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ラグビー部リレー日記
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大航海
投稿日時:2025/12/26(金) 00:00
はるとには僕がいつもダルがらみをするので基本邪険に扱われますが、それは他の人が近くにいる場合であり、2人の時には割と話を聞いてくれる、ツンデレなやつなんだと思っています。紹介が短かったことは残念です。名古屋戦後の様子を激写されてしまったので、京大戦の際には激写し返します。
ついに最後のリレー日記になってしまった。
ラグビーに出会ってもう10年になる。それなりに積もる話もあるので冗長な文章になってしまうが、お付き合い願いたい。
ラグビーには中学生の時に出会った。同級生のお父さんがラグビー部のコーチをしており、知ってる人だからという理由で何となく体験会に行ってみた。これまで体育以外ほとんど運動をしたことが無く、昼休みや放課後に積極的に外で遊ぶ子でもなかったので、とても新鮮な経験だった。部の雰囲気に惹かれたことや体が大きいことを褒められて、楽しそうだったから入部を決めた。もちろんきつい練習もたくさんあったが、中学ラグビーの3年間はとにかく楽しく、同期も多くて、さらにそこそこ勝つことが出来た。その当時の最高成績を更新して引退した。純粋にラグビーが好きで楽しかった。
高校へ進み、一緒の高校に進学した同期と共に入学式前からラグビー部の練習に参加した。みんなも続けてるし、別に他にしたいこともないし、とりあえずラグビーを続けようと思った。けど、そこでのラグビーは、中学までとは全く異なるものだった。まずサイズが全然違うし、コンタクト強度も高い、何より「楽しむ」というより「勝つ」ためのラグビーだった。中学での楽しいラグビーに浸かっていた僕にとって、そのラグビーはとても苦手だった。練習の多さや強度に耐えかねて、次々と同期が辞めていった。僕もそれを見ながら、「このままだとラグビーが嫌いになりそうだ」と思い、1年生が終わるころに部を去った。
時は進み、1浪して東大に合格した。「せっかく東大に入ったのだから勉強を頑張ろう、でも軽く運動したいからサークルとかも入りたいな、バイトも家庭教師とかしちゃって。」と新生活に思いを馳せた。一瞬、ラグビーのことが頭をよぎった。ラグビー部には原さんがいることは知っていたので、ご挨拶しよう程度にご飯に連れて行ってもらった。色々聞いてラグビー部楽しそうだなと思ったが、高校であんな目にあって今更プレーヤーをする気力もないし、スタッフも良さそうと思った。ご馳走になったし、一度だけ新歓に参加してみることにした。3年振りのラグビーはとても楽しかったし、ラグビー部の部員の雰囲気がとても良かった。そこで中学や高校の頃を思い出した。関わってきた同期・先輩・後輩など、僕はラグビーそれ自体ではなく、ラグビーに関わる人たちに魅力を感じていた。うまく言語化できないが、ラグビー部特有の温かい雰囲気がある。大学でも、それを感じられるような仲間が欲しいと思った。また高校で退部したことについて、見捨ててしまった同期・先輩のこと、そして中途半端に投げ出した自分への後悔が心の中で引っかかっていた。
だから、4年間絶対に続けることを目標に、良い仲間をつくるために入部を決意した。
同期はそこそこ多く、やはりラグビー部らしい雰囲気で楽しかった。練習は高校に比べてはるかにきつかったが、4年間続けることを絶対に曲げたくなかったので何とかしがみついた。経験者ということで試合に出る機会も多く、充実した1年生を過ごした。一方で、勝利への意欲とかシビアなポジション争いとかは苦手で、そこへどんどん挑戦する同期はすごいなと思った。
2年生になっても苦手は変わらず、自分のできる範囲でのレベルアップを続けた。1年生末からコンバートしたHOのおかげで、春から運良くA戦のリザーブを獲得した。でも自分はチームにとって重宝されるような強いプレーヤーでもないし、ただHOの控えがいないから当てはめられただけの地位だと思っていた。そんな中、秋シーズンスタート直後に練習で前十字靭帯を断裂した。大西さんにとても怒られたことを覚えている。スイカを着ることの自覚と責任を、自身の怪我を代償として実感した。
これまで中学校での3年間・高校での1年間ラグビーをしていて、歯を折った以外には捻挫などの軽い怪我すらもしたことがなかった。その理由は、準備運動をちゃんとやっていたとか、そこまで強度が高くなかったとか、軽いプレーしかしなかったとか、いろいろ理由はあると思う。周りの同期や先輩、後輩で怪我をする人はもちろんいたし、痛そうとか大変そうとか傍目から見て思っていた。だから自分は「怪我しない側」なんだと思っていた。そんな甘く、高を括る考えがダメだったんだろう。よりによって初めてにしては大怪我を負ってしまった。でも当時、最初は実感がなかったというか、自分よりも周りの方が驚いて心配していた。別に歩く分には普通に歩けるし、まだラグビーを続けるために手術するんだなくらいの気持ちだった。
3年生になり、コツコツとリハビリをしながら、チームの主力として活躍する同期をグラウンドの外で応援していた。みんなはあそこにいて、僕はここにいて、置いていかれてしまったように感じることも増えた。それでも腐らずにDLのみんなを巻き込んでBBCなどに取り組み、7月ごろに復帰した。夏合宿で試合復帰も果たしトライも取れた、久しぶりのラグビーがとても楽しかった。怪我で短くなってしまった残りのラグビー生活への意識や頑張っている同期の姿に刺激を受けて自分のプレーにも熱が入り、それまで漫然とラグビーをしていた頃とは違う気持ちが生まれ始めた。
その矢先にまた怪我をした。復帰してまだ3か月くらいだった。タックルを受けて起き上がろうとしたら、足首が脱臼して違う方向を向いていた。もうよくわからなかった。担架で運んでくれた上岡先生に「歩けるようになりますか」と聞いたことを覚えている。そこからは入院・手術・リハビリとなすがままに事が済み、また振出しに戻った。病床で観戦する試合では同期がみんな活躍している。来年のチーム体制の話し合いも始まりかけの頃だった。自分だけがまた遠くにいて、みんなチームのことや先の話をしているのに、僕は自分の今のことしか考えられない。そんな自分が嫌で、身に降り注ぐ怪我にもうんざりし、心が離れそうになった。
でも辞めなかった。それは4年間続けると決めた僕の小さなプライドかもしれないし、ラグビー部の存在が自分の中でとても大きいものだったこともあると思う。この状態の自分でも何かできることはないか、悩み考えた。
学年MTGを経て主務を任されることになった。ようやく何かしらみんなの役に立つことができると思えて、嬉しかった。
4年生となり、同期10人で最後の1年がスタートした。
主務としてはマネジメントを何も知らないところからのスタート。1年を通して首脳陣・コーチ陣・スタッフその他関係者へ様々な迷惑をかけてしまったことを申し訳ないと感じている。部内に対しても、もっと部の雰囲気や規律の部分からチームを支えることができたのではないか。僕の見てきた主務たちはもっと円滑にチームを動かし、プラスアルファで部全体を良い方向へ導くような効果も生んでいた。それでも今年の主務は僕で、それは同期に任された大切な役割なわけで、同じ4年生としてチームを引っ張る存在として対等であるために、自分の弱さと向き合いながらここまで続けることができた。
選手としてはリハビリを続けて春シーズン終わりに復帰を果たした。対抗戦も途中からリザーブに選んでもらい、3年の怪我の時には諦めかけていたプレーでの貢献も多少は出来たのかなと思う。けれどチームの勝敗を左右する大事な局面にはあまり関われず、悔しい秋シーズンだった。一方で、中学生以来のラグビーが楽しいシーズンだった。あの頃の気持ちを思い出すことができて良かった。
そしてついに、今週末の京大戦で引退を迎える。思うようにいかない4年間だったけれど、きついことも多い4年間だったけれど、もう数日で終わると思うと少し寂しい。最近何もかもがラストの機会となっていく、まだ実感は薄いけれど確実に終わりが近づいてきているのだ。
1年前の京大戦、長く一緒に戦ってきた1個上の先輩たちが悔し泣きしながらピッチを去った姿を今でも鮮明に覚えている。グラウンドの外で松葉杖をつきながら、涙を流してそれを眺めていたことを思い出す。
必ずリベンジを果たそう。
この場を借りてこれまでお世話になった方々へ感謝を述べたいと思います。
東京大学ラグビー倶楽部の皆様・執行部会の皆様
日頃より部の活動にご尽力・ご支援いただき、誠にありがとうございます。主務として関わる中で、様々な面で支えていただいていることを実感いたしました。至らぬ点も多々あったかと思いますが、大変お世話になりました。
青山先生
たびたび助言をいただきありがとうございました。「怖い・厳しい」主務になれず申し訳ないです。はるとと同じく、僕も「ピンチ・チャンスは男の花道」を大事にしたいと思います。
川出さん
運営面でもプレー面でも多くの助言をいただきありがとうございました。昨日のタックルの助言、京大戦で活かしたいと思います。
一聡さん
2年間お世話になりました。中々成長しきれないプレーヤーで申し訳なかったです。試合中の「きんたー!」の声ありがとうございました、最後の試合では誉め言葉として叫んでもらえるよう頑張ります。
大西さん
2年間お世話になりました。「ラグビー」とは何か、「ラガーマン」とは何かを学びました。今までと全く違うラグビーを知ることができ、大きく成長することができたと思います。BBCもCCも今となっては良い思い出です。
杉本さん
1年間お世話になりました。スローの技術向上はもちろん、毎MTGでのマインドやチームの統一感についてのお話がとても響きました。京大戦もSシェイプ・山なりのスローを連発します。
その他コーチ陣
中垣さん・鳥飼さんをはじめ、様々な方に協力していただいて今年のチームが形になったと思います。本当にありがとうございました。
メディカル陣
膝・足首と大変お世話になりました。膝を執刀していただいた鬼木先生、足首を執刀していただいた森嶋先生をはじめ、田崎先生、荒木先生、工藤さん、笠原さん、上岡先生、SBC東京医療大学の学生さん、熊本回生会病院・広尾病院の皆様、その他多くの医療従事者の方々に御礼申し上げます。大怪我をしてもまたラグビーができるようにしていただきありがとうございました。
また年明け広尾病院にはお世話になりますので、よろしくお願いいたします。
復帰していただいた4人
あきおさん・一木さん・辻さん・安富さん、この1年間本当にお世話になりました。グラウンドでの活躍はもちろん、プレー以外でも助けていただくことが多く、とても頼れる先輩方でした。最後までよろしくお願いします。
後輩
4年生が少ない中、みんなのおかげで今年一年戦うことができました。特にB戦で一緒に戦うことが多く、凄まじい成長スピードにたくさん刺激を受けました。これからもずっと応援しています。いつでもご飯いきましょう。
同期
4年間本当にありがとう。みんながいたから続けてこれたし、みんなのおかげで頑張ることができた。途中で違う方向へ進んだ人たちも、ここまで一緒に歩んできた人たちも、みんな僕にとってかけがえのない同期です。みんなにとっては調子のいいうるさいやつだったかもしれないけど、今後とも長く付き合ってほしいです。
熊大附中ラグビー部
ここで出会ったラグビーが、こんなに長く続くとは思ってもいませんでした。様々なステージで活躍する同期・先輩・後輩をインスタなどで見かけたり、菅平合宿で再開したり、いつも元気をもらっていました。少しずつ恩返しできたらと思います。今後もよろしくお願いします。
家族
いつも応援してくれてありがとう。高校ラグビーを途中で辞めて1浪してまで入った東大で、またラグビーをすることになるとは驚いただろうと思います。最年長なのに兄弟の誰よりも成長期で、帰省する度にたらふくご飯を食べさせてもらいました。家族の支えなしではここまで走り切ることはできなかったと思います。東大ラグビー部で満ちた4年間の生活は幸せでした。来年も社会には出ず学生を続けることになるのであと少しお世話してもらうことになりますが、何卒よろしくお願いします。
4年間続ける・良い仲間をつくるという入部当時の目標・目的はほとんど達成された。でも最後の1年でそれは少しずつ変わった。今は、ラグビーで勝つためにラグビーをしたいと思う。
最後の一戦、仲間を信じて自分を信じて、謙虚に泥臭く戦います。
次はFWの大黒柱、副将のげんとにバトンを渡します。ラグビーほぼ未経験から、恵まれた巨体と持ち前の貪欲さでメキメキと出世を遂げていきました。戦いにアツく、思考はクールに、ファッキンワンダフルなプレーヤーです。
常にフィールドでチームを引っ張ってくれてありがとう。これからは法曹に進むみたいなので、法律のことは詳しくないけど分からない日本語とかあったら遠慮せず聞いてね。
巨人の肩の上
投稿日時:2025/12/24(水) 21:29
瞳が綺麗で有名な鷲頭からバトンを受け取りました。4年の渡辺です。
鷲頭の低く強いタックルや、グラウンド内外での献身性は、地味どころか部全体の注目の的でした。大学では、BKのユーティリティープレイヤーとして試合に出続けていましたが、もう少し体重があれば、間違いなくフランカーとして活躍してたと思います。1年の頃吉野家大盛り3杯チャレンジで吐きそうになっていたとき、ミンティアを鼻に詰めて何とか耐えて頑張っていた姿が懐かしいです。それでも増量が進まなかったのは悲しくなりました。受験痩せしないよう細谷シェフを定期的に送ります。
鷲頭とはしょうもないゲームをよくしており、未消化の罰ゲームがいくつもあるのでこれからも長い付き合いになりそうです。50になったら、理子も連れてスカッシュしましょう。
毎年4年生がこの時期に書くラストリレー日記は、歴代の先輩方が部における様々な思いを綴っており、何度も読み返したくなる名文がたくさんあります。今回は特に僕の好きな&後輩に読んでほしいラストリレー日記をいくつか紹介します。僕の文章は読み飛ばしてでもぜひリンク先に飛んでください。
修蔵さん(2022卒)
1年生当時の僕からみた修蔵さんは、体の強さとここぞというときのジャッカルが印象的なプレイヤーでした。そのため、日記を読んで初めてこのような思いを持っていた事を知り、正直驚きました。初めて読んでから3年間、折に触れてはこの文章を思い返しています。
特にバックスリーの選手や未経験で入部した人は、ぜひ目を通してください。広いラグビー場で、初めてボールを持って走ったときの、あの高揚感を忘れずにいましょう。ストラクチャーやプレッシャーに縛られすぎず純粋に勝負を楽しんでほしいです。ミスってフォワードに文句を言われても気にしない心持ちが大切です。
WTBという夢 河村は、この夢を忘れずに再来年ウイングとしてわくわくするプレーを見せてください。
関戸さん(2023卒)
ラストリレー日記は、これまでのラグビー人生の総括のようなものを書かなければならないという風潮のなか、関戸さんはいつもの日記通り突飛な妄想を書き連ねています。その勇気に感服します。
このラストリレー日記があったおかげで、僕もいつも通り「おすすめの○○」で何かを列挙する形にしようと覚悟が決まり、とはいってもちょっとは真面目に書こうと思った結果この内容に落ち着きました。
さすがM-1一回戦を突破しただけあって、関戸さんの妄想は抜群にテンポが良く、読んでいて小気味良さを感じます。僕が一番好きな関戸さんのリレー日記はエルフのクレカです。
(すでに卒部してプロフィールが削除されている方のリレー日記は、「東大ラグビー部 関戸悠真」などと名前を検索エンジンにかけることで一覧のページが出てきます。)
辻翔太さん(2024卒)
ラッピングされてない生の感情が綴られています。やっぱりこういう文章は何かくらうものがあっていいですね。当時の状況を知らずに読んでも何か感じると思います。
辻さんは普段からこのリレー日記通りの人で、憚られるようなことを全て口に出すし声が大きいです。たまにイライラしてしまいますが、それはすべて僕が寝不足で調子が悪いときでした。そのため今シーズンは、ストレッチを身体のバロメータに、辻さんを心のバロメータに、一年を過ごしてきました。結局のところ辻さんは面白くて憎めない可愛い先輩ですし、ラグビーに真剣なところも尊敬しています。タッチキックからのキックパストライ、一回くらい実現させたかったです。生の感情でいうと、安富さんの文もおすすめです。1209からの日記
雪竹さん(2024卒)
個人的に共感できない部分がありません。去年、この文章を読んでむちゃくちゃ共感しましたが、卒部が間近に迫った今読み返しても共感してしまいました。
僕は「ラガーマン」にはなれなかったですが、「ラガーマン」としてラグビーを全うできれば苦しいし、それが楽しいんだろうと思います。後輩の皆さん応援しています。
この思いに関連して、ゴタツさん(2022卒)の日記も刺さります。過信すること
リレー日記はいつ始まったものか分かりませんが、パッと見れるものだけで2011年に遡ります。特にラストリレー日記を読むと、やはり後悔を感じる文章が多く、これまで20年以上達成できていない「入替戦出場」という悲願の重みをひしひしと感じます。紹介したもの以外にもたくさんの素晴らしい文章があるので、ぜひ時間のあるときに読んでみてください。
最後になりますが、この4年間のラグビー部生活で本当に多くの方にお世話になりました。
OBOG
4年間最高の環境で部活動を不自由なく続けてこられたのは皆様のおかげです。この場を借りてお礼申し上げます。ありがとうございました。
大西さん
大西さんに、ラグビーの何たるかを教わりました。下級生で何もできなかった自分を目にかけていただきありがとうございました。アンモニア好きだったので続けたかったです。
青山先生
「ピンチチャンスは漢の花道」肝に銘じて生きていきます。
一聡さん、川出さん、鳥飼さん、杉本さん、中垣さん
皆さんのおかげで楽しく練習することができました。話すたびに皆さんの情熱や誇りを感じて、こんな大人になりたいと思う存在でした。
田崎先生、工藤さん、上岡さん、SBC医療大学の方々、美月ちゃん
皆さんのおかげで何度怪我をしても復帰することができました。本当に心強かったです。美月ちゃんはメンターでもないのに毎回大量のテーピングお世話になりました部員の皆さん
下級生で試合に絡めない頃から、怪我でチームに貢献できてないときまで、どんなときでも色々な方に気をかけていただき嬉しかったです。
同期
どんなに辛いときでもみんなに会えるから部活に来ることができました。みんな大好きです。全員でA戦に出れなかったのだけが心残りです。
家族
いつも全面的に応援してくれてありがとう。東京まで試合見に来てくれてうれしかったです。全部事後報告ですみません。できるだけLINE返してできるだけ帰省します。
次は金大にバトンを渡します。金太ではないです。
下級生の頃はラグビー部とは思えない金髪がトレードマークでしたが、今年は主務として大車輪の働きをしてくれていました。
いつかの対抗戦終わりに二人で焼肉にいったのが懐かしいです。夢を語り合いましたね。将来は共に九州を牛耳りましょう。鷲頭に比べて紹介が短くなってしまったので先日の名古屋戦後の様子を載せておきます。
セカンドの7番
投稿日時:2025/12/23(火) 22:50
シナモンが大好きな宮田からバトンをもらいました、4年の鷲頭です。これまでのリレー日記では、何度か宮田の名前を出させていただきました。書けるような話題がなく、宮田の名前を使ったことには多少の申し訳なさを感じています。この竹に免じて許してもらえればと思います。
さて、最後のリレー日記になってしまいました。自分のラグビー人生を振り返って、考えたことを書かせていただきました。拙い文章になっているとは思いますが、ぜひ読んでいただけると幸いです。
自分がよく思い出す言葉として、「セカンドの7番として死んでいく」という言葉がある。野球におけるセカンドで7番は地味な割にはやることが多く、オールマイティなプレーが要求される。あまり注目されないのにも関わらず、ミスをした時には叩かれたりする。世の中にはそういう役割の人も多いと思う。注目されるのが苦手な自分にとってそんなポジションが好きだった。ラグビーにおいても、いいアタックやトライをして注目されるよりも、いいタックルができた方が嬉しい。
高校のラグビー部のある練習で、高校同期のプロップだったやつの足に突っ込んでタックルしにいったことがあった。結果としてはタコ負け。次の瞬間空が上にあってびっくりした。ただ、何も考えることなく、とにかく足にタックルしにいけた感覚があった。その日の練習後に当時、バックスのコーチをしてくださっていた肥後先生にバックスからフォワードに移ってみないかと言われた。肥後先生曰く、その日のタックルを評価してとのことだった。もちろん、バックスで活躍する見込みがなかったからなのかもしれない。それでも、その日のタックルについて言われたことは嬉しかった。ポジティブに考えた結果、次の練習からはフランカーとして参加することに決めた。思えば、その日からタックルに対しての恐怖心が薄れていった気がした。その時からタックルも好きになっていった。
しかし、大学に入ってみると、体格の差にぶち当たった。自分より大きい相手に受け身のタックルばかりするようになり、再びタックルへの恐怖心を時々感じるようになった。この恐怖心はもちろん波はあったが、恥ずかしながら4年生の時まで続いた。キャリーしてきた相手に突っ込めずに、姿勢が高いまま来るのを待って相手を掴むだけの時が何度も多くあった。結果が良くても自分のタックルで素直に喜べなかったことも何度もあった。
3年生の時の明学戦でとても悔しい思いをしたのを覚えている。試合に負けたことが悔しいからではなかった。明学のアタックに翻弄され、どんどんトライを取られてしまうのを自分はグラウンド外でただ、見ているだけしかできなかったことが悔しかった。前半に石澤は負傷して退場、後半に福元が足を攣った時は、自分の実力がないせいで自分がチームの力になれておらず、何もできなかったのがもどかしかった。
このままでは、セカンドの7番どころか、打順が回ってくることもないかもしれないと焦った。そう思っていた矢先に名古屋戦でチャンスを頂いた。正直、緊張していたが、何とかもらったチャンスをものにしようと思った。けれども、現実はそんなに甘くなく、自分のミスで相手にトライされ、また東大のトライのチャンスを失ってしまった。ただ、幸いにも自陣のゴール前でのラインアウトからショートサイドにきたフッカーを自分のタックルでタッチに出してトライを防ぐことができた。今までで一番嬉しかったと思う。もちろん、自分のミスには正直落ち込んだが、そのタックルがあったからなんとか気持ちを保てた。タックルをやってきて良かったと思った。もちろん、石澤や湊みたいなビッグタックルができるほどうまくはないが、自分の中ではやっぱりタックルというものの存在が大きかった。
四年間を通して怪我も少なく、ここまでやって来れたのも恵まれていたと思う。それもあってか、この四年間の中で、多くのポジションを経験させてもらった。正直、自分には特出して長けている能力はないが、スクラムハーフやスタンド、B3、フランカーなど多くのポジションを経験できた。特にスクラムハーフは、当日に急に自分がハーフをやることが決まったコルツ戦の日から始まり、多くの経験ができた。2年生の時には全体練が終わって疲れ切った状態で、福元や宮田とたくさんパス練した。そんな練習をしていたにも関わらず、試合中には郵便屋になったり、千賀投手ばりの変化球を投げるピッチャーになって仲間を犠牲にしたこともあった。そんなこんなでなんとか成長できたと思う。
たくさんのポジションを経験し出してから、多くの試合に出せてもらえるようになったと思う。怪我人が出て、人が足りなくなれば、その都度いろんなポジションで試合に出させてもらった。都合のいい男にしてはありがたい経験をさせてもらった気がする。器用に全てをこなせたわけではないが、セカンドの7番に近づいた気がした。
残るは京大戦のみ。西久保さんがVoiceでも書いていたが、命をかけた試合になるようにしたいと思う。どんなポジションだろうが、自分のタックルでチームの勝利に貢献したいと思う。自分の命を犠牲にして、他人の命を救えるようになるためにも、僕の命を京大戦に捧げようと思う。
最後に感謝を述べたいと思います。
大西さん
2年間の中で自分が経験したことのないようなご指導をして頂きました。練習や試合、ラグビーそのものに対する姿勢などが自分にとっては想像をはるかに超えたもので、とても貴重な経験をさせて頂きました。ありがとうございました。
いっそうさん
凝り固まった考え方や、楽しくラグビーをやる中でも自分に厳しくするやり方を教えていただきました。何度も聞いた「わしずーっ!」の声をこれからも脳内で再生して頑張りたいと思います。ありがとうございました。
川出さん
スクラムハーフ、スタンド、B3、どのポジションをやる時も熱心に指導してくださり、本当に感謝しています。
鳥飼さん
仕事の合間をぬって、練習前のハーフ練習に付き合って頂きありがとうございました。試合の前後でも毎回声をかけてくださり、
笠原さん、中垣さん、永山コーチ、杉本コーチ
何度も駒場まで足を運んでくださり、チームのためにサポートをしてくださり、ありがとうございました。
青山部長、東大ラグビー部OB、OGの方々
陰ながらさまざまな面で、自分たちが不自由なく部活動ができるようにサポートしてくださり、ありがとうございました。
ラ・サールラグビー部の同期
稀に見る人数の多さだったけど、本当に楽しい代でした。一緒にラグビーをしてくれて、そしてそれぞれの地でもラグビーを続けてくれてありがとうございました。
両親へ
金銭面などで多くの心配をかけたりしました。今まで、サポートしてきてくれてありがとうございます。あと数年お世話になることと思いますが、必ず成長して親孝行します。
先輩方へ
先輩方が、今まで作り上げられた伝統のある部活で活動できるのを嬉しく思います。僕らが困っている時にさまざまな
形でサポートしてくださいました。ありがとうございました。
後輩へ
ラグビー部に入るという選択をし、また頼りない僕らの代を支えていただきありがとうございました。あと一週間僕らと一緒に戦ってくれると嬉しいです。これからの活躍も応援しています。
同期へ
熱湯みたいに刺激の強い代だったけど、楽しく過ごせました。刺激が欲しくなったら、また集まりたいです。
次は大親友のハルトにバトンを渡します。ハルトとはこの四年間でたくさん遊ばせて頂きました。今度も新たに良さそうなバイトがあったので、二人で挑戦してみたいと思います。鞆の浦には絶対行きましょう!理子ちゃんにもよろしくお伝えください。
ラグビーに感謝
投稿日時:2025/12/22(月) 22:21
今までのリレー日記が短かった分、バランスを取るために今回は長くしてみました。冗長な文章になってしまいましたが、ラグビー人生を清算するためにもその当時の正直な気持ちを書かせていただきました。不快に思われる点があるかもしれませんが、最後まで読んでいただけると嬉しいです。
高校で始めたラグビーは楽しく、すぐに好きになった。ボールを持って走る事もコンタクトも自分に合っていて、自分のためのスポーツだと思えた。昴の代の新人戦で成蹊高校に勝った時はその格上を倒した感覚がたまらなく楽しかった。途中、コロナに活動を阻まれはしたが、ラグビーはただ楽しかった。やればやるほど好きになって、トライをとって活躍できるとプレーに自信が湧いた。でも、自分の代になると「自分のおかげで勝っている」と思い上がってしまった。まるでラグビーは自分の物のように感じていた。その後の春季大会、vs正則高校でも前半21-0で自分も2トライ取って、チームは完全に勝てるムードになっていた。それなのに結果は21-26で負けた。後半は自信のあった近場を避けられ、経験の浅い選手のいる外を攻められた。簡単にチームは崩れた。自分が外のDFに行っても何もできなかった。ラグビーが自分の手に負えない大きなものに感じて、勝手に裏切られた様な気持ちになった。ラグビーから逃げたくなって、受験勉強を優先して練習をこなすことすらせず、なんとなく秋の試合を迎えて引退した。もしかしたら、そうしたおかげで現役合格できたのかもしれない。
大学に入って散々迷ってから入部した癖に、ラグビーに対する姿勢は変わらなかった。練習や与えられたウェイトをこなすことすらしないばかりか、4年生に反抗すらした。最初からAに絡ませてもらっていたのに、意外と簡単に活躍できそうだなと思っていたら結局Bのリザーブで京大戦を終えた。どんどんメンバーから遠ざかっていっても松元さんから怒られても変えようとしなかった。ただ、自分を起用しないのは見る目がないだけだと思っていた。自分の思い描いた甘い理想と現実の乖離は「やっぱりラグビー部に入るんじゃなかったな」という考えを加速させるばかりだった。
代が変わっても自分は変わらなかったから、試合に出してもらっても全くうまくいかなかった。リザーブでの出場がほとんどで、いいプレーなどできなかった。ここまでくるとさすがに努力も実力が足りていないのだと思えた。でも変なプライドが邪魔をして今更必死こいてラグビーはできなかった。努力をするより辞める方が簡単に思えた。
6月に頸椎椎間板ヘルニアで3ヶ月安静の必要があると診断された。自然に怪我のせいにしてラグビーから離れられると思って嬉しかった。DLに入ってからは、練習を少なくとも週に1回は休んで、行ってもストレッチしているだけ。夏の合宿も、何もできないからと強引に欠席した。その後も療養期間が1ヶ月、また1ヶ月と伸びるたびに安心した。部にコミットしていないのに所属はしている中途半端な状態に多少の後ろめたさは感じつつも、見て見ぬ振りをした。秋になって同期が試合に出続けているのを観ても、自分は重い怪我をしているのだから仕方ないと考えてまた目を背けた。怪我をラグビーと向き合わないちょうどいい言い訳にしかしなかった。結局その年は対抗戦が終わる頃に復帰してAに絡むことはなかった。逆にAで絶対出られないと思っていたからこそ、のびのびとプレーできた。余計なことを考えないで出場した数回の試合はただ楽しかった。半年近くの療養期間でラグビーへの鬱屈とした気持ちはほとんど忘れていた。とりあえずラグビーは楽しいから、それまでのことは無かったことにしたかった。
同期が対抗戦に出ているのを見て、やっぱり自分も出たいと思った。本当は自分もあそこにいるはずだから。「今度こそラグビーにちゃんと向き合おう」そう思えたのに、3月にまた痛みの限界が訪れた。ウェイトやコンタクトをした次の日には、神経痛や頭の重さで動けなくなることが多かった。首に気を遣いながらプレーも日常生活も送らなければならなかった。田崎先生からコンタクトの少ないSHやWTBに転向して、痛みと付き合いながらプレーすることを勧められた。そう言われた時、もうラグビーはここまでかなと思った。コンタクト一つ一つが怖いし、自分でもどうやったら痛みが出るのかよくわからなかった。怪我は日常生活にも支障をきたしていたし、何よりコンタクトの少ないプレーと自分が結び付かなかった。でも、悩みはしたけど、結局ラグビーを辞めるなんて到底思えなかった。体にとってはやめた方がいいのだろうけど、ラグビーもラグビー部もない生活が考えられなかった。自分にはどうしてもラグビーを手放すことができなかった。キャリーが一番好きだったけど、ハーフパスもやってみよう。なんだか自然にそう思えた。春シーズンで皆が増量に勤しんでいる中、自分は減量した。練習もSHとして入り、GWの合宿では短いながらも試合に出してもらった。怪我で周りにも心配をかけて、当時の首脳陣も使いづらかったと思うけど、試合に出してもらって本当に嬉しかった。また1からラグビーが始まったような気がした。実際のプレーはパスや動きがあまりにも慣れなさすぎて、春先の出してもらった試合は散々だった。でも、立教戦で70分近く出してもらった時は、ハーフとしてやっていけるかもと自信がついた。結局春はその後に足の怪我をして終わってしまったけど、夏と対抗戦に向けて希望が持てた。ハーフの位置から見えるラグビーは全く違っていて、新鮮だった。自分がキャリーしてチームを前進させることはできないし、全てのプレーの起点となって良いパスを放ることが当然で、安定が求められた。自分がチームを勝たせるのは下手くそな自分にはあまりにも難しいけど、壊すのは簡単だった。全てが今までと違っていた。それでも慶應戦の時、スペースがあると判断してパスを放った後に武村がトライした時は本当に気持ちがよかった。ハーフで試合に出ていると、全てのプレーが連続しているのがわかって、今まで自分の中で格闘技要素しかなかったラグビーの世界が一気に開けた。結局その年の対抗戦は最初の4試合にリザーブとして出られたものの、成蹊、明学、武蔵には出られなかった。実力が足りていなかったのがわかったし、今度はそれを受け入れられた。
幸い3年のシーズン中は痛みがあるものの、神経が圧迫に慣れてきたのかプレーは続けられた。ただ、最後の一年はまた前のようにコンタクトのラグビーをしたい、怪我をしてもなんとか続けている可哀想な選手で終わりたくない、何より4年になって自分がチームの勝利に貢献できるのはプレー以外にないと思った。今まで見たことのない成蹊や明学に勝った後の景色を自分がグラウンドに立った上で見たかった。だから手術の決断は簡単だった。それでも術後に迎えた春シーズンはひどいもので、今まで見ないようにしてきたものが重くのしかかってくる様だった。試合でうまくいかなくて、指摘されて、次の試合で改善しようとしても結局うまくいかない。そんなことの連続だった。迷いに迷ってどんどん自分のプレーが小さく縮こまっていくのを感じて情けなくなった。プレーでチームを引っ張るどころか足を引っ張っているように思えた。練習前になると吐き気が込み上げてくるようになり、水曜のメンバー発表が怖くて、余計な感情を押し殺して試合に向けて気持ちを作るのがたまらなくしんどかった。スイカを着てスタメンで試合に出るのに、それを嫌だと思っているのが、東大ラグビー部の看板に泥を塗る行為だと思ってますます自分が嫌になった。弱さを突きつけられ続けても練習する他なかった。それがまたしんどかったけど、試合で何かしらの結果を得ることが唯一の救いだと信じてやるしかなかった。夏合宿を経てなんとか迷いが払拭されて、対抗戦へ自信を持てたのは自分のラグビー人生最大の救いだった。
結局、対抗戦は3勝4敗でなんとか4位に踏みとどまったといった結果であった。成蹊、明学、武蔵ばかりか成城にも負けた。成城戦は前節の上智戦からBKのメンバーがごろっと変わってしまい、自分も初めての12番で不安要素を残したまま練習を終えてしまった。そればかりか試合前日に風邪を引いて、体のコンディションもメンタルも全く整わないまま試合に臨んでしまった。キックオフで敵陣に蹴り込んだ後、事前の分析で相手が展開してくることは想定していたのに、自分の外を抜かれて大きくゲインされてしまった。先に3トライ取られた時にインゴールで「まだいける」と言って、その場で安冨さんにそれを指摘された。まだ試合中なのにもう負けたような気でいる自分が情けなくなった。そのあと、なんとか取り戻そうとして今度は冷静さを失った。外にチャンスがあっても、それしかないと思って全部キャリーした。そして最後はカモられてノッコンして試合が終わった。プレーの迷いがなくなっても今度は他にいくらでもプレーの改善点と精神性の弱さが露呈してきた。それでもこの敗戦を機に、そうした下手くそで弱い自分も全てひっくるめて戦うしかないと思った。少なくともそう思わないとまた春と同じように小さく縮こまっていくような気がした。
成蹊戦から3戦は自分でもプレーが良くなっていったように感じる。自分がチームに対してできる最大限のことがプレーであるならこれでよかったのかもしれないが、結局チームは勝てなかった。圧倒的に全てが足りなかった。過去の自分のせいにはしたくないけれど、どうしてもかつてのラグビーを蔑ろにした自分が今年になって重くのしかかってくるように思える。自分に対してもチームに対してもできることはたくさんあったはずなのに今年の自分はそれをその場で気づくこともできなかったし行うこともできなかった。勝ちたいと思ってやっているはずなのに、そもそも勝利に向かっているのか、本当に勝ちたいがために行なっているのか根本すら疑問に思うこともあった。結局最後まで迷い続けてしまう。自分を信じ抜くことがこんなにも難しいことだとは思わなかった。こう振り返ると正則高校に負けてからなんだか自分が一貫していないで外的な物に振り回されているように感じる。せっかくラグビーを楽しむことができるのだから、それが原動力になっていればもっと違ったのではと思う。多くの後悔はある。それでもこれほど魅力的で、感情を揺さぶられて、何にも変え難いと思えるラグビーに出会えたことが今はただ、ひたすらに嬉しい。
最後にこの場を借りてお世話になった方々に感謝を述べさせていただこうと思います。
青山部長、OBOGの方々
皆さまのご支援の上にラグビー部の活動が成り立っていると思います。本当にありがとうございます。
川出監督
気にかけていただき、多くのアドバイスをくださったこと本当にありがとうございます。そのアドバイスが僕の支えになりました。川出さんに褒めていただけるのが嬉しかったです。
いっそうさん
ラグビーに対する多くの事をいっそうさんに教えてもらいました。今年1年間、僕を試合で使い続けていただいたこと、本当に感謝しています。最後の試合で期待に応えられるよう残り一週間成長し続けます。
田崎先生、宮本先生をはじめとした聖路加国際病院の方々
今年の僕が最後まで健康にラグビーをすることができたのは皆様のおかげです。本当にありがとうございます。今後もし入院することがありましたら、また聖路加にお世話になりたいです。
宮崎先生
ラグビーの楽しさは先生から教わりました。大学入学時に入部を後押ししていただいたこと、心から感謝しております。ラグビーを続けて本当に良かったです。娘さんのご結婚おめでとうございます。
冨士先生
大学に入っても気にかけて下さり、本当にありがとうございます。一橋戦観に来ていただいた時は嬉しかったです。引退後はまたラグビー部にお邪魔させていただきます。
先輩方
今まで様々なご迷惑をおかけしたと思います。それでも気にかけて関わってくださったこと、本当にありがとうございます。先輩方が築いてきた東大ラグビー部の歴史に恥じないよう最後まで戦い抜きます。
後輩
一緒にラグビーができて本当に楽しかったです。特にBKのみんなにはラグビーに対する姿勢とスキルをたくさん勉強させてもらいました。本当にありがとう。
日比谷高校ラグビー部同期
高校3年間のラグビー、一緒にできて本当に楽しかったです。今までは言えませんでしたが、高校最後の試合、自分が勝ちにこだわれなかった事、みんなに対して申し訳なく思っています。大学に入っても集まって遊んでくれてありがとう。また今度全員で集まろう。京大戦に来ること、楽しみにしています。
同期
なんとなくまとまりの無いような同期ですが、僕にとってこの同期の存在は大きかったです。4年間本当にありがとう。来年も全員学生なので遊びに行きましょう。
家族
家族の協力無しにしてラグビーは続けられませんでした。特に首の怪我をしていた時は多くの心配をかけたと思います。それでも応援していただいて本当にありがとうございます。
他にも関わってくださった方々、本当にありがとうございます。皆様との関わりを通じて僕のラグビー人生は非常に彩りのあるものとなりました。重ねて感謝申し上げます。
これまで関わってくださった方々のためにも、チームのためにも、そして自分のためにも最後の京大戦、必ず勝利します。
次は、常にカバンの中にシス単が入っている医学部受験生の鷲頭にバトンを渡します。今年、怪我をしなかった4年BKは鷲頭と僕だけだったので心強かったです。最近はあまり勉強していないようですが、引退後はいよいよ受験シーズンなので頑張ってください。
勇気
投稿日時:2025/12/19(金) 23:55
誰よりも心が優しい猿渡君からバトンを受け取りました4年の細谷です。一年生の頃から勉強熱心な猿渡君ですが、最近は医学部編入受験に研究室付けの毎日と勉強熱心に拍車がかかっているように感じます。ラグビーと勉強で疲弊しきっている彼を見るのはそろそろ忍びないので、全てから解放されて遊んでいる彼を見てみたいです。表1の「旅行に行く」については是非同行したいです。3月にでもどこかに行きましょう。
最後のリレー日記に何を書くのかとても悩みました。不誠実にならないように言葉を選んだつもりです。読んで頂けたら嬉しいです。
2年生の夏、肩を脱臼して手術をした。復帰までは5,6ヶ月かかると言われてそのシーズンは試合に出ることは絶望的だった。自分にとっては釜石合宿の初日、大西さんにフランカーに転向しろと言われた直後、なにか心機一転のような気持ちで挑んだ練習だった。その後の合宿、対抗戦シーズンが流れていく中で同期で未経験出身のげんととはるとが体を張っていた。同じ未経験出身でタックルもまともに入れない自分はチームもグラウンドも遠く感じられてまた入っていけるのか不安だったときに、チームを離れる大西さんへの質問会で「グラウンドで体を張っていない選手がチームに貢献するためにはどうすればいいのか、出来ることは何なのか」と聞いた。大西さんは「チームを愛する、その上で出来ることを考える」といった内容のことを教えてくださった。
3年生では怪我から完全復帰したあたりから試合で起用して頂けることが増えた。ラグビーの楽しさが少しずつ分かり始めてたけど、防衛B戦で足首を捻挫して春はそのまま終わった。合宿で大きくアピールしようと考えていた。山中湖合宿の慶應戦の三日前に慶應大学さんとのADがあって、慶應戦出場を考えると絶好のチャンスであることは間違いなかったので誰よりアピールしようと考えていた。結果は散々だった。ラックから始まる形式で、ATTは最初の9shapeには全部入ったけど半分くらいキャリーもオーバーもまくられた。DEFもまともにタックルに入れないしペナルティも重ねた。自分より体が大きくて強い人が真っ先に寝てラックを作る姿は歯痒かった。これ以上ないほどチャレンジしたのに練習を成り立たすことさえ出来ないことが情けなかった。その後の慶應戦ではハーフタイムのとき春から気にかけてくれていた昴さんに「立候補してでも出場しろ」と言われたけど自信がなくて言い出すことが出来なかった。結局自分に声がかかることはなく、同ポジションの後輩が出場している中でまたグラウンドが遠くなった気がした。芽生えかけてた自信は完全になくなった。それ以降の対抗戦シーズンは明らかに消極的になった。現場から遠い場所でなんとなくプレーすることを覚えてしまった。福元とか安富さんからも指摘されたけど、変えることは出来なかった。当事者意識がないまま時間が過ぎていった。翌年のフロント事情なんて分かりきっていたのにいつまでも足踏みしていた。
そんな中、続けてチームを裏切る行為をした。自分の一番弱い部分が顔を出した。やるべきこととは真逆の行動をとってしまった。降りかかった恐怖に耐えきれなくなって衝動的に逃げ出した。衝動的な行動で簡単に戻ることは出来なくなった。自分を心配してくれるチームの仲間たちが怖かった。自分に投げかけられる視線が痛かった。自分の過失の穴埋めをしてくれることに対して申し訳なく、全部投げ出している自分が情けなかった、恥ずかしかった。大西さんからいただいた言葉から自分が一番遠いところにいるように感じた。
でも、うだうだと悩んでいたけど辞めるという選択肢だけは浮かんでこなかった。1年生の時はいつ辞めるのか考えていたのに、どうしても辞めようとは思えなかった。4年生にもなって立場の面も少しはあるのかもしれないが、自分にとって純粋にこの部活があまりにかけがえのない居場所になっていた。練習が終わった後どうでもいい話をしてるのが好きだった。誰かの意味不明な悪ノリに乗っかるのも好きだった。ちょっとした無茶振りに応えるのも楽しかった。同期も、後輩も、もう誰とも話さないなんて考えたくなかった。
4年目は一瞬で過ぎ去った。勇気を振り絞って帰ったら(快く、とまでは言えないかもしれないけれど)部に戻ることを受け入れてくれた。ラグビーももう完全に0からのスタートだった。余計なことを考える余裕なんてなかった。それでも4年目のラグビーは4年間の中で一番楽しかった。B戦は将来有望な下級生たちと一緒にワクワクしながら取り組むことが出来た。試合の中で何もミスをしないことよりも何か一つでもやってやろうと思えるようになったし、練習を重ねるにつれてBのラインアウトの質も上がっていくのは嬉しかったし、セットプレーでペナルティをもらったら誰よりも声を上げて喜んだ。今年の中で特に印象に残っている試合は、いつかの夜連に行ったCalifornia-grizzliesさんとの練習試合だ。あの日は他にも東農大さんなど色んな学校が集まっていて、なんだかお祭りみたいだった。体格も大きくてスキルも自分たちよりもある相手で試合には負けてしまったけど、試合を続けてチャレンジが出来て、ラグビーという競技の大きさ、壮大さを感じたのを鮮明に覚えている。
プレイヤーとしては結局最後までAに定着することは出来ないまま対抗戦が終わりを迎えたけれど、幸運にも最後にチームを代表して戦う機会が巡ってきた。最後の二試合、4年間の集大成、チームと応援してくれている方々のために目の前の試合に集中して絶対に勝ちたい。その後に振り返れれば、と思っています。
この場を借りて様々な方への感謝を申し上げます。
青山監督・川出監督・OBの方々
学年があがるごとにこの部活に関わる人の多さ、期待してくれている人の多さを理解することが出来ました。4年間最高の環境で部活動を不自由なく続けてこられたのは監督、OBの皆様のおかげです。この場を借りてお礼申し上げます。ありがとうございました。
いっそうさん
いっそうさんのおかげで最後の年のラグビーは楽しくなったと思っています。一緒に話しながら解決案を考えるスタイルは個人的に好きでした。おおらかな感じも今年の4年生と合っていたと思います。
杉本さん
今年からユニットに留まらず指導を頂きましたが、スクラムにラインアウト、タックルと様々なことを教わりました。誰よりも情熱をもって取り組んでくださっているのが伝わってきました。本当にありがとうございました。
同期
人数は減ってしまったけど自分と違って皆自分の世界を持っている部分が好きです。本当に皆といると退屈しません。引退後も面白い話を聞かせてください。面白いことは言えないかもだけどもっと美味しいご飯を作れるようになっておきます。
一木さん・辻さん・あきおさん・安富さん
自分たちが全うしなければならなかったポジションを背負ってくださり本当にありがとうございました。今年のチームの結果は5年生の貢献なくしては成立しなかったものです。あきおさんと安富さんは京大戦までの残り二戦、よろしくお願いします。一木さんと辻さんも、どちらかの試合だけでも見に来て頂けると嬉しいです。
後輩
4年生の人数が少ない中で、3年生以下に必要以上に頼ってしまいましたが、自分からしたら本当に頼もしい後輩たちだと思っています。春先にはめちゃくちゃだったBのラインアウトを成立させているのは定浪と和田の成長のおかげです。Chasers戦でトライを取る姿には感動してしまいました。来年の皆様の目標達成を応援しています、応援しに来ます。来年春は目黒くんがご飯を食べに来るらしいので、是非一緒に来てください。(下級生を優先して食べさせます)
両親へ
大学からラグビーという競技を始めることを快く応援してくれてありがとう。大きい怪我をしたり急に帰ってきたりと苦労と心配をかけた方が多かった気がしますが、4年間見守ってくれてありがとう。社会に出るのはもう少し先になりそうだけど、卒論が終わったらまたゆっくり実家で過ごしたいし、一度くらいしっかりお酒に付き合おうと思っています。
ラストリレー日記は短く、重すぎないものがいいと考えていましたが真逆の文章になってしまいました。ユーモアのセンスがない自分にはこのような文章しか書けないようです。
次は来年から柏キャンパスで研究に励むことになっている宮田にバトンを渡します。基本的に怪我で悩まされることの多い代ですが、彼も相当苦しめられたうちの一人です。個人的には復帰後はもう一度フランカーとして戻って来て欲しいと考えていましたが、来年のチェイサーズ戦まではお預けのようです。結局一人暮らしをするのかは分かりませんが、困ったら呼んでください。来年は結構暇だと思います。
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