも勉強のことを質問しすぎてウザがられますが、なんやかんや教えてくれるタクちゃんが大好きです。
特別ではない私だけど
投稿日時:2021/01/06(水) 19:00
松井大岳くんからバトンを受け取りました、4年スタッフ西山鈴音です。
彼とは、4年前の新歓の一環で観戦した早稲田戦の帰路にて「ラグビー部入る?」と話していたことを最近よく思い出します。もっと言うと、その後、上京したての彼に西武新宿駅から小田急線新宿駅の乗り換えを提案してしまい、後日道に迷ったと怒られたことも懐かしいです。
引退も近いこの頃は、こんな風にくだらないことをよく懐古してしまいます。
—————————————————
11月29日
どこかで、私たちは特別だと思っていた。
1年生の頃からずっと。
私たちの代では歴史を塗り替えるような記録を残せる。低学年の時から試合で活躍する選手も多く、優秀な主務、スタッフ長もいて、それについてきてくれる沢山の後輩に恵まれたこの学年は、間違いなく特別な存在だと。
同期の皆はどう思っていたかわからないが、少なくとも私はそう信じていた。
しかし、4年の対抗戦の結果は6位。「入替戦に出場する」と大手を振るった目標と同等の結果には届かず、絶対に負けたくない試合にも勝つことができなかった。
今シーズン、試合終了のホイッスルが鳴るたびに嫌でも思わされた。私たちは奇跡を起こせるような、歴史に名を刻めるような、特別な存在ではなかったのだ。
人はいつ自分自身が特別でないことを知るのだろうか。
幼い頃は皆、野球選手や総理大臣といった途方もない夢を屈託無く語るが、いつかその夢は叶わないことを知り諦める。
少なくとも私は、大学に入ってもなお自分は特別だと思っていた。アイドルにはなれないしノーベル賞も獲れないかもしれないけど、何かを成し遂げられるような存在ではあると。思い返せば大きな失敗がない人生だった。
ラグビー部で過ごした4年間は楽しく充実したものであったと同時に、半分以上の時間は部活を辞めた方が良いのではないかと考えていた。元々人付き合いは得意ではないし、スタッフとして気を回すことも不得手な方だ。学科の勉強との両立も思うようにいかず、常に部活に迷惑をかけているという自覚もあった。
部活では失敗ばかりの4年間だったかもしれない。しかも最終学年として掲げた目標は達成できなかった。
そしてやっと、私は自分自身が特別でないことに気付くことができた。
この気付きは、ラグビー部での4年間で得た最大のものであると思う。
自分自身が特別でないという事実は残酷ではあるが、一方でポジティブにも捉えている。なぜなら私が特別ではないと同時に、私以外の人間も誰一人として特別ではないと思えているからだ。つい自分の失敗を他人や環境の所為にしてしまいたくなるし今まではそうやって言い訳したことも何度もあったけれど、誰も特別ではないからその人の努力量が結果として返ってくると認識することで、きちんと反省点を受け止められるような気持ちに変わってきている。
仲間に対する気持ちも変わった。
この4年間、ラグビー部の仲間は私にとっては眩しすぎた。皆、自分のなすべきことが分かっていて、やったことに対して評価がついてきているんだなと感じる場面も多かった。私にはそれがひどく特別なように見えて、自分は特別だという自認があるだけに劣等感に苛まれた。
でも、それは決して皆が特別なのではなく、各々が努力した分が正当に返ってきているのだと今更ながらに気付き、真摯に部活動に取り組む仲間を嫌味なく素直に尊敬できている。
目標を達成できなかったことはとても悔しい。やっぱり、目標は達成したかった。
けれど、目標を達成できなかったことも悪いことばかりじゃない。
そして、特別ではない私も悪くない。
特別ではないからこそ、何かを成すためにまっすぐな努力をしたい。
—————————————————
1月6日
あの後、12月の試合は気持ちの良い結果に恵まれた。
選手ではないから勝手なことを言うようではあるが、目標が達成できなかったからこそ成長して生まれた試合結果であるような気もする。やっぱり、目標を達成できなかったことも、悪いことばかりじゃない。
特別ではなかった私たちだけど、とても良いチームだと心から思う。
—————————————————
この4年間、ラグビー部では多くのことを学ばせていただきました。
特別ではないけど、やっぱり私の中では〈特別〉な同期、
とにかく頼もしく、時に親身に相談にものってくださった先輩方、
きっと次のチームも良いチームになるだろうなと予感させるカッコイイ後輩たち、
メディカル面では大変お世話になりました、尊敬する田崎先生、工藤さん、金井さん、飯塚さん、
熱い支援をいただいた監督、コーチ、OB・OGの皆様、
感謝いたします。本当にありがとうござました。
ここで学び得た気付きと学びは、必ず今後の人生で活かすと誓い、筆を置きます。
次は、私の中の不動のNo.8、原虎之介くんにバトンを渡します。
秋頃彼が脳震盪をした時に、記憶が曖昧なせいか理由を忘れ、その練習でBチームとしてプレーしていたことをひどく悔しがっていた姿に、彼のNo.8としての矜持を感じカッコイイと心底思いました。
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