ラグビー部リレー日記

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パスタのすすめ

 written by 細谷 光史 投稿日時:2025/02/14(金) 15:23

原井からバトンを受け取りました、新4年の細谷です。原井含めて先日は心配をおかけしました。原井がそう言ってくれるのは今の自分にはとてもありがたいです。期待にこたえられるように新歓活動含め頑張ります!

個人的なことにはなりますが、ここ数ヶ月私のお財布事情が厳しいと感じるとこが非常に多いです。おかげで近くのスーパーでバイトを始める決心ができたのですが、米や野菜の値段が軒並み高くなってくれたおかげで特に生活を大きく変えたわけでもないのに生活が苦しいなあ、と感じます。今回はその苦しさを感じてしまう瞬間を紹介したいと思います。

①鍋を食べなくなった
去年は冬には毎晩、とは言わないけれど二日に一回は家で鍋を食べていました。白菜、豆腐、しめじ、もやしなどを冷蔵庫に置いておいて、自分の家の冷蔵庫が意外と小さいなあと感じたことを覚えています。今はその日の分しか買わないので、常備している卵や納豆や豆腐しかなく少しもの悲しいです。

 

②パスタを食べる機会が増えた

以前からそうでしたが、パスタは米に比べると非常に安いです。特にここ数ヶ月はその安さをありがたく思う機会が増えました。近くのスーパーではパスタの味をまとめ買いすると割引されるシステムもあり、それも大活躍させてもらっています。逆に米については以前よりも購入を控えることが増えています。いざ買おうと思っても意外と高いなあ、とかこの前も米買ったのにもう無くなっちゃうのか、とか米を食べることや購入することに対して以前よりも敏感になってしまったように思います。米がソウルフードである日本人の私にとってはこの感覚はあまり慣れたくないものです。

 

③おかわり自由がなくなった

私の家の近くには引っ越し直後からたまに行っているとんかつ屋があるのですが、ランチの一番安いものは1000円で食べられる上、ごはんもキャベツもおかわり自由でとても重宝していました。ただ、年が明けてから訪れてみたところランチメニューが全部100円値上げされていた上にキャベツのおかわり自由が無くなっていました。他には下北沢にあるチェーン店でもごはんのおかわり自由がなくなったり、本郷でよく通っていたうどん屋でも値上がりしてしまったりしていました。

 

食料品の値段が上がってしまうと家計に大きな影響を与えるなあ、と感じます。それでも創意工夫を試みて(そんな大げさなものではないですが)なんとかやりくりしています。来年は米も鍋も気にせずに毎日食べたいものです。
 

次は和田にバトンを渡します。和田は東大のFWにはあまりいないような突破力をもつプレイヤーで、ボールをもつとワクワクさせてくれます。特に試合終盤でもボールを持つと元気いっぱいな姿は見習うべきところが多くあります。

いんとろ

 written by 原井 敏登 投稿日時:2025/02/10(月) 22:45

こんにちは、こんばんは、おはようございます。
東大ラグビー部新3年の原井です。
さて、リレー日記のトップバッターを任されたわけですが、リレーが回ってこないパターンはどうやって始めるんでしょうか。困りました。前主将が昨年の最後のリレー日記で雪竹さんに回してループを作った気になっているようですが、受験生応援日記だとループにならないので回収しておこうと思います。2022/02/24(木)の受験生応援企画、塩谷さんの「普通」。普通に名作でした。




イントロ、と聞いたらみなさん何を思いつくでしょうか。大学生であれば勝手に論文のintroductionのことだと思ってしまっていそうですが、そんな話はしません。「イントロドン!」の方のイントロです。
近年はイントロがない曲も流行っているようですが(lemon、カイトなど)、そういう曲はあまり趣がないと思ってしまいます。歌から入って一度間奏を挟んでからAメロに入るならまだしも、いきなりAメロから始まる曲はなんとも味気ないものです。



こう思うのにも理由がありまして、イントロにはやはりその曲の雰囲気であったり、世界観であったり、曲に対して聴き手を引き込む役割があります。イントロからキラキラしていたり、シリアスになっていたり、ワクワク感が違います。経験上、イントロで惹きつけられるような曲は名曲が多い気がします。ライブで披露するときはなおさらイントロが大事で、次はなんの曲だろう、、とすでにテンションが高まっている状態で、イントロが入ってくると一気に盛り上がります。Aメロから入られてもメンバーの歌を聴きたいので乗るに乗り切れません。
いきなりイントロなしで歌に入る方がインパクトがあったり、タイパ重視の若者にウケたり、instagramやらtiktokやらで使いやすかったりするのかもしれませんが、やっぱりイントロがあった方が好きです。



Love so sweetという嵐の有名な曲があります。あります、というか知らない人なんてこの世にいるのでしょうか。少なくとも10歳以上の人はさすがに聞いたことある、15歳なら間違いなく知っている、くらい超有名な曲ですけども。Love so sweetのイントロは「恋が始まりそう」なイントロとしてよく色々なSNSの動画に使われているのを見かけます。どんな場面でも、Love so sweetをかけておけばあらゆるシーンで恋が始まります。さらに、ドラマのエンディング風にもなるので、次回話で恋の予感。的な使い方もできます。
楽曲の分析サイトや解説動画を見ていると、ウィンドチャイムの音(シャララーン的なやつ)とピアノの音がいいとか、下っていくコード進行がいいとか、書いてあります。個人的には、出だしのハイハット3音がこの曲のイントロの醍醐味だと思っています。ピアノでもなんでもなくハイハットの入りが至高なのです。ラブソーのイントロをこのハイハットから歌い出す人には出会ったことがないので悲しいです。その後のドラムも裏で打ってから5小節目からのリズムの刻み方が、、、もうやめとこ。
あと少しだけ。ラブソーは転調もめっちゃ良くてサビ前の♭5(キー+1)の転調もいいけど間奏から2番のAメロでキーが戻ってくる転調がおしゃれで、、、、あとはサビの跳躍音と歌詞がハマり方もいいし、ライブ演出だと2008年の初国立でセンターステージで噴水の中から上がってきて、で、その映像を新国立でも同じ演出で上がってスクリーンに当時の映像を流して、で休止前ラストライブで最後に歌ったのもラブソーだし、なんたって「花男」の主題歌ですから、嵐はこれがきっかけの曲だし、、、、
今度こそやめます。あと100行くらい書いちゃいそうです。



ブツブツと書き連ねてしまいましたが、要するに、神曲はイントロも神ということです。
いい曲にはいいイントロがあります。イントロが良ければ大体曲もいいです。
始まりが良ければ、最後まで良いということです。
2025
年シーズンも始まったばかりですが、まずは良いイントロにして、そして最後まで良いシーズンを過ごせるように1年間頑張りたいです。(え、おれまとめ方うまくね???)




次は、ここ最近ちょっとお騒がせな細谷さんにバトンを回します。バトン回せてよかったです。個人的には細谷さんはかなり話しやすいので、その話しやすさを新歓でも発揮してください!!!
 

大好きなゼロヒャク

 written by 吉村 寿太郎 投稿日時:2024/12/28(土) 20:30

 副将のあきおからもらいました、吉村寿太郎です。初めてラグビー部の体験練習に行ったときから、あきおはとてつもなくデカく、デカいのに動けるすごいおじさんでした。当時18年間生きてきて初めて、本当に俊敏なデブを見つけ、ラグビーすげえと思ったのがファーストインプレッションです。試合の勝敗よりスクラムを重要視しているくらい生粋のプロップで、口下手だけど真面目で自責思考で責任感のある、僕から見たら精神的に強い男です。頼りがいがありました、一年間ありがとう。地下ライブ、というか中野twl、は来年から通い詰めていきましょう。隣にサクラより笑うゲラがいるとライブが三倍面白くなると知ったので、皆さんもハードルが高そうなお笑いライブに行くときはあきおを持っていくことをお勧めします。
 




 ヒャクかゼロかという極端は気持ちいい、どちらかに振り切れているのはかっこいい、という目立ちたい小学生みたいな思想が昔から自分を支配している。気になる芸人のラジオを見つけたら、第一回放送が十年前だろうと初めから遡って現在まで聞き切る(ヒャク)し、逆にまだ完結していない漫画が話題になっていても、読み切れないのが嫌だから絶対に読み始めない(ゼロ)。大学受験するなら言い訳しない環境でトップの東大(ヒャク)を目指すし、逆に「ノー勉だわ」と言いたいからには試験開始まで強い意志をもって一切何も開かない(ゼロ)。一年中100%半袖半ズボンの小学生は皆に尊敬されるべきだし、大学四年生も終わるというのに過去交際人数が0人の人は尖っていてかっこいい。何か目の前にあることに対してめちゃめちゃに集中して取り組む(ヒャク)か、逆に不要なものとして一切取り組まない(ゼロ)か、というどちらかに振り切っている方がイケていると思っている所が自分にはあると思う。何事もヒャクかゼロを取り続ける方が結果を出せると信じている。そして万一結果がでなかったときでも、自分がサンジュウやハチジュウだったら確実に後悔するけど、ヒャクかゼロだったら後悔もないはずである。サンジュウやハチジュウというのはつまり悪く言うと半端で、良く言うとバランスがとれている選択の仕方のことである。


 無事ヒャクの東大に入り、サークルなんてゴジュウだと思ったから、運動部だけを見て回った。ラグビー部に入ってからは、お酒飲まない(ゼロ)方が合理的だと思ったから頑なに飲まなかったし、大学での勉学はヒャクでは取り組めないと分かっていたから最低限以上やらなかった。点数は合格ラインの50点に近いほど無駄がなくてすごいと思っていたし、前期の必要単位数63単位をぴったり取得したときはそのゼロ感に気持ちがよかった。そしてこの四年間は部活に常にヒャクを持っていき続けたいという気持ちも当然あった。


 一年生のはじめからそういう意味で充実した部活の日々が送れていたと思う。ジュニアコーチは藤井さんや太田さんを始めとして良い意味で厳しくて本気で指導してくれたし、同期に関してもストイックで自分達を追い込める人、ラグビーをよく考えている真面目な人が多い印象だった。東大ラグビー部の環境はヒャクを追い求めるのに十分なほど整っていた。練習がたくさんあって指導者に恵まれ、毎回の練習で頑張った分成長を感じられる。練習以外の時間はご飯を皆で限界になりながら食べたり、ウエイトもやる気次第で高いボリュームで行ったりできた。一年生の時から自分は捻挫や肉離れなど怪我が人より多めだったが、急に体重が増えたからかな、と思いつつ、怪我をしたときはストレッチやマッサージなどケアの時間を増やして、ヒャクできることを探した。怪我は嫌だったけど、心のどこかでは「ヒャク頑張ってプレーしているからこその怪我かもしれない」と正当化している部分があったし、「痛みを我慢すればプレーできそうならいくらでも無理するのがヒャクのラグビー選手像」だと信じて、コーチやトレーナーに気付かれるまでは無理する方が正しい姿勢だと考えた。無理したせいで結果的に怪我人の期間が伸びる可能性は考えていたが、もし無理しなかったら「この試合に出ておけばよかった、もっと練習すればよかった」と必ず後悔すると思ったから、その選択を取り続けた。


 二年生の春に右膝後十字靭帯を損傷して三ヶ月DL(怪我人)に入った。皆がラグビーしているのを見て羨ましいと思いつつ、上半身と左足をデカくしてフィットネスをつける期間とポジティブに捉えた。その期間にラグビーを見る癖がついたこともあって、復帰戦のB戦で活躍できた。一年生の時は試合後反省点ばかり思いつく悔しい負け試合ばかりだったので、初めて手ごたえがあって初めて勝ったそのB戦はとても印象に残る。そこからAチームに絡めるようになり、コーチに評価されてきている実感と、自分でも体感として上手くなっているのが嬉しかった。「怪我は嫌だけど必ず報われる」という考えがそのころ自分に浸透した。


 三年生になると、四年生の人数が少なかったため、三年生がAチームにたくさん入った。自然と責任感も生まれて、四年生のためにこの試合に勝ちたいとか、チームが勝つために何をすべきか、とか一丁前に考えるようになった。とはいえ自分は上手い方ではなかったから、練習やプレーに関していえば常に自分の成長だけ考えてヒャクで取り組んだ。結果的に対抗戦三勝で終わったのは悔しかったが、四年生がヒャクで頑張っている姿はかっこよかったし、来年この悔しさを結果にして返そうと意気込んだ。


 今年は結果を出せる代だった。春の国公立大会や定期戦では、今年の東大ラグビー部はひと味違うということを少しずつ匂わせていた。でも勝ちきりたい試合を取りきれないのは去年までと同じだった。国公立大会決勝の学芸戦や早稲田戦前半は印象深い。それまでやってきたことが出せてやりたいラグビーができている感覚はあったのに、2試合とも結局は負けてしまった。対抗戦シーズンでは四連勝したけど、成蹊戦、明学戦、武蔵戦で連敗した。結局は四勝三敗、歴史を変えることはできなかった。対抗戦の一戦一戦について書こうと思っていたが、正直まだ向き合えていない感じがするからやめる。今でも切り替えられたとは言えない。あの試合をもう一度やり直したいと思ってしまう。四年間の頑張りと周りの期待、今年の自分達の確固たる自信、それらを裏切ってスルスルと自分達の手から入れ替え戦出場がこぼれていく感覚は、残酷でしんどかった。


 反省すべき点はたくさんある。一番は自分の怪我のこと。腰の痛みをごまかして秋までやってきた。よりにもよって一番大事な時期に緊急入院して手術した。不甲斐なすぎる。決断が半端すぎる。思い返せば一年生の時杉浦さんにも、二年生の時國枝さんにも、グラウンドに立ち続けること、無理をするよりコンディションを整えるバランス感覚をもつこと、の重要性を言われてきた。当時自分には、そうすることがロクジュウの選択に思えて、あんまり響いていなかった。ゼロでもヒャクでもなく、うまく調整しているようでは下手くそな自分は上手くなれない、と常に焦っていたからである。前述のような怪我に対する言い訳とポジティブな側面を意識的に培ってしまっていたこともあるかもしれない。今年は先輩方の言うバランス感覚は理解して考えていた。でも今振り返ると結果論として、今年の自分の選択はヒャクではなかった。本当の意味で「ヒャク」というのは、中長期的な自分の成長、チームの成長にとってベストであることだ。自分はいつも目の前のヒャクにこだわったが、リスクテイクを誤ることがあった。今シーズンはそれを結果的に誤ってしまった。身体の不調を多少かばったり無理したりするのは美談に聞こえるけど、違う。大事なのはもちろん最終的に結果を出せるかどうかである。今年の一番大事な試合で、自分はウォーターボーイをやるはめになっていた。チームに迷惑かけてしまった。結果論であることを前提として、結局振り返ったら自分は、中長期的に見てロクジュウかハチジュウくらいの選択をしていた。


 チームに対しても同じだった。今年掲げた規律高い良いチームにどこまでこだわれたか。「絶対に今年変える」と決意していた、下級生の時に感じていたこのチームの文化の悪い部分を変えられたか。アスリートの文化はどこまで体現されたか。それも結果はロクジュウに満たなかった。本当はこだわりたい譲れないポイントはたくさんあったが、その時々でチームの選手層の薄さやチームのムード、目の前の一勝を理由にして、目を瞑った場面がたくさんあった。良いチームであることで強いチームになれる、青山先生から何度も話されていたが、対抗戦までに実現できなかった。


 その時その瞬間ではヒャクを求めていたつもりなのに、あとから振り返ったらロクジュウ、だから結局は反省点だらけになった。こんなに恵まれた環境で、こんなに良い同期、後輩だったのに結果が出せなかったのが悔しいし申し訳ない。今年のメンバー、このチームに対する誇りと自信は大きく、だからこそそれでも結果を出せなかった悔しさと不甲斐なさも大きい。


 ただし自分が言いたいことは実際そこまで悲観的なことではない。目標達成できなかったから結果を見れば当然に反省はたくさんあるが、後悔がいくつもあるわけではない。怪我に関して、今年は自分なりに怪我の捉え方を見直し改め、中長期的なヒャクの視点を持っていた。そのとき自分が考え想定しうるベストなチョイスをした自信はあるから、もう一度戻っても同じ選択をすると思う。チームに関しても同様である。良くも悪くも結果はついてこなかった、というだけ。もっとこうできたというのは勿論あるにはあるけど、これを変えていれば良い結果になっていた、と思えることはない。四年間同期と一緒に努力してきた過程、今年のチームが積み重ねてきた取り組みは、間違っていなかったと思っている。自分はそのとき考えうるヒャクの全力を選択し実行してきたと思う。だから今年は、上で述べた反省の何倍も成功体験や喜びのある一年間だったことは疑いない。1/16に始動、2/7にキックオフしてから、二部練習という魔法により2~3月のフィジカル強化期間の練習時間は例年より何倍か多く、春シーズンの試合数やウエイトトレーニングのボリュームも意図的に多くなっていた。学生のみでの運営を乗り越えて、共にこのチームのメンバーで身体的にも精神的にもキツい日々を乗り越えてここまでやってきた。数値的に見て過去最高のフィジカルを手に入れた。春秋通してたくさんの勝利と継続的なチーム成長を実現できた。これはひとえに自分達の執念と努力の結晶であり、褒めるべきだと思う。


 武蔵大学戦敗戦後の11/26のチームミーティングで話したように、対抗戦終了後の一ヶ月、東大に残されたこの特別な期間に、チームが成長し続けることがこの代の価値となることは間違いなく、自分はこの一ヶ月間前向きに強化をしてきた。自分達四年生にとって引退試合である京都大学戦は当然勝つし、勝つための準備課程で得られる「より良いチーム」は来年以降のチーム文化に寄与できるはずである。大義や大きな目標を背負うことなく、純粋に勝負ができる明日の試合はとてもありがたい機会であり、非常に楽しみである。この四年間、そしてこの一年間の集大成としての、最高のラグビーをしたい。

 


 先輩の方々へ、常に先輩方から学び成長させていただく四年間でした。このチームの強さや愛を知り、考え方を学び、期待に応えられるよう頑張ってこられました。特に卒部以降も現役のために働いてくださっている方々には頭があがりません。今年B戦や合同練習をたくさん組めたり、今年のチームにも関わってくださったりしたことに感謝申し上げます。太田さんは来年からも研究室で一緒なので、感謝はまた再来年以降に先送りしたいと思います。


 後輩へ、理不尽に怖くて結婚もできなそうな不甲斐ない僕ですが、来年以降に大きな結果を出してくれることを期待しています。後悔のないよう、自分の覚悟とこだわりを常にもって、この四年間を大切に使ってください。重要なのは対話し続けることです。チームに関わる上で色々な意見のぶつかりがあることは当たり前であり、それに向き合い続けてほしいです。もし対立しているように感じても、部に関わる基本的に全ての人は「このチームで勝ちたい」という信念が根っこにあるはずです。それがぶれていなければ問題ありません。


 同期のみんなへ、このメンバーでやってこられて良かった。贔屓目かもしれないけど近年で一番強くて良い代だったと胸を張って言えます。皆がそれぞれチームに強い思いを持っていて、常には喋らなくてもその努力を見るとすごく刺激されます。お互いに高めあって真面目に議論しあえる、最高の代でした。ヘルニアでラグビーどころか生きるのが精一杯な雑魚い身体になってしまったとき、チームを完全に任せられる安心感、信頼感がありました。術後お見舞いに来てくれたのも嬉しかったです。明日からはお酒も飲めるので、僕の大学生デビューを見守ってください。


 最後に感謝を述べます。まず東大ラグビー部を応援してくださるファンの方々へ、SNSで見つけたり直接声をかけてもらったり、決して人数は多くはないものの直接東大ラグビー部にゆかりのない人達が、この部を気にかけて応援してくださっていることを体感すると、本当に力になります。また、OBOGの方々へ、試合の応援や金銭的サポートがこの部の恵まれた環境を実現させています。勝てる環境に置かれていることをありがたく思います。また、青山監督兼部長、コーチ陣、トレーナー陣、医師の皆様、四年間で自分に関わってくださったプロの大人の方々によるサポートはなにより心強く、いつも自分を正しい方向へと導いてくださいました。頑固な部分や変なこだわりがあることは自覚していますが、皆様の指導とサポートは常に自分に刺さり、活きてきました。最後に両親と祖父母など家族のみんな、この四年間本当に何の不自由もなくこれだけラグビー部にのめり込めたのは、言うまでもなく家族のサポートあってこそです。ありがとうございました。




 リレー回さないパターンはどうやって終わるんでしょうか。困りました。誰かランダムで人を紹介すれば良いですか。それとも過去の一番好きなリレー日記の回にバトンを渡すことでループを作っても良いのでしょうか。


 次は知性が溢れているらしい同期の雪竹にバトンを回します。2022/02/05(土)の受験生応援企画、雪竹くんの「じゃんけん」。名作です。

 


 さて明日はこの四年間の集大成。意地を京都大学に全てぶつける。A、B両方勝って、証明しよう。

 


主将 吉村寿太郎


 


 


 

弱さと後悔に向き合って

 written by 池上 暁雄 投稿日時:2024/12/27(金) 22:30

東大ラグビー部史上初の女性主務という大役を完璧に務め上げ、すでに来年度のオファーも届いていると噂の美浦瑶子からバトンをもらいました、今年度副将の池上暁雄です。瑶子は、忙しさに合わないフットワークの軽さと誰とでも仲良くなるコミュニケーション能力から、後輩に慕われご飯にも頻繁にいっています。こないだは、フラッと栃木までドライブに行っていました。

3年生のリレー日記で以前紹介した時には、既に幸せを手にしていた瑶子は、幸せのお裾分けとして変わらずプライベートの面倒を見てくれています。2回目の交流会は惨憺たる結果に終わりましたが、ぜひ次回をよろしくお願いします。食べ物は自分で調達するので、出会いをください。



以前のリレー日記で、ラグビー部総決算は最後の一回に、と宣言していました。乱文にはなりますが、最後までお付き合いください。



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振り返ると、このシーズンは自分本来の精神的な弱さとの戦いだったと思う。



小学校を最後に受験から遠ざかり、のびのびとした競争の少ない環境の中で育った。自分の重ねた努力に対して、一定程度の成果は生まれる。部活動では、順番待ちをしていれば順当にレギュラーは回ってくる。中学野球では、自分の代になるとレギュラーで出ることができたし、高校で始めたラグビーも周りには同じ初心者しかおらず、体が大きく少し動けた自分はすぐスタメンになれた。そんな環境にいた中で、自然と適当な努力を覚えていった。一番上になるまでの努力はせずに、目に見える成果が出ただけで満足してしまっていた。



東大ラグビー部に入ってもそれは変わらなかった。小学校から続けていた野球に限界は見えていたし、それならばまだ活躍できそうなラグビー部で試合に出たい、と打算的に入部を決めた。実際に、人手不足のPRになることで、ラグビー理解度も強さも追いついていない自分ながら、ありがたいことにスイカの18番を着る機会を早くからいただけた。しかし、試合に出られる時間は限られており、決してパフォーマンスを出せたわけではなかった。振り返ると、4年生からポジションを奪うことの大変さに心のどこかで諦めを感じ、真の限界まで追い込んでいなかった。スイカを着ることに満足して、スイカの3番に向けて本気になりきれていなかった。



3年生になり、スイカの3番の順番は回ってきた。4年生の少ない代だったので、順当に行けば次の3番は自分だった。ただ、そこでもやりきれない根っからの弱さが出た。春シーズン前の体調管理フォームの提出数ワースト2位。当時HCの大西さんに呼ばれ、「規律を守れないと示しがつかない」と叱られた。情けなかった。チームを一番に考え、弱い自分と決別しようと心に誓った。



そして、春シーズンから試合に出続けさせてもらった。自分で掴み取ったと言い切れないスイカの3番だったが、身につけると責任や重みは、否が応でも感じた。自分の一個のスクラム・モールに、チームの勝利が懸かっていた。しかし、強い気持ちとは裏腹に、ありえない敗戦、怪我での離脱など、100%をチームに捧げることはできなかった。4年生に対して本当に申し訳なかったと同時に、自分の代ではこの思いをしたくなかった。



そして、ちょうど去年の今頃、副将に就任するにあたって同期の前で決意表明をしたのを覚えている。「ハードワークして、背中で引っ張る副将になる。」それまでの3年間、同期の中では多く試合に出ていたし、4年生になってFWとチームを引っ張っていきたい、と副将に立候補した。少し強引な決まり方だったけど、選ばれたからには全身全霊をかけて、口下手な自分がどうやってチームをリードするかを考えて、理想像を定めた。勝手ながら、2個上の副将だった松元さんをイメージしていた。



実際、1,2月はいいスタートだったと思う。体制が大きく変わった中でも、4年生を中心に全員で運営し、体づくりに取り組んだ。自分もチームに100%でコミットできていた。



ただ、春先に怪我をした。全てはこれから始まるはずだった。破竹の勢いの春シーズンも、タフながら成長する夏合宿も、入替戦出場を決める歴史的な対抗戦シーズンも。直後のリレー日記では明るく振る舞っていたが、正直心に来ていた。DLに入り、全てから取り残されたような感覚に落ちた。自分がスタート地点に戻ろうと必死な中、他の選手は新しいDEFシステムやピックゴーATTで、チームを作り上げていた。背中を見せて引っ張るはずの自分は、周りの背中を見ながら過ごす日々だった。



この頃の自分は感情がぐちゃぐちゃになっていた。



試合に勝つのは、共に喜びを分かち合う仲間に戻れたような気がして嬉しかったが、その喜びは一瞬だけ。しかも、純度100%ではなく、その一抹に寂しさや嫉妬や悔しさやらが入り乱れた、複雑な感情だった。とくに、試合前の円陣と試合後の片付けの時間に喜びはなく、辛さしかなかった。別に自分がいなくてもチームは回るし、問題なく勝つことができる。その事実を突きつけられていた。祝勝のご飯に行く同期たちに、何もしていない自分がついていくのは後ろめたかった。



一方で、やるべきことは明確だった。副将としての理性が、一度決めた理想像が、どうあるべきかを規定してくれていた。自分の出ない練習でも、チームの方針理解のためにビデオを見なければならなかった。自分の出ない試合でも、あくまで情報として入ってくるだけだったが、それぞれの動きを見て、評価を下さなければならなかった。



ただ、揺れ動く自分の感情にも向き合いきれない自分は、責務を完璧には果たせなかった。ビデオの大枠を見てわかった気になっていた部分もあった。試合の映像は擦り切れるまで見るべきだった。必要があれば、チームメイトに強く指摘しなくてはならなかった。やるべきことがわかっているのに、やり切らない自分に嫌気がさして、部内での自分がどんどん小さくなっていく様だった。最初の方は心掛けていた、メンバー選考の説明もどこか疎かにしてしまっていた。ミーティングでの発言も減っていった。自分が副将である意味を見失っていた。最後までやりきれない弱い自分は、ここでもまた顔を出してきた。ただ、投げ出すわけにもいかず、主将の寿太郎と練習長の奥山に大きく助けられながら、なんとか喰らいついていた。



幸いなことに、夏合宿の終わりに復帰の兆しが見えた。ただその頃は、山梨学院大学戦を完勝で終えていて、Aチームは自分を必要としていない様にも感じていた。そのため、周囲にAでの出場を納得させるためにも、パフォーマンスを出して自分の価値を証明しなくてはならなかった。結局、練習に復帰してからはそれまで以上に余裕がなくなっていた。



学習院戦。後半3試合を見据えてそこが復帰試合に決定した。この時点で、失っていた余裕を取り戻すことができたと思う。正直パフォーマンスを戻し切ったとは言い難いが、一聡さんからの勧めもあり17番での登録になった。このせいで、外れた本多には本当に申し訳なかったが、それまでで一番集中して試合に臨んだ。結果は概ね良かった、がまた怪我をした。結果は4週間安静。悲しみや自分への怒りもあまり感じられないほど、ショックだった。また、チームに置いていかれる。そんな恐怖感しかなかった。成蹊戦の復帰に向けてできることは全てをやったが、一度得た冷静さは、またどこかに消えていた。



それでもなんとか、個人としてもチームとしても成蹊戦はいいイメージで迎えられたと思う。しかし、結果は負け。ここから、何か歯車が噛み合わないまま進んでしまった様に、今振り返ると思う。チームともっと深く話し合うべきだった。自分が何を考えているのか、相手が何を思っているのか。弱い自分はそこから目を背けてしまった。本当の意味で一つになるチームを作り上げる、リーダーシップを発揮できなかった。



この文章を書きながら、数々の後悔が浮かんでくる。もし上位校に勝てていたら、もし怪我をしていなかったら、もし今年一年をやり直せるのなら、なんて陳腐な「もし」をずっと考え続けている。対抗戦が終わり、余裕ができたことで一人考える時間は増えて、その思いはどんどん強くなっていった。そんな折に、昨年度副将の安冨さんと話していて、胸を張って「昨シーズンに後悔なんて一個もない」と言われた時、深く刺さった。こんなに真っ直ぐ言い切れるほど、自分はこのシーズンをやり切れなかった。弱さと向き合いきれなかった。



後悔しかなかったので、入替戦も見に行けなかった。決して勝てない相手ではない成蹊や明学が熊谷で試合しているのを見ると、今までの自分が全く足りていないことを嫌でも理解してしまうから。4年間の日々で自分が弱さと向き合いきれずに成長できなかったと感じてしまうから。本来は、その苦さすら飲み込んで、入替戦に行くべきなのだろう。最後まで弱かった。



目標を達成できなかった自分たちは、おそらく一生消えない何かしらの後悔を背負ってこれから生きていくのだと思う。



ただ、それでも最後の思い出は、喜びに溢れた美しい記憶にしたい。

試合を終えたその瞬間くらい、いい4年間だったと胸を張って言いたい。

自分がやってきたことの証明を、歴史に刻みたい。



そのために。

最終、京大戦。

勝って泣こう。



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駄文でしたが、赤裸々な自分の気持ちです。



最後になりますが、この4年間関わってくださった全ての方に深くお礼を申し上げます。皆様のサポートなしには、大学ラグビーをやりきることはできませんでした。本当にありがとうございました。



大西さん

大学ラグビーのイロハは、全て大西さんに教わりました。こんな情けない自分ですが、期待して早くから使ってくれたこと本当に感謝しています。菅平で復帰に苦しんでいた時も、焦って目標を見失うなよ、とお電話をくださったおかげで、気持ちが落ち着きました。



一聡さん

急で無茶なHCの依頼を受けてくださり、ありがとうございました。チーム戦略に一聡さんが適切なアドバイスをくださったことで、今年のチームが完成しました。菅平での牧場に連れていっていただいたこと、クレープを食べたこと、いい思い出です。



青山先生

怪我をした自分にもチームできることがあると毎週ミーティングのたびに励ましてくださったこと、復帰への大きな力になりました。ジャージ授与式の力強い握手も、試合前の励みになりました。



田崎先生、工藤さん、笠原さん、上岡先生

大きな怪我からの復帰の面倒を見てくださり、ありがとうございました。全てが順調というわけではなかったですが、細やかなサポートを受けられて、無事に復帰することができました。



先輩方

自分に優しく指導していただいたこと、本当に感謝しています。特にフロントの先輩にはスクラムの細々したアドバイスをたくさんいただきました。そのおかげで、今の自分のスクラムがあります。京大戦、教わったスクラムで圧倒していきます。



後輩たち

頼りなく、ほとんどグラウンドにいない副将でしたが、復帰後暖かく迎え入れて、ついてきてくれたこと感謝しています。特に、DLにいる後輩たちへ。孤独や置いていかれる感覚を覚えることもあると思いますが、諦めないでください。ラグビーを楽しめるその瞬間は必ずきます。



同期たち

大好きです。この仲間で本気で入替戦出場を目指せたこと、4年間ラグビーに没頭できたこと、部室で喋ったこと、ご飯を競い合って詰め込んだこと、全てが幸せでした。あと80年くらいでしょうか、死ぬまで付き合ってください。



両親

二人のサポートなくして、ラグビーをすることはできませんでした。最後の方は怪我ばっかりで迷惑も多くかけました。試合を欠かさず応援してくれて、栄養満点のご飯を作ってくれて、時には厳しく叱ってくれて、ありがとう。まだ修士なので実家を出ていくことはありませんが、少しずつ恩返ししていきます。



次は、令和6年度東京大学ラグビー部主将、吉村寿太郎にバトンを渡します。寿太郎は文字通り大学生活全てをラグビーに捧げた、ストイックで頼りになる漢です。自分にも他人にも厳しい寿太郎がリーダーだったからこそ、今年のチームが出来上がったと思います。自分が怪我をしてチームを離れている間も、体の限界までチームを引っ張ってくれました。お疲れ様。

全てが終わって一息ついたら、また地下ライブにでも行きましょう。

文才が欲しかった

 written by 美浦 瑶子 投稿日時:2024/12/26(木) 20:00

雪竹からバトンを受け取りました、4年スタッフの美浦です。
雪竹は、未経験者ながら、怖いものない様子で相手に突っ込んでいく姿がとても頼もしく、同期の中でも早くからスイカを着ていました。
メンターとして関わる中で、怪我の安静期間やプロトコルを指示する機会が幾度となくありましたが、その度に悔しそうな顔をした雪竹に反発された気がします。まったく…と思いながら、命が大事だから…と思いながら、ラグビーをやりたいというひたむきさにいつも刺激を受けていました。
正直、2年生の終わりあたりまで、なんとなくチャラそうな印象が抜けなくて、奥で何を考えているのかわからず、少し怖いと思っていました。去年あたりから、表裏なくただただ面白いやつなんだとわかってきて、最近は抜けたことを言ってみんなに総ツッコミされている風景がたまらなく好きです。ただ、練習後にご飯に行く流れになる中いつも足早にバイトへと向かってしまうので、練習外で一緒にご飯に行けたことは少ない気がします。私もふと浮かぶのは2年生の時の下北での飲み会です。昨日、最後の朝練の後同期でお昼ご飯に行った時に雪竹がいて嬉しかったです。引退後もぜひ遊びましょう。度重なる頭への衝撃で将来がかなりかなり心配ですが、どうか長生きして荒稼ぎして暮らしていってください。

私は強く意志を持って考えを発信することは少ないし、悩んでいる時も特にそれを周りに話したくなかった。楽しければそれがベストって感じだし、そもそも寝たらマイナスな感情は割と忘れるタイプなので、それでいいと思っている。
でも、今回はせっかくの機会なので、私がこれまでに感じていたことを書いてみます。これを読んだ後輩が何を得られるのかわからないけれど、記録として残しておくので、読んでいただけると嬉しいです。

私がラグビーに出会ったのは小学生の時だった。
ラグビー経験者の父親の横で、ザ・ミーハーな感じで三洋電機を応援して、ルールなんてわからないので、点が入ると嬉しいと言う程度だった。
小学2年生のある日、父親に連れて行かれるがままにラグビースクールに行って、初日はタッチフットをした。タッチラインが何かわからない私は、外に大きくはみ出して走ってしまった。なのになんか褒められて、おだてられるままに、楽しい!と思って入会した。そこからは、3年生の時に「憧れの人」という作文でラグビー選手を取り上げたり、図工でラグビーボールを作ったりと異常にラグビー愛の強い珍しい子だった。

小学校高学年から中学生にかけては週に4回というなかなかしっかり目の頻度でラグビーを習っていた。
とにかく楽しくて、休みの日に父親と弟を巻き込んで家の前でラグビーボールを投げたり蹴ったり、テレビを見るときにプランクをしたり、一番熱中していた時期だと思う。ラグビースクールで単独で試合に出るための16人を揃えたくて、人を探したこともあった。セレクションを受けに遠くまで行ったこともあった。スクールのチームメイトにも恵まれて優しくて強い代だったので、楽しくて仕方なかった。
大学ラグビーで見るような複雑なプレーはなくて、基本的に本能で動いていたけれど、学校で一番好きな科目は体育というタイプだったので、体を動かすことがただただ楽しかった。

一つ壁があった。人見知りな性格と強く意見できない性格ゆえ、中学生の途中から入った女子チームで自己主張をできず、なんとなく心地よくなかった。
通っていた男女混合のラグビースクールは中学3年生で卒業となる。その後も本当はラグビーを続けたかった。でも、高校生になると本格的に女子チームに所属するしかなくて、楽しくやっていたい気持ちと、上手くなって本格的にもやってみたい気持ちと、人見知りな性格と、意見を言えない性格と、中途半端だったんだと思う。そこでラグビーはやめた。
恥ずかしくて、「中3でスクールは卒業なのでそのまま辞めちゃいました~」みたいに言っていたけれど、本当はこんな感じだった。
大学生になってオールスターを観戦に行った時に女子選抜の試合を見たり、日本代表に知っている子が選ばれていたりすると、心から「かっこいいな」と思った。まあ今となって、ラグビーを続けたかったとか考えないし、後悔もないし、スタッフ業務が楽しい。私がラグビー経験があることを知ると、周りの人は「プレーしたくならないの?」と聞いてくるけれど、とてもできないし覚悟も根性も足りないから。だから、大学で死に物狂いでラグビーに時間を捧げている選手たちを見ると、刺激をもらうし、生半可な気持ちでスタッフをやってられないなと思う。

高校生では、趣味の範囲でラグビー観戦をして、そして東大に入学した。

大学受験の時から、東大であれ他の大学であれラグビー部でスタッフをすると決めていた。大学ラグビーという、観客としてみていた世界に憧れがあった。新歓ではラグビー部以外には顔も出さずに即決した。どうせラグビー部に入るとはいえ、せっかくなら奢り飯とか行きたかったなというのが1つ目の心残りかもしれない。
ラグビー部に入ると、なんと昴と5年ぶりの再会を果たした。小中学生以来会っていなかったけれど、変わらないその屈託のない笑顔で「母性本能くすぐり王子」なんてあだ名をもらっちゃってた。ちなみに小学2年生で私がタッチラインを大幅に超えているタッチフットの写真には昴が写っていてなんだか感慨深い。

入りたての1年生では、ラグビーに関われることがとにかく嬉しかった。ドリンクの濃さを覚えて、荷物を覚えて、ビデオを撮って、テーピングを学んで、試合中の仕事を覚えて、とひとつひとつできることが増えるのが楽しかった。毎日ラグビーを見れた、ラグビー観戦を一緒にできる友達ができた、試合の運営に関われた、そんな日々が楽しくて、12月には憧れの秩父宮で試合をした。

部活で自分がやりたいことに手を伸ばしたり、先輩後輩と積極的にコミュニケーションを取ったりできるようになったのは2年生の頃かと思う。練習中もラグビーに間近で関わることが嬉しくて、部室でダラダラと雑談することも楽しくて、朝練終わりから夜まで部室にいたこともあった。同時に、本格的にメンターを持つなど、選手が何かあった時に私を頼って相談してくれるようになった。

2つ目の心残りは、上級生スタッフがいる間にもっと学ぶべきだったということ。先輩に「2年生は仲良すぎるからもっと競争があってもいいよ」と言われたことがある。楽しかったけれど、もっと貪欲に知識を追求していたら今頃スーパースタッフになれていたかなと思う。

3年生でスタッフ長になった。
この時、多くを要求され、怒られ、時に理不尽を感じてしまうこともあり、3年生でのスタッフ長という学年にも苦しみ、下級生が悩みを相談してくれた時に力になりきれず、言い訳だけどスタッフの人数も少なくて、とにかく苦しかった。
特にシーズンの前半、5月の合宿あたりがきつくて、合宿中はずっと怒られていて、練習の帰りに駅で幼なじみに泣きながら電話したり、ディズニーの帰りに現実に戻った京葉線で涙が出てきたり、家で理由なく涙が出てきたりした。寝たら忘れるタイプなのに、毎日キツさが更新されていた。
選手のラグビーが第一だし、そこにいちスタッフのやりづらさや弱さを影響させたくなかった。その考えはずっとあったけれど、きつすぎて正解がわからなくなっていた。今も、あの時どうすればよかったかはわからない。大変だったアピールはしたくないけれど、これが全てだった。

その後夏合宿に入り、そしてシーズン後半に試合も始まると、モヤモヤにも一区切りついて、とにかく勝つためにできることをしようと前向きに動いた。スタッフ長という立場になってから、指示待ちをせず全体に目を配れるようになり、先を先を考えて運営に徹した。先輩がやっていたことに手を加えながら、我ながらブラッシュアップされた仕事内容になっていったと思う。

ただその中で、結局シーズン前半に色々溜め込んでチームのために徹しきれなかったことがずっと心の中に残っていた。チームがマイナスの時だけでなく、プラスの時でも、4年生が引退のタイミングでも、寂しさや感謝の一方で、最後の1年なのに迷惑をかけてごめんなさい、と言う感情が大きくて重かった。

4年生で主務になった。主将の寿太郎、副将のあきおとの首脳陣として動き始めた。
体制が大きく変わり、とにかく考え続けないといけなかった。寿太郎とあきおの視野の広さ、自分にも他人にも厳しいところ、常に考えることをやめないところに多く触れた。コーチ・OB OGさん・スタッフへの要望、練習の組み立て、試合や合宿の計画、メンバー選考、下級生のフォロー体制、全部が常に的確だった。あらゆる方面から、意見や要求、時には不満もくる中で、周りに意見を募りつつ、大事なところを自分で決断し、その中でチーム強化という目的を見失わず、考えていた。首脳陣という組織は、確実に敵ができるものだと思う。そんな時に、いつでも周りに説明できるように理論立てていて、その上で厳しさを持って周りに指摘する姿、誰よりもオールアウトする姿をいつも目にした。私が2人にスタッフについて指摘されたときにも、アイディアを複数個とそれぞれについて懸念を提示してくれることが多かった。完璧な2人だった。

そんな2人の横で、私はやるべきことをやりきれなかった。
主務になって仕事量が格段に増えた。で、夏あたりから、試合週じゃなかったり合宿の準備がひと段落したりすると、仕事に追われていない自分が不安になってしまった。todoリストが少ない状態にソワソワしていた。これは怪しいサインだったかもしれない。目的より手段とか形式になっていた。

人間的成長のために部活をする、というのは個人的に嫌いだった。1年生の時に聞かれた、4年生のときには人間的にどうなっていたいか?という問いが苦手だった。
なんのために、と言われたら、チームで勝つためだから。多分成長はした。今までなら手を上げなかったであろう主務に挑戦した。でも人間としての成長は結果的に得ていたらラッキーなものだと思っている。
こうやって思っているのに、大事な勝ちへの目的意識が足りなかった。

自己主張をあまりしない性格が、さらに自分の主張を考えすらしない性格となって、ここでも克服できなかったのと言えるかもしれない。

11月末、対抗戦が4勝3敗で終わった。
もう合宿の運営なんてやりたくないくらい大変だったし、遠征も対抗戦運営も全力投球して燃え尽きた。でも、武蔵戦が終わった時になって、それは別に足りないことがあったと最後に気づいてしまった。

チームの規律だった。
主務になった時に寿太郎と電話して、ようこが主務になる上で不安なのは仲間に厳しく規律を求められるか、と言われていた。1年間ずっとそれは頭にあった。でも甘かった、というより何もできなかった、しなかった。主務になったのならやらなければならないし、実務的な作業だけが好きなら主務の器ではなかった。円滑さと優しさと甘さは紙一重で、そしてそれは強さとは完全に別だった。
チームに対して心残りができてしまった。主務として、主将副将にはラグビー面に徹して欲しかったけれど、視野の広い2人によく指摘や要求を受けた。
結局、私は勝ちという目的をブレずに見続けることができていなかったのかもしれない。

この4年間を書き出してみて、どう総括していいかわからず、文才もないのでこんな書ききり方になってしまいました。
幸いあと1試合残っています。そこで、何かを残して締めくくれたらと思い、ここで終わりにします。


両親へ
ラグビーという競技に出会わせてくれてありがとう。
朝練の時、バタバタとあわてて出ていくだけなのに、毎日私と同じ時間に起きて玄関で見送ってくれてありがとう。毎週欠かさず試合を見に来てくれてありがとう。
ストレスで圧迫されていた時も、家に帰ると安心できました。部活ばかりの大学生活で、将来のことをろくに考えていないと心配ばかりかけました。引退したら少し考えてみます。

大西さんへ
成長のために部活をするのは嫌と言っておいてなんですが、大西さんと接する中で一番人として鍛えられたと思っています。力不足で、言われたことに応えきれないことも多かったかと思いますが、見捨てずスタッフ長を任せ続けてくださりありがとうございました。楽しいラグビー部生活でした。

一聡さんへ
本当にお世話になりました。部車を手配せず一聡さんの車に荷物乗せてくれませんか?とか帰り駅まで乗せてくれませんか?とか無茶なお願いをしてみたりと、選手のラグビー以外でもスタッフとしても好き勝手頼らせていただいていました。
私の思うかっこいい大人なので、一聡さんみたいな人になれるように、引退後精進していきます。

青山先生へ
役職のついた3年生あたりから、とりあえず青山先生に相談する、というような頼り方ばかりしていました。忙しい中で毎週ミーティングを開いてくださり、また、スタッフ組織をも気にかけてくださり、ありがとうございました。

部活を通じて出会ってくださった皆さんへ
特に主務になってからは、多くの人と接したかと思います。
コーチの皆さん、OB OGの皆さん、練習や試合でお世話になった他チームの皆さん、部活を通じて一番得られたことは人とのつながりだったな、と今感じています。本当にありがとうございました。

関わってくださった先輩へ
自分達が4年生になってから、先輩方の凄さを改めて感じました。2年生の頃の私のように、楽しい!と後輩が無我夢中で部活に没頭できる環境は簡単でないことや、そのキャパの大きさにも驚くばかりです。今年わからないことがあった時に、お仕事中であろう時間にもLINEを飛ばして失礼しました。ご飯に連れて行って激励してくださった先輩方本当にありがとうございました。引退飯も連れて行ってください。

後輩へ
ガツガツたかってくる後輩が多くて、なんだかんだ楽しいし嬉しかったです。
来年試合で活躍を見るのが楽しみです。たいそうなメッセージは残せませんが、みんなが最後のリレー日記で晴々とした内容を書く未来のを楽しみに、応援しています。

同期へ
みんなが同期で、そして一緒にいることが心の底から誇らしかったです。
3年生の時にとにかく辛かった、4年生の1年に心残りがあると言う書き方をしたけれど、こんな最高の同期とラグビーに関われることが幸せで、辞めたいと思ったことは一瞬もなかったです。自分でも不思議なくらいです。ありがとう。引退後も是非会ってください。


最後まで拙い文章で、「文才を得られた」にはなれませんでしたが、お読みいただきありがとうございました。

次は、我らが副将あきおにバトンを渡します。
大きい体に対して言動のギャップがあり、それを私は気に入って「かわいい」と形容していたのですが、お気に召さないようで、しょっちゅう睨まれていました。首脳陣仲間ということで誰よりも高頻度で会っていましたが、特に今年に入ってからは、そのイジられポテンシャルを存分に発揮していて、会う度にちょっかいをかけていた気がします。4年生の部分で書きましたが、いつでもチームのことを考え続けていた寿太郎とあきおのペアを私の中ではベスト首脳陣だったと思っています。本当に尊敬しています。
部内投票では「強い」「怖い」みたいなところでランクインしまくっていましたが、私は「かわいい」に票を入れておきました。これをいうとまた怒られそうです。
可愛さ溢れるあきおですが、グラウンドでの圧倒的実力だけでなく、今年は3月の大怪我直後でもチームのためにとグラウンド外でも動き続けていました。どこかでは弱音を吐けていればいいなと思いますが、少なくとも私の見えるところではずっと強いあきおでした。
私の性格上部員に悩み相談をしたことはほぼゼロですが、あきおには1回だけ「愚痴っていい?」と頼らせてもらったことがありました。その時もなんだかんだそれほどぶちまける勇気はなく終わったので覚えてないと思いますが。同じ授業をとっていたこともあり、課題を丸々教えてもらったのに、なぜか私が1点高かった件はありがとうございました。とにかく助けられまくりでした。
今度はあきおが悩んだ時ぶつかった時、サンドバッグとしてでも使ってください。あきおのご機嫌のためにありったけの食べ物を取り揃えて待ってます。

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