ラグビー部リレー日記
彩り
投稿日時:2022/12/21(水) 17:21
あしゃからバトンを受け取りました、主務の廣瀬です。
彼女とは数えきれないほどLINEも電話もミーティングもして、本当に助けてもらいました。彼女がいなければ今年のチームは間違いなく機能しなかったと断言できます。三年生までも口先では感謝を伝えていたけれど、あしゃ始めスタッフの偉大さが本当に身にしみる一年でした。皆本当にありがとう。部員全員の努力の結果なので謝ることはしませんが、入替戦の場に皆で立ちたかった気持ちは今も変わりません。
あと三日で、僕のラグビー人生が終わる。ほぼほぼやり切った。
静岡への準備はもう少し残っているが、次こそ新幹線が止まらないことを祈るだけだ。
下級生の頃のことは既に書いてしまったが、ありきたりに振り返らせていただく。
僕がラグビーを始めたきっかけは父である。
小学生の頃には、家族のアルバムを見たり会報が家に届いていたこともあり、なんとなく父が東大ラグビー部だったことを知っていた。 自分から興味本位で頼んだのだが、中学生の時に父に連れられ初めて試合を見たのも東大ラグビー部だった。相手は防衛大学校で、子供からすると異常な体つきだった。ガリ勉軍団なんてどうせ負けると思ったのに、激しいタックルを繰り返す東大が勝利した。ミーハーな僕はこの試合を見て、父はこんなことをしていたのか、文武両道ってかっこいいと思い「東大に入ってラグビーをする」ことが人生の目標になり、高校・大学受験も限界まで背伸びをして頑張れた。
高校では迷わず入部した。卒業するまではスイカジャージがこの世で一番格好良く見えた。東大ラグビー部グッズのクリアファイルを使い、スイカを着たキューピーちゃんのストラップを鞄につけ、父の卒部記念レプリカジャージを寮の部屋にかざり、試合にもお守りとして欠かさず持っていった。ただ理想と現実は隔たりがあるもので、全く活躍できなかった。練習・試合をすればするほど惨めになり、理科職員室の前で退部宣言の練習をする度に顧問の先生に怒られることの方を恐れて言い出せず、三年間が終わった。もちろんいい仲間はできたし、かけがえのない経験ではあったがラグビー自体はトラウマになった。
浪人中は記憶がないが、スイカへの憧れも薄れていった。東大に合格してラグビー部の新歓に行ったが高校時代の苦い記憶を思い出し「このスポーツで進学校が勝つのは無理。」と思い、より勝てる可能性があるカレッジスポーツでボートと迷った挙句ラクロスを選んだ。夢を追っても同じように失敗してしまうことを、心のどこかで恐れていたのかもしれない。
紆余曲折を経て再び僕の夢を与えたくれたのもまた、東大ラグビー部の試合だった。杉浦さんの魂のタックルを見て、再び「スイカジャージを着たい。」と強く思った。
そこからは必死に食らいついてきた。試合に出られなくても、怪我で何もできない時も、出ても満足のいかないプレーばかりで嫌になった時も。
今年は幸運にもスイカを着る機会に多く恵まれた。前十明けのジャージ授与式では涙が出るかなと思っていたが、緊張してそれどころではなかった。対抗戦もあっという間だった。DLの時に忘れまいと誓っていたにも関わらず、出られない人のためにとかジャージを背負う誇りとか考える間もなかった。各試合での気持ちは既に多くの同期が述べた通りだ。
去年秩父宮で悲しい思いをした分、今年こそエコパでスイカを着るのを楽しみにしていたけれど、結局最後も怪我をしてしまい、明学戦がラストスイカになってしまった。
ただあまり後悔もない。
前十以降、いつ引退試合になってもおかしくないと思っていたから、必ずスパイクは完璧に磨いたしプレーのイメージもしっかりしたし僕なりに覚悟も決めて戦った。反省点だらけではあったが、毎回その日までの僕のベストパフォーマンスを出せたと思っている。
一年を通じたチームの戦績についても各々思うところはあるだろうが、僕としてはこう伝えたい。
「4年生はこの結果を誇りに思おう。必死になって取り組んできた証しなのだから。」
歴代の4年生のリレー日記を読んできた中で、強く印象に残っている望月さんの一文である。(直接お会いしたことがないのに引用失礼します。)
石川さんの代は4勝という目標を達成し僕らとは違う状況かもしれないが、簡潔ながらも前向きに自分たちの努力を振り返っていて非常に好きな表現だ。
プレイヤーもスタッフも、國枝組の一人一人が身も心も限界までやってきたと思う。常に先を見据えていたとはいえ、その時のベストを尽くしてきたと思う。
その結果が今年の戦績なのだから、胸を張ろう。
とはいえ、個人的には学習院、名古屋と不完全燃焼感がある。
大西さんのもとで間違いなく日々成長していると思うが、國枝組の力はこんなものではないと思う。
最後こそ、全員で熱い試合をしよう。
今年は主務という肩書きをもらったものの、とても良いマネジメントができたとは言えず多方面に多大な迷惑をかけてしまった。自分は謝るために主務になったのかと思うこともあった。僕でない方がうまく行ったこともたくさんあっただろうが、その度に僕を信頼し推してくれた人たちの存在が心の支えになった。偉大な主務だった太田さんのような強さがなく、しょっちゅう皆に弱音や愚痴を吐いてきたが、このチームのために仕事をすることを任されたことは本当に幸せだった。皆ありがとう。
この四年間ほぼ全てをラグビーに捧げてきた。
正直身も心も堪えたが、色々な人の支えがあり東大ラグビー部における自分の目標と信念を最後まで貫くことができた。
生まれ変わっても國枝組のいちプレーヤーとして、主務として過ごしたいと思える、そんな素敵な日々だった。
最後になりますが、
コーチ陣の皆様、OB・OGの皆様、保護者の皆様、田崎先生、工藤さん、飯塚さん、先輩方、後輩たち、同期、そして家族。
今まで本当にありがとうございました。
皆さんには感謝することが多すぎてここには書ききれなかったので、必ず別の機会に直接お礼を伝えさせていただきたいと思います。
最高のチームでした。最高の四年間でした。
ありがとう東大ラグビー部。
次は松元にバトンを渡します。彼とは性格や考えが似ていて、同期の中でも多くの時間を一緒に過ごしました。副将として人一倍危機感を持ち、部員に厳しく接してくれました。人目を気にしすぎる彼も、この一年で本当に強くなったと尊敬しています。ただ、グラウンドから家まで歩いて15分のくせに僕と財木とゴタツとしゃべるためだけにわざわざ電車で帰るのは意味不明すぎるのでやめてください。
彼女とは数えきれないほどLINEも電話もミーティングもして、本当に助けてもらいました。彼女がいなければ今年のチームは間違いなく機能しなかったと断言できます。三年生までも口先では感謝を伝えていたけれど、あしゃ始めスタッフの偉大さが本当に身にしみる一年でした。皆本当にありがとう。部員全員の努力の結果なので謝ることはしませんが、入替戦の場に皆で立ちたかった気持ちは今も変わりません。
あと三日で、僕のラグビー人生が終わる。ほぼほぼやり切った。
静岡への準備はもう少し残っているが、次こそ新幹線が止まらないことを祈るだけだ。
下級生の頃のことは既に書いてしまったが、ありきたりに振り返らせていただく。
僕がラグビーを始めたきっかけは父である。
小学生の頃には、家族のアルバムを見たり会報が家に届いていたこともあり、なんとなく父が東大ラグビー部だったことを知っていた。 自分から興味本位で頼んだのだが、中学生の時に父に連れられ初めて試合を見たのも東大ラグビー部だった。相手は防衛大学校で、子供からすると異常な体つきだった。ガリ勉軍団なんてどうせ負けると思ったのに、激しいタックルを繰り返す東大が勝利した。ミーハーな僕はこの試合を見て、父はこんなことをしていたのか、文武両道ってかっこいいと思い「東大に入ってラグビーをする」ことが人生の目標になり、高校・大学受験も限界まで背伸びをして頑張れた。
高校では迷わず入部した。卒業するまではスイカジャージがこの世で一番格好良く見えた。東大ラグビー部グッズのクリアファイルを使い、スイカを着たキューピーちゃんのストラップを鞄につけ、父の卒部記念レプリカジャージを寮の部屋にかざり、試合にもお守りとして欠かさず持っていった。ただ理想と現実は隔たりがあるもので、全く活躍できなかった。練習・試合をすればするほど惨めになり、理科職員室の前で退部宣言の練習をする度に顧問の先生に怒られることの方を恐れて言い出せず、三年間が終わった。もちろんいい仲間はできたし、かけがえのない経験ではあったがラグビー自体はトラウマになった。
浪人中は記憶がないが、スイカへの憧れも薄れていった。東大に合格してラグビー部の新歓に行ったが高校時代の苦い記憶を思い出し「このスポーツで進学校が勝つのは無理。」と思い、より勝てる可能性があるカレッジスポーツでボートと迷った挙句ラクロスを選んだ。夢を追っても同じように失敗してしまうことを、心のどこかで恐れていたのかもしれない。
紆余曲折を経て再び僕の夢を与えたくれたのもまた、東大ラグビー部の試合だった。杉浦さんの魂のタックルを見て、再び「スイカジャージを着たい。」と強く思った。
そこからは必死に食らいついてきた。試合に出られなくても、怪我で何もできない時も、出ても満足のいかないプレーばかりで嫌になった時も。
今年は幸運にもスイカを着る機会に多く恵まれた。前十明けのジャージ授与式では涙が出るかなと思っていたが、緊張してそれどころではなかった。対抗戦もあっという間だった。DLの時に忘れまいと誓っていたにも関わらず、出られない人のためにとかジャージを背負う誇りとか考える間もなかった。各試合での気持ちは既に多くの同期が述べた通りだ。
去年秩父宮で悲しい思いをした分、今年こそエコパでスイカを着るのを楽しみにしていたけれど、結局最後も怪我をしてしまい、明学戦がラストスイカになってしまった。
ただあまり後悔もない。
前十以降、いつ引退試合になってもおかしくないと思っていたから、必ずスパイクは完璧に磨いたしプレーのイメージもしっかりしたし僕なりに覚悟も決めて戦った。反省点だらけではあったが、毎回その日までの僕のベストパフォーマンスを出せたと思っている。
一年を通じたチームの戦績についても各々思うところはあるだろうが、僕としてはこう伝えたい。
「4年生はこの結果を誇りに思おう。必死になって取り組んできた証しなのだから。」
歴代の4年生のリレー日記を読んできた中で、強く印象に残っている望月さんの一文である。(直接お会いしたことがないのに引用失礼します。)
石川さんの代は4勝という目標を達成し僕らとは違う状況かもしれないが、簡潔ながらも前向きに自分たちの努力を振り返っていて非常に好きな表現だ。
プレイヤーもスタッフも、國枝組の一人一人が身も心も限界までやってきたと思う。常に先を見据えていたとはいえ、その時のベストを尽くしてきたと思う。
その結果が今年の戦績なのだから、胸を張ろう。
とはいえ、個人的には学習院、名古屋と不完全燃焼感がある。
大西さんのもとで間違いなく日々成長していると思うが、國枝組の力はこんなものではないと思う。
最後こそ、全員で熱い試合をしよう。
今年は主務という肩書きをもらったものの、とても良いマネジメントができたとは言えず多方面に多大な迷惑をかけてしまった。自分は謝るために主務になったのかと思うこともあった。僕でない方がうまく行ったこともたくさんあっただろうが、その度に僕を信頼し推してくれた人たちの存在が心の支えになった。偉大な主務だった太田さんのような強さがなく、しょっちゅう皆に弱音や愚痴を吐いてきたが、このチームのために仕事をすることを任されたことは本当に幸せだった。皆ありがとう。
この四年間ほぼ全てをラグビーに捧げてきた。
正直身も心も堪えたが、色々な人の支えがあり東大ラグビー部における自分の目標と信念を最後まで貫くことができた。
生まれ変わっても國枝組のいちプレーヤーとして、主務として過ごしたいと思える、そんな素敵な日々だった。
最後になりますが、
コーチ陣の皆様、OB・OGの皆様、保護者の皆様、田崎先生、工藤さん、飯塚さん、先輩方、後輩たち、同期、そして家族。
今まで本当にありがとうございました。
皆さんには感謝することが多すぎてここには書ききれなかったので、必ず別の機会に直接お礼を伝えさせていただきたいと思います。
最高のチームでした。最高の四年間でした。
ありがとう東大ラグビー部。
次は松元にバトンを渡します。彼とは性格や考えが似ていて、同期の中でも多くの時間を一緒に過ごしました。副将として人一倍危機感を持ち、部員に厳しく接してくれました。人目を気にしすぎる彼も、この一年で本当に強くなったと尊敬しています。ただ、グラウンドから家まで歩いて15分のくせに僕と財木とゴタツとしゃべるためだけにわざわざ電車で帰るのは意味不明すぎるのでやめてください。
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