ラグビー部リレー日記

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Feel Special

 written by 下條 裕人 投稿日時:2019/12/13(金) 16:32

後輩からの人気がうなぎのぼりに上昇しているレオからバトンを受けました、下條です。

 

まず初めに、平素より多大なご支援をいただいているOBの皆様に厚く御礼を申し上げます。マネジメントや会報で皆様にはご迷惑をかけることも多々あり、ご指導を頂くこともしばしばでしたが、変わらず温かいお言葉やご声援をかけていただき誠に有難うございました。今シーズンも残り2試合を残すのみとなりましたが、今後ともご支援・ご声援を賜れましたら幸いでございます。

 
 

最後のリレー日記ということで4年間を振り返りたい。言葉で振り返れるほど未だきちんと整理できておらず、まとまらない上に長文となってしまうことはご容赦願いたい。

 

東大に入学して一番悩んだのはどのサークルに所属するかだった。

高校までサッカーを続けてきたが、続ける気は無かった。サッカーは楽しかったが試合に出れず、ベンチから見守る僕にできたのはマネージャーのいないチームで水を補充したり荷物を運んだりしてサポートすることだけだった。選手の一人でありながら自身の存在意義を裏方でしか見出せなかった自分自身が嫌だった。そんな自分を変えたかった。

だからラグビー部を選んだ。厳しい環境のもとでならきっと変わるんじゃないかという今思えば甘い期待もあった。クレイジーなスポーツであることは知っていたが、いやだからこそ自分の根本すら劇的にひっくり返すことができるんじゃないかと思った。それは他の人から見れば大げさで馬鹿げた悩みかもしれないが、その悩みは自分史上最も切実で、強烈だった。大きく変われるラストチャンスだとも思った。

 

実際にラグビーをやってみると想像よりもタフできつく、そして面白かった。

ひょろひょろの僕にとって練習はしんどかったが面倒見のいいコーチや先輩、(当時は)たくさんの同期に囲まれて続けることができ、上達も感じることができた。大きく強い相手にタックルするのはとても怖かったが、自分のタックルで相手が倒れるたびに自分の成長を身をもって感じることができた。部歌やエールのようなカルチャーも新鮮でとても好きだったし、何より自分が変われるんじゃないかという希望はより膨らんでいった。

 

2年生になるとチャンスにも恵まれた。前日の明治戦でノットメンツだった自分がオールスターに出してもらった。怪我人の影響で対抗戦にも出してもらった。とてもいい経験だったし楽しかった。

 

3年生になり上級生になったが、自分の目的にいわば固執しチームのことには何も関わっていなかった。ひどい上級生だったし実際先輩との面談であれを口にした時、先輩が苦笑していたのを覚えている。それだけ試合に出て活躍するということこそ至高だと考えていたから、その分練習を頑張ろうと思った。またしても先輩の怪我で対抗戦に出ることができ、トライも取れた。これだけ成長の感覚と自信をつかむことができたのは今までで初めてだった。

 

4年は怪我からのスタート。

試合に出てチームに貢献するという自身の理想は少なくとも半年は叶えることはできなかった。諸事情ありチームマネジメントを任されることとなったが、半年後の復帰を見据え、今は頑張ろうと思った。

7月終わりに復帰。

タックルは前より下手くそになっていたが、練習していけば良くなるだろうと楽観的に捉えていた。試合に出れるのが嬉しかったしラストシーズンだから気持ちも入っていた、と思う。

9月対抗戦が始まりスイカを着て戦った。チームも連敗し悔しかったが、それ以上に衝撃的だったのは、試合を追うごとにひどいプレーを繰り返し活躍どころかチームの足を引っ張っていた自分だった。タックルは外す、キックは落とす、今までできていたと思っていたことが何一つできなくなった。練習はすれど焦りだけが増し、ますます足手まといになっていった。チームマネジメントも中途半端で、4年生ながら全くチームに必要のない人となった。

そしてまた怪我をした。手術しなかった方の方を外した。またかよと思った。

こんなことをやっている奴が試合に出れるわけもなく、なんとかベンチに入れてもらうのがやっと。覚悟を決めて新たなスポーツをはじめ4年という短くない年月を「自分」に注力した結果、試合に出て活躍するどころかチームに迷惑をかけるまでになっていた。目線は下がり、あれほど楽しかったラグビーも全く楽しくなくなった。同期や後輩が怪我を負って試合に出る中、自分はピッチの中でも外でも迷惑をかけ下を向く機会が増えていた。

 

そんな中自分なりに少しでも力になれればと思ってやったのが、Bチームとして相手の再現をすることだった。4年生になって結局サポートに回っているというのも皮肉なもんだと思ったけど、ビデオを見て相手のアタック、ディフェンスの特徴を観察したり、ハイパントを練習してみたり、自分なりに全力でやってみた。

対抗戦最終戦、結局試合にはほぼ出られなかった。けれど勝ってとても嬉しかった。自分がでてない試合で勝ってこんなに嬉しかったのは初めてだった。久しぶりに感じた「変化」だった。

 

4年の「実験」でわかったのは自分は平凡な人だということだ。4年前から薄々わかっていたのかもしれないが、スポーツを変え環境を変えてもなお、試合に出て活躍するどころか、試合にも大して出れないままに終わった。リーダーという面からも、4年になり肩書きだけは増えたがカリスマ的に引っ張ることなどできなかった。

学んだのは自分にできることをやるしかないというこれまた平凡なことだった。頭では知っていたことを身をもって学べたのは良かったのかもしれない。

 ただ運がいいことだけは平凡な自分の唯一の取り柄だ。ここまでで経験し学んだことを発揮できる試合が二つも残っている。反省や後悔は後からすればいい。残りの時間を最高に濃く過ごせればそれでいいのだ。

 最後に青山監督、深津コーチをはじめとするコーチの皆様、僕に1からラグビーを教えてくれたJrコーチの皆さん、本当にありがとうございました。Jrコーチの中にはなぜか4年間コーチをしてくれた人もいますが、4年間ラグビーを続けることができ今の自分がいるのはその方のおかげなので全く頭が上がりません。ありがとうございました。

練習に付き合ってくれた先輩、今年必死に体を張ってくれた後輩にも感謝したいです。ありがとうございます。

 
感謝をいうべき人はきりがないのでこの辺にしておきます。次は練習リーダーとしてチームを引っ張り、こちらも後輩からの人気の高いゆうがに回します。

 

 

 

こいつでも

 written by 佐藤 伶央 投稿日時:2019/12/12(木) 01:31

新歓代表を立派に務め類稀な結果を残した角田からバトンを受取りました。4年の佐藤です。代々新歓代表は4月には半死半生といった様子でしたが、彼が割と平気な顔をしていたのは有能の証明だったのかもしれません。



自分の4年間、特に最後の1年間を振り返って見ると、様々な取り組みがひどく中途半端に終わってしまったなという気持ちが強いです。もっとも4年生になってやっと自身の取り組みを顧みる意識が生まれただけでそれ以前はなおさらそうだったのかもしれません。



もちろん反省はするべきですし失敗を意味あるものにできる唯一の方法ですが、自分の取り組みが如何に中途半端で至らないものだったかをここに書いても自分が辛いし、それを読む人たちも辛気臭い気持ちをするでしょうから自分が最もやりたかったこと、やろうとしていたことについて書こうかと思います。



去年の4年生が京大戦を終え引退されたとき、自分の中で一つ、楽しそうにラグビーをしなければいけないなということを思いました。去年の4年生は努めて楽しそうにラグビーをし、また日々の練習で部員の皆がラグビーを好きでいられるように工夫を凝らしていました。ラグビーを好きでいるということはラグビー部での活動を意義あるものにするための必要条件であることは明らかですが、同時にラグビーというのはタフで辛い側面も多く、好きでいることそれ自体が難しいとも思います。



去年の4年生はリーダーシップを持った1番上手い人たちが楽しそうにラグビーをプレーをすることで、ラグビーは楽しめる、楽しむべきものであるという範を示していました。また怪我をして満足にプレーできなかった人もそれぞれに出来る形でチームへ貢献しようとしていました。そこで今期の自分にできる、自分のするべきことの一つは、怪我ばかりしている奴でもラグビーは楽しめるぞ、ということを体現することではないかと思いました。



2年から3年の間に両肩を合わせて3度手術し、さすがに3度目の手術が必要になったときはウンザリしたし絶望的な気持ちにもなりましたが、腕を吊ったまま京大戦後の4年生の話を聞いているうちに、これだけはこの状態の自分にこそできることだ考えるようになりました。



2度続けて手術した右肩は中々調子が上がらず、思うようにトレーニングや練習ができないことでフラストレーションが溜まることもあり、結果が伴ったとも言い難いですが、それでもプレーすること自体には喜びがあり、日々の取り組みや競い合いは純粋に楽しかったです。



とにかく怪我をしようがプレーが上手くいかなかろうが、それ自体の良し悪しと別に、(僕の実際に反省するべき点はこの良し悪しですが)ラグビーは楽しいです。誤解を恐れない言い方をすれば、最悪でもラグビーを楽しむことはできます。



実際には皆の目にどう映っていたのか分かりませんし、復帰前の春先は練習中不機嫌なのか?と言われたりもして(単に僕の声かけの仕方が下手だっただけだと思います)思った通りの意味があったかは分かりませんが、「怪我ばっかしてるくせに楽しそうだな」「こいつでも楽しめるなら俺でもラグビー楽しめるだろ」などと思ってもらえていれば本望です。



 



次は部の屋台骨となってくれた下條にバトンを渡します。

For the team

 written by 角田 慎之介 投稿日時:2019/12/08(日) 16:41

1年間スタッフ長として大勢のスタッフをまとめるために試行錯誤し続けていたあやのからバトンを受け取りました角田です。


もうこれが私が書く最後のリレー日記である。
今までの自らの歩みを少し振り返ってみたい。

1年生の時、入学当初の私にはラグビー部に入部するという選択肢は全く頭になかったが、ラグビー部の雰囲気や先輩の人柄、ラグビーの魅力に惹かれていつの間にかラグビー部に入部していた。未経験者だった自分にとっては毎日の練習が新しいことばかりでジュニアの仲間と一緒にラグビーを徐々に知っていった。Jrコーチの方々の力が大きかったが部内マッチのBC戦でCが勝ったことは未だによく覚えている。

2年生の時はフロントローへの転向を決断した。自分にとってできることは何か考えた結果の転向だった。正直シニアの練習についていくので精一杯で、今思えば自分のことしか見えていない状態だったが自分なりには毎日を一生懸命過ごした。

3年生の時の明治戦で初めてA戦のスタメンになれた。明治戦の1週間前くらいからずっと緊張するほどだった。試合ではフィールドプレーは不甲斐なかったもののスクラムで明治相手でも組めるという自信が得られ、フロント転向を含めた今までの努力が実を結んだと感じ、嬉しかった。そして、夏に膝の怪我をした。長期間ラグビーができなくなったが4年のシーズンで活躍するためと思ってトレーニングやリハビリには気持ちが入っていた。

しかし4年になった復帰直後にまた膝を怪我した。復帰してチームの役に立とうと思った矢先の怪我で自分のリハビリは何の役に立ったのかという無力感を感じたこともあったが、チームのために自分にできることをしようと頑張り直し、対抗戦で戦うことができた。

これまでを振り返って考える自分の大きな変化は自分のためではなくチームのためにというのを自らのモチベーションの源泉にできるようになったことだと思う。

私が現役としてラグビーができるのもわずかである。今年の残る試合を勝ち、来年のシーズンを戦う後輩達に良いものを残せるように、チームのために悔いなくやり切ったと思える最後の2週間を過ごしたい。


最後にこの場を借りて。
今まで自分がラグビーを楽しめたのは、苦しい時も一緒にいた同期、普段は楽しくラグビーには真剣な先輩方・後輩達、技術面も精神面も指導してくださったコーチ陣の方々やOBの方々、そしていつでも支えてくれた両親のおかげです。今まで本当にありがとうございました。


次は、どんなときでもラグビーを楽しんでいたレオにバトンを回します。

自責で考える

 written by 大平 綺乃 投稿日時:2019/12/05(木) 01:00

自由人ながらこれと決めたことには努力を惜しまない大石からバトンを受け取りました、四年スタッフの大平です。

最後のリレー日記に何を書くべきか非常に悩みました。
悩んだ挙句、私が最近出会った考え方について書こうと思います。

この四年間は喜怒哀楽に満ちていた。
三年生までは日々の練習で「楽」を感じ、時に試合に負け「哀」を感じ、時に試合に勝って「喜喜喜」を感じることの繰り返しで、とても充実していた。
しかしながら、今年は少し違った。
二年生の頃から運動会総務部に派遣され活動に参加してきたが、四年になりそろそろラグビー部に集中したいと思っていた矢先、山中寮の寮長になってしまった。
夏が近づくにつれ、寮の業務と練習が重なり、スタッフ長ながら部活を不在にすることが増えた。
「最近練習にいないけどどうしたの?」
悪気のない言葉に余計に傷つき、全てが申し訳なかった。自分が時間を費やしてる仕事は部にほぼ還元されず、自分がいなくても部活は回っていく。何のためにラグビー部に所属しているのか分からなくなった。
そんな日々の中で、ちょっとしたことでも気落ちするようになった。
結局寮の仕事で菅平合宿に参加できないと分かった時、四年間で初めて部活を辞めることを考えた。

そんな時、ある人からこんな助言をもらった。
「困ったら全部自責で考える。無理矢理こじつけてでも自責で考える。人のせいにしない。人に期待しすぎない。自責で考える方が改善策も自分で見つけられる。」

何かつかえていたものが取れた気がした。
菅平合宿に参加できないという事実は変わらなかったが、自分なりに意義を見出した。
気持ちは大きく変化した。

The greatest happiness is to know the source of unhappiness.

山中寮の寮長になったこと。怪我をしてしまったこと。理不尽なこと。
何か原因はわからないけど上手くいかないこと。天気。タイミングの悪さ。
全てただの不運かもしれない。誰のせいでもないかもしれない。
それでも前進しなければならない。
理由が何であれ、落ち込み、歩みを止めてしまっては勿体無いと思えるようになった。

そして最後になりましたが、この四年間支えてくださった全ての方々に心から感謝します。
監督・コーチ・OBの方々・トレーナーの皆様。
私の支離滅裂な相談に幾度となく乗ってくださった先輩方。
怪我から復活しグラウンドに帰ってくる姿で勇気をくれた同期。
初々しい姿で部活をすることの喜びを思い出させてくれた後輩。
部活のオフを完全に把握しベストタイミングで食事に誘ってくれた友人。
何があっても部活を続けることを応援してくれた家族。
今こうしてリレー日記を書けているのは皆さんのお陰です。本当にありがとうございました。

とりとめのない文章を最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
次は新歓代表として部をまとめ上げ大成功を収めた角田にバトンを渡します。

決意

 written by 大石 健人 投稿日時:2019/12/02(月) 12:12

3年生のトラからバトンを受け取った大石です。自分の貢献は本当に小さなものです。
トラはあまり運頼みの麻雀ばかりしているとまた不幸な怪我が襲ってくるかもしれません。ラグビーも麻雀も更なる実力UPを期待しています笑。

長かった4年間が間も無く終わろうとしています。
まず初めにこの場をお借りして、この1年間多大なご支援をくださった皆様に厚く御礼申し上げます。主務という立場ながらチームを長期間離れましたが、OBの皆様また部員の献身的なサポートにより充実した時間を過ごすことができました。ありがとうございました。

~~~~~~
この4年間を経て自分は何を得たのだろうか。
プロラグビー選手になるわけではない自分が、学生生活のたくさんの時間を費やしラグビーから学んだことはなんだったのだろうか。

対抗戦での勝利・敗北。
日本代表・サンウルブズでアナリストとして働いた経験。

このような美辞麗句ではなく、ラグビー部を卒業する自分が本質的に何か成長できたことはあったのだろうか。
答えはおそらく今すぐにはわからない。少ししてふとした瞬間に感じるのだとは思う。ただそれを少しでも知りたいがために今リレー日記を書いている。

自分は元来戦略的で、ある目標や事象に対して最低限の努力で達成することを考える人間である。ただこの大学生活を振り返った際に、ことラグビーの分析に関しては他の誰よりも真摯に取り組んだ自負があった。
初めたきっかけはこれなら頑張れそうと思ったからであったものの、プレーヤーと異なりアナリストには勝ち負けがなく(アナリスト大会で競い合うみたいなこともない)成長を感じづらいため、当初は目標を自分で達成することができるのか不安に感じたのを今でも強く覚えている。そのため、自分としては珍しく後先のことをあまり考えず目の前の業務にとにかく集中するやりかたを選択した。というよりもその手段しか自分には残されていなかった。結局いくら慣れても最後まで緊張して後先を見る余裕は生まれなかったものの、結果的にこの選択が功を奏しコーチや周囲からの信頼を勝ち取ることにつながったのではないかと思う。そのおかげでラグビー部は引退するがラグビーは引退することなく、連綿とキャリアを続けることができた。
”今を生きる”ことの大切さを学んだ。


それに加えてプラクティカルな面では約2年ほど前から毎日個人的に日誌をつけている。毎日一個は必ず新しい学びやその時の思いを簡単にメモするようにしていた。
このリレー日記を書くにあたって、その日誌を初めてしっかり読み返した。海外コラミストの分析をメモしていた2年前のものや1年前の対抗戦分析の所感から、代表帯同中の戦術的なレビュー等の直近のものまでメモされている。

日記は良い。自分がどういう軌跡を描いたかすぐにわかる。
9ヶ月前の3/1に自分が何をできるようになったか意気揚々と記されている一方、6/17では白紙である。6/16に疲れたの3文字のみが殴り書きされているのを見ると何かに追い詰められていたんだろう。確かにそんな時期もあった。もう宮崎には正直二度と行きたくはない。
ラグビー以外のことは書いていないだろうか。ページをめくりにめくっているうちに数百ページの中で唯一精神的な言葉が記されている。
『ほとんどの人は努力が足りないわけではない。決意が足りないだけ。お前の日記もいつ終わるかな??笑』

これは今でも鮮明に覚えている。自分が尊敬するコーチに対して、才能を抜きに彼がどうしてABsにまで選ばれうる選手になれたかを聞いた時のブラックジョークであった。
心からそれを欲せられるか。真に勝ちを求めているのか。一流のアナリストに少しでも近づきたいのか。

これは誰にでも適用できると思う。目標の大小はそれを聞いてからあまり意識しないようにしている。ただ、自分で何か目標を立てた以上は”必ず達成する気概”をもつ大切さは少なくとも学べた。ダレるくらいなら簡単に頑張るとは言わない方が良いと思う。ちなみに上述のコーチは試合中内臓が破裂しても最後まで試合に出続けた逸話をもつ。最後は気合なんだろう。気合。テクニカルなことではない。
~~~~~~

以上自分の思いをあまり整理せずに述べてきました。
個人的な反省をしながらやはり最後は改めて周りのご縁に恵まれた時間だったと思います。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。次のステージでも常に初心を忘れず精進します。
この決意の言葉を最後として自分のリレー日記を終えたいと思います。

次は、様々な困難に直面しながら1年間スタッフ長をやりとげたあやのにバトンを渡したいと思います。


 
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