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ラグビー部リレー日記
僕のラグビー人生
投稿日時:2016/12/19(月) 21:21
1年生のときからずっと隣にいた難波君からバトンを受け取りました、小沢壱生です。
野球部の4年生が引退前に毎年書く「僕の野球人生」が好きなので、僕も同じ形式で書こうと思います。
1年生
今から思えば、心に迷いがあったのだと思う。
スポーツのために東大に来たわけではないし、脇を見れば“大学生らしいこと”を謳歌している同級生がいる。ラグビー以外にもいろいろ手を出してみたりして、中途半端ではあった。
夏に仲が良かった同期がアメフト部に転部して、自分が東大ラグビー部にいる意味を考えはじめた。
2年生
シニアに上がった。
どこかの時期に、試合で活躍したい、そしてチームの目標に貢献したいという意志に矛盾がないようにグラウンド外で行動しようと決めた。練習に対して心身いずれかに悪影響のあるような行動は極力排除するようにした。そうすると、迷いが消えて覚悟が生まれた。友達と単位は減った。
それだけ練習についていくのが精一杯で、心身ともに追い込まれていたのだと思う。練習相手のフィジカルもスキルも上がり、疲労度も段違いだったからだ。
OBの方や先輩から「選手としての伸び」という言葉を幾度か耳にしたが、意味がよく解らなかった。結局伸びてなかったのだと思う。
3年生
フロントローの先輩が抜けたことで、Aチームに上がった。
5月の東北大戦を皮切りに、春シーズンは全試合でスイカを着させてもらった。スイカに見合うスキルも経験もなかったから不安だらけで押しつぶされそうだったが、それを追い払うようにただ我武者羅にプレーすることを心掛けた。
すると徐々に楽しさというか、充実感を覚えるようになった。
ファーストジャージの試合は雰囲気も観客数も普段と異なり、チームに対して大きな責任を伴うが、その分見返りも大きい。いいプレーをしたら見てくれている人がいる。自分の手で直接勝ちに貢献できる。「価値ある場所は、行く前が怖い」とアナザースカイで誰かが言っていたが、その通りだと思う。
チームに貢献できていたのかはわからないが、自分自身で成長は着実に感じられた。
しかし、夏合宿終盤の試合で右肩を骨挫傷してから、徐々に歯車が狂い始めたのだと思う。
10月終わり、先輩の怪我で対抗戦初先発が見えていた前日練習で、右ひざの前十字靭帯が切れた。
手術して復帰まで早くて6か月。わずかだが右肩上がりの成長の延長線上にあった一年後の自分は、消えた、と思った。
4年生
先輩が辛かったと口を揃えて言っていた4年生。
結論から言うと、僕は4年生が一番楽しかった。
4年間で一番伸びたからだと思う。
シーズンインの数か月は馬鹿みたいにトレーニングした。4年生、フィジカルリーダーとしての責任が鞭を打った。
人にも恵まれた。DLに大改革をもたらしてくれた飯塚さん、意外と真面目でつらい時に引っ張ってくれた筋トレペアの梶村、異様にモチベーションの高いDLの後輩、このいずれも欠けてはならなかった。体重も数値も面白いように伸びて、万能感が湧いた。変な言い方だけど、怪我がこの時期でよかったのだと思う。
5月終わりに復帰。
そして7月の春季最終戦の九州大戦でやっとスイカをもらったけれど、後半10分でまた右膝が壊れた。
半月板損傷。切除手術。半年前と同じ病室に戻るのが屈辱的だった。
この時はさすがに気が弱った。もう怖かった。復帰時期が遅い保存療法ではなく切除で、と口では即答したけれど、膝が痛む将来が見えている。ここまでする必要あるのかと何度もため息が出た。
大事な夏合宿もDLだった。
4年生をこんなにDLで過ごす先輩は過去3年間いなかったから焦ったけれど、人生ここまで帳尻合わせでうまく来たから大丈夫と自分に言い聞かせて過ごした。
そして、9月終わりに再度復帰。
これまでの3年半はこの時期のためにあったのだと思う。充実していた。
スクラムが面白いように分かるようになってきて、仕掛けることができるようになった。修正能力も上がった。夏合宿以降デッドリフトに精力的に取り組んで強くなったのもあるが、4年間これまでバラバラに蓄積されてきたものがやっと実を結んだのだと思う。
フィットネスも上がってきた。80分間勝負に集中できる余裕が出てきた。
今までにない成長の傾きを感じながら日々練習・試合をすることができた。
前十字を切ってからちょうど1年後、学習院戦のスイカを頂き、そこから毎試合スイカで出場することができた。前しか見えていなかった。
チーム自体も成城戦の劇的な逆転勝利から勝ち星を重ね、着実に成長していたと思う。
そして対抗戦を終え、故郷での名古屋大戦。
個人的に4年間で一番内容がよかった。前週の武蔵大戦での個人的な課題も修正でき、京大戦までもっとうまくなれると思った。
だけど、手が折れていた。また手術だった。京大戦には間に合わない。悔しいという言葉じゃ足りないくらい悔しかったけれど、故郷で4年間のベストゲームができて、体も張れたのだから、これは選手冥利に尽きるのだと考えることにした。
秋シーズンを中心に今までを振り返ると、比較的純度の高い達成感がある。
それは、伸びを感じながらプレーできたから、4年生で出場したスイカの試合は5戦4勝だったからなどいろいろ理由はあると思うが、それらのおおもとは、2年生で大学生活のいろいろなものを犠牲にしてラグビーに取り組む覚悟ができ、それを忠実に守ってきたからだと思う。そこからの蓄積がやっと4年の秋に出た。あえていろいろ犠牲にしてきたから意地でも結果にこだわった。そういうことだと思う。
ここまで来られたのは多くの人のご理解・ご指導あってのことでした。
とくに、毎朝グランドに来てくださって、優秀なマネジメント・コーチングをしてくださった宋さん・須藤さんには頭が上がりません。DL時代に僕を変えてくれた飯塚さん、感謝しています。
今まで関わってくださった皆さん、本当にありがとうございました。
ラグビー部での4年間を糧にして、これからも頑張ります。
次は、前十字靭帯のケガの先輩である藤原君にお願いします。
野球部の4年生が引退前に毎年書く「僕の野球人生」が好きなので、僕も同じ形式で書こうと思います。
1年生
今から思えば、心に迷いがあったのだと思う。
スポーツのために東大に来たわけではないし、脇を見れば“大学生らしいこと”を謳歌している同級生がいる。ラグビー以外にもいろいろ手を出してみたりして、中途半端ではあった。
夏に仲が良かった同期がアメフト部に転部して、自分が東大ラグビー部にいる意味を考えはじめた。
2年生
シニアに上がった。
どこかの時期に、試合で活躍したい、そしてチームの目標に貢献したいという意志に矛盾がないようにグラウンド外で行動しようと決めた。練習に対して心身いずれかに悪影響のあるような行動は極力排除するようにした。そうすると、迷いが消えて覚悟が生まれた。友達と単位は減った。
それだけ練習についていくのが精一杯で、心身ともに追い込まれていたのだと思う。練習相手のフィジカルもスキルも上がり、疲労度も段違いだったからだ。
OBの方や先輩から「選手としての伸び」という言葉を幾度か耳にしたが、意味がよく解らなかった。結局伸びてなかったのだと思う。
3年生
フロントローの先輩が抜けたことで、Aチームに上がった。
5月の東北大戦を皮切りに、春シーズンは全試合でスイカを着させてもらった。スイカに見合うスキルも経験もなかったから不安だらけで押しつぶされそうだったが、それを追い払うようにただ我武者羅にプレーすることを心掛けた。
すると徐々に楽しさというか、充実感を覚えるようになった。
ファーストジャージの試合は雰囲気も観客数も普段と異なり、チームに対して大きな責任を伴うが、その分見返りも大きい。いいプレーをしたら見てくれている人がいる。自分の手で直接勝ちに貢献できる。「価値ある場所は、行く前が怖い」とアナザースカイで誰かが言っていたが、その通りだと思う。
チームに貢献できていたのかはわからないが、自分自身で成長は着実に感じられた。
しかし、夏合宿終盤の試合で右肩を骨挫傷してから、徐々に歯車が狂い始めたのだと思う。
10月終わり、先輩の怪我で対抗戦初先発が見えていた前日練習で、右ひざの前十字靭帯が切れた。
手術して復帰まで早くて6か月。わずかだが右肩上がりの成長の延長線上にあった一年後の自分は、消えた、と思った。
4年生
先輩が辛かったと口を揃えて言っていた4年生。
結論から言うと、僕は4年生が一番楽しかった。
4年間で一番伸びたからだと思う。
シーズンインの数か月は馬鹿みたいにトレーニングした。4年生、フィジカルリーダーとしての責任が鞭を打った。
人にも恵まれた。DLに大改革をもたらしてくれた飯塚さん、意外と真面目でつらい時に引っ張ってくれた筋トレペアの梶村、異様にモチベーションの高いDLの後輩、このいずれも欠けてはならなかった。体重も数値も面白いように伸びて、万能感が湧いた。変な言い方だけど、怪我がこの時期でよかったのだと思う。
5月終わりに復帰。
そして7月の春季最終戦の九州大戦でやっとスイカをもらったけれど、後半10分でまた右膝が壊れた。
半月板損傷。切除手術。半年前と同じ病室に戻るのが屈辱的だった。
この時はさすがに気が弱った。もう怖かった。復帰時期が遅い保存療法ではなく切除で、と口では即答したけれど、膝が痛む将来が見えている。ここまでする必要あるのかと何度もため息が出た。
大事な夏合宿もDLだった。
4年生をこんなにDLで過ごす先輩は過去3年間いなかったから焦ったけれど、人生ここまで帳尻合わせでうまく来たから大丈夫と自分に言い聞かせて過ごした。
そして、9月終わりに再度復帰。
これまでの3年半はこの時期のためにあったのだと思う。充実していた。
スクラムが面白いように分かるようになってきて、仕掛けることができるようになった。修正能力も上がった。夏合宿以降デッドリフトに精力的に取り組んで強くなったのもあるが、4年間これまでバラバラに蓄積されてきたものがやっと実を結んだのだと思う。
フィットネスも上がってきた。80分間勝負に集中できる余裕が出てきた。
今までにない成長の傾きを感じながら日々練習・試合をすることができた。
前十字を切ってからちょうど1年後、学習院戦のスイカを頂き、そこから毎試合スイカで出場することができた。前しか見えていなかった。
チーム自体も成城戦の劇的な逆転勝利から勝ち星を重ね、着実に成長していたと思う。
そして対抗戦を終え、故郷での名古屋大戦。
個人的に4年間で一番内容がよかった。前週の武蔵大戦での個人的な課題も修正でき、京大戦までもっとうまくなれると思った。
だけど、手が折れていた。また手術だった。京大戦には間に合わない。悔しいという言葉じゃ足りないくらい悔しかったけれど、故郷で4年間のベストゲームができて、体も張れたのだから、これは選手冥利に尽きるのだと考えることにした。
秋シーズンを中心に今までを振り返ると、比較的純度の高い達成感がある。
それは、伸びを感じながらプレーできたから、4年生で出場したスイカの試合は5戦4勝だったからなどいろいろ理由はあると思うが、それらのおおもとは、2年生で大学生活のいろいろなものを犠牲にしてラグビーに取り組む覚悟ができ、それを忠実に守ってきたからだと思う。そこからの蓄積がやっと4年の秋に出た。あえていろいろ犠牲にしてきたから意地でも結果にこだわった。そういうことだと思う。
ここまで来られたのは多くの人のご理解・ご指導あってのことでした。
とくに、毎朝グランドに来てくださって、優秀なマネジメント・コーチングをしてくださった宋さん・須藤さんには頭が上がりません。DL時代に僕を変えてくれた飯塚さん、感謝しています。
今まで関わってくださった皆さん、本当にありがとうございました。
ラグビー部での4年間を糧にして、これからも頑張ります。
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